地方で頑張るデザイナーの最大の欠点

地方で頑張るデザイナーの最大の欠点‥それは、勉強を怠ることだ。
 
勉強とは何か?それは、仕事に直結しない知識を得るための時間だ。知識とは何か?アート作品の鑑賞、アーティストを知ること、そしてそれを楽しむと。または、デザイン理論を学んだり、スタイルを学んだりもできる。さらには、デザインの歴史も面白いし、デザインから離れて印刷などの雑学、建築やプロダクトデザイン、音楽、演劇、映画へと勉強心は発展する。
 
25歳で東京へ出た時に、今までの自分のスタンスと全く違っていると気づいたのはこの点だ。仲間とお酒を飲みに行っても全く話に着いて行けないのだ。「好きなAD」「好きな写真家」「好きな画家」「好きな映画監督」一切、何も、考えたことがなかった。これまで田舎でデザイナーをしていた自分は、常に「今そこにある仕事に直面している」だけだった。その時には「そんな知識など仕事において何の役にも立たない」と感じていた。
 
今は、おぼろげながらもこのような結論に達している。
 
「デザイナーは美に対し興味が ある or なし で大きく変わる」
 
要するに、美しい絵が見たい、美しい写真が見たい、そんな単純な欲望が抱けない者には、美しいデザインは出来ないということです。なぜなら、美しい物に興味を抱くことは努力なしで出来るはずだから。美しい物を創るという作業は、その何倍も難しいことなのです。

目に映るものがバイブル

1990年に朗文堂より出版された「evolution International message 1」が未だにデザインバイブルになっていると思える時がある。何も「困った時のパクりネタ」という意味のバイブルではなく、スイス的デザイン感覚をぱぱっと視覚的に再確認できる本として、デスクの脇にいつも置いてあるだけなのだが。
 
コーヒーを飲みながら、タバコを吸いながら、何でも良い。自分の目が行き届く範囲に「目につくデザイン物」を置き、何かの拍子にそれに目が行っているだけで、デザイン感覚は磨かれて行くものだと思う。もしもグラフィックやウェブデザインで「自分の世界を作りたい」のであれば、現実の自分の周りにも「自分の世界」を作ってみたらどうか?
 
僕は25歳~28歳までの3年間を銀座のデザインプロダクションで過ごしたが、そのオフィスもやはり「目に見える世界」、例えば社長室、本棚、ミーティングルーム、先輩のデスク…それぞれがデザイナーの感覚に満ちていた。

エディトリアルデザイン

エディトリアルデザインとは、いわゆるページ物のデザインを指す。書籍のようにページ数が多いものはもちろん、8ページ程度のパンフレットでもエディトリアルデザインと呼べる可能性はある。「表紙」「表4」「トビラ」などの役目を持った特別なページと、それ以外のページで構成される。
 
かつては巨匠、岡本一宣氏の作品などを見ては、エディトリアルデザインの勉強をしたものだ。ただ、巨匠に学ぶだけでなく、世に出回る雑誌、書籍などからもかなり勉強できるのがエディトリアルデザイン。雑誌や書籍を購入する際に、そのデザイン性が高いか否かをまず見極め、汚いデザインの本は買わないのもよい勉強になる。
 
東京での修業時代、僕にデザインを教えてくれた森下先輩は、無類の本好きだった。彼は昼食のレストランや、飲み会の席などで自分の蔵書の自慢や、なかなか手に入らない古本へのこだわりなどを僕に熱く語ってくれた。
 
「田中一光氏」「杉浦康平氏」など日本を代表するグラフィックデザイナーが手がけた本が、僕の自宅の書棚にならんでいる。それらの隙間に「ハーブ・ルバリン」のエロス4冊。1冊はハードカバーで厚さ6,7mm程度の薄いもので、4冊セットで7万円。26歳当時の自分の薄給で良く買えたものだと感心する。たまに手に取って中を見るが、未だにその本当の凄さは自分には理解できない。そこまで自分が達していないのだろう。
 
一冊の本のエディトリアルデザインを引き受けることは、グラフィックデザイナーにとってとてもやりがいのある仕事なのだろう。表紙の装丁から、奥付まで、何もかも自分の好きなようにやってみたいものだ。

座右の銘から学ぶ

平尾には「居酒屋 初心」という、とても良い店がある。大将や女将の仕事に対する姿勢をかいま見るに、全くもって慢心を感じない。まさに「初心忘るべからず」。
 
この「初心忘るべからず」という言葉は、思ったより重い。なぜならまず「初心」を持っていた人が何人いるのか?という大きな疑問がある。おそらく数十パーセントの人がこの時点で「初心忘るべからず」を座右の銘にできない。
 
自分の場合もすっかりそれにあてはまってしまった。業界に足を踏み入れた頃、もしくは独立しフリーランスになった頃の「初心」は、何であったか?
 
今更ながら、自分の初心をこの場で再定義できるのであれば、「自分らしく生きる、自分らしい仕事をする。結果は後で着いてくる」というようなものだろう。
 
それが「独りよがり」「傲慢」「我がまま」であってはならない。あくまでも商業デザイナーであるという前提だ。

自分に与えるプレッシャー

「やれば出来る」と簡単に言うが、「出来た」という結果があって初めて成立する言葉だ。その反対に「やらなければ出来ない」し、「出来なかったのだから、真剣にやっていなかった」と言われることもあるだろう。
 
数年前より顕著になった傾向で、仕事の打ち合わせの時に「ぜったいイイもの作ります」的な言葉を言ってしまうことがある。でも実際には何の根拠も無く、ただ単に「頑張ります」というニュアンスだ。しかし、その言葉を聞いたクライアントは異常に期待し、「この人に任せておけば絶対大丈夫」のように感じてしまう。
 
仕事が回らない状況が続くので、打ち合わせの後すぐにその仕事を始められるわけではなく、数日あるいは数週間寝かせることになる。そして、提出の記述が迫ってくると、とてもイイものが出来ないような気がしてくるのだ。
 
でも「イイものを作る」と約束したようなカタチになっているので、後悔の念や自信喪失、時間が足りないという物理的な悩みに負けそうになる。
 
最終的には開き直って、どうにでもなれ!ってデザインしているけど、ふとした瞬間、マラソンで言えば40キロ過ぎた感じの時に、ふと、イイものが出来そうな気分が戻ってくるのだ。毎回こんなことを繰り返していたのでは、身も心も消耗するよね。

凹んだ時こそ階段を上がっている

デザイナーとは本当に難しい職業の一つだと思いますね。
 
これまで24年間グラフィックデザイナー、アートディレクター、ウェブデザイナーと、デザイナー人生を歩んできましたが、未だに難しいことの山盛りです。レイアウト一つとっても、決して何が正解か?というものがあるわけでなく、自分なりに正解と思われる選択をし続けないと、きれいに仕上がりません。
 
アートディレクションに至っては、もっと訳が分かりません。「何かかっこイイモン作って?」って感じで頼まれてアイデアを出すこともあります。ほとんどの場合、何となくこんな感じか?って作っていって、もちろんそのアイデアが「正解である」という自信がないままに提出することもあります。「正解」であるか否かは、そのクライアント(あるいは担当)の判断に委ねることになるからです。
 
デザインの世界では「アリ」「ナシ」議論が良く起ります。例えば、このアイデア(レイアウト)はアリだね。といった感じです。先日、とあるクライアントの担当者から間接的に「このアイデアはあり得ない」とこっぴどい評価をいただきました。間接的に聞いた話で、どういう理由で「あり得ない」のかは、教えていただけませんでした。自分で考えるしかないようです。アイデア自体があり得ないものだとは思えませんが、相手の環境を加味すると、少しだけ理解できるような気がします。仕事の内容に関しては明らかにできませんが、相手に合わせたアイデア出しは難しいものですね。
 
記事タイトルの「凹んだ時こそ階段を上がっている」とは。
 
仕事がうかく行かなかった場合、しかもそれが命取りになっていない場合は、必ず自分の能力の階段を一段上がるチャンスでもあると思ってきました。これまでのデザイナー経験の中で何段の階段を上がってきたか覚えていませんが、苦悩するたびに、乗り越えて来たことは確かだと思っています。
 
そんなことを続けていると「凹むことって自分に必要なことなんだ」って思えるようになって来ましたね。例えば、人から誉められてばかりいたらどうでしょう?自分の自慢ばかりしている人になるかも。失敗した時に相手のせいにばかりするかも。すべての人が自分の欠点を指摘してくれる良きアドバイザーではありません。自分の耳に入ってくることだけが自分の評価だとは限らないのです。
 
今回の凹みは、年齢とともにだんだん成長のスピードが遅くなってきた自分にとって、とてもありがたい出来事でした。

危険を察知する嗅覚

大げさな記事タイトルですが、とても大切なことです。
 
自分はそれほど神経質ではなく、私生活ではかなりヌケていると自負していますが、こと仕事においては「危険を察知する嗅覚」を磨く努力は惜しみませんでした。フリーランスで長年やっていましたが、明日の保証、来月の保証、来年の保証が全くないわけでして、将来に対する不安はサラリーマンの比ではありません。
 
それでは「危険を察知する嗅覚」とは何か?わかりやすく表現すると「このままだとヤバい」という予感です。たとえば自分の仕事がクライアントが求めるクオリティに達してないのではないか?という不安、このまま放っておくと、カネがもらえないのではないか?という不安。この仕事を断ったら、干されるのではないか?という不安。
 
10年以上フリーランスをやってましたが、そのような不安はほぼ当たっていました。単に気が弱いだけなのかもしれませんが。でも実際にその間に消えて行った同業者もたくさん見ています。自分が生き残って行くためには、常に危険を察知し回避することだと本能的に感じていたのでしょうか。
 
しかし感じるだけでは解決できません。デザインの品質が危ないときは「より良いデザインを」おカネがもらえない危険には「お金を請求する強い心を」この仕事を断ったら干される危険は「なるべく断らない(カラダを鍛える?)」などなど、危険が迫ってからでは対応できない「準備」が必要なのです。心技体とは良く言ったもので、デザイナーもさまざまな部分で自分を鍛えておかないと、長続きできない職業のひとつです。
 
その「危険を察知する嗅覚」は、何も精神論ばかりにあてはまるものではありません。デザインとは「危険を回避する」と同じ作業かもしれません。常に「奇麗に見えなくなる危険性」「意味が通じない危険性」「間違いが起る危険性」がつきまとい、気づかずに作業をすすめると自分が「使えないデザイナー」になりかねません。僕がデザインを進める段階で良く考えるのは常に「選択」を外さないこと。要するに二つ以上のアイデア(手法・引き出し)を持ち、危険な方向に向かわないように舵を取ることです。

小きな失敗、大さな失敗。

小さな失敗を恐れて、人は生きているのだろうか?

自分は「失敗の大小」は、後にわかること。交通事故のように、一瞬にしてその「失敗の大小」が感じられることは別にして、日常生活の中で起こす失敗について、その失敗は大きいのか、小さいのか?おそらくそれは、起こした失敗をリカバーするのに要する苦労により決まると思う。
 
なるべく小さい失敗を繰り返しながら生きてゆこうと思う。自分の力でリカバーできないような失敗は、気をつけていればよっぽど起らないものだ。ただひとつ、注意しなければならないのが、失敗のリカバーは人に委ねなければならないことも多いということ。無理して自分ですべてを解決しようとすると、さらに大きな失敗につながることも多い。
 
小さな失敗をしながら生きることは、大きな失敗を防ぐ。その失敗を大きいと感じなければ、もっと大きな失敗もリカバーできる。これは僕の持論だ。

人を楽しませる仕事

例えば芸人、落語家など、人を楽しませる仕事を職業としている人の話を、インタビュー番組などでずいぶん見たことがある。その中でも印象的なのはアニメ映画の監督が「自分が楽しんで作ることはない。極限まで苦しむ」と語っていたこと。
 
デザイナーは、人を楽しませることができる仕事だと思う。子供の頃、画用紙に絵を描き、自作ですごろくや野球盤のようなゲームを作ってよく遊んだ。絵を描くことは得意だったが、盤上の工夫をおろそかにすると、ゲームが成立しなかったり、一緒に遊んでいる友人から「意味がわからない」「面白くない」とクレームを出されたものだ。改良する場合もあるが、根本的に「つまらない」と気がつくと、改良を放棄したことが多かった気がする。
 
自分が楽しみたいと思って作ったゲーム。確かに作っている時は楽しかった。しかし、一緒に遊んでくれるプレーヤーに「楽しさが伝わらない」ものを作ったのでは、意味が無い。と小学生の僕は学んだ。

制作者が何を考えているか?

デザインを見ていると、制作者が何を考えているかわかる時があります。その延長上には「誰のためにデザインしているのか」まで見えてくることもあります。
 
かつて広告代理店の方から「クライアントのご意向は絶対」だと申しつけられ、反論したこともあります。
 
自分のデザインは、ほとんどのケースで「見てくれる人」を第一に考えます。「見てくれる人」が何かを感じ取ってくれるように考えることは非常に大切です。一見美しく見えるデザインでも「見てくれる人」に何も伝わらない場合があります。それは、まず自分が「見る側」になっていないからでしょう。

名の由来「藤沢秀行」さんの死

自分の名の由来である人物で有名な棋士(囲碁)の藤沢秀行さんが09年年5月に亡くなりました。

父親が大の囲碁ファンで、自分にその想いを託したのでしょう。ちなみに自分は三人兄弟の二男。兄は祖母から一字をもらい命名され、二男の自分の時には父親の意思で命名できたのがその理由ではないかと推測します。しかし少年時代の自分は囲碁には全く興味を持たず、大人になるまでこの人物には無関心でした。父親は落胆したでしょうね。30歳を過ぎた頃から、少し気になり始め、彼が題材のテレビ番組などは見るようになった気がします。

この「藤沢秀行」なる囲碁界の巨星を表現した言葉として…

「天才と狂気」「破天荒」「問題行動」「破滅的」「ギャンブル狂」「借金王」「囲碁界最悪の酔っ払い」など。かなり型破りな人生を送ってきたと思われます。
しかしその反面後進の育成に力を注ぎ、彼を「秀行(しゅうこう)先生」と慕い師と仰ぐ棋士は数えきれません。固くて手厚い囲碁を目指した棋風と、精神性を強く求めた後進育成。それでいて人生は真似しちゃいけないことだらけ。
そんなことを1963年に自分が生まれた時点で、父親がどれほど意識していたかは不明ですが、この方のお言葉は、やはり自分の心に響くのです。

▼藤沢秀行先生の残したお言葉
戦って戦って戦い抜けと言っている。
戦いを避ける技は、
後になってからでも身につく。
体調のいいときに戦うのは当たり前の話で、
戦えないような状態でも戦える男にならないといけない。
計算のできる人生なんておもしろくもなんともない。
危険な芽を摘むことは、可能性の芽も摘むことでもある。

▼これは死の直前に書かれました。もう喋れなくなってからのことだそうです。
「強烈な努力」
この言葉は重いです。シンプルですが限りない可能性を求める言葉だと感じます。とんでもないパワーですね。「まだまだ死ねんよ、君は。」と言われた気がしました。
以上、自分の名前の由来である人物のお話でした。