犯人を脅迫して「返り討ち」
刑事コロンボシリーズでは新旧に関わらず、犯人の弱みにつけ込んで脅迫したことで、殺されてしまう人々が後を絶ちませんでしたね。
24話「白鳥の歌」エドナ夫人
29話「歌声の消えた海」歌手ロザンナ・ウェルズ
34話「仮面の男」諜報部員ジェロニモ
36話「魔術師の幻想」ジェローム社長
38話「ルーサン警部の犯罪」女性プロデューサー クレア・デイリー
47話「狂ったシナリオ」旧友レニー・フィッシャー
49話「迷子の兵隊」キーガン曹長
52話「完全犯罪の誤算」ステイプリン
57話「犯罪警報」テレビ番組司会者クラーク
61話「死者のギャンブル」ギャンブラーのハロルド
67話「復讐を抱いて眠れ」芸能レポーターベリティ
と、ここまでは犯人に金銭を要求したり、犯人の破滅を目論んで返り討ちにあった人々。第1被害者ながら、自分にも非があるケースで「悪人」に分類されるべき被害者。この中で最も悪人なのは「ジェローム社長」と「クレア・デイリー」。犯人をまるで「金づる」のように扱っています。
14話「偶像のレクイエム」秘書ジーン・デービスは、自分では「犯人の殺人を知っている」ことを何かに利用しようとは思いませんでしたが、結婚したい相手が「ゴシップ記事作家ジェリー・パークス」だったことが命取りでした。
共犯者の「裏切り」
5話「ホリスター将軍のコレクション」ダットン大佐
6話「二枚のドガの絵」美術学生トレーシー・オコーナー
11話「悪の温室」トニー・グッドウィン
22話「第三の終章」殺し屋エディ・ケイン
27話「逆転の構図」前科者アルビン・ダシュラー
31話「5時30分の目撃者」ナディア・ドナー
33話「ハッサン・サラーの反逆」総領事館員ハビブ
39話「黄金のバックル」警備員ミルトン・シェイファー
51話「だまされたコロンボ」女社長ダイアン
このうちエディ・ケインのみが純粋な意味での殺人の共犯(あるいは実行犯)で、他の方々は犯人に利用されていたり、殺人計画とは知らずにだまさていたケースが多いです。ダットン大佐は、ビジネス上の不正という意味でホリスター将軍の共犯者。
犯人の悪事を知ったのが「命とり」
4話「指輪の爪あと」ケニカット夫人
15話「溶ける糸」手術助手シャロン
21話「意識の下の映像」ノリス社長
23話「愛情の計算」ニコルソン博士
26話「自縛の紐」ジーン・スタッフォード
40話「殺しの序曲」バーティ・ヘイスティング
42話「美食の報酬」レストラン主人ビットリオ
46話「汚れた超能力」マックス・ダイソン
50話「殺意のキャンバス」前妻ルイーズ
この方たちは、悪人ではありません。むしろ正義感が強い人が多く、それが故に命を落とします。
犯人の殺人を知り脅迫し、口を封じられる…
13話「ロンドンの傘」執事タナー
18話「毒のある花」秘書シャーリー
21話「意識の下の映像」映写技師ロジャー・ホワイト
上記の方々は、第2被害者。みんな悪人とまでは言いきれないけれど、人の弱みに付け込んで罰が当たったのです。
犯人の殺人を知り脅迫するが、命を取られなかった人も
41話「死者のメッセージ」秘書ベロニカ
58話「影なき殺人者」秘書トリッシュ
※11話「悪の温室」のおバカちゃん秘書は、犯人を取り違えているので除外です。
※6話「二枚のドガの絵」の頁の、
The Cooler King様の2025年1月30日のコメントへの返信
『ナイブス・アウト』、確かにトランプ時代のアメリカに対する鋭い皮肉を感じさせる映画です。不法移民として登場する看護師キャラクターの立場や、彼女が抱える窮地の描き方が、まさにその時代の排外主義的な雰囲気を反映していると感じます。ダニエル・クレイグが演じる、ユニークでチャーミングな探偵も、伝統的な探偵像に新しい風を吹き込んで、観客にとっては本当に楽しめるキャラクターでしたね。ジェイミー・リー・カーティスも存在感を放っていて、全体的に遊び心満載のミステリで、観ているだけでワクワクしました。
また、『第9地区』は映画館で観ましたが面白いですね。移民問題や人種差別を異星人という形で描いたあのユニークなアプローチは、まさに今の社会に対する強烈なメッセージを込めていると思います。映画を通して、違う文化や背景を持つ者たちとの共生の難しさと、その重要性を考えさせられます。
そして、『ブラザー・フロム・アナザー・プラネット』も、素晴らしい作品ですね。異星人のキャラクターが言葉を使わずに周囲と関わりながら、異なる文化や背景を持つ人々との絆を育んでいく様子が、非常に温かく、そしてユーモアを交えた描写が見事ですね。確かに、人種や移民問題をテーマにしつつも、異なる立場の人々が理解し合い、共感していくプロセスを描いていて、心に残る作品です。
最後に触れられた『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』における、「アストリッドとフルニエ先生」の関係も、まさにおっしゃる通りですね。最初はお互いに理解し合えない部分があっても、少しずつ心が通じ合い、成長していく様子には感動します。人との関わり方や、理解し合うことの大切さを教えてくれる心温まるストーリーでした。
先日の米・航空機衝突事故について、トランプ大統領は、
「FAA(連邦航空局)は重度の知的障害や精神疾患などで苦しむ人たちを積極的に採用している。同局のHPに『多様性と包摂性に基づく雇用』だと明記している。考えられるか? 聴覚・視覚、四肢の欠損、部分・完全まひ、てんかん、重度の知的障害と精神障害、低身長症などが航空管制官として適格だというのだ」
「『安全な渡航を実現するために多様性が不可欠だ』という。私はそうは思わない。むしろ逆だ。FAAには『白人が多すぎる』という意見が上がっていた。私が就任する直前のオバマ政権時代の話だ。『白すぎる!』そんなことを言うから私が当選したのだ」
などと、発言したとか。
これを聞いたら、アストリッドやコロンボは、どう感じるでしょうか?
アメリカは、いったいどこに向かおうとしているのでしょうね。
改めて、
「平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです」(夏目漱石の小説『こころ』より)というという言葉を連想しました。
こんな時代だからこそ、映画を通して、多様性や共生について考えるきっかけが得られる作品は本当に貴重ですね。あらためて素晴らしい映画たちを思い出させていただき、ありがとうございました!
ブログ本文を読み、
「平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです」
という、夏目漱石の小説『こころ』の「先生」の言葉を想起しました。
人間は、善人になるのと悪人になるのとは、ほんの紙一重ですね。
突き詰めれば、「善」と「悪」の境界線さえもが、あやふやです。
名言ですね。
『刑事コロンボ』シリーズは、西洋的な善悪二元論を超えた要素を内包しているところが奥深いですよね。