美術館の館長ルース・リットンが、大切にしている博物館の売却を企む理事(弟)のエドワード・リットンを、警備員ミルトン・シェイファーとの同時発射の相撃ちに見せかけて殺害します。
ジョイス・ヴァン・パタンが可愛い
ブログ訪問者さんからの情報
37話「さらば提督」で、シオドア・アルビンスキー刑事を演じた「デニス・デューガン」は、(1973年 – 1987年の間)「ジョイス・ヴァン・パタン」の夫だったそうです。彼は63話「4時02分の銃声」で監督をつとめています!
トリックには疑問が続出
犯行の仕掛けとしては、疑問点が多く残ります。男性二人、弟エドワード(ティム・オコナー) vs 警備員シェイファーで、ほぼ同時に拳銃を発射して相撃ちとなり両者が死にました。シェイファーはその時、兄に電話していて留守電には銃撃音が一発録音されています。現場の電話は、シェイファーが撃たれたので受話器がぶら下がったまま。どう考えても不自然。コンマ数秒発射がずれれば、どちらか生き残るはずだし、2丁の拳銃の音が1音に聴こえるはずがない。
誰が灯を消したんでしょう?
そこを大目に見たとして、「二人が同時に死んだ後、誰が灯を消したんでしょう?」という、コロンボ警部の大疑問は、他の作品と比較しても「かなり明瞭ですっきりした着眼点」です!これは、エドワードの書斎で、誤って灯を消してしまうルースの「倹約癖」のシーンとも連動しています。犯行現場で電話のトリックを忘れずに実行した後に、これで完璧…とばかりに灯を消してしまうのです。
邦題は「黄金のバックル」
ややもすると、全体のストーリーとはあまり深く関係しない証拠品にスポットが当たった邦題。「黄金のバックル」は後半で殺人容疑がかかる姪のジェニーが、このお宝を「灰皿」として扱ったことから容疑が晴れること。そしてこの証拠品は、自分を最も愛してくれたはずの叔母ルースが「自分に罪を着せる」ための小道具であった…というかなり悲しい事実が背景にあり、まぁ納得できる邦題とも思えました。
原題の「Old Fashioned Murder」は「古風な殺人」とでも直訳できそうです。ルースは今回の二重殺人のずっと以前にもう一人殺していたようにほのめかされますが、もしそれが明るみになれば、家族を守ってきた気丈な叔母さまから「父親殺し」へと転落してしまう…。その駆け引きがラストシーンの数分間にありました。
ジェニーは誰が産んだ子であったか…
この「そう」という言い方で、私はジェニーがルースの子ではない…と想像しています。その他には決定的なシーンがありませんので、見る人の想像にお任せします…ということで良いのかな(笑)
過去を暴いて、犯人を落とす作戦
それにしてもコロンボ警部の凄さはこのように「今担当している事件の解決」はもちろん、犯人の過去の秘密をも暴いてしまうことです。そして犯人にほのめかし、犯行を自供させる。これは多くの作品で見られますね。14話「偶像のレクイエム」は過去の秘密そのものがテーマになった作品です。
悲しい物語に、滑稽なキャラクター
アン・バクスターとセレステ・ホルム
ピーター・S・フェイブルマン
ティム・オコナー
ミラー刑事
髪をカットしてもらうハメに
美容院のオーナー「ダリル」
時計屋の店員も面白い
リットン博物館
リットン博物館のテーマ曲?
YouTube この「リットン博物館のテーマ」と名付けた印象的な曲をパソコン演奏で再現しています。昭和のメロドラマのような主旋律で、親しみが湧きますね。(*ご注意:YouTubeへのリンクは音が出ます!)
監督:ロバート・ダグラス
脚本:ピーター・S・フェイブルマン
ルース・リットン:ジョイス・ヴァン・パタン(声:加藤道子)
エドワード・リットン:ティム・オコナー(声:加藤和夫)
ミルトン・シェイファー:ピーター・S・フェイブルマン
ティム・シェイファー:ジェフ・オズーナ
フィリス・ブランド:セレステ・ホルム(声:堀越節子)
ジェニー・ブランド:ジェーニー・バーリン(声:中島葵)
ミラー刑事:ジョン・ミラー
ダリル美容師:アンソニー・ホランド(声:八奈見乗児)
カーター刑事:マイク・ラリー
時計店の店員:ゲイリー・クロフォード(声:伊武雅之)
メイドのキャシー:エロイーズ・ハート
博物館の客:レオダ・リチャーズ
加筆:2024年8月29日
祝砲の挽歌でも、生徒にキーとなる大砲のボロについての反応を確かめることで容疑者ではないと確信する構図がありましたが、こちらの作品でも、ジェニーのバックルについての反応を確かめることで、彼女が容疑者から外れると言う点が、似ている構図だなと思いました。
厳格で古風という犯人像も雰囲気が似ていると感じました。過去の殺人を暴くという、偶像のレクイエムのようなあっと驚く仕掛けもあり、割と良い作品だと思いました。これと、次の殺しの序曲、死者のメッセージ、秒読みの殺人までの後期4作は、犯人の人格というか、過去に踏み込んでしっかり役が掘り下げられている感じがしていて、これは事件解決、対決にスポットを当てた前期~中期までの作品群とは違った、後期ならではの面白さだなと思います。
原題 Old Fashioned Murder
事件が起きる前に犯人は「古風だ」と言われています。それとひっかけて原題をつけたと思います。それだけでなく兄弟を殺すというのもカインとアベルのエピソードのようにOld Fashionedですし、妹の婚約者を姉がとるというのもOld Fashionedな設定ですね。さらに愛憎のもつれによる過去の殺人(の可能性)。すべてが古風な設定ですね。
早々とリテイク・コメントです(笑)。
本作のような作品を、物の本では「屋敷物」というらしいですが、ルースが逮捕された直後、「美術館」という「古い館」が、朽ちて一挙に燃え落ちていくようなイメージが浮かんできます。あるいは、ムソルグスキー「展覧会の絵」の中の一曲「古城」も、頭の別な部分で鳴っています。
ジェニーは誰が産んだ子であったか…。
諸説世の中に出回っている中で、私が最も支持してみたい説は、ジェニーがルースの姉フィリスの夫でルースが最初に婚約していたピーター・ブラントの子ではなくて、フィリスの別な恋人の子であったという仮説です。
フィリスがルースを裏切りピーターと駆け落ちした時、既に妊娠3か月だったわけですが、彼女は(譬えてみれば映画『タイタニック』のジャック・ドーソンみたいな)素上の分からない別な男とも二股だったのではないでしょうか? 相当モテて男関係が派手だったところがあったようですし・・・。
が、格式のある家で、そんなどこの馬の骨ともわからない男との子など許され公言できるはずもなく、フィリスは勝手にピーター・ブラントの子ということにしてしまったのですが、その秘密を知っていたのは妹のルースだけでした。
ところがある日、その秘密がピーターに発覚しそうになったので、ルースは姉フィリスとその娘ジェニーの名誉を守るため、彼女単独の決断でピーターを殺してしまった・・・、
この説には非常に魅力を感じ、さすがだと感心していますが、やはり決定打ではなく、諸説の中のひとつではありますね。
25話「権力の墓穴」の2人の犯人の関係性や、17話「二つの顔」で、双子の二人どちらが犯人だったのかなどと同様、あえて様々な可能性の含みを持たせて真実をボカす手法は、作品に奥行を与えると同時に可能性を拡げ、大抵、良い効果を上げていると思います。
余談ですが、最近とても面白く読んだ「屋敷物」の小説に、サラ・ウォーターズ著『荊の城』があり、この小説は、韓国と日本に舞台を変えかなりヒットした韓国映画『お嬢さん』(2016)の原作として有名なのですが、あの映画のほうはエログロ過ぎて、コロンボを愛するような善良な視聴者の皆様には、とてもおススメ出来ません(笑)。
こんにちは!
個性的な美容師ダリルさんに、髪を整えられてしまったコロンボさん、まるで別人のようで楽しかったです。『ここから観た人、コロンボが分からないよね!』と笑っちゃいました。
しかも、かなり高額だったようで…聞き込みしながらも、鏡で確認していたので、終わりまでは整っているのかと思いきや!どんどん乱れていきボサボサになっちゃって、美容師さんが観たらショックでしょうね。
刑事コロンボは、子どもの頃から大好きな作品なのですが、親がテレビを見ない家庭に育ったので、ほとんど観られたことはありません。
(名探偵ポアロやシャーロックホームズやトミー&タペンスと同じく、)大人になってから再放送に出逢えたので、飛び飛びに観ています。
今回、黄金のバックルを初めて観ることができました。
姪は妹の子どもなのかなと思いながら観ていましたら、窃盗犯に陥れようとする場面を観て、なるほど、これは
『モテ意識過剰な姉』が、妊娠してしまった。
結婚できないような相手か、妊娠相手がわからないため、ちょうど妹が婚約していた世間体のいい婿を丸め込んで結婚。
しかも罪悪感すら持たず、いまだに『妹よりも魅力的な私』とでも思い込んでいるのね。と思いました。道化師扱いがすぎたかな。
皆様のコメントを拝見して、
『実の母親であることもバレてしまうため、ジェニーが苦しまないよう、彼女を陥れようとした冷酷な女として自分を憎むように仕向けたのではないでしょうか』
『姉はとんでもなく憎い、姪はかわいいけど憎い姉の血を引いているし(“ジェニー=フィリスの実子”説派です)という狭間で揺れ動いた結果だったのかなと。』
どちらも、とても面白いと思います。アガサクリスティなら、どう描いたかな?山村美紗ならどうかな?などと考えました。
ダリルさんの声について、声優さんやアニソンが大好きな友達に話したところ、『えー!有名な人やん!』と喜んでくれました。
観た人の数だけ、行間の想像があるんですね。素敵なブログ、ありがとうございました!
この話の最後のほうでルース・リットンが警部を「コロンバスさん!!」と叫んでいたのが印象的でした。おそらくは原文でもそうなんでしょう。
単純に間違ったのか、それとも激高したことの表現なのか、いずれにしても我を失っている様子が描かれていたと思います。
「刑事コロンボ」旧シリーズで、女性犯人の回だけを集中して観るのも乙な鑑賞法かなと思っています。それぞれに魅力的なものの、
14話「偶像のレクイエム」アン・バクスター(ノーラ・チャンドラー)
32話「忘れられたスター」ジャネット・リー(グレース・ウィラー)
39話「黄金のバックル」ジョイス・ヴァン・パタン(ルース・リットン)
41話「死者のメッセージ」ルース・ゴードン(アビゲイル・ミッチェル)
の4作品は、その深さと犯人役女優の格において、個人的には特別な存在です。
4作品を続けて連作として鑑賞したら実に面白そうです。
4作品での共通テーマは、『過去を断ち切れない女たち』ではないでしょうか。
私は村上春樹ファンではありませんが、村上春樹の作品を「刑事コロンボ」とコラージュして遊ぶと味わい深さが増すことに、最近益々気付き癖になってました(笑)。
「どんな嘘をどこでどのようにつくか、それは人によって少しずつ違う。しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なことで嘘をつく。大事でないことでももちろん嘘はつくけれど、それはそれとして、いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない。そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではないく、彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ。だから嘘をつくことによって、彼女たちの美しい良心が痛んだり、彼女たちの安らかな眠りが損なわれたりするようなことは――特殊な例外を別にすれば――まず起こらない」
村上春樹 著「女のいない男たち」から、『独立器官』164頁より
「人生って妙なものよね。あるときにはとんでもなく輝かしく絶対的に思えたものが、それを得るためには一切を捨ててもいいとまで思えたものが、しばらく時間が経つと、あるいは少し角度を変えて眺めると、驚くほど色褪せて見えることがある。私の目はいったい何を見ていたんだろうと、わけがわからなくなってしまう」
同「女のいない男たち」から、『シェエラザード』207頁より
(出版社:文芸春秋 単行本発売日:2014年4月18日)
YC-30様
興味深いご提案!当方、おすすめの4作品中見たことがあるのは『偶像のレクイエム』のみですが今度女性犯人特集…いってみようかなと思いました。
確かに私はまだコロンボ全作品到達まだまだですが、男性犯人と比べて女性はまっしぐらに思い切ったことをするなぁー!と。『偶像』でも殺人という狂気じみた行いとは裏腹に、実はいたって普通の生活をしれっと何年も何年も送っていた…ということを思うと、引用されていた村上春樹の「独立器官」という分析は、絶妙ですね!
のんき 様
他の女性犯人の回も名作揃いですからぜひ!!
>男性犯人と比べて女性はまっしぐらに思い切ったことをするなぁー!と。
何となくわかりますので、同感です!(笑)
ここからは、村上春樹の同じ原作から、パロディーです。
「思うのだが、その女性が(おそらくは)独立した器官を用いて嘘をついていたのと同じように、もちろん意味あいはいくぶん違うにせよ、コロンボもまた独立した器官を用いて捜査をしていたのだ」
YC-30様
おー!なるほど!それではこちらもアンサーコメントとして…
「・・・あら、そうかしら」少し間をおいて彼女は言った。
「違うかい。少なくともコロンボも彼以外の何かに動かされて捜査をすることもあるんじゃないかな。」僕がこたえると、まるで、あなたはなにもわかっていないのね、とでも言うかのようにため息をつくと、彼女は僕の方を見もせずにこう付け加えた。
「コロンボは彼自身であるだけ。あなたや誰かさんみたいに他の何かのせいにして大事なハンドルを手放したりはしないと思うわ。」
なるほど、でも僕らはそこで考えるのをやめてちょうど終わったピアノの演奏に拍手を送ることにした。
こちらは元ネタありません。村上春樹の変奏曲、換骨奪胎(?)バージョンです。なので内容は???(ファンの方すみません汗;汗;世代と言うことでひとつ…)
のんき 様
アンサーコメント、堪能しました!
さすがです!
YC-30様
黄金のバックルは音楽もすごいですよね!
YC-30様に質問があります。犯人姉と弟のやりとり、オスカーワイルド云々、あれはやはり姉が正しいのでしょうか?ヴィクトルユーゴーは結構読んだのですが忘れています><
追伸
リリ・ブーランジェのピアノソロ楽譜を注文しました。
あえてピアノソロはまだ聞いていませんがどれも感動しました。
バイオリンの夜想曲の美しさ、殺人のシーンには全く似合わないですね。コロンボに関連して何か書きたかったですが、出てきません・・言葉に尽くせない素晴らしさです!
アイス様
>犯人姉と弟のやりとり、オスカーワイルド云々
さすがに記憶が定かではなく、もう一度観て確認しないと何とも言えません。近々再度観た上で、私の知識でわかったかどうかをお答えします。大変申し訳ありません。この回の私の前回のコメント自体も、ちょっと作品の本題そのものから外れ過ぎてしまいましたので。ご質問の件も含め、リテイク・コメントしなければなりませんね(笑)。
リリ・ブーランジェは「知る人ぞ知る」最高に素晴らしい女性作曲家です。まさにおっしゃるとおり「言葉に尽くせない素晴らしさ」で、彼女の曲の素晴らしさに気付いてから、クラシックの女性作曲家、クララ・シューマンやファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの作品にも興味を持って行ったのですが、リリ・ブーランジェの音楽の魅力は、もう別格です。ピアノ曲や室内楽もとても深くて美しく、ピアノソロ楽譜を注文されたとのこと、ぜひともご自分で弾いて堪能していただきたいです。私はピアノは初心者以下で絶対不可能なので、上手い人が羨ましい限りです。
彼女の連作歌曲集「空のひらけたところ」も、シューベルトの傑作「白鳥の歌」や「冬の旅」より個人的には好きかも知れません。
アイス様
>犯人姉と弟のやりとり、オスカーワイルド云々、あれはやはり姉が正しいのでしょうか?
取り急ぎ、ご質問の部分のみ確認しました。このことですね。
英語: A compliment is something like a kiss through a veil.
日本語:お世辞は、ヴェール越しのキスのようなもの。
フランス語:Le compliment, c’est quelque chose comme le baiser à travers le voile.
『Les Misérables レ・ミゼラブル』内の言葉なので、「ヴィクトル・ユーゴー」と答えた姉のほうが正しいです。
YC-30様
ありがとうございます!!!
わざわざもう一度確認していただき、恐縮です。
フランス語まで…YC-30様はフランス語もお出来になるのですね。尊敬します。
わたしは読めませんが、フランス人の友達にメールします(笑)
YC-30様
のんき様
横からお邪魔いたします><
さすがのコメントですね!女のいない男たち、を読む予定ですので読んだらおふたりのコメントを再読させていただこうと思っています。
カポーティとコロンボ、清張とコロンボ、なども面白いかも!と思います。
女性の犯人役について…おふたりのコメントの後で書けることはあまりない気もします。わたしの感想ですが4人の犯人の中で特に偶像のレクイエムのノースチャンドラーはかわいそうでした。
ひとりの男性に固執して殺しまでする、というのは、せっかく能力も美貌もあるのに、それこそそんな男のためにこんな思い切ったことをするなんてむだだ、と思います。なんだかとても不憫です。
その点、忘れられたスター、では、自分を心から愛してくれ、罪まで被ってくれる男性の存在があったので、ちょっとだけ、良かったね(?)と。アンバクスターにもこういう男性振り当ててあげればよかったのに。(笑)
女性がまっしぐらに思い切ったことをするときに、男性への未練などからでなく、もっとしたたかな理由から行動するTHE自己中みたいなオンナ、少しくらい悪人の方が、世の中を渡るのには良いのでは、と思います。(個人の感想です。)ですが、殺しちゃダメですよね。
そしてこの黄金のバックルは、私も大好きなのですが、「おばさまだって綺麗よ」という姪のセリフ、やはりこれが犯人に花を持たせてあげた感じで良かったです。
そのあと、ひとを二人を殺す前なのに、鏡で自分の容姿を確認するというのが、なんと形容したらよいのでしょうか、すごい…と思いました。
リットン家の殺人の秘密をメイドは知っていたのではないでしょうか。コロンボと姉に対する狼狽ぶりは常軌を逸していたように見えました。
さて、今回は私なりに古風というか大時代的な家族を巡る骨肉の争い、特にルースの複雑な愛憎に私なりの結論を出してみました。ルースは自分の大切なものを奪う、或いは踏みにじった男達=愛した相手、弟、ゲス男には容赦なく冷徹な鉄槌を下しつつも、女達=姉、姪?には、憎もうとしつつも最後まで憎み切れなかった、それが一貫しない行動に現れた、と。
この愛憎に揺れ動くルースを演じたジョイス・ヴァン・パタンは素晴らしい名優です。半世紀を経ようとする今でも、あの私の大好きな「救護院のシスター」と同じ俳優だというのが信じられない。
コロンボもルースにいつもの、カマをかけて罠にはめようとしていない、ピーター・フォークもジョイス・ヴァン・パタンを常に真摯に心なしか見上げるような視線で敬愛、優雅な遣り取りを演じているように見えました。
忘れられたスター、に続く
コロンボの優しさを
堪能しました
当ブログ及び皆さま方のやり取りを楽しく拝読しております。
本作は犯罪話としては穴だらけですが、その分色々な解釈が可能となって印象深い作品ですね。
個人的にはジェニーはルースの娘ではないかと思います。
普段からジェニーはルイスのことを母親以上に慕っていて、ルイスもジェニーを実の娘のように可愛がっていたということ。
そして、ルースがコロンボと「姪に言っていないことが1つだけある」と話すシーン、吹き替えでは飛ばしていましたが、ルースは“That’s a part of my life.”だから「話したくない」と言っていたし、後に留置場でコロンボがジェニーに「お母さんは妊娠3カ月で駆け落ちしたことになる」と執拗に詰め寄っていました。
とはいえ、「ジェニーはルースの娘説」の最大の弱点は、ルースがジェニーに罪を着せようとしたこと。自分を裏切った元婚約者と姉の子なら“復讐”ということで納得がいきますが、母親ならいくら複雑な事情があるとはいえ実の娘を陥れることができるのでしょうか……。
その点が大きな謎ですが、ルースは遠からずコロンボに真相が暴かれることを予見していたのではと思います。
そうなると自分が実の母親であることもバレてしまうため、ジェニーが苦しまないよう、彼女を陥れようとした冷酷な女として自分を憎むように仕向けたのではないでしょうか。加えて、彼女の父を殺したことだけはどうしても隠し通したかったのではないかと思います。
自分の解釈が絶対とは思いませんが、各々の解釈でそれぞれ楽しめる不思議な作品です。
今後ともブログ楽しみにしております。
待ってました!ジョイス・ヴァン・パタン!
ぼろんこ様が書いてらっしゃる通り、年齢を重ねて知的で冷酷な役柄でありながら、とてもかわいい。皆様書いてらっしゃるシスター役でも可愛らしかったですね。
鏡を見る短いシーンは何とも言えず、あなた、じゅうぶん素敵だからそんな人殺ししないで!と言ってあげたくなりました。
古き良きヨーロッパか?と見まがうような美しい作品ですね。
ビザンチンはそれほど暗くなく、ルネッサンスはそれほど明るくない、というコロンボのセリフが作品に別の光を当てていると思います。
そしてセレステ・ホルム!
どこかで見たなあ、と思っていたらなんとイブの総て、でしたか!
イブの総てでは、彼女の役は知的で思いやり深く、少し影がある役柄でした。雰囲気がぜんぜん違うので、ボロンコさん情報がなければ気づきませんでした。役者ってすごい、女は化ける?!ですね。
BSでの今週の放送がこの「黄金のバックル」だったというので、それにあわせて所有するブルーレイで鑑賞しました。
新シリーズの「殺意のキャンバス」の方に、ミステリーとしての出来はいまひとつだが、作品の雰囲気・映像の面で時おり見たくなる作品、という趣旨のコメントを先般書きましたが、旧シリーズでは私にとって「黄金のバックル」がそれにあたります。
以前他の方もコメントされていましたが、カメラワーク、そして音楽が何とも印象的な独特の魅力を持った作品で、時たま見返したくなります。原題の “Old Fashioned Murder” も、そんな不思議な雰囲気にぴったりだと思います(邦題はいまひとつですが)。それだけに、終盤の詰めの失速感が何とも残念です。
それにしても、犯人役が「逆転の構図」のシスターだと知った時はびっくりしたもので、俳優さんってすごいなと思ったものでした。
ルース・リットンの当初の計画は、ミルトン・シェイファーに展示物を盗ませた後でミルトンを射殺し、借金取りを犯人に仕立てて、保険金と展示物を手に入れる事。
しかし銃声を聞きつけたエドワード・リットンが入ってきたため、計画を変更してエドワードも射殺して相撃ちに見せかけました。
エドワードが現れても慌てることなく冷静に射殺したところを見ると、殺人は初めてではなく、過去にピーター・ブラントも殺してたんでしょうね。
追伸
ダリルの美容室のダリル、最高に愉快です!
天才バカボンにも出ていた声優さんですよね? お名前と現在を知りたいです。
また、時計店の店員さんとのやりとりも楽しい! 店員さんの声優さんも、なんとも言えない演技!
コロンボさん、クシャミ、春のアレルギーって
当時から花粉症ってあったんですね?
それにしても、美術館の中でタバコ吸って、ポイ捨てって、70年代のLAってそんぬ自由だったのでしょうか?
いろいろ驚きどころがあって、本編とは別の楽しみ方がありますね。
追伸
ダリルの美容室のダリル、最高に愉快です!
天才バカボンにも出ていた声優さんですよね? お名前と現在を知りたいです。
また、時計店の店員さんとのやりとりも楽しい! 店員さんの声優さんも、なんとも言えない演技!
ジェニーに罪を着せようとしたのは、元婚約者の娘だからではないでしょうか。
何となく、姉に対してはあきらめというか蔑んでさえいたような気がします。
自分と婚約していたくせに、結局は世間が好む女らしい姉に走った婚約者を一番許せなかったのかも。
彼も手にかけたとすると3人もの人間を殺した非情な女性ですが、心中を慮ると嫌いにはなれません…。
頭がよく凛として決して回りに迎合しなかった、不器用な女性だと思います。
もしかしたら姉のフィリスも出来のいい妹にコンプレックスを抱いていたのかもしれない。「私はこう見えて芯は強いのよ」と何度も言っていました。
お互いが少し歩み寄れば、何かのきっかけがあれば、違った姉妹の関係になれたんじゃないか、と想像してしまいます。
コロンボ警部のエスコートに穏やかな笑みを浮かべて去って行ったルース。心に染みました。
ルース役のジョイス・ヴァン・パタンの醸し出す雰囲気が好いですよね。
「逆転の構図」のシスターのイメージも引きずっちゃって。つい感情移入しちゃいます。
浸っていると、ミステリーとしての穴はどうでもよくなっちゃう・・。
細部の詰めよりも雰囲気重視の作風ですね。これはこれでアリかなと。
「雰囲気重視の作風」、左様ですな。
それも刑事コロンボの大きな魅力の一つですよね。
名家とは言え、一皮むけばドス黒い闇を抱えている。でも、「資産家は文化事業(たとえば美術館)で社会に奉仕すべき」という、先代たちの志の高さは否定できない。かつてのアメリカの上流社会には「善をなそう」と言う意思は有った。その半ば以上が偽善であったとしても。。。
そういう偽善すらなくなり、剥き出しの格差だけが残ったのが、トランプ信者や分断で揺れる今のアメリカなのか?「秋篠宮家結婚問題」も含め、いろいろ2020年にもリンクしてると思う。
「中世はそれほど暗くはなく、ルネサンスもそれほど明るくはなかった」
コロンボのこのセリフが、なぜか印象に残ってます。
妹ルース=中世、姉フィリス=ルネサンスとは考えすぎでしょうか?
リットン屋敷は、駒込の旧古河庭園のイメージです。
駒込の旧古河庭園!
ネットで調べてみたら、雰囲気出てますね。
割と近所に住んでいますので、今度、行ってみたいです!
顔色一つ変えず立て続けに二人を殺し、しかもその罪を姉にではなく最も愛しているはずの姪にかぶせる。シリーズ中で最も冷血で闇落ちした、最も悲しい犯人だと思います。みなさんおっしゃっているように、推理ドラマとしてはいろいろ難が見えますが、心理劇としては秀逸かなと。ジェニーに罪をかぶせようとしたのは、姉に対する憎悪からだと思いますが、同時に自分自身に対する罰だったのではないでしょうか。けれども、その悲しい目論見は、自分を信じて疑わない姪によって覆される。コロンボはその叔母と姪の愛に感じて、元婚約者殺しについて、「根も葉もないこと」と否定し、ジェニーの純真を守り、それに恩義を感じたルースは連行される時コロンボの腕を所望する。ただ一人、この悲劇の本当の元凶である姉だけが最後まで無神経で滑稽なのが、構図としても完璧な一作と思っています。
「顔色一つ変えず立て続けに二人を殺し」
これは私も、同じような印象を持ちました。でも「冷血」とは思わなかった。これはやはり、ジョイス・ヴァン・パタンが醸すキャラなのかも‥などと自己分析。
・ルースは「祝砲の挽歌」の秘書さんみたいな雰囲気でしたが、「逆転の構図」のマイペースシスターと同じ人だったとは…
・ルースの犯行時の左腕ですが、(1)シェイファーを撃つ時は右腕の下から、(2)エドワードを撃つ時は右腕の上から支えていて構え方が違います。(2)で使った拳銃は(1)のよりも大きい(反動が大きい?)ので構えを変えた、と勝手に解釈しました(本当はどちらも実践上は正しくない構えなのでしょうが)。
そうだとするとルースは銃の扱いにかなり長けていた(事前に訓練を受けたとか)ことになり、射撃の腕前にも納得です(あの距離で急所を外さず一発で仕留めるのは凄い)。
・相変わらず「小ネタ」は面白いですね。美容院でのやり取り、パトカー追突(スタント使わず本人のアクション?)、生真面目なミラー刑事との掛け合い、そしてビビりのメイドさん。
・ルースが姪に罪を着せようとしたのは、姉への復讐心が勝ったからと思いました。姉はとんでもなく憎い、姪はかわいいけど憎い姉の血を引いているし(“ジェニー=フィリスの実子”説派です)という狭間で揺れ動いた結果だったのかなと。
・今回は俳優陣の演技でミステリー的な穴をカバーしたドラマでした。ジェニーが犯行現場を見つけてルースに言おうとする瞬間の表情(ホラー映画みたい)にびっくりしました。
今回コロンボ警部が有罪を立証する証拠としたのは、本来の用途には全然見えない「美術品」でした。鋭いコロンボ警部が用途に気づいたため犯人逮捕の決めてとなったという大事な箇所だと思うのですが、この邦題だと視聴者には最初からわかっちゃう可能性ありますね。
確かにね!
でも私の場合は「バックル」って何?って‥
あまり馴染みのない名称だっったので、そこも引っかかりました。あの「美術品」がとても、ベルトの留め具には見えなかったもので。
リットン博物館のテーマは横溝正史の映画かなにかのような雰囲気でしたね。人間の愛憎劇によく似合ってました。
私も、タイトルバックの時の音楽でなぜか思い浮かんだのが「犬神家の一族」でした。
犯人のルースが殺人の後に車をパンクさせています。何故そのような事したのでしょうか。わかる方、教えてください。お願いします。
ミラー刑事の推理にもありましたが、シェイファーが兄にかけた「自分は狙われている」という電話の内容に結びつけようと錯覚させるための工作かと思います。
なるほど。ありがとうございます。
私も知りたいです。
この作品は、皆さんのご指摘の通りミステリーというよりも、ひとりの女性の心の闇に重点をおいた人間ドラマだと思いました。普段は台詞に気を取られて、あまり気に留めていなかったカメラワークや音楽が印象的でした。ぼろんこさんのYouTubeのお蔭で注目できたと思います。
ジョイス・ヴァン・パタンのシリアスな演技が光りましたね。ミラー刑事は隙がなく素敵で、ダリルの店でチップとして相場5ドルかなと思いつつ上司に配慮して2〜3ドル渡したと思いますが、個人的にはウィルソン刑事の方が可愛くて好きです(笑)。
ちなみに脚本が警備員役、監督はダンジガーさんの時の医師役(魅力的なメリッサに比べて印象が薄かった)だったのですね。
BSPの一挙放送ではじめてちゃんと見た気がします。
ひとことで言うとコロンボらしくなさが目立ちすぎますが、俳優の演技と吹き替え陣のうまさでよくまとまっています。
「アガサ・クリスティーっぽい」という意見に納得、コロンボ以外のほとんどが家族の話に集中してるからだろうか。
やはりこの作品は犯行面の雑さが目立ちますね、いきなり中距離での射撃を事も無げに命中させる館長にまずビックリ、そしてオイオイ硝煙反応でバレるだろう?でも完全にスルーとか。
反面家族の間で織りなされる愛憎劇は見応えありました、アガサ・クリスティーの作品を彷彿させます(でも彼女の作品だと動機はほとんど物欲になっちゃうんですよね)そしてラストシーンのコロンボとの絡み、素晴らしい。
ただ総合的に評価するとどうしても得点は低くなっちゃいますね、推理ドラマですから仕方ありませんが。
こんにちは。
放送後は必ずここを読んでいます。
昨晩の『黄金のバックル』、最後のシーンが良かったです。姉が「私は手をとってくれる男性がいなければ外出もしないですもの」と言っていたことを思うと、コロンボに向かってヒロインである彼女がこう言うのは感慨深い。
「腕を貸してくださらない?」と。
姪も自由奔放な育ち方と心根の優しさがミックスされて魅力がありました。
叔母を侮辱されると、コロンボの差し入れをぶちまけてしまう場面もよかった。
刑事ドラマ、推理劇というより複雑な人間の心模様と芸達者な役者たちの魅力を存分に楽しめる回でした。こうしたドラマを見られてしあわせです。
何年経っても色褪せないですね。
確かに、最後のワンシーンに集約されていますね。
感動しました。
トリックの解明とかのどうのこうのは関係ないと思います。
全体を通して映画を見ている様でした。
あ〜スソ踏んじゃった。びりーー(沈黙)
あの 間 が面白過ぎです。好き。
「何か私に言いたがってるみたいだ」
コロンボ刑事の執念。
ジェイニーに真相を語るところとか。
エドワード役の人は「ペイトンプレイス物語」に出演してましたね。で、高校生の時にテレビ放送を見ていたんですが、確か吹き替えを石田太郎さんがやってました。だから、これを見た時に声に違和感が有ったのを思いだしました。40年以上も前のことなのでちょっと怪しい記憶ですが。
ブルーネオンさん、コメント失礼します。
ペイトンプレイス物語懐かしいなあ、学生時代に深夜放送を観てました。
ティム・オコーナーが何の役だったか忘れましたが、余りにも出演者多過ぎて…でも石田太郎とセットで思い出しました。
それとコロンボ役の声優二代目が石田太郎さんでしたね!
今回は旧コロンボではミステリー的に最も不出来な作のようです。
殺人現場のライトが消えていた、最後に触ったのは姪のはず、姪のいうことには、という刑事同士の会話なりがないのはおかしい。
硝煙反応は? 特に兄からは絶対検出されないはず。
銃声が1発というのはいかにも不自然。等。
一応善意には解釈できます。
警察は姪とルースの証言をもとに現場をそのままに保存しておいた。姪の証言のシーンを省略しただけ。
硝煙反応の偽装シーンはあった、と視聴者は忖度する。ルースに偽装するチャンスはあったのですから。
銃声も2発録音されていた、と視聴者は仮定する。これも、ルースはこのような偽装を依頼することは可能です。
まあ、このような忖度を視聴者にさせず制作すべきだとは言えますが。
ドラマ的にはルースの心情等見応えがありました。
姪にはどうも元恋人の面影を認めているようです。
元恋人のことはとても愛していたが、とても手ひどい裏切られ方をした。
姪はとても愛してくれるが、裏切りはしない。しかし、彼の血を引いていて、いつ裏切るのか気が気ではない。
そのような気持ちが、姪に濡れ衣を着せようとする行動に走らせたのか、などと考えています。
黄金のバックル、今夜のNHK BSPが初見ですが、ルース・リットンの凛とした姿に見とれてしまいました。動機も納得で、つい彼女にシンパシーを感じてしまうほどでした。トリック云々はあまり気にならず、彼女を含めた出演者の演技のレベルの高さが印象的です。
もうひとつ印象深いのは、カメラワークが普段と違い、非常に凝っていることでした。他にもそうした回はありますが、この回はバストアップや顔のアップ、不思議なアングル、そして「闇」を意識的に多用した撮り方で、まるで一時期の実相寺昭雄のようです。ついウルトラセブン「ねらわれた街」を思い出しました。リマスターのせいか画質もいいですね。
ガキの頃はラストの「手を取ってくださる?」「喜んで」のシーンに忘れられない大人の哀愁と余韻を感じていただけでしたが、自分が齢をとるとこの家族の骨肉の争いの果てにルースは姪?のジェイニーを殺人犯にするつもりだったのか(姉を陥れるならわかるが?)
さて今回、改めて私はやはりルースは美術館を愛していた。大切だった。自分を裏切り続ける家族を憎もうとした。だから一度は美術館を選んだ。兄弟姉も姪も不幸にしようとした。でも最後に自分を愛し頼るジェイニーの眼に家族を憎み切れなかった、家族への愛も捨てきれないことを悟ったのだと思いました。
舞台設定は多分当時の米国としても浮世離れしていたのだと思いますが、やはり名優たちが笑から涙まで顔から背中まで哀愁の人生の機微を演技していた、と思いました。
こんばんは。今日は一部字幕で視聴していたのですが、コロンボがエドワードの残した録音テープをずっと聞いていて、ミラー刑事にもう6時間も、と日本語字幕に出たところは、”over seven hours”と言っていました。しかも二回もです。
いつぞやのジョージワシントンほどではありませんが、それだけに気になりました。
それから私はジェニーがだんだんルースの実の娘なのではないかという気がしてきて最後にそういう件があるかと予想していましたが、「お父さんを殺したなんていうのはうそ」と明言させるにとどまりましたね。
皆さまはいかがお感じでしたでしょうか?またこのブログを拝見するのが楽しみです。
はじめまして、東京に住む67歳です。数年前に録画したものをぼちぼち見て楽しんでいます。本放送もかなり見ましたがほとんど覚えていません。
さて、この回はぼろんこさんが書かれている通り、トリックがかなりいい加減でしたね。
殺されたふたりに硝煙反応はないし、姪が第一発見者になったとき、部屋の明かりをつけますよね、ふつう。そしてなによりも驚異的な銃の腕前(が前提)。
でも、そんなことを忘れさせてしまうのが美術館なのでしょうね。コロンボの散髪もよかったです。
NHK-BSの再放送も録画していますが、たまたま古い録画と重複が多くてちょっとアンラッキーです。
ぼろんこさんおっしゃるように同時射撃の相打ちは普通に考えてまずありえないし、動機に関する推理は何もなし、殺人事件の捜査としては物足りないものの、独特の雰囲気が作品を高めているとの評価は同感です。姪の母親が誰なのか、結局わからずじまいで謎残しなのは興味深いです。ジョイス・ヴァン・パタン演じる頭の回転の早いルースとコロンボとの会話は見応えがありますし、ラストシーンは秀逸でした。コロンボの散髪とその会計にたじろぐ様子は笑えます。ジョイス・ヴァン・パタンは当時まだ42歳ですが、風格溢れる博物館長を見事に演じました。
コロンボさんがドラマの中で髪を切っていましたね❔❗️花粉症だったとは・・・・・・・・・・美容院の名前が知りたいわ🎵教えて!щ(゜▽゜щ)フィリスさんのひょうきんさに笑ってしまう♥️あっぱれ☺️
美容院は「ダリルの店」「ダリル美容室」って感じでしょうか。
子供の頃に再放送されていた刑事コロンボを父親が録画してくれていて何度も観ていました。
黄金のバックルは私の中ではあまり思い出にありません。
観た回数もそんなに多くないと記憶しています。
節約の癖で明かりを消してしまったけれど、彼女は姪に死体を発見させています。
姪は何故発見する前に明かりをつけなかったのでしょう?
そこが引っかかってモヤモヤしてしまっていました。
姪は、死体を発見させた上に罪をなすりつけようとした叔母を何故最後まで庇うのでしょう
なんだか物哀しいストーリーでした。
それでも「刑事コロンボ」は大好きな作品なので今でも何度も観ています。
そうなんですよね。愛しい姪を犯人に仕立てることは、気がかりです。姉に濡れ衣…だったら納得できるかも〜なんて、ね。
この作品は決して評価は高くありませんが、ルースとコロンボが二人きりのシーンでルースが「この事件には共犯者がいますね・・・」と語りだし、コロンボが「そうです!!私も真相はそれに近いんだと思います」のシーンが、私は45作品の中で一番好きで何回も観ています。闘牛士の栄光の「何となく動機が分かったような気がするんだが・・・誰も信じてくれそうにないんだ・・・」歌声の消えた海の「そっ、そいつが犯人。でも喋っちゃダメだよ」などもそうですが、コロンボの頭の中の事件の因果関係やどんな風に可能性を考えているのかを結び付ける構想の一瞬を垣間見る事ができるのがとても嬉しいんです。そしてこの鋭さとのんびりしたアンバランスさに観ていてとても癒されます。自分が刑事なら会って2分で犯人だと確信した相手にしかも自分を毒殺しようとしたのに「オヤジはただ炒め焼きって言ってましたけどね」なんて言いながら毒入りワインそこらに置いて一緒に料理を作り、味はどうですか?なんて聞けませんからね(笑)(美食の報酬より)
楽しく拝読いたしました。共感します、コロンボの良さってそんな感じですね。
ひびきさん、素敵なメッセージをお寄せくださり、ありがとうございます。この作品は独特の雰囲気がありまして、わたしも大好きなのです。何度見てもあきませんね。他の方の感想も参照して、2票加えておきますね。
この作品の、美術館という世界観が好きです。
湿っぽくて薄暗く日のあたらない部屋で、冷え冷えとした温度感。
過去を存分に吸い込める空間だからこそ、彼女は愛したのでしょう。
彼女に、輝く未来は描けなかった。
過去の亡霊とともに暮らす日々だった。
自己の居場所は「ここだけ。」と譲れなかった。
苦しみを癒した場所であり、憎しみをぶつけた、唯一の心の開放空間だった。
親友とでも呼べる存在が、そこだったのでしょう。
幸福の絶頂から絶望のどん底へ落とした犯人はだれ?
本来は姉を、殺したい程憎むはずでしょうに・・・。
心の底にしまいこみ、憎しみの矢を元婚約者に射た。
男性的な嫉妬の表現方法ですね。
本来、女性の嫉妬は、恋人・夫を奪った人に向くのが多いそうですが。。
彼女はむしろ、裏切った当人を処罰したのですから。
直截的です。
でも、姉の悲しみは生涯続く。
それが姪を犯人に仕立て上げた理由の一つとも思えました。
大切な家族を一人、また一人と失う姉の苦悩を目の当たりにして、恨みを晴らす。
一石二鳥の罰を姉に与えられるチャンス。
二度と男なんか信じるものですか!!
という彼女の信念の声が聞こえるようです。
でも。
最後にコロンボに出会えたことで、彼女の男性不信・人間不信が激減・氷解したのではないか?
と、そんな希望を持てたラストでした。
もしコロンボに出会えずにあの世に行っていたなら、彼女の心に一生明かりは灯らなかったと思えるのです。
厳罰を受けるその前に、コロンボという信頼できる男性・人間に出会えた彼女の心は、明るく暖かくなっていったのではないか?
いや、そうあってほしい!
と願う気持ちでいっぱいです。
過去に生きる、のではなくて。
今を生きることの大切さを、彼女からも教えられました。
コロンボは花粉症だったんですね。
初対面の時から、コロンボの犯人センサーに合致する絵に描いたような
殺人犯でした。語れば語るほどにね。また、通話記録が無視されました。
フィリス姉のノー天気には、許しがたいものがあります。
アンタのお陰で、こうなったんだろう!!。
エドワードやシェイファーさんは、アンタが殺したようなものだ。
それをその後も気付かされないままで過ごすなんて、ったく信じられない。
ミルトンとエドワードの死体をあえてジェニーに発見させるあたり、リットン家に対するルースの闇は深そうです
ルースはピーターを殺した。
もし殺してなかったら、このような心の平穏は保たれなかった。
もし殺すことを我慢していたら、姉や姪との同居は出来なかった。
ピーターが本当に病気で死んでいたら、姉や姪との同居は出来なかった。
ピーターを自ら殺す事と美術館に居所を得た事で、ピーターや姉の裏切り
と相殺できたのだ。殺したことへの後ろめたさが、姉や姪への気配りに
昇華された。天秤はつり合いが保たれたのだ。
エドワードは姉の同意を得る予定で、そのつり合いを崩そうとする。
この行為は、命がけでつり合いを取り戻したルースには許し難いものだった。
心の闇を抱き続けるルースにとっては、その闇のどこかに姪は裏切り者の
子供という想いが渦巻いていた。表面では気配りしているように見えても、
簡単に濡れ衣を着せようできるのも、その為だったろう。
みんさま、コメントありがとうございます。
たいへん興味深く拝読しました。
ルースが弟のエドワードを撃つ時に「本当に誰もかれも、同じようなことを訊いて。」と言います。ルースがピーターブラントを殺していたとすると、シェーファーが2人目、エドワードは3人目の殺害となります。
誰も…かれも…という言葉は人間(男性)不信のような気持ちが現れている言葉でしょうか。もう何もかも信じられないという気持ち。ルースの言動にはこのような「絶望的」な感情が出ている気もします。
その割には姪に濡れ衣を着せようとするなど…不可解ですけどね(笑)
初コメです。
毎日懐かしさを覚えながらTVでコロンボを見ています。
この話は見た覚えがなかったので、新鮮さも感じました。
『シリーズ中で最悪の出来』等と酷評されているらしいのですが、トリックや謎解きはともかくドラマとしては十二分に心に残る内容だったと思います。
ラストシーンはまさに『別れのワイン』と共通する物があり、最後にコロンボがドアを開けた時、パトカーの赤い回転灯が一瞬でも映ったならば間違いなく涙したのでは、と思ったほど強く印象に残りました。
※日本で担当刑事と容疑者があんな事しようものなら、別の面で大事件になってしまいますね。
『別れのワイン』では容疑者と飲み交わした後に車を運転して連行するわけだし…こうした点からも、日本では決してあり得ない=作れないドラマだと言えるのでは?
長々と失礼しました。
はじめまして。ぼろんこさん。素晴らしいサイトですね。
最近は、BS再放送のあとにこちらのサイトをのぞくのが日課となっております。
「黄金のバックル」はいろいろと謎の残る作品ですが、私はルースは義兄を殺していると思いました。
劇中、コロンボに「あなたは秘密を漏らさないという顔をしている」「義兄もなくなった日に同じような顔をしていた」というルースのセリフがあります。
ストーリーの展開上特に必要のないセリフのように思われますが、ここにヒントが隠されていると思います。
義兄が死んだ日、ルースは義兄を問い詰めたのではないでしょうか?
例えば婚約成立(発表)時に、義兄はすでに姉と関係がありルースを騙して婚約したのか確認しようとしたとか。
婚約が成立して人生最高の幸せの中、既に裏切られていたとあってはルースも許せないでしょう。
しかし義兄は秘密については口を閉ざし(ひょっとしてルースを思い遣ったのかも知れませんが)
逆上したルースは心臓麻痺と見せかけて義兄を殺した。
最後の殺害否定はコロンボとの駆け引きのようにも見えます。
自分を慕ってくる姪さえも罠にはめる深い心の闇をもった女性です。最後まで本心をさらけ出すことはできなかったのではないでしょうか。
姉に対する妹の密かな妬み。どこの国でも兄弟姉妹間の微妙な人間関係は、共通なんだなぁと思った作品でした。
妹は、恐らく深く婚約者の男性を愛していたのだと思います。財産分与をしてもらって、家を出て行くこともできたろうに、そうしなかったのは、心の奥底に滓のように揺蕩う感情を、吹っ切れなかったのかもしれません。
彼女の本質は、姉以上に女らしく、か弱いものだったのではないでしょうか。
それを、必死に抑え込み、強さを装うことで生きてきました。ジェニーの父親だった男性を殺した、というよりも、愛情から憎しみへと変化した自分自身の気持ちを、相手を労わるというベールで包んでいたのかもしれません。
「お世辞はベール越しのキスと同じ」という言葉はその気持ちの現れだったように思います。
最後に、男性であるコロンボさんに、腕を取られて「レデイー」として連行されるシーンは、もう、これ以上自分の気持ちを殺して、強がらなくていい、というメッセージのように思えました。
最後、犯人はコロンボと腕を組んで行きます。
コロンボが犯人を理解したと同じくらい、犯人はコロンボを理解した。
犯人は人生を賭けた勝負に敗れ去った。
腕を組んで去る姿は、敗れ去った哀愁をいやがうえにも際立たせます。
これは、新シリーズでは失われた刑事コロンボの気高い品格です。
ジョイス・ヴァン・パタン、素敵な女優さんですね。「逆転の構図」の時のシスターも最高でしたし。
本作はミステリーとしては詰めが甘いかもしれません。でも、この暗く重いムードは他のエピソードにはないところなので結構好きです。
姉妹の関係がわけわかめです。
姉は、妹に恋人がいると知っていて、それを横取りしたんですよね。
にもかかわらず、一緒に暮らしているってどういうこと?。
逆にその恋人を殺してしまうなんて。
おそらく、恋人の言動や持って行き方に耐えかねたのでしょう。
妹は、美術館しかなくなった。
姪を可愛がるのは、恋人への罪滅ぼしもあったのだろうか。
姉は最後までノー天気でした。それが一番ムカつくね。
「ラストの展開が難解」ですね。全体的に暗いイメージが漂うのは、音楽の影響もあると思います。
これはラストの展開が難解です。
このエンディングを第三者に説明せよと言われたら、私には無理です。
そういう意味でもって、困った作品です。
つまらなくはないです。全体的に暗いイメージが漂う珍しいエピソード。
ただ、困るっていう。
しんですさん、Jasminさん、コメントありがとうございます。ルースとジェニーの、それぞれの会話で「触れたくない過去」と言っています。もう一度、検証してみたいと思います~。
ぼろんこさん、いつも楽しく拝見しております。
私も「黄金のバックル」について、しんですさんと同じように、ジェニーはやはりルースの姉の子で、姉は駆け落ちする前から妊娠していたのでは(妊娠が駆け落ちの理由?)と思いました。
それにしてもこの作品、ルース役の女優さんがとても素敵ですね。ファッションなど細かい点に注意が行き届いているのが素晴らしいです。「古き良きアメリカ」を感じます。
駆け落ちして出来た子供ではなく
3ヶ月前から裏切られていた。
ルースは駆け落ちされるまで
気が付かなかった。
と単純に考えました
とっしーーさん、お返事がたいへん遅くなってすみません。「コロンボの着眼点は、他のドラマに比べて群を抜いている」に同感ですよ~。「フェデラー」にも笑わせてもらいました。コロンボの葉巻きは安物だと思いますが、後の作品で「キューバ産」が美味しいという話題が出てきますね。
この作品は、僕的に不明瞭でしたね~~ ( ゚,_ゝ゚)
特に、謎が多い作品だと感じました。
ジェニーは誰の子か?そして、過去にジェニーの父親を殺したのは誰か??
それにしてもコロンボの着眼点は、他のドラマに比べて群を抜いていると思います^^
相棒の杉下右京もかなり鋭いですが、見かけのギャップでよりコロンボの方が、シャープさがありますね(笑)
コロンボの明瞭かつスッキリした疑問の提示は、「オオ~~!!」って思ってしまいました(´ー`*)
後はいつもの面白いシーン(笑)
美容院でおネエ系の店員さんに、酷いですね~~って言われる所
のっけから車をパトカーにぶつける所・・
(ありえません爆笑)
ァ ‘`,、’`,、(‘∀`) ‘`,、’`,、
そして、堂々と日付を間違え、かつ30ドルで買ったから文句言えないねって咄嗟にギャグをする所(笑)
時計屋の店員さんに、髪型褒められてた所♪
あの場面で、
コロンボが鏡を見るシーンがありますが、まさにあのショットはテニス界の天才「ロジャー・フェデラー」そっくりです (´∀`)
しかし・・最後の駆け引き、ウウーン!
コロンボがルースの気持ちを汲んだのは、分かりますが・・
僕的には好きじゃないですね^^;
人を数人殺しておいて、プライドもくそもないと思うのです!
それはそうと、コロンボの葉巻きはどこ製の物なのでしょうか?僕は料理をやっているので、普段は吸えないけど、たまには吸ってみたいのです♪
健康的には、葉巻はどうなのでしょうか?
あと、ミラー刑事と「さらば提督」のマックが、若干似てました^^
モコ太郎さん、コメントありがとうございます。なるほど~。そう考えると、一層深く重い作品に感じてきました。ジョイス・ヴァン・パタンの演じるルース・リットンは、それより少し「あっさり目」に写りました。それにしても、何回見ても飽きないです(笑)
いつも楽しく拝見しております。ありがとう御座います。
私のこの作品の感想は「お腹の中に黒い物をぶち込まれる」と言った感想です。
犯人のルースの視線から見ると、幼い頃から厳しい躾の中何不自由なく育ち、親が決めた理想的な相手と巡り合ったが、その婚約者と自分の腹を痛めた赤ん坊を姉に奪われる。世間体がありその赤ん坊は姉の子となったが、ルースは復讐を計画する。その一つに「我が子の教育を一切行わない。」所にあった。ために彼女は躾を知らない女性に育つ。さらに元婚約者の心臓が弱い事を知ると毒殺を計画、実行する。そして今回の事件。美術館を売り払う自分の弟を殺害し、我が子に濡れ衣を着せ刑務所に送る事を計画する。アメリカでは親族殺害は一級犯罪で重罪だ。しかしコロンボ警部の推理により事件は解決する・・・・
あの美術館はその価値を知る人はいなくなり、経済的観念を持っている人は家族におらず、破綻し名家と言われた一族もここで滅亡するというストーリーです。
とっても、とっても重いストーリーです。ルースが守りたかったのは自分の先祖の遺産であった骨董品よりも、自分が最も幸せだった「あの絵」を失う事が絶対許せない事ではなかったのではないでしょうか?
長文書き込ませて頂きました。ありがとう御座います。
海松さん、コメントありがとうございます。「姪のジェニーはルースの娘」ではない…と思います。彼女は「姉のフィリス」でしょう。実の娘に濡れ衣は着せない…ですね。
「自分の婚約相手を奪った姉」の子「ジェニー」を、実の娘のように可愛がった…という、ルースの複雑な心境が強く出ていると思います。でも、その可愛いジェニーを殺人犯に仕立ててまで、博物館を守ろうとしたルース。という悲しい事実…。そして疑われても仕方ない…父親殺し。それだけはきっぱり否定したい。そんな感じじゃないでしょうか~。
いやぁ深いですね~この作品。
いつも楽しく拝見しております。ありがとうございます。
『黄金のバックル』は、ルース役のジョイス・ヴァン・パタンの魅力と美術館のステンドグラスの光の美しさで大好きな作品です。
ひとつ疑問があるのですが、姪のジェニーは実はルースの娘なのでしょうか。
ぼろんこさんの御見解をお聞かせください。