- 「ぼろんこの名作選」に選ばれています。
- 「パトリック・ウィリアムズ」が音楽を担当した作品。
- ケイ・フリーストン「フォード・マスタング」
- プレゼントされた車「メルセデス・ベンツ・450SL」

マークの出世に対する嫉妬はありますね。さらにマーク(あるいは社)からの自分への評価が思いのほか低いことを思い知ったからか。それで殺人‥とは短絡的すぎるかな。
「秒読みの殺人」は名作です
この「秒読みの殺人」という作品、小学生時代にも間違いなく見ていました。しかしながら、27話「逆転の構図」や32話「忘れられたスター」ほど、強烈な印象は残っておらず、少しノーマーク的な作品でした。今回、再放送を拝見し、見事な作品であることを再認識しました、名作と言って間違いないでしょう。
刑事コロンボ的ストーリー展開を感じる
犯人役の女優や、脇役俳優の良さ云々はさておき、正当派「刑事コロンボ的ストーリー展開」が色濃く、ほとんどのシーンで無駄が無く(注)、密度の濃い作品となっています。コロンボ警部の「落としのテクニック」も、期待通り炸裂してくれています。
トリッシュ・バン・ディーバー

出世欲の強い女性の立場
その反面、心理の描写には鋭いものを感じます。殺意、焦り、意思の強靭さなど、通常の女性では表現しづらい心の揺れを、見事に表現しています。出世欲の強い女性が、組織のトップにのし上がる過程で、仕事を愛する気持ちよりも、成功したい願望が心を支配している様子がうかがえます。周囲の男性たちは、それを好ましく思っていませんでしたね。
それと対比し、同性愛を連想させる描写もありました。女優バレリーとの関係がそれです。初期のコロンボでは扱われなかった題材でしょう。ディレクターの男性が女性的なども、類似した観点です。
終わったら、ほっとすると言うが…
犯行を認める場面で、終わったらほっとすると言うが…その逆だ。と心境を語るケイ。まだ負けたわけじゃない、きっと這い上がってみせる…という意欲をみせました、女は強い。
フィルムチェンジをアリバイに用いたトリック
本作品「秒読みの殺人」では映写時に、フィルムのリールを切り替えるタイミングを画面右隅に表示されるパンチによって、見極める‥というテクニックが焦点となっていて、邦題「秒読みの殺人」に結びつけています。それに対し、21話「意識の下の映像」で映写技師のロジャー・ホワイトは、小銭をリール中心に挟み込んで、それが落ちたら交換のタイミングだと語っています。テレビ局の映写機は最新設備で、小銭を挟めない(カバーで覆われている)タイプでしたね。
映写技師ウォルター:ジェームス・マッキーチン

特に印象的なシーン「エレベータの中で…」
エレベータの天井に見えた「凶器の拳銃」を、犯人ケイが何とかしてそれを下に落とそうとするシーンは、秒読みの殺人で最も印象に残る場面です。身長が低い彼女が必死になっている様子がスリル満点に描かれています。しかも、その行為そのものが、コロンボ警部が仕掛けた罠だと気付かされ、完敗を認めるのも素晴らしかったです。
パトリック・オニール

テレビを修理するクレイマー刑事

バーク刑事

テレビ局のプロデューサー

撮影所(ロケ地)のモニター室では…
ケイはコロンボ警部に追い回され、ヒステリックに叫んでしまいます。メリーゴーラウンドの音楽と目まぐるしく切り替わる画面が印象的ですが、録画して何度も見られる時代となっては、このような強烈なシーンより、静かな場面の方がありがたいですね。同じような意味で「黄金のバックル」の、ジェニーが死体を発見して叫びそうになるシーンも、早送りしたくなります。(笑)
注)テレビ局のモニター室でコロンボ警部が、画面に模様(パターンのようなもの)を写して喜んでいるシーンは、不要でしょうかね~。冒頭で「鼻歌を歌いながら交通事故を起こすシーン」は、無駄と言い難い楽しいシーンでした。→プジョー403
同じ風景画が、最低でも3回出現。
ブログゲストさんから情報をいただき検証しました。レイ・フレミングのマンション、ネルソン・ヘイワードのホテルの風景は同じでした!さらに調査した結果、ケイ・フリーストンのオフィスの窓にも出現しています。
1
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マークとケイのビーチハウス
マークとケイが暮らすビーチハウスは、数々の刑事コロンボの重要人物が居を構えるマリブビーチにありました。二人が務めるテレビ局のロス支局は、市街中心部近くだと思われ、冒頭シーンでコロンボ警部が愛車プジョーで追突事故を起こす道路はそこからほど近い場所です。


監督:ジェームズ・フローリー
脚本:ロバート・ブリーズ
音楽:パトリック・ウィリアムズ
ケイ・フリーストン:トリッシュ・ヴァン・ディヴァー(声:寺田路恵)
フラナガン:パトリック・オニール(声:黒沢良)
マーク:ローレンス・ラッキンビル(声:森川公也)
バーク刑事:ジェローム・グアルディノ
ウォルター:ジェームス・マッキーチン(声:加藤修)
ルーサー:ロン・リフキン(声:原田一夫)
バレリー:レイニー・カザン(声:大橋芳枝)
プロデューサー:ジョージ・スカフ
ジョナサン:キップ・ジルマン
ウェンディ:スーザン・クレブス
エイムズ:モーガン・アプトン
ピート・クックマン:ドン・イートナー
マッジ:ディー・ティンバーレイク
マッサージ師:H.B.ヘイゲッティ
電気屋:ブルース・カービー(声:杉田俊也)
テレビ局の警備員ー:マイク・ラリー
クリーニング屋:ポール・ウイルソン
加筆:2024年8月29日
冒頭でノーブラのケイのポッチンに目がいってしまって(笑)・・・犯行のときには、動きやすいようにか、タイトな服装で、かなりスリムに見えるけど、それなりのボディのようで。そうそう、警備員のラリーが見つけて、ニヤニヤしながらセンターホールドを見たのはプレイボーイ? それともペントハウス?
女性ファンとして、たとえ自立した、意志が強く、人間性を強調した犯人役であっても、そういうところばかりに目がいってしまうのか…という、複雑な思いでコメントを拝読しました。
コロンボ作品の一部に見える、女性をあえてセクシーに描いている側面も時代性と共に理解し、愛してはおりますが。
はじめまして。
動機が短絡的、との見解ですが、ケイがかつての家で自分のみじめな過去を振り返るシーンが描かれていること、ラストでも、社会に対して、「負けない戦って生き残る」という発言をしていること、また女性のパートナーが登場している脚本から考えますと、人一倍、成功することを人生の目的としており、独立した女性として社会で生きようとしている人間であることがわかりますし、詳しくは描かれてませんが傷ついた恋人であるバレリーを背負っていることにもしっかり焦点を当てますと、ケイの殺人の動機は充分納得できるものになっていたと、私は思います。
マークに対しては戦略として、とは割りきれないでしょうがあくまでも生きる目的を満たす手段としての付き合いだったと思います。(あくまでもケイの根底にある成功の目的が満たされるのであれば、恋愛があるなしはどっちでもいい)
この作品が管理人さまからも名作だと選ばれている理由は、脚本上のケイのキャラクター造形が複雑かつ人間的であり、またそれを見事に演じ切った女優さんの役作りが素晴らしかったことも一因となっていると思いました。
ぼろぱんさん、初めまして!
お返事ができておらず、申し訳ございませんでした。
軽々にはお返事ができぬ、少し考えさせられるテーマでもあり、
考えている間に、お返事も忘れてしまった次第です。
動機が短絡的だという、私の印象は変わりません。
この作品に限らず、刑事コロンボの(計画殺人の)犯人たちの動機は
そのような部類が多いと思います、そうでなければ次々に脚本が書けないし。
時間ができましたら、本記事に追記をすることとします。
私が記した短絡的とは、
ケイとマークは仕事上でもプライベートでもパートナー関係であった。
しかし、マークだけが昇進したからといって、
(仮にも)好き合っていた相手を、そうも簡単に殺せますか?
仕事の借りは、仕事で返して欲しかったです。
自分も出世して、ニューヨークでリベンジ再会すれば良い。
もしもそれが叶わなかったら、フラナガンを殺害しますか?
みなそれぞれにコロンボ愛があり、エピソードの好き嫌いや
解釈も様々です。それで良いかと思います。
ようやく全69作コンプリートして、今は気ままに録画を見返しています。
最近は新シリーズばかり観てたので、最後期とはいえコロンボがまだ「オジサン」なのがいいな、と思いました。働き盛りのベテラン刑事。新シリーズではどう見ても「おじいさん」で、「定年過ぎてるだろ!」と突っ込みたくなります(笑)
本作は、エレベーター内の印象的なシーン、被害者が眼鏡を上げていた事から犯人は顔見知りといきなり指摘するシーンなど、さすがですね。今回あらためて思ったのは、ケイ役の女優さんがいいですねぇ!美しいだけじゃなく、いろんな表情が切り替わるところが素敵。いい女優さんだと思いました。
原題 Make Me a Perfect Murder
英語版の脚本をチェックしていないのですが、冒頭で被害者が犯人に「やるなら完全犯罪で殺してくれ」という部分と一致します。その売り言葉を買うように犯人は被害者が出した凶器での殺人を決意します。このドラマでは重役たちは白人の男性ばかり。女性は一定の地位(プロデューサー兼チーフアシスタント)より上には昇進できないガラスの天井も動機になります。地位を与えずベンツの最高級スポーツカーSLのトップグレード(450)を与えることで女性を満足させようとした被害者の行動も動機の一つでしょう。
これ、いつか検証いたします!
はじめまして。
今回の、NHKーBSの再放送を楽しく視聴しております。
「秒読みの殺人」が好きで観た回数も一番多いです。
どこのコマをとって見応えがあります。
エレベーターの銃を取るシーンは毎回ハラハラドキドキです。
ケイの台詞の日本語訳も見事です。
対話相手により微妙に言葉使い変えています。
些細なシーンも好きです。
マークの家でシャツ1枚からのスカートを巻いて髪をとかしブラシを投げるシーン。
昔の家でろうそくを付けで思い出にふけり、コロンボの首のコルセットを発見するシーン。
ロケバスで機器のスイッチを感情のみで動かして切れて「も~!」と怒るシーン。常に冷静なケイが・・・。
話はそれますがビヨンセのファンなので、この作品を音楽界に変えて映画化して欲しいと思っています。
コメントありがとうございます。
隠れた名作と称すると、本作に失礼かもしれませんが、私にはそんな感じで大好きです。
人気ランキングに1票追加いたします。
ぼろんこさん こんばんは
お偉方の役のパトリックオニールがコロンボ警部に 大変ですな って声をかけます これは事件の捜査のことを言ったようにみえました コロンボは自分のむちうちの心配をしてくれたと勘違いして 2.3日でとれると思いますがと応えていて 相変わらず可愛いなあと思いました コロンボがそう答えるとお偉方さんは 間がり無言でいってしまいます きっと警部そのことではなく 事件のことなんだがと思っている雰囲気でした ケイも最初会った時 刑事さんもいろいろ大変なご様子でと声をかけるのですが コロンボは ありがとうございます これはちょっとしたむちうちでと答えます ケイは 今申し上げたのは捜査に関してですわ と😆
コロンボのワンコがテレビ大好きも面白かったです ほんとうにそう見えました おとなしくてなんて可愛らしいんでしょうか 穏やかワンコ コロンボにぴったり🩷
むち打ちと殺人事件。
シーンを見返し、微笑しました。
局側の人たちは「社内で殺人という大事件が起きた」と、
一方の警部は殺人事件は毎日のように扱っているが、
「むち打ち」は初めての大事件 笑。
この対比が可愛く描かれていますよね。
ここで出てくるフィルム右肩のパンチとか、サブリミナル効果とか、溶ける糸とか、小学生だった私がコロンボで得た知識はいくつもありました(笑)。それ以後、映画を観るとき、パンチを見ては「これこれ」と。
パトリック・ウィリアムズの音楽は、『死者のメッセージ』でもそうでしたが、シーンにすごく合っていて秀逸ですよね。特に劇中ドラマの『プロフェッショナル』の音楽とシンクロしているところとか。
個人的には車のキーをドリンクに入れるなんて、汚いなーと。さすがアメリカ人・・・ナンバーも”KEY#1”って、むしろ恥ずかしい・・・
私はコロンボが画面で遊んでいるところは、ちょっと浮いてはいるけど、他の方のコメントでもありましたが電子音楽やアートが流行り始めていたことと相まって、コロンボの好奇心の強さと無邪気さが現われているいいシーンだと思って見ていました。
修理屋さんがクレーマー刑事!ほんとだ!ぼろんこさん、ありがとうざいます!クレーマー刑事いつもいい味出してますよね~
コメントありがとうございます。オニール・ファミリーの文章は、勘違いされたとのことで、削除しております。
私も子供時代に見ていましたので、「フィルム右肩のパンチとか」「サブリミナル効果」それに「自動演奏のプレーヤー」などなど、興味津々でした!
このお話は、ケイがエレベーターの天井裏の拳銃を必死になって取ろうとするさまが、とても切なく印象に残っている作品でした。彼女が生家で過去に浸るところは、手塚治虫の『人間昆虫記』でも、やはり出世欲の塊のヒロインが一時の安らぎを得に生家に戻っていたのを思い出します。
女性ながら実力は認められつつ、トップの器ではないと断じられた悔しさは、察せられますが、バレリーを私情で起用したミスと作品を出すタイミングを誤ったミスとの二重のミスは、お世辞にもうまいやり方ではなかった。思うに、後者のミスは出世欲のために殺人を犯したところから、彼女の目は曇ってしまったのではないか。闘って生き残ると微笑んだ彼女の意志の強さには僅かながら希望を感じます。アメリカのガラスの天井は、いまだに女性大統領が出せないところからも分厚さがうかがえますが(日本は言わずもがな)。
ということで、私にとってこの作品は、他のコロンボ作品とは一線を画す、同じ仕事をする女性として胸の痛くなる生々し過ぎて切ないお話なのでした。
そうですね。男女の違いというわけでなくても、判断力という観点で失敗したのだと思います。上司「フラナガン」氏も、すごく良い味を出していて、大好きです。
密かに大好きな作品で、同じように感じていた方々が、いらっしゃって嬉しく思います。アメリカ社会のガラスの天井が、切なく、また、彼女の貧しい過去や、同性愛?と思わせる場面もあり何度見ても深い、大好きな作品です。
ところでこのHPはすごいですね。トリビアや、知りたかった俳優のことなど、ディアゴスティーについてくる冊子など、比べ物ににならないほど、深いですねー
さとさん、ありがとうございます。コメンテーターの方々が、面白い情報を書き足してくださいますので、私もそれを読んでは楽しんでいます。
今回の放映で改めて観直したのは、このエピソードこそシリーズとしての「コロンボ」の集大成だったのかもしれない、ということ。
私、先の感想でラストシーンは「白鳥の歌」を意識的にひっくり返した、と書きましたが、その上に「祝砲の挽歌」のラスト「後悔してると思ってくれるな、必要だからやった」と悪びれない態度でコロンボに複雑な表情をさせたシーンを彷彿とさせるものでした。
改めて、ケイは同時進行で実に多彩なジャンルの番組を仕切っている、という点で観る者を圧倒しています。その一方で、恋も仕事も野心に満ちて男性社会の中でのし上がろうとするケイの失意、転落劇も描き込んで、長尺の「倒叙もの」ならではの犯人を主人公としてじっくりと描く様は哀愁の味わいに満ちています。コロンボの「引っ掛け」もクールな反面、従来の底意地の悪さ(笑)は控えめ、と思いました。
作り込んだ完全犯罪という点では「別れのワイン」の優雅と狂気、独創性の一方で犯人の工作が不自然過ぎるのに対し、動機もトリックも無理が少なく、トリックは「意識の下の映像」を技術の進歩?とスピード感で不自然さをカバーしています。
最後に今回の、今後の私の課題は「ケイは多忙のあまり本当に銃の始末を忘れていたのではないか?」
>ケイは多忙のあまり本当に銃の始末を忘れていたのではないか?
面白い味方ですね。極論かもしれませんがよく言われる部外者にはお宝でも放送の終わった台本と同じである意味どうでもよかったのかも知れませんね。もう1回そこのところを見返したくなりました。他の放送回の犯人は殺人が目的でコロンボと対決することがすべてであるように見えますが、彼女の場合、殺人は手段に過ぎないように見えます。そういえば仕事の邪魔をするなと終始本気で言ってました。他の犯人はコロンボを遠ざけるために同じような言い方をすることはありますが。
今週の再放送を見ましたけど比較するとやっぱり動機がしっかり描かれてますね。肯定的あるいは中性的なニュアンスがないと彼女の生家まで行ってみようとはしないと思うんです。その点、比較に出して悪いですが日本のレインボーブリッジは何だかなと思いました。
こちらを見させていただきましたがお詳しい解説とみなさまの知識に驚かされましたし大変勉強になりました。今週の再放送で見ましたがゲームのように殺人とその解決方法に焦点が当たってるのではなく犯人の動機や背景が描写され他の放送回と比べても素晴らしいと思いました。もともとテレビ業界というこの作品が存在している世界そのものがテーマになっているので描写がおざなりになったり作り物感が出るようなことがなく登場人物に現実感があります。
毎週放送されていた日本のミステリー物ではこのようなものは見あたりません。松本清張くらいにならないとこのようなものはないですね。
自分が感じたのは仕事に関する彼女の歪んだ思いというより女性が社会進出していく中にあって直面している問題というように感じました。破綻で終わってしまうので間違った思いであるかのような印象を受けますが、意思決定も評価を行っている人間もすべて男性であるというフェアとは思われない状況において彼女と同じように働いているバレリーをパートナーとして登場させていることでそれは否定されているように思います。また、最後に私は負けないわというところで締めていることから考えて犯人の強い執着としてとしてではく、これを肯定的に描いているという作り手の気持ちを感じます。自分達の現場のことを描いてるわけですものね。普通の犯人なら無言か負け惜しみを言って退場させたと思います。
これが放送されたのが70年代、自分が初めて見たのは80年代、日本もいずれアメリカと同じようになって行くのかなと見てましたが今でも日本では女性の役員がまったくいないことを考えるとアメリカは進んでたんですね。私は負けないわというセリフから思いつくのは男性と同じようにしないと生きていけない女性政治家、特に与党の政治家の姿と被りましたが日本はまだその段階に留まっているのかなと残念な気持ちになりました。初回に見た時は希望の方が多かったのですけどね。
ラストのクレジットエンドのコロンボのストップモーションに、キューパンチが入っているのが、凄いセンスだなっと思いました。
何度も、見ているはずなのに最近気付きました。
私も今回初めて「あっ!」と思って画面の前で固まりました。
映画館もデジタル映写の時代、見ることはないのだな…
本作がNHKで初放映された時は10代だったので、男女の別れ話がこじれた犯行と思っていました。曲がりなりにも人生経験を積んだ今観ると、組織の一員として上司にどう評価されるかーそれが仕事をする、生きる上での大きなモチベーションになっていることに気づかされ、身につまされました。
終盤に車内でケイは重役に最後通告を突きつけられます。ケイの思慮のない行為を非難する重役の指摘は、至極もっともです。敏腕と思われていたケイも、支局長という組織を束ねる立場に置かれると力不足を露呈してしまいました。彼女を見限っていたマークは、その点洞察力に優れていたというべきでしょう。
仕事をする上での力量は、努力だけでは補いきれない。そんな悲哀をケイに感じ、我が事と重ねてしんみりしてしまいました。
子供の頃、コロンボがTVでやると本作か「逆転の構図」ばかりで「またコレかよ!」と、それで個人的な評価が下がってました。
歳をとってから見ると、どちらも良作であり、だからこそ何度もTVで流れていたのだなあと感慨深くなったものです。
昨年1月27日の再放送を見て、第一話から新シリーズ最終話まで全話観た中で一番の作品、というよりも一番心に残る作品であるのが「秒読みの殺人」です。
勿論、それ以外にもドキドキする作品はありますが、もし刑事コロンボのDVDを買うとすれば、私は「秒読みの殺人」1作で全て間に合うと思っています。
ケイがマークを別れ話から殺害に至る動機ですが、ケイは女性としての幸せ(子供を産み、家庭の母親として育児をし、夫を守り支え家事をやりこなす)を捨てて、マークと交際していたはずで、推察ですが、マークとの交際期間で中絶堕胎も経験していたであろうと感じました。(ケイの自宅の造り内装を見て、認知に関わらず、子育てを眼中に置いていたと思います)
勿論、子供を産み育てることだけが女性としての幸福でないことは重々承知の上ですが、ケイは全てをマークに捧げていた、しかしマークは栄転の機に別れを切り出した、なおかつケイが社内的にこれ以上の昇進が難しい最終評価も下してしまった事などが殺害の深い動機であったと感じました(女性としての幸せを投げうって、キャリアウーマンとして尽くしているケイからすれば、昇進の低評価をされることはケイにとって憎悪でしかない)。
テレビ局内そしてスタジオ休憩室で拳銃射殺をする点は、この1点だけなら、ケイの完全勝利でしたが、やはりアリバイ工作があまりにも稚拙で、全米のみならず世界的にも捜査指揮能力が高いとされるロサンジェルス市警察を巻くには力不足のもので、この辺りはやむを得ないと思います。
ただ、音楽が非常に好きで、私はひとり資格試験の勉強や嫁娘が寝静まった後にこの音楽サントラを聴くと臨場感が湧いてきて、いろいろな面で感動と深い味わいが感じられます。
私にとって「秒読みの殺人」は幼少期(80年代前半)に観たかもしれない初めてのコロンボ作品の想い出を合い間って、懐かしさと常に新鮮な感動を湧き起こしてくれる名作の中の名作というものであります。
コロンボがテレビ局のモニター室で画面に模様を写して喜んでいるシーンについてです。あのシーンは確かにあまり意味が分からず長い感想を持ちます。一方、クライマックスにてケイがヒステリックになりあべこべに画面を切り替えようとするシーンに、一瞬あの模様が映るのです。ここで、モニター室のシーンとクライマックスが接続されるのです。すなわち、モニター室のシーンでは恐らく意図的にコロンボが間抜けに描かれています。単純なパターンを映し出して無邪気に喜ぶコロンボはなかなか間抜けです。その間抜けさが、クライマックスでケイに乗り移るのです。気高い女性が追い詰められることでコロンボから逃れようともがくさまは哀れながらも滑稽ですが、その演出に一瞬だけ映る模様が一役買っているのでは、と思いました。何度今作を視聴したか分かりませんが、クライマックスの模様に気付いた際に思わず爆笑してしまいました。
いつも楽しく拝見しています。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、小さな発見がありました。
舞台となるテレビ局のエントランスというか外観は、「毒のある花」のビューティーマーク社のエントランスと同じように見えました。また、建物自体は映っていませんが「二枚のドガの絵」でエドナ夫人が車を停めたショッピングモールの駐車場と、今作でケイが停めたテレビ局の駐車場も同じ場所に見えました。