ハイリゲンシュタットの遺書

ハイリゲンシュタットの遺書とは、かの有名なクラシック音楽のマエストロ(巨匠)ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、1802年に家族に綴った手紙を指します。
 
主に体調の不良(難聴)、人間関係への絶望、それらのどん底を味わったベートーヴェンの、苦痛を表す文面。難聴は、彼にとって単なる疾患に留まらない。音楽家として致命的な病状であるが故に、絶望感は計り知れないほど大きかったはず。そのような状況で、光を見出す一行があります。
 
「そのような死から私を引き止めたのはただ芸術」
 
私たちの知っているベートーヴェンの名曲は、ほとんどがこの「ハイリゲンシュタットの遺書」以後に創られたと言っても言い過ぎではありません。「傑作の森」と呼ばれる黄金期は、死のふちより蘇った不屈の魂が生んだ傑作の宝庫です。その後も様々な病に悩まされるベートーヴェンですが、1827年3月にその生涯を閉じるまで、作曲に懸ける意欲は衰えませんでした。
 
私も今年で48歳。56歳で生涯を終えたベートーヴェンの晩年にあたります。彼が私に教えてくれること、それは今携わる仕事を天職と認識し、持てるすべてを捧げなさい。それが「生きる」ということなのだ。
 
「ハイリゲンシュタットの遺書」は決して「死にたい…」というネガティブな意思表示ではなく、それでも生き抜くという強い生命力、創作意欲を私たちに伝えてくれるのではないか。と、私は思う。

人間関係はハイアングルから眺める。

若い頃は考えを述べるたびに、極論主義者だと評されてきました。考えが早々に結論にいたることが多く、このような印象を持たれたのでしょう。ところが、50歳を少し前にした頃から少しずつ考えが変わり、人間性が穏やかになってきました。
 
それは「逆の立場で物事を考える」ようになったから。
 
例えば相手を一人称として人間関係を客観視するようにします。これが意外と難しい。人は自分を主人公にして物語を展開したいものです。具体的には自分も含めた人間関係を、俯瞰視(ふかんし:ハイアングルから眺めたような視点)するような感覚です。
 
そういう感覚で暮らしていますと「怒り」「憎しみ」「嫌い」などの激しいネガティブ感情が消えてゆきました。それらが「怒られている」「憎まれている」「嫌われている」に変換できるからです。

苦悩の音楽家ブラームス

ブラームスは、特にシンフォニーの分野で最も好きな作曲家です。
 
彼の発表した交響曲第一番~四番はどれも傑作で、何度聞いても飽きることはありません。その中でも交響曲第一番は、随所にベートーヴェンの影響を感じさせますが、着手から完成までに20年の歳月を費やしたと言われます。
 
ブラームスの生き様を知ると、自分との共通点を多く見いだすことができます。仕事に厳しく、人付き合いには弱い(本当は自分もこのタイプ)。上手に演奏できない者には「君に必要なのは才能だ」と罵倒しその後「これくらいのことで挫けていては、君の全てが台無しになってしまう」と励ます優しさも備えていたといいます。
 
 

中谷彰宏氏の言葉。

かっこよく見られたいと思ううちは、かっこ悪い。
かっこ悪くてもいいと思う人が、かっこいい。
 
自分の余命を知った人は、限られた財産と時間を、
人のために使うようになる。
 
もっとも相手の心に残る言葉は、
相手の名前を呼ぶことです。
 
相談する人が求めているのは、
アドバイスではなく、聞いてくれることだ。
 
静かなところで大声で話している人に、
歌のうまい人はいない。
 
悪口もイタズラ電話と同じで、人間の知能を低下させます。
ほめる言葉や愛の言葉を常に話している
人の知能はどんどん向上していくのです。
 
草野球でフォアボールを選ぶことほど、
つまらないものはない。
 
才能はお酒と同じ。
時間をかけて腐らせたものが、人を酔わせる。
 
値切ることで自分の評判を値切っている。
 
一番最初に書くものが、
一番エネルギーに満ちているのです。
 
良いこと言うな〜この人は。
 

「プラトンの饗宴」Vol.4

プラトンの饗宴[その4]
 
普段、私たちが目にし、拘っているものとは、人が作り出した小さなルールに基づいている。本当の美に気づいている人など、ほとんど居ないのです。ひとつの方向だけを見て、縛られて生きています。そこから一歩外に出たところに、イデアは存在します。
 
二千年以上前に、このような哲学を説いた先輩がいるのに、なぜ、今の私たちは、その教えを活かせないのでしょう?なお「プラトンの饗宴」に関する記事は、書きかけです。今後考えが深まったらまた追記します。
 

「プラトンの饗宴」Vol.3

プラトンの饗宴[その3]
 
愛を成長させることが大切です。
 
まず肉体の美を愛すること。ひとつの肉体にとらわれず、多数の美を知り、愛しなさい。
次に魂の美を愛すること。美とは見た目だけではなく、心や、行いの美しさを愛しなさい。
さらに様々な知識の美しさを愛しなさい。全部にまたがるような大きな美しさを感じなさい。
そして最後に「美そのもの」に出会うことができる。永遠・不変・絶対の美=美のイデアを知ることができる。それは究極の本質「理想」を求めることに通じる。
普段、私たちが目にし、拘っているものとは、人が作り出した小さなルールに基づいている。本当の美に気づいている人など、ほとんど居ないのです。ひとつの方向だけを見て、縛られて生きています。そこから一歩外に出たところに、イデアは存在します。
 
二千年以上前に、このような哲学を説いた先輩がいるのに、なぜ、今の私たちは、その教えを活かせないのでしょう?

「プラトンの饗宴」Vol.2

プラトンの饗宴[その2]
 
◎哲学「philosophy」とは、知恵を愛すること。
◎賞賛や利益を得る目的からは、本当の愛は産まれない。
◎人は「自分が持っていないものを持っている人」に惹かれる。
◎すべての人は魂をもって、何かを産み出すことができる。
◎愛するとは、誰かと、何かを産み出すことだ。
◎生きることは、何かを産み出し続けることだ。
◎人は無知から知恵(智慧)に向かって生きている。
◎「智慧」とは物事をありのままに把握し、真理を見極めること。
 
人が生まれて死ぬまでを人生と呼びます。人はその人生を、何のために生きるのでしょう。人はなぜ、学び努力するのでしょう。人はみな死を恐れ、不死を望むのでしょうか。
 
簡単に書き出したプラトンの教え。これを何回も読み返すうちに、きっかけを掴めると思いました。

「プラトンの饗宴」Vol.1

プラトンの饗宴[その1]
 
2400年前古代ギリシアの哲学者プラトンにり書かれた「饗宴」は、人間とは何か?生きるとはどういうことかを教えてくれます。人生は、考えても…考えても分からない。それでも、考える続けることが大切だと思います。
 
私がブログに書くことは、私なりに理解したことであって、万人に通じるものではありません。残された人生を有意義に過ごすために、私は考え続けることにしました。すごくややこしくて、難しい感じもするでしょうが、それが…ちょっと違います〜。このようなことを、ぼんやりと頭に描いて生きるだけなのです。人生に深く悩まないために、考えているのです(笑)

イマジンの歌詞を考える

イマジンの歌詞を考える

天国なんて ありません
足の下に 地獄はありません
頭の上には ただ空があるだけ

みんな その日を
ただ 生きているだけ

国なんて いりません
殺し合ったりすることもなく
そして 宗教もいりません

みんな 安らかに
ただ 生きているだけ

所有する必要はありません
欲張ったり 飢えたりもせず
兄弟の愛に包まれる

そして みんなで世界を
分かち合いましょう

きっと僕のことを
夢想家だと言うでしょう
でも、僕ひとりではないと思う

いつかあなたも 僕らの
仲間になってくれる

そして 世界はひとつになるのです

詩には「想像してごらん」という主題はあえて含めませんでした。
そのような気分で読んでください。
ジョン・レノンは詩の中で「想像してごらん、
簡単でしょう?難しくないでしょう?」と、
語りかけますが、どうやらそれほど簡単ではないようですね。

お金や国家、宗教などはいずれも人間がつくり出したルール。
それに対し、空や土や水などは自然の恵みです。

天気の良い日に春日公園あたりで、
緑の美しい丘に寝そべって、天に広がる青空を眺めながら、
イマジンを聴いてみたいですね。

文章力を身につけよう。

文章力を身につけよう。
 
美しい文章が書けることは大切です。
ビジネスではメールでの意思疎通が必須ですし、
FacebookなどのSNSも流行中。
もはや文章がその人のキャラクターを表現する時代とも言えます。
かく言う私も、文章力を身につける努力は惜しみません。
私が心がけることは…
 
漢字を減らし、仮名を多用する。
一文字でも少ない文章を目指す。
何度も読み返し、書き直す。
柔らかさ、穏やかさを表現する。
極論(断定表現)は避ける。
などです。
 
まだまだ修行中です。
たくさんの人に読まれ、喜んでもらえるような
文章が書けたら、とても素敵だと思います。

中庸という考え。

「中庸(ちゅうよう)」の意味を辞書で調べたら、かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。などと出ます。仏教用語での「中道」も近い感覚です。
 
この「中庸」は僕が2011年あたりから身体の痛みを感じ、鍼灸治療院に通っていた頃に針灸師の藤田先生(パーソナルF)より教えて頂き知りました。僕があまりに仕事に厳しく、常に最良の結果が残せるよう葛藤している様を見て、教えてくださった考えです。
 
「中庸は徳の至れるものなり」
 …なにごとをするにも、やりすぎてはいけない。

 
怠けることを許さず、失敗を恐れ、常に自分を追い込んで、良い結果を出すことに邁進する。ずっとそんな生き方をしてきました。それくらいしないと、自分が満足する仕事を残せない…と自らを虐めてきました。しかし、それには上限がないのです。(完璧主義とは少し異なります。あえて文字にすると最善主義。)
 
今の僕は、仕事における完成度を求める観点とは別に、この「中庸」の心を持つことを意識しています。精進し、努力してなお、出した結果においては一喜一憂はしないことです。
 
また、好きなことをしている時間には、自分に過度なプレッシャーを与えないことです。デザインでも音楽でも、好きだから楽しくやっているのだ。それだけで良いのだと。
 

「ダメ出し」の反対語は?

「ダメ出し」「駄目出し」は「駄目を出す」の名詞化で、もともと演劇やテレビなどの業界用語としてよく使われたものが、今では一般的になっています。使用方は言うまでもないでしょう。
 
ところで「駄目出し」の反対語は、何でしょう?ちょっとネットで調べてみました。以下はその答えの一部です。
 
「駄目出し」⇔「良し出し」?
「駄目出し」⇔「良い出し」?
「駄目出し」⇔「褒め出し」(ホメ出し)?
「ダメ出し」⇔「ポジ出し」?
 
先日何気なくテレビを見ていましたら、女優の吉田羊さんが「駄目出し」ならぬ「良し出し」という言葉を使われていて、それが心に残りました。
 
もしも「駄目出し」の反対語が今後一般化されるのでしたら「褒め出し」はちょっと気に入りません。少しお世辞っぽく聞こえませんか?それに比べ「良し出し」は美しい響きで、素直に心に届きそうです。今、僕たちがFacebookなどで、気軽に「いいね!」をポチっている行為は、この「良し出し」に近いのかも知れません。
 
反対語が「ポジ出し」という提案もあるようですが、「ポジ」の反対語は「ネガ」となり不可。用途的にも「ダメ出し」はそれほどネガティブな観点ではないでしょう。
 
学校教育の「いじめ防止策」でも、この「良し出し」に近い方法が注目されていると聞きました。程よい「良し出し」で、尊敬しあって暮らしてゆくのも楽しい気がします。
 

利用される?活用される?

言葉のお勉強。
「利用」と「活用」の違いは何でしょう?
 
学術的な答えは自分で探してください。(笑)ここでは、あくまでも僕の持論として話を進めます。「利」とは即ち利益。利用=何かを用いて利益を得ること。「活」とは活かすこと。活用=何かを用いてそれを活かすこと。言葉の響きとして、「利用する・される」は非常にイメージが悪い。逆に「活用する・される」は、イメージが悪くない。
 
僕は永年この「利用される」という言葉について考え続けてきました。僕は仕事が忙しくほとんど休めません。デザインの勉強、最新IT技術の勉強‥。様々な技術や知識を蓄え、持ち前のデザインセンスにも磨きをかけてきました。
 
それで毎回、最高の仕事ができるよう、お客様に喜んで頂けるよう、一心不乱に働いてきました。でも、ここ数年で、それらの仕事に無償という価値判断をされたり、仕事として着陸出来なくなったり…。そんなことが起きはじめたのです。
 
同じような苦しみを味わっている、若いクリーエーターも多いのでは?(笑)
 
また、こうしたスキルを持つが故、周囲から頼られて、ますます休めなくなる。メールアドレスをPCに設置するなどという、全くクリエイティブと無縁な分野で時間を失うことも多くあります。
 
僕はその高いスキルを「利用されている」と感じるようになりました。悲しい考えですが人間の心とは弱いものです。しかし最近気付いたことがあるのです。僕は「利用されている」のではなく「活用されている」と考え直したら、どうなのか?
 
目の前の霧が…さ〜〜〜っと、晴れてゆく気持ちです。そうか僕は、培ったその技術を世の中に活かしてもらっているのだと。
 
最後に武田鉄矢さん「母に捧げるバラード」の一説を引用します。これはまだ「利用されている」感覚に苦しんでいた頃、自分を戒めるためにつぶやいたものです。でも今は、もう少し大人の階段を上れた気分ですね(笑)
 
「人間働いて、働いて、働き抜いて、もう遊びたいとか、休みたいとか思うたら、一度でも思うたら、はよ死ね。それが人間ぞ。それが男ぞ。おまえも故郷をすてて都へ出てゆく限りは、帰ってくるときは輝く日本の星となって帰ってこい。」
 

風が吹くとき…を思い出す。

風が吹くとき
 
風が吹くとき「When The Wind Blows」は同名の原作および1986年に映画化されたフィルム作品。イギリスの片田舎に住む年老いた夫婦「ジム」と「ヒルダ」は平穏な年金生活を送っている。ある日、ラジオニュースで「核戦争が近づいている」ことを知り、政府から配られたガイドパンフレットに従い、手製のシェルターをこしらえ身を隠す。敵国の攻撃…もの凄い光とともに風…シェルターで難を逃れ、日常を取り戻したかに思えた二人。でも、放射能の風を浴びた二人の身体は次第に弱ってゆく…。
 
日本において戦争や原爆のことを考えれば、このような「のんびりした」作風では描ききれない悲惨さだったことは間違いない。でも2012年の日本で現在進行している原発問題についても、なにか相通じるものを感じます。国家政府や州当局をただただ信じ続ける老夫婦の姿に、身近な人の姿がダブらないだろうか。
 
原作・脚本:レイモンド・ブリッグズ(スノーマン等で知られる世界的絵本作家)
音楽:ロジャー・ウォーターズ(元ピンク・フロイド)
主題歌:デヴィッド・ボウイ
日本語版監督:大島渚
声:森繁久彌 加藤治子
 

いじめ…で思い出す、兄の教え。

小学校4年の夏休み。僕は2歳年上の兄と隣町の駄菓子屋さんの前に居た。そのお店にクラスのA子ちゃんの姿があった。A子ちゃんは小児まひが原因で知恵遅れ。クラスでは「フランケン」と呼ばれ、仲間外れにされていました。僕は「あ、フランケンだ!」と条件反射的に…彼女を避けようとした。その時兄の目が険しく変化したように感じた。
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今日のあなたは、一番若々しいあなたです。

このまえ、テレビを流していたら
こんな言葉が耳に入りました。
 
「今日のあなたは、一番若々しいあなたです、だから今を大切に…」
 
ハっとしました、本当ですね。
過去に遡って生き直すことはできないから、
今の自分が最も若い自分だということになる。
 
人はみな、若さに憧れ、老いを恐れます。
えらく歳くったな~、
若かった頃に戻りたいな~
なんて嘆かずに、
今の自分、一番若い自分を
楽しむことが大事だね。
 

天台宗の教えから学ぶ

  • 忘己利他(もうこりた…己を忘れて他を利する)
  • 他人を大切にすることこそ、自分を大切にすることになる
  • 和顔愛語(おだやかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接すること)

 
瀬戸内寂聴さんが好きで、この言葉を心に置いています。「幸福な王子」とは少し違う感じです。人のために尽くすなら、まず自分を優先し大切にし、ちゃんと愛してください。それができてこそ、無理せず人を愛すことができます。
 
忘己利他は「自分のことは忘れられるような状況を作って、人のために働く」と、勝手に解釈してます。

言志四録(げんししろく)

佐藤一斎(さとういっさい)
美濃国岩村藩出身の著名な儒学者。
(1772-1859)
 
言志四録(げんししろく)は四十余年にわたり記した随想録。西郷隆盛の終生の愛読書。人間の生き方、豊かな人生を送るための心構え、政治法律、学問修養、倫理道徳など、まさに多種多様。
 
▼三学戒

少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち壮にして為(な)すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず
 
幼い頃から勉強しておけば、
大人になって良い仕事ができる。
大人になってから更に学べば、
老人になっても力は衰えない。
老年になってまだ学べば、
自分の死後も次の人々に引き継がれていく。

自分の相撲を取る。

あまり相撲には詳しくないが、勝者のインタビューでこの言葉を耳にしたことが多いのではないか?
 
「自分の相撲を取れた」
 
この言葉は案外と深い。己の生き場を知った者の言葉だと思う。
 
自分のストロングポイントに気付かない者には、この印象は生まれないだろう。しかしながら「自分の長所を活かして生きる」ことは簡単なことではない。私の場合、自分の長所は何にでも全力投球し、命を削ったような行動も平気だ。でも周囲ではそれを、迷惑と感じかねない。それほどの日常では無いのだよ。もっと平穏なものだ、毎日は。
 
太った力士は、巨体を活かして小柄で素早い敵を押しつぶす。小兵は巨人の足下を狙う。地味な者はコツコツと精進し、歌が得意な者は土俵甚句で派手に美声を誇るだろう。大切なことは自分の持ち味を活かすことなんだ。今日の1勝に満足してはいけない。相手の弱みに付け込んで勝利を得ても、応援してくれる人に感動はない。
 
自分という存在は、唯一無二。誰にも代わりができないから尊い。呪縛から自我を解き放ち、自分らしい声で、大きな声で主張すればよいと思う。周囲の人を傷つけないようにね〜。難しいけれどできるはずだ。
 
「自分の相撲を取れているか?」を自問する。う〜、インタビュアーがここにいないので答えは夢の中で…笑。おやすみ。

幸福な王子という短編小説を紐解けば…。

 「幸福な王子」というお話は、幼少期に絵本で繰り返し読んだ記憶があります。絵柄などは覚えておりません。最近になってこのお話が「童話」というよりむしろ「短編小説」と位置づけされることを知りました。作者はオスカー・ワイルド(アイルランド・ダブリン出身の詩人・作家)です。
 
 オスカー・ワイルドは私が敬愛する刑事コロンボの「黄金のバックル」という作品で、犯人の女性と被害者(彼女の弟)とのユーモラスな会話で登場することもあり、強く印象に残っていました。その印象通り、このオスカーの短編集におさめられた作品は、皮肉めいた主題に基づき、何か大きなことを語りかけてくるものです。
 
 「幸福な王子」のあらすじについては、この場には記載しません。ぜひ、ご自分でお読み下さい。私がこの日記で語りたいことは、その「幸福な王子」という短編小説をもとにした絵本を、幼少期に読んだということへの感謝です。おそらく私の父親が幼い私にプレゼントしたものと思われる。水彩画・あるいはパステル画風の挿絵に彩られた、数ページの絵本だった。
 
 世の中は間違いだらけで、よそ道に逸れたくもなるもの。それでも信じた道をひたすら進んでいれば、きっと報われる、「間違っていなかった」ことを悟り大きな幸福感に包まれる。
 
 それは、それは、難しい…、ことですね。でも不可能ではない。
ということを発見し、冷たい布団にもぐり込んで寝よ!
  

何かを見て勇気をもらう…

なでしこジャパンのワールドカップ優勝。これを見ていた東北の方々が「勇気をもらった、頑張れる気がして来た」とメッセージを述べておられた。感情が揺れ動く=まさに感動、ということだと思います。なでしこジャパンの場合は、日本人であればいやおうもなく飛び込んできたビッグニュースですが、そうでなくとも自分なりに良いものを探し見つけては感動することもできるはず。
 
目で見、耳で聞き、舌で味わい、肌で感じ。それらを吸収し、自分の生き方や仕事に活かしてゆくこと。それの繰り返しで得られる感覚で、最も尊いと思えるのは「自分の可能性を諦めないこと」に気付くことです。ただ過ぎ去っている時間が、とても意義深い時間へと変化します。
 
「勇気をもらう」という言葉は、苦悩のない幸福の時間からは生まれない言葉でしょう。しかし「勇気をもらった=感動した」という図式が正しいのであれば、苦しむからこそ喜びもあるのだ…とも考えられます。
 

Redemption Song / Bob Marley & The Wailers

Redemption Song
Bob Marley & The Wailers

 
リデンプション・ソング
ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
 
遠い昔に海賊が俺達をさらって
奴隷船に売り払った
そして奴らは俺達を商品として
船底から引きずり出した
だけど俺は逞しくなった
全能の神が手を差し伸べてくれて
俺達はこの時代を進んでいく
勝者のように誇らしく
一緒に歌ってくれ
自由の歌
俺が歌ってきたのはすべて
自由を取り戻す歌
自由を取り戻す歌
奴隷精神から自らを解き放とう
俺達の心を解放できるのは俺達しかいない
奴らの原子力なんて恐れることはない
時間を止める力など持っていない
いつまで奴らは俺達の預言者を殺し続けるんだ
俺達はただ突っ立って眺めているだけなのか?
誰かが言った、この受難こそ預言の一部だと
俺たちで聖書を完結しよう
一緒に歌ってくれ
自由の歌
俺が歌ってきたのはすべて
自由を取り戻す歌
俺が歌ってきたのはすべて
自由を取り戻す歌
この自由の歌
自由の歌
 
新宿転石さんより転載
 
 

永遠の楽観主義

永遠の楽観主義などという、とめどないキーワードでネット検索してみても、いろいろ引っかかりますね〜。その中でもノベール賞を受賞した日本人化学者の言葉をクリックしてください。この「永遠の楽観主義」は、強いメッセージとして私の心に響きました。
 
私の解釈では、ノーベル賞を受賞するような意義ある発見・発明は、これまで誰もその答えを導き出せなかったような事柄でしょう。想像を絶するような困難なことです。であれば、少しの努力では発見できなくて当然であり、失敗は毎日毎日続くもの。それでも悲観せず諦めず、いつか実を結ぶと信じて続けているからこそ、価値ある発見にたどり着くものだと。
 
まずは自分を信じ、日々精進を怠らず、技術を磨き、人の助言に耳を傾け、あらゆる可能性を模索し、それで結果が得られなくても悲観せず、明日も頑張ってみる。しかもそういうことが好きである。
 
こんな人生を送ってみたいですね。私は少なからず実践できている部分もあると思います。だからノベール賞化学者の言葉は自分への応援メッセージのように感じたのでしょうね。

何年かに一度の開眼。

自分のウイークポイント、弱点、を克服することは、簡単なことではありません。何かをするにつけ、良い結果が伴わなかった場合など、自らに反省を促し、次回は良い結果を出せるように努力します。それは、物事に真面目な性格であればより顕著になったりするでしょう。しかし、なかなか改善しないこともあります。それがいわゆる弱点となり自分につきまとうのです。
 
自分の場合、練習スタジオではまあまあ歌えるのに、ライブになると今ひとつ力を発揮できない。毎回頑張っているのに、なかなか改善しない。まったく失敗というほどハッキリしているわけではないのですが、納得ゆかないことが多い気がします。それは「緊張するからだ」と、ずっと思っていました。確かに普通の人に比べると「ステージ度胸に欠ける」のは自分でも分かっていて、なるべく緊張しないように工夫したつもりでした。
 
で、突然、今日、ちょっと違うのではないか?と気付いたのです。確かに緊張はするけど「あがっている」わけではなく、かなり正気です。たぶん「緊張」が原因ではなく「力(りき)み」が原因なんだと!自分は責任感が強い方で、ライブステージに上がると、「頑張らなくちゃ」「期待に応えなくちゃ」「楽しまなくちゃ」などと、「力(りき)む」傾向が強いのです、きっと。
 
これは以前、友人から指摘されたことがあったのですが、やはり「自分で気付く」ことが大切ですね。自分のことを自分で修正するのは、大変難しく、それは性格を修正するのに近いことかもしれません。でも、弱点(自分の嫌な部分)を直せるのであれば、努力する価値はありそうです。
 
やみくもに「頑張る」だけでは、良い結果は得られない。むしろ過大な「力」は不要な場合もあり、少し力を抜いて、7割くらいの力で物事にあたることも必要なのかも知れませんね。これはソフトバンクホークスの馬原投手のテレビ番組を見て、気付いたことです。
 
今回の気付きが「何年かに一度の開眼」となるかどうか?それは、今後の結果次第です。 

人は向上し続ける。

先日、テレビでプロサッカー選手三浦知良さんのドキュメンタリー番組を見ました。番組の内容には言及しませんが、彼の生き様を知る良い機会になりました。自分の心に響いたキーワードは「人は向上し続ける」「考え方ひとつで全てが変わる」。
 
人は向上し続ける…。
 
言葉にすることは簡単ですが、実践することは非常に困難です。スポーツ選手に限らず、人はあるピーク時点を境に肉体や記憶能力が衰えます。自分のようなデザイナーであっても衰えは実感するものです。しかし「昨日よりも今日、今日よりも明日、もっと向上するのだ」という強い意志を持っていれば、乗り越えられる気分になりました。
 
考え方ひとつで全てが変わる…。
 
これは野球の野村克也さんも同じようなことを言っています。何も考えていない→考えて生きる。一つの考えを信じて生きている→それを変えてみる。その時に新しい何かが始まるのかも知れません。自分の場合「一つの考えを信じて生きている」派でした。三浦知良さんの「人は考え方ひとつ」の言葉は、そんな自分に問いかけた言葉かも知れません。

仕事は自分を幸福にするか。

仕事は自分を幸福にするか?
 
一般的な仕事は金銭収入を伴うので、生活のために仕事をしている人が大多数です。だから「自分はデザインで飯を食っている」などと表現しますね。「自分は会社員で飯を食っている」という表現はありませんので、「職種を指す」言葉です。その反面「ウチの亭主は仕事のことしか頭に無い」「仕事人間」「家庭をかえりみない」など、行き過ぎると周囲から非難されるようです。
 
現代社会では「仕事の失敗=死」という物騒な構図はあまりピンときませんが、例えば戦国時代は「戦での敗北=死」だったでしょう。極端な例では、一族皆殺しという悲惨な敗北もあったと伝え聞きます。このような環境下ではまさに「命がけの仕事」であって、幸福でいるためには「良い仕事の連続」が条件となったはずです。ただし、この時代の仕事は「幸福論」とはほど遠いです。
 
「良い仕事」を維持し続けることは、なかなか難しいものです。偶然ではなく必然の連続です。自分が思うに「ある程度の強い意志(スタイル)」を持っていないとそれは不可能なのではないでしょうか。また、その仕事が好きでないと持続できない気がします。
 
自分の生活サイクルとしては、仕事をしている時間がざっと5割。毎日休み無く12時間働き続けて5割と計算すると、恐ろしい数字です。睡眠時間を除けば、ほぼ仕事にあけくれる人生です。仕事以外の時間(例えばこのブログを書いている行為)ですらも、仕事で役立つよう自分を鍛えている時間ですし。戦国時代の兵士のように「仕事=命」という単純な式ではないにしろ「仕事での充実感=人生の充実感」と考えて生きているようなものです。
 
かなり若い頃から、この式には気付いていました。自分は自分の人生を充実した幸せなものにすべく、修行を積んで来たのです。今でもそれは続いています。
 
仕事で自分を幸福にするためには、自分の好きな仕事を見つけ、そのために出来うる限りの努力をし続け、世の中から喜ばれる「結果」を出すことでしょう。まだまだ「休みたい」「遊びたい」など、邪念が頭をよぎりますがね。自分を励ましながら、頑張ろうと思います。

損と得を逆転させる発想。

数年前から「損と得を逆転させる発想」を持って生きている。
 
これは自分のように「子供を持たない」から生まれた発想かもしれない。もしそうでなければ、話は少し複雑化する。
 
例えば自分が買い物をした場合、値札よりも安い代金で買えるよう、店員にしつこく交渉し、値切ったとする。店では予定通りの利益が得られずロスが生まれる。安く買い物をした自分は、気分が良いだろうか?
 
20万円の品を19万円で手に入れ、その直後に交通事故にあい、死んでしまえば1万円の得は何の価値もない。
 
こうして地道に「得を積み重ねた」人間が、死を迎えた時に1000万円の貯金を残したとする。遺産を手に入れた人間は税などを考慮しなければ1000万円の得をすることになるが、努力無しで得られたた金で幸せに生きられるだろうか?
 
このようなことを考えながら生きている人も稀だと思うのだが、実際生きている中で「損だ得だ」と金勘定をしている人は、人生において本当に得をしているとは考え難い。逆に「自分が損をした」「高い買い物をした」「人の分まで自分が払った」などの場合、必ず相手が得をしているわけだ。それは、その相手が得した金銭を有効に使ってもらえると信じて、自分が幸せな気分になれるもの。
 
例えば自分は高級ブランドの洋服を着たい願望もないし、毎日を贅沢に囲まれて生きていたくもない。自分の好きな仕事をし、HDに録画した刑事コロンボを何度も見返したり、ライブの度に、愛用のギターに新品の弦を張れて、演奏後にバンド仲間とビールを酌み交わすお金があれば十分。友人たちは一見、自分のことを「プチ成功者」。と見るかもしれないが、実際にはかなり質素な生活環境で十分人生を満喫できるのだ。
 
例えば仕事上で自分の信条とも言えること。それはギャラ以下の価値の仕事はしない。むしろ、ギャラを上回る価値のある仕事を延々と続けてゆきたいこと。それは、言い換えれば永遠に「損し続ける」ことでもあり、相手に「得をし続けてもらう」ことなのだと思う。それで得た収入で、自分が幸せに人生を全うできれば、何も言うことはないです。
 

捨てる神あれば拾う神あり。

仕事でも人間関係でも「捨てる神あれば拾う神あり」。この言葉が身にしみることがあります。ある場面でまるで捨て去られたような心境になる出来事があったとしても、他の場面でも、そうなるとは限りません。自分が同じ人間であっても、環境が変わるだけで、自分の持っている力が役に立つものなのです。これは、多くの人が人生の経験で感じていることなのではないでしょうか?
 
例えば会社の人間関係で「あの人は嫌い、たぶん誰からも好かれないハズ」なんて決めつけても、その人は家庭では愛されるパパなのかも知れませんよ。だから、とある人間関係で心が傷つくようなことが起きても、必要以上に悲観することはありません。自分の考えるとおりに生きていても、他の人間関係では良好に続くことだってあるんです。
 
自分が自分を戒める時、それは上手く行かないことを一方的に相手のせいにして、その人の不幸を願うことです。「あいつは誰とも仲良くできない人間だ」ってね。その考えはいけません。まず自分をよく見つめ、誠実に生き続けること。そして、自分が立ち直れた時に、喧嘩別れした相手の幸せを願えることが大事だと感じます。少なくとも、自分はそうなれるよう努力したい。
 
 

自分のセールスポイントとは?

私のように自分でデザイン事務所を構え、自分を紹介するウェブサイトを自分で作っていれば当然のように自分のセールスポイントは明確にアピールできていると思います。デザイン事務所に勤めている方の場合は、なかなか自分のドメインを取得し個人のウェブサイトを持つということも無いかも知れませんね。
 
自分の場合、一つのウェブ作品をほぼ一人で作ることができる…ということが強みです。ウェブディレクションからフラッシュ、htmlコーディング。どれが苦手ということもないです。いずれの作業も基本は「デザイン感覚重視」ですので。ある程度の文章も書けますし、写真も撮影できます。ロゴも作れます。SEOやCSS、CMSなどデザイン感覚重視でない仕事もある程度無難にこなせるし、ブログのカスタマイズやEC-CUBEの知識も得、今はWPの構造について勉強中です。
 
一昔前はこういう状況を「器用貧乏」などと表現したものですが、今ではその器用さが「一人で作品を作ることができる」と自分で評価しています。野球で言えば「走攻守」を備えている選手が目標です。これは、あくまでも自分のように個人あるいは小さな組織で生き延びるために必要なスタイルです。
 
そのような時には先述のように、自分のウェブを自分で作ってみると良いのかも知れませんね。自分の弱点が見えてくる?自分のセールスポイントが何なのか見えてくる?何れにしても、成長するヒントが見えてくる気がします。