- アレックス・ブレイディ「ロールス・ロイス・コーニッシュ」
- モレスコ「リンカーン・タウン・カー・ストレッチト・リムジン」
フィッシャー・スティーブンスはグッド
犯人ゲストスターと、コロンボ警部の年齢関係が逆転
ブレイディの描き方は面白いです。自分は「映画の天才」だと思っているのに、一見無能に映る中年の刑事に次々に「ボロ」を出します。おそらく計画的な殺人ではなかっため、彼自身かなり悔やまれる犯行状況だったと推測されます。新・刑事コロンボからは、このように犯人と警部の年齢関係が逆転し、かつてのように「コロンボ君」と警部を呼べるような犯人は極めて少なくなります。
成功者の転落劇は健在
秘書のおばさんローズが素晴らしい
モリー・ヘーガン
エンディングはかつてのコロンボ風ではない…でも許す!
警備員はフィル・コルセット
老けたバーク刑事B
音楽はパトリック・ウィリアムズ
音楽は、パトリック・ウィリアムズが担当しています。41話「死者のメッセージは特に音楽が素敵」を皮切りに、43話「秒読みの殺人」、45話「策謀の結末」と立て続けにコロンボ作品の音楽を担当。それらが素晴らしい仕上がりになっています。この「狂ったシナリオ」のオープニングもアップテンポなワルツ風の音楽ですごく印象に残りました。その主題が、楽器やテンポを変化させて、作品全体に流れています。
ハチャトゥリアン「仮面舞踏会」
このワルツですが、ハチャトゥリアンの名曲「仮面舞踏会」に雰囲気がとても良く似ています。気になった方はぜひYouTubeなどでご視聴ください。ハチャトゥリアンには他にも「剣の舞」という誰でも一度は聞いたことのある有名な曲もあります。
監督:ジェームズ・フローリー
脚本:リチャード・アラン・シモンズ
音楽:パトリック・ウィリアムズ
アレックス・ブレイディ:フィッシャー・スティーヴンス(声:池田秀一)
レニー・フィッシャー:ジェフ・ペリー(声:星野充昭)
ローズ・ウォーカー:ナン・マーティン(声:此島愛子)
ルース・ジャニガン:モリー・ヘイガン(声:佐々木優子)
モロスコ:スティーヴン・ヒル(声:池田勝)
バーク刑事:ジェローム・グアルディノ
フィル・コルセット:アル・プリエセ
ベニントン巡査部長:リサ・バーンズ
セウェル:スチュワート・J・ツリー
ツアーガイド:メグ・ジェームズ
加筆:2024年10月8日
ラストでブレイディを裏切る女優ルース・ジャニガン役のモリー・ヘーガンさん。同じミステリドラマの名探偵モンクで、シーズン3の4話『Mr. Monk Gets Fired』 (2004/07/16オンエア)にゲスト出演しているのを発見しました。
コロンボもモンクも、大好きなので、両方とも繰り返して、何回も見ているのですが、同一役を発見したのは初めてです~嬉しかった!
私もモンク好きです。そのエピソード、見たいですね〜。
あー
シットコムの「フレンズ」見ていたら、なんと、モリー・ヘーガンさんが、シーズン8の21話「モニカの料理バトル」に出ていました。落ち着いた雰囲気のある方ですね~
うーん。
犯行準備の時間が短かったためかなり荒っぽい犯行になってしまいましたね。とはいえ物証を残しすぎ。本を落としたり、高圧電流を流した電線をそのままにしたり、かかとを見落としたり、後から注意深く始末できたはず。そして恋人がウェイトレスやってた気づくよね普通。まあ、犯人は自分の才能に溺れる自己中な嫌な奴と描きたかったのでしょうが。
この作品はいいんじゃないかな、と思ってたら、酷評する人もいますねえ。
私なりの解釈をすると、
新コロンボを始める以上、旧作と差別化するために多少派手にしたのだと思います。
第1作の超能力とかギロチンとか、この作品の天才監督とか映像技術とか。
その方針が表れたのが最後の役者紹介シーンで、私は好意的に受け取っています。
ただ、音楽の予算を少なくしたというのは、チープ感が出ますね。
美しく青きドナウだもんなあ、クラシックでも作品に似合えばそれでいいけど、
犯人は傲慢さのある若き天才なんだから、シュトラウスなら「皇帝円舞曲」だと思う。
私も本作、好きですよ。
今観るとこの時の映像の魔術はまだまだ手作り感がありましたねえ。昨今は特撮もCGも演出も発達し過ぎて私的に驚きの感動や喜びも飽きてしまいました。
初めてコメントさせていただきます。
ボロンコ様のこのブログはほんとに面白いし、たくさんの私の知らない事がのっていて驚きながら読ませてもらっています。
この作品のこの俳優さんは、別の作品のこの役と同じ人など、見返してみてほんとだ!となるのがとても面白いです。
もしよければ教えて頂きたいです。
狂ったシナリオの、犯人をだますためのレストランでの一幕のなかに、
コロンボが「私もいました」と言ってるので見返してみたのですが、見つけられません。
コロンボはどこにいるのでしょうか?
初めてのコメントで質問してすみません‥
>コロンボが「私もいました」と言ってるので見返してみたのですが、見つけられません。
お尋ねの件ですが、DVDで確認しますと、そのシーンにコロンボは映っていません。
「私もいました・・・」は、
《英語字幕》
コロンボ:「And then there’s me, sir, playing my own part.」
『日本語吹替』
コロンボ:「そう、私もいました。あなたに言わせれば幻想のピエロ役・・・」
〔日本語字幕〕
コロンボ:「私は私の役を演じました」
であって、ここは〔日本語字幕〕のほうが直訳に近く、却って誤解を招かないと思いました。
このすぐ後の場面でコロンボがサーカスの団長?に変身するのが映像的に唐突感が大きいので、日本語版スタッフとしては、視聴者に心の準備をさせるため、このセリフとそれに続く一連のコロンボのセリフを原語以上に抽象的な内容にしたのではないか、などと想像しました。このクライマックスで映像的に描かれる”仮装”は、現実というより正気を失いつつある犯人が心で見た幻視と解釈できますから、それをコロンボのセリフでわかってもらい、ショック感を和らげようとしたのではないか、ということです。
しかし言葉がちょっと現実ばなれしすぎて、かえって混乱を与えかねないものになってしまったように感じます。
また私は英語の専門家ではありませんが、ここでの “there’s me” は、コロンボがどこかの物理的・具体的な場所にいたという意味ではなく(過去形でもありませんし)、犯人を逮捕するための捜査に自分も存在していた、逮捕劇に自分もかんでいた、という意味を伝えるものだと思います。日本語のタイトルと”団長”にひっかければ、これも原語とは違いますが、「そして私が、あなたの逮捕劇のシナリオを作ったんです。いってみれば、私はその劇の団長だったんです」というのはどうでしょうか?
tempus fugit 様
>「そして私が、あなたの逮捕劇のシナリオを作ったんです。いってみれば、私はその劇の団長だったんです」
さすがです! カッコいいです!
ふと、寺山修二の「人生は一幕の芝居である」という言葉を連想してしまいました(笑)。
またやっちゃいました(泣)。
× 寺山修二
〇 寺山修司
十分気を付けたつもりなのに、なんでいつもそうなる?
犯人が逮捕され落ち込む心境に共感しました(笑)。
お褒めの言葉をいただき、ありがとうございます。実は思いつた時に「劇のシナリオを書くライターと劇団の団長は同じなのか?」と自己ツッコミが聞こえてきたので、それも書きそえようかと思ったのですが、結局削ってアップしました。バレなくて胸をなでおろしました(笑)。
なお私としては、各シリーズそれぞれ最初に製作されながらいずれも2番めに放送された「指輪の爪あと」と「狂ったシナリオ」の方が、放送としてはトップバッターの「構想の死角」と「汚れた超能力」よりも、全体としてはとっつきやすく楽しめる作品だと思うで、どちらも順番をひっくり返して放送したのはなぜなのか不思議です。YC-30様は「構想の死角」についてそちらで考察されていましたが、それでもやっぱり謎です…。
YC-30様が旧シリーズのトップバッターについて書いておられたのは「指輪の爪あと」の方のコメントでしたね。確認不足で、大変失礼しました。
ついでに、
✕ 実は思いつた時に
○ 実は思いついた時に
小学生レベルですね…(泣)。
いえいえ、今回は私のほうが調子狂わせてしまう流れを作ってしまい、誠に申し訳ありませんでした。
(私のコメントのように)台詞を噛んだりNGを多く出す俳優が一人でもいると、他の共演者にも悪影響を与え連鎖させてしまったりする話をよく聞きますが(苦笑)、私が悪いです。
「指輪の爪あと」と「狂ったシナリオ」が何故2番目にされたかは、やはり私も本音では納得出来ておりません。
コロンボのドSっぷりが堪能できる作品。
のっけから容赦なく犯人につきまとい、周辺関係者を次々と味方につけていく様子は非常に面白い。犯人の幼稚な性格がどんどん露わになり、どん底に落とされる様は普段より色濃く感じる。途中からはもう自供した方が精神的に楽と思えるほどだった。池田さんもすごい喋って大変な役だったんじゃないかと思った作品です。
クリームソーダが変だ!と思ったので調べてみました。
茶色なのは、ルートビアがベースだからのようです。
私もアメリカやカナダで飲みましたが、ハッカの味であまり美味しいと思いませんでした。それでも日本でもビレッジバンガードで売ってたり、沖縄のA&Wにあったので、懐かしくて飲んだりしました。
また、日本と違いアイスクリームではなく、ホイップクリームを乗せるのが定番のようです。
なるほど、アレックスが作ってた通りですね。
うーん、日本式の方が絶対美味しそう(笑)
一年半前の放送時にフィッシャースティーブンスに関して散々コメントしていたので、今回はクリームソーダに絞ってみました。
ルートビア、クリームソーダにも使われるのですね。知らなかったので、そうなんだ、と思いながら拝読しました。
私は、味が似ていると言われる(本当は違うのですが)ドクターペッパーが好きだったこともあり、その昔アメリカに行く機会があった時に飲んでいました。ルートビアにせよドクターペッパーにせよ、独特のクセがあって苦手な人は苦手ですが、私はまったくOKでした。
今はトシのせいもあってか、ソフトドリンク類そのものをあまり飲まなくなってしまいましたが、ジミー頁様のコメントを読んで、何だかまた飲みたくなってしまいました。ルートビアは手に入れるのが難しそうですが。
Blu-ray全集を持っているにもかかわらず、今回、怖いもの見たさで(笑)、「新・刑事コロンボ バリューパック」(発売日 : 2012/7/4 販売元 : ジェネオン・ユニバーサル)というDVDを購入してみました。これは、近年のNHK-BSのリマスター版再放送や、市販Blu-rayソフトのように、新シリーズの元版のアスペクト比4:3(4:3はおそらく新シリーズの初期だけだと思いますが)の上下をカット(トリミング)して16:9ワイドのハイビジョン・テレビ画面にはしておらず、カットされた上下部分までオリジナル版として観ることが出来ます(もちろん、画質はそれなり)。
収録されているのは、DISC1: 46話「汚れた超能力」47話 「狂ったシナリオ」DISC2: 48話「幻の娼婦」49話 「迷子の兵隊」DISC3: 50話「殺意のキャンパス」で、たぶん日本で新シリーズのDVDが正式に発売されたのは、これだけのようです。後が続かなかったのは、「新」の人気が低く、あまり売れなかったことや、追ってBlu-ray全集が出たからでしょう。
Amazonの商品案内に、「本商品内に収録されている日本語吹替音声は、現存する放送当時のものをそのまま収録しております。そのため一部音声がない部分は字幕スーパーになっております。」とあるように、日本での初オンエア時に、どこがカットされていたかがわかります。NHK-BSやBlu-rayでは、小池さん→銀河さんの「旧」パターンではなく、石田さん自身他同一メンバーが後日追加収録しているので、初オンエア時にどこがカットされていたか、わかりません。
ですから、本DVDでは、日本語吹き替え版を観ていると、いきなり原語+字幕に変わる場面がところどころ有って、Amazonのレビューを検索してお読みいただけるとわかりますが、戸惑ったり、「追加収録で何とかして欲しかった」との声が多く寄せられていました。
なお、NHK-BSの再放送でカットされているエンディングのフルクレジット後半は、クレーンでの高所撮影でコロンボを恐怖症で苦しめた時のBGM、ワルツ「美しく青きドナウ」 (ヨハン・シュトラウス2世)が再び流れ、「2001年宇宙の旅」をオマージュするように締めていました。
今回は、きっと、若き天才映画監督アレックス・ブレイディ君自身が大先輩スピルバーグ監督の3話「構想の死角」に習って制作した回なのでしょうし、こうした自分の作品がソフト化されたり放送されたりする時の映像や音声についての映像や音声のプロとしての細部への拘りも人一倍お有りでしょうから、私もブレイディ監督にヲタク心で対抗してみたくなりました。
新シリーズへのプレッシャーが強い中、一生懸命頑張って、中々いい作品に仕上げてくれたね、若き天才映画監督アレックス・ブレイディ君。本当に君が殺したものと、すっかり信じてしまったよ(笑)。えっ、なんだって?? 本当に君が殺したの?(絶句)
・・・というわけで、楽しみました。
本作は新シリーズで最初にシナリオが書かれた作品だったようですが、
アレックスの名はレヴィンソン&リンクの傑作ドラマ「殺人リハーサル」が由来かも。
同名の脚本家主人公が婚約者である舞台女優の不慮の死の真相を暴くべく、
(警察は自殺と片づけた案件である中)マッカロイ警部補の助力を得て
舞台関係者を集めて殺害動機となりうる場面を演じさせていくというストーリー。
オチに関しては新シリーズで何度か見られた、コロンボが犯人を引っ掛けるため、
警官エキストラを多数動員して大仕掛けを行うパターンの原典的かも。
新シリーズは立ち上げ前にレヴィンソンが亡くなり、
リンクがアドバイザーとして関わった程度ですが。
犯人役の方がオリラジの藤森さんと被って…^^
私も犯人が藤森さんにソックリ!と思って見ておりました(笑)。
犯人吹き替えの池田秀一さんはクールな「シャア」とはちょっと異なる、若き天才ゆえの幼稚さを上手に演じてらしたと思います。
さて、賛否様々なラストシーンですが私の解釈ではレストランで罠を仕掛けた演者たち(警官や元恋人)の登場シーンは、実際にはスポットライトに照らされたり犯人に向かって一礼したりはしていないのではないかと思います。光と影、虚実様々な世界で生きる犯人にはそのように見えていた・・脳内で変換した虚構の世界を表現していたのでは?と。コロンボが一瞬サーカスの団長のような赤い服に変身したのがそれを示しているように感じました。
(序盤の光と影の鉄格子のクダリがその伏線ではないかとも思います。)
コロンボはあくまでも真犯人を逮捕することが目的であり犯人を必要以上に貶める人ではない、そう思ってしまうのは罪を起こした犯人が自分の中でそう感じてしまっているだけなのだ・・・そんなことを舞台である映画の世界的に表現したのではないか、と考えました。
ちょっとコロンボびいきな解釈かもですが、いずれにしても好きな作品の一つです。
シャア、若いなぁ
オリジン、この声が欲しかったなぁ。。
エンターテインメントに振っていますねぇ。
でも悪くない作品ですね。
クリームソーダのグラスの指紋はアレックスが来る前に既に採ってあって、カマをかけたのかなと思ったのですが。
それでは捜査が終了してしまいますね。
Murder, smoke and shadows 見ました。
映画の世界感を存分に効かせた作品でしたね。
撮影現場ならではの演出に溢れ、コロンボtrap劇のフィナーレで幕を閉じました。随所にコロンボらしい口上があり、面白かったです。studio tour のトラムバスも懐かしかった。
ブレィディのprivate傭れ俳優フィルがsecurity guardに扮してたとは!女優2人の小芝居も仕込みとは気づかず、「あ、やられた!」と思いました。
話は逸れますが、遅ればせながらコロンボのモデルとなった「罪と罰」(米川訳)を読みました。
めちゃくちゃ面白い!なるほど犯人のラスコーリニコフとポルフィリィ判事との心理対決はコロンボと知的知能犯のそれを彷彿させてくれます。
今回の「狂ったシナリオ」の犯人ブレィディは、本当に酷い奴で、己の為なら、人殺しだって、人をはめる事だって、瀕死の友人の妹を捨て置く事だって、なんの躊躇いもない人非人です。「罪と罰」のスヴィドリガイロフが少し入ってる?
罪と罰には、他にも重要な登場人物が幾人も出て来ますが、コロンボの原作者リチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク氏の脚本エピソードを見たくなりました。キャラ付けや背景に、どこかオマージュされてないか…
「罪と罰」懐かしいなあ。高校の頃読んで、ロシア人は男性と女性で名字が変わるんだということを覚えました。
ポルフィーリィがコロンボのモデルなんですね。犯人の態度から怪しいと睨み、徐々に追い詰めていく。なるほど。
罪と罰のロージャは確か、ポルフィーリィが「もうあなたを追うのは諦めました…」とか言っていたところに自白したんでしたよね?コロンボは絶対に諦めないですね。まあ罪と罰の場合、犯人が主人公ですからこうなるんですね笑
スビドリガイロフは確か醜いおっさんではなかったかな?そこは若いブレイディと違うけど、他のコロンボ作品でいそうですね。
ドストエフスキーの「罪と罰」に出てくる判事「ポルフィーリィ」がコロンボのキャラクターのモデルとなっている話、ですね。これは興味深いです。NHK Eテレの「100分de名著」でも取り上げられました。
BSPで久しぶりに見ました。
大オチの「劇団コロンボ」の紹介がちょっとやり過ぎだなーと毎回思います。
犯人の過去や内面の描写にかなり時間を掛ける構成はいいのですが、ここまで悪人な犯人も珍しい。
新シリーズ2作、私はどちらも初めて見ましたが・・・
う~ん、コロンボがどうも嫌な人になっちゃってる感じがして、
見ててしんどいです。
この先もこんな感じなのかなあ。
トラベラーズチェック、懐かしいなあ。
・アレックスの声は聞いたことあるなと思って最後のクレジットを見たら池田秀一さん。ああ、納得。その後見直してみたら、ダメだ、もうシャアの声にしか聞こえない (^-^;;
・アレックスを演じたのはフィッシャー・スティーブンス、被害者の役名はレニー・フィッシャー。フィッシャーってファーストネームとファミリーネーム両方に使われる名前なんですね。
・前回「汚れた超能力」でも感じましたが、最後はもっとスッキリ切れ味がほしかったです。例えば「アリバイのダイヤル」「権力の墓穴」「逆転の構図」、そして私が一番好きな「二枚のドガの絵」のようなラストシーンはもう出ないのでしょうか。
・劇中のスタジオは過去回に出てきたそれらよりもダイナミックに描かれているように感じました。ただ、コロンボがタイタンクレーンに乗る場面はもっと短くていいかな。
フィッシャー・スティーブンスというのは芸名で、本名は実はスティーブン・フィッシャーつまりほぼ入れ替えたんですね。
フィッシャーというのは名字としてはポピュラーですが、名前では聞かないのでちょっとひねってみたのでしょう。
フィッシャーという名字ではスターウォーズのレイア姫役のキャリー・フィッシャーやバスケ選手のデレク・フィッシャーなどが有名です。コロンボの脚本家にもピーター・フィッシャーという人がいました。
ちなみにスティーブン・スティーブンスというのは名前として成立しますが、有名なギタリストでスティーブ・スティーブンスという人がいます。惜しい?ですね。
なるほど。
「泉麻人」、本名「浅井泉」と一緒ですな(笑)
そういえば、昔のスキージャンプ選手に、「エディ・エドワード」というイギリスの選手がいました。
五輪ノーマル・ヒルでは60mも飛べず、ダントツのビリ。
「ジャパン(当時のジャンプ最強国)では、90m飛んでも代表になれないのに」
「いや、これこそ五輪精神」
と議論が沸騰した事を覚えています。
懐かしいですね。私も「エディ君」で覚えていたのですが、本名はマイケル・エドワーズで、通称エディ・エドワーズまたはEddy the eagleだそうです。
全然飛んでないのにひょうきんなキャラで大人気でしたね。彼の後、一定基準を満たさないと五輪には出れないように規則変更になったとか。
後に映画にもなったらしいです。なんかボブスレーの「クールランニング」に似てますね。
ジミー頁さま
ご解説ありがとうございます。
フィッシャー・スティーブンスは『ショート・サーキット』『ショート・サーキット2』という、ロボットが自我を獲得して活躍する設定のコメディ映画で、おたくっぽいロボット工学者を演じています。こちらではとことん善人で、好感度特大です。
久しぶりに見ましたが旧作へのオマージュなのかパクリなのか、いくつか気が付きました。
犯人が犯行を犯した翌朝にはコロンボの車が家の前にあり、辿り着く筈のない自分にピンポイントで警察が突然現れる。
実は被害者は犯人の著書に書き込みまでしていて、それが犯行現場に残されていた。まさに旧作の最終回『策謀の結末』の導入と同じでしたね。
あの時もこの時も、本さえ残っていなければ決してコロンボが辿り着く事はなかったのに。
この時点ではまだ犯人達は大丈夫と踏んでますが、一度コロンボにマークされたらもう終わり。
既にゲームオーバーです。
それと部屋に入って来た時にコロンボが模型電車のジオラマに興じていたのは、私の大好きな『
殺しの序曲』の犯人とのシグマクラブでの対決シーンを思い出しました。コロンボが自分の人生観を語る非常に印象的なシーンです。
偶然かもしれませんが、こういうのたまにありますね。
初めてコメントします
水曜日にBSPで視聴しました・・・
最後にコロンボ警部が赤の服でご挨拶するし~んがあって。。。ここまでやるの^^と笑ってしまいました・・・
犯人はなぜ散水車で水を撒かせたのでしょうか。感電させるには水が必要なのかと最初は思いましたが、高圧電流が流れている鉄柵を握れば水がなくても感電しますし。
この話の感想としては犯人のくそ野郎ぶりが面白かったです。殺人や事故死の偽装は並ですが、元恋人に新しい彼氏をあてがうための芝居はとんでもない人でなしですし、コロンボをだまそうとする工作は笑ちゃいました。
確実に殺すために念を入れたのでしょうね。
水を撒いておけば、より多くの電流が体から地面に流れるでしょうから。
ありがとうございます。
犯人役を見た瞬間に誰かに似ていると思い、確認するとやはりそうでした。「グッド・ファイト」に出てくる弁護士ガブリエル・コヴァックがフィッシャー・スティーヴンスなんですね。ここでは溌溂とした天才映画監督なのが、風采の揚がらない有能でもない役を演じていて、その違いに驚くと同時に感心もしました。
驚き‼️
役者ですものね、演技巧者と評するところですが・・・
時の流れというのはなんと・・・
フィッシャースティーブンスはかなり有名な俳優なんですね。私はコロンボの数年後「フレンズ」で変な心理学者役をしてたのが同一人物と知り驚いた記憶があります。幅広い役者ですね。
罪を憎んで人を憎まぬ旧コロンボ。
罪を憎んで人をあざ笑う新コロンボ。
「人間にはいくら金を積まれても売り渡せないものがあるっていうことを、あんた知らなかった」
(「死者の身代金」より)
BS放送でみてきました。
そこで気になるのがクリームソーダ(チョコレートソーダ? エッグソーダ?コロンボはブラック&ホワイトって言っていたシェイク)について推理をしていたシーンでいつもの帰りまーすバタンっ
犯人「ぐぬぬっ」
コロンボ「ガチャッすいません
あともう1つ」
のお決まり場面でほとんど手付かずのクリームソーダの残りが一瞬の画面展開で8割ぐらい減ったグラスになっていたような気がするんですがどうでした?
犯人がシンクに叩きつけるシーンのために派手に飛び散らないように減らしてから撮影し直したのかと思ってみてみたりしてました。
推測ですが・・・コロンボが調べていたグラスは本物の”ガラス”で、アレックスが戻ってきたときのグラスは、”割れてもけがをしない材質”ではないかと思います。中身が減っているというより、グラス自体が不透明なのではないでしょうか。
クリームソーダですが不自然に思いビデオを巻き戻してみましたが、グラスの中身は大きく減っていました。やはり次のシーンの叩きつける場面で中身が派手に飛び散らない為の策?だったのでしょうか。
同じ点が気になりました。
グラスの中身の変化は僕も気づきました。
フィッシャースティーブンスはハマり役でしたがハリー・ポッター君に似ていましたね。なんらかの影響があったとしたら面白いです。
この回の方が音楽は効果的でしたがやはり何度も出て来るテーマがキーボードの電子音なのが気になりました。
しかし最後に協力者に種明かしをするときいちいちBGMが鳴るのは気恥ずかしかったです。
それからプロデューサーがリムジンに乗って来てそこで解雇やら契約破棄の話をするのを過去の話で見た記憶がありますがわざとでしょうか。映画界では本当に当たり前のことなのかもしれませんが。
「フィッシャー・スティーブンス」今観ると21世紀のドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」のプロデューサーとして評価を得ました。この映画は日本のイルカ漁を徹底批判した映画で日本国内での上映を巡って喧々諤々の騒ぎとなりました。騒ぎの片鱗は検索すると今でも伺えます。その是非はそれこそ切りがないしここでは言及しませんが、日本人とはそういう因縁が深まったのはなんかフクザツな気分。
あら、やっぱり相棒のwドッグ出てたんですね(笑)。
そうかあ、撮影所の魔術が次々と繰り出される、こうして観るとこれも私が名付けた(また上から目線)「色々変だけど楽しい作品」の系列ですね。
捕鯨は即死させられるならいいように思うけど、コロンボの犯人あざ笑いショーは古代ローマコロシアム並みの精神構造。上から目線で見る観客も観客。
「色々変だけど楽しい作品」
とりあえずノーと言っておきたいと思います、「色々変」が悪い方に変なのがあるので。
楽しいものは楽しい
一言で言ってモラハラなんですよね。
何がモルハラなのかわからない。時代背景や内容見ても的外れ。
スピルバーグを彷彿させる若き天才映画監督が犯人。
「偶然のおかげでドラマができあがるんですよ。偶然がなかったら人生はただ、線路を走る汽車だ」
犯人の言葉。実は偶然の出来事ではなく、殺人をしていたのですが。
ドラマ的には、偶然性はできる限り小さい方がいいような気がします。
クリームソーダが旧シリーズ「5時30分の目撃者」に続いて再登場。あの時のように、やはりあのグリーンのソーダにアイスクリームが浮いているものではありません。アメリカ風のクリームソーダらしいです。今回は炭酸入りの、こちらの方が本式のようです。
終わらせ方は旧コロンボでは考えられないほど派手。
あまり好みではありません。やはり犯人を見下し、あざ笑う感じが好感度低い。
ミステリーとしてはさほどの過失はないように思いました。エキストラを装ったコロンボを騙す作戦はあまり精度が高くないと感じましたが、これを除くと旧コロンボの標準的な出来のものに匹敵する感じには思えました。
罪を憎んで(犯)人をあざ笑うコロンボ、致命的な改悪。
ピーター・フォーク私物化最大の負の遺産。
恥を知りなさい、ピーター・フォーク。
大変失礼しました、最初の一行は『スピルバーグを彷彿させる若き「天才」映画監督が犯人。』と訂正させていただきます。
あざ笑ったり、あざ笑われたりしないようにしなくては。
はじめまして。
私は、古きよき日のアメリカTVドラマをこよなく愛する小市民でございます。
私の本作品における最大の見所・・・あくまでも個人的なものに過ぎませんが・・・は、ナン・マーティン(Nan Martin)です。
彼女のエキセントリックな演技によって、一瞬にしてドラマ世界に引き込まれてしまうのです。
あの目には、妖気が漂っている!・・・と(微笑)
ナン・マーティンは、かつて一斉を風靡したドラマ「逃亡者」(THE FUGITIVE)に出演しておられました。
「逃亡者」シーズン1 エピソード19
Search in a Windy City 邦題:片腕の男
アメリカにおける初回放送:1964年4月2日
当時、彼女は36~37歳と思われます。
アルコール中毒に苦しむ中年女性の役。
その目にはやはり妖気が漂っており、千言のセリフに勝る大迫力を私は感じました。
なので、本作品序盤で散水車の件で怒鳴り散らしてる秘書(ローズ)を見てすぐに、
「あ、逃亡者のあの人に違いない!」
と思い、そこからこちらのブログにたどり着いた次第です。
ちなみに、「逃亡者」1-19におけるナン・マーティンは非常に重要な役どころでして、彼女(役名:ポーラ)が泥酔したことによって、リチャード・キンブルは真犯人・片腕の男をすんでのところで取り逃がしてしまいます。
しかし、酔いが醒め正気に戻ったポーラは、キンブルを警察に売ろうとする夫を厳しく諌め、最後はポーラの目力(めじから)によって夫は翻心して絶体絶命のキンブルを逃がすのでした。
「逃亡者」1-19は、シリーズ全120回の中でとても重要な一作でありまして、キンブルは事件当日以来初めて真犯人・片腕の男を目撃できたわけです。
裁判では否定された片腕の男はやはり実在した・・・
ラストのナレーション(矢島正明)が極めて感動的でした。
「再びリチャード・キンブルは夜の街に出て行く。しかしもう、あの身も裂かれるような絶望は薄れていた。彼は幻の男を見たのだ。これに勝る希望があろうか。いつの日かどこかで必ず追いつけるであろう。」
名作には名脇役の存在が必須条件なのであろう。
そのことを申し上げたくて投稿させていただいた次第ですが、余談が多く長文になってしまいました。
ご容赦くださいませ。
ナン・マーティン情報、ありがとうございました!素敵な女優さんです。後日、本記事に加筆いたします。
凄い記憶力
逃亡者は私も大好きなばんぐみでした。
睦吾郎の声あってましたよね。
リチャードキンブル職業医師彼は身に覚えのない妻殺しの罪にあい
土曜日の午後8時TBS懐かしい。
冒頭のユニバーサルスタジオのスタジオツアーが、高校生のときにホームステイで訪れた当時を思い出させてくれます。
炎上するサイコの家とか、ジョーズとか、、、
犯人のいでたちも80年代って感じで好きです。
そうですね〜同感です。
舞台が撮影所ということもあり、撮影所、特殊撮影の様子や、ファンタジックな音楽で、独特な雰囲気を醸し出していますね。
アレックスは、いささかオーバーリアクション気味でしたが、全体の雰囲気に上手くはまっていて魅力的でした。眼鏡にジーンズ、メガホンを持って撮影所を駆け回る姿は若き日のスピルバーグ監督を思わせます。旧シリーズの「構想の死角」(’71)で監督をした時が25才、まさにこんな様子だったのかもしれません。ピーター・フォーク氏はよくご存知だったはずです。
完全犯罪とは程遠いミスの連発でした。でもそんな事はどうでもいいという気になるくらい、軽快な展開で最後まで楽しめました。
若き日のスピルバーグ監督〜構想の死角の連想、そうですね〜素敵です。
まさこさん、私もスピルバーグをイメージしました。
しかも被害者のチケットが1989年とありましたので、スピルバーグがコロンボで演出してから20年近い年月が経ってますが、彼の登場はその後の映画の内容と一緒で衝撃的でしたよね!
吹き替えの石田太郎さんは、ちょっとおじさんになったコロンボ刑事に合っているなと、この回で思いました。
雷豆富さん
1989年当時のスピルバーグは、立て続けに大ヒット映画を手がけていて飛ぶ鳥を落とす勢いでしたね。
東京のある映像制作会社のホームページに、スピルバーグについて下記のような記述がありました。
「中略
キャリアのスタートをテレビ番組製作から始めている。人気テレビシリーズ「刑事コロンボ」の1つの話(第3話・構想の死角)を監督した際、当時弱冠25歳だったスピルバーグに対して、職人気質の残る当時のテレビスタッフたちは「あの若造が・・・」と、誰も相手にしなかったそうであるが、コロンボ役のピーター・フォークはその才能とセンスに一瞬にして惚れ込み、その後フォーク自身がコロンボを監督する際に、自分よりもはるかに若くキャリアも浅いスピルバーグにアドバイスをもらいに行ったそうである。スピルバーグ自身もこの「刑事コロンボ」の完成で自信を付け、それが翌年のテレビ映画で、出世作になる「激突!」につながったとコメントしている。」
流石、ピーター・フォークは先見の明があったんですね。
ぼろんこさんが「構想の死角」で言及されていますが、カメラワークが独特ですよね。例えばジャック・キャシディが車から出てくる登場シーン、下から見上げるような角度から撮っていて、個人的にはすごく印象的です。
原作者レビンソンとリンクは当時、あまり深く考えずに監督を決めていた。なので、たまたま社内で遭遇した若いスピルバーグに、「監督してくれる?」とノリで決めてしまったらしい。
しかし確かに現場は大変で、若造スピルバーグの注文をスタッフは相手にしてくれず、カメラマンは「照明を置く場所が無い!」と現場放棄の構え。スピルバーグは電話でレビンソンとリンクに「誰も口を聞いてくれない」とSOSを出し、間に入ってもらったとか。
しかし、徐々にやりたい事を理解してもらい、撮影が進むと誰もが若きスティーブン青年に一目置くようになり、出来上がった作品を見て誰もが彼の才能と将来性に確信を抱くようになったのですね。
そんな中でも最初から認めていたフォークはほんと、すごいです。
ジミー頁さん
シリーズ化第一作にしては、けっこうテキトーに監督を決めていたんですね(笑)ピーター・フォークも良いと思うものは偏見無くどんどん取り入れる、そんな柔軟性があったんでしょうね。
新シリーズでも時代の変化を取り入れて、新しいことに挑戦していった。それが旧シリーズのテイストを崩す大きな要因にもなったんでしょうけれど、彼としては常に良いものを作っていこうという気持ちは変わらなかったんだろうと思います。
私も新シリーズの中では、この作品が大好きです。
刑事コロンボはまだ合わせて20作ぐらいしか見てないのですが
その中でイチバン好きなのがこの話です(次が「溶ける糸」カナ?)
冒頭の殺人シーン、コロンボさんの登場シーン、その後の展開、登場人物の会話も含めて
ドコか全部幻想的で、いい意味で現実から少し浮き上がってるカンジがタマラナイです。
クリームソーダの飲み残しから事件の入り口の部分まで一気に進むコロンボさんの推理の冴えっぷり!グラスたたき割った後にもう一回入ってくるのもイイです(笑)
犯人の著書が捜査のファーストコンタクトのキッカケになるトコロや、勝手に現場にあるモノで遊んじゃうトコロとか、「策謀の結末」をちょっと意識してるような気がして、新シリーズへの意気込みを感じるような気がします。
そして自分が思うままにしてきたはずの世界にブレイディが裏切られていく、最後の十数分がほんとうに見ごたえがあってスキです。
最後はハデすぎる、という意見も多いですが、
今回の幻想的なドラマにはふつうに証拠を出すより、あのぐらいの大がかりさがあってるような気がします。(モリーの復讐にもなってマスし)
「旧」の緊迫感もスキなのですが、個人的には「新」の、穏やかでユーモアのセンスたっぷりなコロンボさん、80年代~90年代はじめのアメリカのフンイキ、音楽や映像、ストーリー全体のそこはかとない開放感がスキで
その「新」の良さがスゴく出た回だった気がします。
お返事が遅くなりました。この作品の良さを上手に表現されていて、素敵なコメントでした。この作品に1票加算します。
「死者のメッセージ」において、コロンボは「あたしゃ人間が大好きです。
今まで出会った殺人犯の何人かさえ好きになったほど」と言っています。
コロンボは、はじめは事件解決のために容疑者を理解しようとします。
その人柄、人生、価値観、仕事、生活環境、対人関係など。
そして殺害動機を見極め、方法、チャンスの落とし込みをします。
こういう一連の過程の中で、容疑者の人柄を好きになってしまい、
事件解決の手段としてではなく、コロンボが人間として容疑者の世界へ
入っていきます。その空気感は観ていてとても心地よく、刑事コロンボの
ドラマの魅力です。コロンボは容疑者の世界へ入って、同じステージで
最後の対決をする。コロンボが容疑者のある部分に心酔しているからこそ、
容疑者にとっても散り際は良いものになり易くなります。
コロンボが容疑者の世界へ入っていくことが、徐々に形骸化していって、
単に事件解決のためだけに重きを置いているように思えます。
悪くいえば、何か勝ち誇っているようにも見えるので、とても残念です。
その空気感は空虚であり、刑事コロンボの魅力を無くすものです。
なるほどと頷きながら、再読させていただきました。
アレックスの捜査かく乱作戦は、あまりにもお粗末すぎます。
殺されたレニーが一時期ロスにいて、あの女優と付き合っていたとか、
麻薬に絡んでいたとか、いろいろなサプライズが唐突に出てきた。
ストーリーとしては、アレックスが追い詰められた末の苦し紛れの
一策ではあると理解は出来ます。
ただ、もう一歩詰めれば、コロンボ監督による反撃芝居へ連動するために
どうしても必要なツナギだったと分かります。
あまりにも無理くりなツナギで、呆れかえってしまいます。
コロンボとアレックスの初対面のシーンは、ホント笑えます。
コロンボ特有の、何度も引き返して来て話を重ねるというペースには、
アレックスは、なかなか慣れそうにありませんでしたし、
相当イライラしていました。
コロンボのこのペースのとり方は、容疑者へ対する戦術の一つです。
容疑者の反応を見て、容疑の濃淡を計るのでしょう。
でも、例えば容疑者以外からの事情聴取で、相手にペースを握られたり
乱されたりすると、コロンボは途端に感情を露骨に表わします。
例えば「二枚のドガの絵」では、トレーシーの彼氏と思われる写真を
見せてもらうシーンで、おばさんにペースを握られ相当迷惑そうでした。
ある意味、ジコチューですよ。
秘書のローズを巻き込んで、アレックスの買収工作を決定的証拠とする。
そして、それを聞いていた証人まで用意して、言った言わないという
ガードを打ち砕くという落としでした。だが、しかし、そこまでするん
だったら、ローズとアレックスの会話を録音しておけば、もっと強力な
証拠になったはずです。なんだか、おかしな芝居がかった終わり方で、
呆れていいかどうか?。
制作サイドの立場になってみると、
アレックスは、レニーが麻薬に絡んだ行動をとっていたかのごとくの
芝居をコロンボに見せつけるという捜査かく乱作戦に出た。そこで、
コロンボの反攻作戦としては、女優のルースや秘書のローズに一芝居を
打たせ、決定的証拠を捉えた。
言い方を変えれば、コロンボの方が役者が一枚上、いや”監督が一枚上”
だったとして締めくくりたかったのでしょう。
なんとも回りくどくて呆れる締めだな。
みなさん、楽しいコメントありがとうございます。実は私、この作品はかなりお気に入りです。人間関係も面白いし、哲学も感じますし。
ふきかえふぁんさん>とても興味深いコメントを頂き、ありがとうございます。スピルバーグ…ランディス…ウェルズ…キューブリックの流れ、たいへん感銘しました。私はあまり詳しくないのですが、それでも、それらの雰囲気は十分感じ取れます。この作品に1票加えます。
「佐々木優子」さんですね!覚えます。モリー・ヘイガンはコロンボ作品でその存在を知ったのですが、素敵な女優さんだと思います。私にとっては特に好みの女性像?というわけではないのですが、他に無い魅力を発している方だと思います。
はじめまして。昨今映画番組や長尺海外ドラマでは面白い知識を教えてくれる解説が付きませんので、BSで『コロンボ』の放送がある度こちらのサイトを拝見しておりました。今夜「狂ったシナリオ」がBS-TBSで放送されていますが、どぉ~しても言いたい事があったので書き込みます。
アレックス・ブレイディのような新進気鋭天才鬼才映画監督と言えば80年代はまず間違い無くコロンボ初期の「構想の死角」を演出したスティーヴン・スピルバーグのことで、アレックスのモデルをスピルバーグとみる視聴者は多いようです。「このフィルムは捏造だよ粒子は粗いし合成痕も見える」なんて実にオタッキーな台詞が出て来ますがスピルバーグもそういう撮影技術に非常にのめり込むひとだそうです。大コケした『1941』ではルーマという自走式クレーンに夢中になったんだとか。スター映画監督達の唯我独尊ぶりに対する視覚効果、音響効果スタッフのブーイングも少なくありません。スピルバーグについても同じような話が様々あります。
事件の発端となる撮影時の死亡事故から忌避する展開は『トワイライト・ゾーン』劇場版のジョン・ランディス監督のパートでヴィク・モローが亡くなった経緯を思い起こさせます。スピルバーグ配下のお目付け役が現場に居たのに、事故が起こると彼は逃げてしまい、スピルバーグとの関係を断ち切ってしまった。アレックスもスピルバーグ同様立ち回りや工作が巧みで、もみ消し行動にも通じるものがあります。
その他海岸に車列の画は「攻撃命令」の回でも言及がある映画『市民ケーン』で観たような。『ケーン』の監督はやはり天才鬼才小生意気若造のオーソン・ウェルズで、キーワードとなる橇はスピルバーグの所有物とか。あっちこっちで意図的な繋がりを感じられます。
また「スタンリー」という映写技師が出て来たりシュトラウスの「美しく青きドナウ」が流れる辺り、やはり天才鬼才スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』へのオマージュもあるようです。
劇中”ACM”という社名が登場します。これを逆に並べると”MCA”。『コロンボ』の製作会社=ユニヴァーサルの親会社名になります。イタズラですね。こんな知識で再見時の面白さがどれだけ上がるか…
ルース・ジャーニガン役のモリー・ヘイガンについて、「4時02分の銃声」でも声優が佐々木優子さんという組み合わせは同じです。新『コロンボ』ではカナメになるような所で佐々木さんは5回くらい起用されており、演出の左近允さんのお気に入りだったようです。私も佐々木さんの声大好きです。
なお、石田太郎さんは生前BS11の「柳家喬太郎の粋ダネ!」に出演(2010年)された際、新シリーズのコロンボについて「仏様が手の上で転がすように、犯人を追い詰めて行く」という、住職でもあった石田さんらしい表現をされていました。コロンボ愛好家のどなたか御覧になっていないかしら。
長文失礼致しましたっ!
このエピソードは、違和感てんこもりです。
コロンボは、いきなり犯人の事務所に現れたので、あまりに話が出来過ぎだと
思った。それは、死体のあった現場に落ちていた本に書かれた電話番号などに
よって犯人の事務所に現れたのだった。そしてトラベラーズチェックで被害者
の身元確認です。唐突感があるものの、死体の身元が分からなければ話は
始まりませんから仕方ないです。
コロンボがアレックスを犯人だと思い始めた”時”が分かりにくい。
一度話が出来過ぎだと思い始めると、出てくるストーリーが臭い内容に思えて
くる。そして、いきなり犯行現場にたどり着くという・・・。
コレ何ですかねえ?。
確かにコロンボでは、コロンボがストーリーの裏で行っているだろう様々な
調査や犯人以外への聞き込みなどは省略されることが多い。
決定打は、ローズおばさんを買収したことですかね。それを見ていた証人多数?。
ローズおばさんの脅しは、別れのワインの秘書のカレンの脅しに似ています。
重役からの突き放しは、秒読みの殺人にも似ていますね。
結局、犯人は観念したんですか?。シマリの無い終局でした。
コロンボがアレックスを犯人だと確信したのは、アレックス専用の休憩室のソーダ・ファウンテンに残されていた飲みかけのクリームソーダのグラスを使った捜査のデモンストレーションで、レニーの指紋が付いているグラスをコロンボが証拠として持ち帰ろうとした時のアレックスの反応や、コロンボが一旦去った後、アレックスがグラスを流しに叩き付けた直後にコロンボがドアを開けてアレックスの反応を確かめた、この時だったのでは?グラスを洗おうとして、うっかり手を滑らせて落とした可能性も有るので、直ぐにドアを開けてアレックスの表情を見て、反応を伺ったのだと思います。死体の近くに落ちていた本の表紙に書かれた電話番号はアレックスのオフィスのものだし、必ず何か関係が有る。そこで、グラスを使って捜査のデモンストレーションを見せて、アレックスの反応を確かめた。
私もそれらのご意見には賛同します。
タップおばさん、早々に追い込まれる感が、この作品の魅力のようにも感じます。
葉月2さんありがとうございます。「遊園地のBGMのような音楽」ですね、私も大好きなポイントです。
撮影所というアイテムをとことん使った見ごたえあるシーンの連続で、飽きのこない回。
しかし犯人は、
いきあたりばったりな殺人故に、早々に目を付けられたり、物証がぞろぞろ出たり、
逃げ切れる感ゼロでした。
いつもコロンボ作品を見るとぼろんこさんのブログでおさらいさせていただいています。
友人を罠に誘い出して殺害するシーンはちょっぴり怖いですが、どこか遊園地のBGMのような音楽もプラスされ、幻想的な演出が自分は結構好きでした。
コロンボが映写されている映像に驚くシーンは茶目っ気がありますよね。