- 「クレーマー刑事」の登場作品。
- バチェラーズ・ワールド「リンカーン・タウン・カー・ストレッチト・リムジン」
邦題「だまされたコロンボ」は、てんでイケません
「だまされたコロンボ」という邦題が残念。原題は「Columbo Cries Wolf」で「狼少年コロンボ」といったところ。それでも残念。「コロンボ」がタイトルになるようではね~、少し物足りませんね。
バチェラーズ・ワールド
有名雑誌「バチェラーズ・ワールド」の共同経営者が仕組んだが失踪劇が実は狂言で、コロンボが騙されてしまいます。前半で容疑者となるスターカメラマン「ショーン・ブラントリー」は自信満々で憎らしい程ですが、実はもう一人の経営者ダイアン・ハンターに手玉に取られ、結局彼女を本当に殺してしまいます。
ダイアン・ハンターはディードル・ホール
イアン・ブキャナンは印象的
外見の美醜がクローズアップされた作品
コスナー役はマーク・マーゴリス
カメラマンという職業としては、イマイチ
私はこのように外見の美しさをテーマにした作品は、あまり好きではありません。今回は犯人がスチールカメラマンだったのですが、彼の職業そのものにはスポットは当たりませんでした。むしろ、モデル業界の華やかさが前面に出ていましたね。同じ成功者でも、その道の一流としての主人公の方が魅力は上回る気がしています。
クレーマー刑事が登場か!
大出世?いや、別人?
名前だけ再登場、こっちは本当に出世してた?
「パイルD-3の壁」よ、もう一度。
後半の展開はスピーディで、ひょっとしたらこの後半だけでも十分作品ができた気もしますが、9話「パイルD-3の壁」の焼き直し的にも見えます。コロンボ作品中、最も長く感じるものの一つでした。成功者が保身のために人を殺すという、コロンボ作品の原点みたいな部分は好きです。
哀愁を感じるエンディング
監督:ダリル・デューク
脚本:ウィリアム・リード・ウッドフィールド
ショーン・ブラントリー:イアン・ブキャナン(声:中尾隆聖)
ダイアン・ハンター:ディードル・ホール(声:翠準子)
ティナ:レベッカ・スターブ
コスナー:マーク・マーゴリス(声:田中康郎)
サー・ハリー・マシューズ:アラン・スカーフェ(声:阪脩)
クレーマー刑事:ブルース・カービー
本部長:ジョン・フィネガン
市長:デビッド・ハドルストン
秘書:ジジ・ライス
加筆:2024年8月29日
最初から終始、トリックの顛末を見せてない、普段にはない有力者との会話の時点で
「タイトルからしてどうせ生きているんだろうな」
と予想がついたので、犯人役からヘラヘラと小馬鹿にされる時間が長くて嫌でした
最後の殺人前に「買いまくりに行くぞぉ!」のあとに考え込むような深みがないというか、
さっさと引っ掛けに行けばともかく、私にとってはストレスを感じる胸糞悪い時間が長すぎました
犯人には「策謀の結末」のような二面性が欲しかったです
犯人役イアン・ブキャナンが『ツイン・ピークス』に出ているということを聞いていたので、ラストのダイアンの袋詰めの死体は、そのオマージュかなと思いました。制作時期は調べてみたら同じ頃みたいですし。
他の方のコメントで作品中の日本人の取扱に触れていらっしゃいましたが、原語版で聴いていたら、サー・マシューズからのヘリで迎えに来た部下が、降りてきて警備員に「ご苦労様です」と日本語で言っているのには驚きました。いくら日系人が多いロスだからって、「こにちは」「ありがと」並みな一般的な日本語とは思えないし、何の意味が?続いてのサーのオフィスでの日本人ビジネスマンたちも「どうも」など言っていて、いやそれくらいは「Thank you」って言うわとか。まあ『コロンボ』は西海岸が舞台だからか、日本が外国として身近かつ関心が高いという現われなのでしょうかね?
サー・マシューズと言えば1インチ6ドルの葉巻発言は、貴族にしてはみみっちいと思ってしまいました。
私は『コロンボ』とか『ポワロ』でもそうですが、敬称とか称号とか気になっていて、現場一筋のコロンボでも必ず名乗るとき自分でLiutenantを付けるんですよね。今回は犯人役からはほとんど敬称を付けてもらえないんですが、最初の出会いの時は呼び捨てに対しわざわざ直してるし、続きのシーンで運転手が苗字呼び捨てでというのに対しMr.いらない?と聞き返してるし。彼がLiutenantの役職に誇りを持っているからなのか、単に欧米的感覚なのか?今回ではないですが、Mr.と呼び掛けられてDr.に直す場面も時々ありましたよね。日本人だったらそういう習慣はなくて、付けてもいろいろ潰しがきく「先生」くらいなので(何せ教師も医者も弁護士も政治家もOK)面白いなあ、と。他にも挨拶するときに「よろしく」代わりに「Mr.○○?」だけで手を出すとか(こちらは『ポワロ』で頻発)。
そういう文化的習慣の違いを感じるのも、海外ドラマの面白さだと思います。
新シリーズの中では面白い作品だと思います。
ただタイトルがネタバレ要素なのが残念です。
おかげで冒頭の犯行は2人の自作自演なのではと思って見てしまいました。
運転手役の俳優、どこかで見たことあるなーと思っていたら、大ヒットドラマ「ブレイキング・バッド」のサラマンカでした。
二段オチで新機軸を打ち出そうとしたようですが、狙い過ぎたか。ラストの切れ味の鮮やかさは、実は古典ポーの「黒猫」に倣ったか。それでも前半、というより最初から3/4に至る展開に費やしたのは凝り過ぎたか。どんでん返しはもう少し早くても良かったような。どんでん返しの構成のバランスが今一つだったかな。
ダイアンが空港に向け外出した後に、電話で「2分で片付けろ」と指示したのは、一体何だったのでしょうか?
おそらく、ですが、ショーンはダイアンに電話して「2分で変装して間仕切りを上げておけ」と念を押したんだと思います。コズナーが戻ってくるまでに、計画通りにしろよ、と。
リムジンがレストランに着く直前、電話の着信音ともとれるサウンドが挿入されています。1990年当時も、リムジンなら自動車電話は備えていたでしょうから(ただしたびたび映る車内映像では一切確認できない)、辻褄を合わせるならそういうことかと。
(初見の)視聴者にとっては殺害指示を仄めかす電話にも思えるので、コロンボ同様、まんまと騙されるわけですが。
なるほど!! ガッテン承知しました!! やはり名作ですね!! しかし、2分はしんどいですねえ。
中尾さんの吹き替えが素晴らしいこの作品、自分はかなり好きな作品です。惜しむらくは原作からカットされてしまった要素、ダイアンからの絵葉書に書かれたアルファベットですね。
ネタバレになってしまうんですが原作ではダイアンが新雑誌の刊行を考えていてその雑誌の名前のアルファベットでランダムに送っていて、懸賞にしていたんです。ショーンもそれだけは知らないんですよね。で、最後のアルファベットを聞かずにダイアンを殺害してしまい間違えたタイトルを発表してしまう。そこもコロンボにつかれるんですが尺の都合でかなり省かれてしまいましたね。
そこが上手くまとめれていればもっと面白い作品やったと思います。
「買いまくり」してバブル的ムードがむんむんな本作、アメリカでは1990年1月20日初オン・エアで、制作は前年の1989年が主だと思うのですが、現実の米国では、既に1987年10月19日のブラックマンデー後で、日本ほど過剰なバブル景気に浮かれてはおらず、一方、日本では、日経平均株価が1989年12月29日の大納会に終値の最高値38,915円87銭をつけたのピークにバブル崩壊、日本での本作初オン・エアは1994年6月17日で、完全に世間の空気が一変した後でしたので、当時この回を初めてテレビで観た時も、これから日本経済が置かれるであろう厳しい運命を思うと、複雑な気分になったものでした。
今は「ポケベル」と言っても、もはや死語に近く、若い世代では知らない人も多くなっているので、今後は字幕で注釈なども必要になってくるのでしょう。
新シリーズでは特に優れている回という皆さんの評価も多いようで、確かに私も騙されながら大いに楽しみました。
また、直近一つ前のコメントで、tempus fugit様が「ワトソンの推理法修業」を連想されたというのも、さすがな着眼点だと感服いたしました。
ぼろんこ様記事本文より
>私はこのように外見の美しさをテーマにした作品は、あまり好きではありません。
それには同感です。
本作を観ながら、同時にあの作品の時代も想起してしまいました。
F. Scott Fitzgerald 「The Great Gatsby」(1925)より、娘が生まれた時のデイジーの言葉。
‘All right,’ I said, ‘I’m glad it’s a girl. And I hope she’ll be a fool—that’s the best thing a girl can be in this world, a beautiful little fool.’
「いいわよ。」わたし言ったの。「女の子でよかった。バカになってねと願ってるわ。この世を生きるには、女の子はそれが最高。美しくてちょっとおバカさんがね。」
少しずつ変化しながらも、結局、歴史は繰り返してしまいますね、何かと・・・。
前作50話「殺意のキャンバス」で、村上春樹ネタのコメントをしたことから、彼が三本の指にいれるほど高く評価している小説、F. Scott Fitzgerald 「The Great Gatsby」を絡めてコメントしました。彼による翻訳本も以前から賛否両論あるものの、人気があります。
6月27日(月)NHK-BSプレミアムで後1:00〜3:23、「華麗なるギャツビー」レオナルド・ディカプリオ主演版(2013)が放映されます。未見の方は、ぜひ録画して一度御覧になられることをおススメします。1929年の世界大恐慌前夜、空前の好景気に沸くアメリカの姿と、「だまされたコロンボ」のバブリーなムードに、特にディカプリオ主演版では、共通性を強く感じます。
YC-30様
こんにちは。華麗なるギャツビー放映されるのですね。レオ版は未見なので見てみます。情報ありがとうございます。
YC-30様はコロンボの英語の文献も読まれているのですね。
とても興味深いです。ギャツビーも英語で読まれたのでしょうか。
わたしは日本語で読んで感動し、原語に挑戦して挫折しました。なので、コメント楽しく拝見しております。
奪われた旋律、でしたか、わたしはまだ見ていないのですが、たしかファンメック夫人のことに言及されてましたよね。このサイトでファンメック夫人の名が聞けるとは思っていませんでした。
この回の放映がさらに楽しみになりました。
アイス 様
こんにちは。
「華麗なるギャツビー」ディカプリオ主演版(2013)は、超・超おススメです。「日本語で読んで感動し、原語で挫折」された方には、再チェレンジされるよいきっかけになると信じております。
フォン・メック夫人は、一般にはチャイコフスキーのパトロンとして有名ですが、
《少年時代のドビュッシーを自分の娘のピアノ教師として雇い、長期旅行に同伴させた。この際、夫人の長男および次男とドビュッシーがピアノ三重奏を組んで彼のピアノ三重奏曲を演奏したり、またドビュッシーがピアノ連弾用に編曲したチャイコフスキーの『白鳥の湖』を演奏している。
夫人はドビュッシーの習作ピアノ曲「ボヘミア舞曲」をチャイコフスキーに郵送したが、1ヵ月後に返ってきたチャイコフスキーの返事は「とてもかわいらしい曲ですが、短すぎます」という未熟を諭す冷淡なものだった。この曲はドビュッシーの死後まで出版されなかった。
その後、ドビュッシーは夫人の娘と恋愛関係に陥り、それを知った夫人は激怒して彼を解雇した。この顛末はチャイコフスキーへの手紙にも報告されている。》(Wikipediaより)など、ドビュッシーとも縁があった女性ですよね。私は彼女がドビュッシーに与えた影響のほうに興味があります。
68話「奪われた旋律」は音楽好きなコロンボ・ファンには必見の作品です。チャイコフスキー作品では「序曲『1812年』」が作品内で使用されていますが、現在はロシアに対する風当たりが強いので、演奏会で採り上げ辛い曲になっちゃいましたね。
あと、「奪われた旋律」では、コロンボが指1本でもピアノを弾くのがやっとなぐらい下手で、音楽についての知識も著しく低下し過ぎていて、その点、悲しくなる作品ではありました。
YC-30様
YC-30さん、GREAT GREAT GATSBY ようやく見ました!
‘All right,’ I said, ‘I’m glad it’s a girl. And I hope she’ll be a fool—that’s the best thing a girl can be in this world, a beautiful little fool.’
YC-30さんが、引用なさったこのセリフ、それから、私忘れていたのですが、有色人種に乗っ取られぬようなんとかかんとかというシーン、この二点にぎょっとしてしまい、(読んだくせに忘れている(笑))
ちょっと憂鬱というか考えさせられてしまいました。
アメリカ社会(日本も?)の深い闇と言ったら陳腐な言い方でしょうか。
コロンボは、時々、犯人にも思いやり深くなることがありますよね。
ギャツビーの中で、ニックが「あいつらは下らん奴らですよ。
あんたには奴らの100倍の値打ちがある」(こちらの訳のほうが好きなので引用しました)と言うあのシーンと、コロンボの人を見抜く目、にわたしは共通のものを感じましたが、いかがでしょうか?
そしてドビュッシーの逸話…
教えていただきありがとうございます!
私事で恐縮ですがわたしは以前ピアノを職業にしていまして、フランスものをよく弾きますがドビュッシーにはちょっと冷たい雰囲気を感じて、コロンボの中の自分勝手な犯人(黒のエチュードとか!)と重なるときさえあります。(笑)
チャイコフスキーが会ったことのないフォンメック夫人(ファンメックだと思っていました。でもこれも、こちらでも良いですよね?!)
に片思いしていた話を読んだことがありますが、私は不器用な作曲家、不器用な犯人の方が好きです(笑)
ロシアの音楽は、コンサートなどでは一応上演されてるようですよね。
1812年は、フランスがロシアを攻めてきてロシア軍が撃退したときの勝利の曲ですよね。それを上演しないとか、言い方は悪いですが、ばかみたいと思います。
アメリカがイラク戦争してもアフガンで介入しても、コロンボは放送禁止にならないじゃないですか。わたしはできるだけバイアスのない視点を持ちたいと思います。
なんて、YC-30さんのような博学なかたについ熱く語ってしまってすみません。ちょっと恥ずかしいです。
ご存じかもしれませんが、モーリス・ラヴェルは第二次大戦のとき、ドイツ音楽を排除するというキャンペーンに一人反対したんですよね。
このような人物が犯人だ(!?)ったら、死者のメッセージでコロンボが言った、尊敬さえする犯人になりえるのかな?
といろいろなことを考えました。
ギャツビーの再読はそのうち、いつか…(笑)
コロンボを原語で観て、YC-30さんのお話を良く理解できるよう頑張ります!
長文失礼しました。
追伸
夫人がドビュッシーに与えた影響、についても是非お伺いしたいです!
まず、ピアノが上手い方は、心から尊敬し憧れます。
その上で、全部の項目に感想を書けば、何のブログへの投稿だか分からなくなってしまいますので、テーマを絞って必ずしもアイス様のコメントに連動せずに返信いたしますこと、お許しください。
どこからも引用せず、ひたすら思い付いた私見のみを述べます。あまり推敲せずに投稿しますので、例によって、誤字、脱字等はご容赦願います。即興演奏みたいに書きます。
よく言われることかも知れませんが、私も、ラヴェルとドビュッシーは、全く対照的な作曲家だと思っています。
ドビュッシーは機能和声からの脱却を目指し、私生活でも音楽でも奔放で、世の中の制約からひたすら自由を求める人でした。それは、メック夫人の束縛から自由になりたかったという若い頃の体験も大きく影響していたと考えております。
一方で、ラヴェルは、制約の中でこそ実力を発揮できる人でした。単純な旋律のみの繰り返しで大傑作に仕上げた「ボレロ」、他人(ムソルグスキー)が作曲したピアノ原曲という制約の中で管弦楽版に編曲したオーケストレーションの傑作「展覧会の絵」・・・。
私は、第一次大戦で右手を失ったピアニストのために書いた、最晩年の傑作「左手のためのピアノ協奏曲」が大好きで、まったく左手だけというハンディを感じさせないところがいつも凄いなと感心するのですが、何故か聴くたびに片目が義眼だったピーター・フォークを想っちゃうんです。ああ、ピーター・フォークも厳しい制約の中で頑張って生きてきた人なんだなあって。そして、そういう人は、きっと、他人の痛みがわかる優しい人だったに違いないって。その他者への優しさが、演じたコロンボというキャラクターに自然に滲み出ていますよね。そこが大きな魅力です。
フォークもまた、「刑事コロンボ」という役柄の制約の中で、最も実力を発揮した人で、そういう意味ではラヴェルに似ているかも。
音楽に国境は無いと信じたいです。
ロシアの作曲家が書いた原曲をアメリカの指揮者の委託によりフランスの作曲家が編曲し、アメリカの指揮者とオケが初演し、今では、世界中のピアニストが原曲を弾き、編曲版を世界中の指揮者が指揮しオケが演奏する「展覧会の絵」は考えてみれば幸せな曲ですよね。
ラヴェルから少し離れますが、「刑事コロンボ」の音楽名を思い付きました。
「殺人処方箋のテーマによる68の変奏曲」なんてどうでしょう(笑)。
追伸
今度は引用です。
GREAT GREAT GATSBY(苦笑)御覧になられましたか!!
映画冒頭のナレーション、
Nick Carraway: In my younger and more vulnerable years, my father gave me some advice. “Always try to see the best in people,” he would say. As a consequence, I’m inclined to reserve all judgements. But even I have a limit.
ニック:「僕が若くて多感だった頃、父がアドバイスをくれた。『つねに人の良い部分を見なさい』と。おかげで僕は他人に寛容な人間となった。だが、そんな僕にも限界はある」
とか、
Daisy Buchanan: All the bright precious things fade so fast… and they don’t come back.
デイジー:「輝かしい日々はあっという間に色あせて、二度と戻っては来ない」
なども、痺れるセリフですよね(笑)。
YC-30様
(だまされたコロンボ、のコメントを読みたい皆様へ
わたくし当作品は小学生のとき一度見たきりで、これはYC-30様へのコメントとしてコロンボ全体に関連した音楽の話など含めた感想となりますのでご興味がないかたは飛ばして頂けますようお願い致します。)
YC-30さん興味深いコメントありがとうございます。
制約、という視点は思いつきませんでした。
ラヴェルの家を訪ねたことがあるのですが、こじんまりした質素なお家で、北斎の絵が飾ってありました。
おそらくコロンボの家も犯人の豪邸よりかなりこじんまりしていたでしょうしね。
「左手のためのピアノ協奏曲」は名曲ですよね。
左手を失ったピアニストに書くというのが思いやりを感じます。
(ラヴェルは)優雅で感傷的なワルツが、作曲家はだれか当てるコンサートで初演された時、ブーイングが起こっても平然としていたそうですが、戦争や、それにまつわる不公平には真剣に怒ったりもしたのでしょうね。
コロンボは、自分が馬鹿にされても怒りませんが、犯人が誰かを殺しそうになっているときに本気で怒りますよね。
自分でなくほかの人のために怒るって、(しかも犯人は権力者や上司だったりします)なかなかできないことで、それもあって視聴者はコロンボを応援したくなるのでしょうか?
展覧会の絵のような曲がこれからもたくさんできれば良いのに、と願います。
「殺人処方箋のテーマによる68の変奏曲」、良いですね!
誰か作曲してくれないかなあ・・初演に弾かせて頂きたいです(笑)
YC-30様
Even I have a limitだけ聞き取れましたが、ぐっと来ました。
みんなギャツビーがパーティーをするときには押しかけてきて、スキャンダルで殺されると、真相も知らないのにお葬式にも来ない…ギャツビーが愛を捧げたデイジーさえ。
ニックだけが、ほんとうのギャツビーの姿を見ていたわけですが、わたしは、ちょっと死者のメッセージと重なりました。
アビゲイルも、周りは彼女の財産のことしか考えない人間ばかりでした。コロンボが来るまで孤独だったろうな、と…
デイジーですが、殺しの序曲、で、つまらぬ異性に惹かれる例、として挙げている方がいらっしゃいました。
わたしも同感なんです。なぜギャツビーは、ひとは、(コロンボにもそういう人はたくさん出てきます)”つまらない”人間に惹かれるのか…YC-30さんの見解をお伺いしたいです。
ただ、こういうセリフを言うデイジーは、ニックの言う、下らん奴ら、の一人ではなかったということでしょうか?
YC-30様
訂正です…左手を失ったではなく、右手、でした。(笑)
それから、だまされたコロンボ、初見は小学生でなく高校生だったかもしれません、でも私の年はどうでも良いですよね(笑)
攻撃命令、でのまさこ様とYC-30様のコメントも拝見して、なるほど!と。攻撃~は未見ですし横からお邪魔しては失礼かと思いコメントは控えましたが、おふたりのギャツビーへのコメントに共感致しました。
ラヴェルの家を訪ねられたことがあるのですか! 羨ましい限りです。
「優雅で感傷的なワルツ」も、第一次大戦前夜に作曲された名曲中の名曲ですよね。ピアノ原曲も管弦楽編曲版共々、私も大好きです。
>なぜギャツビーは、ひとは、(コロンボにもそういう人はたくさん出てきます)”つまらない”人間に惹かれるのか
ギャツビーは孤独だったんだと思います。その他人に語りたくない生い立ちに加えて、第一次大戦の殺戮で心に傷を負っていたかも知れませんしね。芸能人のように、皆に人気があるように見える人ほど、「誰も自分のことをわかってくれない」と、本当は孤独やコンプレックスに苛まれる傾向があるような気がします。そこに、同じような心に闇を持つ「”つまらない”人間」が付けこむ隙を与えてしまうんじゃないでしょうか?
「刑事コロンボ」を鑑賞していて毎回のように思うのは、人間の善と悪はコインの表裏のように一体であるということについてです。加害者のほうが被害者よりも「いい人」であることも多く、ちょっとした運命のいたずらさえあれば、加害者、被害者の立場が逆転していても不思議ではないケースも少なからずあり、人間とは微妙で危うい生き物であると、ただただ痛感するばかりです。
YC-30様
”ギャツビーは孤独だったんだと思います。その他人に語りたくない生い立ちに加えて、第一次大戦の殺戮で心に傷を負っていたかも知れませんしね。芸能人のように、皆に人気があるように見える人ほど、「誰も自分のことをわかってくれない」と、本当は孤独やコンプレックスに苛まれる傾向があるような気がします。そこに、同じような心に闇を持つ「”つまらない”人間」が付けこむ隙を与えてしまうんじゃないでしょうか?”
なるほど、と思いました。
わたしには、なんとなく、そんなに幼くもなく老いてもいない人、しかも財産も持つ男性がそんな風に付け込まれる隙を与えてしまうという考えが浮かばなかったんですよね。もっとそのひとの内面や背景に目を向けないといけないなと思いました。
良い人、悪い人、というのはわたしもいつも考えるテーマです(笑)コインの裏表、というYC-30様の表現にはっとしました。
またまた私事で恐縮ですが、わたしが幼いとき、家によくいらしていたご一家の親戚の子が、とても優秀だということで、おまけに素直で良い子だとよく話題にのぼっておりました。
わたしはその少し年上のお兄ちゃんに会ったことはなかったのですが、大人にいつも悪い子だ生意気な子だと叱られていた私は、そのお兄ちゃんが魔法使いのように思えてうらやましく思っていました。
のちにそのお兄ちゃんは科学者になり、ある宗教団体の幹部として毒物Sを製造した罪で死刑囚となりました。
彼の評価は地に落ちてしまい、おとなはあんなに良い子だったのにと残念がりました。
わたしは、良い子だったからこそだろう、と思いましたが、また嫌われるので申しませんでした。(笑)
でもよくかんがえてみると、良い子だった彼と、人を殺めた彼は同じ人であり、”良い子”だった彼もまた真実の彼なのですよね。
コロンボで良い人犯人?が出てくるととよくこのお兄ちゃんを思いだします。
長文大変失礼しました。
アイス 様
「刑事コロンボ」にしても「古畑任三郎」にしても、好感度の高さで売ってきた大物俳優になればなるほど、犯人役をやりたがるじゃないですか。あれって、普段隠している自分の暗い内面を演じられるのが嬉しいんでしょうね。
それと、これまで言及しませんでしたが、アイス様が、どちらかというとドビュッシーを評価されない理由も何となくですが理解できます。ドビュッシーの音楽は斬新であり、マイルス・デイヴィスの「モード・ジャズ」などにも影響を与えたくらいに音楽史的に極めて重要な作曲家でしたが、私生活はもう無茶苦茶(ゲス)の極みで、結婚していながら愛人ばっかり作って、その相手の何人もが自殺未遂しているほどなので、人間的には「刑事コロンボ」の犯人と大差無いレベルかも知れないですよね。
作曲家や画家や、その他アーティスト全般、どこかしら心の内面に闇や狂気を抱えている人が多く、普通の人が見えない世界が見え、だからこそ常人には創造できない傑作が生まれるとも言えそうですよね。
人間を評価するって難しいです。
YC-30様
私、おふたりが犯人役をやりたがったなんて全く知りませんでした!教えていただき感謝です!
なんと。その企画?夢?は実現したのでしょうか?
渥美清さんが、尾崎放哉を演じようとしてらしたとか…
咳をしても一人、は寅さんに似合いませんけど、寅さんもたしかに咳をしてもひとりのときが多かったでしょうし…
ドビュッシーは、なんだか、信用ならぬひとという感じがして、黒のエチュードの、あの見苦しい(当代音楽家や政治家にもいるタイプの)愚劣な男、あれと大差ないような気さえしてしまうんです。
喜びの島とか、弾けるようになると刺激的で楽しいのですが、ただそれだけという感じがします。
ゲスの極み、について、はっと気づいた?のですが、デイジーとかも、結局ゲスの極みではないでしょうか?!これがもし男だったら、ひどい男!となると思うんです。
デイジーだったら、泣きながら殺したりして、コロンボの前でもか弱い女性として同情を誘おうとしたりして(笑)
あ~、言葉足らずで大変申し訳ありませんでした(汗)。主役の二人ではなくて、両番組へのゲストの犯人役の話でした。
「古畑任三郎」なら、分かりやすい例で言えば、木村拓哉、福山雅治、松嶋菜々子 といったゲストたちが犯人役を嬉々として演じているではないですか。あのイメージで書きました。
とはいうものの、おっしゃるとおりで、ピーター・フォーク、田村正和、渥美清も、人気が出て有名になった後も、きっと悪役をやりたくて堪らなかったと思いますよ。その真逆が、コロンボの声で大人気を博した小池朝雄さんですね。コロンボの声担当以前、1960年代に出演された映画では、ほとんどアウトローの、ヤクザみたいなダークな役ばかり演じてこられた印象なので、コロンボとのギャップが信じられませんが、1話「殺人処方箋」の一部分だけ残っている最初の吹き替えに、その片鱗をうかがうことが出来ますよ。
それにしても、渥美清さんが何と尾崎放哉を演じようとしていらしたのですか?まったく知りませんでした。映画『八つ墓村』での渥美清の金田一耕助は好きでしたが、尾崎放哉も面白そうですね!
「華麗なるギャツビー」のデイジーは、轢き逃げ殺人の罪をギャツビーに被せたのですから、実際重罪ですよね。あの時代にコロンボがいたら、ぜひ捜査して逮捕してもらいたかったですよね(笑)。
ドビュッシーの件、「喜びの島」を弾けるだけでも尊敬します。私は、ドビュッシーの音楽はそこまで嫌いでもないのですが、人間性はおっしゃるように客観的に見ても最悪ですねえ(笑)。
ところで、同時代のフランスの作曲家で、人間的にも作品的にも個人的にとても心惹かれ大好きな作曲家の一人に、ご存知かどうかどうかわかりませんが、リリ・ブーランジェがいます。語るとまだまだ長くなりますので、このあたりで・・・。
YC-30様
ゲストの犯人役の話だったのですね!確かにそうですよね!
納得です。福山さんの犯人など、まさに心の闇、といった感じでしたよね。
リリはナディアブーランジェの妹だとは知っていましたが、教師だと思っていました。教えていただきありがとうございます。これ以上音楽について書くと叱られそうなので、叱られ名人アイスは近々別のエピソードのところでまたお邪魔してコロンボに絡めてリリを聞いた感想など書かせていただきます!
YC-30様
小池朝雄さんについては知りませんでした。
いろいろ調べているところです。
貴重な情報をありがとうございます。
YC-30さん、
当時アメリカで暮らしていたのでドラマの音楽といい色合いといい80年代の西海岸を思い出しました。日本人の扱いも最初のシリーズだは英語がわからない使用人だったのが富豪と商談するまでになっていました。バッチェラーマガジンに近い雑誌もあった記憶があります。TV番組もありました。
続けての投稿です。
シャーロック・ホームズの作者コナン・ドイル自身が書いたホームズもののパロディに「ワトソンの推理法修業」How Watson Learned the Trick という掌編がありますが、「だまされたコロンボ」を見て、それを連想しました。
ホームズは、依頼人などある人物の外見上の特徴を観察しただけで、どんな人物かを言い当てて、相棒ワトソンが驚嘆する、というのがホームズもののお約束の場面となっていますが、この掌編は、ホームズを同じようなことをワトソンが行い、いかにもそれらしい説明をホームズにするものの、実はその推理はまったく間違っていた・・・という内容です。つまり作者コナン・ドイル自身が、原典でのホームズの超人ぶりを笑い飛ばしているわけで、ホームズファンの私も気に入っているパロディ作品です。
コロンボも、早い段階から犯人を見破ってどんどん追い詰めていくわけですが、毎度まいど敏腕ぶりばかり発揮するのもいかがなものかと制作陣が考えて、違った視点から作ったのが今回のエピソードなのでしょうね。同じ”違った視点”でも、旧シリーズの「さらば提督」よりも面白く見れた作品でした。”違う”といっても、「初夜に消えた花嫁」まで変わってしまうと論外といえますが・・・。
ブルーレイで久しぶりに再見しました。セリフで名前だけ出てくるスコットランド・ヤードのダーク氏の肩書きは Chief Superintendent となっていて、そういえばと気になり「ロンドンの傘」も見たら、同じでした。つまりダーク氏の地位肩書きは変わっていないことになります。出世したように思えるとしたら、あくまで日本語版の翻訳の違いによるもの、ということになりそうです。
このエピソードは、新シリーズでは出来がよいと思えた初めての(そして数少ない)作品でした。女性モデルたちをこれでもかと登場させるようなこうした作品は、今ではもう制作できないかもしれませんね。
記者会見の場面で出てきたのは明らかにブルース・カービーだと見受けられますが、原語で「クレーマー」という呼びかけなどが入っていたらよかったのですが。同じ俳優が演じる脇役刑事が複数のエピソードに出てくる場合は、人物名も統一してくれたらファンとしてはうれしいですが、アメリカのテレビの制作陣はこうした点には無頓着なのでしょうかね。
初めてコメントさせていただきました。私もコロンボファンです。
二人の仕組んだ失踪劇というお芝居の後、ダイアンから会社売却を聞いてしまい、もう贅沢な暮らしが出来なくなると知ったショーンが、衝動的にダイアンを殺した…とずっと思ってたのですが…
最初からダイアンを殺すのが最終目的であり、会社の値打ちを上げると同時に犯行を混乱させるために失踪劇を仕組んだのであれば、ショーンは道化ではなく一級の計画殺人犯だなぁと、今ごろ気付きました。
ニセニセさん、コメントありがとうございます。
そういう考えもありますね!面白いです。
私は、ダイアンの殺害を決意したのは「本当に会社を売却することを知った時」かな〜と思っていました。衝動的というより「もうこの女は信用できない。この際、殺してしまえ。その最大の機会は、警察の信頼が失墜した今だ。」という感じ。
ダイアンがポンドで200万なら本気で売ると言った時、騙されたと気づいた表情を見せます。その後のダイアンの殺害手段や死体遺棄方法も、計画的には思えないかな〜。
失踪事件=販売部数が上がって今後も安泰=ショーンのアイデア
この計画には「ダイアン殺害も含まれていた」が、間違っているとも言い切れません。今後はそれも頭に置いて、見てみますね。
ぼろんこさんの返信コメント、大変参考になります。たしかに死体の隠し方とか計画的だったら荒いかもしれないですね。仮に…もし全てが計画的に(壁を業者に補修させてたのも最初から死体を隠すため)だったら…ショーン恐ろしいかも。そう言う見方すると、別の観点で楽しいかもしれませんね。
また、他の作品でコメントしたくなったら書きますね。
私もショーンのダイアン殺しは裏切られ、衝動的だと思っていたのですが。。
コロンボが最後ショーンに
「ダイアンさんはあんたを甘くみすぎてた。まさか自分を殺すための共犯者にされるとは思ってなかった」
と言ったので、おおおおショーンはニヤニヤしたりショックな表情してみたりだけれどやっぱり全て最初コロンボを騙すところから最後にダイアン殺害して会社を自分のものにするところまで計画していたのかーって思いました。
やっぱ新シリーズにはいっぱいツッコミたくなるけど、でも何故か同じツッコミ入れたくて観たい作品もあったりして、この「騙された..」も、なんか爆買いとか、謝ってばっかの秘書さんとか、プールサイドのモデルさんたちのポーズとか、笑っちゃうのわかってても毎回観たい面白い作品です。
「名探偵コロンボ」という作品は、殺人事件を起こした犯人を刑事コロンボが鋭い洞察力と推理力で追い詰めていくのが見どころなんでしょうが、
私はどうも大体いつも犯人側に立って話を見てしまいます。
刑事コロンボが凄すぎるんです、ほとんど序盤で犯人に見込みをつけてしまう。
最初は些細な直観やひっかかりから、そして状況と人間関係から動機や殺害方法を推理し、
推理をもとに恐ろしい執念で証拠を見つけ出す。
もちろんそういう事件だけじゃないですが。
なので、この作品。
このコロンボの推理が全て外れ、相手の手の上で転がされてどこまでも空回りしていく所は
少し小気味よくも感じました。最後の方は段々コロンボが可哀そうになってきましたが。
「だまされたコロンボ」というタイトルについても、馬鹿な私にとってネタバレには
なりませんでした。「どこで騙されるんだ」と身構えていて、「この女が身代わりってわけじゃないのか」とか「埋めたところがすごい意外な場所なのか」など色々思考を巡らせてしまいました。ダイアンがあっさり姿を現したときですら、「身代わりに整形させたか」
とまで考えてしまい…全くもって騙されました。
最後のシーン。昔見た時に壁の中から着信音が鳴る場面が怖く、若干トラウマになって記憶に強く残っていたんですが、はっきり言って蛇足のようにすら感じてしまいました。
シェーンが最初、どうもつかめないような性格で、冷静にコロンボを捌いていた
(もちろん狂言だったんで当たり前かもしれませんが)ところがかっこよかったんですが、
最後のお粗末な殺人とのギャップが…しかしオチとしては最高でした。
型破りな構成展開。上の方が「メタ・コロンボ」なる表現をしていましたが、全く同感です
それに加えて全体的な雰囲気、イアン・ブキャナンの演技(あの笑顔)、音楽が、
不気味さ、異質さを際立たせていると思います。
たまに見る私のお気に入りの一本です。
楽しいコメント、ありがとうございます。
私も本作品は新シリーズの中では、結構好きです。
純粋な「倒叙ミステリー」ではないのですが、
ショーン・ブラントリーが犯人であることが
前提のように話が進み、コロンボ的に感じさせますね。
こんにちは。コロンボ好きの私からすれば神サイトで、いつも楽しく覗かせていただいています。さて一点ご参考までに。最後のGOTCHAですが、これはこの場合『捕まえた』と解釈したほうが良いかと思いました。よく外国の子供たちがかくれんぼで相手を捕まえた時に使われる表現です。
ありがとうございます、早速書き換えます。
このエピソードから新シリーズを見始めました。作者がコロンボの特徴である倒叙法を捨てて新しい展開、意外性を持たせようとしていますね。再現ドラマシーンなど面白いと思いました。この回で一番興味深かったのは過去のシリーズのわき役たちがたくさん出ていたことです。ダフィー警部やクレーマー警部はうれしい登場です。名前だけだけどスコットランドヤードのダーク刑事部長(局長)も。愛情の計算の受付嬢がダイアンをやっていたとはぼろんこさんの観察はすごいです。見直しましたけどわからなかった。華やかな役でよかった。ショーンの愛人役でイチャイチャし続けのニンフ(原語ではモデルたちのことをそう言ってました)の名前は何でしょう。とても美しくいかにもプレイメイトにふさわしい感じでした。秘書の女性もとても気になりました。水着の子たちの中には好みの子はいませんでした。どうでもいいことですが。コロンボが彼女たちにいじめられたり馬鹿にされているのがちょっと悲しい。
ディードル・ホールが研究所の受付嬢というのは、データ情報でして、何回見ても同一人物だとは納得できませんでした。
BSで放送された録画を一週間遅れで見ました。懐かしいですね。金曜ロードショーで見たときは
「あ! ドラゴンボールのフリーザ様と同じ声だ!」
こんなことを思いながら見ていたものです。中尾隆聖さんは名探偵ポワロでも何回か出演されていますね。内容だけではなく、声を聞くことでも楽しめます。
私は「カーロス・リベラ」派(笑)
声を聞くことでも楽しめます>ほんとそう思います。
小学生のころ、旧シリーズを見た記憶があり、ノスタルジーに浸りながら視ています。ユニバのテーマ曲のレコードがないか、レコード屋さんにいった記憶もあります(当然なかったですが。。)。
旧シリーズでは、カーステのカセット、電話の留守録、または自動車電話や交換台を経由した電話と、70年代のアメリカは進んでいるなぁと感動していました。が、新シリーズでは携帯電話(巨大なやつ)や腕時計型ポケベルなど、技術の進歩を感じます。ウルトラ警備隊の腕時計に画像が映るのも当時は夢でしたが、今は当たりまえにできる時代なんですね。
だまされた・・は違う展開(プールに仕掛けがあるのかと思っていました)かと思っていたら、シンプルでしたね。上司から責められたらちょっとツライなぁ。
さくさくさん、コメントありがとうございます。
「文明の利器」と申しますか、その時代ならではの「ハイテク」を思い出すようで、面白いですね。
前半は完璧に騙されました。
逆に後半は「もしやこうなるのでは」と思った通りに進みました。特に最初の捜索で意味もなく壁を修理している箇所が出てきた時は最後に案の定。全体に話に無理があり過ぎますが驚かせてくれたのでヨシ。
犯人の憎ったらしさは傑出してますね。ブキャナンGJ!
自分には立川談志師匠の若い頃にそっくりに見えた。この人は何回結婚してるのか英語版wikiも見ましたが不明でした。
ラストは掘り返さずに次のようにした方がオシャレではないかしら。
コ
「ポケベルの音、ここから聞こえますね、壊してよろしいですか」
犯
「いや、もういい…」
コ
「そうおっしゃらずに。
じゃあちょっとだけ。
腕はこの辺ですかね?」
犯
黙って指差す
コ
掘ると手が出る
“GOTCHA”
ラストの演出、ありがとうございます(笑)
ブキャナンは、柳沢慎吾説、田原俊彦説など‥諸説あります。後日、まとめてみます(笑)
わはは、
今回は中山ヒデちゃんに見えました。
何年も読むばかりでいましたが、突然思い立って書き込みします。
急に言いたいことがあったわけじゃないんです。何か楽しそうで。
「買いまくり」は笑っちゃうポイントでした。しかも時間、刻み過ぎの1分とか2分とか。唐突に出かけるまでも10分とか。
今回は何というか、取り返すほどのスカッと感もあるものの、イライラする時間が長かったですね。犯人役の俳優さんが上手ということなんでしょうか。
シャワールームと美女はサイコを少し想像させるなと個人的には思いました。ポケベル、テロ対策の監視カメラ等、時代背景の描写を盛り込むのは新シリーズの得意とするところなのでしょうか。
いずれにしても、見るたびに発見のあるコロンボ様、大好きです。
今後とも皆様どうぞよろしくお願いします。
確かに「イラっとする」シーンが多い気もしますね。でも面白い作品です。
色々ツッコミどころもありますが、私には、新シリーズで初めての当たり作品です。
ちょうどたまたま、このコロンボを観る前に、ドラゴンボールの超ブロリーを観たので、犯人がフリーザ様並の悪党に見えて仕方ありませんでした。
同じ日にアンパンマンを観ていたら、バイキンマンに見えたかどうかは、定かではありませんが(⚈ ̍̑⚈͜ ̍̑⚈)♡♡
コロンボ作品を観た後は、こちらのサイトにおじゃまをして復習させて頂いている者です。 今回、初めて投稿いたします。
この話は、雑誌の名前が違うだけで、いわゆる「PLAYBOY」の世界ですよね。「ビバリーヒルズ・コップ2」にでも触発されたのかなw
PLAYBOYマンションでの生活が、そのまま反映されているような気がします。モデル達と暮らし、プール、日光浴、スポーツetc…
実際には、テニスコートやジム、サウナも完備されています。ゲームルームもあって、そこではピンボールマシンやビリヤードも楽しめます。ただ、コロンボの他の話で使ってしまっているので、今回は出て来ませんでしたねw
敷地内には、小さな動物園もあるので、あれだけの動物を出演させたんだと思います。フラミンゴが出てきた時は、パクリ過ぎだろと笑っちゃいました。
警部とティーナのやりとりで、「あなたが映画会の席を立った」というセリフがありました。これも実際に、小さな試写室があって、よく映画やビデオの試写会や鑑賞会に使われています。かなり、忠実に再現されているのではないでしょうか。
48話「幻の娼婦」で、暖炉のある寝室が出て来ますが、これがヒュー・ヘフナーの寝室っぽいと観たときに思ったものです。
ただ今回、投稿しようと思った理由は、好きな女優さんが出演されていたからなんです。途中、どこかで見た顔だなと思い、観終わってから調べてみたら、やっぱり彼女でした。
サンドラ・ワイルドという女優さんですが、とりまきのモデルの一人で大した役ではありませんでしたね。シャトー内の大捜索の時には黄色いビキニを、買いまくりに行く時のリムジンの中では赤い服を着ていた方です。
言ってしまえば、彼女はセクシー路線担当です。ですから、出演作も少ないしB級映画ばかりです。グラマーなブロンド美人なので、男性陣や製作者サイドが、そういう目線でしか彼女を判断しなかったと思います(残念な話ですが…)
だからまさか、彼女をコロンボで見る事が出来るとは思ってなかったので、嬉しかったです。
最後になりますが、ヘリに乗ったり、ハシゴに登ったり、警部は高い所を少しは克服したのでしょうかww そして、警部の車のナンバープレートが、過去いちばんと言ってもいいぐらい、しっかり付いていて安心しましたww
つまらない話で大変失礼致しました。
色々鋭い!!
とっても楽しく感想文読ませていただきました(≧∀≦)
ぽろりんさん、コメントを編集しておきました。これからも、どうぞ楽しいコメントをお書きください。
HIROさん、コメントありがとうございます。たいへん楽しく拝読いたしました。
「PLAYBOY」の世界>そうですね、そう思います。
サンドラ・ワイルド情報も、ありがとうございます。後日、調べてみますね。
運転手のコスナーの顔を見てあっ!と叫んでしまいました
ドラマ「ブレイキングバッド」で超重要な役でブレイクした俳優さんですね
脇役ながらエミー賞にもノミネートされたとか
その続編の「ベターコウルソウル」にも出ています
かなりの高齢ですが今が一番「旬」という珍しい役者さんです
運転手のコスナー>さすがです。一目で、良い俳優さんだと思いました。
「倒叙式だから、直接描写がなくても最初に事件が起きる」という
視聴者の思い込みを利用した、うまい脚本だと思います。
(雑誌を売るためだけにそこまでやるか?とは思いますけど)
確かに「パイルD3」にも似てます。
最後の詰めの甘さは何とも…。家の中の工事してるシーンが何度も
出てくるので、隠し場所はじゅうぶん予測できましたが、
そんな音の出るもんつけたまま埋めるなよ、と。(たとえ自分しか番号を
知らないとしても)
私が好きな映画「ビッグ・リボウスキ」で大富豪の役を演じてる
デイヴィッド・ハドルストンが市長(?)の役で出てました。
OPでクレジットされてるのにほんのちょっとしか登場しないのが残念。
R-7さん>デイヴィッド・ハドルストン情報、ありがとうございます。調べてみます。
共同経営者2人による狂言にコロンボが騙されるという筋書きは、そこそこ楽しめました(邦題のせいでその意外性は半減していますが)。
一方で殺人については、トリック云々以前に全く説得力が感じられませんでした。ロサンゼルスのみならず全米、全世界のメディアの耳目に触れた渦中の「元」失踪者がまた行方不明になったら、どう考えても相方ショーンがまた疑われるでしょう。
ダイアンが二度と生きて現れないのだから、ショーンは永遠に疑われ続けます。あのコロンボを騙すぐらいの大仕掛けを成功させたくせに、肝心の殺しについては「完全犯罪性」が弱すぎて犯人がただただマヌケに見えます。せっかくコロンボシリーズで犯人になるのなら、もう少し知性や誇りをもって殺人に挑んでもらいたいです(!)
確かに‥邦題がイケてません。
アイデアは悪くないですが、ポケベルでわかるというのがどうも簡単過ぎるのと隠し場所がねえ。パイルの時のように埋めればよかったのに。
あんな広い家なんだから。
そういえばこの家はビバリーヒルズの豪邸の割に内装がイマイチ。
撮影は違う場所かもしれませんね。
あの家であんなボロなドア材使わないでしょ。
最初にかかる曲はこれ
https://youtu.be/UtvmTu4zAMg
これぞバブル期という音楽ですね。
第二シーズンは無駄なシーンが多いです。自家用ヘリに高級シガー。ブレスレット型の金のポケベル!
S.R.Vさん、情報ありがとうございます。
「ファイン・ヤング・カニバルズ」の「She Drives Me Crazy」という曲。
これ、大ヒットしましたね。
ダフィ(?)本部長とクレーマー(?)刑事に
再会できました!
ストーリーのアイデアは良いと思いますが、
タイトルがぶち壊しにしてますね。
タイル工事もミエミエでした。
コロンボを視聴したら毎回こちらのブログを覗きに来ております。
私のファーストコロンボは新シリーズからだったので旧派の皆様ほど違和感なく新シリーズを楽しく視聴しております。
新シリーズアレルギーな意見が想像以上に多く見られ、心の中で「旧だって評判良くないのたくさんあるだろ」なんて思いながら皆様の感想を拝読しておりますw(私は旧シリーズも新シリーズもどちらも大好きです)
「だまされたコロンボ」…タイトルがこう来ちゃうと狂言とかグルだなとか薄々わかってしまった状態で見ていたのがちょいと残念な気がしましたが、それでも最後のコロンボが電話をかけてポケベルのアラームが鳴った時には思わず「お〜!」ってなりましたw
憎たらしい偽トラボルタ、安葉巻を取り上げられて高級葉巻を勧められるコロンボ、クソ長いリムジン、ハイレグ水着で野球してる金髪美女達…見どころ満載の楽しい作品でした。
「旧だって評判良くないのたくさんあるだろ」とは、私も思います。
この作品は特に「80〜90年代っぽい」ので、賛否両論ありますね。
私は決して嫌いな部類ではありません。
名指しですが「ルーサン警部の犯罪」なんかより、こっちの方が好き(笑)
ラストはポーの「黒猫」を思い出しました。
ダーク氏は出世したのではなく、単なる訳し間違いではないでしょうか。
「ロンドンの傘」でのダーク氏の肩書きは、英語で「Detective Chief Superintendent」でしたが、これを部長と訳すか局長と訳すか、微妙です。警視長の刑事なのか刑事部長の警視なのか、わかりにくい。内務省本省に異動したんならまだしも、スコットランドヤードのままなら、刑事部長が刑事局長に昇進したなんておかしいと思いませんか?
「だまされたコロンボ」ではダーク氏は顔を出していないので、出演者リストでは調べられませんが、英語圏のファンサイトや、IMDbのTrivia欄などをいろいろ見るに、ダーク氏の肩書きは変わっていないのではないか、という気がします。その道一筋のコロンボはともかく、ダーク氏のような官僚がこれほど長期間刑事部長のまま、というのはかなり不自然ですけれど。
なるほど。勉強になります。
雑誌バチュラーズが70〜80年代隆盛を誇った米国プレイボーイに、「シャトー」がプレイボーイ帝国、ブラントリーがヒュー・ヘフナーに見えてしまいました。
いずれにしても現代の世相には受け入れられないでしょうね。
ブラントリーが取り巻きの女性を大事に扱っている様に見えるのがまだ救いでした。
予想はしてましたが、コロンボがニヤついていましたね。世の男性に遠からず、若い娘に絡まれると演技以前にニンマリしてしまうのではないかと(笑)
僕は当時の風俗を含めて楽しんで観ました、犯人に同情の余地はありませんが。
一度は芝居に完膚無きまでに騙され、面目丸潰れになったコロンボ。
にも拘わらず二度目の失踪で本部長命令を無視して犯人宅に急行し
勇み足の空振りで終わった「替え玉説」を再度構築するところに
コロンボの自らの推理に対する信頼、矜持のようなものを感じました。
同じ失敗をして恥の上塗りになることを恐れて、なかなか普通の人には
出来ないことだと思いますね…
一度は見た筈なんですが、まったく思いだせませんでした。今、いま改めて観ると80年代末の繁栄の薄っぺらさを反映(笑)した「コロンボ」とでも言うべきでしょうか。
あ、遂に相棒「ドッグ」が出てこなかった。
「コロンボ」の定石パターンそのものを展開しておいてそれをトリックにする、こういうのを「メタ・コロンボ」とでも言うのでしょうか?(知らんけど)但し、そういう構成上の仕掛けの面白み、コロンボの推理のインフレ状態(笑)ラストの古典的ともいえる犯人の錯誤と陥穽劇の鮮やかさと、犯行動機、薄っぺらい贅沢さが組み合わさって効果をあげてはいない、って感じです。
前半完璧に騙されました。叙述トリックの小説を読まされた気分。
後半はもしやこうなるのかなと、思った通りでした。
前後半とも相当無理があるが面白かったのでよし。
犯人の憎ったらしさは特筆もので俳優さんを検索してしまいましたが既婚か否かは英文wikiでも不明(何回結婚してるかを知りたかったんですが。)
若い頃の立川談志に見えました。
最後はポケベル音が響いた場所で、掘り返さずに犯人が「もういい、わかった」で終わった方が洒落てたんではないかな…
ついさっき、BSで見終わったところです(‘◇’)ゞ
個人的には、細かいツッコミどころも包括して楽しむタイプなので
全体のプロットが秀逸なら満足。その意味で今回も非常におもしろかったです。
死んだはずのダイアンが笑顔で登場したときは、
「え?!」と声をあげしまい、頭クラクラの衝撃を体験できました。
「じゃ…あの空港でのクリームはなんだった…!?」と叫んだくらい(笑)
すっかり制作側の手のひらで楽しませていただきました。感謝
で、それとは別にシンプルな疑問として、こういうやり方をすると雑誌の部数がはたして増えるのだろうか…? たとえば、米VOGUE誌で同じような事件が起きたとして、世界の人たちは「へー、アメリカでそんな事件がね」と他人事として受け止めるだろうが、「ならば定期購読をしよう!」などという発想を持つ人は、普通に考えていないだろう。それが一番不思議に感じたことです。犯行の起点もそこにあったわけですしね。
まぁ、繰り返しになりますが、作品そのものはとても楽しめました。満足です。
NHKのBSプレミアムでの再放送を見ました。
ここで今さらながら驚いたのはシャトーの庭でトナカイが飼育されていたことでした。
トナカイは唯一家畜化されたシカの仲間としても知られておりスカンジナビアでは貴重なタンパク源として昔から飼育されていますが、
温暖なカリフォルニア州では飼育にはあまり適さないからです。(実際に日本の一部の動物施設では夏の暑さに耐えられないため冬季だけ那須や北海道などの動物施設から借り受けるようにしています)
そういう意味では犯人は「悪い飼い主」であると感じました。
衝撃のラストシーンが印象的です。ホリスター将軍のコレクションを思い出しました。コロンボのシーンとしてはかなりグロですね。
はじめまして。
オープニングのキャストの名前が出てくるシーンで、「ALAN SCARFE」が表示されているカット。
手前の水着美女たちに目が行ってしまいますが、左奥を見てみるとコロンボの姿が!
恐らくは別シーンから切り取ったものを使いまわしたものと思われますが、小ネタ発見でした笑
オープニングのコロンボ今、見つけました!笑
初期のころのコロンボは水着姿の女性を見ると恥ずかしそうに眼をそらしていましたが、この時のコロンボはちょっと嬉しそうにチラ見してますねw
みました、笑えます、すごい発見。
オープニングで既にコロンボがいる、というのはその気で注意すればわかりますが、劇中の進行を考えるとすごく不自然な話ですね。まだ事件は何も起こってないんだから。
実はさらにその前、「COLUMBO CRIES WOLF」というタイトルが出てリムジンがこっちに走ってくるシーン、右奥にコロンボカーがいるんです。この年代にこんな旧車乗ってる人、他にいるわけない。
まさか、コロンボはビバリーヒルズ在住だったんでしょうか? そんなに給料もらってる? ピーター・フォークならまだわかりますが。
監督がどういう意図でこんなシーンを撮ったのか、謎は深まるばかりです。
>左奥を見てみるとコロンボの姿が!
スクリプターさん、ちゃんと仕事してよ!と思います。
それとも、何か意図があってわざとなのでしょうか?
完全に騙されました。今までに無かったパターンでしたね。ストーリーとしては斬新だったと思います。
また90年代初頭の雰囲気が良く出ていて、懐しかったです。当時最先端のポケットベルが、ラストで効果的に使われていました。イアン・ブキャナンの悪党ぶり、ニヤニヤ笑いも個性的でしたし、新シリーズの中では力作に入るのではないでしょうか。
しかし、ハイレグ水着美女のオンパレードにはちょっと閉口しました。モデル達を十把一絡げに扱っていて、軽薄さだけが強調されてる感じがしました。
新シリーズに入ってから、この手の派手な演出が多い…しかもそれが良い方向に働かず、逆効果になってしまってるように思えます。
最後にイアン・ブキャナンについて。皆さんのコメントを見ると、田原俊彦、柳澤慎吾に似ている(笑)というご意見が出ていますね。私は、ジョン・トラボルタに似ているなぁと思って観ていました。(彼もゲストスターとして出演してもらいたかったです)
「ジョン・トラボルタ」ですよ、まさに。
シャツの第一ボタンまでしっかり留める、80年代着こなしですね。
この着こなしの元祖は、矢沢永吉さんらしいという説が。
ショーンの声、どかこで聞いたな?と思ってたら、カーロス・リベラでしたか。
「あしたのジョー」史上最高の伊達男。
後楽園球場での、あまりにも美しい殴り合い。
イアン・ブキャナンは柳澤慎吾にしか見えなくて辛い!
私も騙されました。
子細に見れば変なところ多数ですが、この作品に限ったことではなく、コロンボシリーズ全般にその傾向と思うので・・・
ただ、死体を壁に隠す件はちょっと、現実的にどうかな?と思われ。ポケベルつけ忘れも含め、やや強引な幕引きに思いますが、絵的にはいいんでしょうね。
(袋にくるまれた被害者が美しい・・・)
被害者、美しいですね。
前半戦で被害者(なりすまし?)が入国審査のきびしいイギリスのイミグレを通っているあたりから、「なんでこのへん調べないんだろう?」と疑問には思ってました。邦題を思い出すと「ヤラセ」というのが直感的にわかってしまい、その視点でみると妙に冷めて見れます。後半も旧編からの古典的方法で強引に幕引きして個人的には評価の低い作品です。
なぜかな、私もちょっと苦手感がある作品。
ツァバールさん、なつさん、コメントありがとうございます。私もこの作品、結構好きになってきました。コメントをくださった皆さんにも敬意を表して、2票追加します。
初めまして。
BS再放送分を録画して、平日の夜は楽しんで観てます♪
いつも、こちらのブログで情報を仕入れて自分の知識を下準備してから観ると、面白さが違います。
素敵なサイトをありがとうございます。
この作品、私は嫌いじゃないです。
最後の「GOTCHA」には、思わず画面の前で拍手してましたもの^^;
またお邪魔させてくださいね。
「GOTCHA」のシーン、私も好きです。
突っ込みどころはいろいろありますがシナリオとしてはよくできていると思いました。(初めにダイアンは殺されたと思いましたからね。私もだまされました。雑誌の発行部数を伸ばすための策略と知ってなるほどー、でした。)
突っ込みどころとしては、運転手が銃声を聞いて外に飛び出したら、まずリムジンのドアを開けてダイアンの無事を確認するだろう、ということ。
ただ、そうすると別の展開にしなければいけない。「これはないだろう」と思われない自然な筋書を書くのは至難の業なんでしょう。観る方としては突っ込みどころを探すのも楽しみのひとつなんですが(笑)
それにしても毎回どでかい車がでてきますが、今回のリムジンはすごかった。多分リンカーンコンチネンタルだと思いますが9メートルくらいありそうでした。あれで路地に入っていくって恐ろしい。
最後のオチはなかなかのものでしたけど人間の入った袋を壁の中に入れられるの?って思いました。
今回、コロンボに元気がないのが気になりました。今までの犯人役の中でもトップクラスのいやらしさのブラントリーをネチネチ攻めてもらいたかったのですが、ずっと負けてましたね。
ノベライズ版である刑事コロンボ「消える女」(二見文庫)に拠ると、アメリカン・カスタム社がリンカーンの上級モデルを更にグレードアップした超高級リムジン「セント・トパーズ」だそうです。後部座席は宛らダイニング・ルームの様な造りになっていて、テーブルとソファーのセットが据えられ、木製のキャビネットやミニ・バー、エアコンやテレビまでが装備されているそうです。
どう観ても、コロンボの勇み足だったことは否めない。
いつもなら、犯人が勇み足をして逮捕されるんだが・・・。
そこで珍しく、犯人ではなくコロンボを擁護してみたい。
判官びいきなのでね。
コロンボが、ここまで見事に勇み足をしてしまった背景には、
ショーンに殺人犯としての何かを感じ取ったからだ。
「殺人講義」においてコロンボは「この自分の鼻について行きます、
もし臭いを嗅ぎつけたら、解決の為ならありとあらゆる事をやってみますね」
と言っている。ショーンから、明らかな殺害動機を嗅ぎとっていた。
つまり、遅かれ早かれ、殺害が実行されるろうと読んでいたのだ。
あれだけ状況証拠が整ってくれば、殺害動機の背景があるので、
暴走しても仕方ないですね。
「パイルD-3の壁」でパイルを掘り返した場面と似ていますね。
同じテツは二度踏まない・・この常識を覆す。
会社の定款から、更に殺害動機が明確になる。臭いが確信へと変わる。
コロンボ信念の勝利と言える。
新シリーズの中で数少ない秀作だと思うんだけどなぁ・・・
大駄作というなら「幻の娼婦」とかの方がよっぽど大駄作ですよ
先日の放映に関して色々、意見が出ていますね。
ただ、強いて挙げれば「被害者と加害者がグル」
というケースがコロンボの過去の事件からくる
経験という引き出しに無かった事でしょうか。
ただダイアンが現れ再度、姿を消した後の即断
の行動は「パイルD3の壁」の経験が生きたか。
相棒レビンソンを失ったリンク原案との事で
犯人がリンク自身の自己投影だったかもしれません。
コロンボの良さを全て殺した大駄作だと思います。
見ていて非常に長く感じる作品でした。
観終わった追記です。ピーター・フォークの義眼が痛々しく見える…
袋詰めの女性の死体。
「ダイアン」連発。
“ピーカー”へのアピールが半端無いですね。
それを『ツイン~』吹き替えスタッフとキャストが迎え入れてくれたなんて、泣けます。
BS-TBSで放送中です。HDリマスターでモデル達の美肌も小ジワも明瞭に。この残酷な格差は地上波初放送の時は無かった(赤面)
吹き替え版好きにとってイアン・ブキャナン=中尾さんの配役は『ツイン・ピークス』で記憶に焼き付いた組み合わせ。放送局が違うけれど『ツイン~』の吹き替えキャストが何人も呼ばれているようで、同じサザエさんスタジオで収録、翻訳の額田さん演出の左近允さん、プロデューサーまで同じだったのではないかな。
コロンボはミステリードラマの脚本家は大概観ているようでトリックも真似したくて仕方が無いらしく、「別れのワイン」もどきのストーリーが『相棒』で最近放送されていました。貫地谷しほりさんのドラマ『キミ犯人じゃないよね?』で狂言失踪の展開を観て「あれ?このトリックは…」と思い出したのが当話。貫地谷さんの出演した『警部補 矢部謙三』のある回で「殺しの序曲」のコインの問いが出て来ます。かなり台無しだった(苦笑)
ロンドン警視庁関係者
ダーク犯罪捜査局刑事部長(ロンドンの傘)
ダーク刑事局長(だまされたコロンボ)へ昇進していた。
無理くり感がてんこもりな内容だった。
まずはじめに、どんでん返しのストーリー構想があって、それに肉付けする
ために矛盾をはらんだ内容にせざるを得なかった感じがする。
ここでも死体が出てないのに、ビシバシ動いている。
ロス警察にルール変更があったというのか?。
最近撃たれた証拠のある拳銃を始末せず、そのまま飾っておくというのは
完全犯罪を遂行する知能犯としてはおかしい。
コロンボは、知能犯であればミスをするはずのないのことを不自然と思うはず
だろう。コロンボは、常日頃から不自然を見逃さない。今回は、何故引っか
からなかったのか?。
ダイアンが出国する時は、係からパスポート写真と本人写真とをチェックされる
はず。よって別人であるはずがないだろう。ただ替え玉となると、極めてよく
似た女性を探してくるか、整形手術で似せるという方法はあるが、そこまで
込み入らせる余裕もない。コロンボが替え玉説を採る理由がまったく分からない。
庭のあちこちを掘り返していたが、埋めた形跡のある場所のみでも良いのでは?。
共犯者のあたりも、まったく根拠がない。
死体が出てないのに逮捕するなんて、まったく行き過ぎにもほどがある。
今回のコロンボの持っていき方は、こういう基本的なことや不自然さをないがしろ
にしたままで、何故、ダイアン事件説に固執したのか?。
初めて見る方にとっては、どんでん返しの驚いて細かな矛盾まで見えないだろう。
タップおばさん>おぉ高評価ですね!イアン・ブキャナン=名犯人ですよね、1票加えておきます。
新シリーズにおいては数少ない傑作回ではないでしょうか?
イアン・ブキャナンがお見事です。
ラストは「何故そこをしくじった?」という感がありましたが、間違いなく名犯人です。
吹き替えの中尾隆聖さんがまた素晴らしい存在感。
世代的にフリーザ様のイメージが強く、吹き替えのイメージがなかったんですが、
不気味さと胡散臭さがにじみ出た名演です。
ada-aiさん、書き込みありがとうございます。「買いまくり」ですね…。私はサザエさんのバーゲンのシーンを思い出しました。「テンションの高い中山秀征」も笑えました!
「買いまくり」って、経費で落とすんでしょうかね?
雑誌社が専属モデルに着せるんだ、という理由なら、経費だと言い張る理由には一応なりそう。
すると、「シャトー」の不動産も自動車も、みんな雑誌社の法人名義か。みんな経費か。
オーナー経営者とはいえ、経費で豪遊してたら、なんかセコい感じがしますね。
こんにちは、二度目に書き込ませていただきます。
この作品は中学の頃、出会ってすぐ位に見た覚えがあります。
その時からこの「シャトー」の異質さは理解していましたが、何をおいても「買いまくり」という名言(名翻訳)がぴか一だとおもいました。
ちなみに私はこの犯人がテンションの高い中山秀征に見えました(笑。
吹き替えの中尾隆聖の声が中山秀征に似てるので、よけいにそう見えてしまいます。
「田原俊彦」さん「柳沢慎吾」さん、どっちもありますね。若い頃の植木等さんにも…。
私には柳沢慎吾に見えます。
それから、この「GOTCHA」は「捕まえたぞ!」かな。
通りすがりさん、私も同感です(笑)顔の骨格が良く似ていますね。
土曜日にBSで見た時、イアン・ブキャナンが
アメリカ版田原俊彦に見えました…。
どうでもいい話ですいません…。