- CIAハロー「キャデラック・セダン・ストレッチド・リムジン」
初期シリーズから一転、高インパクト重視な印象
超能力者、エリオット・ブレーク(アンソニー・アンドリュース)は、かつてウガンダの刑務所で裏切られたマジシャンのマックス・ダイソンをダイソン自作のギロチン装置で殺害。
テーマ・殺害方法・解決シーンなどは、これまでの刑事コロンボシリーズと比較し、やり過ぎと思えるほど劇的です。これも、新シリーズのスタートを強烈に印象づけたい狙いでしょうか。
ピーター・フォークの日本語吹き替えは石田太郎さん
コロンボシリーズの醍醐味「心理戦」は健在
自殺でないと否定されたブレークは、事故だったと方針転換し、苦しい状況に拍車がかかります。コロンボ警部は「マイナスドライバーの矛盾」などにより「殺人」だと断定しながらも、ブレークに「自殺説」「事故説」を口にさせ、心理的に追い込んでいったのでしょう。
マックス・ダイソンは素敵だった
新シリーズの女性像
新シリーズの脇役俳優像
CIAのハロー氏
アロヨとフリードライブ
ブレークがいかさまトリックに使った地図は全ページ「アロヨとフリードライブ」だった?そして赤い点はあらかじめ打ってあった?それが国防省にバレないってこと‥ある?と、少しぼやかせてください。さてこの「アロヨ」はロサンゼルス北東のパサデナ近くにあるようです。しかし、例の地図とは地形が違う…気がします。→コロンボマップ
エンディングはユニークにまとめる
これは新シリーズの特長と言えるかも知れません。旧シリーズでは割と「スカッと決めておいて、コロンボ警部自身は少し後ろめたい表情をして止まる」パターンの方が多かった気がします。今回は特に「血なまぐさい」展開でしたので、最後だけは口元が緩むような終わり方にしたのでしょう。
エリオットブレークの吹き替えは野沢那智さん
野沢那智さんは、8話「死の方程式」で犯人のロジャー・スタンフォードを演じて以来2度目の犯人役。私は少し演技が大袈裟かな…と感じてしまいますが、ブログゲストの方々などには好評です。
監督:レオ・ペン
脚本:ウィリアム・リード・ウッドフィールド
音楽:ジョン・カカヴァス
エリオット・ブレーク:アンソニー・アンドリュース(声:野沢那智)
マックス・ダイソン:アンソニー・ザーブ(声:阪脩)
ポーラ・ハル:カレン・オースティン(声:藤田淑子)
CIAのハロー氏:アラン・ファッジ(声:樋浦勉)
バート・スプリンガー:ジェームズ・グリーン
ドリー:ダナ・アンダーセン
トミー少年:マイケル・バコール
エックハルト大佐:チャールズ・ハワートン
ルッソ刑事:ロバート・コスタンゾ
検視官:ミルト・コーガン
エディ:レニー・ヒックス
最終加筆:2024年8月29日
新シリーズのコロンボの声を担当された石田太郎さんについて。
彼は俳優としても様々な映画やドラマに出演されていますが、今年になって改めて観て私が夢中になり嵌った彼の出演作品に、『仮面ライダー555』(2003年1月- 2004年1月)があります。この中で、石田さんは添野錠二という刑事役でレギュラー出演されていたのですが、初回から、しわだらけのコートを着て、まるでコロンボさながらの外見で登場します。話し方は、さすがにコロンボとは演じ分けされているのですが、添野刑事のほうも渋くて素敵です。
『仮面ライダー』などというと、こちらのブログの読者層のストライクゾーンから完全に外れ、無視する人や馬鹿にする人が大半でしょうが、昭和のシリーズとは別次元の、「平成第一期」と呼ばれている作品群中で、この『仮面ライダー555』や、前作『仮面ライダー龍騎』(2002年2月- 2003年1月)は、完全に大人世代も対象にしていて、「善とは何か、悪とは何か」とか、「誰を信じ、誰を信じないか」という物凄く難解なテーマを大人向けドラマや映画以上に真剣に深堀していて、虚心坦懐に鑑賞すると、いろいろなことを考えさせられる、知る人ぞ知る大変な傑作だと思います。
『仮面ライダー555』も、作品登場から昨年20周年になりましたが、今でも人気があり、子供時代にこの番組をご覧になった方や、当時、男の子を持つ親で、一緒に観ていた、お母さん、お父さん世代には、私のこのコメントの主旨をよく理解していただけると信じています。
というわけで、名優石田さんのコロンボも、小池コロンボ同様に、近頃ますます大好きになってきました。
原題 Columbo Goes to the Guillotine
「コロンボ、ギロチンにかかる」または「断頭台行きになる」
本作はマジシャンを扱った「魔術師の幻想」に超能力の要素を加えたものですね。ミニギロチンがまた出てくるし。
アメリカでは政府の諸機関が1960年代からごく最近まで超能力の研究をしていたそうです。冷戦下のソ連も同様です。超能力で対象者の心を読み取ったり、精神状態を変えることができたらすごい!と思って予算をかけて研究していたそうです。当然インチキ研究所が予算目当てにアプローチしたでしょう。最近は超能力者より電磁パルス/マイクロ波兵器を敵国大使館に照射する方が効果が高いそうです。
被害者は3ポンド(約1.4㎏)も塩漬け牛肉を買ってギロチンテストに使ったキャベツと一緒にコンビーフとキャベツの煮込みを作ろうとしていたのですが独身者には多すぎる量では?
やっぱり酷評が多かったですねえ。
コロンボ警部、年とってたからなあ。ロス市警、定年いくつだよって。
私は新シリーズを見始めたところなので、もう少し見てみます。
ギロチンはおそらく、両方safeだったという見解に私も一票ですね。
ただまあ、細かいことを言っていたらミステリ系のドラマなんて見られないので。
最初の殺人処方箋から、あんなツヤツヤした水死体があるもんか、って思ったし。
でもね、一番の謎はですね、
コロンボ警部は、例えばロンドンの傘でも、ロス市警一番の敏腕という設定なのに、
なんで出世してないの、というところなんですけどね。
権力の墓穴とかで公文書を偽造したことへの罰則かもしれませんが。
ダイソンが殺されるところ、何周もして知っているのに、怖い怖い怖い(>_<)とおののいてしまいます。同じマジシャンものでも旧作の「魔術師の幻想」とは大違いです。新シリーズに来ていきなりどぎつくなるんですよね。10年を経て、放送コードも緩んでいたのでしょうか。「秒読みの殺人」の時はギャングドラマが眉をひそめられていたのに。
最初に通報する店の主人、元警察官と言いつつ、バッチを見せてる?え、元なのになんでバッチ見せてんの?『コロンボ』では通報者が元警察官って時々出る気がします。
子どもマジシャンのトミーがいいですね。なんていう役者さんなんだろう?成長後も活躍しているのでしょうか。雰囲気が『がんばれベアーズ!』のテイタム・オニールに少し似ています。
コロンボは殺人課なのでしばしば墓地での葬儀シーンが出ますが、今回はマジシャン仲間勢揃いと言うことで、またいつもとは随分違う趣でした。マジシャンがみんな白装束だったのは、舞台では黒だから、逆にああいう場面では白になるのかななどと思ったり。
野沢那智さんは大御所ですね。アラン・ドロンの甘い声が一番有名でしょうが、こういう悪そうな人のちょっと甲高い演技も定番。この時はしばらくぶりの復帰始めだったのですね。ブランクを感じさせないさすがの演技で、すごくエリオットの役柄に合ってます。
トミー役は1973年生まれのマイケル・バコール(Michael Bacall)でテレビ、映画に色々出ています。実年齢よりずっと幼く見えるのはシシリー系で身長165センチだからか?2000年からは脚本も書いていますが、2009年ブラッド・ピット主演のイングロリアス・バスターズにも出演しています。
新シリーズがイマイチ不評なのは残念ですが、内容的にも残念な点が多い。
偽霊能者がCIAに入れたとして、すぐインチキがバレるでしょう。
(偽)霊能力を発揮して色々推理するが、コロンボに次々と否定されるシーンも、普通の犯人なら間違えても仕方ないけど、この場合否定された時点でインチキがバレてるわけで、犯人のインパクトや他の作品の犯人にあった魅力的とも言える個性がぶち壊しです。なんせ「ソムリエ」とか「詩人」といった個性ではなく、「預言者」ですから、預言が外れまくってる時点でアウトでしょう(笑)
犯人はあくまでもその道に関してはスペシャリスト。ワインの銘柄を外したり、ひどい詩を作ったり、ピアノを弾き間違えたり、手品をミスったりしてはいけないのです。
作品としての刑事コロンボは、犯人の魅力も物語の重要な要素として活かさなければ成り立たない。せめて徐々に魅力が薄れていく(ボロが出てくる)などの配慮が欲しかったです。
ちなみにこの作品の地図のトリックにおいて、「地図にXマークを書かれたらアウト」といった意見も出てますが、それに関してはあらかじめ細かい指示が出ていたのだろうということで私は無視してよいことにしています。
やはり新シリーズ、80年代は、日本も未曽有の繁栄を謳歌した時代。それでアメリカへの憧れ、逆異国情緒とでも言うような幻想を私達が失っていた、作品そのものもいいシナリオを集められなかったという諸要因が重なってちぐはぐで味わいに欠ける仕上がりだったように感じます。
本作の演出に関しては私のハッタリですが、超能力実験は番組スタッフ側で考えたオリジナル、ギロチンの仕掛けは古典的伝統的「芸」なのでタネをバラすとマジック協会から本気で訴訟されかねないので意図的にぼかしたのだと思います。
10年間のブランクの後、シリーズを再開する重圧とは、10年間操業停止していた老朽化した化学工場を、10年ぶりに再稼働させるようなもので、関係者に大変な緊張と重圧があったことがヒシヒシと伝わってくるような、ストーリーとは別なところで手に汗握るような、重苦しい新シリーズ第1作でした。
日本語吹き替え陣もそうだったようで、Blu-ray全集解説冊子の石田太郎さんインタビューによりますと、
《まず、やっぱり第1回ということで僕自身もそうだったんですけれど、これほどベテランの人でも、こと「コロンボ」となるとこれほど緊張するのか、と思ったのは、あの時は声優としての久々の復帰作という事情もあったのですが――野沢那智さん。一番初めの超能力のやつ(第46話「汚れた超能力」)ですね。・・・》
とおっしゃっていて、そう思って聴くと、本当にそんな感じの緊張ぎみな野沢さんの声です。
本作は、米国初オンエアが1989年2月、日本での初オンエアは1993年5月で、日本だけで考えれば、バブル景気の後先なんですよね。そんなことを考えても何だか複雑な気持ちになります。
ところで、超能力は存在するのでしょうか? 絶対に存在します!! 終わってから10年も経過した「刑事コロンボ」シリーズを復活させるだけでも奇跡であり、ピーター・フォークの凄まじい念力であり、まさしく「超能力」です。
それに、ヴィム・ヴェンダース監督の映画「ベルリン・天使の詩」(1987)によれば、ピーター・フォークは「元・天使」だそうです(笑)。
今までは傑作の多い旧作しか見たことがなかったので、今回はじめて新刑事コロンボを見ました。う~ん、こんな体験前にもあったなと思いましたがわかりました。子どもの頃、新トムとジェリーを初めて見たときのガッカリ感と全く同じ。慣れ親しんだ旧作と比較して、テイストがすっかり変わり、コレジャナイ感がすごい。そして面白くない。『火サス』レベルでは面白いのかもしれない。
一応、すべて見ようと思っていますが、見る気がおきなくて録画がたまりそう。というか既に3話溜まっている。『汚れた超能力』では他に、旧作ではよく見られたコロンボ以外の捜査官の気配が少なく、まるで私立探偵のように感じた。
・ホテルでのエリオットとポーラの場面で、一方にフォーカスを合わせて他方をぼかす技法は、あまり旧シリーズにはなかったと感じました。
・今回一番驚いたのは犯行手段がギロチンだったことでしたが、その次に驚いたのはポーラの髪の豊かさ。研究所での姿ではあんな量の髪をまとめているとは思わなかったので、ホテルで出てきた場面では一瞬誰?と思いました
旧シリーズは好きでしたが新シリーズはあまり面白くなかったので再放送をずっと観ていませんでした。今回の再放送は久しぶりなので録画しましたが、やはりコロンボにキレがなくなったなあと思いました。2点ほど。
1. 子役がコロンボにダイヤのエースの手品を見せますが、全部がダイヤのエースから成る手品用のカードを使えば簡単です。これが犯人と被害者が演じるテレパシートリック(地図の全ページがマーク済の同じ内容)の伏線だった、というのは考えすぎでしょうか。
1回目に彼が「中に入れて」と言って上半分のカードを右手に取って持ち上げた時に右手の一番下のカードが一瞬見えますが黒いカード(静止するとスペードのエースと分かる)です。手品用カードは使っていないのかなと思うと2回目は上半分のカードを右手に取って持ち上げた時の右手が不自然で、視聴者に一番下がダイヤのエースである事をわざと見せているみたいです。
2. 直接証拠がないので最後にコロンボが犯人に仕掛けるトリックがスッキリしません。犯人がギロチンの首抑えを「安全」にセットしたら一巻の終わりなので、この話は危険すぎてリアリティが皆無です。どちら向きでも安全にすると犯人が「危険」にセットした事を後から証明できないので、例えば「危険」にセットした時は刃が首抑えに引っかかって止まる様に改造すべきでした。
また、あの部屋には第三者がいないので、後から犯人に「首抑えを「危険」にセットして刃を落とせと言われたのですが、頭の良いコロンボさんだから事故は起きないと信じてその通りにやりました」と言われたら水掛け論です。犯人がコロンボに最初の殺人を自白するかコロンボへの殺意を語った後刃を落とすがコロンボは無事、びっくりする犯人にコロンボが「我々の会話は全部録音させてもらいました、残念でしたね」だったら納得できたのに。
刑事コロンボに限らず、映画やTVドラマさらには音楽においても、昔人気があったからといって同じキャストを出演させたり、一度解散したグループが再結成したりしても、たいがいは「ガッカリ」することが多々あります。ファンとしてもう一度見たいという思いはありますが、人は誰でも年をとり、かつての切れが無くなってしまうのは仕方のないことです。ものには「旬」というものがあり、人間も例外ではないと思います。
新作初回ということで、エンターテインメントに振っていますね。
超能力のネタバラシに力点が置かれていて、犯人の追い込みには不満が残ります。
この超能力の仕掛けは穴が有るとの指摘が多いですが、
マックス・ダイソンのモデルと思われるジェームズ・ランディの活動では、
研究所もマスコミも騙されていますのでね。
さすがに国防省とCIAは騙せないかな??
************************
超能力実験場のオペレーターの女性は広末涼子に似てませんか。
私は、池江璃花子選手に似てると思いました。
先日ファミリーヒストリーで40歳の広末涼子を見たので、若い頃かな。
広末涼子に、笑いました。いうほど似てないですけど、面白い発見ですね。
先日BS4Kで放送された分の最後に流れた「声の出演」で、ポーラの声は「藤田淑子」さんとなってました 「遊星少年パピィ」、「一休さん」、「キャッツアイ」なんかの声優さんでしたね 特に「一休さん」では主人公でしたから有名でした でも、私的には「トムとジェリー」のジェリーが一番印象に残ってます 放送中は全く分からず、見直してもこれ迄の声色とは違ってました 2018年に亡くなられたようですが、彼女は俳優でもあったんですね それは知りませんでした 役柄で声を変えるのは当たり前ですよねぇ 「祝砲の挽歌」での高橋和枝さんい続く声優関係でした
観た感想は正直なところがっかりでした。旧作に感じた、一見野暮ったく見えるがコロンボの捜査のキレというかスマートさが感じられない。透視トリックを見破ったところを〆にすればもう少し締まった作品になっただろうがダラダラと話を伸ばして、犯人と二人っきりの場面でギロチン台に横になって見せた時にはもうガッカリ。旧作のコロンボとは別人と感じましたし、絶対にありえない場面でしょう。もう1作ぐらいは新シリーズを観てみますが、ダラダラ感と必要以上の手の動きを見たらコロンボのイメージを壊したくはないので観ないことにします。
コロンボは脚本家が一定してなく、脚本家が同じであっても出来不出来があったり、キャラも作品ごとに微妙に違っていたり、もちろんよくカミさんの話題を出すなど大まかなところは同じですが、やはり一作ごとに評価すべきなのではないでしょうか。
にしても、旧と新では別物のようなドラマの印象になってしまっていますが。
これからも森喜朗のような事件解決マシーンコロンボのわがままと、コロンボファンの過保護は続く。
腐敗してる。
最後のシーンはコロンボにとって「賭け」のようでしたが、全然緊張している様子が見られないのは、もしかして両側とも「安全」に改造しておいたのではないでしょうか。
あと、超能力の実験についてですが、どのページも同じ地図だとしても、マークの付け方やその位置は人それぞれなので、目隠しを外したときに気付くでしょうに・・・。それに、同じ場所に関係者が集合するわけですから、これまた気付きそうなものですが・・・。突っ込みどころ満載でした。
昭和の一時期って『超能力』が流行ってたじゃないですか?
でも令和の今、みんな『超能力』なんかに誰も見向きもしないよね。
つまんねえお題だと思って、つまらないなあと思いつつも見てたけど、でも最後にコロンボが自分の生死をかけて勝負してたので感動でした。
身体張るんだね。感動した。
というか、そうかそんな昔からコロンボは頭のいい人だったのだ。
恣意的に描いているだけですよ。
「ここらでちょっと死の恐怖を味わわせておかなくては」
たちの悪いリンチ刑事だ。
「息苦しいと言っているけど息苦しい行為を続けてやれ」
ブラックライブスマターで問題になった警官と同じ精神構造。
恥を知れ、コロンボ。
エリオット、コロンボのおだてに弱過ぎ(笑)
案外、飲ませたら、カッコつけながらも調子に乗るヤツなのかも。
「他ならぬ君のためだ。透視をやってみよう」
アメリカで放送されたのは1989年だそうですね。
そのころバイト先で週に2回ファクスで注文書を送っていたんだけど
まあ~遅くって、イライラしてました。
ドラマのFAXはハンディタイプ?レジでピッ!するやつみたいなのでしたね
そしてレシートをやっぱり「受け取り」と言っていた
古い言い回しが、なんとなく重厚感があるように思えてきます。
コロンボの老眼鏡姿に違和感はないですが、「第三の終章」の弁護士役のアラン・ファッジと、眼鏡無し・髭有りのハロウが、15年の月日を経たとしても、どうしても結びつかないです。でも脇役の方達の再登場は嬉しいですね。
慇懃無礼を通り越して無神経になったコロンボはちょっと。
年の取り方を間違えている感じが。
森喜朗さんじゃないけど、事件解決マシーンじゃダメなんですよね。理念をちゃんと理解していないと。
いわゆる新刑事コロンボの第一作。
若い頃には待望のシリーズ再開であって、同時に大きな失望もしました。こういうのを望んでいたのではなかった、という思い。子供の頃、定年でもなさそうなのに最終回を迎えてがっかり、仕方なく「大事件を解決したから出世したんだ」と自分に言い聞かせていたら、10年後ルテナントのまま再開するし。
今では「不気味の谷」という言葉がほぼぴったりに感じています。刑事コロンボなのに刑事コロンボではないような。
ピーター・フォークの年齢が刑事にはあり得ないから?
石田太郎の吹き替えが違和感あるから?
ミステリー的な作りが杜撰になったから?
「昔はよかった」と思いすぎ?(そうではないはずですが)
新コロンボは旧コロンボの遺産を守ろうと悪い意味で保守的になっている?
それとも逆に旧コロンボとは違うことをやろうとして、悪い意味で別物になってしまっている?
時代が変わるなどして、作り難くなっている?
いろいろ理由はあるのでしょう。
昔観た時は、新コロンボはせめてタバコをやめてもらいたかった、前時代的すぎる、と思っていました。
今考えると、旧コロンボの時代でも健康に悪くて時代遅れ気味ではありますが。
犯人と被害者は同じ刑務所に服役した知り合いだった。世間が狭すぎます。
偽超能力者の犯人はミスディレクションとして自殺説を唱えるも、コロンボに否定されます。被害者は自殺直前に食料を買い込んでいた。このサイトにも、自殺する者がその直前まで普通に生活していることはよくある事、という意見があります。
自殺するかしないか葛藤した挙げ句、突然死にたくなり、すべての予定を放棄して。あり得そう。
脚本が弱いということでしょう。
一応コロンボは事故説も否定し、ここでついでに自殺もあり得ないことを示唆できてはいますが。
終わり方、何かふざけているような感じ。いくら犯罪者でも、人権を軽視している感じ。
コロンボであるなら何でもいいという人なら楽しめるのかも知れませんが、旧コロンボのオリジナリティある魅力、倒叙本格ミステリーの完成度、人間ドラマのシリアスさを評価している人としては、新のどこにでもありそうなミステリードラマな感じはちょっと。
すでに一通り新シリーズは観ていて、旧の魅力と同等の回もありはしましたが。
出世したけど10年後定年で辞めなくてはならなくなった時、「ルテナントでいいから刑事続けさせてくれ」というわがままが通って定年を免れた、と考えてはどうですか?
そうだとしても、逮捕時無抵抗な犯人に発砲するような刑事、わたしが上司ならその時点で辞めさせてしまいますがね。犯人はコロンボが贋物の銃を取り出したことは知りません。
ホワイトライブズマター、トゥ!
仮に犯人が偽の銃を刑事に向けたとしたら、刑事はすばやく応戦、犯人は射殺されてしまうでしょう。だとしたら、刑事が無抵抗な犯人に偽の銃を向けたとしたら。
まあ、確かにわたしが上司でもコロンボの特別扱いは終了させますね。
「旧」テイストなら、犯人がふところから銃を取り出す、コロンボフリーズ、仲間の刑事が銃を手に飛び出して来るも犯人は「バン!」
びっくりしているコロンボたちと偽の銃を手にむなしく笑う犯人、そしてエンディング。
この辺りをたたき台に作っていただければよかった、と返す返すも残念です。
最後、刃を反対にしておいたって言うけれど、犯人に良心があってsafeにセットされたら首が落ちてたの?
怖いよね!?両面ともsafeにしてたならいいけど。。。
あと、子役の子の演技うまかった。
スタッフを見ると、旧では最高責任者の立場の人はリチャード・レヴィンソン&ウィリアム・リンク。新は、レヴィンソンはすでに亡くなっていて、リンクとピーター・フォーク。新後半はほぼフォーク一人。
旧の、ミステリーの「鬼」もうならせるプロット、その細部の詰めの作業を監修するのに長けていたのはレヴィンソンだったのではないか、というような想像をしています。
新と旧でどうしてこうもトーンが変わってしまったのか。
制作するテレビ局は変わりましたが、これはあまり関係ないように思えます。
テレビ局が気にするのは制作費、視聴率、放送コードを守っているかどうかなど。この辺りは一応テレビ局の許容範囲のようです。首をはねるという衝撃的な殺人方法ではありますが、死体や血をこれでもかと見せつけているわけでもありません。
やはり、リチャード・レヴィンソンでしょうか。
新でも、「風呂敷」を大きく広げることに長けている人は見かけます。ウィリアム・リンクもピーター・フォークもパトリック・マクグーハンもその辺りはいい仕事をしているようです。
このエピソードでも「刑事コロンボ対偽超能力者」という、いい意味で見たくなるような犯人設定を考え出しています。
しかし。その「風呂敷」の畳み方が。小さく畳めていない、きれいに畳めていない。
よくはわからないのですが、リチャード・レヴィンソンこそ「風呂敷」を小さくきれいに畳む名人だったのではないか、そう思います。
きれいに小さく畳む人がいれば、「コロンボは偽の銃だろうと犯人に向けて発砲などしない」と言えて、「じゃあどうしろと言うのか」と言われても、「逆にコロンボが犯人に偽の銃を発砲されるというのはどうか」というようなアイデアを出し、それはいいそうしよう、というようなことになるのではないでしょうか。
見終わりました。
今まで意識していなかったのですが、新シリーズからは音楽が低予算になっているのが一番気になりました。映像がキレイになるのは良しとしても、楽器編成が小さくなってシンセサイザーの音が増えていると旧シリーズの映画音楽に近いドキドキ感や深みがやはり出ないように感じました。便利になると失われるものもあるのです。
なるほど、楽器編成が小さくなってますか。なんだか雰囲気も変わった気がします。フランス映画か何かのようで、ノアールな感じです。
私のイメージでは、明るい場面でイパネマの娘なんかが流れると、ああ、刑事コロンボだなあ、とうれしくなるのですが。
コメントありがとうございます。そうですね。そしてフランス映画ならまだしも民放の(ごめんなさい)2時間サスペンスのようなサウンドになってしまっていました。
まあ実際民放の2時間ドラマなのでしょうがないですw。以前よりシンセが大幅に安くなってる頃だし。おっしゃる通り便利になって失われるものですね。
一週間で十年後のコロンボ(笑)。
ダイソン役のアンソニー・ザーブ、だいぶ齢食って太っていましたが、多分私等、米TVドラマをたくさん観て育った世代には懐かしい存在。刑事ドラマや探偵、スパイものの脇役、悪役であっちこっち(笑)に出てました。
マジックのトリックの数々はカラフルで賑やかですが、最初の放映当時でも既にポピュラー過ぎて、と思ったら劇中で既に「古典的なものばかり」とセルフツッコミが入ってましたね(笑)。超能力の研究シーンも古臭くてシリアスというよりユーモラスで確信犯的に茶番を演出したようですね。
久々に「汚れた超能力」を見て、コロンボの車が旧シリーズと違うことに気付きました。車種は同じように見えますが、私が気付いたのは、
・バックミラーの位置が違う
旧シリーズではフェンダーミラーだが「汚れた超能力」ではドアミラー。
・ナンバーが違う
旧シリーズでは044APDだが「汚れた超能力」では448DBZ。
・旧シリーズでダッシュボードにあったクリップ状の部品が「汚れた超能力」ではないように見える。
の3点です。
旧シリーズで使っていた車が新シリーズの撮影時に使えなかったので同じ車種の別車を使ったのでしょうか。
Baker様、お察しのとおり、旧シリーズの車は処分していたため、とても苦労して探し、個人コレクターから借りたそうです。
また、旧シリーズでも複数の車があったのは、ご存じですか?
幌が白や黒だったり、キズ、へこみが違ったり、車色も少し違ったり、で僕の見たところ、3,4台は乗り継いでいると思います。
違う車でもナンバーが変わらないのは、劇中車だから正ナンバーではなかったからだと思います。 新シリーズでは借り物だったため、ナンバーを前と同じに変えられなかったのか、そこまでナンバーに拘らなかったのか・・・
ちなみに、旧のナンバー「044APD」は4を一文字だけLに見立てて、「04LAPD」つまり”04ロサンゼルス警察”にもじったという説を最近知りました。
実際に映っているナンバーの4は先端が開いていて、Lに似た字体です。
僕は50年も初~再放送を見続けていますが、いまだに新しい発見があるものです。
捜査に協力した、イケメンボーイ君。
マジックつながりで、サンティーニの少年時代?と妄想してしまいました。
マックスをリスペクトして、ギロチンマジックの種明かしをしないトコがカッコイイ
ナチさんの演技は正に、薔薇座ですね(笑)
コロンボは結構時事ネタというか社会派のお話が多いですが、これもジェームズ・ランディのプロジェクトアルファという、超心理学研究所を閉鎖に追い込んだマジシャンのことが元ネタなのかなあって思ってます。
今放送が初見です。
画面が暗くて良く判らないのですが、犯行現場にジェームズ・ランディの
ポスター(?)が有りました。「RANDI」の文字が判別出来ました。
マックス・ダイソンのモデルはジェームズ・ランディですよね。
今回知ったのですが、昨年に逝去されたようです。
享年92歳。ご冥福をお祈りします。
初めて観る新シリーズです。旧作と比べてしまうと、何か違う感が常につきまといました。
相変わらず葉巻、よれよれコート、ドッグ、プジョーなどの小道具は継承しているし、ピーター・フォークが演じているのに、何故?
やはり脚本でしょうか?全体的にストーリーの切れが悪く、ダラダラとした印象を受けました。昔のような豪華なお屋敷も見られず、犯人がより庶民的になっているような。あのセレブ感が結構好きだったのですが、時代もあるのかしら。
序盤、コロンボがなかなか登場しなかったので途中で眠くなってきました。つまらない二時間もののサスペンス劇場を見ているような、錯覚さえ起こしました。
でもこれは旧作があまりにも素晴らし過ぎたための過度な期待なのでしょうね。ピーター・フォーク氏を観るだけでも充分楽しめるので、これから1つ1つ新シリーズを観ていきたいと思います。
そうですね〜確かに。私はこのような「新作」シリーズは、少し我慢すれば楽しく鑑賞できると思っています(笑)
同感です。最近やっと新シリーズが「少し我慢すると面白くなってくる」ということが分かってきました(笑)
刑事コロンボシリーズとして見ると落第点ですが、ドラマとしては十分に面白いですよ。
はじめまして。先日CSにて字幕で観ました。自殺者心理にちょっと違和感がありました。同級生の母が自殺してまして、その同級生から聞いた話しでは死亡願望は前触れなく突然襲っくるようです。
食事の支度もして、献立にも盛り付けにも気を遣っても、食事中に自殺願望に襲われたり、食べ始めるまでは機嫌が良かったりしても突然絶望したり。
「これから自殺を考えている人が、生ハムなんて買いますかね」・・普通にあると思います。
全て分かった上での揺さぶりとも取れなくもないですが、着眼点が稚拙な感じがしました。ちょっと脚本家さんの取材不足の感じがしました。
なるほど。
私も同感です。
計画的に自殺する訳ではないと思われます。
あのシーンは短絡的な推理で脚本に甘さを感じますよね。
それと犯人役の日本語吹替もオーバーで雰囲気に合っていない気がしました。
酷評の多い新シリーズ開幕作、改めて見直しました。
正直、ギロチン斬首という殺害方法は嫌いではありません。
犯人エリオット・ブレイクの凄まじい殺意を表すのにこれ以上のものはなかったでしょう。
射殺をやめてギロチン斬首に切り替えて復讐を果たしたことが完全犯罪の妨げとなったのもドラマチックです。
ただ、脚本の悪さが多々あります。
既にコメントしている方もいますが、
・超能力実験の際、ダイソンは「印をつける」ではなく、「点をうつ」と言わなければおかしい
・コロンボがブレイクに容疑を向ける瞬間がはっきりしない、弱い
・他者の協力なしに超能力を偽装できなかったブレイクが、ハル博士を切り捨ててこの先何ができたのか?
という疑問が宙に浮いたまま
・最後のシーン、自身に危険が及ぶ可能性を残したまま罠を張るのは不自然。
・そして、その罠を張って証人なしにブレイクを逮捕するのもおかしい。外に警官を配置しておいたならともかく・・・
という疑問がツラツラと。
脚本って大事ですね。
やはり新シリーズは・・・
最後のシーン、矛盾、被疑者が変節した場合どうなる?
BS-TBS2回目の放送中です。ギロチン奇術は「魔術師の幻想」で見ていた警部。見ていないのは脚本家?演出家?
たまに『コロンボ』の前後に見てはいけない映画があります。「仮面の男」の前後に『裸の銃を持つ男』と『ポセイドン・アドベンチャー』を連チャンで観てはダメみたいだし、『OO7は二度死ぬ』と”THX1138″を「別れのワイン」の前に観てはいけない(いや、役者さんは上手いんですけれど)。当話の場合は『OO7/消されたライセンス』かな。アンソニー・ザーブが実写版『北斗の拳』に挑戦?
あるインタヴューでキレた人を演じるのは容易いと語った野沢那智さん。当話でのお芝居は紳士的ですが脂ぎって野心が迸り、役柄には合っているけれど個人的に好みではない。「死の方程式」の軽い事夥しいお芝居から離れようとしているのかな。
カードのマジックを見せる少年の声は坂本千夏(ちなつ、ではなくちか)さん。多くの人が知るこの声。『となりのトトロ』のメイちゃん!海外ドラマ『フルハウス』の続篇『フラーハウス』に同じ役で登板される事もニュースになりました。
最初に地図帳を開いたとき、あらかじめマークされているハズがされて
なかった。まあ、ココで種明かしするワケにはいかないので単なる地図帳
を映すしかないですね。私のように、こんなに重箱の隅をほじくり
返されるとも想定してないでしょうからね。
いつもだったら血を見ただけで恐れおののくコロンボだが、現場検証では
そうも言ってられない。気合いを入れてやらないとね。いつもの恐れ
おののきは本音もあるだろうが、コロンボの演技も多分に入っている。
せっかく開きかけたエリオットの輝かしい未来を、コロンボは台無しに
してしまった。でも、エリオットに二重スパイの判別など、出来るワケ
ないしね。早かれ遅かれ、そうなるのは時間の問題だったね。
最後、コロンボが言っているように、動機、ウソ少々、行方不明の拳銃の
弾の件しか明確になってなく、決定的証拠はなかった。
そこで自分の身をさらして、コロンボへの殺人未遂を決定的証拠にした
かったのだ。だが、コロンボへの殺意が、そのままマックス殺害の証拠
にはならないね。なぜなら、コロンボへの殺意は未来を台無しにされた
エリオットとしては、マックスに関係なくあってもおかしくないからね。
昨日、bs-tbsで改めて見たんですが、やっぱり野沢那智さんの声はいいです。
以前にコロンボに出ていた回はまだ若いなあと感じますが、今回の円熟した演技はとても好きです。
野沢さんは他にもゴッドファーザーのマイケルコルレオーネ役なんかで有名ですよね。
あの高いような低いような声。ダンディーなようなやらしいような声。大好きです。
ブレークは確かに貫禄不足かもしれませんが、野沢さんの声がそれを補っていたような気がします。
もちろん、石田太郎さんもいいです。実は最初の頃は声優さんが変わっていることにすら気づいていませんでした。
吹き替えでは担当する役者さんも重要ですよね。
マジックのトリックで、おかしな点が幾つもありますね。
・地図帳はページ数が多いはずで、いったいどのエリアの地図だろうか?。
広域であれば、移動だけでも時間がかかるはずだが。
・全部同じページであらかじめマークをしているというが、
マークの仕方は個人差があるはず。マークを描いた分量やページの中での
だいたいの位置など、目隠しを外した後で、おかしいと思うのではないか。
この終わり方はダメです。
証拠が積み上げられないから、自分の身をさらしたというワケ??。
美食の報酬の決め手に似ていますね。でも、コロンボを殺そうとした事は
一つの殺人未遂であって、マジシャン殺しとどういう関連性があるん
ですかね?。
裁判では「コロンボに付きまとわれて人生をメチャクチャにされたので、
殺意が芽生えました」「マジシャン殺しは関係ないです」
と言えば良いだけです。
poipopさん>マックス・ダイソンは意外と食いしん坊だった気がしますね。
タップおばさん>新シリーズでは、やたら大袈裟になった気がします。
スーパーでコンビーフとキャベツを買ったという話が出てきましたが、何をつくるつもりだったのか何故か気になりました。
日本と違い、欧米のコンビーフは塩漬けの生の牛肉の塊だそうで、それとキャベツを煮込んだコンビーフアンドキャベジがアメリカのアイルランド料理の定番らしいです。
もしかしたら、このコンビーフアンドキャベジをつくろうとしていたのかな?
旧シリーズと新シリーズでは、ピーター・フォークの演技の質が違う
と、石田さんが語っています。
真顔ですっとぼけたり、
真顔で犯人に揺さぶりをかけるという旧シリーズのコロンボの表情とは違い、
表情が穏やかになり、笑顔が増えた感じ。
確かに違いますね。
みるくさん、コメントありがとうございます。アンソニー・ザーブさん素敵な演技でしたね。もう1作くらいコロンボにも出て欲しかったです。
とっしーーさん、新シリーズ突入ですね。突っ込みどころ満載ですので、語り合いましょう〜。
アンソニー・ザーブ(マックス・タイソン役、最初にギロチンで殺される人)、素敵っ!最高っ!!
高校時代、スパイ大作戦の悪役を見て以来の大ファンなんです。
素敵なおじ様。
あの胸に飛び込みたいっ!
マジに昔、テレビ画面をカメラで撮って、自作プロマイドを作って持ち歩いてましたから。
あの人の特集が有ると嬉しいなっ)^o^(
新シリーズ見ました!
うーん、コロンボの声優さんは違和感ありましたけど、皆さんが仰っている様に、そこまでって感じでもなかったですね^^
しかし、今回は強烈でしたねえ^^;
最後のシーンも、もし犯人が素直にギロチンやってたら・・ ((((;゚;Д;゚;))))
ゾッとしますが、まあ~コロンボの事でしょうから、どっちに転んでも大丈夫な仕掛けを
していたと信じたいです(笑)
あと、なぜそんなデンジャラスな方法をコロンボが取ったかは、殺人未遂の容疑連行が欲しかったんですね!そこまで考えていたとは・・
しかし、暗い感じのシーンにあのマジック好きの子供たち、そしてマセた子供が妙に可愛らしかったです(笑)
日本語吹き替えの方ですが、子供たち相手にマジックを見せようとする主人が、セリフで
「~なんだな!」っていうシーンがあったんですが、変な言い方だったので
笑ってしまいました(笑)
コロンボの「~よこざんすか?」とかも同様に
古き良き吹き替え(?)も大好きですし、とても郷愁やノスタルジックな想いを、感じました♪
石田太郎さんがご他界されましたか…。2013年9月21日(満69歳没)とのことです。まだお若かったのに…残念です。でも我々コロンボファンにとって、石田さんのお仕事は永遠に生き続けると思います。
新刑事コロンボでコロンボ警部の吹き替えをなさった石田太郎さんがお亡くなりになりましたね。
心よりご冥福をお祈りします。
天国でピーターフォークさん、小池朝雄さんとコロンボ談義に花を咲かせてください。
ディアゴスティーニの新DVDシリーズであらためて見直しました。
インチキ超能力者は、見破られるのが分かっているのになぜCIAに行ったのか。コロンボはなぜ自らギロチンにかかったのか。いままで何となく分からなかったんですが、前者は、ウガンダ刑務所の受刑者で脱獄者である経歴を捨てて、生まれ変わるため、後者は、決定的証拠に欠けるため、ブレイクをさんざん煽って、警察官(コロンボ)の殺人未遂で(別件)逮捕するため、だったことを確信しました。
こねこ様、コメントありがとうございました。「新シリーズも悪くない」ですね。私も最近、そのように強く感じるようになってきました。当サイトのランキングで本作品に1票を加算しておきますね~。
先日BSで「汚れた超能力」を見ました。小池朝雄氏の吹き替えが大好きだったので、石田太郎氏はどうかなあと思いながら見ましたが、あまり抵抗なく聞けました。もともと石田氏は好きだったし、歳をとったコロンボなら、声が変わっていても良いかなと思いました。
ブレーク氏、私はけっこう好きです。野沢那智氏の演技が素晴らしいし、アンドリュース氏は、最後コロンボの首がつながっているのを見た瞬間の驚愕の顔が良かった。
全体的に暗くて重い画面とストーリーでしたが、見応えがあって楽しめました。手品好きの少年が可愛らしいし。
新シリーズはこの作品しかまだ見ていませんが、コロンボさん、変わったなあと思います。以前に増して茶目っ気たっぷりになったし、渋くなったし、貫禄があります。最後のギロチンや、旗の飛び出る拳銃、ああいった行動、旧シリーズの彼はしなかったんじゃないですかね。
以前のコロンボさん(彼自身だけでなく、画面の作りなども含めて)を懐かしむ気持ちもあります。しかし新シリーズも悪くないなと思いました。今後の放送が楽しみです。