69話「虚飾のオープニング・ナイト」

Columbo Likes the Nightlife
2003[単発 69話]

最後の刑事コロンボ

刑事コロンボの最後の作品(になるだろう※注1)です。前作が1999年であることから、「最後にもう1作」という気持ちが込められた作品であると感じられます。音楽、映像処理などに、2003年という時代背景が出ています。それにしても、事件を解決に導くコロンボの着眼点、そして犯人を徐々に追いつめて行く捜査手法は健在で、集大成的な意気込みもありますね。2003年にレイヴ・プロモーターがポケベルを使っていたかどうかは、疑問ですけど。

輝いていたピーター・フォークの演技

▼これまでの私の「刑事コロンボ論」は、こうでした。
主人公のピーター・フォークは、毎回のドラマのナビゲーター。強烈なキャラクター性を持っているとはいえ、毎度お馴染みの風貌、台詞、立ち振る舞いを貫き、いわば変わらぬ要素を保ち続けます。それにより、毎回の犯人役のキャラクターや犯人の職業、立場などが際立つのです。政治家、学者、音楽家、俳優など、華やかな世界で頂点に登りつめた人物の転落劇が鮮やかに見えてきます。
しかし最終回の「虚飾のオープニング・ナイト」では、そのカラーは抑制されました。そのことにより、コロンボ警部の捜査手法の原点「些細なひっかかりを逃さない」「自分の足で情報を集める」「入念な聞き込み」などが強調されていた気がします。

コロンボ警部の頭は、まだまだ冴えている

随分とお年を召した容貌。地べたを這いつくばって手がかりを得てゆきます。まずは自殺者のお洒落、タイヤの塗料。そして階段を上り、被害者のオフィスで、爪切りと爪を発見。日めくりのページ抜けから関係者の住所を入手、パソコンキーボードの指紋で他殺と断定。ゆっくりと動きながらも、まるで隙のないスリリングな展開を見せます。

容疑者の絞り込みも素早い

ジャスティンとの初対面、コロンボの問いに対し、ハキハキと答えるジャスティン。その言葉尻に殺されたタブロイド記者「リンウッド・コーベン」の自殺を肯定したい願望が強く出ています。これで容疑者の最有力だと目星を付けられます。

最後の秀作

タブロイド記者の不可解な行動、ヴァネッサの元夫のホテル滞在の怪など。どんどん手掛かりを入手し、殺害動機を掴んでゆきます。初期のコロンボ作品のような昔の風情はありませんが、この「虚飾のオープニング・ナイト」は、最後に相応しいよく出来た作品ではないかと、再評価したいです。(2014年6月21日)

若い警察官に「何か」を伝えている気がする…

以前にも増して取り巻きの捜査班と、コロンボ警部の捜査手腕の「差」は大きくなるばかり。コロンボ警部以外の全ての警察官は、「無能集団」と化しています。コロンボ警部引退後のロス警察殺人課の検挙率の低下が心配ですね。初動捜査の場面もかなり面白いと感じました。警部を見て何かを学んで欲しいと願ったのは私だけでしょうか。

最終回のお宅も、オシャレ

ヴァネッサの家は現代風でオシャレな建築でした。私がもし住めたとしたらあんな家が好みです。大きなガラスを多用した開放感あふれる設計でしたね。それほどの成功者ではない犯人でしたが、元亭主がマフィアの御曹司ということもあり、お金は十分持っていたのかな?それにしても、犯人のジャスティンがコロンボ警部にシャツをプレゼントしたのは意味不明。そのシャツの店でヴァネッサに遭遇するのも不思議です。

二つの邦題

原題は「Columbo Likes the Nightlife」。ここで採用した邦題「虚飾のオープニング・ナイト」は日本テレビ版、「殺意のナイトクラブ」というWOWOW版の邦題も存在します。

お疲れさまでした~

コロンボの吹き替えは「銀河万丈」さん。ピーター・フォークの年齢相応の渋さが出ていたと思います。ピーター・フォークは1927年生まれで、1話「殺人処方箋」が41歳、この69話「虚飾のオープニング・ナイト」が76歳という計算になります。35年間お疲れさまでした~。(36年かもしれないけど)
 

監督:ジェフリー・ライナー
脚本:マイケル・アレイモ
ジャスティン・プライス:マシュー・リス
ヴァネッサ・ファロー:ジェニファー・スカイ
注1:俳優ピーター・フォーク氏は2011年6月23日に他界され、刑事コロンボの最後の作品となりました。
加筆:2018年3月24日

“69話「虚飾のオープニング・ナイト」” への35件の返信

  1. 【いつもと違った去り方】
    そして最後、
    警官に手錠をうたれる、犯人に背を向け、
    「じゃあ、あたしゃこれで、失礼しますよ。」と、
    出て行きます。
     
    この場面を見た時から、何か違和感を感じていました。
     
    それこそ、コロンボじゃないですが、
    一度、気になると、この「いつもと違う」感が、
    あたしゃ、ど~~~~しても気になって、
    確認するうちに、やっとわかりました。 
    このパターンのラストは、この作品だけなんです。
     
    「目の前にいる犯人を、他人に任せてそこに残し、
     自分が現場から、一番最初に出て行ってしまう。」
    過去、68作のコロンボの中で、一本もありません。
     
    犯人対コロンボの、終わり方は原則、
    1)犯人とコロンボが、同じ場所にいる。
    2)犯人が先に連行等で退出、コロンボはその場に残る。
    3)犯人が先に連行で退出、コロンボは後から退出。
    4)犯人とコロンボが、一緒に退出。
     
    の、バリエーションで、
    鉄則やルールと言うわけでは、無いでしょうが、
    偶然にせよ何にせよ、これまでは毎回、
    「犯人と一緒か、コロンボが後」で、
    この「オープニング・ナイト」だけが、
    5)犯人をその場に残し、コロンボが退出。
    ~カメラは犯人を写さずコロンボを追う~なんです。
    (ギリギリ近い終わり方が「狂ったシナリオ」ですが、
     あれはコロンボが、瞬間コスプレするくらいですから、
     演出的な意味での心理描写~例外と思います。
     実際に、アレックスをおいて、
     警察全員が、出て行ったはずは無いでしょう。)
     
    役目終了の瞬間から、今まさに逮捕中の犯人も、
    たくさんの人も、そのまま現場に残し、
    後は君らに任せた~で、
    もう自分は、興味も関心も無いかのように、
    一人で飄々と、先に出てくコロンボ。
    「今回の事件」と言うより「刑事コロンボ」が、
    「これで本当に終わりだよ」とでも、言うみたいです。
     
    刑事コロンボの、過去作品が、
    ある意味、犯人に恵まれすぎていたのであり、
    この年、今のロスで“普通の事件”に出会った場合なら、
    これはこれで自然体の、コロンボだったのかも知れない。
    番外編の、リアル・コロンボだったのではないだろうか?
     
    エピローグに、長めの時間を取り、
    わかりやすいメッセージになった、
    「さらば提督」のラストシーンも、
    もちろん美しくて、大好きですし、
    ジェフリー・ライナー監督は、これ一本のようですから、
    実際は各カットに、深い意味は無かったのかもですが、
    個人的には、この「オープニングナイト」の、
    多くを語らぬ、老兵の勇退のような、
    一見あっさりした退場のほうに、胸につまる物があります。
     
    【コロンボが主人公だった虚飾のオープニングナイト】
     
    刑事コロンボは、そのタイトルの割りに、
    毎回の、個性的なキャラ~ゲストこそが、
    ずっとコロンボと同格か、それ以上に一方の主人公でした。
     
    その最後の最後で、今回は本当に、
    必要最小限みたいな犯人で、スタートし、
    コロンボ登場以降は、コロンボだけが、
    主役の描かれ方・扱われ方にさえ見えます。
     
    そう思うと、登場のシーンも、
    「コロンボを追いかけ映しながら、カメラが一緒に後ろから来る」
    事件解決後も、
    「コロンボを追いかけ映しながら、カメラが一緒に出口まで行く」
    最後は右に歩き、消えるコロンボ。と、
    犯人側の、個性やキャラクターではなく、
    コロンボだけをずっと、フォーカスし、
    カメラと一緒に、見続けていたようにも取れます。
     
    個性的なキャラをぶつけて、
    相乗効果で見せる、いつもの描き方ではなく、
    コロンボと言うキャラの、素材の味を生かすため、
    事件のための、背景的犯人だからこそ、
    今回はコロンボも「とっちめてやらなきゃ」と言いつつ、
    実際は犯人への思い入れは、薄かったのではないか?
    考えれば考えるほど、
    この「虚飾のオープニングナイト」だけが、
    他の作品とは、雰囲気が違って思えます。
     
    それは一目でわかる、変化球的な作品の、
    「かみさんよ~」や「だまされた~」「さらば提督」
    「初夜」「ジグソー」とは、まるで違い、
    一見基本形コロンボの形を取りながら、違っている空気です。
     
    「次の事件に行きたいなんて、本当はフェイクで、
     とっくに、退職していいはずのコロンボが、
     『もう一件だけ!』
     と、食い下がられて、奪われた旋律を担当。
     
     その後、引退したコロンボの元に、
     『やはり、もう一度だけ!
      もう一度だけお元気なうちに、今の若い現場に、
      警部のやり方を、見せて上げてはもらえませんか?』
     そんな風に懇願されて戻ったのが、このお話しでは?」
     
    ある種作品そのものが、どこか“メタ”な感じにさえ思え、
    ギリギリまで、コロンボを見せてもらえた、
    「虚飾のオープニングナイト」は、私は万感の思いです。
     
    こちとら、無責任なファンですから、
    出来た後で、苦労も知らず、文句も言います。
    「私ならあの場面は、もっとこうして欲しかった」と、
    好き勝手に、我侭も言います。
    でも、それもこれもみんな、コロンボが大好きだからですよね。
     
    こんなにも長い間、そして今も楽しませてもらえ、
    半生を共に過ごせた、最後に、
    虚飾のオープニングナイトを、作ってくれた、
    ピーターフォークと、コロンボの全スタッフのみなさんに、
    心から、ありがとうを言いたいです。
     
    毎度、超長文失礼致しました。
    m(vv)m

  2. 【虚飾のオープニングナイト】
    とても感慨深いお話に感じました。
    最初はまさに、ぼろんこさん言われるように、
    集大成に思えました。
    ただ、煮詰めた決定版と言うよりは、
    淡々とした、あっさりテイストに思えて。
     
    でも、何度も見直すうちに、
    「これを、見せたかったんじゃないだろうか?」
    と言う、気がしてきたんです。
     
    最後まで見終わると、どうしてもつい、
    一作目に、立ち返ります。
    すると結構、共通点がある事に気がつきます。
    【殺人処方箋~旧作とオープニングナイト】
     
    「殺人処方箋」も「オープニングナイト」も、
    男女二人組みの犯人で、一見恋仲。
    男性が主犯格・中心、女性は従犯や指示される側。
    女性の職業は俳優で、これは犯人側に有利なスキル。
    そして、殺したと思った被害者は、一度一命を取りとめており、
    殺人処方箋では、改めて死亡。
    オープニングナイトでは、ビルから転落と言う、
    イレギュラーが起こります。
     
    味付けはあっても、変則技ではなく、
    マフィアの関わり方も「奇妙な助っ人」よりスマートで、
    流れはコロンボとして、王道と思います。
     
    そう思うと、あっさり過ぎるトニーの死も、
    リアルにやろうと思えば、いくらも出来たはずですが、
    「汚れた超能力」や、「殺人講義」などの、
    ショッキング描写ではなく、旧路線的です。
    (個人的には、横山光輝さん的表現と言ってます。)
    考え過ぎでしょうが、振り返って見直すと、
    「汚れた超能力」「狂ったシナリオ」以降、
    新では当初、新しいコロンボを、
    模索したり、広げていたようなのに
    「ジグソー」で、外れきった後、
     
    「奇妙な助っ人」
    → 一人で二人を殺害。証拠は不在のまま力技で自白へ。
    「殺意の斬れ味」
    → 二人で一人を殺害。二人の関係から仲違いへ。
    「復讐を抱いて眠れ」
    → 一人で一人を殺害。衝動的。証拠を見つけ逮捕。
    「奪われた旋律」
    → 一人で一人を殺害。計画的。問答後に逮捕。
    と、
    年齢を重ねるコロンボ・進む時代に反して、
    ドラマのパターンは、徐々に、
    原点回帰しているかのようで、不思議です。
     
     
    一方で、殺人処方箋との違いは?
    フレミング(組)は、圧倒的に強敵でした。
     
    人生経験豊かで、冷静な精神科医が、
    練りに練った、計画殺人を行ったわけですから。
    先の事を計算したり、セーブしない一本目らしい、
    いきなり、最強クラスの犯人です。
     
    共犯女性も、問答の最後には開き直って、
    逮捕するならやれば良い、立証出来ないと、
    タンカをきった、ハドソンさんに比べたら、
    ヴァネッサは、コロンボが来ただけで動揺、
    「あんたですよ」で、完全に取り乱していました。
     
    若い頃、物証ほとんどない殺人処方箋を、
    終盤ギリギリまで、ほぼ一人でこなし、
    武器がなければ罠をかけ、解決出来たコロンボが、
    若者のこんな、思いつきみたいな犯行や、
    行き当たりばったりに、近い工作を、
    最初からたくさんの仲間と、捜査に当たって、
    苦戦するはずがありません。
     
    これで行き詰ってたら、かえって不自然で、
    実際ほとんど、ピンチらしいピンチはなく、
    材料を順にこなし、罠や犯人側からの反撃も無く、
    最後は証拠を自力発見して、そのまま投了の印象です。
    (ただ、水槽問答中に、明示が無かったので、
     唐突感は、あるかも知れませんが。)
     
    さすがコロンボ?
    いやいや物足りない、最後はもっと強敵が良かった? 
    色んな受け取り方が、あると思います。
    が、 
    前作から間も開き、だいぶお年も召されて、
    私は今回は、だんだんコロンボが半分、
    ピーター・フォークご本人に、見えて来たんです。
     
    「そりゃあ、
     「まだまだ、まだやめられませんよ。
      もうちょい、やらせてもらうよ。」って、
     言ったのは、あたしですけどね。
     それから、どれだけやったと思ってるんです?
     
     今の時代に、あたしがまたコロンボやったら、
     こう言う風にしか、なりませんよ?
     それでも、見たいの?
     本当にィ?
     
     よござんす。
     じゃあ、あと一つだけ!
     もう一本だけ、お見せしましょう!
     そのかわり、文句は言いっこなし!
     ハイ! もう、それで終わり!
     
     あ、アイス食べます?」
    何か、そんな風にでも、言われている、
    妄想がしてきて…
     
    【なぜ最終作(だけ)は普通の犯人か?】
     
    旧作では、年配やベテランの成功者、
    専門知識を武器の、その道の第一人者が多かった犯人が、
    新作では年下や、若者の犯人も増えた一方、
    「強烈な個性、生き様、人間を描く」と言う部分は、
    ずっと、受け継がれていたと思います。
    (87分署の2本は別として。)
     
    すでに一定の地位があったり、成功者の犯人が、
    現状維持or以上のために犯罪を起こすのが、原則で、
    新以後は、バリエーションも増えましたが、
    犯人の個性・人物像を描き、反映させているのが、
    動機・犯行のイメージでした。
     
    多分、従来のコロンボの、典型パターンなら、
    「すでに成功している、カリスマ・プロモーターが、
     成功の陰で行っていた、不正や非合法手段を、
     かぎつけられて、脅され、犯行に至る。」
    みたいな流れだった気がします。
     
    ところが、最終作の犯人は、
    まだ成功者では無く、特徴や強敵感には乏しい、
    いたって普通の若者と、その恋人です。
    (おもしろい事に、殺人講義も犯人組の一人は、
     同名の若者、ジャスティンでしたが、
     あちらはキッチリ、キャラが立っていました。
     その上で、犯人側の若さ・小物感のような部分は、
     父親役で関わった、ロバート・カルプが、
     さすがの存在感で、フォローしていました。)
     
    フレミングは、ハドソンさんを利用していましたが、
    ジャスティンとヴァネッサは、普通に愛し合ってたポイ。
    今回の犯人二人は、気の毒な同情系では無いけれど、
    「コロンボ、絶対やっつけてくれ!」的な、凶悪犯でもない。
     
    それは、コーベンも同じで、
    やってる事は当然、ほめられた物じゃ無いけれど、
    「恐喝が一度で済むはずがない」と、
    まったく信じていない、ジャスティンに反し、
    最初から、恐喝まがいが日常のコーベンにとっては、
    知ってる相手が今回の商売相手なら、話が早い程度で、
    直接オフィスに呼んだり、
    終われば、そこで一緒に女と楽しもう?なんて、
    どうも本当に、大きいだけの一過性のネタにも思え、
    ジャスティン以上に、のんきで無警戒。
    こう言う路線の人生ってだけの、せいぜい小悪党の印象です。
     
    序盤、比較的長めに、時間を取りましたから、
    従来のコロンボならば、犯人のキャラを描いたでしょう。
    キャラの個性、性格、生き様と、その世界を見せ、
    キャラこそが、事件や状況を作り、
    コロンボ登場以降は、その対決がセオリーでした。
     
    これは新作でも「超能力」のエリオットや、
    「狂ったシナリオ」のアレックスは、
    年齢こそ若い物の、まさにそんな感じでしたし、
    一つ前のクロフォード、その前のエリック・プリンスも、
    強烈な個性でキャラが立ち、~その独特の仕事・世界は、
    やはり描かれていたと思います。
     
    でも今回の犯人は、コロンボ史上“もっとも普通”で、
    序盤にさいた時間は、犯人のキャラ描写より、
    主に状況や事情の、描写・説明です。
    コロンボで“普通の犯人”なんて、他に浮かびません。
     
    最初は事故死で、始まりました。
    これまでの「事を起こさないと困る犯人」ではなく、
    今回は逆に「事が起きずにそのままなら、
    上手く行っていたはず」でした。
    むしろ、どこにでもいる性格の、犯人側のほうが、
    状況に振り回され、翻弄され気味に見えました。
     
    もう最初から、ジャスティン本人は、
    上手く考え、冷静・無難に会話してるつもりで、
    実際はコロンボに、押されている雰囲気が、
    見てる側には、良く伝わっていたと思います。
     
    コロンボにシャツを、プレゼントしたのは、
    ジャスティンなりの、懐柔策だったと思うのですが、
    (ヴァネッサから「コロンボが来た」と、
     泣きつかれたのを受けての、次の場面)
    ほぼまったく、効果は無いどころか、
    ヴァネッサと店で会う、ヤブヘビになりました。
    この辺も、事前情報を駆使して、家に招き、
    相手であるコロンボの、様子を見ながら、
    音楽、葉巻、ワインと振る舞い、
    それなりに満足させていた、ブレナー辺りと比べると、
    相手の趣味もサイズも考えずに、自分の感覚で、
    ただ、シャツを送りつけただけの、ジャスティンは、
    強敵どころか、まるで凡人です。
    (見かけだけは、T-1000の弟子みたいで、
     俳優さんは、カッコイイと思うんですが。)
    なぜ最後に、個性を抑えた犯人を持ってきたのか?
    もしかしたら、
    ひとつはこれが、本来のリアルと同時に、
    もうひとつ、従来作品とは別の形で、
    コロンボ(だけ)を主人公にして、描こうとしたのかも?
    と言う、気がしてきました。
     
    字を浮き上がらせ、
    「それって、ドラマだけかと」と言われる場面。
     
    「音楽は好きかね?」「ええ、いつも聞いてます。」
    と、仮面の男で言い、
    パイルD3では「あたしも大好きでしてね」と、
    クラシックを、勝手に流しだし、
    黒のエチュードでは、
    「シュトラウスが好き」と、語ったり、
    「奪われた旋律」では、一緒に歌ったり、
    「影なき殺人者」エンディングは、歌いながら運転と、
    これまでは作中随所で、好きな音楽に恵まれ、
    音楽好きだった、イメージのあるコロンボが、
    今回、終始流れている劇中曲=BGMを聴いた時の、
    「うるさすぎて。ガンガンする。」と言う場面。
    そしてその、妙に現代的な舞台で、
    登場の瞬間以外、葉巻を吸わなくなったコロンボ。
     
    これまでの、コロンボと言えば、
    劇中の成功者の、人生・職業の世界に、
    たっぷり引き込み、堪能させてくれながら、
    強敵・難敵との心理戦を、みせてくれました。
    被害者や動物には、思いやりを見せ、
    犯人すら時にはいたわり、敬意を表し、激高もした。
    犯人あってこその、感情豊かなコロンボに比べ、
    この最終作では、新作中でもひときわ、
    感情の起伏は、抑え目でした。
     
    敵も味方も、若者とハイテク中心の、
    対等に話せる同世代の、ほぼいなくなった、
    いつもとは一見、場違いな世界で、
    犬も葉巻も無い、徒手空拳の最年長コロンボは、
    しかし、いつも以上にマイペースで、
    黙々と淡々と、捜査を進め、
    それでいて終始、周りには穏やかで、
    暖かい表情を、見せてくれていました。
     
    まるで、
    自分が先頭に立って、捜査しているはずなのに、
    飛び込まないけど、離れ過ぎもしない後ろから、
    すべてを、見守ってくれながら、
    真面目でリアルな世界を、一人だけで歩くかのように。

  3. トレモニとかいう人すごい執着・・・
    彼が手掛けた脚本はさぞかし素晴らしいものになるでしょうね。
    最後に相応しいかどうかは微妙なところですが好きな話です。
    ナイトクラブにコロンボがいるってのは不思議な感覚ですね

  4. >この作品に限らないけど、ホテルで掃除している女性はいつも東洋人風ですね。人種差別を感じてしまいますね。
    アメリカで生活してごらん。韓国人メイドの多いこと。差別を訴える前に事実を知りなさい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

どうぞ悪戯の書き込みはお控えください。
私の大切なものを壊さないでください。あなたにも、私にも大切なものがあるのです。
I ask foreigners.
Please do not write a comment. Please do not break my important thing.
I think that you can understand. I appreciate your self-control.