「プラトンの饗宴」Vol.4

プラトンの饗宴[その4]
 
普段、私たちが目にし、拘っているものとは、人が作り出した小さなルールに基づいている。本当の美に気づいている人など、ほとんど居ないのです。ひとつの方向だけを見て、縛られて生きています。そこから一歩外に出たところに、イデアは存在します。
 
二千年以上前に、このような哲学を説いた先輩がいるのに、なぜ、今の私たちは、その教えを活かせないのでしょう?なお「プラトンの饗宴」に関する記事は、書きかけです。今後考えが深まったらまた追記します。
 

「プラトンの饗宴」Vol.3

プラトンの饗宴[その3]
 
愛を成長させることが大切です。
 
まず肉体の美を愛すること。ひとつの肉体にとらわれず、多数の美を知り、愛しなさい。
次に魂の美を愛すること。美とは見た目だけではなく、心や、行いの美しさを愛しなさい。
さらに様々な知識の美しさを愛しなさい。全部にまたがるような大きな美しさを感じなさい。
そして最後に「美そのもの」に出会うことができる。永遠・不変・絶対の美=美のイデアを知ることができる。それは究極の本質「理想」を求めることに通じる。
普段、私たちが目にし、拘っているものとは、人が作り出した小さなルールに基づいている。本当の美に気づいている人など、ほとんど居ないのです。ひとつの方向だけを見て、縛られて生きています。そこから一歩外に出たところに、イデアは存在します。
 
二千年以上前に、このような哲学を説いた先輩がいるのに、なぜ、今の私たちは、その教えを活かせないのでしょう?

「プラトンの饗宴」Vol.2

プラトンの饗宴[その2]
 
◎哲学「philosophy」とは、知恵を愛すること。
◎賞賛や利益を得る目的からは、本当の愛は産まれない。
◎人は「自分が持っていないものを持っている人」に惹かれる。
◎すべての人は魂をもって、何かを産み出すことができる。
◎愛するとは、誰かと、何かを産み出すことだ。
◎生きることは、何かを産み出し続けることだ。
◎人は無知から知恵(智慧)に向かって生きている。
◎「智慧」とは物事をありのままに把握し、真理を見極めること。
 
人が生まれて死ぬまでを人生と呼びます。人はその人生を、何のために生きるのでしょう。人はなぜ、学び努力するのでしょう。人はみな死を恐れ、不死を望むのでしょうか。
 
簡単に書き出したプラトンの教え。これを何回も読み返すうちに、きっかけを掴めると思いました。

「プラトンの饗宴」Vol.1

プラトンの饗宴[その1]
 
2400年前古代ギリシアの哲学者プラトンにり書かれた「饗宴」は、人間とは何か?生きるとはどういうことかを教えてくれます。人生は、考えても…考えても分からない。それでも、考える続けることが大切だと思います。
 
私がブログに書くことは、私なりに理解したことであって、万人に通じるものではありません。残された人生を有意義に過ごすために、私は考え続けることにしました。すごくややこしくて、難しい感じもするでしょうが、それが…ちょっと違います〜。このようなことを、ぼんやりと頭に描いて生きるだけなのです。人生に深く悩まないために、考えているのです(笑)

三河の鎌田・深津氏を研究

※この記事は書きかけです。
徳川家などを輩出した現愛知県東部である三河国深津郷が起源(ルーツ)である、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)。藤原南家。ほか清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)頼光流、武田氏流などにもみられる。
 
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幸福な王子という短編小説を紐解けば…。

 「幸福な王子」というお話は、幼少期に絵本で繰り返し読んだ記憶があります。絵柄などは覚えておりません。最近になってこのお話が「童話」というよりむしろ「短編小説」と位置づけされることを知りました。作者はオスカー・ワイルド(アイルランド・ダブリン出身の詩人・作家)です。
 
 オスカー・ワイルドは私が敬愛する刑事コロンボの「黄金のバックル」という作品で、犯人の女性と被害者(彼女の弟)とのユーモラスな会話で登場することもあり、強く印象に残っていました。その印象通り、このオスカーの短編集におさめられた作品は、皮肉めいた主題に基づき、何か大きなことを語りかけてくるものです。
 
 「幸福な王子」のあらすじについては、この場には記載しません。ぜひ、ご自分でお読み下さい。私がこの日記で語りたいことは、その「幸福な王子」という短編小説をもとにした絵本を、幼少期に読んだということへの感謝です。おそらく私の父親が幼い私にプレゼントしたものと思われる。水彩画・あるいはパステル画風の挿絵に彩られた、数ページの絵本だった。
 
 世の中は間違いだらけで、よそ道に逸れたくもなるもの。それでも信じた道をひたすら進んでいれば、きっと報われる、「間違っていなかった」ことを悟り大きな幸福感に包まれる。
 
 それは、それは、難しい…、ことですね。でも不可能ではない。
ということを発見し、冷たい布団にもぐり込んで寝よ!
  

ハイリゲンシュタットの遺書

ハイリゲンシュタットの遺書とは、かの有名なクラシック音楽のマエストロ(巨匠)ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、1802年に家族に綴った手紙を指します。
 
主に体調の不良(難聴)、人間関係への絶望、それらのどん底を味わったベートーヴェンの、苦痛を表す文面。難聴は、彼にとって単なる疾患に留まらない。音楽家として致命的な病状であるが故に、絶望感は計り知れないほど大きかったはず。そのような状況で、光を見出す一行があります。
 
「そのような死から私を引き止めたのはただ芸術」
 
私たちの知っているベートーヴェンの名曲は、ほとんどがこの「ハイリゲンシュタットの遺書」以後に創られたと言っても言い過ぎではありません。「傑作の森」と呼ばれる黄金期は、死のふちより蘇った不屈の魂が生んだ傑作の宝庫です。その後も様々な病に悩まされるベートーヴェンですが、1827年3月にその生涯を閉じるまで、作曲に懸ける意欲は衰えませんでした。
 
私も今年で48歳。56歳で生涯を終えたベートーヴェンの晩年にあたります。彼が私に教えてくれること、それは今携わる仕事を天職と認識し、持てるすべてを捧げなさい。それが「生きる」ということなのだ。
 
「ハイリゲンシュタットの遺書」は決して「死にたい…」というネガティブな意思表示ではなく、それでも生き抜くという強い生命力、創作意欲を私たちに伝えてくれるのではないか。と、私は思う。

伊藤若冲が好き。

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は細密な動植物の表現で有名な江戸時代の日本画家です。僕の父親が書道家をしていて、彼の書棚に書家や日本画家の作品集が納められていた。おそらくその中に「伊藤若冲」も有ったのではないか…。(父親は有名な書道家ではなく、師範ではあるが子供に教える程度)
 
これまでの僕の認識では、恐ろしく細密で、ほとんど奇人とも言えるほど描写にこだわった画家。「鶏」「像」「魚」の絵がとても印象的だということ。それらの奇想天外な魅力を十分理解していました。
 
この春にNHK BSプレミアムで放送された「若冲ミラクルワールド」の第2回でも特集された「若冲の水墨画」。今回の「極上美の饗宴」でも、若冲の水墨画にスポットを当てていただき、若冲の世界を堪能させてもらいました。
 
僕が特に注目したのはジョー・プライス氏所蔵の「鶴図屏風」。計12枚の鶴の絵が連なる屏風。潔い筆さばきと、大胆な構図による連作で、その表現力とレイアウトがあまりに素晴らしい…。思わずため息が出ます。1枚の画像を題材として、少し語ってみます。
 
まず、鶴のボディの表現で、卵のような楕円形で全体をつかんでいますが、その中には1本の線も描かれません。尾羽の部分を真っ黒な墨で締めて、細くて固そうな脚が真っ直ぐに降りています。脚の輪郭は正確な点線。それを汚すように地面の曲線が交差している。
 
二羽の鶴は、愛し合っているのか…お互いを意識しているように見える。手前の鶴の顔はほとんどが自分の背中で隠れ、クチバシの位置は明らかに実際よりも離れて描かれている。尾羽の黒は、薄い部分を伴っているが、これは塗り残しで羽の薄い色を表現している。
 
おそらく見える限りでの「迷いが一切ない」。これは他の日本画家にも共通するのかも知れませんが、凄すぎて絶句します。僕は今日、雑誌広告のデザインをしたのですが、何回もやり直してフィニッシュまでたどり着きました。
 
もっと他の絵を見てみたい人は「伊藤若冲 鶴図屏風」で画像検索すると、連作の全てを見ることができます。

伊藤若冲

伊藤若冲は江戸時代中期の日本画家で、細密画法で知られます。
特に「動植綵絵」が好きですね。
ごちゃっとした中に、絶妙のバランス、リズム、パワーを感じます。
 
デザインを志すのなら、西洋画より、
日本画を勉強すべきだと、かねてより思っています。
北斎、広重、光琳、写楽、そして若冲などなど。
世界に類を見ない「グラフィックデザイナーの祖」の
技から学ぶことができます。
 
伊藤若冲は、絵を描くこと以外、
ほとんどの欲望や煩悩を打ち消して生きていたそうです。
若冲の作品は、そうでなければ描けない…
と感心させられるものばかり。
一歩でも良いから彼に近づきたいと思うのです。
 

人は向上し続ける。

先日、テレビでプロサッカー選手三浦知良さんのドキュメンタリー番組を見ました。番組の内容には言及しませんが、彼の生き様を知る良い機会になりました。自分の心に響いたキーワードは「人は向上し続ける」「考え方ひとつで全てが変わる」。
 
人は向上し続ける…。
 
言葉にすることは簡単ですが、実践することは非常に困難です。スポーツ選手に限らず、人はあるピーク時点を境に肉体や記憶能力が衰えます。自分のようなデザイナーであっても衰えは実感するものです。しかし「昨日よりも今日、今日よりも明日、もっと向上するのだ」という強い意志を持っていれば、乗り越えられる気分になりました。
 
考え方ひとつで全てが変わる…。
 
これは野球の野村克也さんも同じようなことを言っています。何も考えていない→考えて生きる。一つの考えを信じて生きている→それを変えてみる。その時に新しい何かが始まるのかも知れません。自分の場合「一つの考えを信じて生きている」派でした。三浦知良さんの「人は考え方ひとつ」の言葉は、そんな自分に問いかけた言葉かも知れません。

苦悩の音楽家ブラームス

ブラームスは、特にシンフォニーの分野で最も好きな作曲家です。
 
彼の発表した交響曲第一番~四番はどれも傑作で、何度聞いても飽きることはありません。その中でも交響曲第一番は、随所にベートーヴェンの影響を感じさせますが、着手から完成までに20年の歳月を費やしたと言われます。
 
ブラームスの生き様を知ると、自分との共通点を多く見いだすことができます。仕事に厳しく、人付き合いには弱い(本当は自分もこのタイプ)。上手に演奏できない者には「君に必要なのは才能だ」と罵倒しその後「これくらいのことで挫けていては、君の全てが台無しになってしまう」と励ます優しさも備えていたといいます。
 
 

師弟関係。

自分が20歳で初めて就職した愛知県のデザイン事務所の「チーフデザイナー」であったM氏が、自分のデザイナーとしての最初の師であると思います。初対面の時に「君はどうしてデザイナーになろうを志願したの?」と尋ねられ「プラモのパッケージのデザインがしたい」と答えたら「そりゃ、ウチに就職したら無理だね」って軽くあしらわれたことを覚えています。
 
M氏はディレクターとしてもデザイナーとしても抜群で、カリスマ的な存在でした。毎日毎日M氏と長い時間を一緒に過ごして、少しでも多く吸収しようと必死でした。3年程してM氏は独立し事務所を構え、自分もお願いして一緒に着いて行きました。その事務所でさらに2年M氏のもとで働かせてもらいました。どんなに一緒にいても、このままでは、この人を追い抜くことはおろか、近づくことさえできないと感じたものです。
 
25歳でM氏のもとを離れ、東京に出ました。それからさらに21年後となる今年のこと、突然M氏からメールがあり「F君のウェブの作品集を見たよ、素晴らしいね!」と褒めてくださったのです。自分は「これは、全てMさんから教えてもらったことを、自分なりに追求していったものなんですよ」「今でも当時の教えは忘れていません。本当に感謝しています。」
 
そんな会話があったあと、少しだけですがM氏のウェブデザインの仕事のお手伝いが出来ることになりました。これって、凄いことですよね。20年以上離れていた師匠に、仕事で恩返しができたのです。M氏に限らず、かつてうけたご恩は出来るだけお返ししたい。そんな気持ちが大きくなっています。

トップランナーの言葉

先日、私用で東京に出向きました。趣味の音楽関係の友人の誕生日のお祝いパーティに出席するため。僕は自分の管理にトコトン弱いタイプで、これまでに数々の失敗を重ねて生きているので、今回は「帰りの飛行機に間に合う!」ということを、最重要課題とし、少し前に羽田空港に到着する計画を立てました。
 
しかし、それが毎回達成できれば数々の失敗は無かったわけで、案の定、今回も空港に2時間半も早く到着し、ひたすら時間を潰すこととなりました。(10時半に羽田発の飛行機に乗るために、9時半に空港に到着しようと試みたが、思ったより早いルートを使えたため、9時過ぎに到着。で、見間違いで、実際の発が11時半だったため)
前日にパーティ~四次会まで参加し、12時間以上飲み続けたため、極度の疲労を感じつつ、切らしたタバコを購入するために40分歩き回り、律儀にホテルで朝食をとったため、お腹もすいていないので、待合椅子で缶ジュースを飲んだり。ちっとも時間が過ぎません。
 
何気に、本屋に立ち寄り「何か本でも読もう」と思い立ちました。
 
活字が苦手なので、断片的に読めるな~と感じたNHKテレビ番組の「トップランナー」の言葉を集めた小さな本を買いました。(本の売れ行きに関わりたくないので、実際に掲載された文言ではなく、あいまいな記憶に基づいて語ります。)
目次があって、そこにトップランナーたちが語った主題のようなものが並んでいて、その職業や、魅力的なキャッチコピーをたどって、ページの前後関係無視で読んでゆきました。
 
その時に目にとまったフィギュアスケートの第一人者が語った言葉。
「フィギュアスケートは美しいことを目指すもの。しかし、自分の持って生まれた容姿は、外国の選手たちと比べ決して美しいものではないかもしれない。でも、もしも、自分が望むものが生来得られていたとしたら、そこには努力するという最も大切な心が生まれなかっただろう。一見とりえの無い自分だが、神様が与えてくれた『スケートを愛する心』に感謝している。そのおかげでひと一倍努力できたから」
 
この(記憶に基づく)数行を読んだ時、心の奥から熱いものが込み上げ、眠気も疲れも吹っ飛んで、目が潤んでしまった。
自分へのアドバイスだと感じました。このところ、自分に自信が持てない時間を過ごすことが多くなっっていて、しかも、もう若くないので、衰えとも闘う日々。でも、そんな暗いトンネルのような心境の中で掴んだものは「出来ることをやるしかない」という、ごく単純な解決策でした。「好きなことを自分なりに一所懸命、時間を使って、コツコツやっていればいいじゃん」という、開き直りのような感覚。で、サボりたい時には休めば良いし、嫌いになったらリタイヤすればいい。
 
でも、本当に好きなことだったら、諦められないんです。結果は死ぬまでわからないんです。「デザインを愛する心」「音楽を愛する心」は、神様が僕にプレゼントしてくれました。「上手にできなくても、好きなんでしょ?最後まで頑張れ!」っていうことなんですね、きっと。

名の由来「藤沢秀行」さんの死

自分の名の由来である人物で有名な棋士(囲碁)の藤沢秀行さんが09年年5月に亡くなりました。

父親が大の囲碁ファンで、自分にその想いを託したのでしょう。ちなみに自分は三人兄弟の二男。兄は祖母から一字をもらい命名され、二男の自分の時には父親の意思で命名できたのがその理由ではないかと推測します。しかし少年時代の自分は囲碁には全く興味を持たず、大人になるまでこの人物には無関心でした。父親は落胆したでしょうね。30歳を過ぎた頃から、少し気になり始め、彼が題材のテレビ番組などは見るようになった気がします。

この「藤沢秀行」なる囲碁界の巨星を表現した言葉として…

「天才と狂気」「破天荒」「問題行動」「破滅的」「ギャンブル狂」「借金王」「囲碁界最悪の酔っ払い」など。かなり型破りな人生を送ってきたと思われます。
しかしその反面後進の育成に力を注ぎ、彼を「秀行(しゅうこう)先生」と慕い師と仰ぐ棋士は数えきれません。固くて手厚い囲碁を目指した棋風と、精神性を強く求めた後進育成。それでいて人生は真似しちゃいけないことだらけ。
そんなことを1963年に自分が生まれた時点で、父親がどれほど意識していたかは不明ですが、この方のお言葉は、やはり自分の心に響くのです。

▼藤沢秀行先生の残したお言葉
戦って戦って戦い抜けと言っている。
戦いを避ける技は、
後になってからでも身につく。
体調のいいときに戦うのは当たり前の話で、
戦えないような状態でも戦える男にならないといけない。
計算のできる人生なんておもしろくもなんともない。
危険な芽を摘むことは、可能性の芽も摘むことでもある。

▼これは死の直前に書かれました。もう喋れなくなってからのことだそうです。
「強烈な努力」
この言葉は重いです。シンプルですが限りない可能性を求める言葉だと感じます。とんでもないパワーですね。「まだまだ死ねんよ、君は。」と言われた気がしました。
以上、自分の名前の由来である人物のお話でした。