- グラハム・マクベイ「フォード・エクスプローラー」「フォード・エアロ・スター」
- ビンチェンンゾ・フォテーリ「リンカーン・タウン・カー・ストレッチト・リムジン」
マクベイ役のジョージ・ウェントが可愛い
また、レストランのオーナーであるロマーノを犯人に仕立てて殺害した後、「今、殺されそうになった」と警察に通報する時の顔が絶妙ですね。それにしてもマクベイさんは「スコッチ&ソーダでソーダ少なめ」を懲りずに連発するところは可愛いです。
残念な展開…でも、それが主題
「奇妙な助っ人」の邦題のごとく協力者を得て事件を解決しますが、こんな展開はこれが最初で最後。オチが「マフィアに殺されるよりも、殺人犯で刑務所に入った方がマシ」ということですが、33話「ハッサン・サラーの反逆」のイメージがちらつきましたね。さらに残念なのが、多少の暴力シーンがあり、コロンボ警部も殴られました。
捨て難い面も…
カリフォルニア尾長ネズミの話や、犯人を徐々に追い込んで行く駆け引きなど、意外と悪くない要素も多いことに気付きました。
ブリンドル刑事って?
ブルーノ・ロマーノ
ブルーノのレストランでバーテン「ルディ」
エド・マクレディ
みなさん同じビルでお仕事?
マクベイ牧場
マクベイの牧場は、LA北西部のサウザンド・オークス近くにあります。この辺りは牧場や農場が多くあり、27話「逆転の構図」で「ガレスコ夫人が誘拐された農家」、9話「パイルD-3の壁」のウィリアムソンの牧場もこの付近です。
監督:ヴィンセント・マケヴィティ
脚本:ローレンス・ヴァイル
グラハム・マクベイ:ジョージ・ウェント(声:樋浦勉)
テディ・マクベイ:ジェフ・イエーガー(声:井上倫宏)
ビンチェンンゾ・フォテーリ:ロッド・スタイガー(声:内田稔)
ブルーノ・ロマーノ:ジェイ・アコヴォーン
ローレン・バチンスキー:リンダ・ゲーリンガー
ルディ:ドン・カルファ
バーニー:ジョン・フィネガン
ブリンドル刑事:ブルース・カービー
婦人を助ける男性:エド・マクレディ
質屋(拳銃):アレックス・ヘンテロフ
パット・オコナー調教師:ジェリー・ギブソン
シファー警部:ジャスティン・ロード
加筆:2024年11月1日
最初見た時、オチが「ハッサン・サラーの反逆」に似てるなぁ〜と思ったらとっくにぼろんこ氏に指摘されていた(笑)
はじめまして。コロンボ全作品を見るにあたり、こちらブログを読んで面白さが倍加しました。コロンボの魅力は、合法の捜査の限界のなか、観察眼、知識、現場百回通い詰めての解決にあると思います。その意味でこの回は汚点と思いました。犬じゃあるまいし、犯人が証拠を庭に埋めるのが変でしたが、クライマックスで犯人が殴られてそれを自白するシーン、暴力を用いた捜査は合法ではなく、無罪すら招きかねず、コロンボは関与してないのかと思いました。でもやっぱりコロンボの仕掛けでした。必殺仕事人みたいな、最初から非合法で成敗の設定ならいいのですが、コロンボでこれは残念です。最終話で、マフィアが情報協力に留め、ラストシーンで犯人逮捕に謝意を語るのは、65話に批判が起きたことへの回答かな、と思ったのですがどうでしょうね。ともかく、ブログを楽しませていただきありがとうございました。
ぼんぼん様
仰るご指摘はごもっともで、何を反論しても叱られるのは覚悟しておりますが、最新のアメリカの映画やドラマのどれを観ても、ポリコレ全盛で、あれも駄目、これも駄目と、表現の縛りがこれだけきつくなってくると、失敗しても型破りな冒険が許された近過去作品に、私はある種の郷愁を覚えてしまい、本作などは個人的にそんなに好きでも無いのですが、「汚点」などと批判されると、条件反射的に可哀そうになり、つい弁護したくなります。これを「汚点」と判定されるのなら、70年代のコロンボ旧シリーズにだって、もっと酷いのが沢山ありますよ、と・・・。
イタリア語問題、私も分からないふり説を支持します。出会った最初から、一定以上は馴れ合わないよ、という意思表示。
コロンボが”反社”の手を借りていると嫌悪感強めのコメントが多いですが、警察といっても程度の差はあれ事件解決のために清濁併せ呑むことはあることで、全く潔癖なのはかえってリアリティを欠くように思います。コロンボはそのルーツから同じイタリア系として多少の同族意識はどうしてもあるけれども、それでも立場の違いから線は引くよ、殺人も容認しないよ、という姿勢は良きかなと。
’70年代を通ってきた者からすると、マフィアとか任侠ヤクザとかの、ファッションや生きるスタイルのカッコよさへの憧れって正直あります。血生臭いのはさておき、自分とは無関係な世界の夢物語として当時は楽しんでいたと思うのですが、しゃかりきに反社、反社と切られる昨今は少し世知辛い・・・(まあそれだけ反社を許さないというのが社会に浸透してきたということなので良いことなのでしょうけど)という訳で、私はこの奇妙な助っ人は会話も洒落てて好きなんですよね~マフィアにも信頼されて好かれてるコロンボ、いいじゃないですか?そもそも旧作と違うのは割り切り済みで。
最後に手下2人組を労うシーン、始めはバーンスティンの絡みで2人に何と(名前を)呼び掛けているのかと原語をチェックしていて、あれ?名前じゃなくてofficerって言ってる?と疑問符いっぱいでしたが、コメント読んでいてやっと、あ、この2人警察官だったんだ~と気がつきました。道理で一人目がLieutenantって応じてるのヤクザなのに?と違和感があったのが納得です。戻ってチェックすると、確かにコロンボが拉致られた時の最初の2人組とは全然違う!その後フォテーリが牧場に出張るシーン以降からは全部この2人、つまりずっとコロンボとのフォテーリの筋書き通りだった。コメント本当にためになります。
コロンボのイタリア語問題ですが、
かなり話せるけど時と場合で作戦上 わからないふりをするのでは、と思います。
この話のラストのボスとの会話、
飲もうと誘われますが
「自分はクリームソーダタイプの人間だが、あなたは違う」、と 境界線をきっぱり示しています。ここまでは皆様のおっしゃる通り。
その後の ボスの”Ciao “。
Ciao はイタリアだと親しい間柄での いろんな時に使う挨拶で、英語圏でも軽く使ったりするらしいです。
ボス”Ciao !”(さみしい)=「友達になれるかと思ったんだ」
コロンボ(空とぼけてるのを相手も承知とふんで)”That ’ s Italian for goodbye ?”=「その気持ちはわかったけど、境界線は越えられない、ごめんよ~」
ボス”Get out of here !”=「イタリア語分かってたんだろ、とぼけやがって、このやろ~!」
コロンボの笑顔=「ばれてたんだねえ」
ボス”Take care! “=「たいした奴じゃねえか」
コロンボ手をふりながら振り向いて
=「いろいろどうも」
と解釈してみました。いかがでしょう。
「夜の大捜査線」のラスト、シドニー・ポワチエとスタイガーのやり取りが
めちゃくちゃカッコよくて沁みる名シーンだったので、
この「助っ人」のスタイガーの表情も深読みしちゃいました。
「スタイガー署長」が見たくなって「夜の大捜査線」見直しました。
被害者の未亡人役にリー・グラント!
ポワチエを信用しないスタイガーに「早く犯人を見つけなさい!」と一喝、「あの黒人刑事に捜査をさせるように」との条件も出します。
強くて賢くて美しい。
なんでも赤狩りのブラックリストに載っちゃって ずっと干されてたのが
1967年の大捜査線で復帰したとか(wiki)。
気骨のある方みたいで 80才の時に社会派ドラマ制作など、ずっと 活躍されて、 昨年97才を迎えられたそうです・・・すごい!
それからもう1人。
ウォーレン・オーツが馴染みで立ち寄るダイナー(カフェ?)店員のアンソニー・ジェイムズ、重要な役での登場ですが、コロンボ1話で自白しに来るトミー役なのですね。
スタイガー氏は よくよく見ると 可愛いらしいお顔立ちしてると思います。
>反社、反社と切られる昨今は少し世知辛い
同感です。
私の子供時代には、日本でも清水次郎長親分は、絶大な人気がありました。
原題 Strange Bedfellows 奇妙な助っ人はほぼ直訳ですね。
Bedfellowはベッドのお相手、同僚、不倫相手、一時的な仲間を意味します。
Misfortune makes strange bedfellows はことわざで、不幸が縁の奇妙な友情。
strange bedfellowsはシェイクスピアのセリフに出てくるくらい古い言い回しのようです。
マフィアの恐怖を利用し被疑者の車に追突したり、殺すと脅すなど作品としてはまったくいけませんね。
☆本作について、過去のコメントでの私の主張(まとめ)。
コロンボが、フォテーリの手下で犯人を追いかけまわす役の若い男二人を、ラストシーンで、ちゃんと「巡査(officer)」と呼んでいるのに、日本語吹き替え版では、二人がマフィアの一味なのか何者なのか正体を明かしていない。同じく最後、コロンボとフォテーリの会話のニュアンスも全然違う。原語で聴くと親分フォテーリでさえ、もうマフィアから足を洗っていた可能性を排除しておらず、含みを持たせている。日本語吹き替え版で何でそんな大事な点をボカしたのか、極めて謎。
※【注意】ここから先、本作より過去の「旧シリーズ」作品についてのネタバレ有り。
☆この年末年始、新たに私が本作について考えたこと。
コロンボが、マフィアまたはマフィアの名を借りて犯人逮捕に結び付ける本作のアイデアの源流は、25話「権力の墓穴」に有ったのではないか? 要するに(元?)窃盗犯の協力を得て犯人を逮捕したあのエピソードの拡張版なのでは? 今回、それが結果的に作品として上手く仕上がっているかどうかは別として・・・。
別な角度から、本作は、私が大好きなイタリアの大作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディ作曲の最晩年の最高傑作オペラ『ファルスタッフ』と同じように、喜劇として接すると、名役者揃いだし、何倍にも楽しめることに気付きました。思いの他、底無し沼みたいに奥深い作品かも知れませんよ。
ちょっと試みに『ファルスタッフ』風台詞を自作して遊んでみました。
「みんな、お互いを嘲る愚か者! そういうあんたもあたしも騙されている!」
「警察とか軍隊とかの暴力の独占は、権力を持つ側にとっては当たり前。権力とは、意思に反したら他者側にさせる強制力。そう、本当は、あんたが嫌うマフィアとそっくりなのさ。マックス・ウェーバーはそれをドイツ語でGewaltappratと言い、それを日本語に訳したら何と暴力装置! 合法的に暴力を独占できることこそが、真の権力なのさ!」
「世の中全て冗談だ!」
「結局、最後に笑う者こそが、一番たくさん笑う者なのさ!」
ロマーノ殺しは正当防衛なんですか? 警察は全く疑わずに犯人の言い分を認めてしまったのでしょうか? 銃社会アメリカでは相手が銃を持っていれば撃ち殺しても無罪ですか?
マフィアの残酷な殺し方に比べたら司法手続きで無期懲役? 死刑?(カリフォルニアにはないのかな)になったほうがまだましというお話ですね。銃が発見されないので証拠無しで逮捕できないとコロンボは言っていましたが、灰皿の灰の銘柄や状況証拠から自白に追い込めなかったのかな? しかし、牧場を訪れた最初から犯人と目星をつけていてマフィアの手を借りる必要もなかったのでは?
それにあのマフィアの協力を得て一芝居打ったのなら・・・そんな捜査認められるのでしょうか? マフィアの存在を是認するようでちょっと社会的にどんなものでしょうか?
山口組の協力を得て難事件を解決しても日本なら賞賛されないでしょう。
「新コロンボ」のクライマックスの芝居で真犯人を引っ掛けるパターンは、旧シリーズにもありましたが、単におとり、脅しで「味わい」に欠けている気がしますね。文字通り芝居がかっているだけ。
旧シリーズなら、私が何カ所か書き込んでいますが、愚かな男には、殺人罪で逮捕されるより優先される、と予想されるものがあり、たとえばプライドを守る(恥だからシャバにはもういられない)、本国戻れば国家反逆罪、二重スパイなら政府に謀殺されるより刑務所がまし、愛etc.
小笠原様
いつも学ばせていただいておりまして、ありがとうございます。
>単におとり、脅しで「味わい」に欠けている気がしますね。文字通り芝居がかっているだけ。
所詮は「新シリーズ」なので、それを言っちゃあ、おしまいなのではないでしょうか?
そのことよりも、私は、一部の「旧シリーズ」作品内で、アメリカの価値観を他国に無理矢理押し付けていたのは、作り手が無自覚なだけに、極めて罪深いと未だに感じており、それに比べりゃあ、米国自国内で勝手に馬鹿やってる分には、気楽に観ていられる、といったスタンスで、基本的に「新シリーズ」接しております。
終盤ロマーノの店でハメられるあたりから、あら?またコロンボ劇団さんかしら?と気づいてしまったのがちょっと残念でしたが、前回のいつものコロンボと違うピーターフォークの路線変更?の作品よりかはコロンボらしくてよかったです。
個人的には結局お馬さんにどんな薬を飲ませたのか気になりました…
1995年の作品らしく糞とかからこの時代調べられるのか解りませんが、カタカナの成分とか聞けたらおお〜と見応え増えたのかなあと…
このコメントは私(ぼろんこ)によるものではありません。投稿された方、ご希望があればネームを修正します。
‥と思ってしまったのですが‥
もう一回凝視しましたら「ぽ」でしたね。もちろん、このままで結構です。大笑いしました、ぼろんこさんありがとうございます。
マフィアってそんなに義理堅いモンか?
うま味をかっさらう用に警察も丸め込んだりカチ込んだりしないかな。
あたしゃ「かみさん」が心配だよ。
こういう類の連中は「ファミリー」を重要視するじゃん。
自分らのアキレスけんは当然相手側にも反映させるよね。
コロンボさんの家族、親戚に手を回したりしないかがとっても不安なのヨ。
あんまりアブナイことしないでね・・・。
仰せの通りだと思います。
その上で、客観的事実のみをお伝えすれば、コアなコロンボ・ファンの間では、2人の子分役の警察官のみならず、マフィアのボスさえもが、「マフィアのボス」のままだったのか、すでに足を洗いカタギとなり、昔マフィアだったころの悪名の高さを利用して、裏で警察に捜査協力していたのか、どちらでも解釈可能なように作ってある、というのが定説になっています。
あとは、視聴者お一人お一人の自由な解釈に委ねるべきでしょうね。
わざわざの返信をありがとうございます。
トーシロの自分が言うものなんですが、俳優さんの妙技(“吹替さん”の所為か?)とでも言いましょうか「オレ流」に妙なスゴ味を感じたのdeath。
このおっちゃんおっかねーな!となりコメ記入の逃避行動に出た次第です。
なるほど。
あの若い二人は「巡査」だったのか。
マフィアに協力させちゃったら、その見返りを要求されるだろうと思ってしまった。
あと、犯人役の人の二重アゴが凄かったな。
新シリーズはテレビ放送時に観た作品はわずかだったので、約10年前にブルーレイ全集を購入した後は興味津々、時間をおかずに2巡してまとめて鑑賞したのですが、観てガッカリしたことを覚えている作品のひとつです(「初夜に消えた花嫁」などは、ガッカリというよりビックリでしたが)。
今回久しぶりに再見しましたが、やはりガッカリでした。ロッド・スタイガー演じる”ファミリーのドン”が、現役なのか足を洗っていたのか不明確な点もありますが、いずれであっても、こうした”組織関係者”の手を借りて事件の解決を図るとは、もう「コロンボ」ではありませんね。
エド・マクベインの小説が原作の「死を呼ぶジグソー」については、コメントで「ピーター・フォークが捜査班の刑事を演じたテレビドラマと考えれば全然問題ない」と書かせていただきましたが、この作品は中途半端に”コロンボ”しているので(名前は違えどブルース・カービイ演じる刑事も出てくるし・・・)そこまで吹っ切って見ることが私にはできませんでした。楽しめる要素はあるので、そんなにマジメに考えなければいいのでしょうけど。
脚本は「コロンボ」ではおなじみのピーター・フィッシャーが書きましたが、製作舞台裏の書いた本”Shooting Columbo”によると、製作総指揮も兼ねていたピーター・フォークと監督のヴィンセント・マケヴィティがどんどん手を入れた結果、フィッシャーに言わせれば、かえって出来の悪い内容になってしまったそうです。元の脚本にあったコロンボと”ドン”のフォテーリのやりとも大幅に削られたとのこと。
またフォークが犯人役にジョージ・ウェントを決めたことには(ぼろんこさんのブログでは皆さんに好評のようですが)製作スタッフがみな当惑したそうで、ジャック・キャシディやロバート・ヴォーンのような犯人像を想定していたピーター・フィッシャーにいたっては、”What, are you kidding me?” と声をあげたそうです(「なめとんのか!?」という日本語が頭に浮かびました)。
宝島社のコロンボ「完全捜査」本では、編者が「私見だが、フィッシャーが今回狙ったのはコロンボ版「スティング」だったのではないだろうか」と書いていますが、どうもそういうことではなかったようです。自分の意図がことごとく活かされなかったフィッシャーは結局、本名ではなくローレンス・ヴァイルというペンネームにすることで手を打ちました。
さらにこうしたこととは別に、制作スタッフの知り合いにライター志望のある俳優がおり、「コロンボ」の脚本不足を聞いて、”Never Trust a Gambler” (「ギャンブラーを信じるな」)というシナリオを書いて提出しました。その数か月後、彼は製作が終わった「奇妙な助っ人」が、自分の書いた脚本に酷似していることに気づき、フォークとマケヴィティおよびABCとユニバーサルを相手取って訴訟を起こしたそうです(俳優が著作権を登録していなかったこともあり、明確な判断は示されなかったとのこと)。
新シリーズは、上記の舞台裏本を読むと意外なおもしろいエピソードがあって楽しめたりするのですが、本作についてはシリーズの”末期症状”を思わせる内容ばかり、悲しくなってくるのでコメントは見合わせようかとも思いましたが、それもまた現実、ということで書き込むことにしました。
今回再見して気付いたのは、こんなに新シリーズ終盤(米国初オンエア 1995)になっても、元版のアスペクト比は、昔のテレビのブラウン管サイズの4:3であり、NHK-BSやBlu-rayは上下をカット(トリミング)して無理やり16:9ワイドのハイビジョン・テレビ画像にしている版である可能性が高いこと。それがよく分かるのは、ネズミの模型のサイズをコロンボが紙に書いているシーンで、114(㎜)という数字の下のほうが切れていて、ここは普通、数字全体を切れないように撮影するはず。その他、全体的に元はアスペクト比4:3だろうと思わせるカットが多いのは、登場人物にガタイがいい人が多いからでしょうか?(笑)
そんなことより何より、最も気になったのは、コロンボは、フォテーリの手下で犯人を追いかけまわす役の若い男二人を、ラストシーンで、ちゃんと「巡査(officer)」と呼んでいるのに、日本語吹き替えでは、二人がマフィアの一味なのか何者なのか正体を明かしていないこと。同じく最後、コロンボとフォテーリの会話のニュアンスも全然違う。原語で聴くと親分フォテーリでさえ、もうマフィアから足を洗っていた可能性を排除しておらず、含みを持たせています。日本語吹き替えで何でそんな大事な点をボカしたのか、極めて謎です(ついてに、今までコメント欄で、原語で鑑賞されているようなコロンボ通の方も含め、どなたもその点を指摘されていないのはもっと謎です)。
本作、ピーター・フォーク好みの、巨漢の犯人のマクブェイ役:ジョージ・ウェントはどことなくユーモラスですし、男女の下品なシーンも無いし、フォテーリ役のロッド・スタイガーもさすがの貫禄ですし、私的には新シリーズの中では、好きな作品の上位に入ります。
「らしくない」形式のエピソードが何作かあった後なので、ある意味安心して鑑賞できました。さすがにピーターフォーク氏もお年を召して、食あたりという設定も弱々しさをカムフラージュするため?とうがった見方をしてしまったり…
ラストはすべて、犯人に揺さぶりをかけるためにコロンボが仕組んだお芝居だったんですね。マフィアより犯人がよほどゲスかったので、そんなに嫌悪感なく見られる作品でした!
こんばんは。
手下役、クリストファーランバートじゃなかったですか?
インターネットの何処を探してもソースが無いんですが、、、
食あたりのコロンボが飲んでいたピンクの薬の正体が気になる。
Pepto Bismol という
見た目が液状で蛍光ピンク、ニオイがムヒという
胃腸薬かと思います。スポンサーの関係?でPeptoのラベルは破れてましたが。
参考↓
https://japanalltraveler.com/experience/lasvegas-foodpoisoning/
ものすごく効くけれど不味い(コロンボもこいつは蛤よりもキョーレツだねぇと言っていた)
アメリカ人は持ってるだけで登場人物が吐き気や食あたりとわかるアイテムらしいです。日本で言うソルマック?的な感じでしょうか。
ブルーノの店からの通話記録を作るためだけにあんな綱渡りをするのは、それでアリバイが成立するでもなし、不思議な気がしました。旧シリーズには時代のせいか通話記録を調べるだけで嘘が判るトリックもあったので、そのあたりを意識したものでしょうか。
もう一つ不思議なのは、ブルーノのファイルにはなく、線条痕のファイルにあったという拳銃の記録でしょうか。伏線かと思いましたが、何でもありませんでしたね。コロンボがいきなり「あれはブルーノさんの銃じゃないんです。警察に記録がありまして」と言ったのでは話が早過ぎるので、マフィアのボスの出番を作りがてらちょっと綾をつけた、ということでしょうか。
とはいえ、犯人役のジョージ・ウェントは多面性のある人物の複雑さを表現する好演で、最後まで楽しく見られました。
レストランの公衆電話に貼ってある「out of order」の紙を、さらっとコロンボが普通にはがすのが面白い。
この作品、面白く見ていたのですが、やはり強い違和感を覚えたのはコロンボが親分に脅迫された時に「そんな給料はもらっていない。」と言い捨ててマクベイを置き去りにしようとした所です。いくら筋書きができていて犯人を落とそうとする目的だったとはいえコロンボはそんな人間性だったのかとすごくがっかりしました。やはり台本が出来が悪いと思いました。もう少しコロンボの人間性を維持しつつ犯人を落とす洒落たやり方はなかったのでしょうか。コロンボシリーズ末期症状の一つの証左でしょうか。
仲間を殺されてメンツをつぶされたイタリアマフィアがこんなに物分かりがいいわけないですけどね。(笑)
「スコッチ&ソーダ?」と聞かれてマクベイが「そうだ」と答えるシーンが2度ほどありましたが、「ソーダ」と紛らわしいので、ここの「そうだ」は何か別の言葉にしたほうがよかったですねえ。
ギャグのつもりで、わざと訳したのかも。
面白いです。
過去のエピソードでもたびたび感じてましたが、コロンボって
現場で遺留品とかチェックするとき素手で触りすぎですよね。
今回も、現場である車内を調べるときにあれこれ素手で触ってましたね。
ロッド・スタイガー、「夜の大捜査線」のイメージとは随分違ってましたが、貫禄有りましたね。
ブルース・カービーの役は吹替えだけでも「クレーマー」にした方がマニア心をくすぐったのに。ジョン・フィネガンも出ていたしね。
ゴッド・ファーザー風の劇伴は、前作にも有った気がします。
でもピーター・フォークもブルース・カービーも老けましたね。爺メンですね。
>吹き替えだけでも「クレーマー」
実はウィルソン刑事は、「悪の温室」で初登場時には「フレデリック・ウィルソン」「魔術師の幻想」で再登場時には「ジョン・J・ウィルソン」と微妙に改名してるのを、おそらく翻訳者の独断で「フレデリック」に統一してるんですね。4年も空いていますが、ボブ・ディシー氏も誰も「あれ、ウィルソン刑事はフレデリックだったはずでしょ?」と気づかなかったのか? どちらの回でも、劇中本人がフルネーム名乗る場面があるのに。英語圏のファンは、名前の違いはそのまま認めながら、ウィルソン刑事は完全な同一人物と捉えているようです。役回りがどう見てもそうですからね。
コルベット本部長とダフィ警部は別人、ということで大抵のファンは納得しているようですが、実はダフィ警部は名門コルベット家の養子か婿養子に入ってそのコネで大出世したんじゃないか、という疑いを私は捨てきれません。ところが、92年のロス暴動で辞任に追い込まれてしまい、コルベット家からも愛想をつかされて、ダイナーの店長として再出発した、と考えれば、辻褄は合いませんかね。
「ジョン・J・ウィルソン」、確かにそうです!
「コルベット本部長とダフィ警部」のお考えは‥笑
刑事コロンボの「七不思議?」のひとつで、同じ俳優なのに「刑事役名」が違う。違う俳優なのに「刑事役名」が同じってのがあります。(自論)
初見でしたが、結構楽しめました。
私は、新シリーズを「本編」ではなく「番外編」として観ています。
そうすると「これはこれでアリか」と寛容な気持ちになり、楽しめます。
遊び人の弟を殺して現場から折り畳みチャリで帰宅するのは、「別れのワイン」のパロディ?
「逮捕されずに殺されるなら、逮捕された方が良い」は「ハッサンサラーの反逆」のパロディ?
そして、ゴッドファーザーのBGM。
傑作ドラマシリーズだからこそ、こういった遊びが成り立つんでしょうね。
とはいえ、気になった点を一つ。
テディが単勝6番に2千ドル賭けると、オッズが20倍から17倍に下落。
アメリカ競馬の控除率は分からないので、仮に0%として計算すると...
ロマーノだけでも20万ドル賭けて20倍のオッズだから、単勝すべての売上げは、少なくとも400万ドル。
ここにテディが2千ドル賭けても、オッズは19.8倍(400.2万÷20.2万)
実際には?400万ドル以上売れてるでしょうし、控除率もあるから、ちょっと計算が合わない(笑)
「お前が買ったからオッズが下がったぞ」は皮肉込みのジョークだと思いますよ
指摘の通り計算上ありえませんし
最近のストーリーはイタリアがらみが多いですね。本物のマフィアの親分に手伝わせるのはやりすぎでこんな捜査、犯人の落とし方はルール違反だと思います。ハッサンサラーの時とはわけが違うと思いますよ。おそらく拉致された時にコロンボが親分に依頼して仕組んだんでしょうね。親分のリムジンは前回コロンボがマフィアの親分に化けて捜査したときにLAPDが借りたリムジンと同じですよね。今度は違うシチュエーションでコロンボがまた乗った(乗せられた)。イタリア語が分からないと言ったのは変ですよ。拉致された相手への怒りと、皆さんご指摘のようにマフィアとイタリア語で話したくないということと外交やビジネスの時に相手のペースにはまらない用心だと思います。でもボンゴレくらいわかりそうなもんですけど。
最近のコロンボの表情が好きになれません。相手を疑っているような馬鹿にしたような表情でこれでは過去のエピソードのように犯人が油断してしまうというコロンボシリーズが成り立たないように感じます。ピーターフォークの年のせいでしょうかね。それなのに刑事歴20年とか言ってますからまだ40代くらいの設定なんですね。ちょっとおかしいです。
旧作の状況証拠の積み重ね+smoking gunという展開なし
やや劣化したコロンボでは、詐術ギリギリ(陪審に掛ければ無罪)
今回のこの作品はヤの付く人たちの脅迫で証拠収集
もう昔の良さは無くなった末期コロンボ
不思議な作品でしたね。
八百長で筋モンを20万ドルもすらせたので、黙ってても、メンツの面でも関係者の手で始末されただろうなあ、、と。少なくとも当面は身を隠し、出てきたら消されるとかいって、少なくとも牧場の経営などにも携われない状況になるだろうなあ。
コロンボがイタリア語に堪能なのは当然だし、評判を十分調べてたマフィアの親分も十分承知なはず。それだけにワザとなのだけど、そこの表現も演出もないのが不思議で。。まあ、chaoさえも英語で確認してたので確信犯・わざとなのですが、違和感が拭えないですね。演出としては最後にイタリア語で決別のコトバをコロンボから告げるのが良かったかも。「さようなら。これっきりで」とか。
どこまでマフィアボスと結託してたのかも余り明確になってないですね。証拠物件の差し押さえが狙いなら綿密な打ち合わせの結果なのですが(殴りかけた若い衆にねぎらいのコトバもかけてますし)、イタリア語を使わないほど一線引いている状況とここまで細やかな協力を得ていることとの、整合性が合わないかなあ。
マフィアの威圧力(特に家族を人質にとりがちなこと)をもッてすれば、無実の人を自己申告で有罪=犯人に仕立てることも可能なわけで(身代わり出頭)、フェアなやり方ではないなあ、、と。この状況を地方判事に告げれば、保護者プログラムを適用されて無罪になりそう。(でコロンボも不正操作で処分) そんな想像もできて、数多くの不納得感があふれる作品であります。
長文で失礼しました。
小さいネズミって言ってたから可愛らしいネズミかと思ったら、想像よりもネズミがデカくてびっくりしました。アメリカのネズミってもっとでかいのかな?
イタリア語は話せますよね。
悪名高いマフィアの親分と刑事の自分が母国語なんかで親しげに会話なんかしてたまるかって事でしょうね。
クセスゴ刑事とガチ怖マフィアの両方から詰められる太ちょ馬主のテンパり具合が滑稽で、この作品は面白いかも…と中盤くらいまで引き込まれましたが…少々パンチが足りなかったかなぁという印象でした。
まさにソーダ少なめって感じです。
あの牧場は、「パイルD-3の壁」に出てきた牧場と一緒でしょうか。
雰囲気は似ていました。
また、牧場主は恰幅が良いのでしょうか?
今回の牧場主は太りすぎですが、前回の牧場主もスマートではなかったですね。
調べました。
かなりご近所ですが、別の牧場みたいです。
近日、マップに掲載します。
イタリアマフィアとCIAが組んで、キューバのカストロ暗殺計画があったので
コロンボでもイタリアマフィアと協力しての逮捕劇あっても良いのかなと思ったり
しました。
最初に犯人が、質屋で拳銃を買う場面がありますが、これはロッド・スタイガー主演作「質屋」への、オマージュということでしょうかね。
イタリア語が分からない?そんなことはないです。コロンボはイタリア語を理解出来ます。
「美食の報酬」では、レストランオーナーの甥とイタリア語で会話していましたから。
クレーマー刑事の名前も変わっているし。
過去のストーリーと一貫性を持って欲しかったです。
まぁ、一度犯人役に成った俳優が二度、三度と違ったストーリーで出演しますから、固いことを言わなくても良いんでしょうけど。
フォテーリの後ろにイケメン風子分が2人決めポーズをしているのが withBみたいで可愛かったです。このうちの1人がイタリアの大指揮者ムーティーの若いころに似ていて、良くこういう人を見つけたなあ、と思っていたら最後に名前が「バーンスタイン」と分かり個人的に受けました。
ほかの皆さんおっしゃっているようにそこまでイタリアにこだわっておきながらchaoも分からない設定は過去の記憶と確かにギャップを感じました。
運転している男ですね。確かに私もそのように思いましたよ。横顔なんか似てます。しかしバーンスタインまでは気づきませんでした。
アーティ様 ご返信ありがとうございます。どんぴしゃり似ているというよりは、あのイタリア系イケメンの雰囲気を何かで表すとしたら、ということだったのですが、ご理解いただける方がいてうれしかったです。
今後ともこのブログでよろしくお願い致します。
コロンボが登場したとき、ハマグリにあたって調子が悪そうにしていたのは何かの複線かと思っていたら、マフィアとの食事会につながっていたのですね。
頭は冴えていても、ほかのところでは喜劇的。こういうところもギャップも魅力のひとつなんでしょね。
初めまして。ずっとこのブログを楽しみに見ています。
今夜の『奇妙な助っ人』、かなり『ゴッドファーザー』を意識しているのか、マフィアのボス、ホテーリが車で登場する箇所では『ゴッドファーザーのテーマ』に似た音楽が流れたように思うのですが、いかがでしょうか?ロッド・スタイガーがマフィアとは驚きましたが。コロンボは相変わらずひょうひょうとしていて素敵でした。
俺も昨晩の放送でそう思いました。多分結構意識してやってると思います。
しかし、「コロンボ」には骨肉の争いが多いなあ。なんか哀しいですね。
コロンボがイタリア語出来ないというのは過去のエピソードとは矛盾しますが、今回の設定上の都合で目をつぶりましょうw。
イタリアン・マフィア絡めたのは私の好みではないですが、ロッド・スタイガーをゲスト出演させる為にとってつけた設定だったのかなw。ラストも芝居掛かり過ぎですねw。
でも、それ以外の展開はいかにも「コロンボ」で悪くないですね(と上から目線)。犯人が策を弄し過ぎて証拠を残して自縄自縛、自業自得となるパターン。特にネズミに関する展開と蘊蓄は面白いです。
もう一つw、哀しいと言えば「競馬」の不正や借金がらみ自体リアルな犯罪にも絶えることなく、ミステリーでは、かのシャーロックホームズ譚wから既にあり、人間の博打の為に利用され続ける馬こそいい迷惑、哀しい生き物・・・と競馬やらない私は思います。
コロンボとイタリア語の関係ですが、作品の制作時期にもよるのではないかと思います。
旧シリーズ放映の頃であれば、コロンボの祖父母、もしくは父母がイタリアからの移民であり、家庭内においてはイタリア語が会話に用いられていたという設定が視聴者にとっても自然だったのではないでしょうか。移民してきて同国者コミュニティの中で生きていることから英語が話せないままの人がまだまだ多かったようです。
そして新シリーズ放映時においてはイタリア系と言ってもネイティブではなく、また、コミュニティの崩壊もあって(リトルイタリアなどというものは消滅しているそうです)生まれたときから英語にしか触れていないということではないでしょうか。
「美食の報酬」でミセス・チョーイに「私の育ったイタリア人街の横が中華街でよくこういうギョウザを食べたもんです」というせりふもありましたしね。
このイタリア語を話せない、理解しない、という設定は他の方々もおおいに気にされてるところですが、俺は「マフィアとの繋がりを少しでも持ちたくない」というコロンボの意地を見せたのではと感じました。
同感です。以前のエピソードとの不整合性は気になりますが、やはりコロンボはマフィアとの繋がりを嫌がったのでしょうね。『ゴッドファーザー三部作』を見ましたが、「カミさん」を大事にし安月給に甘んじるコロンボとは到底相容れない、反社会的な世界です。
コメント欄楽しく拝見しました。
現在ケーブルテレビの
ミステリーチャンネルの再放送を見ております。
どなたもマフィアの親分役の
ロッド・スタイガーに触れておられないようなのですが、
1967年の映画
夜の大捜査線で
アカデミー賞受賞している
大物俳優ですね。
事件解決にマフィアの手を借りる設定はいただけませんでしたが
そのおかげで
ロッド・スタイガーの貫禄ある姿を見ることが出来たので
その点では楽しめました。
「マフィアに協力してもらったコロンボ」というストーリーが受け入れがたかったです。
犯罪者に捜査に協力してもらうのは、今回が初めてではありません。例えば第25話「権力の墓穴」でも窃盗の常習犯アーティの協力により、事件が解決しました。自然な流れでしたし、違和感もなく楽しめました。大好きなエピソードの一つです。
しかし今回は…コロンボの策というより、マフィアの脅しに犯人が屈したとしか見えません。死んだネズミが出てきたり、暴力シーンもありました。美しいエピソード、例えば「死者のメッセージ」などと比べてしまうと、残念です。
何と言っても、奇妙な助っ人という邦題ですしね(笑)
暴力シーンといえば、2話「死者の身代金」で被害者の娘:マーガレットが手を上げるようなことがありました。あのシーンも好きではありませんでした。
前にNHK-BSで見た時は大嫌いな話だったんですが改めて見ると悪くないですね。
犯人の追い詰められ方がいい!それだけに解決の仕方が残念・・・
犯人の追い詰められ方がいい>それは同感です。
驚いたことがある。ロレインさんのこと。
「ブルーノはわたしと居たの」と、辛そうな顔をしてコロンボに告白する。
「ママには言わないで、バージンと思っているから」
またホテーリは「あの娘としては男と寝たとは、さぞ言い難かったことだ」
という。
バージンロードはバージンで歩くべきで、そういう当り前の考え方は、
アメリカ社会に根付いていると思った。驚いたことが恥ずかしい。
ロレインさんの設定については、少し違和感ありますね(笑)
もう少し開放的な女性に見えました。
貞操観念については、イタリア系なので敬虔なカトリック一族なのだと思います。カトリックでは「結婚以外の性交渉」が、男女共に禁じられています。もちろん、現代社会では形骸化しつつある教義ではありますが。
あんなチンピラの若造の口車で、20万ドルも賭けるなんておかしい。
それも世間を欺いているようなマフィアなのにね。
今日日は、裏の方々の方が遵法精神があり、表の人の方が怖いね。
イタリア語問題ですが、どのエピソードか覚えていませんが、確かコロンボがイタリア語で話しているシーンがあったように記憶しています(私は吹き替えでなく原語版でシリーズを見ています)。
ファンとしては「話せないフリをした」と考えることにして、製作サイドについては、このイタリア語の問題とか、新シリーズで「プジョーの幌を下ろしたのは今回が初めて」というセリフがあったりとか(これも犯人との会話での話題づくりと解釈しましょうか)、どうも設定の統一性のなさが時に気になりますね。
まあ、こうしたことは多数の人が関わるシリーズものでは仕方ないのでしょうけど。
私の希望としては、「少しならイタリア語は理解できる」コロンボ像が好きですね。
イタリア語は、ペラペラに話せると思っています。
イタリア系アメリカ人ですし、イタリア系アメリカ人との絆を大切にしていますので。
話せないフリをするのは、相手がイタリア系マフィア相手だからと思います。
マフィアと馴れ合いと思われたくないので、できないフリをしたと思います。
別の回で、重要参考人にゴルフのコーチがいて、ゴルフができないフリをして近づいた事があります。
重要参考人との別れ際にコロンボがドライバーショット披露して見事だったので、ゴルフができないフリだったと理解しています。
「美食の報酬」や「大当たりの死」では英語が話せない在米イタリア人が登場して、コロンボが彼らにイタリア語を話していました。「仮面の男」でコロンボがイタリア語を話していたか記憶が定かではありませんが。
偽探偵コナン様の仰るように「マフィアと馴れ合いと思われたくないので、できないフリをした」のでしょう。
tempus fugit様ご指摘の通り、脚本を複数の人が書いているために、設定や主人公の性格に不統一が生じているのが現実なのだと思いますけれど。まあ、コナンドイルひとりが書いていても途中でホームズの性格が変わった例もあるから、致し方ないのかもしれません。
最後の別れ際に「何か飲まないか?」と言われても「わたしゃミルクシェイクしか飲めないので」と断り、「Chao」と言われても「それはイタリア語のGood-byeですね?」と、あくまでイタリア語での挨拶を拒否したところで、「マフィアとこれ以上深い関係はお断り」という意思表示をしてましたね。 イタリア語は話せるけどあえて話さなかった、ということですね。
すいません、疑問に思ったので質問させていただきます。
ご存知のようにアメリカでは長さや重さの単位はヤード・ポンド法で
話すので、当番組の台詞も一部の例外を除いて日本語に翻訳する際に
メートル法に直しています(「祝砲の挽歌」で事故を起こした75mm砲は
元の英語でも「75mm」と言われていますが、これは固有名詞のようなものなので
ヤードに直さずそのまま言っていると思われます)。
今回はネズミの体長を調べる時に「114mm」と言っていたので、元の英語では
どうせインチか何かで言っていると思ったのですが、コロンボがペンで
114と書いた?ので調べてみると、元の英語でも114mmと言っているようです。
アメリカでも科学や建築等の関係者にはメートル法でも通じるそうですが、
一般人にはメートル法で話しても感覚的に通じないそうなので、
今回のような状況で急にメートル法で話をするのは不自然に感じました。
これはどのような理由によるのでしょうか。
たいへん興味深い着眼点です!
個人的な感想ですけれど、各国で放送されるために、メートル法を採用したのかな?
各国で放送されるため説を支持します。
現場でコロンボはネズミの死体に合わせてフリーハンドで線を引いていました。
それを元にして計っていたとしたら、114mm や 89mm はあまりにも細かすぎます。インチに直せばそれぞれ 4.5 インチと 3.5 インチですから、本来はそっちなのでは。であれば数字を書くシーンも、国内放送版では 4.5 と 3.5 になっているとか、そういう証拠があればいいのですけれども。
イタリア語問題に参戦します。私もシリーズ全体としてイタリア語が話せるという設定になっており、ころんぼさんのコメント通りこの回では話せないフリを貫いたのだと思います。59話の大当たりの死で話しているのに、65話で話せないのはいくらなんでも変かと。マフィアの親分もそれに気づいており、チャオの意味まで聞き返したのには呆れて、「うせろ(ゲットアウトオブヒア)」と苦笑いしながら言ったのでしょう。(吹き替えではこの親分の科白はなぜか「そうだよ」となっていました。)チャオくらい日本人でも知ってますよね。他のコロンボファンのサイトでは、コロンボ程の人物なら話せない事にして捜査に利用する設定でもおかしくないとか、イタリア語がわからないと言っている時、「お前は犯罪者、俺は警官。 同じイタリア系というんじゃない!」という目つきをしているという人もいてなるほどなあと思いました。この親分、コロンボを最後に見送るときちょっと切ない目をしています。友達になりたかったんでしょうね。つれないコロンボ警部でした。
ところで最後のレストランでピアノを弾いているは番組最初のテーマを作曲したヘンリー・マンシーニでおそらく間違いないと思います。クレジット等にはでてきませんが
とても興味深いコメント、ありがとうございます。
2年越しのお返事になりましたが、数回拝読しています。
レストランでピアノを弾いているのは「ヘンリー・マンシーニ」は、調べておきます。
え~うそ!マンシーニ?!と早速ピアニスト確認しましたが、う~ん、私はちょっと違う気がします。
マンシーニというと往年の映画ファンにはあまりにも有名な作曲家。一方、今回、元マフィアの首領の登場シーンで『ゴッドファーザー』風に流れるのはニーノ・ロータっぽく、哀愁を帯びて。このお二人、同じイタリア名でも前者はアメリカ生まれ、後者はイタリア人で曲調は全然違うのは面白いですね。
この話に限らず、シーンに合わせて作られている劇伴音楽は、コロンボの楽しみの一つだと思います。
ヘンリー・マンシーニの命日が1994年6月14日、この回の米本国放映が1995年5月8日ですから、違うと思いますよ。
IMDbにも全然そんなこと出てません。
新シリーズになって、コロンボの眼力はかなり落ちたな。
犯人との初対面で、即、犯人だという目星が付けられてない。
ブルーノ犯人説に、やや比重があったような趣がある。
なにせ、助っ人がいなければ犯人を捕まえられなくなった。
脅さなければ、犯人の自供を引き出せなくなった。
これはコロンボの老化なのか、劣化なのか?。
いやいや、筋書きに問題がある。
なんと5年越しの返信です(笑)
本作は目新しい手法で犯人を捕らえようと、頑張ってる気がしますね。
それは、旧シリーズでも、多少感じますね。
コロンボは、イタリア語が話せるんですか?、話せないのですか?。
このエピソードでは話せませんが、美食の報酬ではペラペラ話せていました。
一貫性が無いですね。
最後、暴力と精神的な圧迫による自白の強要ですよ。
証拠の銃の発覚で、結果オーライなんですかね?。
美しくない終わり方です。新シリーズは、こういうエゲツナイのが多いです。
やはり、殺人処方箋や別れのワインに戻ってほしいです。
銃を入手した質屋はどうなるんでしょう?。ちょっと気になりますね。
タップおばさん、ジョージ・ウェント=不機嫌が、この作品のカラーになっていますね。太っているので、それも可愛く感じます。
ジョージ・ウェントはショーの司会をこなすなどマルチな人物だそうですが、
この作品では終始ムスッとしてますね。
キャラも演技も文句なしでしたが、決め手の罠が明らかに罠でありすぎるのが何だかな~
あと、晩年はピーター・フォークとジョージ・ウェントが一緒に写っている写真が何枚も残っており、親交が深かったことが伺えます。
「仮面の男」は、今度チェックしてみます。「大当たりの死」は面白いですね。親戚の結婚相手にどうか…。というシーンは、ほのぼのしています。
たしか「仮面の男」や「大当たりの死」でもイタリア移民相手に堪能なイタリア語を披露していましたよね。そうそう、新コロンボの過剰なユーモアに違和感を覚えます。もし小池朝雄の吹替えだったらそぐわなかった気もします。
ころんぽさん、メッセージありがとうございます。公衆電話機の「閉店」の件は面白いですね!コロンボ警部の「イタリア語」については、42話「美食の報酬」で炸裂していますよね。でも、ここまでしゃべれるのもかえって不自然に感じました(笑)
お話の展開としては「臆病そうで=大胆不敵」な主人公(マクベイ氏)がこっけいに描かれていることが、救いとなっている気がしますね。
The Bay Leafの公衆電話機、「故障中」と訳すべきなのになぜか「閉店」となっているのはご愛嬌。イタリア語がペラペラなはずのコロンボが分からないふりを貫いているのはやはり反社会的勢力と距離をとりたいため?でも結果的には彼らの暴力性を利用して自白を導いたことは否めない。コロンボ的には汚点でしょうね。
どうしてブリンドル刑事なのでしょうかね?
コメント有難うございました!
1995の作品ともなると、コロンボもかなり年配になってますね。クレーマー刑事役の俳優さんは「ブルース・カーヴィ」で、今回はブリンドル刑事として、出ていましたね。
はじめまして。この話の 中に 何故か役名が変わってるのですが、クレイマー刑事に 良く似てる方が相棒刑事役で 出てたんですが、、クレイマー刑事の俳優さんでしょうか? 手元に残ってましたら 確認下さい。