最後のパトリック・マクグーハン

犯罪工作の名手マクグーハン
特に犯罪を隠蔽するためにせっせと工作する時の仕草、表情は絶品。まるでそれを楽しんでいるかのようにも見えるし、強がっているようにも見えます。「復讐を抱いて眠れ」でのハリウッドで葬儀屋の社長エリック・プリンスは、28話「祝砲の挽歌」のラムフォード大佐、52話「完全犯罪の誤算」の弁護士オスカー・フィンチより、若干キャラクター性を抑え気味でしたが、十分にマクグーハンを堪能できる作品でした。
コロンボ警部が語気を急に強める
後半でコロンボ警部が語気を急に強める場面は、他の回と比べて嫌悪感を露にしていない犯人に対して、すこし唐突な態度に感じました。おそらく、遠く離れた相手に向かって、大きめに喋ったのでしょう。執拗に付きまとうコロンボ警部に対し、今回のエリック・プリンス氏は忍耐強かったと思いますね。
灰から灰でも良かったかも…
原題「Ashes to Ashes」の直訳は「灰から灰」で、邦題の「復讐を抱いて眠れ」よりも内容に直接的な題名です。復讐を抱いて眠れは間違っていませんが、ベリティの復讐心が殺される引金になったとしても、その後の展開ではあまりクローズアップされていないのでピンと来ません。
また決め手となった金属製の砲弾の破片ですが、プリンス氏が骨壺に灰を入れる際にもっと慎重に行っていれば、入っていなかったでしょうね、割と慎重そうな人物ですけど。
サリー・ケラーマンが可愛い

ルー・マクラナハンが憎まれ役を好演

葬儀屋の秘書役は長女のキャサリン

初期型のマック

イニシャルS.B.の登場人物
ベリティのメモの解読の過程で候補にあがったイニシャルの中で「スティーブン・ボチコ」は、1話「構想の死角」7話「もう一つの鍵」9話「パイルD-3の壁」10話「黒のエチュード」17話「二つの顔」などを手掛けた脚本家。
デガルモ刑事


監督:パトリック・マクグーハン
脚本:ジェフリー・ハッチャー
エリック・プリンス:パトリック・マクグーハン
ヒューストン夫人:サリー・ケラーマン
ベリティ・チャンドラー:ルー・マクラナハン
デガルモ刑事:リチャード・リール
加筆:2013年8月28日
スタンダードナンバー「Tea for Two」がフィーチャーされているのが素敵です。
この当時に既に「ドットコムドメイン」があったんですね。
ところでチャンドラーさんのパソコンのキーボードは明らかに当時のMacintoshですが、画面がWindows 3.1(あるいはOS/2かもしれませんが)なのにはちょっと笑ってしまいました。
パトリック・マクグーハン最後の出演作。ゲストスターとしての出演はシリーズ最多4回、監督もつとめた彼は「刑事コロンボ」を語るとき欠かせない人物の1人でしょう。
旧シリーズの「祝砲の挽歌」「仮面の男」では寡黙な印象でしたが、新シリーズでは一転、「完全犯罪の誤算」そして今回の「復讐を抱いて眠れ」では、能弁でユーモアのある役どころとなりました。こちらの方がマクグーハンの素顔に近いような気がして、個人的には好きです。
彼はユーモア好きだったのかなぁと思わせるシーンがあります。レセプションのシーンで、主賓のエリック・プリンスに捧げられた歌の歌詞。
「彼はいい葬儀人♪死人はそれを否定出来ない♪(死人に口無し)」
「誰かさんと誰かさんが葬儀場♪こっそり隠した遺体を焼く♪お通夜が終わってみんなが帰って♪遺体を埋葬したあと、石を乗せられる♪土の下2メートルあいつの行くところ♪土の下2メートル何の不思議もない♪一緒においでよプリンスはいい奴♪」
殺害を犯した後のエリックに、これ以上の皮肉はありませんね(笑)死者もジョークにしてしまうこの感覚は、日本ではあまりないような…あくまでもカラっとして明るいので、つい笑ってしまいます。
プロット的には、最後の詰めがちょっと残念な気がしますけど、葬儀屋がその職業上知り得た知識、設備を最大限に利用して殺人を実行するという発想は面白かったです。
確かに、邦題ちょっと深刻すぎますね!「灰の中の真実」はいかがですか?
灰の中の真実、それ良いですね!
やっぱコロンボの放題は、○○の○○形式が好きです。
すっごい余談で、恐縮ですが…
イギリスの選挙で、コービン労働党党首が出るたびに、
「なんかどっかで、見た事あるような…????
と、思ったら、
このお話しの、マクグーハン氏だった!」
と言う、コロンボ・ファンが、
私の他にも、3人くらいは、いるような気が…^^;;
お久しぶりです。
スティーヴン・ボチコ氏がお亡くなりになられました。
ご冥福をお祈りします。
そうでしたか。
見終わってハテナマークがいくつも出てくる話でした。
「火葬炉では、遺灰をブラシで穴に集める。穴の下には箱があり、この箱に遺灰が収まる。この箱を取り出し、スコップのようなものを使い、漏斗を使って骨壺(遺灰入れ)に入れる」というのが映像で確認できます。
また、火葬炉の中に遺体を2体同時に入れることは可能と思われます。
ということで疑問は
1)なぜ、ヒューストンとベリティの遺体を2体同時に焼かなかったのか?
2)遺灰を集めた箱から遺灰入れに入れるときに、砲弾片をスコップあるいはロートで(何らかの音が鳴って)違和感に気がつかなかったのか?
3)コロンボは砲弾の破片を証拠としたが、「焼却炉の下の箱に残っていました」という言い訳は通用しないのか?焼却炉で焼かれれば形が崩れると思うが、レントゲン写真を比較して同じものといえるのか?
4)ダイヤモンドを口の奥に突っ込んで燃えなかった???
なんか、納得できませんでした。
アメリカにも火葬があるんですね
日本はある程度骨が残るけど、アメリカはあんなに粉々になるもんなんですかね。温度の違いなのでしょうか
みなさんコメントありがとうございます、この作品に2票追加します。
さすがのパトリック・マクグーハン!
コロンボ警部との対決がじっくりと見れて好きな話です。
携帯電話は単にバッテリがー切れただけと考えるのが自然では。
プリンスさんが、棺桶の中から死体を運ぶシーンがある。
あのじいさんが、あの態勢で、あの重そうな死体を持ち上げると、
絶対ギックリ腰になるよ。てか、持ち上がらないよ。
もちろん、撮影時は人間なんか持ち上げていませんけど。
デガルモ刑事は、とっても、テキトーです。
SBとは、シド誰かか、シャリー誰かでしょうって?、
Sって、2種類の名前しかないなんて。
それと、”せいうち”に似ている→ホントだ!
なぜ、故買屋エディへ事情聴取しないのだろうか??。
タクの運ちゃんから間接的に聞くよりも、よほど正確なのに。
パーティでの替え歌は、プリンスの犯罪を揶揄するような内容になって
いるが、そんな、おかしな・・・歌う必要があるのか?、理解できない。
まあ、おもしろいけど、刑事コロンボには必要ない演出だ。
プリンスさんは、終盤、火の出る質問で開き直った。
だったら、最後まで開き直ってほしかった。できますよ!。
火葬炉の掃除不足で、前の灰が残っていて破片が混入したってね。
途中、火葬炉が故障しましたね。その修理の途中で紛れ込んだとか、
いくらでも、逃げおおせます。
コロンボ。BS-TBSでみてます。吹き替えのもの
というのは、訳しかたと声優でいろいろかわって
くるとおもいます。
それでいくと、数日まえの「殺意の切れ味」。
あの葉巻をすっている人の、訳と声優は
最高に好きです。
灰?灰!こもろ~♪ってギャグがあったなあ。
吹き替え好きならコロンボがガンダルフと対決するようで笑い転げて楽しめますが、石田太郎さんも有川博さんも実写作品で悪役を沢山やった方。それだけ声のカラーが濃いという事ですね。小池朝雄さんも松田優作さんの映画で演じた悪役姿を観た後ではピーター・フォークが小池さんに見えて来る事があって(苦笑)
昨日からなのでしょうか。翻訳が額田やえ子さんから鈴木導さんに交替してとても寂しい。
鈴木さんは『ランボー』も訳した方ですし、品質が劣るという事は絶対に無い。しかし補完部分の翻訳も同様ですが「ウチのカミさんが」の定型句以下額田さんが訳したのコロンボ調のパロディに聴こえる場面がある。”Xファイル”や”24″では同じシリーズを2人以上の翻訳家の分担作業だったので台詞が面白くても言葉を使った性格描写は薄味になりがち。前者の場合特に地上波放映とVHS版で台詞の濃さが全く違って来ますし。
殺害した時の動揺する犯人の目の配り方が絶妙ですね。
昔、ダイヤを俳優の遺体から盗んで、その喉の奥に押し入れて火葬した
とされているが、ダイヤを火葬してしまうと火葬炉の一般的温度では
炭化が始まりその性質が変化してしまう。よって温度調整が大変ですね。
売却されたそのダイヤを調べれば、あるいは性質変化が分かるかも?。
プリンスは火葬炉の温度は870度と言っている。
なおダイヤ黒鉛化は600度以上、炭化は800度以上で起こる。
よって、安全温度は500度程度だろうか?。
それはさておき、
犯人の偽装
10/6 ヒューストン火葬→遺灰をヘリで上空からまく
10/7 ラービィ火葬→遺灰は遺族へ
事件の真相
10/6 ベリティ殺害後火葬→遺灰はヒューストン遺族へ→ヘリ
10/7 ラービィ&ヒューストン同時火葬→遺灰はラービィ遺族へ
よって、ラービィ遺族に渡された遺灰の中に銃弾が残されていたことが
一つの偽装を明らかにした。だが、それによってプリンスがベリティを
殺害した決定的証拠と言えるのだろうか?。どうも釈然としなかった。
ラービィ遺族へ渡された遺灰にヒューストン体内にあった銃弾が紛れ込んで
いたことは証明された。だが、それがベリティ殺害とどう絡むのか?。
直接的にはひも付かないでしょう。
コロンボは動機を推理していたが、あくまで推理の範疇を出ていない。
更に火葬炉の掃除が雑であれば、他人の遺灰が紛れ込むこともあり得るだろう。
それを飛躍させて、ベリティ殺害へ絡ませることの方に無理があります。
やはり、ベリティは行方不明とした方が自然です。
このように決定的証拠がないし、犯人が観念する必要もありませんでした。
タップおばさん>「ベリティ」良いですよね。あれほど憎まれ口を叩かなければ、死ぬことは無かったような…気がします。
少年時代、金曜ロードショーでのこの作品で初めて刑事コロンボを知りました。
いとも簡単に死体を火葬。
その灰は他人によって空から撒かれる。
え?もう犯人捕まえようがないじゃん!
と、衝撃を受けた当時が懐かしい。
改めて見てみると、4度目の犯人役パトリック・マクグーハンの佇まいのカッコ良さもさる事ながら、
(当時は4度目の出演だなんて知りませんでした)
被害者役のルー・マクラナハンの憎ったらしい仕草が、
またこれを吹き替えた此島愛子さんの巧さが際立ってますね。
あと、終盤少し前の犯人のセリフ
「燃え尽きてしまったら、残るのは灰です。
灰だけ。コロンボ警部」
このセリフが長年印象に残っていました。
吹き替えは2種ありますが、石田太郎さん、有川博さんverの方が好きです。
ada-aiさんコメントありがとうございます。コロンボの「親戚の話」は、研究してコラムに書きたいと思います。
どうも久しぶりに書かせていただきます、ada-aiと申します。
ぼろんこさん、エースさん、返信ありがとうございました。
結構この作品は新シリーズの中では無駄の無い構成に感じるんですが、やはり「蛇足」に近いですよね。
親戚の話については別冊宝島の「刑事コロンボ 完全捜査記録」の「死者の身代金」のCOLUMBO MEMOで言及されていました通りかもしれません(ネタバレ回避のため抽象的な表現で申し訳ない)。
ではでは。
エースさんコメントありがとうございます。「親戚の話として出すのならタクシー会社のくだりは不要」ですね…確かに。コロンボの「親戚の話」は昔から「でっちあげ」臭いですよね。
ada-aiさんの言われてる件、自分も気になって考えてたこともあったのですが、“入手した手がかりのネタ元を明かさずに親戚の話として小出しにする”というコロンボの捜査手法のネタバレ、と自分の中では結論付けています
前作“殺意の斬れ味”でもラストにバーニーの店で犯人を疑ったきっかけなどをベラベラ話すシーンがありますが、個人的には必要のない蛇足だと思っているので、今回のサンセットブルーバードの件も親戚の話として出すのならタクシー会社のくだりは必要なかったように思えます
ada-aiさん、コメントありがとうございます。「親戚の話」ですね!タクシーの運転手をつきとめたことを、内緒にしたかった‥のでしょうか?私もちょっと、自信がありません。次回みるときに、チェックしてみます。
どうもこんにちは。
ふとこの作品を今日見ていて気になったので書き込ませていただきます。
他の作品で…入手方法はさておくとしても…「親戚の話」をする場合、それを入手したシーンは描写されないのですが、この話ではタクシー会社で、事件と関係ないタクシー運転手から偶然聞いた「HB=ハリウッドブルバード」から「SB=サンセットブルバード」を連想するシーンを、その後プリンスと話すときにそれを「親戚の話」として話していることが、なんだか不思議に感じました。
他の作品でも同じようなことが会ったかもしれませんが、なぜかこの話だけ妙に印象に残っていました。
ではでは…。
白樺さま、メッセージをありがとうございます。すばらしいご見解です!少し付け加えるならば、死体遺棄工作の前にコロンボ警部と対面しており、その風貌から「それほど切れ者ではない」という印象を持ちました。また、エリックの前職は役者で、演技力を身に付けていたことも分かります。一見紳士風ですが、本来は凶暴で頭に血が上りやすい性格です。ベリティにとどめをさす顔が凄いです。また犯行後に教会のイスに座り、今起きた事を回想する表情なども、印象的でした。
それにしても良い雰囲気を持った作品だと思います。音楽の使い方なども、クラシカルで王道的ですね。そういった細かい配慮がこの作品を初期の名作的に思わせるのでしょうか。
白樺さまのように、コロンボシリーズを愛しておられる方に、コメントして頂き、本ウェブサイトを作って良かったな~と、心より感謝しております。
お初にお目にかかります。
ずっと見たかった新シリーズを、縁あって何作か見ることが出来たので
(衛星放送など見られぬ貧乏学生です)、中でも一番との前評判だった
本作に関して今更ですがコメントを……。
本作の「詰め手」に関してぼろんこさんも指摘していらっしゃいますが、
伏線のさりげなさとトリック自体を逆手に取った構造は見事ながら、
「壺に入れるときに気づかなかったの?」と疑問が残る点でやや消化不良な
ものとなっています。
ただ無礼ながら個人的には、この点は脚本よりもマクグーハン氏の演技または
演出に難があるのではないかと思うのです……。
つまりこの結末は、
『プリンス氏は企業家・プランナーとしては優秀だが、死者への敬意に
欠けた人物であり、それゆえ死体の装飾品を盗む冒涜的行為に手を染め、
また「遺灰をすり替える」「二人分の遺体を一緒に焼く」
といったトリックを平気で行うことも出来た。
しかし、その人格的欠陥のために、
「灰を詰める際に金属片に気づかなかった」
or「気づいてもどちらの死体のものか解らず(牧師の話を
時間尺しか気にしていない)、そのまま壺に詰めた」
この死者/遺灰の扱いの杜撰さが、自らの首を絞めることになった』
という、犯人の性格にフィックスした妥当な詰め手であったはずなのです。
(「死者の身代金」や「祝砲の挽歌」のような)
ですが、そのプリンスをマクグーハン氏は(ぼろんこさんのおっしゃるように)
紳士的かつ慎重、丁寧な人物に演じすぎている気がします。
例えば遺灰を詰めるシーンなど、もっと大ざっぱにやっていればかなり
キャラへの見方が変わるのではないかと……。
とは言えもちろん、本作が旧シリーズのテイスト・品格を持ち合わせた
新シリーズぶっちぎりの出来の名作であることは間違いないですが。。。
「灰は灰に」ですね!ありがとうございます。
「スティーブン・ボチコ」でしょ、ほんと。知らない人にはわかんないですよね。
スティーブン・ボチコ:数々の刑事コロンボ作品を手掛けた脚本家(プロデューサー)。
「構想の死角」「もう一つの鍵」「パイルD-3の壁」「黒のエチュード」「二つの顔」「愛情の計算」「華麗なる罠」の脚本が彼の手によると、Wikipedia「刑事コロンボ」に記載されています。
「灰から灰」ではなく「灰は灰に」です。キリスト教の葬儀の際の祈祷文の一節で、原語は”Earth to earth, ashes to ashes, dust to dust.”(「土は土に、灰は灰に、塵は塵に」)。映画やドラマでも葬儀のシーンでよく聞きます。それにしても、内輪受けネタとして、スティーブン・ボチコには笑えましたよね。