- 犯人役ゲストスター「パトリック・マッグーハン」特集記事。
- エリック・プリンス「ジャガー・X300」
最後のパトリック・マクグーハン
犯罪工作の名手マクグーハン
特に犯罪を隠蔽するためにせっせと工作する時の仕草、表情は絶品。まるでそれを楽しんでいるかのようにも見えるし、強がっているようにも見えます。「復讐を抱いて眠れ」でのハリウッドで葬儀屋の社長エリック・プリンスは、28話「祝砲の挽歌」のラムフォード大佐、52話「完全犯罪の誤算」の弁護士オスカー・フィンチより、若干キャラクター性を抑え気味でしたが、十分にマクグーハンを堪能できる作品でした。
コロンボ警部が語気を急に強める
後半でコロンボ警部が語気を急に強める場面は、他の回と比べて嫌悪感を露にしていない犯人に対して、すこし唐突な態度に感じました。おそらく、遠く離れた相手に向かって、大きめに喋ったのでしょう。執拗に付きまとうコロンボ警部に対し、今回のエリック・プリンス氏は忍耐強かったと思いますね。
灰から灰でも良かったかも…
原題「Ashes to Ashes」の直訳は「灰から灰」で、邦題の「復讐を抱いて眠れ」よりも内容に直接的な題名です。復讐を抱いて眠れは間違っていませんが、ベリティの復讐心が殺される引金になったとしても、その後の展開ではあまりクローズアップされていないのでピンと来ません。
また決め手となった金属製の砲弾の破片ですが、プリンス氏が骨壺に灰を入れる際にもっと慎重に行っていれば、入っていなかったでしょうね、割と慎重そうな人物ですけど。
ルー・マクラナハンが憎まれ役を好演
骨がカタカタ言い出すようなレポート
ベリティ・チャンドラーが次回のハリウッド裏情報は「骨がカタカタ言い出すようなレポート」だと予告しているのも興味深いです。これはネタの対象が「葬儀屋」であることだけでなく、ラストシーンで骨壷を振ったらカタカタと音がしたことへも繋がっています。
サリー・ケラーマンが可愛い
葬儀屋の秘書役はマクグーハンの長女キャサリン
初期型のマック
イニシャルS.B.の登場人物
ベリティのメモの解読の過程で候補にあがったイニシャルの中で「スティーブン・ボチコ」は、1話「構想の死角」7話「もう一つの鍵」9話「パイルD-3の壁」10話「黒のエチュード」17話「二つの顔」などを手掛けた脚本家。
サンセット・ブールバード
ドロテア・ページの旧邸の位置はピンポイントではなく、サンセット・ブールバードを示しています。それに対しハバランド・プリンス葬儀社はストリートビューで見ると2021年現在「ほぼ当時のまま」のを見ることができます。
デガルモ刑事
監督:パトリック・マクグーハン
脚本:ジェフリー・ハッチャー
エリック・プリンス:パトリック・マクグーハン(声:有川博)
リズ・ヒューストン:サリー・ケラーマン(声:大西多摩恵)
ベリティ・チャンドラー:ルー・マクラナハン(声:此島愛子)
リタ:キャサリン・マクグーハン(声:駒塚由衣)
ロジャー・ギャンブルス:スペンサー・ギャレット
フレッド:オーベリー・モリス
レービー夫人:エディ・マクラッグ
エディ・フェネル:ロン・マサック
ジェラルド:スコット・N・スティーブンス
ヘンリー・シャルホン弁護士:コンラッド・バックマン
デガルモ刑事:リチャード・リール
加筆:2024年9月1日
YC-30さん。翻訳、演出のスタッフが変わっていたという事情のご紹介ありがとうございます。名人・額田やえ子さんを失ったのは大きいですね。本編の内容、日本語化、吹替担当者、新シリーズは以前に比べて劣化(新担当者の方には失礼ですが)がひどいですね。
ころんぽさんが書いているように原題を直訳すれば「灰は灰に」ですが、どうやったら「復習を抱いて眠れ」になるのでしょうか!?これはハードボルイルドアクションのタイトルだし、しっぺ返しをしようとしたスキャンダルリポーターが殺される時間のタイトルとして不適切ですね。少し膨らまして「土は土に、灰は灰に」で良いのでは?
長らく吹替翻訳担当をされていた額田やえ子さんが額田やえ子さんの体調不良のため、本作から鈴木導さん翻訳(68話も)に交代していて、演出も、事前に綿密な検討の上で吹替台本を修正することが多かった左近允洋さんから、現場での乗りやアドリブを重視する傾向が強い壷井正さんに、既に数作前から変わっていますよね。
そのためか、吹替翻訳の言葉のチョイスに微妙な違和感が有り、翻訳のテイストがどことなく変化している気がします。
私なら邦題は、前例までの定番「〇〇の〇〇」を踏襲して、「灰の行方」ぐらいにしたいです。
訂正済みです。(ぼろんこ)
× 額田やえ子さんがお亡くなりになったため 〇 額田やえ子さんの体調不良のため
本作の日本初放送は、1999年9月23日、額田さんが亡くなられたのは、2002年4月9日でした。
「翻訳」とは真に難しい作業で、ことに宗教や文化の土壌が違う外国のドラマや映画の、抽象的で、シャレやダブル・ミーニングを含むことも多い、歯切れのよいごく短いタイトルを、気が利いた適切な日本語に置き換えようとするのは、限られた文字数の詩や歌詞を意味を深く把握しつつ、センス良く(正しく)意訳するより更に至難の業だと、コロンボの毎回のタイトルについて解説してくださるコメントを読むたびに学びつつも痛感しています。よく知られたように、”Norwegian wood”が本当は「ノルウェーの森」ではなくて、ましてや、その歌詞の奥底に秘められたメタファーの隅々までを、昔から数有る名日本語訳詞でも中々追いきれていない以上に・・・。
往年のタップダンサーの葬儀からの”Tea For Two”からの最後の紅茶。そのフレーバーを称賛するコロンボに、プリンスが答えた紅茶の銘柄はダージリン。割と普通でした。アメリカ人の紅茶の知識は、まあその程度か~。きっとイエローラベルのような大量生産のティーバッグで飲むのが圧倒的なんでしょうね。
今回楽しかったのはタクシー運転手との”多分”問答。Maybe? Maybe.の応酬が面白い。
ごく近い将来、少なくとも日本では、環境への負荷削減のため、本当に段ボール製など、火葬時の二酸化炭素排出量が少ない素材での「ひつぎ」が一般的になる可能性が高いと、先日、とある葬儀社にお勤めの方から聞きました。
どうせ死んだ後のことなど、知ったこっちゃないし、自ら「小さなお葬式」を望んでいるし、後に残された人たちのためになるのなら、自分が死んだ時はそれで充分だと思っています。
ぼろんこさん
私だけかもしれませんが、「葬儀屋の秘書役は長女のキャサリン」の見出しを見て誰の長女なのか分かりませんでした。見出し以下の内容を読んでもわからず、まさかピーターフォークの長女かとか思いネット検索してやっとわかりました。ブログをちゃんと読めばわかるのでしょうが、ピーターフォーク以外の俳優の名前にあまり興味はなく、ブログの最初の方の「パトリック・マクグーハン」との文字も読み飛ばしていたようです。見出しを「葬儀屋の秘書役は犯人役の長女のキャサリン」とかにするとライトなコロンボファンにもわかりやすいのではないでしょうか。
ついでながら以下の死体がまばたきは私には見えませんでした。
<さらに、葬儀場でベリティが遺体(ヒューストン)の頬にキスする場面で、遺体がハッキリ「まばたき」しています。
承知しました、アドバイスありがとうございます。
アメリカでは火葬か土葬か、一概には言えないですね。過去の「コロンボ」では葬儀はすべて土葬シーンだったと思いますが、その他の番組では粉になったお骨をあの缶や壺に入れて持ち歩いたり陳列したり色々。日本でも所謂外人墓地は土葬で霊感強い人は、霊園の土葬墓地区は幽霊が大勢いるから嫌だ行かないって人もいますから。
タイトルですが抱いて眠れって言うなら(誰も言っていないが)醜聞を抱いて眠れ、はいかがでしょう。
今回は先に同じBSPで、アカデミー賞日本作品、静謐で哀愁と感傷に満ちた「おくりびと」を観たのが記憶に新しいので、全篇ドライなユーモアに満ちた本作を観てるとその対照が印象的でした。
小笠原様、『醜聞を抱いて眠れ』すごくいいと思います!原題の『ASHES TO ASHES』があまりにもはまっている(埋葬時の祈祷の言葉”ashes to ashes, dust to dust”)ので、邦題でなかなかしっくりくるものは思い浮かびませんでした~
日本で”お骨”にするのは釈迦の仏舎利からも見て取れるように、インドから伝わった仏教が火葬だったからかもしれませんね。日本で火葬が始まったのは仏教伝来と同じ頃ですから。そもそもインドという暑い地方では死体を焼くのは衛生的な意味が強いのかも。ヒンズー教でも焼いてますし。
70年代ラバー様の高額&墓地確保問題、勉強になりました。欧米は土葬文化が根強く、火葬は熱いから嫌という話も聞きますが、火葬にするなら灰にまでするのは、この祈祷の言葉も影響しているかも。
なお、遺体の扱いのぞんざいな扱いについては、前にTVで日本の考古学者が、欧米の研究者は発掘した人骨を床に直に転がしたままで、足があたって蹴飛ばしても気にしないことを話していました。肉体は魂が抜けた殻でしかないという欧米的な合理性なのかもしれませんね。
日本の火葬は骨を拾い骨壺にいれる儀式がありますがアメリカはやらないんですね。
完全に灰にして骨壺に入れる。へえ~勉強になりました。
葬祭業者が遺体に付いていたダイヤを盗んだということですが、これは犯罪になるのですか?焼く前に盗んだのか? 遺族は焼けても良いと思ったのか? 遺族は骨壺にダイヤが残ると思ったのか? お棺に入れるときはどう考えたのでしょうか?
初めてコメント致します。
本筋とは関係ないですが
この作品は1997年頃の話であり
ベリティ女史のPCにメールが届くと
携帯電話(デカい!)に通知がいくと秘書殿が説明する場面があります。
1997年は小生が新卒で働き出した年で
メールなんてほとんど普及していなかったです。
やはりアメリカは進んでいたのですね。
え、この人誰かに似てる!4回目の犯人役だからじゃない、だれだれ?思い出すまでここ訪問しない!と勝手に悩みぬき、あ!スタインメッツなんちゃら?!
と、疑問が氷解したので初めてこの回を訪問させていただきました。
メールについてですが、私の記憶では、2003年ころにハワイに行ったときですが、私がホテルにロビーで携帯メールを打っていたらボーイさんや宿泊客が
近づいてきてどよめいていたのですごくびっくりしたことがありました。携帯メールにびっくりしたんだ日本は進んでるんだよなんだかんだね、なんて内心思ったのですが、私の勘違いだったようですね。
ちなみに、私はおばあちゃんらが信心深かったせいか、(仏教)、犯人のやり方はちょっとびっくりしました。それダメでしょと思います。
ところで、アメリカでは土葬はしないのですか?
(私のポーランドの友人のお母さんが亡くなった時に聞いた話)ポーランドでは、土葬か火葬か、生前本人が選ぶそうです。
ちなみに、旦那さんのお墓にではなく、両親のお墓に入る女性も多くて、
そのお母さんも、仲が良かった亡くなった旦那様でなく、ご両親のお墓に入ったそうです。
関係ない話ばかり失礼しました。犯人は最後はあっさり逮捕されて、意外と潔いじゃん!と思いました。
アメリカでの埋葬は90年代までは土葬が主流でしたが、2000年代に入って急激に火葬が増えたようです。土葬の場合宗教上、故人の意向で行わない限りはエンバーミングして棺を用意、墓地を確保する等高額になるので火葬が50%ぐらいになってきているようです。なるほどテレビドラマ、映画でも火葬後故人ゆかりの地で遺灰をまくというシーンが増え変化を感じています。40年くらい前ですが、義理の両親に日本の埋葬は火葬であると伝えたところ、すごく驚かれたこと、広大な土地があるから土葬なんだなぁ~と納得したこと思い出します。
70年代ラバー様
教えていただきありがとうございます。
高額だという問題があるのですね。
そういえばドラマなどでもあまり土葬は見たことがないような気がします。
お葬式でタップダンスを踊った人は誰?有名俳優のカメオのような。気になっています。
最低限の情報をお伝えするに留めますが、アーサー・ダンカン(1933年9月25日〜)という、タップダンサーだそうです。その分野では、とても功績と人気があり名高い方らしいです。現在もご存命とのことです。
その昔ヨーロッパのある国で、本物の遺灰に接する機会がありました。同じ火葬でも、日本の遺骨と違ってまさに”灰”になるんだな、と思いましたが、「復習を抱いて眠れ」を最初に観た時、その時のことを鮮烈に思い出しました(ドラマはアメリカですが、同じやり方の火葬なのでしょうね)。
それはともかく、新シリーズは試行錯誤あるいは迷走とすら思えるような作品も続く中で、旧シリーズ的なテイストに接すると、先祖返りか突然変異か、あるいは「やればできるじゃん」と思ったりもします。そんな本作や「完全犯罪の誤算」が、ピーター・フォークには「フォーマット破り」を力説していたというパトリック・マクグーハンの監督・出演というのも逆説的でおもしろく感じます。
ブルーレイで再見しましたが、「犯罪工作の名手マクグーハン」とぼろんこさんがおっしゃるように、「祝砲の挽歌」の冒頭シーンをはじめとして、犯罪工作をする様子や彼の表情は”絶品”ですね。
ただこの作品、製作舞台裏を描いた本”Shooting Columbo”によると、最初からマクグーハンが関わっていたわけではないそうです。
脚本のジェフリー・ハッチャーは舞台劇で鳴らしていた人物とのことですが、「コロンボ」の長年のファンで、ニューヨークの葬儀社に取材して原案を考えて売り込み、ピーター・フォークも内容を気に入って採用が決まりました。
そしてフォークが主役として打診したのはクリストファー・プラマー。映画「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐です。しかしプラマーが提示した出演料にABCは難色を示し、フォークは旧知のマクグーハンに健康状態を尋ねて協力を仰いたところ、問題ないので協力する、との返答を得ました。
なお宝島社の「コロンボ完全捜査」本の解説で、編者は「ジェフリー・ハッチャーとは実はマクグーハン自身だったのではないか」、さらに次作の「奪われた旋律」について「(脚本の)J・ケーヴァとは(監督の)マクグーハンの架空の名前だったという仮説も立てられる」と書いていますが、”Shooting Columbo”が書いている作品製作の経緯によれば、2作ともそうした見方は成り立たないことになりそうです。
ただ参画したマクグーハンは本作でもお決まりの脚本の書き換えを行いましたが、それがいい方向に導いたのは確かなようです。祝賀会場での見事な”替え歌”は彼のアイデアだそうです。またラストも、連行される犯人がコロンボを振り向いたあとパトカーのドアを荒々しく閉めて幕、となっていた原案を、コロンボの「あなたの葬儀ですよ」と声をかけて終わるように変えたのもマクグーハンだったとのこと。プラマーが犯人役だったら、こうした印象的な場面は生まれなかったことになりそうです。
マクグーハンは、本作でそれほど老けて見えないのはメイクのおかげかもしれませんが、過去の作品で見られた彼独特の話し方も変わっていません(原語で鑑賞しています)。むしろピーター・フォークの方が、時に不自然とも思えるセリフ回しと演技になっていて、また風貌とあいまって年齢を感じてしまいました。
この作品は、第一作の「殺人処方箋」からちょうど30年目に放送されました。それもあってか海外のあるサイトには「これでシリーズを終えた方が良かった」という見方も書かれていました。確かに、旧シリーズ的な味わいのある本作は”超大作感”はないものの、最終作としても違和感がなかったかもしれません。次作の「奪われた旋律」はちょっとコケた感があるのも残念ですし。
しかしその次の「虚飾のオープニング・ナイト」(結果的に最終作)は、「コロンボ」の新しい方向性をようやく見つけたと思わせる作品になっていただけに、「まだまだやれたはず」との思いがあります。ただその時はもうフォークも高齢になっており、その方向性を90年代のどこかで早く固めていれば・・・という”ないものねだり”の考えを抱きもします。
ほんとにマッグーハンの犯罪工作シーンはどれも縁起が素晴らしいですね!今回のパソコンを細工するところなどは鼻歌まで聞こえそう。
私は『虚飾の・・・』は初見からどうも好きになれず、この作品の方が最終回にふさわしいというのは激しく同意です!音楽の使い方とか、犯人とのやり取りとか、マッグーハンの演出はやはり品格を感じさせます。
今回の脚本が舞台劇出身だということやマッグーハンの演出によることに限らず、特に旧作では、コロンボと犯人との丁々発止のやり取りは、時に舞台を見ているようだと思うのです。
マクグーハンは、よっぽど34話「仮面の男」という作品に愛着があったのですね。
『刑事コロンボ完全捜査記録』 (別冊宝島 2006/8/10発行)に、
《また、犯人の風貌を「仮面の男」のスタインメッツ風に仕上げ、さらに犯行方法も同作と同じ(カメラアングルまで同じである!)にするというのも、旧シリーズからのファン(に)とっては、実に嬉しい「お遊び」といえるだろう。》
とありましたので、両作品該当シーンのカメラアングルを見比べてみたら、やはりそっくりでした。
私は、「仮面の男」にはあまりいい印象がなく、どうもピンと来なくて、その理由としては主に、
1.「刑事コロンボ」の常連俳優が多く出演し、既視感と、同窓会のような内輪ネタで盛り上がっている感があったこと。
2.特に、NHK-BSではカットされているラストのフルクレジットまで視聴すると、中国が裏テーマである話にもかかわらず、最後まで日本が題材の、プッチーニ:『蝶々夫人』の第2幕の有名なアリア「ある晴れた日に」の音楽で盛り上げていた違和感。
の二点でした。 しかし、そういった部分をいったん脇に置いて、改めて虚心坦懐に鑑賞し、いつかリテイク・コメントを投稿してみたいです。
本作は、新シリーズに「刑事コロンボ」本来の品格を取り戻し、とても素晴らしい作品に仕上がっていると思いました。
ところで、アメリカでの一般的な告別式とは、現在でもあのような雰囲気なのでしょうか? 案外日本と変わらないような感想を持ちました。ただ、ひとつ気になったのは、告別式会場と火葬場が併設されているのは普通なのでしょうか? あの当時と今は違うのでしょうか? そもそも、日本でもそれが普通の地域もあるのか? 昔は多かったのか? 知りたいところです。
コロンボと犯人との砂糖ばさみの使い方のブラック・ユーモアからの決め手も楽しめましたし、スタンダード曲『ティー・フォー・トゥ』(タップのシーンも最高でした!)の音楽で締めるセンスも良かったです。新シリーズの中では、とてもいい作品でした。
最後に、これだけは今回は遠慮せず、はっきり断言してしまいますが、火葬する死体にダイヤモンドを隠したら、火葬後、隠したダイヤモンドは間違いなく駄目になります。
「ダイヤモンドは常温常圧下では、酸やアルカリ溶液には冒されなく、化学的安定度はトップクラスであるが、火には弱い。火事にあえば表面から炭酸ガスとなって消えていく。酸素がない状態でかなり高温に曝されると石墨に変わってしまう。」松原 聰 著「ダイヤモンドの科学 美しさと硬さの秘密」(講談社 ブルーバックス 2006年5月20日 第1刷発行 )28頁より
秘書と愛人関係にあるのかな?と思ったら、マクグーハンの娘さんだったとは(^^;
『仮面の男』のマクグーハンがあまりにもカッコいいので惚れてしまいます。特に自宅庭にヘリコプターで来た部長を迎えに行くときの、サングラスを右手でサッと取る仕草はサイコーです! 基本的に軍隊物は好きではないですが、『祝砲の挽歌』の凛とした姿も実に様になっています。
本作では吹き替えが代わってしまったので、『仮面の男』『祝砲の挽歌』ほど好きにはなれないのが残念です。
面白い点を2つ。
・床に倒れたチャンドラーにトロカールでとどめを刺す仕方が、『仮面の男』でジェロニモに対するとどめの刺し方とまったく同じ。右手に持った凶器を斜め下に振り下ろす。
・受賞記念式で「オレンジジュースを氷なしで」とロベルタ(少々太目だが、結構可愛い!)に注文していますが、『仮面の男』でも、日曜日に不意にやってきたコロンボを脇に連れて話すとき、やはり氷なしのオレンジジュースを一口飲みます。
ついでに、棺に入れられたチャンドラーがあまりにも窮屈そう(笑)!!
更に、ハバーランド&プリンス葬儀場の一般的な葬儀は「47,000ドル」と言っていますが、当時の円ドルレートを調べると、1ドル130円ぐらいとして、何と611万円!! 死んだ犬の首輪から「45万ドルの首輪」というのもあって、それは5,850万円!!!! 翻訳正しいのかしら? まぁ原語で聞けば一発ですけど・・・
ゴッチャンさん>
楽しく拝読いたしました。
特に「ジェロニモに対するとどめの刺し方とまったく同じ」
は、ぞくっとしました!
予想を上回るたくさんのコメントを頂いております、土葬:火葬の話題などは知識に乏しくなかなかお返事ができませんが、全てのコメントは読ませていただきました〜。
初めまして。
遺体が全部灰になるまで焼くのか? について思い出したことがあります。
昔の話ですが、職場の人がアメリカ旅行中に亡くなり、現地で火葬にされたことがありました。
退職手続きに必要な死亡診断書の代わりに、英語で書かれた火葬許可証が提出されたのですが、「散骨場所記載欄」が当たり前のように設けられていました。(「散骨」がなかなか訳せなくて四苦八苦しました!)
もしかしたらアメリカでは火葬=散骨のためという常識があり、できるだけ骨が残らないように焼くのかも知れない……と推測しています。
コロンボシリーズ最後の輝きですかね。
小さな綻びを次々に突き付けていく構成は安定感が有りました。
皆さん仰る通り唯一の難点は灰中の銃弾の件です。処分する予定だったが何らかのトラブルで出来なかったという演出でも良かったかなと思います。
サンセット大通り。映画のタイトルにもなっていますが、さすがの高級住宅街ですね。こういう名所(?)を見られのもコロンボの醍醐味のひとつですね。
秘書のロジャーが出てきた時、一瞬「だまされたコロンボ」の犯人の人かと思いました。
いろいろな人がいろいろなことを言っていますが、自分私も疑問に思うことがありました。
「アメリカって土葬が基本じゃないのか? ほかの推理ドラマでも、あらためて検死をしようとして、墓を掘り返すシーンを見たことがあるぞ」
で、しばらく考えて気がつきました。
「そうだ。映画『バタリアン』でも、死体を焼いていたぞ。そういうところもあるんだな」
アメリカは広いですからね。様々な風習、文化が混在しているということだったのでしょう。何事も、勝手な思いこみで決めつけてはダメだってことかもしれませんね。
まさにスタインメッツ登場!!
ぼろんこさんのご指摘通り!
録画なさった方は「仮面の男」をぜひもう一度ご覧になるといいですよ。
「ジャック・キャシディ3部作」「ロバート・カルプ3部作」と並ぶ超大作「パトリック・マクグーハン」4部作が、ついに終わりました。
凡そ、コロンボシリーズの犯人は「A・大胆不敵なダンディ」「B・神経質なインテリ」「C・誇り高き守り人」の3パターンに分かれます。キャシディ3部作は全部A、カルプ3部作は全部B。
ところが、マクグーハン4部作はその度に違う。「C→A→B→A」の順番に、全部網羅している。ここが、他の複数回出演者との大きな違いです。監督や製作までやっている犯人役なんて、他にいませんね。私は今もキャシディ最後の出演作こそが最高傑作と確信しますが、キャシディに較べてマクグーハンの印象が薄かったのは、その変幻自在さ(「仮面の男」がラムフォード大佐と同一人物だなんて、予備知識なしで気づいた視聴者がどれだけいるでしょう!)のせいだったのだ、という事実に、私は今更ながら気づかされました。
その回のエピソード全体ではなく、犯人役の人気投票をやったら、マクグーハン扮する4候補は全員かなり上位を争うだろうと思われます。特にフィンチ弁護士が強そう。私ですか? 変幻自在な自由人であり、その道の一流だと視聴者にも納得できる有能さを顕示し、そしてひたすら私利私欲だけを追求する冷血漢でもなかったネルソン・ブレナーが頭一つ抜けている感じがしますね。
ヴォロージャ・ウリヤノフさん、「マクグーハン4部作」とは言い得て妙ですね。私は彼の主演作はどれも大好きです。インテリを実にうまく演じられる人だと思います。ご本人も相当なインテリでいらしたのではないでしょうか。
ウチの甥っ子が不満げに「もっと気の利いた邦題が付けられなかったのかなぁ…」なんて生意気な事を言うもんですからねぇ
伯父として甥っ子の納得がいくような邦題をいくつか考えてみました。
・骨壺の音
・昼と夜の口紅
・火葬の死角
・悪の処置室
・イニシャルSBの壁
・別れのスコッチ
まぁ、甥っ子には残念ながら何も思いつかなかったと言っておきます(苦笑)
ブラックジャックで大金持ちの老人が全身にダイヤを埋め込んでて
火葬で燃えちゃうじゃないか!って話があったのを思い出した
しかしマクグーハン、見かけは細いし若くもないのに腕力ありすぎ!
でも時計がカシオだったからヨシ!
ケータイにメール転送したり、現代ぽくなってきましたなあ
毎週の放送がもうすぐ終わっちゃうのがさみちい。
ひょっとして、犯人が火葬後ダイヤモンドを盗んだころのアメリカの火葬技術は、現在よりもかなり低温火葬だったのかもしれないです。それだったら、このお話の設定は間違っていないかもしれないです。
なお、私もこの回全体は新シリーズとしては品格があり、大好きです。
様々な方が、様々な角度より作品を研究し、
コメントを残してくださいます。
すぐに検証できないものは、軽々にお返事ができないのですが、
全部、読ませていただいております。
ありがとうございます。
細かい疑問点に目を瞑れば… 控えめなBGM、淡々とした展開、映像もきれいにまとめられていて、犯人もマクグーハンということで、それなりに旧シリーズの雰囲気を持った一作だと思います。どうも新シリーズは落ち着かない作風のものが多いもので。
これは気のせいかもしれないんですが、前回放送された際に、旧ドロテア邸でイスラム系?の現オーナーと話すくだり、スタッフが映り込んでいたカットがあった気がします。今回の放送では見逃してしまいました。
a90さん、
スタッフが映り込んでいましたよ。
画面左側のソファの後ろに、いました!
返信ありがとうございます!見間違いではなかったですね笑
おっかない!
女性スタッフさんでしょうか、途中で振り向いてますね(°д°)
全然気づきませんで…
信頼できる複数の文献やサイトを確認しても、ダイヤモンドは棺桶の中では確実に炭化しそうです。
「ダイヤモンドは実用化されている物質の中では最も硬い物質として知られています。ただしこの「硬さ」とは裏腹に、耐熱温度は高いほうではありません。ダイヤモンド指輪が本物かどうか調べるのに、火に近づけて炭化すれば本物であるというような嘘とも本当とも付かない話がありますが、実際、ダイヤモンドは熱にあまり強くありません。100℃や200℃など日常的な温度ではどうもありませんが、600℃付近から黒鉛化すると言われています。したがって、耐熱温度ということであればこの600℃と言う事も出来ます。なお、800℃を超えると炭化がはじまり、ダイヤモンドの最大の特徴である「硬さ」が失われ、軟化していきます」(下のサイトより)
https://www.toishi.info/faq/question-ten/diamondheatresist.html
その点で、お話の設定が残念です。
火葬する棺桶の中で、ダイヤモンドが燃えるかどうかは、火葬温度、酸素供給量などの諸条件で、かなり微妙なようですね。宝石関係の本などでは、「もしも家が火事になったらダイヤモンドは燃えてしまうのか」という記述がときどき載っていますが、大抵の本には、燃え尽きずに残った場合は、表面が「やけど」しているので再研磨に出せば、サイズは小さくなりますが、また光ります、と書いてあります。
もしもマクグーハンが化学的知識豊富で、火葬に関する確信的な化学的エビデンスに基づき脚本を磨き上げていたとしたなら、やはり彼は本物のインテリであり、ドラマのような、全米一の葬儀業者のプロにもなれそうですね(笑)。
化学に興味があれば、ダイヤモンドが炭素であることは一般常識として知っていて炭素なら燃えるんじゃないかと思うはずです。化学の知識が進めば、ダイヤモンドは炭素原子が三次元状に頑丈な結合を形成しているのが硬さの基となって燃えにくいことが理解できるはずです。15年くらい前の「探偵!ナイトスクープ」でダイヤモンドが炭素なら燃えるのか調べたいという依頼を松村邦洋が担当したことがあり、工業用ダイヤモンドを製作している会社が協力したのですが、表面が軽く焦げる程度でマツタケを焼くのも難しかった記憶があります。
コロンボは化学が得意でないのを白状した回が旧シリーズにあって、容疑者の些細な化学的勘の狂いが最後にトリックを見破られる結果になったのですが、記憶が確かではありません。今回はコロンボがダイヤモンドは燃えないことを指摘していましたが、プリンス氏は黒焦げで残ったダイヤモンドを磨きなおして売って利益を得たと考えられます。
段ボールの粗末な棺に入れられたラービーさんの遺体の入った袋が小さすぎて、ヒューストンさんの遺体を重ねる際の「ラービーさん、重くてごめんね!」と言うセリフの意味が一瞬理解できませんでした。アメリカ式の火葬では骨が完全に粉になるまで焼いてしまうのでしょうか?合掌している形の喉仏の骨を最後に確認する日本式との違いが興味深いです。ラービーさんは瘦せていたので、残るはずの灰の量を計算して壺に納めて、ヒューストンさんに相当する分は別にして処分してしまえば、ラービーさんのご遺族に骨壺が重いことが疑念にならなかったのではないかと思います。また焼けたダイヤモンドを拾えた人が砲弾の破片に気付かないのも不思議ですが、これは火葬炉のトラブルで慌てて証拠隠滅に手抜かりが生じたと考えられます。牧師さんの挨拶の言葉をチェックするとき時間のことばかり気にして「砲弾」が体に残っている可能性を聞き逃したせいですね。
音楽の使われ方が効果的でしたが、冒頭にドヴォルザークの「新世界交響曲」の有名なメロディが登場、チェコの作曲家が三年間のアメリカ生活で残した置き土産の大きさを思います。
プリンス氏とコロンボの攻防に引き込まれ、パーティーの歌手の真相に気づいているんじゃないかって感じの皮肉な歌も絶品でした。
ベリティさんに関する捜索、写真の件や口紅の色の違いとかコロンボの執念が感じられ、殺害動機もかなり解明されたと思いますが、もし二時間ドラマだったらさらに過去の関わりを詰めて、直接的な殺害の証拠も見つけて欲しかったと思います。
細かい解説をしていただき、楽しく読ませていただいております。
ありがとうございます!
寅さん相棒コロンボファンさん>いつもコメントありがとうございます。ミスタイプ修正済みです。これからもよろしくお願いいたします。
「あなたのような人物を25年追いかけてきました」という台詞を聞いて、「仮面の男」で変装したスタインメッツが、私の心の中で蘇りました。長年のコロンボファンとして静かな感動をもたらした一言でした。
パトリック・マクグーハン「監督」は、証拠固めの演出にはあんまり関心がないような気します。あそこまで押さえたら死体貯蔵室の捜査令状を取るような展開もあった気がしますが、ラストシーンの骨壺を振り、せしめた(笑)トングで中から証拠を取り出す見た目のドラマチックな「切れ味」演出を優先したのかもしれない。
ハリウッドの火葬式の葬儀社。どこまでリアルでどこからブラックユーモアなのか、わかりませんねえ。
日本語版タイトルもハードボイルドものみたいで、ブラックユーモアなドラマにはあっていませんねえ。
NHKでの4K放送のコロンボも終盤ですね。今晩(2021.7.14)の「復讐を抱いて眠れ」絡みで、話の内容とは関係ありませんが、ひと言。東京広尾のフレンチフライポテト専門店「AND THE FRIET」のGRANDPAのイラストが、エリック・プリンスによく似ています。ということは、「仮面の男」でパトリック・マグーハンが変装したスタインメッツとも似ているということです。オンラインストア→OKAMOCHIという商品の外箱を見てみて下さい。 https://ec.andthefriet.com/items/41994927
60gのポテトが6袋で3210円という価格はポテトとして高いのですが、この箱欲しさに買いました。
ポテトの箱、見ました~ 似ていますね!笑笑
スタンダードナンバー「Tea for Two」がフィーチャーされているのが素敵です。
この当時に既に「ドットコムドメイン」があったんですね。
ところでチャンドラーさんのパソコンのキーボードは明らかに当時のMacintoshですが、画面がWindows 3.1(あるいはOS/2かもしれませんが)なのにはちょっと笑ってしまいました。
確かに‥OSがマックでないのでしょうね。ありがとうございます!
パトリック・マクグーハン最後の出演作。ゲストスターとしての出演はシリーズ最多4回、監督もつとめた彼は「刑事コロンボ」を語るとき欠かせない人物の1人でしょう。
旧シリーズの「祝砲の挽歌」「仮面の男」では寡黙な印象でしたが、新シリーズでは一転、「完全犯罪の誤算」そして今回の「復讐を抱いて眠れ」では、能弁でユーモアのある役どころとなりました。こちらの方がマクグーハンの素顔に近いような気がして、個人的には好きです。
彼はユーモア好きだったのかなぁと思わせるシーンがあります。レセプションのシーンで、主賓のエリック・プリンスに捧げられた歌の歌詞。
「彼はいい葬儀人♪死人はそれを否定出来ない♪(死人に口無し)」
「誰かさんと誰かさんが葬儀場♪こっそり隠した遺体を焼く♪お通夜が終わってみんなが帰って♪遺体を埋葬したあと、石を乗せられる♪土の下2メートルあいつの行くところ♪土の下2メートル何の不思議もない♪一緒においでよプリンスはいい奴♪」
殺害を犯した後のエリックに、これ以上の皮肉はありませんね(笑)死者もジョークにしてしまうこの感覚は、日本ではあまりないような…あくまでもカラっとして明るいので、つい笑ってしまいます。
プロット的には、最後の詰めがちょっと残念な気がしますけど、葬儀屋がその職業上知り得た知識、設備を最大限に利用して殺人を実行するという発想は面白かったです。
確かに、邦題ちょっと深刻すぎますね!「灰の中の真実」はいかがですか?
灰の中の真実、それ良いですね!
やっぱコロンボの放題は、○○の○○形式が好きです。
すっごい余談で、恐縮ですが…
イギリスの選挙で、コービン労働党党首が出るたびに、
「なんかどっかで、見た事あるような…????
と、思ったら、
このお話しの、マクグーハン氏だった!」
と言う、コロンボ・ファンが、
私の他にも、3人くらいは、いるような気が…^^;;
お久しぶりです。
スティーヴン・ボチコ氏がお亡くなりになられました。
ご冥福をお祈りします。
そうでしたか。
見終わってハテナマークがいくつも出てくる話でした。
「火葬炉では、遺灰をブラシで穴に集める。穴の下には箱があり、この箱に遺灰が収まる。この箱を取り出し、スコップのようなものを使い、漏斗を使って骨壺(遺灰入れ)に入れる」というのが映像で確認できます。
また、火葬炉の中に遺体を2体同時に入れることは可能と思われます。
ということで疑問は
1)なぜ、ヒューストンとベリティの遺体を2体同時に焼かなかったのか?
2)遺灰を集めた箱から遺灰入れに入れるときに、砲弾片をスコップあるいはロートで(何らかの音が鳴って)違和感に気がつかなかったのか?
3)コロンボは砲弾の破片を証拠としたが、「焼却炉の下の箱に残っていました」という言い訳は通用しないのか?焼却炉で焼かれれば形が崩れると思うが、レントゲン写真を比較して同じものといえるのか?
4)ダイヤモンドを口の奥に突っ込んで燃えなかった???
なんか、納得できませんでした。
アメリカにも火葬があるんですね
日本はある程度骨が残るけど、アメリカはあんなに粉々になるもんなんですかね。温度の違いなのでしょうか
みなさんコメントありがとうございます、この作品に2票追加します。
さすがのパトリック・マクグーハン!
コロンボ警部との対決がじっくりと見れて好きな話です。
携帯電話は単にバッテリがー切れただけと考えるのが自然では。
プリンスさんが、棺桶の中から死体を運ぶシーンがある。
あのじいさんが、あの態勢で、あの重そうな死体を持ち上げると、
絶対ギックリ腰になるよ。てか、持ち上がらないよ。
もちろん、撮影時は人間なんか持ち上げていませんけど。
デガルモ刑事は、とっても、テキトーです。
SBとは、シド誰かか、シャリー誰かでしょうって?、
Sって、2種類の名前しかないなんて。
それと、”せいうち”に似ている→ホントだ!
なぜ、故買屋エディへ事情聴取しないのだろうか??。
タクの運ちゃんから間接的に聞くよりも、よほど正確なのに。
パーティでの替え歌は、プリンスの犯罪を揶揄するような内容になって
いるが、そんな、おかしな・・・歌う必要があるのか?、理解できない。
まあ、おもしろいけど、刑事コロンボには必要ない演出だ。
プリンスさんは、終盤、火の出る質問で開き直った。
だったら、最後まで開き直ってほしかった。できますよ!。
火葬炉の掃除不足で、前の灰が残っていて破片が混入したってね。
途中、火葬炉が故障しましたね。その修理の途中で紛れ込んだとか、
いくらでも、逃げおおせます。
コロンボ。BS-TBSでみてます。吹き替えのもの
というのは、訳しかたと声優でいろいろかわって
くるとおもいます。
それでいくと、数日まえの「殺意の切れ味」。
あの葉巻をすっている人の、訳と声優は
最高に好きです。
灰?灰!こもろ~♪ってギャグがあったなあ。
吹き替え好きならコロンボがガンダルフと対決するようで笑い転げて楽しめますが、石田太郎さんも有川博さんも実写作品で悪役を沢山やった方。それだけ声のカラーが濃いという事ですね。小池朝雄さんも松田優作さんの映画で演じた悪役姿を観た後ではピーター・フォークが小池さんに見えて来る事があって(苦笑)
昨日からなのでしょうか。翻訳が額田やえ子さんから鈴木導さんに交替してとても寂しい。
鈴木さんは『ランボー』も訳した方ですし、品質が劣るという事は絶対に無い。しかし補完部分の翻訳も同様ですが「ウチのカミさんが」の定型句以下額田さんが訳したのコロンボ調のパロディに聴こえる場面がある。”Xファイル”や”24″では同じシリーズを2人以上の翻訳家の分担作業だったので台詞が面白くても言葉を使った性格描写は薄味になりがち。前者の場合特に地上波放映とVHS版で台詞の濃さが全く違って来ますし。
殺害した時の動揺する犯人の目の配り方が絶妙ですね。
昔、ダイヤを俳優の遺体から盗んで、その喉の奥に押し入れて火葬した
とされているが、ダイヤを火葬してしまうと火葬炉の一般的温度では
炭化が始まりその性質が変化してしまう。よって温度調整が大変ですね。
売却されたそのダイヤを調べれば、あるいは性質変化が分かるかも?。
プリンスは火葬炉の温度は870度と言っている。
なおダイヤ黒鉛化は600度以上、炭化は800度以上で起こる。
よって、安全温度は500度程度だろうか?。
それはさておき、
犯人の偽装
10/6 ヒューストン火葬→遺灰をヘリで上空からまく
10/7 ラービィ火葬→遺灰は遺族へ
事件の真相
10/6 ベリティ殺害後火葬→遺灰はヒューストン遺族へ→ヘリ
10/7 ラービィ&ヒューストン同時火葬→遺灰はラービィ遺族へ
よって、ラービィ遺族に渡された遺灰の中に銃弾が残されていたことが
一つの偽装を明らかにした。だが、それによってプリンスがベリティを
殺害した決定的証拠と言えるのだろうか?。どうも釈然としなかった。
ラービィ遺族へ渡された遺灰にヒューストン体内にあった銃弾が紛れ込んで
いたことは証明された。だが、それがベリティ殺害とどう絡むのか?。
直接的にはひも付かないでしょう。
コロンボは動機を推理していたが、あくまで推理の範疇を出ていない。
更に火葬炉の掃除が雑であれば、他人の遺灰が紛れ込むこともあり得るだろう。
それを飛躍させて、ベリティ殺害へ絡ませることの方に無理があります。
やはり、ベリティは行方不明とした方が自然です。
このように決定的証拠がないし、犯人が観念する必要もありませんでした。
タップおばさん>「ベリティ」良いですよね。あれほど憎まれ口を叩かなければ、死ぬことは無かったような…気がします。
少年時代、金曜ロードショーでのこの作品で初めて刑事コロンボを知りました。
いとも簡単に死体を火葬。
その灰は他人によって空から撒かれる。
え?もう犯人捕まえようがないじゃん!
と、衝撃を受けた当時が懐かしい。
改めて見てみると、4度目の犯人役パトリック・マクグーハンの佇まいのカッコ良さもさる事ながら、
(当時は4度目の出演だなんて知りませんでした)
被害者役のルー・マクラナハンの憎ったらしい仕草が、
またこれを吹き替えた此島愛子さんの巧さが際立ってますね。
あと、終盤少し前の犯人のセリフ
「燃え尽きてしまったら、残るのは灰です。
灰だけ。コロンボ警部」
このセリフが長年印象に残っていました。
吹き替えは2種ありますが、石田太郎さん、有川博さんverの方が好きです。
ada-aiさんコメントありがとうございます。コロンボの「親戚の話」は、研究してコラムに書きたいと思います。
どうも久しぶりに書かせていただきます、ada-aiと申します。
ぼろんこさん、エースさん、返信ありがとうございました。
結構この作品は新シリーズの中では無駄の無い構成に感じるんですが、やはり「蛇足」に近いですよね。
親戚の話については別冊宝島の「刑事コロンボ 完全捜査記録」の「死者の身代金」のCOLUMBO MEMOで言及されていました通りかもしれません(ネタバレ回避のため抽象的な表現で申し訳ない)。
ではでは。
エースさんコメントありがとうございます。「親戚の話として出すのならタクシー会社のくだりは不要」ですね…確かに。コロンボの「親戚の話」は昔から「でっちあげ」臭いですよね。
ada-aiさんの言われてる件、自分も気になって考えてたこともあったのですが、“入手した手がかりのネタ元を明かさずに親戚の話として小出しにする”というコロンボの捜査手法のネタバレ、と自分の中では結論付けています
前作“殺意の斬れ味”でもラストにバーニーの店で犯人を疑ったきっかけなどをベラベラ話すシーンがありますが、個人的には必要のない蛇足だと思っているので、今回のサンセットブルーバードの件も親戚の話として出すのならタクシー会社のくだりは必要なかったように思えます
ada-aiさん、コメントありがとうございます。「親戚の話」ですね!タクシーの運転手をつきとめたことを、内緒にしたかった‥のでしょうか?私もちょっと、自信がありません。次回みるときに、チェックしてみます。
どうもこんにちは。
ふとこの作品を今日見ていて気になったので書き込ませていただきます。
他の作品で…入手方法はさておくとしても…「親戚の話」をする場合、それを入手したシーンは描写されないのですが、この話ではタクシー会社で、事件と関係ないタクシー運転手から偶然聞いた「HB=ハリウッドブルバード」から「SB=サンセットブルバード」を連想するシーンを、その後プリンスと話すときにそれを「親戚の話」として話していることが、なんだか不思議に感じました。
他の作品でも同じようなことが会ったかもしれませんが、なぜかこの話だけ妙に印象に残っていました。
ではでは…。
白樺さま、メッセージをありがとうございます。すばらしいご見解です!少し付け加えるならば、死体遺棄工作の前にコロンボ警部と対面しており、その風貌から「それほど切れ者ではない」という印象を持ちました。また、エリックの前職は役者で、演技力を身に付けていたことも分かります。一見紳士風ですが、本来は凶暴で頭に血が上りやすい性格です。ベリティにとどめをさす顔が凄いです。また犯行後に教会のイスに座り、今起きた事を回想する表情なども、印象的でした。
それにしても良い雰囲気を持った作品だと思います。音楽の使い方なども、クラシカルで王道的ですね。そういった細かい配慮がこの作品を初期の名作的に思わせるのでしょうか。
白樺さまのように、コロンボシリーズを愛しておられる方に、コメントして頂き、本ウェブサイトを作って良かったな~と、心より感謝しております。
お初にお目にかかります。
ずっと見たかった新シリーズを、縁あって何作か見ることが出来たので
(衛星放送など見られぬ貧乏学生です)、中でも一番との前評判だった
本作に関して今更ですがコメントを……。
本作の「詰め手」に関してぼろんこさんも指摘していらっしゃいますが、
伏線のさりげなさとトリック自体を逆手に取った構造は見事ながら、
「壺に入れるときに気づかなかったの?」と疑問が残る点でやや消化不良な
ものとなっています。
ただ無礼ながら個人的には、この点は脚本よりもマクグーハン氏の演技または
演出に難があるのではないかと思うのです……。
つまりこの結末は、
『プリンス氏は企業家・プランナーとしては優秀だが、死者への敬意に
欠けた人物であり、それゆえ死体の装飾品を盗む冒涜的行為に手を染め、
また「遺灰をすり替える」「二人分の遺体を一緒に焼く」
といったトリックを平気で行うことも出来た。
しかし、その人格的欠陥のために、
「灰を詰める際に金属片に気づかなかった」
or「気づいてもどちらの死体のものか解らず(牧師の話を
時間尺しか気にしていない)、そのまま壺に詰めた」
この死者/遺灰の扱いの杜撰さが、自らの首を絞めることになった』
という、犯人の性格にフィックスした妥当な詰め手であったはずなのです。
(「死者の身代金」や「祝砲の挽歌」のような)
ですが、そのプリンスをマクグーハン氏は(ぼろんこさんのおっしゃるように)
紳士的かつ慎重、丁寧な人物に演じすぎている気がします。
例えば遺灰を詰めるシーンなど、もっと大ざっぱにやっていればかなり
キャラへの見方が変わるのではないかと……。
とは言えもちろん、本作が旧シリーズのテイスト・品格を持ち合わせた
新シリーズぶっちぎりの出来の名作であることは間違いないですが。。。
「灰は灰に」ですね!ありがとうございます。
「スティーブン・ボチコ」でしょ、ほんと。知らない人にはわかんないですよね。
スティーブン・ボチコ:数々の刑事コロンボ作品を手掛けた脚本家(プロデューサー)。
「構想の死角」「もう一つの鍵」「パイルD-3の壁」「黒のエチュード」「二つの顔」「愛情の計算」「華麗なる罠」の脚本が彼の手によると、Wikipedia「刑事コロンボ」に記載されています。
「灰から灰」ではなく「灰は灰に」です。キリスト教の葬儀の際の祈祷文の一節で、原語は”Earth to earth, ashes to ashes, dust to dust.”(「土は土に、灰は灰に、塵は塵に」)。映画やドラマでも葬儀のシーンでよく聞きます。それにしても、内輪受けネタとして、スティーブン・ボチコには笑えましたよね。