- 「愛犬ドッグ」の出演作品。
- エリック・メイスン「ロールス・ロイス・シルバー・クラウドIII」
- チャーリー・ハンター「ポンティアック・グランプリ」
- コーコラン「シボレー・ブレイザー」
初期シリーズの最後から二番目の作品です。約10年後から再開された新・刑事コロンボシリーズに影響を与えた作品ではないかと感じます。ストーリーの展開や解決編などに、同じテイストを感じます。
ニコル・ウイリアムソン
ちょっと不可解?メイスン博士の性格設定。
このお話、殺害動機がらみの部分で少し釈然としません。犯人のメイスン博士は「普通の人間のような愛情表現」ができないように描かれています。それなのに、自分の妻と被害者チャーリーとの愛人関係を知ると、まず妻を殺害、そしてチャーリーを殺害(本件)。何が彼を復讐劇にかりたてたのでしょう。自尊心からでしょうか?であれば、妻の不貞を知り当事者2人を殺害したことの方が、もっと恥ずかしい気もします。
このエリック・メイスンは映画好き、テニス・ビリヤード好きということですが、キャラクターとは不似合いだったかも。それに対しピーター・フォークのビリヤードの腕前はピカイチでした。
キム・キャトラル
トリシア・オニール
「コロッケ」「コロンボ」はでっち上げ
コロンボ警部は「犬が言葉に反応して人に噛み付くか?」を模索するシーンで、「コロッケ」「コロンボ」と言いますが、これは日本語吹き替え版のアレンジのようです。実際にはピーター・フォークは「コロンボ」とは言っていません。メイスン博士が留置された犬に「チョコレート」を与えるシーンでコロンボはそれを阻止しますが、「犬にチョコレートは禁物」という知識にも基づいています。実際には少量のチョコレートの摂取では犬は死なないそうです。
映画「市民ケーン」
この作品を彩るシチュエーションとして重要な、映画オーソン・ウェルズ「市民ケーン」の全編は見ていません。もしも見ていたら、もっと楽しめた作品(攻撃命令)なのかもしれません。しかし2020年のNHK「映像の世紀プレミアム 第8集 アメリカ 自由の国の秘密と嘘」で取り上げられ、「市民ケーン」を断片的に見ることができました。
監督・製作・脚本・主演をオーソン・ウェルズが担っています。主人公のケーンは実在の新聞王ハーストをモデルにしていて、彼の権力により上映を妨害されたという有名なエピソードがあるそう。世界映画史上最高の金字塔とも称される名作とのことです。すごい!
コロンボ警部はビリヤードがお得意
2話「死者の身代金」では、初代バーニーの店(?)で、11話「悪の温室」でも犯人ジャービス・グッドウィン宅でもビリヤードの腕前を披露していますが、今回は解決編の進行にビリヤードを利用していて、演出としては少々やりずぎか…。しかしこれはメイスン博士を追いつめ、この際「コロンボを殺してしまえ」と決意させるための布石だったのでしょうね。
言葉遊びに見るコロンボ警部の刑事哲学
メイスン博士とコロンボ警部の「言葉遊び」の場面は興味深いものでした。ストーリー展開の上では「攻撃命令のキーワード」を引き出す仕掛けですが、コロンボ警部の「刑事哲学」を感じさせました。それは「正義=仕事」「苦痛=失敗」というくだり。自分の仕事はお金を得る手段とは考えておらず、「悪を許さない」こと、成功を収めたいという意味ではなく「失敗を許さない」こと、という2点。これは私(ぼろんこ)の目標ともダブることです。
類似シーンとして、40話「殺しの序曲」の中で犯人オリバー・ブラントとの会話でも見られます。
合言葉を口にした途端襲われるのはメイスン先生のハズだったのでは?
ブログのお客様からのご指摘。「コロンボに犬をけしかけようとするラスト近くのシーン、合言葉を口にした途端襲われるのはメイスン先生のハズだったのでは?」た、確かに!そうですね。シナリオ…全然駄目じゃん(笑)
↑と思いきや…絶対的な存在である飼い主を襲うことはない という原則に基づいたシナリオであればOK!とのことで納得です。
意外にも近場で!
メイスン博士のご自宅と、犬の訓練士コーコラン先生の訓練場所が、目と鼻の先っていう不思議(笑)どちらも「グリフィスパーク」の周辺もしくは公園内です。
メイスン教授の講義の会場
音楽はパトリック・ウィリアムズ
音楽は、パトリック・ウィリアムズが担当しています。41話「死者のメッセージは特に音楽が素敵」を皮切りに、43話「秒読みの殺人」、45話「策謀の結末」と立て続けにコロンボ作品の音楽を担当。それらが素晴らしい仕上がりになっています。本作では「不気味」な印象が漂うBGMですね。それがそのまま作品のテイストにもなっています。
監督:ジェームズ・フローリー
脚本:トム・ラザラス
音楽:パトリック・ウィリアムズ
エリック・メイスン:ニコール・ウィリアムソン(声:平田昭彦)
ジョアンナ・ニコルズ:キム・キャトラル(声:宗形智子)
チャーリー・ハンター:ジョエル・ファビアーニ(声:寺島幹夫)
コーコラン:トリシア・オニール(声:藤夏子)
ガリソン医師:フランク・アレトラー
ステイン巡査:エド・ベグラーJr.
加筆:2024年8月29日
おはつになります。
このネタを元にコナンでも愛犬に殺させるというトリックのストーリーやってましたね。
確か愛犬ジョン殺人事件だかいうストーリーでしたが。
原題 How to Dial a Murder
「殺人を電話する方法」なんのことかと思いきや、名作「ダイヤルMを回せ」Dial M for Murderを意識してつけられていますね。
アメリカでは科学を利用したセミナー・出版ビジネスが盛んです。怪しいものも多くインチキっぽい「疑似科学」pseudo science を飯のタネにしている人も多いようです。NLPとかもそうですね。
「市民ケーン」、オーソン・ウェルズ、イングリッシュアドベンチャー懐かしいですね。超名優が「マサオクン、」とか言っていた気がします。「ゲームの達人」が面白かったです。
この話は、特に気に入りました。
「別れのワイン」と同じくらい。
コロンボが犬の助命嘆願に駆け回るという設定が良いですね。
ワインとか犬とか、人間の事情に関係ないものへの態度がいい。
調教師が二度登場することで、調教し直しは読めましたし、
心電図は「歌声の消えた海」のダンジガーさんの時と同じ。
そこまでの証拠で充分有罪にできるでしょうが、念を押すところも秀逸。
見逃してDVDで見た作品では、私の中で最高評価です。
メイスンが犯行に移る前に講義している場所は、21話「意識の下の映像」でケプルがサブリミナル効果を入れたフィルムを上映する劇場と同じです。どちらも金色の幕があり向かって右側に階段があることで確認できます。どこの劇場かはわかりませんでした。UNIVERSAL内の建物かもしれないですね。
70年代ラバーさん、本件は調べて親記事に加筆しています。ありがとうございました!
この心理学者のセミナー、まさに久し振りに霊感商法カルトの統一教会がクローズアップされている渦中の今観ると酷く危なっかしく見えました。
私の気のせいか、演出か、リマスターのおかげか。コロンボの葉巻の煙が他エピソードより目立つように思いました。相棒のwドッグもちゃんといる。
これまた今観ると、当時はコロンボの優しさの演出だったジョアンナへのベタベタ触る演技がハラスメント問題になりそうで危なっかしい。
興味深い発見が必ずあるのでテレビを見た後に必ずこちらを楽しく拝見しています.今回は市民ケーン好きにはたまらない作品でした.WCフィールズが作品中で使った曲がったキューと台は本物と言い切っていましたが,Kの文字が入った門扉や,Rosebudのソリ(映画では燃えちゃう)は本物とは匂わせていますが断言していませんでした.スノードームも象徴的でした.最近はランキングとかあまり意味がないようですが当時は市民ケーンはアメリカのオールタイム・ベスト1だったので1977年当時のアメリカの聴衆にもニヤリとさせるものがあったのではと推察します.原題もしゃれていてヒッチコックの第三者による殺人をうまく利用していると思いました.やくざ者の代わりに訓練された犬ですから.きっかけは電話.でももう電話をかけることをdialという人はいなくなりつつあるんでしょうね.
わたしは現在NHKでコロンボを観ていますが、先日放送されたこの作品が制作されたのはまだ1977年だったのですね!
この後1作が制作された後、10(12年?)年の間が空くことは今回初めて知りました。
わたしはこの攻撃命令までは、なぜか全作品何度も観ていて、1989年からのものは観ていないものがぐっと多くなります。
ふと気になり、1977年あたりと1989年のドル円レートを調べてみました。
1978年10月に152円を付けています。
1989年は120円台から140円台まで。
下世話な話で恐縮ですが、わたしがコロンボを観て、わーすごい暖炉!すごいテーブル!わたしも将来お金持ちになってやるぞ!人を殺さずに。と決意していたのは80年代ですので、80年代まではまだかろうじて、素直に子供としてアメリカを”豊かな”国として見ており、そして物があるということ=豊かだと感じていたことがわかります。そして90年代に、70年代に制作されたコロンボを観たときは、とくにこのようには感じなくなっていたのでした。
そしてドル円は1995年4月には79・75円を付けて、そして現在は150円に迫りそうな勢いなわけですけれども、現在の日本、アメリカ、世界を後世の人はどう評するのでしょう?
そして新シリーズをこれから観て、私自身どう感じるのか、そうそうたるボロンコメンバーの方々のコメントを拝見しつつ1話ずつ観ていくのを楽しみにしています。
今回ブルーレイで再見して、ぼろんこさんを含めてここではどなたも指摘していないのではないかと思われることに気づきました。
犬の調教師を演じて皆さんに大人気のトリシア・オニールが、「新スタートレック」(ネクスト・ジェネレーション)の名作エピソードのひとつ “Yesterday’s Enterprise” (日本版は「亡霊戦艦エンタープライズ’C’」という、例によってひどいタイトル)で、悲運に従って粛々と死に赴く航宙艦のレイチェル・ギャレット艦長その人であった、ということです。
観ていて「あれ?もしかしたら・・・」とひっかかり、調べたらその通りで「おおっ!」となりました。「スタートレック」をご存知ない方には、「なにそれ?」というレベルの話ではありますが・・・。
これだけだと一発コメントになってしまうので、もう少し感想などを書くと、このエピソードは、「市民ケーン」や「ダイヤルMを廻せ!」との関係を研究することで深く掘り下げることができるのでしょうが、私にその力量は残念ながらありません(どちらも観たことはあり、印象的な作品だったという記憶はありますが、そのレベルにとどまっています)。
そこで、そこまで映画に詳しくない私が「刑事コロンボ」の一作として見ると、「コロンボの命を狙う」というその一点で、”残念エピソード”と感じてしまいます。コロンボを殺すことにいったい何の意味があるのでしょうか?
この点では「もうひとつの鍵」や「美食の報酬」や新シリーズの「汚れた超能力」も同列ですが(ただ「もうひとつの鍵」は、犯人がよく描かれていると思うようになり、今ではけっこう好きなエピソードになっています)、”Shooting Columbo”という製作舞台裏エピソード本によると、「攻撃命令」の場合、初期の脚本ではコロンボの命を2度狙うことになっていたとのこと。トホホ、と思います。
また、クライマックスでビリヤードを使って証拠を次々に出す場面も、大げさであまり好きになれません。コロンボ=ピーター・フォークのビリヤードの腕前は、初期からすでに描かれていますが、何もこんな芝居がかったことに利用しなくても・・・。「狂ったシナリオ」の”劇団”のクライマックスに見られる新シリーズ的な演出の萌芽が、すでにここにあらわれているように感じました。
トリシア・オニール情報、ありがとうございます。今後、再調査いたしますね。
先日、NHK BSで放送された「市民ケーン」を初めて観て、やっとこのエピソードで引用されていたローズバッド(薔薇の蕾)の意味が分かりました。ケーンという主人公を理解する上で大変重要なキーワードで、ぐっと胸にくる良い映画でした。
あとコロンボの「二つの顔」で被害者を演じていたポール・スチュアートという俳優さんが、ケーンの執事役で出演しているのも発見出来て嬉しかったです。
私も念願だった「市民ケーン」初めて鑑賞しました。
子供用のそりに描かれた「薔薇の蕾」。幼き日に別れた母親への想いの象徴という訳ですね。
あんな名画を弱冠25歳で撮ってしまうなんて、オーソン・ウェルズの才能は凄かったんですね。
私にとっては随分長い間「イングリッシュ・アドベンチャーの胡散臭いオジサン」でしたが(笑)
イングリッシュアドベンチャー、ありましたね(笑)
昔、新聞や雑誌に大きな広告が出ていたものです。
当時は、不信感しかありませんでしたが…
興味本位で調べてみたら、今でも購入可能みたいです。
使った人のコメントを見ると、なかなか良い英語教材だけど、高めに設定された値段がネックということでした。
オーソン・ウェルズの晩年は、巨額の映画制作費用を捻出するためにB 級映画の脚本執筆や出演、ナレーションの仕事に奔走していたそうです。日本の英語教材のナレーション引き受けるなんて、資金的に苦しかったんでしょう。
それにしても旧シリーズって、観た後に視聴者が興味をそそられる要素がたくさん含まれていますね。
皆さんご指摘の『市民ケーン』オマージュとは別な側面でも本作を語りたくなります。
2014年4月4日にWATSON.T様がコメントでお書きになっている通り、今回の犯人役今回の犯人役ニコル・ウィリアムソンは、『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』(1976)という映画でシャーロック・ホームズ役を演じていて、私はこの映画を昔観たことがありますが(DVDにもなっています)、それがどんなホームズかというと、「1891年、コカイン中毒になったシャーロック・ホームズをワトソンが訪ねる。
ホームズは、中毒により精神を病んでいてモリアーティ教授に付きまとっていた。しかし、モリアーティ教授はいたって普通の人物で、ホームズの行動に困惑しており、ワトソンに解決してほしいと頼む。ワトソンは、そんなホームズを治療してもらうため、ホームズの兄であるマイクロフトの協力を得て、ホームズを騙しウィーンにいるジークムント・フロイトに会わせることにした・・・」(Wikipedia記事より文引用)といった話で、今回の犯人にとても似たキャラのホームズなのです。ちなみに「ホームズの兄マイクロフト・ホームズを演じるチャールズ・グレイはその後、英グラナダTV制作の『シャーロック・ホームズの冒険』でも同役を演じている」(Wikipedia記事より文引用)というから面白いです。
さらに、本作の原題「How to Dial a Murder」からもお分かりのように、まさこ様が別な回のコメント欄でご指摘の、明らかに「刑事コロンボ」という番組誕生に際し参考にしたと思われる、ヒッチコック監督作品『ダイヤルMを廻せ!』(Dial M for Murder)(1954)からの引用と思われるシーンが何か所かあり、本作はもう見事に、コロンボ VS(黒)ホームズと観ることも可能となっております。
YC−30さま
>ヒッチコック監督作品『ダイヤルMを廻せ!』(Dial M for Murder)(1954)からの引用と思われるシーンが何か所かあり、
「攻撃命令」を観たのは、「ダイヤルMを廻せ」を観るずっと前だったので全く気が付きませんでした。ありがとうございます!Blu-rayの解説を見返すと、①原題、②動機、③電話を使ったアリバイ工作など、引用が見られるということで、言われてみれば確かに…これは感動ものです!
もちろんこのエピソードだけでも楽しむことも出来ますが、
「ダイヤルMを廻せ」
「シャーロック・ホームズの素敵な挑戦」
「市民ケーン」
その他数々の映画コレクション
など、知っているオールド映画ファンにとっては、オマージュを発見するという粋なはからいが用意されているんですね〜
また、先日YC−30さまが51話「だまされたコロンボ」へのコメントの中で紹介されていた「華麗なるギャツビー」録画しました。ロバート・レッドフォード版(1974年)はかなり前に観たことがあるのですが(白いスーツがよく似合っていた!)、ディカプリオは未見です。
週末ゆっくり観たいと思います。
まさこ 様
44話「攻撃命令」は、映画マニアほど唸らされる作品でしょうね。まだまだ、分かる人にしか分からない隠しネタが埋め込まれているかも知れないです。
本作の監督、ジェームズ・フローリーが、同じく映画の制作現場が舞台の、新シリーズ2作目の47話「狂ったシナリオ」の監督を担当しているのも興味深いです。
「華麗なるギャツビー」のロバート・レッドフォード版(1974年)は良かったですよね。ディカプリオ版との比較をぜひ!! 夏向きの映画ですので、暑いこれからの時期にぴったりです。
昨日コメント投稿してから気付いたのですが、「華麗なるギャツビー」というお話自体、「市民ケーン」と、どことなく似たところががありますよね。
華麗なるギャツビー、市民ケーン、共通するメッセージは、「孤独」でしょうか?途方も無い富や名声は人を孤立させる、しかし心の底では愛情に飢えている、という葛藤が見られますよね。
華麗なるギャツビーに関しては原作も読んだ方が良さそうですね。(もちろん日本語です)そして、レッドフォード版、ディカプリオ版を比較して鑑賞するのも面白そう。
この夏の課題になりそうです。(笑)
YC-30さま
「華麗なるギャツビー」、原作を読みながらディカプリオ版(2013年)を視聴、そのあとレッドフォード版(1974年)を見直しました。
まず、ディカプリオ版ですが、バズ・ラーマン監督らしい、CGを多用したり、音楽やダンスを現代風に大胆にアレンジしていましたね。ミュージカルみたいでした!ただ原作を読んでいないと、ちょっとストーリーが分かりにくいかなと思います。その点、レッドフォード版は原作をシンプルに分かりやすくしていましたね。時代考証も1920年代を忠実に再現していたので、当時のレトロな雰囲気を味わうことが出来ます。
個人的にはレッドフォード版が好みです。特にミア・ファローが素晴らしい…デイジーの天然で利己的な性格をゾッとするくらい自然に演じていました。
この小説、人種差別的、また女性蔑視とも取れるセリフが出てきてドキッとしてしまいますが、考えてみればこの時代(日本では大正後期)はそういった考えが当たり前でまかり通っていたんですよね。そこは歴史的な事実として、作品の中に残しておくべきでしょう。
YC-30さまが「夏向きの映画ですので、暑いこれからの時期にぴったりです。」と言われていたの、納得しました。登場する人物、みな額に汗をかいていますよね。(笑)
ディカプリオ版は、バズ・ラーマン監督らしさに加え、どことなく、映画「タイタニック」の続編のような趣もありますよね(笑)。ジャック・ドーソンが実は生きていたと仮定すると、タイタニックが沈没したのが1912年ですから、時代的には、この「華麗なるギャツビー」にスムーズに繋がるんです(笑)。
レッドフォード版、ディカプリオ版の両方をBlu-rayで持っていまして、両方好きなんですが、私もレッドフォード版の刷り込みが強いので、(特にディカプリオの顔には)最初、違和感が有りましたが、今はすっかり慣れましたし、ヒップホップ風な楽曲を用いたディカプリオ版の冒険心には、むしろ拍手を送りたい気分で、決して嫌いではありません。
でも、それもこれも偉大な原作有ってのことですが、人種差別や女性蔑視の時代背景と同時に、男性目線の小説であるとは言えそうですよね。
「刑事コロンボ」に強引に関連付けましょう。「刑事コロンボ」シリーズに、もしも女性の監督や脚本による回が何作品か有ったなら、もっともっと新鮮で多様な可能性を引き出せたかも知れないと、書いていて思いました。
※ おまけ
ディカプリオ主演の二つの映画、「タイタニック」と「華麗なるギャツビー」を、試しに合成して遊んでみます。
1912年4月、豪華客船タイタニック号の沈没で溺れて死にかけていた貧乏画家のジャック・ドーソンは、偶然、稀にみる大金持ちの船に奇跡的に救出され、無事アメリカに渡る。ジャックは、その大金持ちに気に入られ、彼に近づき、彼の死後、彼の遺族を騙し全ての遺産を相続したが、その財産だけでは一生遊んで暮らすには足りなかった。
だんだん金銭的に不安になって来たジャックは、ギャツビーと名を偽り経歴も詐称し軍隊に入る。その時訪れたパーティにいたのがデイジーだった。ギャツビーはデイジーに一目惚れするが、第一次世界大戦(1914年7月~1918年11月 〔1917年4月からアメリカ参戦〕)が彼らを引き裂く。ギャツビーが戦地に立っている間に、デイジーはトムという金持ちの男に家の都合で無理やり結婚させられる。
しかし、デイジーがトムと結婚しても尚ギャツビーはデイジーの事を諦める事ができなかった。戦地から戻ったギャツビーは、再び非合法的なやり口で巨額の富を手に入れた。そして、いつかデイジーが来てくれる事を願い、1922年になると毎週末自宅でパーティを開いていた。しかし一向にデイジーは姿を見せない。そんな時、ギャツビーの前に現れたのがデイジーの親戚であるニックだった・・・。
因みにギャツビーが殺されたのは、ピーター・フォーク(1927年9月16日 – 2011年6月23日)が生まれる5年も前の出来事であった。
「タイタニック」のジャック生存論は思いつきませんでした。ジャックとギャツビーは共通する要素が多く、同一人物だとしても違和感無いですね(笑)。
男性目線の小説…確かに!デイジーは最後彼に酷い仕打ちをしましたが、そもそもギャツビーはどこまで現実の彼女を知っていたのでしょうか?手に届かなかった高嶺の花だから追い求めていただけでは?ある意味、彼は自分で作り上げた幻想に敗れてしまったのかもしれません。
わたしも若いときに観たレッドフォード版の刷り込みが強いんです。しかし確かにリメイクするにあたって、前作(レッドフォード版)と同じようなコピー映画を作っても面白くないし、むしろ予想を裏切るくらい大胆なことをしないと意味は無い、それがまた前作へのリスペクトにもなりますよね。
そして細部を見ると、意外とディカプリオ版の方がセリフとか展開は原作に忠実に作られている部分が多い。親の代から引き継がれた莫大な財産を持つ富裕層に対する軽蔑、そして才覚と努力でアメリカンドリームを実現させたギャツビーに対する共感が、後半部分にいくにつれ、よく描かれていると思います。
「刑事コロンボ」との共通点を見出すとすれば、まさにそこで、富裕層である犯人を徹底的に追い詰める一般庶民であるコロンボ、そんなシナリオはいつの時代もアメリカ人の心を捉えるかなと感じました。女性の監督や脚本による回が何作品か有ったなら…そうですね!それこそ、マンネリ打破にもっとも効果的だったのではないでしょうか?きっと別の視点から良いものが出来たに違いありません。
最後、何とかコロンボに帰着しましたが、脱線の数々申し訳ありません。たまたま、YC-30さまとアイスさまが話題にされていた「華麗なるギャッビー」が気になり、飛び入り参加してしまいました。この作品の再考のきっかけを与えてくださり、ありがとうございます。
>犬の訓練士コーコランを演じるトリシア・オニール(Tricia O’Neil)が人気です。
出番は少ないですが、ショートカットで快活で凛とした美人さは印象に残りました。
惜しむらくは、出番が少ないこと!
この人が家に居候させてもらっている女性役でも良かったのに…
ぼろんこさん、ありがとうございます♪
この作品、わかる人にはわかる魅力満載だったんですね。コメント拝見して、驚愕の嵐です。
私は、子どもの頃、犬が最後にコロンボをキスするとこが印象的でした。
wikiみて、キムキャトラルさんの初めての出演作がなんと、Rose Bud!
だから、出演出来たのかなぁ?
全然気が付かなかったけど、映画マネキンの彼女だったのも驚愕!
この作品の完成度の高さが、その後の出演者にも影響を与えてる気がします。
昨日bs3放映のアガサクリスティ原作「検察側の証人」にキム・キャトラル出てましたね。
コロンボでは20そこそこの女の子でしたが、すっかり60代の貫禄ある演技派女優となり、安心しました。まだ頑張ってることに。
何度か「通りすがり」名義で書き込ませていただきました。改めて初めまして。管理人さんや投稿されている方々の幅広い知識・情報とコロンボへの愛情、すばらしいですね。
先年亡くなった吾妻ひでお氏の「やけくそ天使」で、主人公の阿素湖素子が犬を殺人用に訓練して「バラのつぼみと言ったら飛びかかるのよ」みたいな台詞を言っていました。マニアックな引用が好きな人でした。
犬を兇器として使う話、モーパッサンの「復讐」というのもあります。もっと古い話もあるのかもしれませんが、私が知っている一番古い話は「復讐」です。
老婆が、体力では敵わない若い男を殺すために一頭の犬を飼い、ソーセージを餌に仕込みます。キーワードは暗号じゃなくてストレートに「かかれ1」だったと思います。英語訳版では At him! だったかと思いますが、はっきりしません。
実はコロンボのこの話をテレビで見た当時、英語の副教材で「復讐」の英語版を読んでいたので、面白い偶然だなと思った覚えがあります。
若い頃から様々な学者・博士を演じてきた平田昭彦氏の吹き替えが素晴らしく、それだけでも価値ある一作。
言葉が殺人のトリガーとなるだけあって、言葉のゲームに象徴されるように、言葉(台詞)が多様な意味を持つ凝ったシチュエーションが多いですね。エリック自体、「言葉とは」を受講生に講義したり、他人に特別な言葉を持てと奨励したりしてますし。
他にも、
・killと言われてキスを、キスと言われて襲いかかる犬
・不倫を知っていた事を隠していた時のジョアン「愛情問題が先生に分かるの、何も知らないくせに」
・上記を打ち明けられたエリック、ジョアンとラブシーンになるかと思いきや首に手をかける時の「この事は誰にも言うんじゃないよ」、からの「いいタイミングでした」
・事件を解決したコロンボ、ビリヤード台にて「これじゃゲームにならない」
等々、言葉遊びというか、様々な意味を含んだ台詞回しが面白いです。
以前、英語ネイティブの人から聞いた話ですが、
バラの「つぼみ」のBUDという発音。ネイティブの人以外は正しく発音できる人は
あまり居ないと聞いたことがあります。
コウモリのbat、悪のbad等と使い分けができてないので、外国籍の人が「バラのつぼみ」:ROSEBUDとささやいた場合、違う言葉として聞こえる場合があるらしいです。
後半、合言葉が何度も発せられますが、そこでドーベルマンが行動を起こすさなかったのは、ここら辺に理由があったからでは?とかってに解釈、日本人では永久にドーベルマンを行動させることはできないだろうなって思いながら見てました。
budとbadの違いくらいさすがに分かるわ!とツッコミたくなりますが、ちょっと客観的に分析。
日本人で英語が出来る人でも、トヨタ社長とかガースーとか見てても発音悪い人は確かに多いです。頭で分かってても、文章を読むのでなく咄嗟に話す時などやっぱり「カタカナ英語」になってしまうことも多い。
これが(英語圏以外の)外人になるとさらにひどい。イタリア人など、Lも巻き舌。フランス人はhは頑なに発音しない人も多い。アルファベットの言語域なので逆に障害となるのでしょう。また、英語圏といっても東南アジア、アフリカなどもう別の言語に聞こえたりすることもあります。
そのネイティブの方は恐らくそういう広い観点からそう仰っているのではないかな?
むしろ日本人は真面目に発音しようとする方だと思いますね。
あと、犬が反応しなかったのは発音ではなく、電話のベルが鳴らなかったからではないですかね?
日本人の発音だと、budの部分よりむしろroseのrで犬は反応しない気もします。
ちょっと横道にそれますが、ビジネスマンで英会話が堪能な人は、確かにカタカナ発音の人が多いのは事実です。
しかしそれは、発音が下手な訳ではなく、わざとカタカナ英語で喋っている場合もあります。
会議の場に出席している日本人が全員、英語のヒアリングが得意という訳ではないので、流暢な発音よりカタカナ発音の方が理解しやすくなります。
「アムトーキナバーレ」より「アイアム・トーキング・アバウト・イット」の方が日本人にもネイテイブにも伝わりやすいという訳です。
なるほど!日本人に分かりやすくという観点は気づかなかったです。
それは面白いですね。
私はまあまあ発音には自信が有るのですが、渡米した時に、友人のカタカナ英語が結構通じているのに驚きました。というか嫉妬に近いかな笑
そこまで発音にこだわることも無いのかも知れません。
ただ、「エールを送る」とか間違ったカタカナ英語はやめた方がいいと思うんです。外人に勘違いされる可能性があるんですよね。
ますます話が逸れてしまいますが…
キーワードの「バラのつぼみ」が強く印象に残る作品です。
私が疑問に思ったのは犬たちをどう調教したかです、「バラのつぼみ」を口にした者を襲えだと最後のシーンが矛盾しますし、タイトルのように攻撃命令だったら命令者は襲わないだろうから犯行時の状況と矛盾します。
どちらでも適合するとしたらキーワードを聞いたら近くに居る人間(自分以外)を手当たり次第に襲えでしょうか、しかしそんな風に調教出来るものかなぁ?
私が犯人だったら、秘密の合言葉「バラのつぼみ」は封印し、生涯にわたり二度と口にすることはありませんね。
よりによってコロンボの前でそれ言うか!って思いました。
ここ数週の作品はどれも結構好きなのですが、本作はちょっとがっかりでした。
そもそも、犬をしつけて殺させるという手法がリスクが大きすぎてとても現実味がない。仮に万が一にでもチャーリーが一命をとりとめたら即犯人が誰だか分かってしまう。
いくらドラマだと言ってもこの殺し方はありえないと思ってしまう。
メイスン博士という人物も、ほかの名作の犯人と比べると魅力度に欠けるし。
コロンボ自身も「あなたにはちょっとがっかりしました。」と言ってますし、シナリオライターもちょっと今回はもう一つだったという自覚があったのでは。(笑)
まあ、すべての作品が傑作というわけにはいきませんから仕方ないですが。
あのセリフは私も同感です。
犯人の魅力度は、人間的にも悪党としても低いですよね。
脚本家だけでなく、スタッフの総意だったような気がします。
私も犬が人を殺すよう訓練できるのかな?とそこは疑問でした。
そもそも「襲え!」という種類の命令は悪人を追い払うか捕まえるため(悪人が犬を振り払っている間に追いついて取り押さえる)のもので、実際に大の大人を殺してしまうまで攻撃するものなんだろうか?
でもドーベルマン二匹だと殺されてしまうかなあ…怖い
「意識の下の構造」(慇懃無礼な心理学者)と「殺しの序曲」(凝った殺人メソッド)と「秒読みの殺人」(廃屋街)が混ざった様な作品ですね。
ぼろんこさんが仰る様に、新シリーズ的でもある。
ワンコの美人調教師さん。チャーリーズ・エンジェルのケイト・ジャクソンだと、ずっと思い込んでました。
はじめまして、こちらの掲示板楽しく拝見させていただいております。
今回の作品「攻撃命令」は手塚治虫さんの短編漫画「反射」に似ておりますね。この作品の内容は・・・
男は35も年が違うとはいえこれ見よがしに若い男と情事にふける妻を殺そうと考えた。 考えた方法は飼っている犬にあるレコードを聞くとベッドの上のものをかむように条件反射を仕込む事だった。 作戦は見事成功し、浮気相手の男もろとも妻は犬にかみ殺される。 その後、生命保険会社の男がそのレコードをかけると男も条件反射に囚われ、犬に褒美を上げるしぐさをしてしまうのだった。
まあこの手の殺人方法は昔からあるのかもしれませんね。
これからも宜しくお願いします。
まさに。「バスカヴィルの犬」や「~の~」(ネタバレになるので伏せます)のような怪(!)作を、70年代的な現代性を持たせたような作品とお見受けします。
この回は久しぶりに見ました。旧シリーズでは珍しい凄惨な殺し方で記憶に残っています。「極楽コンビ」の2頭のドーベルマン、よく訓練されていましたね。電話が鳴ってスックと立ち上がってサッサッと小走りで走っていくところが本当に怖い。撮影の時はどんな訓練したのでしょう?結構大変だったのでは?助演ワンチャン賞をあげたいです。女性訓練士のお姉さんは本当に素敵でした。ほかの映画やドラマではあまり活躍していなかったようですね。惜しいことです。
市民ケーンが今回の重要アイテムだったですね。第三の男が好きだったので学生時代に見ましたがあんまりおもしろかった記憶がありません。改めてこの年になってもう一度見直したいと思いました。
旧シリーズは少なくとも3回以上は見ているので今回は録画して原語で聞き日本語字幕で見ているのですが、今回の発見はコロンボが「かみさん」というところは”Mrs. Colombo”と言っていることでした。原題はヒッチコックの”Dial M for Murder”みたい。
メイスン先生が犬にチョコをあげて殺そうとしますが、私はてっきり毒が入ったものかと思いました。その後、先生がそのチョコを食べますが、表面だけ食べたから毒は効かないんだろう、とも考えましたが、犬にチョコは禁物だったんですね。知らなかったです。この機会に知ることができて良かったです^^
あの、メイスン先生と同居していた美人さんって・・・先生の愛人だったと解釈していいんでしょうかね。そう考えると、先生も同罪じゃん!と思ったりしました。
あのチョコレートはキシリトール入りのものじゃないかと思います。
キシリトールは人間には無害ですが犬には一欠片でも危険ですからね。
最終シリーズには珍しく、飽きずにみました。けっこう面白かったです。しかし・・
犬を飼った経験がないし、この作品を初めて観て以来大型犬は苦手なんですが、いくら訓練でも今まで世話を受けてたヒト(チャーリーさん)を殺すようなことするでしょうか?まるでプログラムされたロボットみたい。愛犬家の顰蹙を買わないんですかね。
とは言うものの「何を考えてるかわからない」(訓練場のコロンボ)
犬の訓練に詳しい方の意見を聞きたいものです。
コロンボは子供の頃たくさん見たはずなんですが、大人になって見返してちゃんと結末まで覚えていたのは、これと『二枚のドガ』の絵だけでした。
子供でも覚えているわかりやすい痛快な終わり方だったのかな?と思います。
最後にワンコに犯人を襲わせないでコロンボにじゃれつくのもよく覚えていました。
今回のドガはもう放送終わっちゃったのかな?残念。見たかった。
犬を訓練していた、西部劇のセットの場所は何処でしょうか?
他の作品でも出てきてませんでしたか?女性犯人の回。レスリーの時かな?
他の作品でも出てきてませんでしたか?女性犯人の回。レスリーの時かな?
レスリーですか?
どの回でしょうか?
すみません、間違いでした。43回秒読みの殺人でした。しかも建物が違っていました。この西部劇街ではありませんでした。
そこかどうかわかりませんが….
20年程前にUniversal Studio, Hollywoodのstudio tour で見た光景に似てるなぁと思いました。 トラムに乗って撮影現場巡りをしたのですが、 訓練場所の家や、その家に向かう道とその後方の林が似ています。
さて、旧作全作放映もいよいよラストスパート。コロナウイルス禍ということで、記録よりも「記憶」に残る放映と視聴となることでしょう。
私は、このエピソードを最初に観た時クライマックスシーンで「あっ!」と思った口なんで、リアリティよりインパクト優先の面白さだと思っています。つまり初見のインパクトで「記憶」に残るエピソードですね。(確かに、コロンボをやっちまおうとするの犯人の確証を得る為にはなりますが、証拠にはならない。但し「視聴者」にはインパクトを残すのです。)
全体の整合性よりも、映画ファン向けの趣味的なポイントがいわばスポットで種々「楽しい」エピソード、といいましょうか。
メイスン博士とジョアンナ嬢ははっきり言って「愛について」語るにしては「変な人達」(笑)。
メイスンが殺した、あるいは殺そうとしたのは、自分の言葉が「支配できなかった人々」つまり妻、チャーリー、ジョアンナ、そしてコロンボも。
「心理学」今振り返ると「コロンボ」に限らず米エンターテインメントは、時代の心理学の流行、イメージを好き勝手に使ってなんでもやっちゃう歴史だったのかもしれない(←大きく出てしまった)。このメイスン先生も後々「レクター博士」に姿を変えたのかもしれません。
ミステリー的には、犯人の秘密の訓練場所がいとも簡単に見つかる、いくら訓練し直したとしても元々の飼い主の「攻撃命令」を犬は絶対思い出さないのかな、など疑問点はありますが。
電話の件については一応納得することができました。
電話局は料金を請求しなくてはならないので発信元の情報は控えているが、受信元については控えていない。(だから警察も誘拐事件の時などでは逆探知しなくてはならない) ドラマ上このような設定にしている、ということなのでしょう。
コロンボは捜査の過程で犯人が心電図計測の時電話をかけていることは突き止めた。ただここを決め手とすると、「確かにあの時間電話したのはわたしだ。犬が襲撃している音も聞いた。しかし、それだけだ。自分はあの犬の飼い主だ。攻撃命令など出してはいないが、飼い主としての責任はある。その責任をとりたくなくてつい嘘をついてしまった」と逃げられるおそれがある。なので最後あのようなひと芝居をうってみた、ということなのでしょう。
様々な角度から小ネタを深掘りする、ファンサイトの鑑ですね。おかげで作品鑑賞の楽しみがぐっと深まっています。
トリシア・オニールの「タイタニック」ですが、tricia o’neil titanicで画像検索すると出てきました。ファーストクラス乗客を演じていたようです。白い盛装の写真はキャプションの順序が間違っていて、おそらく一番右です。
見てきました。一番右の女性ですね。
楽しい情報をありがとうございました。
様々な角度から小ネタを深掘りする、ファンサイトの鑑ですね。おかげさまで作品鑑賞の楽しみがぐっと上がりました。ギブアンドテイクということで私からも情報を一つ。
トリシア・オニールは「タイタニック」でファーストクラス乗客を演じていたようです。
https://titanic-1997-movie.fandom.com/wiki/Woman
https://www.imdb.com/title/tt0120338/mediaviewer/rm270369793
キャプションの順番が間違っていて、たぶん一番右です。
通話記録を調べたらすぐわかる話だわな
あまりにもずさんすぎる
さすが末期
素晴らしいWebに感銘を受けました。
私は1970年代にNHKで、刑事コロンボ(本来は警部補でしょうけど)を観ていた世代です。
此度の「攻撃命令」に関してですが、イヌの名前のLaurel and Hardyとは、1920年代に活躍していたコメディアンに由来しているのではありますまいか?
たしか日本では「極楽コンビ」などと訳されていたようです。
またコロンボ刑事がビリヤードをやるシーンで壁に貼ってあるのは、やはりコメディアンのW. C. Fieldsと見受けられます。
1970年代に作られたテレビ作品ですから、当時の視聴者にとって「あぁ懐かしい」と感じるhommage(オマージュ)のひとつ、と考えましたがいかがでしょうか。
また当時20歳過ぎたばかりのKim Cattrallが、20年後にはSex and the Cityの人気俳優になっていることは、感慨深いことと存じました。
素晴らしいWebを有難うございました。
コメントありがとうございます。「極楽コンビ」のお話、興味深いですね。「市民ケーン」やコメディアンの小ネタなど、好きな人にはたまらない演出なのでしょう。
ジョアンな可愛い。けど、事件の目撃者になるために同居させてたのか?愛を受け入れないのに同居まあゲストハウスだけど住まわせてて、何か怖いこと起こりそう。
この子がもうちょっとなんか役割あればなあ。博士に殺されそうになってたのかな。あれ本気じゃないよね。
この二人の人間関係が、少し怖いような、そんな気がしますね。
ひびきさん、私も犬を飼っておりまして、たいへん可愛がっております。散歩で他の犬連れの方をみかけると、わんちゃんに目がいって、同じように愛情がわいてきます。コロンボの犬への愛情が、犯行に使われた犬たちにも向けられており、心が温まる作品です。それを上回る不気味さには勝てませんが(笑)
訓練された犬が登場する当話は、骨子としてとても楽しめました。
ただ残念なことに、犯人の苦しみ・悲しみの心情が理解できず、脚本・演出に不満も感じました。
コロンボの怒りは、家族として共に人生を過ごす犬を、まるで殺人銃器のように扱い、使用し終えたら捨ててしまえ!とばかりに殺すことにばかり先を急ぐ犯人に対しての、正義と愛が源でもあったのでしょう。
君だけは絶対に許せん!!という煮えたぎるような怒り。
だから犬達を、何が何でも生かしてあげたい!と必死になった。
彼らこそが被害者なんだ!!
という正当性を立証するために駈けずりまわった。
攻撃命令としての、訓練のし直しは二重の意味で大変だったと思います。
最初は、
遠方から電話のベルを聞きつけて集結する
↓
当人がキーワードを言うことで
↓
言った当人を攻撃し、殺す
犯人に対峙したラストシーンでは、
命令を下す人物が発した言葉に反応し
↓
離れた場所にいる人物に飛び掛るようにした
・・・つまり、飛び掛る対象が違っていたのですね。
Aが口にする → Aに飛び掛る
↓
Aが口にする → Bに飛び掛る
という風に、あの美人訓練士の下でコロンボが寝る間も惜しんで、犬達に新たな反応を教え込んだ。
彼らの命を救うために。。
そして犯人を追い詰める為に。
我が身を汚すことなく、完全犯罪を成し遂げようとした犯人は本当に破廉恥極まりない。
どの角度から考察しても好きになれませんでした。
せめて犯人の苦悩が描かれていれば、多少なりとも人間として同調できる箇所があれば、もっと深く濃度のある作品に仕上がったことでしょうに・・・と残念です。
ストーリーが楽しかったのに、感動が薄くて。
「もったいない!」と思ってしまいました。
それにしても、犬も人間も、教育一つで天地の差だと、改めて教えられました。
同じ単語に対して、どんな反応を示すのか?
人間の感情・反応もさまざまですものね。
どれが正しい反応か?ということよりも、これは愛ある反応か?を究極の回答へのよりどころにしたいなぁ、と感じました。
はじめまして
ここ数ヶ月、視聴時間とHDD残量地獄に陥っています。
犬の攻撃の件ですが、電話のベルが「その場所に行く」だけでなく「攻撃の準備動作」になっているように思えます。
警察署のシーンでも電話のベルで攻撃準備に入っているように見えます。
「電話のベル」+「電話の場所」+「バラのつぼみ」が揃って初めて人間を攻撃するように調教をしたのではないでしょうか?
攻撃が終了すれば命令はリセットされ、いくら「バラのつぼみ」といっても攻撃は実行されずもう一度「電話のベル」から始める必要がある。
安全性を考えてもその方が理にかなっているように思えます。間違って誰かが襲われる可能性も低くなるでしょうし。
それにしても、こないだ観たばかりなのにそんな気がする程度ではっきり覚えていないという自分の記憶力が情けない・・・
動機、チャンス、方法を状況証拠を絡めて犯人を追い込んだ感じだが、
推理の域を出てなくて、決定的証拠にはなっていない。
攻撃命令のキーワードが発覚した形にはなっているが、それすら、
証拠の一つとなるのだろうか?。単に犬の気まぐれだと主張もできるだろう。
心電図が証拠なのかな?。それと攻撃命令との関連性はあるのか?。
犯人が最後の勇み足さえしなければ、裁判は微妙だったのに。残念です。
ふきかえふぁんさん、とても深いお話を書いてくださって、今の私には、すべてを理解できませんが、時間をかけて探求いたします。ありがとうございます!
BS-TBSで観直し、物語の骨子はサイコホラー要素が70年代の映画よりもっとずっと古典的なものと思えて来ました。
「青ひげ公」の物語をご存知でしょうか?執拗に求婚を重ね結婚した妻に「この鍵を使う部屋は開けてはいけない」と約束させ、約束を破った妻を何人も殺した城主の話です。欧米では結婚は契約。浮気だ不倫だと言葉を飾っても約束を破った事は確か。約束破りの人間、ここでは不倫妻の相手を(ゴシック調の屋敷で?)殺すという大筋はまさに「青ひげ公」のものでした。
「青ひげ公」では鍵に血が付いて洗っても落ちない、という『マクベス』のような展開が含まれて居ます。メイスン博士役を演じたニコル・ウィリアムソンが83年にTV映画でマクベスを演じているのはコジツケっぽいですがちょっと面白い。
電子機器がオカルトっぽい物語に関わって来るのは『エクソシスト』ですね。少女の精神的症状に当時の最新機器で全く説明が付かない不気味さが似通っています。そういえばウィリアムソンは90年の『エクソシスト3』では神父役でしたっけ。
スピルバーグ作品からの引用もありました。人形「チャーリー」のアップからカメラが急速に引く場面は『激突!』と音楽に至るまで酷似しています。ぬいぐるみの名前「スィグモンド」もスピルバーグ作品『未知との遭遇』や『続 激突!』を手掛けた撮影監督のヴィルモス・スィグモンドの名前からいただいたようです。この名キャメラマンの風貌がクマのぬいぐるみに見えるかどうかはあなた次第(ゴメン)
地上波未放送部分の追加録音キャストはコロンボが銀河万丈さん。メイスン博士は『奪われた旋律』の佐々木勝彦さんでした。面白いなあご自身『ゴジラ』シリーズに出演し2014年の”GODZILLA”吹き替え版でも芹沢博士(渡辺謙さん)の隣に居た佐々木さんを芹沢博士声の穴埋めに呼ぶなんて。
ぬいぐるみの名前は心理学者と言えば、で
ジグムント・フロイトから取られたんじゃないですか
当話は突然犬が獰猛に変質して人を喰う話。『オーメン』やスティーブン・キングの『クジョー』みたいなオカルトホラーの香りが漂います。
動物が人間を襲う映画として連想されたのが『鳥』です。『サイコ』で「忘れられたスター」を呆気無く理不尽な形で退場させたヒッチコック監督は、ブロンド美女が好きで片想いだったティッピ・ヘドレンを鳥の大群に突付かせ啄ばませるという強姦的な場面を創り出していますね。
キーワードとなる「バラのつぼみ」について。
『市民ケーン』の主人公・新聞王ケーンのモデルになったのが製作当時のメディア王ハースト(今でいうとマードック的な?)で、彼にまつわるエピソードを沢山盛り込んだと言われています。
アダルトな話題になってしまいますが、ハーストは売れない女優を愛人に持ち、彼女の秘所を「バラのつぼみ」と呼んでいたという話があります。こういう言葉を選ぶとはメイスン博士、ただの映画好きではない。ジョアンナに対する欲情の表れとも捉えられるでしょう。動物と劣情のシンボル…『鳥』とも共通しています。
気持ちは分からないでもない。ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』で一番エロエロなパートを担当していたのがキム・キャトラルですもん(赤面)
『オーメン』、『鳥』、『市民ケーン』を、BS-TBSの放送前に御覧になってみてはいかが?放送当時の雰囲気にうまくシンクロ出来るかも知れません。
吹き替え犯人役が『ゴジラ』の芹沢博士なのですよねー。キャスティングに拘りがあったのかしら。
犯人は最後に、コロンボへ対して攻撃命令をかけようとする。
その時、アリバイ工作を何もしていませんよ。
コロンボはヘマはやりませんが、仮に攻撃命令が成功したとすると、
コロンボは上司へ報告しているはずなので、必ず捕まります。
必ず捕まって罪が重くなるだけで、だったら、きれいに観念すべきです。
シリーズ屈指の残忍な殺害方法であるためか、不気味な雰囲気が漂うエピソードです。電話のビープ音や、落ちた藁、心電図といった手がかりはなかなか気が利いていて、ミステリー的にも上々の出来だと思います。ビリヤードのポケットから次々と証拠を取り出すという演出はぼくは洒落ていると思いましたが、人によっては芝居がかっていて新シリーズみたい、と良くは思わないこともあるようです。
コロンボの話術に人間負け、根気負けした感じがする。
心電図が決めて?。まあ状況証拠や動機は分かるが、結局最後は、
攻撃命令を仕掛けるという自らの行動によって自滅した。
ただ心電図に依らなくても、電話会社の通話記録によって
犯人が電話したのは明らかになるはず。それが何だと言うのか?。
コロンボでは、度々、この通話記録を強力な証拠の一つとして挙げる
ことが多い。しかし、エピソードによっては通話記録が証拠となり得る
にもかかわらず、なぜか証拠に採用しない場合もある。
一貫性が無いとも言えるが、あまり細かいかな?。
タップおばさん>不思議な魅力をもった作品です。それにしても「犬の訓練士さん」は人気があります。
市民ケーンを知らないことが悔しいです。
知っていればもっと楽しめたんでしょうね。
ただ、殺害方法の奇抜さ、
犯人の冷徹ぶり、素敵な犬の訓練士さん。
特徴的なものが多かったので充分楽しめる作品でした。
ジミー頁さん、コメントありがとうございます。この「攻撃命令」で、何故か「バイオハザード」を連想してしまいます。たぶんこれは…私だけだと思いますが(笑)
なんとなく久々に見てみました。調教師の女性はスタイル抜群で、ほんとに綺麗ですね。
ジョアンナも可愛らしいですが、なるほど20年後に華麗なる変貌を遂げたのですね(笑)
あと、さいごのシーンで犬が反応しないのは、ローズバッドが会話の中にとけこんでいたので命令でないと判断したのかな?と適当に解釈してます。
それより電話の通話記録を調べれば、三時前後に病院からかけたのがわかるような気がしてるのであります。
鳴門舟さん、確かに「短期間に調教」。最先端の調教なのかな。
ゆうすけさん>犬の調教師の女性=チャーリーズ・エンジェルのひとりに見えました(笑)
とっしーーさん、曲がったキュー!曲がりすぎでしたね。
他のサイトの映画の感想に、私が思っているのと同じことが書かれていました。
それは「そんなに短期間に調教って変えることができるのかな」という事です。
まるで、真逆のことを調教するのですから、犬も、戸惑うと思うのですがね。
調教師の話を聞いてみたいものです。
犬の調教師の女性の方 美人でしたね
今日 久しぶりに見ました
こんばんわ^^
26話以降から2度目の鑑賞になりますが、確かにニコルはスポーツマンって爽やかなナリじゃないですよね(笑)
ラストのシーンでのコロンボのビリヤードの腕は、本当に素晴らしいですが、W・Cフィールズの
ビリヤードのキューは、曲がってました・・
あれってどうやって打つんですかね?(笑)
フィールズは、喜劇王なのでギャグで使ったのかな?(´ー`*)
いや~一度目は、ニコルはチャーリーだけを殺害したのかと思ってましたが、奥さんもだったんですね(汗)
自分を支配するはずだったのに、支配できなかったのですね。
しかしチャーリー、浮気してたのをバレないとでも思っていたのか・・汗
そして、明らかに怪しい誘いに乗るのも、ビミョーでした(笑)
Minminさん>コメントありがとうございます。うぅ、これも鋭いご指摘ですね。作品をもう一回見てから、お答えします!
ボロンコさんこんにちは。いつも楽しく拝見しております。
今回一つ不可解に思ったことがあります。
最後のシーンで、コロンボが録音したテープをメイスンに聞かせますが、そこでメイスンが「薔薇のつぼみ」と言っている声が再生されて、コロンボもこの言葉をくりかえしているのに、なぜ犬たちが反応しないのでしょうか。まだ部屋にいますよね?この言葉を聞いたら即、コロンボに飛びついてじゃれるのでは?警察では録音の声でも激しく反応していたのに。
ボロンコさんはどう思われますか。
「絶対的な存在である飼い主を襲うことはない」で納得です!ありがとうございます。それと…最後の場面で「飼い主に向っていく演出」ですね!想像したら…ゾクっとしました。この方がもっと面白かったかも!
「追い詰められた犯人がコロンボを殺そうとする」は、何度か出てきますね。それを決定的な証拠にしてしまうアイデアです。「美食の報酬」は印象的でした。
その逆に観念してしまうケースでは「白鳥の歌」が良かったですね~。
> 合言葉を口にした途端襲われるのはメイスン先生のハズ
こういう誤解が多いのですが、
犬は攻撃命令の様な条件反射的な行動でも、
絶対的な存在である飼い主を襲うことはないのです。
そもそも、命令を訓練する段階で合言葉は何度も口にする必要がありますし、
本編でも、訓練士が合言葉を口にし、同僚の訓練士を襲わせる描写がありますよね。
ただ、最後の場面では合言葉は攻撃命令ではなくなっているので、
飼い主に向っていく演出はありかも?
自分達を殺人の道具にした挙句、処分しようとした犯人に向っていく犬、
恐怖に襲われる犯人・・
後、追い詰められた犯人がコロンボを殺そうとする演出は何度かありますが、
これってどうなんでしょうね?
コロンボが一匹狼の私立探偵ならまだしも、警察の一員ですからね。
コロンボ1人を殺しても意味がない(どころか、余計疑われるだけ)と思うのですが、
コロンボに感情移入している視聴者にはスリリング??
解説本にも書かれていますが犯人役ニコル・ウィリアムソンは映画『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』(1976)でシャーロック・ホームズを演じた俳優です。
つまり「コロンボ対ホームズ」というわけでこれが本エピソードの1番の魅力だと個人的には思っています。
ちなみに前述の映画でウィリアムソンは夫人と共演しましたが直後に夫妻は離婚、ウィリアムソンは離婚に関する費用捻出のため「刑事コロンボ」のゲスト出演を受けたそうです。よって彼は後のインタビューで当時のことは何も覚えていないと答えています。
るてなんとさん、書き込みありがとうございます。確かに…初期のコロンボ作品の中では「痛さ」を感じますね。犬が凶器になっていることと、犯人が心理学者であることが加わり、独特で「不気味な世界」が出来ていますね~。
最近、ブルーレイボックスを購入し、この話を見ました。
17年前に、当時中学1年生だった僕は、アニメの「名探偵コナン」で、「犬を殺人の凶器として扱う犯罪」の話を見ました。
この刑事コロンボにもあったのは知りませんでした。
人形を襲うシーンは、かなり生々しかったです。
流血とかの描写がなかったのはまだよかったですが・・・。
新シリーズだったら、血の海が移っていたかも・・・。
marrさん、コメントありがとうございます。「合言葉を口にした途端襲われるのはメイスン先生のハズ」は、う~~~ん、鋭い指摘です!メイスン先生は確か、コロンボを指差して合言葉を言いますが、そういう練習はしていませんよね。こりゃ爆笑です(笑)
こんにちは。
コロンボに犬をけしかけようとするラスト近くのシーン、合言葉を口にした途端襲われるのはメイスン先生のハズだったのでは?
遅れてきたコロンボファンさん、はじめまして。私もそれほど注目していませんでしたが、この「キム・キャトラル」さん、後に女優として大成功していますね!「ポリスアカデミー」「ゴーストハンターズ」と有名作品で主役級だったみたいです。勉強になりました~(笑)
いま、NHKBSとAXNでコロンボ見ています。
昔NHKでやったときは、たまにしか見なかったのですが、どれも面白いし、時代を感じさせてくれますよね。この回のなかにキム・キャトラルが出ていたのに驚愕!どこかで見た顔だと思っていたのに、思い出せなかったのですが、WIKIでわかりました。この女子大生が20年たつとSEX AND THE CITYのサマンサ・ジョーンズになるんですよね!!!!