Murder, a Self-Portrait / 1989
- 脇役俳優「ヴィトー・スコッティ」の出演作品。
- 「シェラ・デニス(シーラ・ダニーズ)」の出演作品。
- 「愛犬ドッグ」の出演作品。
- マックス・バーシーニ「BMW・325i・カブリオ」
- バーシーニ家 「BMW・735i」 「ボルボ・760」
美しい作品ではあると思いますが…
画家マックス・バーシーニ(パトリック・ボーショー)が隣に住む前妻ルイーズを殺害。犯人の存在感、浜辺の豪邸付近で繰り広げられるシーンは、とても美しく描かれています。が、コロンボ作品としてはちょっと不満な面も…。
心理描写のシーンはコロンボ的でないよね
犯人である画家がコロンボの絵を描いてあげる。その被写体の男に犯行が暴かれようとしている‥という変な人間関係。目障りではなかったか(笑)また犯行のきっかけである「前妻と心理学者の再婚」というエピソードは良いのですが、心理描写(夢)のモノクロシーンは、ぼろんこの好みではありませんでした。夢を何度にも分けて説明するのも、引っかかりました。
冒頭の犬コンテストは…
本題とはほぼ無関係と思われる、冒頭の犬コンテストのシーン、名犬「キング・アーチボルド」の飼い主との会話。以前のコロンボ作品にはこのような無意味な仕掛けは少なかった気がします。「アーチボルド」の名は、34話「仮面の男」でネルソン・ブレナーの口からも出ています。→愛犬ドッグ
シェラ・デニス(シーラ・ダニーズ)が久々の登場
バーシーニの二番目の妻ベネッサは、ビーターフォークの奥様としても有名な「シェラ・デニス」。42話「美食の報酬」で、料理評論家のポール・ジェラードの秘書を演じてから約10年ぶりの再登場でした。この後にも数回、新・刑事コロンボに登場しますが、今回が一番髪の色が黒かったです。
名優ヴィトー・スコッティが最後の出演
また舞台となるレストランのオーナー「ヴィトの店」の店主は旧作・刑事コロンボシリーズで数回出演している名脇役の「ヴィトー・スコッティ」です。これまでは「ちょい役」が多かったのですが、今回は満を持しての登場で、かなり重要な役割でした。
久々の大物登場
バーシーニ役のパトリック・ボーショーは流石。日本語吹き替えは「森山周一郎」さんで、むちゃくちゃ存在感ありました。35話「闘牛士の栄光」リカルド・モンタルバンに匹敵する迫力でした。森山周一郎さんは宇宙大作戦(TV版スタートレック)のカーン(演:リカルド・モンタルバン)の声も担当しています。
マックス・バーシーニの家
海岸沿いのマックス・バーシーニの家は、言わずと知れたマリブ地区。刑事コロンボ歴代の犯人たち(笑)が居を構えます。
マリブ〜ヴェンチュラ(コロンボマップ)
監督:ジム・フローリー
脚本:ロバート・シャーマン
マックス・バーシーニ:パトリック・ボーショー(声:森山周一郎)
ルイーズ:フィオヌラ・フラナガン(声:沢田敏子)
バネッサ:シェラ・デニス(シーラ・ダニーズ)(声:塩田朋子)
ジュリー:イザベル・ロルカ(声:土井美加)
ヴィト:ヴィトー・スコッティ(声:村松康雄)
ハマー医師:ジョージ・コー
ラルフ:デビッド・バード
加筆:2024年8月29日
夢のシーンが長すぎ!
死体の唇についた赤の絵の具が物証でしょうか?元妻が誤って私の布を持っいてつけてしまったのでは?は苦しい言い訳でしょうか。隣に住んでる元妻なら誤ってそんな布を持っている可能性もある。またホームズのソア橋みたいに元夫をはめるための工作とも主張できるのでは?
目撃者もなく、物証が絵具だけでは有罪判決までは至らないと思います。
この作品の評価については、確かに夢判断など、コロンボのストーリーのスタイルとしては何ともですが、何人かの皆さんのおっしゃるように、映像と音楽の美しさは好きです。パトリック・ウィリアムズさんの音楽は、このブログでその素晴らしさを教えていただきました。七子さんのプッチーニとヒッチコックへのオマージュというのは私も同感です。
私は今作でも出たコロンボの仕事への考えが印象的でした。「殺人課はきれいな仕事」そうかぁ?笑。旧作では死体を見るのも触るのも嫌がっていたと思うのですが、心なしか新作では気にしていないように見えます。
大好きな森山周一郎さん。私が最も好きだったのは、NHKで『シルクロード』とのタイアップでやったアニメ『マルコ・ポーロの冒険』で演られたフビライ・ハーンです。あのシブい素晴らしいお声は無二のものでしたね。御冥福をお祈りします。
今観ると夢分析が興味深いエピソードですが、解釈がフロイトみたいで、つまり理屈っぽくて古臭い、あるいはパロディみたい。
ただし、新しい時代の米国ドラマや映画のサイコスリラーを意識したのではないか、そういう意味では成功はしていないが意欲的な試みだったのではないか、と思っています。
今回は原語だけで観ました。
本作はミステリーとしてではなく、純文学の映画化、たとえば村上春樹:『ノルウェイの森』(話題の『ドライブ・マイ・カー』は未見なので)の映画化作品くらいのつもりで、しかし、むしろ出来る限り気楽に接して観るのが楽しめるコツだと個人的には思っています。美しい海岸線の風景と、画家と3人の女性との微妙なバランス関係、その一角が崩れたことによる全ての崩壊と喪失、愛する女性を一度全部失った中で、コロンボをモデルにした絵が完成し、これから懲役に服すものの、画家としての新たな再生へのかすかな希望・・・(村上作品だったら、やはりここで、どうしても女性が一人だけでも戻ってくる必要があるか?・・・笑)。
音楽が重要な意味を持つ作品でNHK-BS等でカットされているフルクレジット部の最後まで視聴するのが理想です。なお、DVDでも日本語吹き替えの欠落部は無いようですが、繰り返しますが、本作は絶対に原語鑑賞をおススメします・・・(森山周一郎さんの声も味があっていいのですが、本作の雰囲気とは何か違う・・・)。
※ここからは村上春樹:『ノルウェイの森』のパロディーです。
犯人のバーシーニが獄中で見た夢:
・・・・・・独房で私は「自分に同情しなさんな」というコロンボの言葉を突然思いだした。
「自分に同情するのは下劣な人間のやることですよ」
やれやれ、コロンボさん、あなたは立派ですよ、と私は思った。そしてため息をついて立ち上り、再び絵筆を握った。・・・・・・
最初に見た時には「なんじゃこりゃあ!?」と思いながらも、後になってジワジワと効いていくる作品があると思います。私にとってその筆頭は、リドリー・スコット監督・ハリソン・フォード主演の「ブレードランナー」。大学生の時にロードショーで観た際は「金返せ!」と怒ったものの、少し経ったらこの映画のシーンの断片が脳内にちらつくようになり、名画座にかかった時に待望の再会、その後は映像媒体を変えて発売されるたびに書い直し、現在は異なる5バーションすべてとカットされた場面の特典映像を収めたディスクのセットが家宝となっています。
前置きが長くなりましたが、この「殺意のキャンバス」は、私にとって「コロンボ」シリーズでちょっとそれに似たような存在です。いま時間がないので見直す余裕がなく、記憶によってしか書けませんが、西海岸の青い海と浜辺、1年前のコメントでジミー頁さんがコメントしたようにエドワード・ホッパーの画を思わせる屋内の場面、そして幻想的で不可解な夢のシーン、という三位一体?の舞台で繰り広げられる人間模様が不思議な印象を醸し出していました。ミステリドラマとしては正直弱いものの、ときおり思い出したように映像そのものをまた見たくなる作品で、YS-30さんの
>本作はミステリーとしてではなく、純文学の映画化
というコメントに、なるほどと膝を打ちました。
なお助演陣では、ヴィト・スコッティのほか、ぼろんこさんの記述では触れられていませんが医師(調べたらGeorge Coeという人が演じたハマー博士)もけっこう印象的だったという記憶があります。
「コロンボ」制作についてのノンフィクション”Shooting Columbo”などによると、第9シーズンの第1作として放送されたこのエピソードが、本来は一つ前の第8シーズンの最終話として制作され、旧シリーズの終盤と新シリーズの発足に関わった制作総指揮のリチャード・シモンズの最終作となりました。彼の「天才画家で何人もの愛人を作ったパプロ・ピカソをコロンボと対決させる」というアイデアがこのエピソードの発端で、ピーター・フォーク自身絵画を描くので、この案を喜んだとのこと。シモンズは前衛的なこの作品づくりに全精力をつぎ込んで憔悴し、体調を崩して医者が呼ばれたほどだったそうです。コロンボの肖像画を書いたのがJaroslav Gebrという画家であることは、荒野の狼さんが以前コメントしているとおりです。
この作品、今度の週末の時間のある時にブルーレイでまた観てみようと思います。
「ブレードランナー」は、私も今でも相当ハマっておりまので嬉しいです。69話「虚飾のオープニング・ナイト」は、ほんの少しだけ「ブレードランナー」の世界観の香りがして、若い犯人の二人もレプリカント的な雰囲気を感じました。前もどこかでコメントしたような記憶がありますが、コロンボも実はレプリカントだったのかも(笑)。コロンボがチリを頼むと、店のオヤジが、「二つで十分ですよ、わかってくださいよ」なんてシーンがあったら楽しかったでしょうね(笑)。
>「天才画家で何人もの愛人を作ったパプロ・ピカソをコロンボと対決させる」というアイデアがこのエピソードの発端
というお話は、なるほど!まさしく!です。芸術家は愛人を作ると、アートのインスピレーションが湧くケースは古今東西多いですよね。
ところで、愛人では無いのですが、ピーター・フォークのカミさんだったシェラ・デニスは「ファム・ファタール」だったのでしょうか。マクグーハンとは別な意味で、ピーター・フォークやコロンボの運命を、良くも悪くも変えていきましたよね。
YC-30さんも「ブレードランナー」のファンと知ってうれしく思いました。私は書いたように、バージョン違いは「2つでじゅうぶんですよ」というわけにはまったく行きませんでした(笑)。
ついでですが、「ブレードランナー2049」は、封切り時には持ち上げる評論家の方々もいましたが、私にとってはこちらは「金返せ!」という感想が今でも続いている、まったくの失敗作だと思います。ヘンに説明的な続編を作ることで、せっかくの第1作が作り上げた世界観を壊してしまった感があり、私の中では「なかったことにしている」作品です。
場違いの内容になってしまいすみませんでしたが、このところ毎週末は「コロンボ」をブルーレイで再度見ることが続いており、今週は「殺意のキャンバス」のほか、やはりシェラ・デニス(ダニーズ)が出演している別の某エピソードも見る予定で、後ほどそちらにコメントを書きたいと思います。
「ブレードランナー2049」は、上映時間163分と長過ぎましたよね。全体的に話のテンポ感が悪く、茹で過ぎた麺のように間延びしていました。一緒に観た友人も後日言っていましたが、あの映画、120分ぐらいに再編集して、それこそ元祖「ブレードランナー」の初期版のように、場合によっては主人公のナレーションなどの説明を入れ、音楽はエンディング・テーマも含めて全部元祖「ブレードランナー」のために作曲されたヴァンゲリスの曲に差し替えたら、相当良い印象の映画に一変すると思っております。
「刑事コロンボ」でも、旧シリーズでは26話「自縛の紐」とか、新シリーズでは、54話「華麗なる罠」とか、元々90分用に書かれたシナリオを120分に引き伸ばしている作品は、些細なことではありますが、たいてい改悪方向にしかなっていないんじゃないでしょうか。
「ブレードランナー2049」は、新しい主人公のKと、第1作の主人公デッカードを結びつけて両立させようとしたところにそもそも無理があり、その意味で何とも中途半端になってしまったと思います。どちらかに絞るべきだったと思うし、仮にデッカードを中心にするならば、この時点でのハリソン・フォードはすでに遅すぎた(彼がもう少し若い時に製作されるべきだった)と考えます。
個人的には、第1作のデッカードとレイチェルの行く末は、謎のままで残されたほうが良かったのであって、「2049」で”その後”を具体的に(とりわけCGで実際のレイチェルの姿まで出して)描いてしまったことにガッカリしました。といってもまったく触れないわけにはいかないでしょうから、Kあるいは他の登場人物のセリフで、ある種の伝説的な存在として、ちらっと匂わせるくらいにとどめておいた方がスマートだったと思います。
それから、雨が降りしきる夜のロサンゼルスが魅力的だった第1作に比べると、「2049」はそれより明るく、というより中途半端に薄明るく・薄暗く描かれていて、未来世界の雰囲気が(少なくとも私には)ぜんぜん伝わってこないのが不満でした。
「コロンボ」から離れてしまうので、ここらで止めておきます。
「ブレードランナー2049」は「ブレードランナー」の続編と考えないほうが、いいかも知れないですね。タルコフスキーへのオマージュなどがありそうです。着信音がロシアの作曲家プロコフィエフの「ピーターと狼」だったり、いろいろタルコフスキー的だとは感じました。まったく「ブレードランナー」とは別物で自分の中では無かったことにしたい・・・・・・、何だか「刑事コロンボ」の某回に私にも同様な気持ちで、思い当る節がありました(笑)。
2049年の現実のロスアンゼルスは、果たしてどうなっているのでしょう。
殺意のキャンバス
女が3人いたから危険な関係も安定してたのに、犯人が余計なことするから
その形が崩れたのでござるねぇ、
そういえば昭和アイドル歌謡に 石野真子が ”春ラララ”って曲で
”春という字は 三人の日と書きます。あなたとワタシとそして誰? あなたと付き合う前の彼かしら・・ 会ってみたいなひさしぶり! 何か起こりそうな予感が・・” って歌詞が!!
それ、よくない事しか起こりそうな気しかしないでござるわ!!
そして、この殺意のキャンバスも、一人欠けたことで三角関係化、予想に違わず
ほうれみろ! 修羅場になりおった!
と思っておるのは拙者だけぇ??
「春という字は、三人の日と書きます。」を
思い出させていただいて、心より御礼いたします。
初めまして、いつも楽しく拝見させて頂いています。
私がはじめて刑事コロンボに出会ったのは、「ロンドンの傘」の初放送のときで、今調べたら1973年、その頃私は19歳でした。始めから犯人が分かっていること、コロンボがあっと驚く証拠で犯人を追い詰めるところ、そして彼のキャラクター、何もかも新鮮で魅了されました。
まだネットもビデオもない頃ですから、追っかけてるつもりでも、随分見逃した作品もあり、今回、全作品放送となって、これが私に取って人生最後の鑑賞かな?と思いつつ見ています。
あらためて見直すと、若い頃感心した作品が、今見ると左程でもないと思ったりしますが、
この「殺意のキャンパス」は今回見て、とても凝った作品だなぁと思いました。
他の方も指摘されてましたが、犯人が画家である事からか、酒場の2階のセットはプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」のセットのオマージュの様でしたし、使われてる音楽も、挿入の仕方も、終始プッチーニを思わせる物でした。
ほぼ全編に効果的に使われてるので、陰惨で身勝手な殺人が、どこと無くオペラを観てるような感じで見てしまいました。
夢のシーンをモノクロで描くのは、ヒッチコック風?と思ったりもしました。
最後のコロンボの肖像画も見せないでおわりかな?と思いましたが見せてくれましたね、しかもなかなか味のある良い絵でした。
私に取っては拾い物の一本となった作品です。
長々と失礼しました。
なるほど、プッチーニですね。
おかげで、次に見るときは、それを意識してみます。
ありがとうございます!
お初にお目にかかります。
最後のコロンボ警部の肖像画の光の方向が逆な気がします。まさか別の場所で写真などを見ながら描いたのでしょうか(笑)
他の点については皆様のご指摘されるとおりです。映像的にとても美しく、全作品通してちゃんと見ていない私にとっては見やすく好きな作品です。
森山周一郎さんの声は渋いですね。ご冥福をお祈りします。
かろんぼさん、ありがとうございます。「光の方向」次回見るとき確認いたします。
・今回の犯行はコロンボ史上最も大胆な犯行じゃないでしょうか。真昼間の晴天下、開けた屋外での犯行。秘密のビーチといったって監視員が度々目にする所ですし、犯行の瞬間でなくてもマックスがルイーズと一緒にいるのを目撃されただけで計画が破綻します(犯行の瞬間マックスは、崖の上(車を停めてある場所)には注意を向けていないように見える)。
計画犯行の割には、普段使っているウェスを犯行に使う、しかも処分しないなど、杜撰というか「バレてもいいや」ぐらいの開き直りが感じられます。
・「周囲の人間には犯行時にある場所にいたと思い込ませて、抜け出して犯行に及ぶ」というのは「魔術師の幻想」や「秒読みの殺人」でも使われたトリックですが、今回のはかなり危うい計画です。ヴィトがもっとせっかちで早く部屋に踏み込んできたらどうするつもりだったんでしょう。せめて施錠するとかしないと。
新シリーズについては、ミステリーの完成度よりも、人間の愛憎劇とか映像表現を評価すべきなのかなと思っています。
・今回は、開始から犯行までの尺が一番長かった(20分超え?)ように思います。
・マックスは3人の女性間の嫉妬や緊張感を使って彼女らを自分に従わせていたわけですが、ルイーズには「手を噛まれ」そうになって亡き者にし、あとの2人には嫉妬が激しすぎるのを仲良くさせてうまく事を運ぼうとしたつもりが逆効果で揃って「手を噛まれ」るという、冒頭のドッグショーの一件が伏線になっていたと感じました。
・やはり夢診断は頂けません。マックスが言う通りこじ付けが過ぎ、「それ、知ってないと辿り着かない答えでしょ!」と突っ込まざるを得ません。
やはり、僅かな違和感や矛盾点をコツコツ拾い集めて追い詰めていってこそコロンボだと思います。
・そもそもハリー殺し疑惑を筋に入れたために「偶像のレクイエム」と同じように、話の筋が複雑になり、あまりすっきりしない展開になっています。もっと単純な秘密(マックスが絵の売り上げをごまかして脱税しているとか)にした方が良かったと思います。
・夢の再現場面の映像表現は旧シリーズに無い凝りようで、評価したいと思います。
冒頭のドッグショーの一件が伏線>そういうことですか!
ヴィトー・スコッティに再会できました!
新シリーズを見続けた甲斐がありました。
本作は森山周一郎さんの存在感で
お腹いっぱいです。
夢判断は好きになれないですねぇ。
ヴィトー・スコッティ!
私も初めて本作を見たときは、飛び上がりました。
犯人役の俳優さんがとても素敵でした。彼の他の出演作品も見たくなりました。コロンボが追い詰めても、あせる様子も無く芸術家として世の中の些事を超越した雰囲気が良かったです。
モデルさんはコロンボと話している時の表情に愛嬌があっていい感じでした。
謎解きの方は大方の意見通りで特に目を見張るものはなしです。
図太いですよね。
ストーリーとは関係ないのですが、後半コロンボがヴィトの店に検証に愛車で駆け付けたときに、背景に映るレコード店の名前がペニーレーンで嬉しかったです。あのロケ地に元々あるのでしょうか。
よく見つけましたね〜。赤い看板。
バーシーニ・レッドの原料は、夢の解釈からは生物(なまもの)しか考えられませんね。誰もコメントしていませんが、恐ろしすぎて書けない/書かないということですね。
ヴァネッサの後、すぐに出て行ったジュリーが囁いたはずのセリフが聞こえませんでしたが、ここは原語でも聞き取れない、想像するしかないものでしょうね。バーシーニの女性への悪態「売女!(ばいたっ!)」はコロンボでは珍しい汚いセリフですが、原語ではやはり「Bitch!」ですか?
えっ、その原料は違うと思う。乾燥したら黒っぽくなるでしょう?
誰も書いてないのはそんなホラーなドラマとは思ってもないし、まずドラマ制作側も考えてもないから。
ただし、殺人者の描いた絵ですから、象徴的に「血塗られた絵」という表現は狙っているかもしれませんね。
とにかく、実際の原料ではありません。
血液は固まると黒っぽくなってしまうので、バーシーニ・レッドの原料にはなり得ませんね。映画では血液をトマトジュースから作るという話を聞いたことがあります。血液を使った赤なんて現実にはないし、架空の世界でも現実性がなさそうです。バーシーニ・レッドが殺害された「鼻眼鏡氏」の血から作られたのではというのは、ルイーズさんの妄想だと捉えるべきかもしれません。
はじめてサイトを見させていただきましたが、素晴らしいです。以下は私の「殺意のキャンバス」に関するコメント。
「殺意のキャンバス」の原題は、「Murder, a Self Portrait 殺人、自画像」であるが、邦題、原題ともに、画家が犯人である点では当てはまる部分があるが内容とは関係ないと言える。本作では、キャンバスに殺意はないし、自画像も登場しない。
本作は、コロンボが愛犬ショーに参加するところから始まり、個性的な上記4人の人物の他にも、心理学、絵、過去の犯罪など、興味を引く内容が詰まっており、最後までドラマとしては飽きさせない。ただ、コロンボの名作に見られるような緻密な構成はなく、視聴者が重要な伏線となるかと期待する要素が、中途半端にしか生かされずに終わってしまっているのが残念。小さな複数の要素から、一つ決定的なものが見つかり、事件解決という形になっていないのが犯罪ドラマとしては物足りない。
伏線として生かされていないのは、冒頭の愛犬ショー、コロンボの袖についた絵具(これはコロンボの名作「二枚のドガの絵」のような展開を期待したが残念)、過去に起こった犯罪の決着(旧シリーズのコロンボであれば、酒場の地下室の捜索は事件解決前に終わっているところだが、本作では想像に終わっている)。ピーター・フォーク自身が画家であるので、本作では、絵画に関する要素が決め手になるかと期待したが(たとえば画家の独特の「赤」は画家の秘密の工程でフレッシュに作られるという設定であるため、この「赤」は酒場の二階では作りえないとするなど)、そうした工夫もなかった。
本作でハイライトとなったのは、事件そのものより、犯人の画家が、コロンボをモデルにして描いた絵。ラストでそれが明らかにされるところが、謎解き以上に興味をひく。この絵を描いたのはチェコ出身の画家Jaroslav Gebrで、2020年の8月を最後に、この絵は限定20枚で4回にわたり販売されたが(合計80枚)、現在は売り切れ。Gebrのウェブサイトでは、本作に登場するモデルのジュリーを描いた二種類の絵も販売されていたが、こちらも現在は売り切れである。ちなみにGebrは、コロンボの「忘れられたスター」に登場するJanet Leighの肖像画も描いている。
荒野の狼さま、
画家Jaroslav Gebrの情報ありがとうございました。
> 本作では、絵画に関する要素が決め手になるかと期待したが(たとえば画家の独特の「赤」は画家の秘密の工程でフレッシュに作られるという設定であるため、この「赤」は酒場の二階では作りえないとするなど)
僕もまさにここに書かれた決め手を想定していましたが残念ながらハズレました。
次のようではいかが。
「ここに○○のワインが美しい赤で描かれていますね。でもね、マックスさん、このワインは前日に品切れになっていて、この絵が描かれたのは2日以上前って事です」
新シリーズの中では、かなり好きな作品です。
BGMがロックではなく、クラシックだから、しっくりくるのかも知れません。
ニーノ・ロータの「ゴッド・ファーザー」をちょっとホンワカさせた感じ?
コロンボの肖像画は、トレンツ・リャド風? もしくは、ラインハルト・サビエ風?
クラシックと絵画、良いですねえ。
バーシーニさんは「長渕剛」のイメージです。
初投稿です。
いつも楽しく拝見しています。
旧シリーズは記憶にあったのですが、新シリーズはほとんど覚えていなくて、新鮮な気持ちで見ています。
私がTVを見ているのを、隣のキッチンで聴いていた息子(23歳)が、「だめだ、紅の豚にしか聴こえない」と言っていました。森山周一郎さんの声の存在感。
私などは「刑事コジャック」。
ラストに出てくるコロンボ画が何度も欲しいなぁと感じる今日この頃です。
あれはどっかの局の倉庫にでもあるのかなぁ
それとも撮影終了とともに廃棄とかしちゃったのか、、、
私もこの肖像画に興味があったので、調べてみたところ、gebrartというサイトからプリントポスター的なものを手に入れることが出来るようですが、今はsoldoutのようですね…。
値段は枠入り500ドル、枠なし300ドルです。リンクは承認が要るとのことなので張りませんが検索すればすぐ出てくると思いますよ。
でも私はどちらかというと、バーの絵の方が欲しいですね。私の大好きな画家エドワードホッパーの有名なバーの絵「Nighthawks」と色使いがとても似ているので、恐らく参考にしたのではないではないでしょうか。
ちなみにバーシーニ役のパトリックポーショーは一時プロの画家、ピーターフォークも絵がプロ並みということでマルチな才能があるとは羨ましい限りです。
「ビトーのバー」と「コロンボの肖像画」
とても同一人物の作品とは思えません。
さすが、天才バーシーニ(笑)
マリブのお洒落な家いいですね。
海の砂浜まで個人の家を建てられるのは昔売っちゃたんでしょうね。
コロンボMAPを見させていただくとアメリカにしては建坪率も甘いですね。
今じゃ少ない物件だからマリブの海沿いの家はめちゃくちゃ高いんでしょうね。
そんなつまらないことと森山周一郎さんの声の良さが特に印象に残りました。
「BARSINI」という郵便受けの綴りを見て、「別れのワイン」のCARSINIさんとよく似た名前だな、この人もイタリア系なんだろうか、と思いました。俳優はベルギー出身で、つまりフランス系らしいけど。
「大胆不敵なダンディ野郎」という、典型的なコロンボ犯人像なのですが、しかも虚勢とかハッタリじゃなく本物の天然ぽい。コロンボも圧倒されたのか、いつもの揺さぶりが弱いんですね。現場とかアリバイの矛盾点を詳細にネチネチ詰めたり、帰ると見せて「あ、あとひとつ」をやらない。誰か周辺人物が裏切ってコロンボに協力することもなく、犯人に追い込まれ感がない。「画家」という、奪いようのない才能の持ち主なので、「社長」なんかと違って、地位への執着感もない。
「ダンディな犯人」ランキングでは、ジャック・キャシディ3部作も上回るかも知れません。惜しいのは、ジャック・キャシディ3部作ほど手口が複雑でなく、サスペンスが盛り上がらないこと。「余計な要素が入ってる」のではなく「入れるべき要素を入れてない」からこその低評価でしょうか。第46話以降の新作は旧作と較べて評価が低く、視聴者アンケートをやると全部旧作が占めてしまいますが、新作限定のアンケートなら、どうなるでしょうか? 「狂ったシナリオ」みたいに派手な展開だったら、却って犯人のダンディさが埋もれてしまったかも知れない。犯人がダンディ、でも話が平版。やはり、キャシディ3部作ほどの高評価はつけられない。本当に惜しい作品です。
ヴィトー近くのレコード店の名前がペニーレーンでした。ちょっと嬉しいですね。
確認しました、嬉しい!
夢のシーンはリンチの映画を思い出しましたわ。きっと意識してますよね。新シリーズは旧シリーズのような切れ味はないなぁ。
ボヨヨン様!
夢のシーンでリンチの映画を思い出す!まさしくその通り!意識してますよねきっと。(笑)
ん、相棒のドッグ、新シリーズここまで全話出場でしたかね?(笑)。
旧「コロンボ」は虚飾の仮面を被った上流階級の世界にいつも複雑な感情を抱いている印象でしたが、「新」のコロンボは遊んでいるような感じでねえ。
今回の放映に関しては、先月の森山周一郎氏の逝去につきますね。「コロンボ」本編より結果として追悼企画になってしまった感があります(涙)。
初めて見ました。
プロットは異なりますが、クリスティの5匹の子豚を彷彿させるような。
叙情的なセリフ運びもあり、新シリーズの中では好きな作品です。
久しぶりに見ましたが、良かったです。
ぐるねるさん、私も観ていて5匹の子豚を思い出しました。
小説よりTVドラマ版の方が印象は強いですが。
画家の一方的な思い込みに、周囲が巻き込まれてしまうんですよね。
ラストで敵対していたふたりの女性が一緒に旅立つところはポワロの他の作品であったと思います。
冒頭の犬コンテストは無意味な仕掛けとありますが、妻たちの反乱の伏線では?飼い主がライバルに関心を向けるといずれ謀反を起こすというような。コロンボの絵を描いてあげるのも、芸術家と通ずる視点の鋭さ(コンタクトの件)に対する共感や敬意からであって、私はわかる気がします。「別れのワイン」のような刑事と犯人の互いの敬意まではいきませんが、犯人の直情的で素直な性格が憎めず、新シリーズの中では好きな作品の1つです。
しちりんさん、コメントありがとうございます。
殺意のキャンバスへ1票追加します。
ヴィトの店で流れていたのはヴェルディ作曲の「アイーダ」、店の2階はプッチーニ作曲の「ラ・ボエーム」に出てくる屋根裏部屋にそっくり。夢の白黒のシーンのネグリジェはオペラ「夢遊病の女」の衣裳のよう。BGMは色々なオペラの伴奏を彷彿とさせます。コロンボに「絵描き」と言われて「芸術家」と言い返す犯人の行き方を表現したかったのでしょうか?
森山さんの吹き替えだけで見ている感じの作品ですが…動機の解明が夢解釈というのが微妙ですね。コロンボらしさと言えば、あの執拗な攻めですがこの回は焦点がぼやけた感じで終わってしまった。何回見ても首を傾げる作品ではあります。森山さんは良いんですけど!
夢のシーンを使うというのがコロンボ作品においては違和感ありありなのですが、
それ以外は大好きな作品です。
パトリック・ボーショーがセクシー過ぎ。
女性3人もそれぞれセリフ回しが秀逸です。
それこそ綺麗な絵画を見てるようで、劇画のような展開、カタルシスが物足りない感じですかね。
私はこの作品がめちゃくちゃ好きで、何度も観ています。禍々しいお話ではありますが、音楽、美しい海、素敵な男、、、家に居ながらにしてバカンス気分に浸れます。何より犯人役のPatrick Bauchau がとても魅力的で 悪い奴なのにウットリ…。
そうですか!
嬉しいコメントです。1票追加しますね。
私もこの作品のストーリー性はおいておいて(笑)
景色の素晴らしさは、圧巻でした
海の潮の香りまで満喫できました
★v/スコッティ素晴らしい
キャブ・キャロウェイですね、心置きします。
脇役ヴィト・スコッティ。いいですよね。
ところで、彼はキャブ・キャロウェイ(1930年代に活躍)というミュージシャンのそっくりさんなのです。ぼくはキャロウェイのレコードを所有していますが、youtubeなどで古い動画を見ることができます。
映画『ブルースブラザース』にも出ていて、ヒット曲『ミニー・ザ・ムーチャ』を熱演しています
二年前の返信、お許し下さいませ
キャロウェィのレコードですか?
早速、YouTubeを開いて、ビックリです
すごいですね~
ちょろんぼさん、ありがとうございます。あとで作品をもう一度見てみます。少し好きになる気がします(笑)
嫌い派が多いようなので、好き派の感想を少々。
・台詞がウマい
詩的と言いますか、皮肉っぽいと言いますか、何とも味のある台詞に序盤から引き込まれます。
3人の女性との夕食時などの会話は、芸術家なら自然に口にしそうで、また、先妻の独白も哲学的でした。
「女房の相手をしてやらんと」
「前の奥さん?今の奥さん?」
「どっちみち同じ」←この台詞最高
・コロンボが心理士を逆カウンセリング
フロイトの有名な手法の、自由連想法をコロンボが心理士に行っています。
ちょっと心理士さぁ~ん!と、ツッコミ&ほんわかタイム。
・「嫉妬」の描写
女性3人が関係しあっている時点で、出演確定のお約束感情。
冒頭の犬大会は、「犬ですら嫉妬するんだから女性なんて…ねぇ?」という、世の男性への警告でしょう。(犬に嫉妬感情があるのかは置いておきましょう)
さて皆様、好き派になって頂けたでしょうか?
この作品は、好きな人が少ないですね…。騒がしい感じがなく、BGM的に流しておくのは悪くありませんよ。森山周一郎さんの声が良いのかな。俳優とイメージが異なるという意見もあるようですが。
皆さん、酷評されていますねぇ(^^;。私も同感です。
キャストも舞台も充分だっただけに、うまく「描ききれなかった」感ありありです。
この設定、逆にしたら良くなったかも知れないですね。
抽象画家が被害者で、彼を取り巻く妻、モデル、画商の女性三人が容疑者。
画家が残した抽象画を手がかりに謎を解く。
画家が画風を変える決断をしたことで、モデルか画商が、もしくは離婚を決意したことで妻が発端で過失致死。
キモは画材に精通していないと、なしえない犯行(例えば、昔のカドミウム系の画材には毒素系の材料が使われていました。)
最後に犯人が「画家もイヌと同じ。褒めて育てるのよ。」とうそぶくことで、冒頭の犬コンテストのエピソードが効いている・・・ってことで(^^;。
失礼しました。
それにしても最後のコロンボ画はうまかったなぁ。宮廷画家レベルですね。
初めてお邪魔しますがいつも楽しく読ませていただいてます。
この作品は音楽が印象に残ってました久しぶりに観て納得しました。「死者のメッセージ」「秒読みの殺人」等音楽的に素晴らしい作品を手掛けたパトリック・ウィリアムス氏でしたから。新シリーズも参加してたのですね。
夢の解釈は今見ると滑稽感すらあります。30年前って心理学的に夢をあんな風に重要視してたんでしょうか。そういえばルイーズの夢のシーンを見てたらヒッチコックの古い映画「白い恐怖」を思い出しました。夢から深層心理を探るシーンを映像化するとしたらあんな感じになるのかなと。
まぁあそこまできちんとストーリー仕立てになった夢をみるなんて考えにくい。コロンボがストロベリーブルーベリーからバリーを、おじさんからモノクルを思い付くのも強引すぎる気がします。
ヴァネッサとジュリーのサウナでのシーンは好きだな。ヴィト氏も相変わらずいいキャラしてましたね。
特異な展開ではあるものの、ただ、ダラダラ流れるだけで、
感想をひねり出すのもむつかしい。
ルイーズ、ヴァネッサ、ジュリーの中で、年齢を度外視すると、
ルイーズが表情豊かでいちばんカワイイ。
バーシーニの言葉で印象的なのは、コロンボの絵を描く前に、
・その顔だち、そのキャラクター、人生の裏をすべて経験してきた殺人課の刑事
・警官の魂だ、暗くねじ曲がり、情け容赦ない
もう一つ感じたこと。
この犯人役の吹き替え、森山周一郎さんが全く合っていない。
「売女!!」とかは特に、
大きな違和感を覚えました。
なんとも釈然としない、記憶に残らないストーリーです。
長々と問答したルイーズの夢の話は、何だったのだろうか?。
いや分かりますよ、ルイーズの深層心理の描写が、過去の犯罪を暗に告発して
いることは。でも、なんだかなあ。
結局、安直・急転直下、突然に、逃れられない決定的証拠を唐突に出されて
一件落着ですか。あーあ。これでは、また、すぐにも内容を忘れますね。
シェラ・デニスは、いつも性悪女(しょーわるおんな)がむいていますね。
名作になりそうな舞台なのですが、残念ですね。
コロンボは被害者の残した音声テープを聞いて、
そこから過去の出来事を見破った。
ところが被害者の交際相手の心理学者シドニーは、再三被害者のカウンセリングや治療をしていたにも関わらず、全く真実を導いていない。
どれだけ無能なんだ?この心理学者。
と感じた回です。