A Matter of Honor / 1975

メキシコの元闘牛士である英雄ルイス・モントーヤが、自分の経営する牧場の長年の相棒エクトール(ロバート・カリカート)を殺害。解決編では「メキシコの英雄的闘牛士の心情が理解できなければ納得できない」オチだったですね。コロンボ作品中では「かなりきれいな殺害動機」と言えるかも知れませんが、私のようなコロンボファンには、すこし物足りなかったです。
海外ロケ作品
海外ロケ「メキシコ旅行」で展開され、29話「歌声の消えた海」の続編のような位置づけの作品。モントーヤがエクトールを殺害するシーンと、コロンボ警部が登場する交通事故シーンをうまく関連づけています。このシーンでは、メキシコという土地で、全く言葉が通じないシチュエーションをとても楽しく描いていました。
英雄ルイス・モントーヤ

ルイス・モントーヤ役のリカルド・モンタルバンは風格たっぷりで良かったですね。モントーヤが足に大けがをし、闘牛士を引退したいきさつを話すシーンでは、彼の顔が徐々にクローズアップされ、かつての栄光をいかに誇らしく思っているかが伝わってきます。
リカルド・モンタルバン
雰囲気重視でも、スッキリしないラスト
ラストシーンも、決定的な証拠を突きつける、または犯人に「自分が犯人と認めざるを得ない」言動に誘導するというタイプではなく、スッキリしたものではありません。しかも、解決後の「解説」シーンが、いかにもそれらしくて残念でした。それでも、この感覚(誇りを大切にする)は名作の呼び声高き19話「別れのワイン」に通じるかもしれません。
サンチェス警部

捜査に同行した地元警察のサンチェス警部「ペドロ・アルメンディス・ジュニア」は、日本の俳優:目黒祐樹さんに似ていないですか?本作品「闘牛士の栄光」のエスコート役として大変重要な役柄でした。
牧童ミゲルが可愛い

本筋ではない話題に触れますと、牧場で働くミゲル「エミリオ・フェルナンデス」は、とても可愛いかったです。茶目っ気たっぷりで、笑顔が素敵な俳優さんでしたね。メスカル もらってご機嫌でした。
メキシコ人の国民性をかいま見る

農場監督のデルガド(エンリケ・ルセロ)との会話で「仕事に頑張りすぎるヤツは間抜けだ」という主旨の会話があり、とても興味深いものでした。日本人なんか、ほぼ国民全員が「間抜け」呼ばわりされると確信します。
監督:テッド・ポスト
脚本:ブラッド・ラドニッツ
ルイス・モントーヤ:リカルド・モンタルバン
サンチェス警部:ペドロ・アルメンダリス・ジュニア
ミゲル:エミリオ・フェルナンデス
加筆:2020年8月1日
海外ロケものにはどうしてもシラけてしまう点がある。
今回のエピでら、コロンボはメキシコに観光にきているという設定。
当然、周囲の人は皆んなスペイン語を使う筈だが何故か中途半端に英語が通じる者がいる。極め付けはメキシコ人同士の会話なのに英語を使っている場面(モントーヤと娘の会話など)
このようなリアリティの無さによって、何の権限もない観光旅行者のコロンボが殺人事件を捜査すること以上にシラけてしまうのである。
スペインと似たところがある、メキシコ情緒を味わえる本作。光がいつもと何となく違うし、鳥のさえずりなどの効果音も多めに入れて、現地ロケと相まり地方の雰囲気を上手く出していましたね。しかし私は、それを「刑事コロンボ」で観たいとは思いません。
コロンボ登場の冒頭から、警察官という職業でありながらメキシコで過失割合100:0の追突で人身事故を起こしておいて被害者家族に対してあんなに人として非常識な態度を取るとは、コロンボはメキシコ人を見下しているとしか思えません。追突して頸椎挫傷した被害者と被害者家族の気持ちになって考えたらどんなに腹立たしいことか。
闘牛士の犯人の捜査にも、「イタリア系労働者階級の警官が上流階級の犯人をいたぶり逮捕する」という「刑事コロンボ」本来のカタルシスを感じません。闘牛士自体、肉体的にも精神的にも過酷な仕事で、成功して巨万の富をなしても個人的には羨ましいと思えませんし、伝説の英雄の逮捕劇に、なにも異文化圏から観光目的で来て何の権限のなく交通事故の加害者のくせにお気楽なコロンボがでしゃばってヒーローにならなくてもいいとシラけました。サッカーに疎いアルゼンチン観光中のマナーが悪いアメリカ人が、片手間でマラドーナの薬物事件を捜査協力し逮捕に結びつけるような違和感が残ります。
それと、私が脚本家なら、地元のサンチェス警部をコロンボを上回る凄腕刑事として描きます。コロンボは独自に交通事故の償いに、サンチェスと競い合いながら捜査の手伝いをしつつ、最後にコロンボより先にサンチェス警部が事件の真相を突き止め犯人を追い込み逮捕し、コロンボがサンチェス警部の大手柄を称える展開で締めます。
ラストシーンの会話は、たとえばこんなふうに・・・。
コロンボ:「あなたに祝辞を述べなくてはいけませんね。しかし、あなたの人並み外れ秀でた刑事としての能力に対して、この地ではそれを発揮する機会があまりにも少なそうなのは勿体ない限りです」
サンチェス:「仰せの通りなんですよ。なんせ、メキシコ中でも特別人情厚く風光明媚ないい土地なんで・・・。だからこそ、こんな事件はまたとないチャンスなんです」
(英国グラナダTV「シャーロック・ホームズの冒険 『第24話 ウィステリア荘』」での、ホームズと凄腕警部ベインズとの会話のパクリです)
作中でコロンボと現地の警部が飲んでたオレンジ色のビールみたいなのはなんですか?
昔から決定的な証拠部分の提示からパトカーに乗る所の流れが説明不十分と思っていましたが、こちらの解説や皆さんの感想で流れがよく分かるようになりました。
現地警察の方の家族との交流シーンが数少ないほんわかシーンで好きです。
牧童ミゲルの人、「ワイルドバンチ」や「ガルシアの首」などの映画で敵ボス役を演じていて豪放で残酷な振る舞いが強烈に印象に残っています。この作品では酒浸りで愛すべきおじさんになっていて、それが見れただけでも良かったなと思いました。
モントーヤ役のリカルド・モンタルバンは雰囲気がヘンリー・フォンダを感じました。
アメリカンヒーローのフォンダに対して、メキシカンヒーローという役付けでしょうか。
***
それと、牛は動かないものは攻撃しないという説明が有りました。
エクトールは薬を打たれたら、無理に動かなければ良かったのでは。
あの薬はそういう自由もきかないのですかね。ヤボを言ってはダメですね。
「あの牛はクーロのケープを見てしまったからもう使い物にならない」
とモントーヤは言っています。
マリネロは、ケープではなく人間に突進する牛になってしまった、ということでしょう。
牛は動かないものには攻撃しない、というのも絶対ではないでしょう。気が立っているなど、場合によっては動かない者も襲うのではないでしょうか。
子供たちの闘牛ごっこを見てモントーヤの嘘がわかった、という件。
午後5時台は風が吹いていて、闘牛にはケープを濡らすことが必須、しかしケープには水に濡れたシミはないし、闘牛場内に水を入れた器もなかった。エクトールが自殺でも考えていなかった限り、あの時間帯に水を使わずに牛を殺そうとしたはずはない、そしてエクトールは牛を殺すために闘牛場にいたはずなのに、という推理でしょう。
さらに、モントーヤはエクトールに注射針を撃ち込んだ後、ケープと剣をエクトールに手渡しています。
もちろんこれは偽装の為なのですが、同時にエクトールに対しては、「よもやわたしの目の前で、闘牛場内でへたり込んで牛の攻撃を避けるなどというぶざまな姿を晒すわけではあるまいな」という無言の圧力の効果もあるのかと。
なるほど。
サンチェス警部のお子様たちが闘牛ごっこをしていたのを見てモントーヤが嘘をついているのがハッキリ分かったってどうゆうこと?
サンチェス警部の奥さん美人だ!
子供たちは闘牛用の布を水で湿らせて使用していた。
風の強いときは、布が舞い上がらないようにそうするとのこと。
エクトールが牛と対峙したとモントーヤが主張する時間(車で出かけた後)
は強風だった。なのに布は湿っていなかった。
だからモントーヤが出かける前の出来事なのでは?
ということですか。細部が未確認なので誰か補強して下さい。
あーそうですね。
お子様たちが遊んでいたのが警部の奥さんも一緒だった時のことだと勘違いしておりました。
ありがとうございました!
ほぼ書いてある通りです。
コロンボがアリバイのウソに気付くのがケープであることの描写ではセリフがほとんど無いので、このシーンを見ていないと分かりにくいですね。
殺されたエクトールはなぜ牧場を出て行くことにしたのでしょうか。息子の不手際の責任を取る、モントーヤが足をすくませたのをみて、もう自分たちの時代は終わったのでリタイアすることにしたが考えつきます。他の解釈ありましたら教えてください。
殺害前のエクトールとモントーヤの会話でエクトールは、
「あんたは正しかった。今ではすべてが変わった。わしは出て行かなくてはいけない」
と、英語では言っているようです。
エクトールはモントールと自分が老いたことではなく、彼の「プライド」に対する考え方が間違っていることに失望して、彼から離れたくなった、ということでは。
もう牛を目の前にしても足がすくんで動けないのに、いや今でもやろうと思えばできるんだが足が少し不自由だからどうかな、ということにするのは、闘牛士の「見栄」であって「栄光」じゃない、とエクトールは考えているのでは。
自分も、エクトールが牧場を去ろうとした理由が謎でした。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
コロンボがモントーヤに闘牛の野蛮性を口にする場面がありますが、モントーヤもボクシングの野蛮性を説いてそれに反論します。
すでにこの時点で世界的に大人気ドラマになっていただろうに、国際的な問題になりかねないことも話題にのぼらせる。
スタッフの気概のようなものを感じます。
同意です。
昨今の過剰なポリコレの出現を予感させるシーンというと言い過ぎですが、食をはじめとする異文化に対する受容問題って昔から当然あったということがわかりますね。
個人的にこの場面だけは、モントーヤの反論にスカッとしました。
68歳まで「映画大辞典シネマレビュー」をずっと見てきたので、ここの存在に全く気が付きませんでした。○○ロードショーが始まりで現在まで、毎回見るたびに人生の熟度に応じて理解が深まるのは当然のこととして、コロンボばりに今回ピーンときたのが、「殺人講義」で犯人の学生が刑事のおバカぶりを顔真似するシーンがあるのだけど、その表情がまさにこれ、とネタ元の場面を見つけたことかな。
あと、闘牛のシーンの音楽にnhkみんなのうた「トレロカモミロ」のファンファーレ冒頭部分が出てきて、子育て時代の感情がよみがえりました。
・初の非英語圏ロケですね。今回一番驚いたことは、メキシコからロサンゼルスまでバスで帰れるという説明でした。さすがスケールが違う。
・コロンボのプジョーは、今まで気付かなかっただけかもしれませんが、運転席側のドアシルの腐食がすごいことになっています。修理するなら、あの部分を切り落として代わりの部材を溶接しないといけないレベル。
・最後の下りはすっきりしませんでしたが(えっ、モントーヤは何も語らずパトカーに乗っちゃうの?、と)、これはこれでありなのかと思いました。コロンボにジワジワ追及されて観念し、グダグダ言い訳もせず黙ってパトカーに乗ったのでしょう。
金銭、権力や愛情がらみではなく自分の信念に基づいた計画殺人という点では「祝砲の挽歌」に通じるものを感じました。
・クレジットを見るまで気づきませんでしたが、モントーヤの吹き替えは庄司永建さん。石原プロの刑事ドラマ好きとしては注目してしまいました。小池さん=大都会 PARTIIの吉岡課長役、庄司さん=西部警察(大都会シリーズの後継ドラマ)の二宮係長役で、渡哲也さん扮する刑事の上司であり、嫌みが多くいざとなると頼りにならない役どころ、という共通点があります。
吹き替えに付け加えればサンチェス警部を担当した新克利さんは
前年(アメリカ本放送では同年)の「必殺仕置屋稼業」で怪力の破戒僧として
レギュラー出演していました。小池朝雄さんは時代劇では悪役の事が多いので
このエピソードにおける急造コンビには不思議なユーモア感があります。
昔は、秘密や過去を知られたからって殺しちゃうの?っていうサスペンスドラマなんかがけっこうあったような気がします。松本清張とか・・
動機大事。
薬物が出なかったり、アリバイのとこもなんとなくアバウトな感じがしたなあ
自説(笑)第五シーズンは「自供せざるを得ない状況」を設定、その第四弾?今回も殺人罪で逮捕された方がまし、というのは、自分の一番恥ずかしい秘密を公然と暴露されてしまったからには、もうシャバにはいられない、ムショに隠れたいという解釈です。
しかし、あの格好だけでも要注意人物に見えるのに、国境線越えてまであのボロ車持ち込まなくても(笑)。走る凶器に乗った危険人物ですよ(笑)。ロケでメキシコの皆さん、注目してるのがよく分かりますね(笑)。
動機が焦点の作品。 最後の最後まで謎解きを引っ張る印象的な作品でした。 また、ストーリーとは離れたところではありますが、時空を超えた海外旅行をしている気分にさせてくれるのもコロンボを観る楽しみだと本作品で気づかされました。 メキシコでもコートを着ているコロンボが素敵です。
コロンボがメキシコ旅行中に、闘牛場での事故死と思われた事件に地元の警部とともに関わる作品で、「歌声の消えた海」の解決でコロンボがメキシコで有名となった設定になっています。闘牛士として名声を勝ち得、いまやメキシコでは英雄のルイス・モントーヤが、旧知の友人で仕事上の部下でもあるエクトールを殺害するが、動機は何なのかが焦点。結局は名誉のための殺人と判明しますが、作品の冒頭5分をよく見ると、視聴者にエクトールが何を知ってしまったのかのヒントが提供されていることがわかります。コロンボが子牛の突進に、敏捷に身をかわすのがさすが。コロンボが多少はスペイン語を話せることがわかります。
久々に見てみて気づいたのですが、クーロが最後に対決する宣言をして、コランボはそれをうまく利用してクーロに協力させたのですね。
クーロも最初はそんな気は無かったけど、父の仇を明らかにするということでコロに協力したのでしょう。
さすがにンボらしいしたたかな解決法ですね笑
ところで原題のmatter of honor(名誉の問題)という言葉は、matter(問題)とマタドールを掛けてるタイトルなのでしょうね。
原題の件、面白い気づきですね!
初めまして。47歳 つば十郎です。
モントーヤが牛に怯えて何も出来なかったのを、エクトールに見られてしまった。
これが犯行に及んだ動機ですが、
①エクトールがモントーヤを強請っていたら。
②モントーヤが祝砲の挽歌のラムフォード大佐のように、
コロンボに癇癪を決して起こさない紳士な人物だったら。
もっといい作品になったのになあと思います。
ラストでコロンボとモントーヤが約4分も無言で向き合う場面は、
自分が犯した罪を暴かれることよりも、
牛に怯える姿を晒すことが英雄 モントーヤにとっては、
死ぬほど辛いことであることを示していました。
それを黙って見つめるコロンボもモントーヤが何も言えないことを自白と認めて
かつての栄光に敬意を表するには無言が最善と思ったのでしょう。
全作品の中でも屈指の名場面だと思ってます。
最後に。
邦題は「堕ちた英雄」とか「落日の英雄」のほうが
この作品には相応しいなと勝手に思います。
フォレスターの「青銅の巨砲」やナポレオン時代の半島戦争を題材とした「リチャード・シャープ」シリーズを読むとスペイン人(系)の「男のプライド」の強烈さと異常さを感じることができます。
エクトールは決してモントーヤの怯懦を漏らすことはないでしょうし、モントーヤも十分それを承知していたでしょう。しかし、それでもエクトールにそれを知られたことが殺人を犯すに値するプライドの問題だったのではないかと思います。私はエクトールがモントーヤを強請ったりしたら一気に安っぽくなってしまうような気がします。
動機がアンノーマル過ぎてびっくりしたのですが、スペイン(系)人男性特有の話は他でも描かれているのですね!
それでも、恥ずかしいと思った行動が自分にではなく、他者に対して凶行に及ぶってことは決して許されないですね。
英雄としての地位を降りても家族や仲間を大事にして欲しかった。(それだと話が成り立ちませんが)
興味深い一話です。
「落日の英雄」が好きです!
「Frank Columbo」と読めます。
先ほどまでBSで「奪われた旋律」を観ていてふとコメントしたくなり、始めての書き込みです。「奪われた旋律」とは全く関係ありませんが、この「闘牛士の栄光」でコロンボの手帳ケースがクローズアップされてファーストネームが「フランク」と確認できるとの情報がありますが事実でしょうか? ご存知の方はおられますでしょうか?
コロンボにはいくつかの謎があり、コロンボの名前、家族構成、飼い犬の名前などうんちくとして知りたいと思います。
昔はきっちりアリバイを解いていくエピソードが好きでしたが、年を取ってからは本作のようなエピソードが好きになりましたね。
今日BS-TSBで闘牛士の栄光とルーサン警部の犯罪を続けてやってるんですが、トレッキーとしてはカーン役のリカルド・モンタルバンとカーク船長役のウィリアム・シャトナーが続けてゲスト出演だったのがなんだか嬉しかったですw
この作品に3票追加します。
殺害動機を最後まで隠すというギミックが実に効果的です。いつもと毛色はだいぶ違いますが、これはこれでありな快作といえるのではないでしょうか。
新シリーズになるとひねりが強すぎて本来のシリーズの面白さを侵食してしまっていると評される作品が多いようですが、その点、旧シリーズはそのさじ加減が絶妙だと思います。
サンチェス警部やミゲルといった人々の存在も楽しく、大好きなエピソードです。
こんばんは。
とても良いドラマでした。
誇り高き闘牛士モントーヤが、牛を前に立ち竦む無様な姿を、エクトールただ一人に見られたため、彼を殺害した。
しかし再び立ち竦むところを、今度は大勢の人間に見られたため、モントーヤの心に、すべて終わったという感情が湧き上がったのだと思う。
私はその寂しさをドーンと受け止めました。
最後にコロンボに向かって数回うなずくところは、コロンボに対する敬意と「負けたよ」という気持ちでしょうか。
もはや、証拠が弱いとか些細なことをやり取りして、醜い姿を重ねる気はないでしょう。元英雄ですから。
おまけですが牛のマリネロ君、攻撃の前に、左足、右足と、地面を後ろに蹴って威嚇のポーズしちゃって、なかなかの役者でした。
現在BS-TBSで再放送されており、40年ぶり(笑)に見ております。
こちらのサイト、丁寧に解説されており、恐れ入るばかりです。
このエピソード、確かに決定的な証拠がありません。
以下私見ですが、コロンボの場合、
1.最後のクライマックスでようやく発見した決定的な証拠を提示するパターン
2.カマをかけて犯人にボロを出させるパターン
3.“殺人を犯してまでも隠したい真実=動機”を解明するパターン
に大別されると思います。
「闘牛士の栄光」は最後のパターンで、動機が明らかにされることにより、(表現が適切ではないかもしれませんが)隠蔽のために行なった殺人行為に意味が無くなってしまう訳です。
これに限らず、コロンボの場合、犯人は名士が多いため、完全に証拠が揃わなくても観念するケースが多いですよね。
当時小学校高学年だった私、派手な展開やラストのキレ味ばかりに気を取られていましたが、50歳を過ぎた今見直すと、最初にコロンボが『おやっ?』と思うシーンや、地道に矛盾点を追っていく姿に惹かれます。
いまいちだったですかのう・・・
ところで
現在BS-TBSでやってるコロンボ毎日見てるんじゃが
オープニングがカッコ良いですなあ
なーんか昔ぽくもあり
もしかして放送した当時のものなのかな?
放送されるとだいたい見てるけど
このオープニングは気に入ってますです
結局、証拠はあったんですかね?。すくんじまったこと?。
分からないね。
英雄として公衆の面前で縮みあがったことで、全ての緊張感から
解放され罪を認める気になったのだろう。
既に「証拠はあるのか?」という問題でもなくなった。
理詰めの段階を超えてしまった最後でしたね。
理詰めが、常に自供を引き出すとは限らないケースです。
コロンボの終わり方としては珍しいですが、ある意味、
犯人の心理を巧みに突いたものと言えるでしょう。
この作品も賛否、別れますねー。そういう作品もあって良いと思えます。
個人的にはワースト作品に近いエピソードです。
モントーヤが無言のままパトカーに乗り込むシーンも、何か好みじゃない。
殺人の動機も「え?それ?」というか。
重ねて言いますが、あくまで個人的にです。
フレドさんコメントありがとうございます。この作品への深い愛を感じました。一字一句、感心して読ませていただきました。また他の作品についてもぜひお書きください。また、人気投票で、この作品に1票追加します。
はじめまして。20の後半にも満たない若輩ですがこちらに初めてコメントさせていただきます。
このお話は、皆さんの仰る通りメキシコの英雄たる彼自身の高潔さと気高すぎるほどの矜持が、終始通してこのシナリオの根幹になっていて、それがこの作品独自の美しさと面白さになっていると思います。
闘牛をほとんど知らない(でも途中から本を読み初めていましたね。[別れのワイン]同様ああやってホシのことを理解しようとする姿勢はとても好感が持てます)コロンボがいつものように不躾に質問をしてくる度にモントーヤは激昂していましたね。あの誇らしげな彼の姿勢がすべて、今回の異常ともとれる動機へつながる伏線にも思えます。
冒頭でモントーヤが「昔のように殺してみせるさ」と言った時にエクトールが「そいつは無茶だ」と言って見せたのも、再度見てみればその言葉の真意が分かります。最初見たときはもう歳だからか、怪我のことかと思っていました…
ラストはとても印象的でした。モントーヤにとって闘牛士とは何か。英雄と讃えられる彼の心情はおそらく誰にも捉えられることは出来ないでしょう。侍のような潔さでした。日本刀なんか持たせたら切腹でもしかねません(/´△`\)
モントーヤのこともさておいて、コロンボ警部は行く先々でトラブルに見舞われますね(笑)
本国ならまだしも旅行への航路でも事件、着いたメキシコからさあ帰路につこうかというところでまた事件。バカンス返上で大忙しです( ̄▽ ̄;)それでも黙って待ってくれているカミさんの器量良し。
右往左往するコロンボもユニークでしたし、そのメキシコの雰囲気も、助けとなってくれたサンチェス警部、牧場にいたTHE・メキシカンカウボーイなミゲルさんも、登場人物がとても魅力的でした。
異色作ではありますが、コロンボ作品の例にもれず、とてもよく出来ていたと俺は思います。
長文失礼致しました!
シンBBさん、コメントありがとうございます。私ももう一回、この作品を見たくなりました。ありがとうございます~。
とっしーーさん、お返事が遅くなりすみません。コロンボ作品、計69話。どれ一つとして軽く見られないのかも…と、今さらのように感じます。
最初のシーンで
何が起きたのかすべてわかる
立ちすくむカットもあります
こんばんわ^^
2回目見てみました~本当は、新リーズ見たんですが、なんか旧の方がいいかな~って思ってまた好きな作品を、見直しています(笑)
エクトール、名前がとってもカッコイイんですが、本人も穏やかで誠実で、カッコイイですよね!
しかも、子供の為に体張って牛から守るなんて
なかなか出来やしません。
そんなエクトールを、モントーヤが自分の名誉のためだけにやるなんて・・汗
確かに一方的過ぎますな ( ゚,_ゝ゚)
スッキリしないとありますが、僕はけっこうスッキリしましたよ^^
コロンボ風ではないですが(笑)
とっしーーさん>この作品、とても好きなのですが殺害されたエクトールが可哀想だなって…気もします。よく考えると殺人動機が一方的すぎるような…。
見ました~~メキシコの世界観が、けっこう好きです♪♪
ていうか、スペインかと思ってました(笑)
で、今回の動機ですが確かに華麗な動機ですね!
けど、やり方が・・汗汗
まあ、犯罪は犯罪ですが。。
相変わらずのコロンボの着眼点、小さな所&人の気づかない場所などを良く見てますね(´ー`*)
そしてミゲル(笑)
ああいうタイプの陽気なオジサンは、コロンボ作品によく出てきますね^^
メキシコに合う感じの、お茶目なオッチャンですね(笑)
最後のシーンですが、確かに本人が動機を認めなければ・・ってのはあるかもしれません。
けど、コロンボ作品の基本として、「状況証拠」で追い詰めるやり方で、それらは多数ある。
ぼろんこさんの言われる通り、
「かつての英雄のプライド」
これが、この作品のキーになっていますね♪
だからこそ、最後は認めざる得なかった。
言葉こそ喋っていませんが、あの沈黙のシーンが
「私がやりました」と認めた唯一確実な証拠=心の中での自供なのですね★★
テニスをしているんですが、コロンボはテニス界のイケメンであるフェデラーに目元がソックリで、今回のエクトールの息子は、同じくイケメンのナダルに目元や顔つきがソックリです!
メキシコは、スペインの占領下にあったので、
そういう関係なんですかね~~(´ー`*)
冒頭のコロンボの事故シーン(笑)
最初、相手が芝居を打って首を折ったとか企んでいるシーンが笑えました^^
コロンボが、「やっちゃったね~~」
「首を折るわけないよ~~」
「何を言っているかわからないよ~」
ていうのが、事の深刻さを陽気に捉えている感じが、なんか面白かったです(笑)
もしや日常茶飯事なのかな・・ ((((;゚;Д;゚;))))
しおんさん、コメントありがとうございます。そうですね~エンディングの奇麗な作品は後味が良いですね。1票追加しておきます。
罠を仕掛けられたものの、しらを切りとおそうと思えばできたわけでしょうが、そうはせずに、潔く罪を認めるのが、彼の最後のプライドだったんだと思いました。パトカーに乗り込むまでの間に、余計なセリフのやり取りがなかったのも個人的にはよかったです。好きな作品です。
ササキさん書き込みありがとうございます。「ほかに見所もあり一見の価値はある。」ですね~。コロンボ作品は、そうやって楽しむのも良いかな~と思います。この作品は音楽など…の効果もあり、ほのぼのしているのが好きです。
証拠が不十分でも犯人が自白したのだから有罪と決め付けるやり方はアンフェアー。
猛牛の前に立ち竦んだからといって、それが殺人の証拠になるでしょうか。別れのワインと同様この点で不十分な作品です。
とはいっても、ほかに見所もあり一見の価値はある。
「モントーヤにとっては動機が全て」ですね、納得です!
…実は新シリーズはあまりまじめに見てなかったり…^^;
クライマックスでモントーヤは自分の醜態を人に晒してしまい観念する。そんなモントーヤに仕掛けたコロンボ警部が意外そうな表情をする。(「いいんですか?」という顔)モントーヤにとっては動機が全てで、証拠は必要無かったのでしょう。
akutoさん、コメントありがとうございます。
ふむふむ、なるほど。確かに「エイドリアン・カッシーニ」とは違いますよね~。コロンボ作品には、今回のような「モンスター的キャタクター」の犯人が登場することがよくあります。新シリーズになっちゃいますが、「殺意のキャンバス」のマックス・バーシーニの方が、「モンスター」としては近いでしょうか。どうなんでしょうね?
ルイス・モントーヤに関しては、汚れなき英雄みたいに感じるので、比較できないかも知れませんね。
むしろ、『動機の異常性』がこの犯人像を引き立てているのだと思います。だからこそラストにそれをもって来たのだろうし、証拠云々よりも犯人の人間性がテーマで、内容はかなりちがいますが江戸川乱歩の『化人幻戯』と同じタイプだと思います。
『別れのワイン』のエイドリアン・カッシーニとはかなり違うのでその方向で理解しようとするとスッキリしないんじゃないかな。
こういう犯人の心情は理解する必要は無いです。ある意味モンスターとも言える人の心の深遠は、立派な人か卑劣漢かを超えて、むしろ『ホリスター将軍のコレクション』や『死者の身代金』の犯人像に共通する『常識外の人格』なのではないでしょうか。