一般的な仕事は金銭収入を伴うので、生活のために仕事をしている人が大多数です。だから「私はデザインで飯を食っている」などと表現します。「私は会社員で飯を食っている」という表現はありませんので、「職種を指す」言葉です。その反面「ウチの亭主は仕事のことしか頭に無い」「仕事人間」「家庭をかえりみない」など、行き過ぎると周囲から非難されるようです。
現代社会では「仕事の失敗=死」という物騒な構図はあまりピンときませんが、例えば戦国時代は「戦での敗北=死」だったでしょう。極端な例では、一族皆殺しという悲惨な敗北もあったと伝え聞きます。このような環境下ではまさに「命がけの仕事」であって、幸福でいるためには「良い仕事の連続」が条件となったはずです。ただし、この時代の仕事は「幸福論」とはほど遠いです。
「良い仕事」を維持し続けることは、なかなか難しいものです。偶然ではなく必然の連続です。私が思うに「ある程度の強い意志(スタイル)」を持っていないとそれは不可能なのではないでしょうか。また、その仕事が好きでないと持続できない気がします。
私の生活サイクルとしては、仕事をしている時間がざっと5割。毎日休み無く12時間働き続けて5割と計算すると、恐ろしい数字です。睡眠時間を除けば、ほぼ仕事にあけくれる人生です。仕事以外の時間(例えばこのブログを書いている行為)ですらも、仕事で役立つよう自分を鍛えている時間ですし。戦国時代の兵士のように「仕事=命」という単純な式ではないにしろ「仕事での充実感=人生の充実感」と考えて生きているようなものです。
かなり若い頃から、この式には気付いていました。私は実した幸せな人生を送るべく、修行を積んでました。今でもそれは続いています。
仕事で自分を幸福にするためには、好きな仕事を見つけ、そのために出来うる限りの努力をし続け、世の中から喜ばれる「結果」を出すことでしょう。