コロンボ警部の言葉遣い

アタシャねぇ

ほとんどのエピソードで「上流階層」の犯人を扱うので、丁寧な言葉遣いを心がけていますが、初期の作品では「アンタ」「キミ」などとセレブを乱暴に呼ぶこともあります。また、自分のことは「ワタシ」ではなく「アタシ」と呼ぶことが多く、語気を荒げた時は「アタシャねぇ」に変形します。
これに対し、同僚の刑事などには少し上から目線の口調が多くなったりして、それなりの威厳を保つ場合もありますし、犯人以外の登場人物には丁寧語は使いません。

労働者階級的な言葉遣い

警察の同僚や労働者たちの口調として「△△です」が「△△でさぁ」「☆☆なんでさぁ」と訛る傾向があるのも面白いです。これらの口調が似合う俳優として「ティモシー・ケリー」が挙げられます。
7話「もう一つの鍵」では犯人ベス・チャドウィックの母親の愛犬「エンリコ」を「ワン公」と呼んで叱られています。

業界用語

また警察の業界用語?として、良くコロンボ警部が口にするのは「被害者=ホトケさん」「犯人=ホシ」「有罪=クロ、無罪=シロ」「刑務所=ムショ」など「事件=ヤマ」など。

よござんすか

「よござんすか」は、コロンボ警部が連発する言葉です。日本の時代劇では賭博の壷振りの台詞「よござんすか?よござんすね?」が思い浮かびますね(笑)いわゆる富裕層の「ざーます言葉」とはニュアンスが異なり、江戸の芸者や下町職人が使った江戸弁の「〜ざんす」に由来すると思われます。

喧し屋(やかましや)

形式通りの捜査を好み、報告書の提出をせかす上司をコロンボ警部は「喧し屋(やかましや)」だと表現しています。小言や理屈を多く言う人「うるさがた」も同じような意味です。

奴さん(やっこさん)

奴(やっこ)さん。コロンボ警部に限らず、「あいつ」「やつ」の軽称として使われます。現代ではあまり使われなくなりましたが、哀愁を感じる言葉ですね。

一言もありません

一言は「いちごん」と読みます。ひとことも弁解できない、弁明する余地がない時に使います。

加筆:2021年8月17日
 

“コロンボ警部の言葉遣い” への14件の返信

  1.  宝島社の『刑事コロンボ完全捜査記録』を読みますと、「撮影前に徹底的に磨き上げることで有名『刑事コロンボ』旧シリーズのシナリオは、決定稿に至るまでに平均で4~5回、多い時には10回を超える改稿が行われていた・・・」(120頁より)とあり、日本語吹き替え台詞でも、額田さんによる苦心に苦心を重ねて考え抜かれた上で完成した吹き替え台本に、さらに演出家の左近允 洋氏が「毎回、額田やえ子さんの台本に手を加えて、日本語のドラマとして成立するように工夫を凝らしていた(中略)特に苦労したのが最後の決め台詞だというから驚かされる(同書110頁より)」だったそうですので、各局面で自分の自信作をあっさりと直される側の心理的な葛藤というものも、さぞかし複雑だったことでしょうね。
     額田さんの本を読み、そのあたりの悔しい心情についてもよく理解出来ました。

    1.  下に引用しました、額田 やえ子さん(著)『アテレコあれこれ―テレビ映画翻訳の世界 』で、
      「台詞の直しにはあまりこだわらないわたしだが、ラストの一行を勝手にいじられると逆上する。苦労して頭をしぼったのに、畜生め!
       直した台詞がよくないときは、怒る理由があるから安心して怒っていられる。しかし、それがわたしの台詞より、ずっと決まっていたりすると、逆上の持っていき場がない。これはもう、惨めの一言につきる。」
      というところ、『刑事コロンボ』では、額田やえ子さんと左近允 洋さんの、火花散る戦いが目に浮かぶようです(笑)。

    2.  宝島社のムックは何度か改訂・増補されていますが、私が持っている2015年3月第1刷の版では、YC-30様がご紹介されているうちの”120頁”の文章を見つけることができませんでした。私の目が節穴なためかと思いますが、そのページの記事のタイトルはどのようなものでしょうか?
       なお、この2015年版で追加された内容であると明記されている部分のうち、額田・左近允両氏の恊働にかかわる興味深い記述を、以下いくつか引用させていただきます。カッコ内に※で書いたところは私が原文を端折ったりしたところの説明です。
       ”(2015年改訂版追記)その後の調査で、セリフ「無断で警察辞めたら」(※「殺しの序曲」のラスト)は、印刷された日本語版台本にはないと判明。演出・左近允氏による現場追加の可能性が高いそうだ。よりよく練り上げる演出と、これを誘発する卓抜した台本。この鉄壁のコンビネーションに、日本語版コロンボの真の「凄味」を感じる。”(127頁)
       ”・・・左近允と額田さんは長年のコンビで、ツーカーなんです。(※額田さんは仕事が)やたら早いんですかで、そのままだと(画面の台詞と)合わないところが結構あるんです。なぜかっていうと、「サコンちゃん、どうせ直すから」って(笑)。)
       ー(※インタビューアー)・・・現物を見せていただきましたが、左近允監督の台本の直しは、本当にすごいですね。”(吉田啓介監督へのインタビュー)(212頁)
       ”・・・これ、言ってもいいのかな、「カミさん」は、額田さんのオリジナルじゃないって、僕は今でも思ってるんです。「うちのカミさん」というのはね、左近允の口癖だったんですよ。(※左近允氏の妻の)麻生(美代子)さんと額田さんは仲がよかったから、それがきっと大元だろうと―”(壺井正監督へのインタビュー)(228頁)
       この吉田氏と壺井氏は、いずれも左近允氏の右腕として「コロンボ」に関わり、後に新シリーズの作品を担当した方々ということで、興味深い情報を他にもたくさん語っておられます。もしYC-30様がお持ちのムックがこれ以前の版なら、新版も一読の価値はあるかと思います。
       上記の引用は、左近允氏の関与が想像する以上に大きかったであろうことを示していますが、もちろん、それによって、額田さんの訳業のすばらしさはいささかも減じるものではないでしょう。時には2人の間で、お互いを知り尽くしたうえだからこそのぶつかりあいがあり(プロとして額田さんもさぞや悔しい思いをしたことがあったのでしょうが)、その成果があの見事な日本語版として結実したのだと思います。

      1. ぼろんこ 様
         誤字訂正してくださり、ありがとうございます。 
         2022年9月4日付記事「ブログ刑事ぼろんこの考え方」を拝読いたしました。
        ご主旨につき、全面的に承知いたしました。今後新たに投稿する場合は、お示しになられた「コメント投稿のガイドライン」を遵守することをお誓いいたします。過去の私のコメントを、ご都合に応じ、大幅に編集や削除してくださっても全く構いません。その場合は、大変なお手数をおかけしてしまいますので、誠に申し訳ありません。なお、今までのコメント投稿で、数々のわがままな内容をお許しいただいたことにつきましては、深く感謝いたしております。
        tempus fugit 様
         この頁に昨日いただきました二本の返信コメントへの再返信です。
         書籍につきましては、単に私が座右に置きたいために購入したものなので、どうかお気遣いなく。
        >「コジャック」についての私の記憶はおおむね合っていたようで
         さすがのご記憶力で、感服いたしました!
        >お父様は額田六福という劇作家・小説家で、「半七捕物帳」で知られる岡本綺堂の高弟
         「半七捕物帳」も、岡本綺堂がシャーロック・ホームズに影響を受けて書いた、日本で最初の岡っ引捕り物小説だそうですから、額田やえ子さんとの不思議な縁を感じます。
        >2015年3月第1刷の版
         私の所有しております『刑事コロンボ完全捜査記録』 (別冊宝島)は 2006年8月10日発行ですから古い版です(Amazonを介して業者より古本を購入)。
         ご紹介の「2015年版」は読んだことが無い内容ばかりでした。私も新版を入手したくなりました。今回微笑ましい事実を新たに知り好かったです。ありがとうございます。
         34話「仮面の男」でのラストシーンのジョーク(マージャンとポーカーが賭けをした話)なども、最初から額田さんによる翻訳だったのか、左近允氏の直しが入っていたのか等々、また次々に気になってきました(笑)。

        1. 「ブログ刑事ぼろんこの考え方」をお読みくださって、ありがとうございます。
          ブログコメンテーターさんが想いを込め、時間を費やし、
          書かれた貴重なコメントばかりですので、気を配り編集させていただきます。

  2.  図書館で借りてきて最近読んだ、額田 やえ子さん(著)『アテレコあれこれ―テレビ映画翻訳の世界 (中公文庫 1989/2/10発売) 』は、大変な良書で実に面白かったです。
     同じ英語の台詞でも、人物のキャラクターによって、吹き替えの言葉を変えるなど、とても細やかに神経を使われていたんだなあと納得しました。我々コロンボ・ファンは日頃日本語吹き替え版に文句を付けることも多いのですが、同書を読むと、額田さんの仕事ぶりは、確かに超一流の職人芸だったと頭が下がります。
     この本、コアなコロンボ・ファンで未読の方は、中古でも手に入れられて読まれることを強くおススメしたいです(Amazon等のレビューも、ぜひ確認してみてください!)。
    ※(同書「翻訳対照表」より、『刑事コジャック』と『刑事コロンボ』での訳し分け例)

    『 Come on! 』
    コジャック:「早くこい / とぼけんな」
    コロンボ:「こっちこっち / まさか」

    『 Let me see that. 』
    コジャック:「見せてみな」
    コロンボ:「ちょっと拝見」

    『 That’s what I thought. 』
    コジャック:「狙い目通りだ」
    コロンボ:「あ、やっぱりそうでしたか」

    『 Hold it! 』
    コジャック:「待て!」
    コロンボ:「あ、ちょっと / あ、そのまま」

    『 I don’t like it at all! 』
    コジャック:「気に入らねえな!」
    コロンボ:「納得できませんねえ」

    1. 面白いのをもう二例だけ。
      『 You gotta be kidding. 』
      コジャック:「なめるんじゃねえよ」
      コロンボ:「ホントですか、それ」
      『 Don’t try to be a hero. 』
      コジャック:「粋がって無理するなよ 」
      コロンボ:「無理しないほうがよござんす」

      1. YC-30 さま

        コロンボは葉巻をどこでもスパスパ、あまりお行儀がよろしくないイメージだったのですが、こうしてコジャックと比べると、なんて礼儀正しい言葉遣いなんでしょう(笑)

        額田さんが台本、映像から受けたイメージから、それに沿ったセリフを考えていったのでしょうね。
        額田さんの職人技に驚くと同時に、1つの英語の表現に対して、これだけ何通りも表現が可能な日本語の豊かさにも気付かされました。

        1. まさこ 様
          >あまりお行儀がよろしくないイメージだったのですが、こうしてコジャックと比べると、なんて礼儀正しい言葉遣いなんでしょう
           本当ですよね。それに、いろんな方面に細いところまで気を遣い過ぎて使用出来ない言葉が多くなった昨今は、却って「水清ければ魚棲まず」といった感がありますよね。
           「よござんすか」などという昔の江戸っ子の庶民言葉にも、夏目漱石の小説のような、古風な格調高い香りさえしますよね。
          >額田さんの職人技に驚くと同時に、1つの英語の表現に対して、これだけ何通りも表現が可能な日本語の豊かさにも気付かされました。
           同感です。
           グラナダTV版「シャーロック・ホームズの冒険」や「ジェシカおばさんの事件簿」なども額田さんによる吹替台本ですから、そこでは、同じ英語が出てきたら、また違った訳され方になっているのでしょうねえ。
           こうやって、コメント投稿していますと、同じ単語ばかり多用するなど、自分が普段使う日本語の語彙の少なさを、嫌というほど自覚してしまいます。
           言葉の引き出しが多かった額田さんを、心の底から羨ましく尊敬してしまいます。

    2.  額田やえ子さんの本は、コロンボファンである私も文庫本で出たすぐ後にすぐ買って読みましたが、何度かの引っ越しのせいか(かつて転勤族でした)いつの間にか失くしてしまいました。中古本は非常な高値がついていて、ちょっと二の足を踏んでしまいます・・・。
       確かこの本に書かれていたと記憶していて、YC-30さんにお尋ねしたい挿話があります。「コジャック」で、”ある事件の捜査でミスをした部下が、汚名返上のために単独で捜査をしてコジャックらに先んじて犯人に到達するも、撃たれて殉職してしまう”というエピソードがあり、遅れて現場にやってきたコジャックが部下の遺体に”What’s the hurry?”と声をかけて終わるのだそうですが、このセリフを額田さんは、「バカ野郎!死に急ぎやがって」と訳したのだそうです。
       私はこれを読んで「何て凄いんだ!」と感心し驚いたことを鮮明に覚えています。ただ額田さん本人がこの著書で書いていたことかどうかは確信はないので、そうでしたら教えていただければと嬉しいです。
       「外国語を日本語にすることは、字面を訳すことではない」とよく言われますが、額田さんの訳業は、そうしたことを教えてくれる良き実例になっていると思います。

      1. tempus fugit 様
        >”What’s the hurry?”と声をかけて終わるのだそうですが、このセリフを額田さんは、「バカ野郎!死に急ぎやがって」
         ご紹介のエピソード、確かに記憶しております!
         あいにく、昨日より所要で自宅を離れており、現在本が手元に無く確認出来ません。幸いまだ図書館に返却していなかったため、戻り次第、確認の上、追加コメントをいたします。
         今考えますと、50話「殺意のキャンバス」は、森山周一郎・コジャックに絡めて、日本語吹き替え版で鑑賞して、別な切り口でコメントしても面白かったですね(笑)。コロンボ VS. コジャックとして・・・。その場合、コロンボが小池朝雄さんの声で無いのが実に残念になりますが・・・。

      2. tempus fugit 様
         お尋ねの件ですが、額田 やえ子さん(著)『アテレコあれこれ―テレビ映画翻訳の世界 』(中央公論社 中公文庫 1989/2/10発行) の該当箇所を、当初、図書館から借りてきた本から引用してお答えしようと考えていたのですが、それでは安直に過ぎ、何となく自分の心の中で、額田さんへ敬意が足りなく失礼なやり方のような気がしてきまして、あくまでも自己満足に過ぎないのですが、3,449円支払って、中古本を手に入れてからご紹介することに決めました(私にとって、それだけの価値は十分有ります)。そして昨日、本が自宅に届きました。
         この本は、特に、刑事コロンボ・ファン、刑事コジャック・ファンの方々には興味深い内容が満載なので、何としても復刻販売していただきたいです。中央公論社さんで無理なら、別な出版社が版権を買い取ってでも、未読の多くの人に読んでもらう価値があり過ぎる内容です。私も、文庫本で発売された当時、買い求め読みましたが、当時はそこまで海外刑事ドラマに入れ込むとは思っていなかったため、その後古書店に売ってしまっておりました。
         それでは、お尋ねの記載がある部分を引用いたします。たったこの部分だけでも、額田さんのお人柄や、お仕事に取り組む姿勢の一端を、窺い知ることが出来ます。
        『アテレコあれこれ―テレビ映画翻訳の世界』 (中央公論社 中公文庫 1989/2/10発行) から「幕切れの台詞」(93頁~97頁)より
        ・・・・・・父の職業が劇作であったため、わたしは小さい時分から芝居をよく見たし、本でも読んでいた。父はよく「幕切れの台詞」がどんなに大事かを話していたので、いつの間にか、わたしも「幕切れの台詞重要論」の信奉者になっていた。ある芝居を評して「この台詞じゃあ幕は下(お)りない」と父が言い、某評論家が「下りなくたって下ろせる」と反論したなどという話を聞いたことがある。
         成長してさまざまなタイプの演劇を実際に見るようになってからは、大事なのは台詞だけではないことがわかってきたが、それでも子供のころに植えこまれた考え方はやはり根強く残っているもので、芝居の幕切れにあたる映画の最後の台詞には、時間をかけて、あれかこれかとひねくり回す。最後の台詞がうまく出てこないで、一行だけ翌日の仕事に残すこともある。
         最後の台詞はたいてい短い。短く、ビシッと決めてある。「刑事コジャック」はことに小気味よく締めくくってある。
        ”I don’t” know・・・・・・But I’ll think of something.”
        ”Some of us can.”
        ”I don’t think so・・・・・・I’ve got a good lawyer.”
          例をあげても、ストーリー全体を説明しなくては、何のことやらおわかりにならないだろうが、これはみんな、コジャックのラストの台詞で、大体がこれぐらいの長さなのだ。ラストの台詞は比較的ゆっくりと言ってくれるのだが、それにしてもこれぽっちで「幕を下ろす」には骨が折れる。
         むかし見た真山果作の「荒川の佐吉」の大詰め台詞、「やけに散りやがる桜だなあ」みたいにカッコよく、スカっと終わらせたいのは山々だが、テレビは芝居と違うし、ラストだけ大見得切ったって妙なものだし、それでもサビはきかせたいし――。
         いささか手前味噌になるけれど、自分ではうまくいったと思っている例をご紹介しよう。
         叩きあげの刑事が、妻に死なれてからアル中気味になり、非番のときヘマをやって強盗に警察拳銃をとられ、その拳銃で人が殺される事件が起こる。サムというこの刑事はヒラの巡査に格下げされたが、犯人逮捕に執念をもやし、コジャックがとめるのも聞かずに一人で聞きこみや張りこみをやるうちに、撃たれて重傷を負ってしまう。コジャックは、おれたちに任せておけと言うのだが、サムは病院から抜け出して歩きまわる。サムの捜査とコジャックの捜査は、ほぼ並行して進展するが、最後の詰めでサムは一歩先行し、犯人のところへ乗りこむ。コジャックたちが踏みこんで銃撃戦ののち犯人を射殺するが、見ると現場でサムが出血多量のため、すでに死んでいるというストーリーで、ラストは、”Sam, What’s the hurry?” で終わっていた。「サム、何でそう急いだんだ?」サムはうたた寝でもしているように、テーブルにうつ伏せになって死んでいる。コジャックはそのテーブルの向かい側に腰掛けながら、一人つぶやくのだ。サムと呼びかけてから、二、三拍おいて、”What’s the hurry?” と締めくくる。ぶっきらぼうだが、古い友人でもあり、よき部下だった男の死を悼む感情のこもったよい台詞だった。
         ここは何としても原語に負けない台詞を書きたい。長考の末、出てきたのが、
        「バカ野郎
        死に急ぎやがって」
         本当を言うと、このように「して」とか「だから」とか、完全な言い切りでなく、語尾を飲みこむ感じで終わる台詞は、失敗する危険が大きいのだ。俳優さんの表現ひとつで、まるで迫力なく、ショボショボと終わってしまうことがある。そしてこの台詞は原文と合わせると、二行ともやや長い。しかし、もしわたしがコジャックであったら、どうしてもこんな言い方をするだろう。「バカ野郎」はサムへの愛情をこめた呼びかけでやってもらえれば言うことはない。
         結果は、わたしとしては満足だった。期待した通りの出来だった。ただ、ひとが同じように感じてくれたかどうかはわからないが。
         前にも書いたように、台詞の直しにはあまりこだわらないわたしだが、ラストの一行を勝手にいじられると逆上する。苦労して頭をしぼったのに、畜生め!
         直した台詞がよくないときは、怒る理由があるから安心して怒っていられる。しかし、それがわたしの台詞より、ずっと決まっていたりすると、逆上の持っていき場がない。これはもう、惨めの一言につきる。・・・・・・

        1.  YC-30様、ありがとうございました。私のせいで思わぬ出費を強いてしまったようで、心苦しく思っております。
           「コジャック」についての私の記憶はおおむね合っていたようで(エピソードなどの細部は違いましたが)ほっとするとともに、額田さんの興味深い記述のまとまった引用にも感謝しております。
           その額田さんの文の中に、
           >父の職業が劇作であったため、
           とありますが、ウィキペディアによると、お父様は額田六福という劇作家・小説家で、「半七捕物帳」で知られる岡本綺堂の高弟だったそうですね。額田やえ子さんの見事なセリフは、お父上の影響が大きかった、というより、その血を引いたものとみることもできるかもしれませんね。

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