例えば人が買い物をした場合、値札よりも安い代金で買えるよう、店員にしつこく交渉し、値切ったとする。店は予定通りの利益が得られない。安く買い物をした人は、それで気分が良いだろうか?
20万円の品を19万円で手に入れ、その直後に交通事故にあい、死んでしまえば1万円の得は何の価値もない。
こうして地道に「得を積み重ねた」人が、死を迎えた時に1000万円の貯金を残したとする。その遺産を手に入れた人は、努力無しで得られた金で幸せに生きられるだろうか?
「損だ得だ」と金勘定ばかりしている人は、人生において本当に得をしているとは考え難い。逆に「自分が損をした」「高い買い物をした」「人の分まで自分が払った」などの場合は、その相手が必ず得をしていると言える。
私の信条とも言えること。それはギャラ以下の価値の仕事はしない。むしろ、ギャラを上回る価値の仕事をしたい。それは、言い換えれば永遠に「損し続ける」ことでもあり、相手に「得をし続けてもらう」ことなのだと思う。
Topics: お金
頭では分かっていても、なかなかこういう心境になれない自分に苦しみます。
いくつになっても現実離れした夢を見つづけたりして。。でも本当の満足感って目の前のことを一生懸命やって、合間合間にちょっとした幸せを感じる事なんでしょうね。
得してもらって幸せを得る。か。
ちょっと意識してみようと思います(^^)