- 2021 NHK あなたが選ぶ!思い出のコロンボ[第8位]
- 犯人役ゲストスター「ジャック・キャシディ」特集記事。
- 「エアオールウェイの豪邸」同じ家の特集記事。
- ケン・フランクリン「メルセデス・ベンツ・コンバーチブル」
カメラワークやライティングがスピルバーグ的?
演出が若き日のスピルバーグ監督というのは有名ですね。絵作りという着眼点で見ると、他の作品と大きな違いを感じます。まずは、構図の大胆さです。俳優同士の顔がくっつきそうになる程、近くで会話していたり、女優の横顔のシルエットでその場面を深く印象づけたりしています。全体的に画面が暗めなのも特長だと思います。特に夜のシーンでは、不気味な程に室内を暗くし、手前の人物の影が話し相手に重なって不気味な効果を出しています。
やはりこのカメラワークやライティング(照明)は、この1回きりで良かった…とも感じます。そこばっかり気になってしまい、本筋がおろそかになっているように見えてきます。
書けない作家ケン・フランクリン

人気小説「メルビル夫人」シリーズ

ウソが本当に思えてくる

ジャック・キャシディ
バーバラ・コルビーは迫真の演技

ここ一番でセクシーなラサンカ夫人

ジムの奥様ジョアンナ

劇場でケンと一緒にいた美女

ケンの家の家政婦

バーニー・クビー

ホット・ドッグの屋台

取調室の警官

邦題の「構想の死角」について
仕事柄(笑)毎晩のようにネットでコロンボ情報を調べているわけですが、「高層の死角」という森村誠一さんの推理小説が存在します。1969年に出版されました。この「構想の死角」の2年前です。第15回江戸川乱歩賞も受賞している有名な小説です。何か関連性があるのかな…。
**これより数行は妄想的加筆:2021年2月
深く考えてみると、とても面白い。
決着の付け方に「スカっとした切れ味」がなかったというご意見が多いです。コロンボから第二殺人のお粗末さを指摘されたケンは、第一殺人の優れたアイデアも自分によるものであると主張し引き換えに罪を認めました。これは見ての通り。
ジムの「見逃し」と「うろ覚え」。
ジムは作家としての推理力に非常に長けています。冒頭シーンで銃を構えたケンを見て「手袋」「引金」「空のシリンダー」などを一目で見極めました。なのに殺された時は「手袋をしている」「ソファの上に不自然なビニール」などを見逃しています。しかも車中で「なんだか嫌な気分だな、昔ここらに来たような‥」とも言っていて、どうやら以前ケンから聞かされた殺害方法のヒントを思い出した様子でした。
さて、ジョアンナも初動捜査で警察が来た時に「主人が書いた小説でこのようなトリックがあった」と言っていますが、実際には小説には採用されていません。でもジョアンナやジムの頭にはケンのアイデアの記憶が薄っすら残っていました。
印刷物はコロンボが捏造した証拠?
コロンボは解決シーンで、裏面に第一殺人のトリックがズバリ書かれた印刷物を取り出し、「メルビル夫人用完全犯罪のトリック」として文面を読み上げます。でもこれは今日、オフィスでコロンボが発見したとは考えにくいです。警察が初動捜査で見逃すとは思えません。これはコロンボが書いた偽の証拠かのかも‥。
この殺人劇こそ、ケンが書き上げた傑作。
そしてもしも、これがジム本人が書いたのなら、彼は殺される直前に気づくはず。ケンが5年前に考えた本当のアイデアとは「ジャックとジルは山へ行き、一人は死体で戻る。さてそのトリックは‥」程度の、そう、割と稚拙なアイデア書きで、肝心のトリックは思いつかなかったのかも。それに対し今回の第一殺人のアイデアやトリックは、紛れもなくケンが書き上げた最高傑作だったかもしれません。
掟破りの‥セリフ添削。
ぼろんこがケン・フランクリンのセリフを少し書き換えてみます。コロンボが印刷物のメモを読み上げ、それを止めたケン「そりゃデタラメだよ。それはジムが書いたものじゃない。初めの殺人トリックは、確かに僕がジムを殺すために考えたものだ。どうだね?傑作だろ。僕にだってメルビル夫人は書けるのさ。」THE END.
**2021年の加筆ここまで
ケン・フランクリン邸はエリック・ワーグナー邸
ケン・フランクリン邸は12話「アリバイのダイヤル」のエリック・ワーグナー邸としても登場します。(スタール邸だと勘違いしていましたが別の家でした)
エアオールウェイの豪邸

監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:スティーブン・ボチコ
ケン・フランクリン:ジャック・キャシディ(声:田口計)
リリー・ラ・サンカ:バーバラ・コルビー(声:林洋子)
ジム・フェリス:マーティン・ミルナー(声:堀勝之祐)
ジョアンナ:ローズマリー・フォーサイス(声:野口ふみえ)
生命保険屋:バーニー・クビー
劇場の女性:アニトラ・フォード
劇場の婦人:エセルレッド・レオポルド
劇場の老婦人:レオダ・リチャーズ
レポーター:リネット・メティ
運送屋:ジャック・グリフィン
家政婦:エリザベス・ハロワー
警察官:マーク・ラッセル
加筆:2024年11月4日
ミステリファンとしては、メルビル夫人シリーズって、どんな作品名なんだろう?と気になりますね。
そこで、ジムが本を指しているところ(3分53秒あたり)を見て、書籍名をあげてみました。
Mrs.Melville in London
Mrs.Melville in Court
Investigates
Favorite Murder
New York
Escape
Death of Mrs.Melville
Challenge
Adventure
High Seas
うーむ。。なんか適当な題名が多いですね 笑
「Escape」とか「Challenge」とか「Adventure」なんて作品名はないですよね。
逆に気になるのが、「Death of Mrs.Melville」です。メルビル夫人は死んでしまったのか・・・・・・
なお、「 Mrs.Melville in Court」の隣にある2冊は、どうしても判読できませんでした。悔しい~
ディヴッド キャシディの実の父親!!!
刑事コロンボは、声優たちが素晴らしいですね!
アクセントやイントネーションをやたらと付け過ぎる現在のと違い、聴きやすくて、言葉使いも上品なこと!
あの頃は50年後の2020年にもなれば時代も意識も変わり、人種関係なしに結婚して、人種差別は無くなるだろう、、、、、意識改革も進むだろうと学校で教わりましたが。
2025アメリカでは肌に色が付いてるだけで、分断され住む世界が違う。 カラードたちは状況がより厳しい。 実際カニエウエストはしばらく日本に避難して住んでいたり、普通に銀座や裏澁谷で見かけたり。
物騒な世情でありますが、、、、、コロンボを見ていた頃は”将来はきっと良くなる”と皆んながそれぞれに、希望や夢を持っておりましたね、、、、、
私が70年代後半従姉妹に連れて行かれたのが、ディヴィッドキャシディのコンサート。
歌うたびに目がライトにキラキラ反射してカッコよくて。 何よりも歌がめちゃくちゃ上手い!
日本でのレコードセールスが好調で何度も来日しておりましたわ。
犯人役がディヴの父親!だなんて、知りませんでした。
76年頃から父の仕事について日本とアメリカ西海岸に住みましたが、コロンボであの頃ののんびりした雰囲気や大きな車!を見かけると、その度に胸がキュンとします。
その頃日本もアメリカも精神が大事にされ、世の中も”良い人、立派な人になろう”と共通の意識がありましたけど、今は、効率やタイパなど実存主義。 それと、あからさまにお金の話ばかり。
アメリカ日常生活ではチップが25%以上、毎回掛かるので。 しかもチップが足りないとレストランや係員から追いかけられたり。 私が小さい頃はチップが足りないなんて追いかけてくる事は皆無で和やかでしたよ?
もうあの頃のように、一晩寝たら、明日はもっときっと良くなる、、、、、
それを願い、眠りにつく。。。ような事は無いのでしょうか?
コロンボを見るたびに、、、、、
タイムマシンに乗った気分で。
あの頃を懐かしんでしまいます。
貴方様のハンドルネームを見た瞬間大興奮、感激でこのエピソードにあまり関係ない書き込みお許しください。私もコロンボ見ていた当時、AT40を午後早い時間でFEN(現AFN)を聞いて夜はゆっくり湯川さんの解説を聞くのが楽しみでした。好きなアーティストの歌はレコードに付いてくる歌詞カードの訳ではなく、自分で理解したいという気持ちから米国留学しました。後に結婚して住むことになり小さい頃から憧れていたアメリカ生活を存分に楽しむことできました。70~90年代ドラマ見るたび懐かしく思います。多様性は廃除され50~60年掛けて築いてきた和の世界が崩れ去ろうとしています。心の平安を感じるのは当時のドラマの世界だけなのか。。。コロンボに関しては書き込み可能な素晴らしいブログを維持してくださるぼろんこ様に感謝です。
思いがけずステキな御返信いただきまして、大変嬉しいです。☆
ありがとうございます。
コロンボを観ていると時々、背景に当時のAAT40の曲が自然と入り込んでいたりで、それに気付くとワクワクしますね。
あれから50年ほど経つなんて、、、、
今はどこも未来都市のようで、渋谷駅もB6階まで降りなければならず、街には日本人以外の人が溢れ、70年代の面影を見つける事は難関です。
なので無くならないうちに有楽町の交通会館を写真に納めに行こうと計画しております。
以下公になっている事なのですが、湯川さんは元夫を看取り、ひとり息子さんは外タレ招聘会社のトップとなり、坂井さんはフリーで活躍中。大高くんは今は無くなったレコード会社から番組制作会社社長で、矢口くんは現役。スヌーピーは離婚後帰国して花屋。佐藤愛子さんの娘は引退。 とのこと。(全て発表されている情報から)
刑事コロンボの劇中、オンエアー当時は、分からなかったところがこうして素晴らしい検証やガイド、ファンの気持ちまでをも知ることができて、とても楽しくて。。。胸が踊ります。
素晴らしいブログですね。
色褪せない刑事コロンボの魅力。
私たちは、永遠に煌めく宝物を持ち、分かちあい、輝かせ続けることが出来る、、、、、そのことに、ブログ主様にも、同時に感謝致したいと思います。
☆
また、お話し致しましょうね、、、、!
主様、御礼致します。
コメントありがとうございます。
内容に関しては、自分なりにいろいろ調べてから何かしら書きます。
コロンボのTVのみならず、ノベライズ小説まで読んだ私です。「構想の死角」は「別れのワイン」と並んでノベライズのほうも面白かったです。
ラサンカ夫人が、劇場に押しかけてから、レストランでイチゴを食べながらケンを脅迫するシーンでも、死者の身代金のエンディングの曲が使われてますね。既出ならごめんなさい。それにしても見るたびにラサンカ夫人の強烈感に引き込まれます。なぜか・・・
先日はNHKBS4K放送について記事にしてくださり、ありがとうございました。
毎朝起きるとコロンボが1話録画され、それを毎日観ることができるなんて…クリスマスシーズンなので時節に合わせますと、アドベントカレンダーを捲るように楽しんでおります。
コロンボ氏手作りのオムレツが出てきました。
焼くシーンに移る前に終わってしまいましたが、皆様どんなお味と想像されますか?
チーズが味の決め手かな…玉葱は千切りじゃないんだな…と細かいところまで見ました。
調理しながらの演技が自然で、さすがプロですね。
今回私がなにより注目したのは被害者の奥さま。
現場から送ってくれただけと思いきやそのまま家の中に入ってきた刑事に台所を貸し(私は無理です)、そんなコロンボ氏に劇中2回もおもてなしの珈琲を入れる奥さまのおおらかさには脱帽です。
犯人を追い詰める前に、コロンボ氏が思う真相を奥さまに伝えていました。
その上で容疑者被害者二人について思い出すこと全てを語ってもらいますが、オムレツエピソードで人間関係が築かれているあの奥さまだから頼めた仕事なのだと思います。
…いい文章じゃありませんね。
恥ずかしいですが、また感想をコメントいたしますね。
さっぽろスマイルさん、コメントありがとうございます。
年末にかけて、じゃんじゃん録画がたまって、嬉しいですね!
昨日は、森村誠一氏の訃報がありました。あらためて想起されるのが、この邦題です。私はやはり、日本側スタッフが同氏の乱歩賞受賞作のタイトルから思いついたシャレだと信じています。同氏は、あまり言及されていませんが、自著のタイトル付けの名人でデビュー作から常に店頭で目を引く書名だったと思うからです。
二年前にも私、同じことをコメントしてますね。もはや認知症進行中か。
前から森村誠一氏を読んでみたいと思って居たら先日お亡くなりになり、「高層
の死角」といる作品があることを初めて知ってびっくりしました。
調べてみたら書かれたのがこの作品の2年前なので???となっていました。
ぼろんこさんも指摘してらっしゃいますね。小笠原功雄様のコメントもなるほどと思いました。私にはどうしても母さんあの帽子どうしたんでせうねが浮かんでしまいますが高層の死角も読んでみたいです。意外と共通点があったりして。
刑事コロンボ完全捜査記録(増補改訂版)を見直したところ、ぼろんこさん、小笠原さんがご指摘通りのようです。69年江戸川乱歩賞受賞作である森村氏の「高層の死角」を意識して邦題をつけた、と書いてあります。
シャレというより、そのままじゃないですか(笑)森村氏の知らぬところで行われたのか?それとも事前に森村氏に許可を得ていたのか?分かりませんが…
森村氏の作品は「人間の証明」だけ読んだことがあります。映画もその後観ました。ひとつの殺人事件をきっかけに浮かび上がる戦後の混乱期に起きた1人の女性に起きた悲劇、一方見捨てられても息子が母親を慕う気持ち等、それぞれの登場人物の立場が理解出来るだけに、読了後何ともやるせない気持ちになったことを思い出します。
戦後昭和の世相を表す名作だと思います。
ラサンカ夫人迫真の演技というのには全面的に賛同です。
何しろ私でさえ思いましたから「このオバハン、こ
Huluでコロンボを観た後に、こちらのブログで小ネタや皆様の感想を楽しく読んでいます。
私も何度も見て気づいた小ネタを!
ケンと劇場で一緒にいた美女が着ていたパープルの胸元が開いたワンピースは、『死者の身代金』でレスリーが着用していたものと同じです。(レスリーが初めてコロンボと邸宅で会ったシーン)
既出だったらすみません。
カフェラテさん、お返事が遅くなりました。
確かに、劇場で一緒にいた美女(アニトラ・フォード)と、死者の身代金のレスリー・ウィリアムズが自宅で着ていたドレスは同じようです。ありがとうございます!
脚本のスティーブン・ボチコは皆さんあまりお好きではないようで。コロンボで好きなエピソードはこの人の話ばかりで、当時子どもの私の脳裏に無意識に染み込んだと思われます、これ以降のドラマでも感動するのはこの人の作品だと後で気づいて驚いてました。
昔の俳優さんって品がありますねえ。
ジャックキャシディさんはエレガントで自信たっぷりです。
ラサンカさんは登場するシーンでは大胆になっていって可哀想な人でしたねえ。
J’ACCUSE フランス🇫🇷語ですね。
週末にコロンボを見るの楽しみにしています。
クリスティの探偵はポワロですよ。
ラサンカ夫人が可哀相。
ケン役のジャック・キャシディさんがエレガントで風格がありますね。
一行も書けないなんてあらら
J’ACCUSEはドレフュス事件の冤罪を新聞に訴えたエミール・ゾラの見出しでしょう。勇気あるゾラも、この件で一時的にイギリスに亡命せざるを得なくなってしまった。
この作品を見ていて一番解せなかったのは電話の場面です。通話中に銃で殺すのがアリバイ作りになっています。つまり
1.ジムが「今オフィスで仕事が終わるまでまだ時間がかかる」と妻に話している。
2.その瞬間に銃声が聞こえ妻は夫が銃で殺されたと確信する。
3.オフィスに入った警官達は遺体も血痕も発見できない。
4.妻は電話がオフィスからかかったと思い込んでいる。(実はケンの別荘から)
映像はこうなっています。しかし通話記録があるならこのトリックは成り立ちません。相手の発信電話番号も記録されているはずです。(現在なら) 要するに当時のロサンゼルスではどこからの発信でいつからいつまでの通話という記録がないんでしょうね。
その後コロンボがケンに「サンジエゴの電話局に確認したら貴方は別荘から奥さんに電話をかけてますね」という。 これは一体どうなっているのか? ここで思い出すのはケンは雑貨屋から公衆電話を借りて交換を通して電話。ケンは直通電話のかけ方をジムに教えてもらっている。
そうなると交換を通せば通話記録が残り、直通は残らないのか? どなたかこの私の疑問を解消して下さい。 当時のアメリカの電話事情をご存じの方なら一発なのかな?
英語圏のコロンボファンサイトまで行って質問してみましたが、当時は本当に市内通話は記録されなかったという回答を得ました。
長距離の場合は料金を請求する必要がありますから、電話会社が記録してないはずがない。ただし、公衆電話はそこで料金を受けているから、記録しなくても電話会社に不都合はない。ケンがジムに直通ダイヤルの使用を指示したのは、交換手を通すと、受け手が受話器をとったところで「長距離電話をお繋ぎします」とか交換手が言ってしまうんでしょうね。直通でも料金請求の都合上記録は残る。だからコロンボはそこを指摘した。あと、ケンは事件をラジオで知って車を飛ばしてきたと言っていましたが、じゃあ事件もないのにわざわざ長距離電話を、相棒ではなくその奥さんにしていながら、事件を知って「本当なのか!?」という確認も入れないでひたすら車を飛ばしてくるという不自然さも浮かび上がりますが、残念ながらコロンボはわざわざ追及してないので、視聴者は気づきにくい。警察が通報時刻を記録しないはずがない。それと突き合わすと、「別荘からの電話」は通報より前だから、ケンが単独でジョアンナにかけたことになるが、ここはジョアンナに「あなた当日、事件より前に、ケンさんから電話を受けましたか?」と尋ねて「いいえ」と否定する場面が欲しかった。
あちらの電話事情をいろいろ調べてみましたが、70年代はAT&Tの独占が絶頂期で、80年代になって独禁法違反で解体されているんですね。大陸横断とか長距離通話料金の変遷は調べがつきますが、市内通話料金の変遷がどうしても調べられない。あっても80年代以降ばかり。
やはり、当時は本当に市内通話は記録されなかったと考えれば、筋は通ります。あと、「二つの顔」で唐突に通話記録が登場したのは、ロサンゼルスは広いから双子の居住地は遠く、市内通話にならない距離だったのかも知れない。現在でもロサンゼルスの市外局番は複数存在し、しかも番号がかなり跳躍している(契約回線が増加して、後から追加、を繰り返したらしい)ので、担当電話局が異なる番号で、従って記録される対象だったのかも知れない。
本来、映画解説者というのは、こういう当時の現地事情なんかを視聴者に説明するのが期待される役割のはずですが、そういうこと全然やってくれませんね。
以上は私の推測がかなり入ってますから、鵜呑みは危険です。どなたか、もっと詳しい方の登場を私も切望します。
あ、私の勘違いでした。
ケンは公衆電話(電話会社に記録が残らない)でジョアンナに長距離電話して、「別荘から電話した」事実を作ったんですね。この会話を、別荘からジムにかけさせた通話記録とすり替えることで、「事件前に別荘からジョアンナへの電話はあったが、不自然ではない」状況を作ったんだ。
「市内通話だって、有料なんだから発信が電話会社に記録されるだろ」という日本人の常識のせいで、この見事なトリックがえらい欠陥品に思えてしまったんですね。
本当に惜しい。解説者が必要なのは、こういうところなのに。
詳しい解説有り難うございました。アメリカのコロンボサイトにまでお尋ねくださり恐縮です。今は着信記録が残るのでこのトリックは成立しませんね。犯人が完全犯罪をもくろむ。だが必ずどこかに穴がある。それをコロンボが突いて追い詰めていくというのがこのシリーズの醍醐味です。
しかし、素人目にも明らかに不自然な点があると興味は半減します。ここをいかにクリアするかが脚本家の腕なのでしょう。例えば第二話の「死者への身代金」でも
1.女一人で射殺した死体をどうやって車まで運んだのか?
2.車を停めた場所は歩いて家まで帰れるところなのか?
3.飛行機から落としたフラッシュマーカー?は壊れないのか?
4.マーガレットがフラッシュマーカーをぶら下げられたのはどうして?
5.コロンボが飛行場でレスリーのロッカーを開けるのは違法ではないか?
6.番号が記録されている金をマーガレットに持たせたのはどうして?
などが浮かびますが私が一番驚いたのは、最初の場面で素手で脅迫状を切り貼りしているところです。指紋を採られたら危ないと気づかないのでしょうか?ロサンゼルス市警は指紋鑑定をやらないのですか? それに脅迫状をコロンボがまたまた素手で見せてもらっています(触った?)これも普通はビニール袋などに入れて保管するものではないですか?
まあ、細かい点を言い出せばきりが無いですが「身代金でご用」というエンディングには「やった!」と納得です。やはりコロンボは面白い。9日の第四話も楽しみにしています。
素晴らしいデータベースですね。構想の死角で、ちょっと気になった部分を。
脅迫の金額について、ですが当時のレートで15,000ドルは500万円ほどですが、当時の価値を今に直すとこれに4倍した価格が近いです。つまり、今のお金で二千万以上をゆすろうとしていた、強かな女だと思うのです。強欲だったので、殺されてしまったと。
ゆっきーさん>
確かにそうです。さっそく2021年の感覚で加筆しました。
今回の放映で思ったことは邦題の「構想の死角」、私もご指摘の「高層の死角」から持ってきたものだと思います。ジャンル、メディアを問わず、タイトルの本歌取りは日本ではよく見かけるし、特に森村誠一氏の作品のタイトルは凝った(はっきり言って凝り過ぎな)ものが多数ありますからね(笑)。
序盤、田舎の美しい景色の中、フランクリンとドライブするジム。なぜかデジャヴがある、そしてイヤな感じだ、と言う。
これ、デジャヴじゃなくて半分思い出しているんですね。
芸が細かい。
フランク倫さんのコメントを手がかりに、もう一回全編を見直し、加筆してみました。なるほど奥の深い作品で、より一層好きになりました。
なるほど、ジムはケンから聞いていたので思い出した…というより思い出しかけたのですね。何も考えず見てたなあ。
ジムは結局このトリックを採用しなかったのが仇になりましたね。ケンにすれば単に「ボツ作」を流用したのではなく、自分のボツにされた恨みの復讐劇にもなると考えるとよりドラマチックになりますね。
さすがスピルバーグ。
はじめまして。観た後に楽しくデザートのように読ませて頂いてます。やはりバーバラコルビーさんの名演が印象に残った残っ方が多かったのですね。しかし、暴漢の銃で惜しい女優さんを亡くしてしまいました。お気の毒ですが、あの映像は永遠に生き続けます。調べると亡くなっている方がほとんどなんですよね。
調べると、長寿で今もご健在な方も、けっこういます。
女性が多いかな〜。70〜80代ですね。
記念すべきコロンボ第一作ということもあり印象が強いです。「構想の死角」というタイトルも秀逸です。ジャック・キャシディは「第三の終章」も邦題が良いですね。内容的にはお世辞にも美人とは言えないバーバラ・コルビーの迫真の演技が印象に残ります。
ラサンカ夫人、フランクリンを脅迫した際、
金額提示のあと、震えてしまう演技がとっても好きです。
細かいところまでよく見ていらっしゃいますね。ラサンカ夫人は完全に主役を食っていますね。美人がやったらこうはならなかったと思います。バーバラ・コルビーはほどなくして銃撃され死亡したのを知りショックを受けました。
TBSドラマ「SPEC」のあるエピソードに出てきました。詳しくは書きません。
こんばんわ。
冒頭のシーンでジムがタイプライターで入力しているのはメルビル夫人の物語ですよね。
よく考えると、もう書かないはずなのになんでかな? と思いました。
つまらない話ですみません。
よく見てますね〜(笑)
“J’ACUSE,” SAID MRS. MELVILLE, POINTING AT THE DOCTOR.
(「あなたを告発します」 メルビル夫人は医師を指差して言った)
“YOUR WET UMBRELLA GAVE YOU AWAY”.
(「あなたの濡れた傘が、真相を明かしているわ」)
(give+目的語+awayで「秘密を明かす・漏らす」「正体を暴く」という意味になる)
確かに、どう考えてもクライマックスですね。しかも、なぜか綴りが間違ってる(正しくは”J’ACCUSE”、Cは2つ要る)。英語圏の人間がわざわざフランス語で言うのは、エミール・ゾラの有名な公開状の影響で、非常な怒りのこもった告発という意味があるんだそうです。
単純な脚本家のミス、で片付けるのはあまりにももったいない。ここは、メルビル夫人シリーズ最終作を執筆中だった、これを書き上げたらコンビ解消するつもりだったと考えましょう。
初めて観たのは87年だったかな?
当時は日テレの映画枠でした。
あのETのスピルバーグが監督という事で、とても期待して録画予約をセット。
翌日、ワクワクしながら再生すると、映し出されたのは「巨人×大洋」!!
コロンボは20分遅れでスタート。
とても嫌な予感を抱きながらも、展開に惹き込まれて行きました。
そして案の定、残り10分を残して、録画終了...
嫌いな巨人が、増々嫌いになりました(笑)
巨人×大洋(笑)
【原題解釈】
Murder by the Book
直訳すると、「型通りの殺人」。
by the Bookは「規則や指示にきっちりと従って」という意味。
ジムが自分の描いた筋通りに殺人を遂行したことと、ふたりの本が殺人の遠因になったことを引っ掛けているのでしょうね。
ほんと勉強になります!
先日の夜どういうわけか眠れなくて、ふとコロンボを観て見よう(数年前 Complete BlueRay BOX を購入しており)と思いました。しばらく悩んで選んだのは「構想の死角」。やはり何度見ても面白い!
内容とは直接関係ありませんが、観終えた後に皆さんのコメントにも何度か出てくるラサンカ役の女優さん(バーバラ コルビー)がふと気になりました。他にどんな作品に出てるのかな?とか今はどうしてるのか?など。。。調べてびっくり。日本での放送の2年後1975年7月に何者かに銃で撃たれてお亡くなりになっているんですね。驚きと同時になんか切なくなり、改めて彼女の登場するシーン(わざわざ出向いてケンを脅迫するシーン)を観てみました。音声を英語に切り替えてみるとセリフの言い回し、声の調子が吹き替え版とはまた違う味わいでとても良い演技だなぁと感心しました。ケン役のジャック キャシディもまた76年に自宅マンション火災で亡くなってるのは知ってましたが、この二人が立て続けに亡くなっていたことは知りませんでした。
当たり前のように毎朝目覚めて、また1日生活出来ていることは本当は当たり前ではなく、ありがたいことなのだなと考えさせられたような気がしました。今は新型コロナの影響で普通の生活とは程遠い状況ですが、なんとか無事に生きてることに感謝したい心境です。。。
そうそう、女優バーバラ・コルビーさん、射殺されています。ジャック・キャシディもご存知の通り、早世していますね。
ジャック・キャシディの犯人役、何度見ても良いですねぇ。
ロスからサンディエゴって120マイル、車で2時間程度ですね。
やはり、飛行機に乗っても、待ち時間もあるから、さほど時間は短縮
されないですよね。やはり、皆さんの思いと同様に、作品的にはもう
一つ感はあります。
さて、今回、見ていて気付いたこと、
オンボロカー初登場ですね。しかも、ラサンカ店に入ってくる際に、
花壇の花を踏みつぶしてます。荒っぽいなぁ(笑)
コロンボさんは、仕事以外のことは、あまり見えてませんね(笑)
あらためて見ると「離婚」の記念に持ち込んでふたりで飲んだシャンパンの瓶とグラスを処分した気配がないのが気になります、部屋を出てから駐車場に向かうまでの間(写っていない間)に捨てたのでしょうか。さもないと部屋に瓶とグラスが残ってしまい、最後にふたりが居たことがばれてしまいます。
僭越ながら、シャンパンとグラスは残っていてもそんなに問題はないと思います。
犯人のフランクリンは、ラサンカさんの店からジムの奥さんに電話して、「2〜3時間前にオフィスへ行ってジムに会ってきたんだ。戦闘終了さ」と話しています。つまり、2人でいたことを隠してはいません。その後、賊が襲撃した、という筋書きなので。
とはいえ、後でいろいろ聞かれるのも面倒だし、わたしが犯人ならやはり処分しておきたいところですけどね〜
肝腎なシーンを見逃していましたね。ご指摘ありがとうございます。
それにしても、ラサンカがケンの連れをチラ見していたり、暇なはずなのに別荘に電話した時出なかったり、細かい点でも、我々見る側を楽しませる設定がありますよね。
コロンボがオムレツを作るシーンで、「ま、食えるもんはたった一つ、オムレツなんです。女房曰くですがね」と、シリーズ全編において”かみさん”と言ってない唯一のシーンでしょうか。
聞いた話では、NHKの初期の放映(UHFでの試験放送?)において、最初のほうのエピソードでは、原語の「wife」を「女房」と吹き替えていて、その後の放映でその部分だけを「かみさん」に吹き替え直したらしいですね。でも、1か所だけ(?)漏れていた、ってことですかねぇ。
あと、コロンボは他にも「炒め焼き」が作れるはず(#42 美食の報酬)だけど、かみさんには作ってあげてないんでしょうか。美味しそうなのに。
翻訳家が額田さんに代わって、カミさんを使いだしたんですね。カミさんの原語はwifeだったりMrs. Columboだったりしたようです。
そうですね〜。だんだん揺らぎがなくなって、キャラが立ってくるのですね。
はじめまして。
今、先日放映分「構想の死角」の録画を楽しく見させていただきました。
内容はすばらしかったのですが、一つ映像的にひっかかるシーンが…。
ケンがジムを殺したあと、別荘前に止めた車のトランクを開けるシーンで、画面右に多分集音マイクだと思われる影が映り込んでいるように見えました。
あの当時ならこんなこともあるのかなぁと思っていると、最後にスピルバーグの名前が!
かのスピルバーグも見落としたのでしょうか。最後に一番驚かされました。
スピルバーグと映り込みといえば、「激突」が有名ですね。
ガラス面に撮影側が反射して写っているシーンがあります
本作以外にも、ガラスの映り込み、端っこに機材見え、などまだまだあります。
ラサンカさんが強烈に印象に残ってます。
今回何か短く感じたのはどこかのシーンをカットされてるからですかね。
構想の死角が何故人気があるのか?
ちょっとわからないです。
隠蔽工作の中に、犯人しか知り得ない証拠があったら、スッキリしたのにね。
最後のシーンが何回見ても何か納得いかないです。
「自白と受け取って良いですね?」
何で?
ケンはコロンボとの会話のやりとりで
ボロを出しましたか?
トリックのメモが出てきたからって
それがどうした!で済ませられないですかね?
小説の方だとわかりやすいそうですが
どなたかテレビ版のオチの説明をしていただけませんか?
構想の死角を見たのは多分4回目か5回目ですね
私もあなたと全く同じことを思いました。
オチとしては腑が落ちませんね。
前見たときはここまで不思議には思わなかったのですが・・・
お話し中失礼します。
このエピソード、監督がスピルバーグということはひとまず別として、
あらためて見直してみて、コロンボが犯人に自供させるための誘導尋問のテクニックはさすがだと思いました。
最初の殺人については、パートナーのアイデアだと持ち上げておいて、
ラサンカ夫人のそれについては、全くお粗末だと言っています。
コロンボから、あんたには一行だって書けやしないと言われるに至って、
フランクリンはつい、コロンボの話術にはまって、自分のアイデアだということをわからせたくなってしまいましたね。
———————————————–
コロンボ「先を続けようか・・・」
フランクリン「結構・・」
※もうそれ以上説明してもらわなくても結構(私のアイデアなのだから)
———————————————–
派手さはありませんが、謎解き以外に相手を追い込むテクニックも見事でした。
なお、同様の展開は、
「殺しの序曲」で、シグマクラブ会員のオリバーを追い詰めるシーンでも見られます。
ありがとうございます。
納得いたしました。
クライマックスシーンで
コロンボさんが動から静へ変わるところでのやりとりに注意しなければならなかったのですね。
でも犯人とのやりとりが淡々としてるようで...
もっと決定的なボロを出してほしかったです。
オリバーがレコードプレーヤーとマジックで分厚い本を落とすシーンですよね。
そういうのを期待していたので構想の死角はわかりづらかったのです。
今まで考えなかったのですが、今回も「お得意の罠」を仕掛けても…良かったかな。例えば第二殺人がケンが考えた稚拙な犯行であるという決定的な証拠を、彼自身に隠蔽させるような…。
しかし…それだと、コロンボは罠をしかける刑事のキャラで定着してしまいそうかな(笑)
録画しながら生で(というのも変かな)見ました。
で、オチのシーン、阪口さんと同感だな。ジャック・キャシデイもラサンカさんも印象に残る演技で楽しく見てたのに、ラストで
「え?、それで終わり?!」
と拍子抜けさせられた感じです。
『構想の死角』っていうタイトルはなんとなく覚えていたんですが、こんなだったかなぁ(笑)
少なくとも僕にはもっと印象的な作品がいくつかあるので、これはガッカリでした。
リアタイ視聴。
この作品、メインの犯罪よりラサンカ夫人登場の場面に毎回ドキドキします。
雑貨屋で会った時は普通の女主人風だったのが、ジムの事件後劇場でケンに再会した時の自信(?)に満ちた態度に激変。どんどん大胆に。
ケンを恐喝、しかも$15,000も要求。当時のレートが314円でしたから貨幣価値を考慮してもすごい金額ですね。
ケンを「信用ならない」と、警戒しながらふと気を許し、油断して背中を見せてしまい撲殺される。
このあたり、気のいい普通の人の感じが出ていて憎めないですね。
殺される直前、振り返った時の表情のカットは、恐怖と絶望にあふれ秀逸。
普通で強欲、滑稽で物悲しい…次にまたこの作品を見てもラサンカ夫人が登場するとドキドキするでしょうね。
15,000ドルは471万円(1ドル=314円)だということです。何とかささっと現金を作れそうな金額で、現実的なラインですよね。
あっという間に終わった~
時間短いですよね
オフィスに居るよって言ったとこでズドン!って
血痕は??という疑問は警官が言ってた・・・
トランクには血痕がありそうだし、別荘の血をケンが掃除したのかなって想像してもうた
だってジャック・キャシディかっこ良すぎるもんー
今夜も生でみれてます。
本日もリアタイ視聴です。しかし自分で言うのもなんですが(笑)2019年2月のコメントでかなりいいこと断言してんなあ、と(笑)。
やっぱり、色が綺麗になってますね。
今回観ると、後のスピルバーグの演出の片鱗を窺わせるブラックユーモア。これからジムを殺そうってのにそのジムの事務所の偽装をケンは口笛吹きながら。自分が殺した死体に向かってシャンペンで乾杯。コロンボの料理シーンもピーターフォークのいい手付き(笑)。主役や犯人より目立つラサンカさん(笑)。細かく見ていくと、後々のコロンボ作品群に影響を与えているかもしれません、と言うと、うがち過ぎかしら。
皆さんのご感想、ご意見を拝見してやっと納得しました。つまり一文も書けなかった共同作家が何故あんな結末で決したか。つまり最後で唯一自分が考えたアイデアだと云う事をアピールしたかった、と云う事でしょうか。ただあれが自白と言えますでしょうか。2作目に続き少々荒っぽい終わり方ですよね。
出張の飛行機の中で「別れのワイン」を観てハマり、コロンボDVD-BOXを購入。4話まで観終わりました。2つ疑問点があり教えていただきたく。 質問1. 「別れのワイン」で犯人が2度目にワインセラーに入って行った時に、被害者の頭や足に籠が被せられていました。それを見た犯人が驚いた表情をしたので、初めて観た時は秘書がやったのかと思いました。なぜ、驚いたのでしょうか。
質問2. 「構想の死角」で、最後にこの計画は犯人自身でが考えたと言ってましたが、それは嘘で、最後まで自分も作者の一人であるという強烈な自己顕示欲が言わせたのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
ノベライズなどでは、それでもケン・フランクリンが自分でもアイデアを出そうと頭をひねったあげく、漸く出てきたもの、とされていますね。
強がりではない、という説もあるかと。
よれよれコートさんの1番目の質問が気になり、「別れのワイン」を見直してみました。
ニューヨークから帰って来たエイドリアンは、ワイン貯蔵室の中に入ると、ぞっとしたような驚いた表情をみせています。ニューヨークへ出発する前と比べると、リックの体の向きが変わり、そばに置いてあったはずの大きなワインボトルが転がっていました。それほど、断末魔の苦しみの中でリックは息を途絶えたということですね。リックの顔と足元が見えないので、まるで誰かが籠を被せたように見えますが、ただボトルが転がっているだけということだと思います。
見直してみると、エイドリアンのセリフ、とても洒落ていますね。その辺も味わい深い作品です。
やはり、スカッとした解決ではないです。ホワッっとしてます。
期待してたわりには凡庸な作品でした。
ケンがコロンボにジワリジワリ追い詰められるって感じなところがなかったですし。
コロンボもコロンボで怪しいと思ったら
ケンを付けとけばあの雑貨店の女が死ぬこともなかったのでは?
車も店の前に横付けしてたしバレバレじゃないですか。
ワインの瓶も湖にすてちゃうし。
同じような終わり方だったら殺しの序曲の方が全然上だと思いました。
たぶんスピルバーグが監督っていうのが
順位を底上げしてるのだと思う。
キャシディ作品なら魔術師の方が断然上だしちょっと期待外れでした。
正直なご感想ですね〜。何回も見たら、今以上の良さも感じるかも。
初めまして
ケンがラサンカ夫人に渡した著書のタイトルが「殺人処方箋」ですね。
これはコロンボ第1話のタイトルですよ。
ということは、ジムとケンのモチーフはリンクとレヴィンソンなのかもしれません。
そんな感じしますよね。
そうだと思いますよ。
ぼろんこさんご指摘のように初期の作品は恐喝者が殺されるパタンが多いすね。
またあらためて見ると初期の作品はコロンボの犯人に対する言葉遣いがキツイです。
最後のオチと言うかツメが甘いですね。
それほど「膝を打つ」展開ではありません。
この程度で自分の罪を認めてしまう犯人はどうかしてるなあ。
全く同感です。坂口さんや蜃気楼さんも書いておられる通り、2件の殺人という重罪を物証もなしで認めてしまうなんてあり得ないと感じました。
最後の場面ののちに、ケンが腕利きの弁護士に説得されて全面否定に転じれば無罪になる可能性は十分ある。
死体を運んだ車のトランクに靴の片っぽを落としたままだったとか、ボートはケンにしか動かせないはずだったとか、自然な証拠はいくらでも可能なのに。
BSスペシャル投票第8位。スピルバーグの出世「前」作wとして名高い本作ですが今改めてみると、後のリアルとブラックユーモアの共存した演出の片りんが伺えるのかな?あの、せっせとオムレツ作りながら安否を気遣う「変さ」。ラサンカ夫人のスピルバーグならでは?のグロテスクな描写。一方で状況証拠の数々(長距離電話の通話記録etc.)は思うに視聴者に見せるだけで説明は「観れば分かる人には分かるから不要」とカットした、と今回はあえて断言しておきましょう。
さて、昔から問題になるラストの自供ですが、コロンボがジムの妻にケンが犯人だとぶつけて、二人のことを何でも話してくれと依頼し、それをじいっと聞き入る場面が挿入されています。これは、話を聴いたコロンボが、こうやればケンのプライドが刺激されて絶対自供する、とする方に賭けた、伏線シーンだ、つまりコロンボが仕掛けたと今回は断言その2(笑)。
なるほど、なるほど。2020年4月、テレビをみながら読ませていただいています。
何と言っても、ジャック・キャシディが素晴らしいですね。きらびやかで、冷徹。冴えない風貌のコロンボとの対比が面白いです。
前半から中盤までの展開は、ヒッチコックの映画を観ているような緊迫感があり、凄い!と思って観ていましたが、最後のシーンが、みなさんご指摘のように、納得出来ませんでした。え、そこであっさり自白?せめて、指紋つきのシャンパンの瓶が池から発見されたとか、何か決め手となるものがあったら良かったのに。
たった今、BSで見ました。
ラサンカ夫人最初の登場から夫人がヤバイことになりそうな、喋り方やだらしない服装(向こうの人は胸元が開いてるのは普通の事なのか?)で心配しながら見てました。
そうしたら次のシーン?では暗い画面の中、夫人の前歯を強調するような悪意のあるアングルで、まるで演出からも夫人の容貌が疎まれてるのでは?!と心配が倍になってきたらとうとう殺されて‥‥おまけにエンドロールではスピルバーグのクレジットでおどろきました。
夫人のことが気になったせいか、今回の謎解きはなんだかスッキリしませんでした。
あぁ、あと7回しか見られない。
土曜夕方のコロンボは一週間の疲れを取ってくれる気がして、スッキリ解決を期待してます(笑)
「殺人処方箋」っていうセリフがありましたね~
ジャック・キャシディかっこいい!
失礼しました。ジム殺人のトリックは確かにケンのアイデアでした。一緒に車でキャビンに向かう途中で、ジムがデジャブーを感じると言っていました。数年前にケンが本にできるアイデアをジムに話したこと、それをジムがメモしたことを物語ります。The Columbophileのサイトで指摘されていました。
ジャック・キャシディ、本当に存在感のある俳優ですね。この後2度も採用されたのもうなずけます。2度目の殺人の後で、コロンボに目撃されているシャンペン(ワイン?)ボトルを湖に捨てるのは、へまではないでしょうか?1度目の殺人のトリックは見事ですが、本当にケンのアイデアでしょうか?決着の甘さは、ぼろんこさんのおっしゃる通りと思いました。
「すでにチーズが入っている」こういう見所、大好きです。
わたしもボールん中のチーズ🧀見ました こういうのも好きです 楽しいですよね 😄
初めまして。再放送を録画して何度も見ているファンです。
ジムの家でコロンボがオムレツを作るシーンでキッチンの
下の戸棚からチーズをすりおろすものとボールを取り出しますが
ボールの中にすでにチーズが入っているのがチラチラ写っています。
それを誰かに言いたくて。ご存知だったらすみません。
善人と悪人の対比が面白いですね。暗いシーンが多く、悪の印象が際立っています。
二度目のコメント失礼します。
『構想の死角』を何回か鑑賞するたびに思うんですが、殺された相棒のジムはかなりのお人好しですね。ケンに別荘に行こうと誘われた時も「(奥さんに)嘘をつくのは気が引けるよ」と渋っていますし、そもそもシリーズを打ち切ると言い出すまで長年書いてもいないケンが作者を気取るのを黙認していたのも寛容すぎます。発言の節々から、素朴で商売ごとが得意でない人なんだなあ、と。そんなところをケンに付け込まれていたのかもしれません。
もうひとつ気になるのは、ケンは推理作家としては無能でも、これだけ口が達者なのだから別のビジネスでも成功できたのでは?マネジャーだと公表して仕事をしても良かっただろうし。お金以上にベストセラー作家としての名声に執着があった、ということでしょうか。
私はデザインが本職です。デザインワークが好きな反面、請求書や契約書などの事務仕事が嫌いです。誰かに代わってもらいたいくらい。ジムもおそらく執筆は好きだが、ビジネスはそれほど好きじゃないのかも。そういう気持ちよくわかります。
妻ジョアンナとコロンボの会話。
ジョアンナ:おなかが空かないの。
コロンボ :まあ、つついてみて下さい。
:美味しくなかったら捨ててもいいから。
遠慮されているのも拘わらず、人さまの家の食材で勝手にオムレツを作って、
あまつさえ、美味しくなかったら捨ててもいいからとは、何たる言い草か!!
>>ちはちはさん
さすがです。不自然さを見逃さない、まさにコロンボ流ですね。
ジムの遺体がケンの邸宅前に捨てられていたとき、コロンボは、
「コートが薄くて、なんだか寒くなってきた」と言っています。
明らかに、泳げるような季節ではないですね。
しかも、夜間は寒くなりそうな別荘地ですよね。一方でコロンボが
ケンの別荘へ行った時には「車が陽に照らされると後でたまらない」
と言っているので、真夏のような気もします。
ということは、昼夜の寒暖差が激しいのでしょう。
そうであれば、ラサンカさんの昼間の服装も理解できます。
ラサンカさんが殺された翌朝の現場に集まった人たちの服装は、
暑いとは思えません。朝方は冷えるのでしょう。
夜は、泳ぎたくなるような気温ではないでしょうね。
ラサンカさんはケンに気があるので、提案に対して無下に拒否する
ような言動を避けたのでしょう。ヤンワリと、しかもキッパリと
否定したのだと思います。
初めまして。BSで毎日コロンボが見られる幸せが続いていますね。
この話でどうしても理解できないことがあります。
それは季節感。
ラサンカさんの所にお金とシャンパンを持っていく場面。ラサンカさんは薄手の黄色の半袖のブラウスですが、ケンはムートンコートに分厚い手袋までしています。
また、夜の湖にラサンカさんを誘い出そうとして、「月が綺麗だから泳いでみないか?」なんて言ってますが、
コートを着るような季節なら、そのセリフはおかしいですよね?そんなこと言われたら怪しまれるの当たり前だと思うのですが…
どう思われますか?
ケン・フランクリンほどのつむじ曲がりが、なぜ最後にアッサリと
犯行を認める気になったのか、まったく理解できない。
コロンボは、チャンス、方法についてメモ書きから類推したに
過ぎず、決定的な証拠にはなり得ない。
そもそも小説で書けるようなトリックを現実の犯行では使いませんよ。
小説は世間へ発表するものですからね。
それを口上にして言い逃れ可能です。
そうですね!
なんか、今回のコロンボはスッキリしないのです。
今、トレモニさんのコメントで理由がわかりました。スッキリできました(笑)
飛行機の件も同感です。
ノベライズ版が話題になりますが、全く無意味なことだと思います。
原作はTVメディア版であって、それに対して後講釈で「実は・・・」
なんてやって、何の意味がありますか?。
TVメディア版の前に原作があるならまだしもです。
後講釈の動機など、俳優陣が意識して演技していませんよね。
なのでノベライズ版は、TVメディア版とは切り離すべきです。
>バーディさん
ご説明ありがとうございます。
その動機は、TVでは毛筋ほども出てきていませんね。
ということは、ノベライズ版とは全く別物と考えるより他ありません。
コロンボにおいては動機が一番大事なのに、その動機を全カットするなんて。
そういう意味では失敗作です。大事な動機をカットして、俗な動機を
紛れ込ますから、なにか煮え切らないおかしなストーリーになると思います。
アリバイは良かったので動機をしっかり表現するか、俗な動機に変える
としても理屈の通るものにすべきでしたね。
通話履歴の問題。
よく考えると、通話履歴は電話代請求に必要になりますので、
電話局には必ずあるはずです。
コロンボは一話完結で観るべきで、全体の一貫性や整合性は必要ないと思います。
そうしないと、とんでもない世界観になってしまいますから。
そうは言っても、重要証拠となる通話履歴を扱ったり扱わなかったりで、
おかしいですね。
みなさん、コメントありがとうございます。ここ数回のコメントを読んで、またこの作品が好きになりました!
バーディさん>ノベライズ版の詳しいご説明ありがとうございます。俄然読みたくなりました!やはり文章は画面より詳しく状況を説明できるのですね。
>トレモ二さん
はじめまして。ノベライズ版では殺害の動機が詳しく書かれています。
ケンは裕福な母の財産により大不況の時代のアメリカで恵まれた少年時代を過ごしていました。その母は「古き良きアメリカ上流階級」の出で名家としてのプライドが形となったようなもので、ケンもその一流思考と選民意識を母から受け継いでいました。
しかし、父がお人よしなため財産を失ない、上流から転落した母は景気を回復しつつあるアメリカの中で自分の財産を失った夫と運命を呪いつつ亡くなり、それはケンに受け継がれました。
そのような中知り合ったジムは亡き父にそっくりであり、ケンは父の代わりとしてジムをいじめる対象として友人となりました。しかし、ジムには文才があり、ケンにはプロデュースの才能があったことからコンビは大成功し、ジムは自分が信じる一流の世界を取り戻したのです。そしてメルヴィル夫人は自分に再びの一流を取り戻してくれた母の身代わりだったのです。ノべライズの中でもメルヴィル夫人のキャラつくりにはケンは異常こだわったとあります。
そんななか、母=メルヴィル夫人を葬り自分の作品を書きたいと言い出したジムは自分の一流世界をかつてめちゃくちゃにした父と重なった。
これが殺人の一番の動機であり、保険金などは後付だというふうになっています。
ジャック・キャシディ氏は傲慢さが様になる風格がありますね。ぼくは大体吹き替えで見ているのですが田口計さんの声もピッタリです。考えてみれば、相棒の才能で食べていけてるくせに威張っているケンはかなり情けないやつなのですが、それでも不思議とエレガントな印象を随所で受けます。
ぼろんこさんの、唯一自分で考えたすぐれたアイディアを示すと引き換えに罪を認めた、という考察は深いですね。
出演者が電話番号を語るとき、必ず途中で音声を途切れさせていますね。
これは、もし同一の番号があったとして、そちらへ迷惑がかからないように
するためでしょう。どの回も、そうなっています。
通話履歴の問題。
別荘のジムから奥さんへ電話する場面がある。この通話履歴があれば、
一発でケンの犯行だと分かるが、「死者の身代金」と同様で、
この時代において、電話局では通話履歴は取られていなかったと考えるべき。
コロンボは、ケンが別荘から車で帰ってきたことに疑問を持った。
わたし的には、その疑問が疑問だ。
もし飛行機で帰ってきたとしたら、車は現地に置いてこないといけなくなる。
置いてくると、また取りに行かなければならないじゃないか。
飛行機の往復代がもったいないし、ロスで車が無いと不便だろう。
飛行機で帰らなければいけないほどの緊急性も認められない。
コロンボは重要な事情聴取のときに相手が拒んだ場合、必ずと言ってよいほど、
「法廷でしゃべってもらわないといけないことになる」と迫り、全て証言を
引き出している。
ラサンカさんの店でつまみ食い。これって、初つまみ食いかな?。
やはり何度観ても、決定的証拠じゃないです。
置いてあった単なるメモ書が、犯行のトリック?。理解できませんね。
犯行動機が、よく分かりません。
ジムは、コンビ解消など言いだしていません。
「離婚はないだろう」という一言でも分かります。
動機は、ジムがミステリーを止めて、シリアスなものを書き始めたいということ。
だがミステリー作家が、いきなり宗旨替えしても成功するかどうか分からない。
それに、そもそもケンは、ミステリーも書けない作家もどきではないか。
だったら、世間にはコンビとして宗旨替えしたのだと発表すれば良い。
ケンは、テレビに出たりマスコミ対応に秀でたやり手である。
それが、これまでのコンビとしての成功を形作った要因の一つだった。
ジムの作家能力だけでは、そこまでの成功は無かったとも言える。
だから、コンビ解消はむしろマイナスとなる。
宗旨替えが失敗したとしても、ケンの手練手管は世間を納得させるだけの
問答を可能にするだろう。
最初、ケン・フランクリンが車で「EXIT ONLY」という出口専用からビルに
入って行った。そもそも、この人には社会常識や遵法精神に欠けることが
分かる。誰も見てなくて分からなければ、悪いことをやっても構わないと
いう感じですね。
何度も犯人役をやるジャック・キャシディ。存在感ありますね。
殺されたダンナの奥さんは、あまり悲しそうじゃなかった。
泣いてもいないし。最後のキレは、あまり印象にないです。
公判で勝てますかね?。おおいに疑問です。
ラサンカさん抜群です。不美人として描かれていて、それを込みの魅力を感じます。
ケンはジャック・キャシディの演技によりとても魅力的な人物(間抜けも含め)に見えてきます。
スピルバーグの絵作りは流石だと思いますが、コロンボ的には他の作品(もう少し普通な感じ)の方が好みです。
ぽろんこさん
また書き込ませて頂きます。
スピルバーグの演出、例えば冒頭のケンの車のアップからグーッと引いてジムのオフィス他はもう
あちこちで語られてますから省きますが、
今回の犯人(ケン)は間抜けな感じがします。
例えばコロンボとの初対面でメルヴェル夫人ならとっくに云々と言ってる。小説は特に探偵物は所詮創りものでなので そう簡単には行かないと
いう事を知ってるはずなのに、そんな事を言うなんて〝自分は一行も書いてない〟と暗示してるような感じがします。もしコナンドイルの友人知人が
そうなったら彼は刑事さんに〝ホームズだったらとっくに〟と言うのでしょうか?クリスティも
〝ボアロだったら直ぐに〟と横溝正史なら〝金田一耕介なら目星を、〟とは言わないと思います。
つまり現実とフィックションは違うという事を知ってるから、この時点でもケンは間が抜けてるような感じがします。あの犯罪者リストのペーパーの折り目もそこでもケンはコロンボにメルヴィル夫人と着眼点が似てると褒めてる。架空の人物と引き合いにしてる。そして本物の推理作家なら用意周到に折り目はなるべく付けない様に丸めてポケットに入れるのではないのかな?
そんな所も滑稽な気がします。だから第2の被害者
ラサンカ夫人の殺人は間が抜けてる感じです。
そのくせプライドだけは高いので最後でコロンボの このトッリックは云々で簡単に堕ちたのでは
ないかと思います。ケン役のジャック・キャシディが上品なだけに見応えもありますね。
第2の被害者ラサンカさんが強烈ですね。
金ではなく、あくまで作家そのものを欲しがった様。
そして酒瓶で殴られる寸前のあの表情。まさに怪演。
ジャック・キャシディの演技がエレガント風味であっただけに、より際立ってたと思います。
ogoさん書き込みありがとうございます。「週末にのんびりコロンボ」イイですね~。コーヒーとビスケットを片手に~なんてね。素敵な時間です。
週末にのんびりコロンボを見るのが至福のときです。
yasさん同様、やはり第1シーズンの70年台の趣きがいいですね。
yasさん、書き込みありがとうございます~。やはり古い作品が良いですね(笑)「トップページが消えた」理由はサーバー業者の不具合が原因でした。現在は解決しています。
こんにちは。放映中のTVが古い作品に移って嬉しいです。すでに何度目かの再見ですが、こちらのページのおかげで、後から色々確認してみたり、楽しみが増えました。
トップページが消えちゃってて、無くなってしまったかと思いました。