- ローレン・ステイトン 「ジャガー・XJ-S」
大金持ちの美女ローレン・ステイトン(フェイ・ダナウェイ)が婚約者ニックを殺害。かつては異色作と評しましたが、美しい作品だと感じます名作。「忘れられたスター」にも通じるような気がしてきます。
やはりフェイ・ダナウェイは魅力的
映画「俺たちに明日はない」
映画「タワーリング・インフェルノ」
通常のコロンボ作風ではないが‥
刑事コロンボは毎回ゲストスターが犯人役なのですが、これほどの大スターは居なかったと思います。しかしこの回の主題がコロンボのほろ苦い恋物語であるため、本来のコロンボ作品のような楽しみ方は困難。ブロンディな母と、黒髪でラテン系な娘という似ても似つかない母娘関係も楽しんで見て欲しいです。
警部のほのめかしを逸らすローレン
まず頭痛薬の件、ほのめかしが効いています。随所にコロンボ警部の着眼点が光ります。その推理をことごとく肩透かしするローレン。それが女性目線で描かれていて素敵です。
バーニーの店
恋に落ちた二人の…実年齢。
フェイ・ダナウェイは1941年生まれのハリウッド女優。本作品新・刑事コロンボ「恋に落ちたコロンボ」が1993年の制作ですので、撮影当時で52歳だったと思われます。一方のピーター・フォークは1927年生まれで、66歳。
ニックはゲス野郎か?
ニックの口から出る歯が浮きそうな褒め言葉は、とても本心だとは思えません。その反面独裁者のような威圧感も持っている。時には病的に描かれることもあります。このような男を好きになってしまい…裏切られ殺してしまう。とても愚かなことだと感じます。
コロンボが人間観察される
その愚かさに気づかされ傷つく母娘。そして犯罪捜査に訪れたコロンボ警部に出会います。今回は女性の目線で警部を人間観察するような面白い展開になっています。コロンボの誠実さに触れるローレンは「ニックよりもコロンボを好きになればよかった。」なんて表情に見える時もあります。
想像力を膨らましてみる
ローレン・ステイトンがなぜ大金持ちなのかの背景が描かれていませんが、何となく…彼女自身が築いた富だとは思えません。資産家と結婚したというより、むしろ代々の金持ちだと思われる。目鼻立ちが似ていないから娘のリタはきっと父親(マーチン氏)似なのだろう。ローレンとマーチン氏は随分前に何らかの理由で離婚して(死別ではない)ローレンは現在独身。マーチン氏はイタリアに住んでいるのかも。その関係でリタもイタリア在住。(加筆:2017年12月23日すべて想像です)
ちょいと、雑談。
冒頭のシーンでは噴水が逆流しています。またトイレで口紅を拭う場面で「ピーターフォークも歳をとったな~」って感じたんですけど、良く見ると鏡の上の方が曇っていて、それがより一層彼を「しらが頭」に見せているだけでした。
どうでもよいシーンですが、犯行現場で掃除婦と「ON・OFF」ごっこをする場面は楽しい。お馴染みのバーニーのお店で犯人と食事をする場面も。
原題の「It’s All In The Game」は「それはすべて遊びの中で」とでも訳すのでしょうか。同名の楽曲が存在します。「恋に落ちたコロンボ」と名付けてしまうよりは良かった気がしますが…。いずれにしても、コロンボ風の題名ではないですよね。
エド・マクレディ
ローレン・ステイトンの豪邸
ネット検索ではローレン・ステイトン邸は、マリブの山中あたり住んでいたとあります。この辺りは頻繁に山火事が起こるそう。
監督:ヴィンセント・マケヴィティ
脚本:ピーター・フォーク
ローレン・ステイトン:フェイ・ダナウェイ(声:高畑淳子)
リサ・マーチン:クラウディア・クリスチャン(声:佐々木優子)
ニック・フランコ:マーマンド・プッチ(声:大塚芳忠)
バーニー:ジョン・フィネガン
刑事:エド・マクレディ
加筆:2022年8月14日
ボニーとクライドと呼ばれる伝説的なアメリカの犯罪者カップルの実話を基にした1967年公開の偉大な犯罪映画『俺たちに明日はない』(原題:Bonnie and Clyde)について、現在と、ある意味とてもよく似た、自主規制でがんじがらめになっていた当時のアメリカ映画産業に風穴を開けた歴史的意義の計り知れないほどの大きさに、今更ながら気づかされています。
周知のように、映画『俺たちに明日はない』は、それまでのハリウッドの映画には見られなかった暴力的な描写や性的な要素が含まれており、当時の社会規範に挑戦する内容であったため、当時のアメリカ映画産業において大きな反響を呼びました。
ここでヘイズ・コードが関係してきます。ヘイズ・コードとは、1930年代にアメリカの映画業界で自主規制のために導入された規制基準のことです。この規制基準には、暴力、性的表現、宗教的な描写など、多くの内容が制限されていました。しかし、『俺たちに明日はない』はこれらの規制基準に明確に違反する要素を数多く含んでいました。
そのため、『俺たちに明日はない』の公開は当初、映画業界からは懸念されました。しかし、この映画の成功により、ヘイズ・コードの影響力が低下し、以降のアメリカ映画においてより多様なテーマや表現が可能になりました。この映画は、映画産業における規制の変化と、社会的な価値観の変遷を象徴する作品の一つと見なされています。
『俺たちに明日はない』は、『刑事コロンボ』シリーズにも多大な影響を与えていると、私は思います。
ボニーとクライドが犯罪者でありながらも、彼らに対する共感や同情を引き出すような描写がされたことも注目されました。この作品は、以前の犯罪映画とは異なり、犯罪者を単なる悪党として描くのではなく、彼らの人間性や背景に焦点を当て、その複雑な心理や動機を探求しました。このようなアプローチは、以降の映画やTVドラマにも影響を与え、犯罪者や反社会的なキャラクターに対する視点を変えるきっかけとなりました。
『刑事コロンボ』は、犯罪者の心理を探ることや、コロンボ刑事自身が犯人との心理戦を繰り広げる姿勢など、『俺たちに明日はない』の影響を受けた要素が少なからず見られると思います。『刑事コロンボ』シリーズの成功は、犯罪者側にも同情的な視点を持つことが視聴者に受け入れられることを示し、以降のTVドラマや映画にも影響を与えました。
本作「恋に落ちたコロンボ」での、『俺たちに明日はない』でヒロインのボニーを演じたフェイ・ダナウェイと、コロンボ役のピーター・フォークとの共演は、その意味で、とても意義深い出来事でした。ポリコレやコンプライアンスによって、またしても、がんじがらめになるばかりの息苦しい昨今だからこそ、そのことを強く実感するのです。
大河劇『光る君へ』に影響さるれば、「恋に落ちしコロンボ」のぼろんこ殿の文より、古文にし遊ぶ。
なほフェイ・ダナウェイはめでたし
犯人役になりたるフェイ・ダナウェイ、めでたしかし、麗し。美女といふ見方ならずとも、匂ひに満ちあふれたり。おのれがコロンボになりしつもりに人に惚れなば、倍楽しむべし。人初めてコロンボ警部の目にゐるみぎり。「水色の室と畳、そこにすっと居れり」この構図、ひとへに絵巻物。地味なる装束もつきづきし。その他あらゆるみぎりの人の流行りめでたし。
≪現代語訳≫
大河ドラマ『光る君へ』に影響されましたので、「恋に落ちたコロンボ」のぼろんこ様の本文記事から、古文にして遊んでみます。
やはりフェイ・ダナウェイは魅力的
フェイ・ダナウェイ犯人役のフェイ・ダナウェイは、素晴らしいですね~。美しいです。美女という観点ではなくとも、魅力に満ちあふれています。自分がコロンボになったつもりで彼女に惚れてしまえば、二倍楽しめるでしょう。彼女が初めてコロンボ警部の目に留まるシーン。「水色の部屋とマットレス、そこにすっと座っている。」この構図は、まるで絵画。地味な衣装も似合います。その他あらゆるシーンの彼女のファッションが素敵です。
It’s All In The Game
ブログ作者や他の方も書いていますが、これは1958年のR&Bのヒット曲です。この歌では「すべて恋の駆け引き」という意味で使われています。被害者がギャンブラーだからGameを使ったのかと思いましたが、コロンボと犯人の駆け引きを指していると思います。自供を条件に共犯者を逃がすのも駆け引きですね。
共犯者の家に礼状なく踏み込むなど頂けない点がありましたが。動機が明確になるにつれ、犯人に同情したくなります。悲しい終わりかと思ったが、バーニーズに場面転換して明るくなりますね。
フェイ・ダナウェイが本当にきれいですね。彼女が乗っているのはジャガーXJSのコンバーチブル。ベージュの革と木の内装が素敵です。
(ネタバレ注意です)
「自白させるしかない」そう言っていたコロンボがとった手段(共犯者で、相手が一番守りたいと思っている可能性がある人物に対する尋問を見せる)に息を呑みました。
憎からず思っている相手をどんどん追いつめるコロンボは一見飄々としていて、バーニーの店のオーナーの『解説』がなければその心情を見過ごしてしまったかもしれません。
昔見た時はローレンを単に「したたかな女性」でコロンボとの勝負に負けただけのように捉えていたのですが、今見ると辛かったです。ロクでもない男相手に手痛い思いをした後に、コロンボをごまかそうと本気で(色気を使って)勝負すればするほど、コロンボの良さがわかってくるんですね。でも結局最後までお互いの立ち位置で犯罪行為の真偽を巡ることに徹したやりとりが、プロ(コロンボ)で大人だ…と感慨深かったです。
とてもいい作品でした。こちらの考察を読ませていただいて本作の深みが少しわかって感動しました。ありがとうございました!
タイトル訳はなるべく恥ずかしくなればなるほどいいかなと、ふと思いつきました「コロンボ、恋のかけひき」(勝手にせいってか?)
少し横道にそれますが、フェイ・ダナウェイつながりでウォーレン・ベィティのことを。彼は2002年の「刑事コロンボ」に犯人役で出演が決まりかけたものの実現しませんでした。2002年というと、最終話でしょうか。実現しないので別の話になったのかも。当時の彼は60半ば、魅力的な(?)犯人だったでしょうに。この辺りのエピソードをご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えて下さい。
こちらのコメントはずっと気になっておりまして、私も信頼に値する一次資料を探しておりましたが、残念ながら現在のところ見つかりません。
存命の関係者の記憶も曖昧になる一方でしょうから、今後何か新しい情報が出てきたとしても、情報の信頼度は低いと思います。
実現したら嬉しい企画だったのでしょうが、ピーター・フォークを悩ませ続けた「慢性的な脚本不足」がネックになった可能性が高いと個人的には思っております。
コロンボを観る時は必ずこちらのサイトを拝見しながら楽しんでおります。
本題と全く関係なくて申し訳ないのです。
もう、既出だったらごめんなさい。
中盤に登場する電話局のオペレーター役の女優さんはウーピーゴールドパーグさんに似ていると
かねがね思っていましたが、先日あらためて観るとやっぱり…似ている、本人?
まだ、有名になる前に出演されてたんでしょうか。
IMDbで調べてみましたが、あの女優さんはTalya Ferroさんというお名前のようです。別人ですね。
「恋に落ちたコロンボ」の放映は、「天使にラブソングを」公開の翌年ですよ。
えええ~?クレジットにも出てないし、んな訳あるかーい、と思いつつ見返してみると、自信無くなってきました・・・眼鏡の間から上目遣いに除く小さめの目、眉の上がり具合、少しあぐらをかいた鼻、大きな薄めの唇。もうちょっと声はしゃがれていると思うのですが、若いから?それが演技力?とも思えたり。ただ、頬はもう少し高い気がします。なので、やっぱり違うかなあ・・・
↑書いているときはまだヴォロージャ・ウリヤノフのコメントが私のパソコン上で反映されていませんでした。スッキリしました、ありがとうございました!
フェイ・ダナウェイて。
反則級に大物女優ですなあ。
「俺たちに明日はない」は、映像音痴の私が映画館で見た記憶があります。
この作品に出てきたときには、年をとったなあ、というのが第一印象でしたが、
作中でどんどん魅力的な女性になっていくところが、ケタが違う大女優ですね。
内容も、コロンボを鬱陶しがるところが少なく、(無いわけじゃないが)
ギリギリまで良好な関係を築いているところが、他と違う。
行きつけの食堂のおじさん、ロバート・レッドフォードがどうとか、
それは「明日に向かって撃て」、映画が違う。
あと、娘も殺人の共犯なんですけど、コロンボ、見逃しちゃっていいのかな。
冒頭、0:26で車から夫婦が降りてくるシーンと、0:47で車から夫婦が降りてくるシーンが同じですね。
鑑賞後、切なかったです。
母親が必死に守る孤独な娘の姿。
最後にコロンボ自ら手錠をかけるのは、彼の優しさと感じました。
と同時に、コロンボの腹のくくり具合を見た気になりました。
フェイの表情は素晴らしかったですね。
アメリカン・ニューシネマ、例えば、映画「明日に向かって撃て!」(1969)とか、本作の犯人:フェイ・ダナウェイがヒロイン役だった映画「ボニーとクライド/俺たちに明日はない」(1967)での、ラストの唐突なあっけない幕切れは、「刑事コロンボ」の突然断ち切るようなエンディングとどこか似たところがあると兼ねがね感じていて、1960~70年代ごろの映像作品の主流な手法のひとつだったのではないでしょうか。映画「カプリコン・1」(1977)なども、そんな終わり方でした。
さて、本作はピーター・フォーク自身が(自分の都合のいいように)脚本を書いていて、製作総指揮も務めていて、彼自身の「長年頑張った自分へのご褒美」的作品となっておりまして、まあ、コロンボがモテることモテること、羨ましい限りです(笑)。大変よい雰囲気で、好印象な作品となっており、個人的にも大好きですが、裏を返せば、ピーター・フォークによる番組私物化の象徴的作品として批判されそう。でも、いいじゃないですか、そんな回があっても。
この作品についてもtempus fugit様から、面白い裏話をいつかお伺いしたいものです(シェラ・デニス〔シーラ・ダニーズ〕が機嫌を損ねたとか、絶対何かありそう・・・笑)。
YC-30さんに呼ばれましたので、出てきました(笑)。
この作品、ひどい日本語版タイトルのせいで「食わず嫌い」、というよりブルーレイ全集を入手するまで観る機会がなかったので、そもそも長らく「食べる」ことがありませんでした。2回ほど見た後にこちらのコメント欄で「評価のむずかしい作品」と書いていましたが(7年ほど前)、その後見返した際は、ずっと評価が上がりました。
やはり、フェイ・ダナウェイが演じたことが大きい。この作品で賞を取ったというのもうなずけます。新シリーズの中では抜群の存在感だと思います(逆に旧シリーズほどの大物俳優が減ったことも意味も痛感させられます。
ストーリーは、ミステリとしてはそう凄いとは思わないし、電気毛布・ネクタイ・愛する身内をかばう・犯人(今回は共犯)を逃がす、といった旧作のパクリらしい要素も多い。しかし(以前のコメントに書きましたが)、嘘なのか本当なのかわからず、さらにそこに相手を出し抜こうという駆け引きがからんだ2人の微妙な関係を絶妙に描いています。
原題の “It’s All in the Game” の game は、日本語の「ゲーム」と違い、「遊び」「競争」「勝負」「策略」「だまし」「戯れ」「冗談」と、幅広い意味を持ち、状況によって異なります。しかしこの作品では、そうした意味のどれもが当てはまるように見えて、タイトルも絶妙です(それだけに邦題が・・・)。往年のラブソングのタイトルでもあるというので、それを知っている世代にもアピールするものだったのでしょう。
初めて見ても誰でも楽しめる旧シリーズ(特に初期)と違い、視聴者がすでにコロンボを知っていることを求められるように思われるので、その意味では新シリーズならではの作品といえそうですが、意外なことに、この作品の着想は旧シリーズの初期からピーター・フォークが持っていたのだそうです。長くなったので稿を改めます。
続きです。コロンボの製作舞台裏を当時の記録や証言から明かした本”Shooting Columbo”によると、この作品は実は長期にわたる構想を経たものだったそうです。YC-30さんがお詳しいクラシック音楽になぞらえれば、ブラームスの交響曲第1番、あるいはベートーヴェンの第9みたいなものでしょうか? 以下、同書から抜き書きしますと、
・旧シリーズの第1シーズン中、脚本の手直しをしょっちゅう求めるフォークに手を焼いた原作者リンクとレビンソンが「そんならひとつあんた自身がシナリオを書いてみたら?」と要求し、黙らせようとした。フォークは、かつてプロの捜査関係者から聞いた「有力な容疑者に感情移入してしまった」という実話をヒントに執筆に取り組んだが、いざやってみるとおろそしく難しい仕事であることに気づき、陽の目を見なかった。
・新シリーズで、フォークはかつての草案をひっぱり出して書き直したものの、代々の製作総指揮のプロデューサーからOKが出なかった。しかしフォーク自身がトップになったのを機に、何か月もかけて納得の行く脚本を仕上げた。ただフォークは、この作品のカギは犯人を誰が演じるかにかかっているとも考え、適任者が見つかるまであわてず寝かせて待つことにした。
・そのころフェイ・ダナウェイに犯罪心理学者を演じるドラマの話が持ち込まれ、彼女は「ミステリのシリーズものでキャラクターを演じるためのアドバイス」を得ようと、「コロンボ」のピーター・フォークにコンタクト。両者は息が合い、フォークがこの作品のシナリオを送ってみたところ、彼女は「このホン、いいじゃない!」これで犯人役が決まった。
・しかしフタをあけてみると、製作総指揮としてのフォークは彼女に手を焼くことになった。2人のヘアドレッサーと3人のメイクアップ担当者を抱え、出番が来ても楽屋でお化粧に余念がなく、なかなか出てきてくれない。フォークに泣きつかれたユニバーサルの重役いわく、「ピーター、ボスはあんただろ」。
・・・ということで、過去、製作陣をさんざん困らせてきたフォークは、しっぺ返しというか因果応報というべきか、この作品の製作で逆に困らせられる立場に立たされることになりました。
YC-30さんが期待した、フォークの妻シェラ・ダニーズがデレデレするコロンボのダンナをどう感じていたのか、”Shooting Columbo”には残念ながら記述はありませんでしたが、撮影を終えて帰宅したフォークがダニーズに「フェイ・ダナウェイ、本当に困った人なんだよ。例えば今日なんかは・・・」とグチって、カミさんの逆鱗に触れないように細心の注意を払っていた、なんて想像すると楽しいですね。
tempus fugit 様
さっそく貴重な舞台裏の情報を教えていただき、ありがとうございました。相変わらず、驚きの内容ばかりですね!
こうした、毎回毎回の新シリーズのエピソードだけで、本当に1本の映画が撮れるに充分な面白い題材の宝庫ですね。真実を追求した作品にすると、関係者の立場によって異なる見解になりますので、やはりパロディー作品にするのが良いですね。
>カミさんの逆鱗に触れないように細心の注意を払っていた、なんて想像すると楽しいですね。
今日も仕事を片付け、カミさんと家で平和にテレビを見てたら本作が始まり、言い訳が通用しない展開に・・・。
フォーク:「いや、あの、絶対・・・ここまでで、ここを過ぎていないから・・・フェイ・ダナウェイ、本当に困った人なんだよ・・・(汗)」
それでもカミさんに張り倒されたかも知れません(笑)。
初視聴です。
初放映時は「恋に落ちた~」というタイトルを食わず嫌いして、観なかったんだと思います。
フェイ・ダナウェイの魅力全開ですね。
私がこの女優を初めて観たのは、「俺たちに明日はない」ではなく「タワーリング・インフェルノ」でした。
建築家ポール・ニューマンの恋人役で、華やかながらも聡明で、気遣いできる女性を演じていました。
ただ、当時小学6年生だった私は、流石にその良さが分からなかった(笑)
「恋に落ちた~」でも”とびきりの美女”と扱われていますが、いかにもハリウッドという人工的な美女ではなく、人間味のある美女ですね。
日本の女優でいえば、栗原小巻、といったところでしょうか?
タイトルからして期待はしていませんでしたが、とても良い作品だなと思いました。旧作に通じる哲学を感じました。旧作にも息子を逮捕することで自白させる作品がありましたね。ただし本作の方がよりコロンボ作品らしい気がします。殺す側の理由が”正当”だからでしょうかね?
行きつけの店の店主との会話もとても良かったです。「刑事のいうことを真に受けてどうする?」みたいな言葉とは裏腹に・・・とか考えてしまったり。コロンボの内心への興味をかき立てられる作品でした。
「プレゼント探して世界中を3度回っても、これ以上の物は見つからないでしょう!」
こういう洒落た事をサラッと言えるようになりたい。
このエピソードでもパンにピーナツバター塗ってレーズン載せてました。レーズンは老舗のサンメイド ナチュラル カリフォルニア レーズンですね。昔は日本でもこのメーカーのレーズン箱入りで売られていたそうです。
http://import-selection.ciao.jp/itm/item-0307.shtml
昨日と今日にパンにピーナツバター塗ってレーズン載せて食べました。思ってたより美味しかったです。また食べたいとは思いませんが。
ベースが甘くて、トッピングが甘酸っぱい?
サイコー!って美味しさでもないのかな笑
時間差視聴になりますが、今夜久々にこの作品をゆっくり味わいました。
今更のように思ったのですが‥この作品は名作です。
それに気づいて良かった。今回の放送ををご覧になり、
この作品を高く評価しておられる方々の気持ちに共感しています。
偶然ながら、私が先日「初めまして」で好きな作品として挙げさせていただいた本作がこうして取り上げられていて嬉しく思いました。
コロンボ作品の中では変化球かもしれませんが、犯人をジワジワと追い詰めていく通常の流れとはちょっと異なり、本気なのか駆け引きなのか、駆け引きなのだろうけれどちょっぴり本気なのかも?・・と色々思いを巡らせてしまうシナリオが大好きです。もちろんピーター・フォークとフェイ・ダナウェイの名演技は言わずもがなです。あの“ボニー”とコロンボが恋(?)と捕り物の駆け引きをしているだけでも胸躍る作品でした。
ちなみに、Wikipediaでフェイを調べてみたら1974年にJ・ガイルズ・バンドのリード・シンガー、ピーター・ウルフと結婚していたと知ってびっくりしました。「堕ちた天使(Centerfold)」大好きだったな〜(コロンボと関係ないネタでスイマセン)。
何回か観ましたが、これはコロンボが恋に落ちたのではなく、フェイダナウェイが恋に落ちたとした方が妥当だと思いました。
フェイにネクタイを、買ってもらうシーンの最後でコロンボが
「わたしならしない〜ポーカーに行かないのならそう言います」
という殺し文句で確実にフェイが「落とされて」いますよね。
大人になって見返しての発見は、コロンボ役のピーターフォークが凄くセクシーな役者さんだったこと。フェイの回の脚本を彼が書いたなら、よく分かってらっしゃるという一言に尽きます。
コロンボシリーズの根底にあるヨレヨレの服装、どこかとぼけているようでかなりキレる奴という特徴と同じくらいの大前提で、愛妻家というのがあります。最後までブレてないのがコロンボの瞳の奥にあるような気がしてなりません。
とはいえ、随所にフェイさんに口説かれてとても嬉しそうではありました。
そんなちょっと違う表情のコロンボを見せてくれるあたりが、ピーターフォークのホントの意味でのファンへの「色気」かもしれませんが。
同じことかもしれませんが、ローレンの目を通して、コロンボの魅力を再認識するような感覚も持ちました。それは純粋な目です。ローレン自身もそれに気づいています。
これまで見た”新”シリーズの中で1番好きです。ゲストスターの演技力にぐいぐい引き込まれて、最後の独白で完全に心を持ってかれました。ズタズタに傷つけられたプライドを隠しながらも、コロンボの優しさにほだされていく様子が絶妙でした。まさにここが今回ピーターフォークが描きたかったところではないかと思います。scumbag(ゲス野郎)に母娘共々蹂躙され、憔悴した犯人が実直なwarm natureの中年男(初老?)に癒されていきます。互いに惹かれ合ってる口振りをして、視聴者に「駆け引きをしているよ」と思わせつつ、実は「自分は、事件を解決する職業刑事であるばかりでなく、”人間コロンボもここに居ますよ”とね。
この女優さんの事は知らなかったのですが、Bonnie and Clydeのボニーを演じられた方ですね。一瞬凍りつく表情とか、トイレで、考え事しながら、ショルダーバッグを肩にかける仕草なんかローレンその人です。
作品の流れも小さな手掛かりを元に犯人を痛ぶりながら追い詰め、落ちないとみるや、Lisaへの見せしめの尋問を行い、自白を引き出すあたり、classic Columbo を踏襲していました。犯人に同情するところもコロンボらしかったです。
邦題「俺たちに明日はない」ですね、大好きな映画です。
この一本で、映画の様でした。
お決まりのアリバイ崩しやトリック回収もサラッとしていて、ひたすら、「恋のかけひき」でしたもの。
とはいえ、なんとも味わい深く、正統派コロンボではないけれど大好きです。
ラストで交わされる、「父親は?」、「ローマで会った男よ」の会話に、猛烈にしんみり。
というのも昔フェイ・ダナウェイは共演した伊俳優のマルチェロ・マストロヤンニと大恋愛をしたそうです(マストロヤンニ自伝だと)。子供が欲しかった彼女と欲しくなかったマストロヤンニが揉めて別れたとのこと。その映画も見ていたし、そのことを余談で知っていたので、あの二人の母娘関係にかってに連想・妄想が広がってしまい猛烈にしんみり来ました。
フェイ・ダナウェイのとの熱愛破局の後、マストロヤンニはドヌーブとの間に娘をもうけます。その娘さんは女優になってますが、今回の女優さんと雰囲気が近いです。
コロンボってこういうオタクサービスが随所にありますよね。
コメント、楽しく拝読いたしました!
マストロヤンニ、ドヌーブ、繋げて読み解くと面白いですね。
コロンボでは富裕層=高級車、というわかりやすいアイコンで統一されていますが、ここではロールスを本当に燃やしてますよね?制作予算があったんだな、と感心しました。
おはようございます。いつも楽しく拝見させていただいております。
一つご教授いただきたいのですが、最後のシーンで
①店主が「あんたがパクったの」
②コロンボが一番最後に「カミさんとテレビ見るの」 と言っているのですが、それぞれ英語では何と言っているのでしょうか? よろしくお願いいたします。
英語ではこう言ってると思われます。
あんたがパクったのか?
Did you make this pinch?
木曜の夜さ。カミさんとボウリングだよ。
Thursday night. Take wife to the bowling.
ありがとうございます。大変参考になりました。^_^
時間の逆流もう一つ。
噴水の逆回しは、ハッとして気づいたのですが、その後、?というところがあります。
メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲をピアノを交えて演奏しているのですが、賑やかな三楽章エンディング近くの演奏後に、一楽章冒頭付近が演奏されています。(二人ソファーに座って会話しているあたり)
気付きました?
まあ、パーティーでのBGMって、そんなものかも知れませんが。
楽しかったです。フェイ・ダナウェイは冒頭の赤いドレス姿を見たときは流石に年齢を感じさせましたが、その後の演技やファッションセンスは今までの出演者とは貫禄が違ってました!
ピーター・フォークも苦渋の場面もありましたが、全体的に嬉しそうに見えましたよ!今回の脚本が彼自身ということは、ゲストスターも希望が反映されているのでしょうね。
そう言った意味でドラマとリアルの間を行ったり来たりしながら観てしまいました。
ストーリー的には、架空の共犯者をローレンとコロンボはどう立たせられるのか、不完全なままは否めませんね。
噴水、まばたき、確認しました!
逆再生は、昨日、某番組でギネス環奈さんのスマホ動画テクニックで、ズームインとアウトを変えると良い動画ができる、をTVでやっていたので、まさにこれか、と思いました。
その直後の、Createrd by レヴィンソン&リンク、Written by ピーターフォーク からいつ脚本が書かれたか、興味を持ちました。手元にある「完全捜査ブック」では、”スタッフにつきまとわないよう、フォークを多忙にする作戦” の記述がありました。レヴィンソン没後、6年の作品、涙が出てしまいました。
コメント有りましたが、ダナウェイをあてた高畑淳子の声力が強くて本人に見えてきました。←ホント?
ダナウェイ、良かったですね。これでエミー賞取ったんですよね。旧シリーズからある、雰囲気重視の系譜に連なる作品ですね。
ジョン・フィネガンの役どころも良かったです。
チョイ似シリーズその?? 被害者のニック→北村一輝
コロンボが内心を露わにしたり、キスされたり、手錠かけたり… コロンボらしくないとはいえど、ピーターフォーク自身の脚本であるだけに 魅力的な作品なことには違いないですね。
それにしても 死体がしっかり瞬きしてるのはあの時代は撮り直しにはならなかったのでしょうか?
また、冒頭の噴水逆再生の意味をどなたか知っていらっしゃいますか? 教えてください。
新シリーズの中で今まで観た中では一番好きです。
フェイダナウェイがこれは自白がないと解決は無理ですよねと言ってるので、自白する代わりに娘を自由にするのは大きな意味でのコロンボとの内密な司法取引に思えます。
その上、殺したのがあまりにも悪い男ですし娘は撃ってないのでコロンボが娘を逃してあげたのはなんとか理解できます。
ちょっとわからないのは管理人は一回しか拳銃の音を聞いてないので、二発目は空砲だったのかなあ。そこがよくわかりませんでした。
あと彼女の家、今回は特に大豪邸。素敵でした。
ただ娘にも悪いことした犯人ですし、娘が事件に関わってないことにしてそれ以外は本当のことを言った方がフェイダナウェイの罪の軽減にはなるでしょうが。
娘に悪いことした犯人
ではなく娘に悪いことした男でした。
コロンボとステイトンの恋人ごっこのような騙し合いが面白くて見入ってしまいました。
ステイトンの誘惑に乗っかる振りをしているため、会いに行く時はプレゼントされた赤いネクタイをしなければといつものネクタイをめんどくさそうに外してる場面が印象的でした。
大女優の名演技も素晴らしかったけど、吹き替えをされた高畑淳子さんも凄くハマってましたね。聴いているうちにダナウェイの顔が高畑さんの顔に見えて来ました。
メイドさんがコロンボ特製のピーナッツバターレーズンサンドを食べた時に「超おいしい〜」みたいな事を言っていて、たしかに90年代の初め頃から急に「超〇〇」って言うようになったよなぁって思いました。
これまで見てきた新シリーズの中で、個人的には一番好きな作品でした。
フェイダナウェイの演技力、半端じゃないですね。パワハラ気味の演習にも余裕で応えていたと思います。ちなみに、ニックの性癖に娘が気づいた理由のシーンでは、字幕は耳たぶでしたが、あの大女優にnipples(乳首を、、)とつぶやかせていたように聞こえました。
この日は午後BSの映画で「北北西に進路を取れ」で、あのマーティンランドーが活躍していて豪華な一日となりました。
演習→演出 でした
英語勉強中で、毎回英語で聴いていますが、おそらく、nibble on your earと言っていると思います。
ありがとうございました。。そうですよね。。そんなわけないですね。
どちらにしてもそんなことで親娘で気が付くことがあるのかなと思いつつ見ていました。
ありがとうございました。
この作品、ピーターフォーク脚本ということですが、見終わって何故か
フェイダナウエイ出演の「チャイナタウン」を思い出しました。最後の殺害の動機の話しを
聞いていて、そう思いました。
わたくしもチャイナタウン説に同感です。
前回の「死者のギャンブル」ではコロンボに白髪がもっと目立っていたと思ったのですが
ピーター・フォークの自作自演的な役得脚本やフェイ・ダナウェイの年齢に併せて
若メイクでもしたのでしょうか?ネクタイ絡みの会話でそんな事を匂わせている…。
全話録画を試みている方がおられるなら御意見希望。
冒頭17:28、2回鳴るブザーの合間に死体のニックが目を瞬きましたね〜。2度目の銃声はリサがトドメを刺したのかと思ったほど、はっきりとしてます。リサの動きがメインのシーンなのでニックの俳優さん油断してしまったんでしょうか?
リサとローレンの似てない親子は最後のどんでん返しのための布石ですから仕方ないでしょうね。
死体の瞬き、目立ちましたよね、迷子の兵隊の回でもうっかりそんなシーンが映ってたり
別の回でも死んでるはずなのにおなかが膨らんだり引っ込んだりしてたのが映ってたり、ちょっと興ざめですね。
困ったことにw私的には「初夜に消えた花嫁」よりも始末に負えないw。脚本家ピーターフォーク氏wを役者ピーターフォーク程に評価できないのです。「コロンボ」で遊び過ぎている。所々、ピーターフォークがデレーっとしちゃって「コロンボ」を抑え込んじゃってる感じ。それでも全体としてはコロンボがまずまず上手くやってるかなw(とまたしても上から目線)。私的に好きな「愛情の計算」を脚本家ピーターフォークが踏襲しながらもあまりうまくないって感じか(重ねて上から目線)。
新シリーズでも特徴のあるバイプレーヤーがいましたね。
ハバック巡査です。女性警官だけどキビキビ動いていました。
銃の抜き方もサマになっていました。
ここいらで、「刑事コロンボ」に新鮮味を加えるためにも、全く正反対にキビキビ行動するハバック巡査と相棒を組んで事件を解決する、というストーリーも面白かったのでは、と思います。
「コロンボ!君は今日からハバック巡査とコンビを組んで捜査しろ!」
「エッ!あたしとですか~」
という、コロンボと本部長との会話からストーリーが始まるのはどうですか?
お初です。
コロナの影響で 普段は観ない吹き替えですが敢えて 拝見しました。
以前 フェイさんはCMで来日された時に ホテルオークラのエレベーターですれ違い 思わず「 フェイだ! 」(⇦ ぉぃ )と言ってしまったところ 呼びつけてしまったのに嫌な顔もされず 振り向いて「 はぁ〜い 」とニッコリして戴きました。昔からファンだったので信じられないくらいの幸運でした。
この外出もままならない時に 嬉しいハプニングを思い出し 何度目かの再放映に出会い書かせて戴きたくなりました。
ローレンとコロンボは 犯人と警察という逆の立場にありながら お互いに 気の合う相手として惹かれあったと思います。だからこそローレンはニックとの不名誉なことを コロンボに踏み込んで欲しくなかった。 でも娘の為にはすべてをコロンボを打ち明ける道を選ばざるを得なかった。二人の女性への思いやりに満ちた優しさはとても好ましく思います。
手錠は仕方なかったでしょうね。温情をかけてしまったことを他の警察官に悟られたくなかったでしょうし ローレンもわかっていたと思います。
ローレンの仕事の件ですが 薔薇の花束を貰って嬉しそうなローレンの開いていた大人の女子会の風情から 裕福な働かなくてもよい女性たちだと思います。
欧米には働く必要のない人たちが多くドラマに登場しますから。
証拠となった黒い年代物の椅子に跨ったポーズはジェーンフォンダもそうでしたが 育ちの良い甘やかされたまま大人になった女性らしい感じに思われました。
コメントを再読させていただきました。
素敵です、ありがとうございます。
フェイ・ダナウェイをゲストスターに迎え、ピーター・フォーク自ら脚本を書いたというだけで、彼のこのエピソードに対する並々ならぬ意欲が感じられます。
コロンボ史上初?のコロンボのキスシーンなど、ちょっと目を疑う場面も多々ありました。憧れの大女優との共演を心底楽しんでいる感じですね。
フェイ・ダナウェイはゴージャスという言葉がぴったりの女性。
そういえばピーター・フォークの奥様シェラ・デニスもどこかフェイ・ダナウェイに似ているようにも思えます。
娘のリサを見逃すシーンで「忘れられたスター」のラストを思い出しました。しかしこの時は犯人が亡くなるまでの期間限定での見逃しでした。それに比べて今回は?酌量の余地のある犯人に対してでもプロ意識を持って逮捕してきたコロンボの信条とは相容れないのでは?とちょっとモヤモヤが残りました。
ジョン・フィネガン演じるお店のオーナーにコロンボがローレンのことを相談するシーン、いいですね。旧知の仲の2人のやり取りを見てると和まされます。
この回は、どこかに温かい空気が漂っていて、好きです。
みなさん、コメントありがとうございます。よござんすかさん「ニックは本当に悪いヤツ」ですねー確かに。
殺された人リスト、コロンボ研究にありました!さすがです。
噴水の場面、もう一度見直さなきゃ!そして、「あー、ほんとだ!」と確認するのがとても楽しい作業です。
それにしても、殺害されたニックは本当に悪いヤツですね。殺害された人リストがあったら、ダントツ1位ですわ。殺意を抱かれて当然の男です。許せん!
一作目の殺人処方箋から再鑑賞し続けて新シリーズも終わりに近づいて来ました。皆さんと同じ様に観た後こちらに来て居ります。管理人さん素敵な場所ですね。
あまりぱっとしなかった新シリーズですが良い出来だったとおもいます。オープニングの庭にある噴水がどう観ても逆に流れてますよね
邦題は、コロンボがまさか「かみさん」をおいて恋に落ちるわけはないとファンはわかるでしょ?と考えた上で付けられた題名だと思います。
上で指摘されているAll inやGameの含みを日本語に置き換えるのが難しかったため、「恋に落ちた」と敢えて言った、いわばコロンボファンとの信頼関係の上に成り立たせようとした題名ではないでしょうか。
コロンボが本当に恋に落ちたのか?というのは微妙にも見え、楽しみ方の一つとしてはアリだと思いますが、私は鏡に写ったコロンボの、口紅を拭うときの表情を見て演技だったんだなと確信しました。
バーニーの店でもローレンを「いい人」だと言っていましたし。
ローレンが花束を抱えている表情は本当に嬉しそうでしたし、犬のバスケットもコロンボにとって本当に嬉しいプレゼントだったと思います。
もう一度見直したいですが、恋に落ちきってはいないけれど、少しそれに似た感情が芽生え始めたのかな、というところで核心に迫るという上手い構成になっていたのではないでしょうか。
最後のシーンでは上で他の方が書かれているような信頼関係が伺えました。
リサが娘というのは確かに驚きましたが、まあいいかと思えました。ただ、まさに互いに大勝負だったとは言え、コロンボがあれほどはっきりとキスされるのはちょっと抵抗がありましたし、自ら手錠をかけるのもあまり見たくなかったのでそこは個人的にマイナスです。
あと新しめの作品は露骨に「かみさんを大事にしてる」感を出してくるものが多いですが、少し苦手です。この作品では内容的に仕方ないところもありますが、もう少しオブラートに包んだ表現を採用してほしかったです。
みなさんコメントありがとうございます。この作品に3票追加します。
リサとコロンボとの会話を聴くと、とても胸が詰まって涙が出る。
コロンボのお話のトーンやしぐさには、深い優しさがこもっている。
会話に表れないコロンボの大きなオーラに照らされ、
リサは母親の愛情に深さと決意とを知る。
コロンボは、ローレンの自供を得る前にリサを釈放した。
その時点では、深い動機すら不明瞭なままだった。
常識的には順番は逆なのだが、そこは、コロンボとローレンとの
信頼関係が成せること。
リサ釈放を先にすることは、深い信頼関係においては不自然ではなかった。
コロンボとローレンの間の清らかな魂のホトバシリが、それを可能にした。
コロンボと犯人との間に起こる、この魂のホトバシリは、例えば
「別れのワイン」や「黄金のバックル」でも交わされた。
長年の人間関係よりも深い信頼関係が、その瞬間に結ばれたのだ。
本国オンエアは’93年。日本の放送まで5年半も掛からなければ、シェイクスピアやらジョージ・ルーカスやらにくっついた「恋におちた○○」も使われなかっただろうし、坂上みきさんがフェイを「オーマイガーッ!」と評する事も無かったでしょう。
やだコロンボさんてば不倫の恋?などと視聴者の心を引っ掻き回すストーリー。そういえば「恋におちて」なんて歌も金曜日と関係あったな。映画『ヒドゥン』で大きな銃を撃ちまくっていたクラウディア・クリスチャンと『俺たちに明日はない』で銀行襲いまくったフェイ・ダナウェイが親子ってすごく納得出来る(違うでしょ!)
新コロンボで断トツのベスト。
ダナウェイのための作品。
邦題が唯一の難点。
お互いの人柄にひかれあうが 勿論『恋』ではない。
細かいセリフが旧作同様よく練られている。
『はなのいろ うつりにけりな いたづらに』がテーマ。
ダナウェイとコロンボで共演できたフォークが幸せそうでよかった。
改めて見てみると、
リサが老けすぎてるんだと感じました。
実際の年齢は知りませんが、
若々しく映るローレンと違って、リサはどちらかといえば不細工です。
親子には見えないのはそのアンバランスさでしょうか?
評価のむずかしい作品ですね。
中年の男女間の、お互いに嘘とわかっているはずだけど、実はもしかしたら・・・と思わせる微妙で絶妙な交流、同時に、お互いに相手を化かそう、出し抜こうという駆け引き。
game という言葉は、こうした要素をすべてカバーする意味を持つと思います。また、”It’s All in the Game” は、1950年代にヒットしたラブソングのタイトルでもあります。
一方で、まったくコロンボらしくない、彼のイメージにそぐわない作品でもあります(ベタなメロドラマのような、とんでもない日本語タイトルがそれに拍車をかけてしまいます)。
最初に見た時は「なんだこれは!」と思いましたが、自分が熟年になった今見返したら、フェイ・ダナウェイとピーター・フォークの演技にも感じ入り、点数をアップさせたいと思った作品です。
殺害時に電気毛布をかけるが、なぜ顔だけ出したままなんだろう?。
顔だけ冷えますよ。
「二枚のドガの絵」のときは、全体すっぽり被せていましたよ。
犯人とコロンボとの初対面の後で、
コロンボは、ゆで卵を持ったまま、既に犯人を想定していた感がある。
と同時に、犯人が悪人ではないことまで見通していたと思われる。
なぜなら、ゆで卵を持ったままで、とても切ない表情を浮かべた。
あるいは、私がそう思いたいだけなのかも分からない。
同時に、攻め方を考えていたのかな?。
とにかく、コロンボの考えあぐねた顔を長時間映しておくというシーンだった。
この犯人とコロンボとの初対面を見ただけで、今回のコロンボに大きな期待を
寄せることが出来る。(まあ、何度か観ていることも大きいのだが)
バーニーの店で、本音を漏らしていましたね。ますます期待が膨らみます。
これまで一番長くかかった捜査は、9年4カ月だそうで、それは本当でしょう。
自供でしか事件解決できないとなると、共犯を攻めるというパターンで、
これまでもよくありました。
最後の犯人とコロンボとの深いやり取りが見せ場ですね。
動機の深い部分を聴いて、余人に出来ない犯人との信頼関係が結果的にできあがる。
なんとも切ない終わり方でした。
旧来からあるオーソドックスな流れで、わたし的に持っている評価尺度もほぼ
クリアしているので良かったです。ただ、犯人へ対する追及が弱いかなと
感じました。警察へ犯人を呼びだすまで、犯人は余裕シャクシャクでしたからね。
バーニー店オーナーへ「デカが言ったことを真に受けるだなんて、大バカだよ」
つまり、コロンボの言う事を一々信じていたら、コロンボの本質を見失うという
こと。「殺人処方箋」フレミングのコロンボ分析を参考にしよう。
「コロンボ、あんたはいつから裁判官になったのかい?」と言いたいね。
大岡裁きでもやっている気か?。警察による事件の改ざん事件だね。
タップおばさん「好きな女優ナンバー1が高畑淳子さん」なのですね!この作品に1票加えます。
エースさん、フェイ・ダナウェイOR高畑淳子のご感想、笑えました。
個人的に好きな女優ナンバー1が高畑淳子さんなんです。
綺麗だの可愛いだのそんなことは興味ない。
純粋に演技を見て「楽しい」と思える素晴らしい女優さんだと思います。
コミカルなものやシリアスなもの。悪役さえも素晴らしい高畑さんがどんな吹き替えをしていたのか?ワクワクしながら見ていましたが。
ドンピシャでしたねぇ。
で、肝心のエピソードのほうは良作でしたね。
殺人の動機も怨恨や私欲ではなく、全体的に美しく仕上がっています。
ピーター・フォークはフェイ・ダナウェイとの共演に大満足だったようです。
そのことはピーター・フォークの自伝にも書かれていて興味深いです。
電気毛布で死体を保温したり、無意識にスイッチを触ったりと細かい描写は旧シリーズの使いまわしのようですが、リサを見逃すラスト(コロンボ的ではないが)は個人的には気に入ってます。
ただ、コロンボがステイトンに手錠をかけるシーンはあまりに生々しく必要のないシーンだった気がします。
“恋に落ちた”とは言いながら、今までシリーズを見てきたファンはコロンボ警部がステイトンの色香に惑わされて報告書を書き換えるなどと思うはずもなく、終始コロンボの掌の上で繰り広げられたワンサイドゲームでした。
ローレン・ステイトンの職業が不祥な点と似てない娘リサは残念ですが、高畑淳子の吹き替えはしっくりきてたように思います。
ハマりすぎて途中でフェイ・ダナウェイだか高畑淳子だかわからなくなることもありますが。
原題の「It’s All In The Game」のお話、とっても面白いです!例えますとクイズダービーで「はらたいらに全部」賭けるような感じですね(笑)
新シリーズでは犯人が「愚か者」であるケースが増えますが、この話はそうではありませんね。その観点では「別れのワイン」「忘れられたスター」などの名作を思い出させます。
原題の「It’s All In The Game」は序盤にポーカーの話が出てきた事からポーカー用語のAll Inに掛けられているのではないかと思います。
All In=ここ一番で使う全額勝負の事です。
つまり女主人公の人生を掛けた大勝負とコロンボの色仕掛けに乗せられたフリをした勝負の事を指しているのではないでしょうか。
この作品、フェイダナウェイにキスさせたり少々クドい部分が玉に瑕ですが、つらい過去を抱えた女性の表情、変化、花束を貰った時の笑顔、そして悲しい結末…フェイのオーラと演技はさすがだと思いました。新シーリズの中では数少ないお気に入りの一作になりました。あとは、本当は本気で惚れていたんじゃないかという余韻が少しあれば完璧だったような気がします。
ころんぽさま>「ローレンがなぜ金持ちなのか」は、確かに説明不足でしょうかね。ウィキペディア「刑事コロンボ」のゲストスターの役の職業にも「富豪」とありました。(笑)
ローレンがなぜ金持ちなのか、説明が欲しかったと思いませんか。「ON」「OFF」ごっこは私にはちょっとしつこく感じました。