60話「初夜に消えた花嫁」

No Time to Die / 1992

この作品は私のような古典的コロンボファンにとっては、許されざる類(たぐい)のお話なのですが、意外と高く評価する人も存在するのです。これは面白い現象です。

賛否両論あります

激しく賛否両論が出ます。酷評が多いのですが、この作品が好きだという意見も頂きます。例えば18話「毒のある花」、22話「第三の終章」など、比較的「賛否どっちも少ない」作品より話題になるみたいです。

何年かかろうと、深く分析したい作品

私のコロンボ作品の鑑賞回数としては、この「初夜に消えた花嫁」と「死を呼ぶジグソー」が最も少ないです。どうしても好きな作品を中心に記事を書きがちですが、この作品もいつか深く探求して記事を書き上げるつもりです。

監督:アラン・J・レビイ
原作:エド・マクベイン
脚本:ロバート・バン・スコイク

アンディ:トーマス・カラブロ(声:大塚芳忠)
メリッサ:ジョアンナ・ゴーイング(声:佐々木優子)
ストラッサー:ダニエル・マクドナルド(声:谷口節)

加筆:2020年8月18日

“60話「初夜に消えた花嫁」” への136件の返信

  1.  「初夜に消えた花嫁」は、将棋の格言「名人に定跡なし」という考え方に通じる作品と言えるのではないでしょうか。通常の「刑事コロンボ」シリーズでは、倒叙ミステリー形式が定跡であり、観客もその定跡を期待して視聴します。しかし、このエピソードは定跡から大きく外れ、異なるミステリー形式を取っています。
     「名人に定跡なし」とは、卓越した人は定番に縛られず、状況に応じて最適な手法を自由に選べるという意味です。この作品では、シリーズ自体がすでに成功を収めた「名人」としての立場にあり、あえて倒叙という定跡に頼らず、別の方向に可能性を探り、リスクを恐れず挑戦しています。

    1.  「変える必要もないし、変えられない、あるいは変えるのが億劫だということになったら、そのときは僕が引退するときだ。変えられる間はまだ頑張れる。」と、かつて将棋の米長邦雄は言いました。

  2. ☆『刑事コロンボ』各話並行宇宙論☆
     『刑事コロンボ』でも、全69話もあると、エピソード間で、よくこちらで指摘されるような様々な大小の矛盾が生じていて、私も気になっていましたが、「69のパラレルワールド(並行宇宙)に存在する、それぞれが別なコロンボ」と割り切って考えるようになってから、何のストレスも感じなくなりました。ぼろんこ様はじめ、多くの皆様が気に入らないと「つまはじき」にされている、本作なども、パラレルワールドとして楽しみたい回の最たるものかもしれません。
     本作60話「初夜に消えた花嫁」に限らず、テレビシリーズ『刑事コロンボ』を毎話ごとにパラレルワールドとして捉える考え方は、ある意味で合理的です。これは特に「シリーズの特性」や「物語の独立性」に注目する視点に基づくもので、今回は、以下、もう少し具体的に「自論」を述べてみます。
    1. 各エピソードの独立性
     『刑事コロンボ』は、各エピソードが独立した物語として構成されています。犯人、舞台、背景、事件の詳細は毎回異なり、コロンボのキャラクターや基本的なスタイルは変わりませんが、基本的に、過去の事件や展開は通常次のエピソードに影響を与えません。このように、各話が互いに独立しているため、パラレルワールド的に捉えることも可能です。
    2. 犯人との知り合いの多さ
     シリーズが進むにつれて、コロンボは毎回異なる人物や犯人と出会いますが、まるでその相手と初めて会ったかのように振る舞います。これが数十話続いても、コロンボが過去の事件を参照したり、知り合いを再び出会ったりすることはほとんどありません。この点も、各話が別々の世界線であるという考え方を支持する要素です。
    3. コロンボの一貫したキャラクター
     一方で、コロンボ自身は一貫したキャラクターであり、性格や話し方、服装、捜査方法はほとんど変わりません。この点では、コロンボが複数のパラレルワールドに共通して存在している存在とも捉えることができ、各エピソードが異なる「世界」で進行していると考えることが、キャラクターの変化を求めない合理的な説明になるかもしれません。
    結論
     パラレルワールドの考え方は、連続性が薄い構造の作品である『刑事コロンボ』に適用することができます。物語がエピソードごとに独立し、シリーズを通しての連続したエピソードが極めて少ないため、コロンボが毎回新しい世界で事件を解決する存在だと捉えるのは、作品の特徴を理解する一つの見方として、とても合理的な仮説だと思うのですが、いかがでしょうか。

    1.  一般的に、テレビドラマの映画化では、パラレルワールド設定が取り入れられている作品は多いです。
       映画版とドラマ版で異なる時間軸や設定を用いることで、視聴者に新しい視点や展開を提供できます。パラレルワールドの設定は、ドラマから映画への移行に伴い、既存のファン層を維持しつつ、新しい物語の自由な創造を可能にする手法です。

  3.  本作「初夜に消えた花嫁」では、劇中のシーンが変わるごとに、劇中の曜日や時刻を画面に表示する形式が特徴的ですが、その源流は、おそらく、映画『5時から7時までのクレオ』にあると思っています。
     映画『5時から7時までのクレオ』(Cléo de 5 à 7、1962年)は、フランスの映画監督アニエス・ヴァルダによって制作されたニューウェーブ映画の代表作の一つで、映画はその斬新な形式と詩的な内容、特に現実時間に近い形で進行するストーリー展開によって高く評価されています。劇中の2時間を描き、その間に主人公クレオが癌の検査結果を待ちながら過ごす時間の不安と内省を追うという独特なスタイルが魅力です。
     映画の大きな特徴は、ほぼリアルタイムで進行するストーリー構成です。観客は、クレオが不安に駆られながらパリをさまよい、様々な出会いを経て自己を見つめ直す過程を同時に体験します。映画の中で時間が経過していく様子が、現実の時間とシンクロしている点が斬新でした。ヴァルダは、映画のリアルな時間感覚を活かして、クレオの感情的な変化を直接的に表現しました。
     主人公クレオが映画を通じて自己発見を果たし、外見や名声に依存する生き方から脱却する過程が描かれており、女性の自己決定や自己認識に対する深い洞察を含んでいます。これにより、映画はフェミニスト映画としても注目を集めました。
     ヴァルダの美的感覚と、ミシェル・ルグランによる印象的な音楽が、映画の詩的なトーンを強調しています。カメラワークや、パリの風景の中に潜むエモーショナルな要素を捉える視点も高く評価されました。
     『5時から7時までのクレオ』では、シーンが変わるごとに劇中の時刻が画面に表示される形式が採用されており、この手法は後の映画やテレビドラマに影響を与えました。この形式は、時間の流れや物語の緊張感を強調するのに有効で、リアルタイムで進行する物語に特に適しています。
     具体的に同映画が影響を与えたであろう作品としては、ちょっと思いつくだけでもいろいろあります。
    1.『24 -TWENTY FOUR-』
     アメリカの人気ドラマ『24』(2001年〜)は、『5時から7時までのクレオ』と同じくリアルタイムで進行する形式を採用しており、1シーズンが24時間を描くというコンセプトで、各エピソードは1時間のリアルタイム進行をしています。各シーンの時間が画面上に表示されるフォーマットも、視聴者に時間の緊迫感を伝えるための手法として効果的でした。
    2.『ローン・サバイバー』(2013年)
     ピーター・バーグ監督の映画『ローン・サバイバー』では、軍事作戦の進行をリアルタイムで追い、その合間に時刻が表示されることで、実際の出来事に近い時間の流れを強調しています。これにより、映画の緊迫感や戦闘の激しさが一層リアルに感じられました。
    3.『仮面ライダークウガ』(2000年~2001年)
     東映制作の特撮テレビドラマ作品『仮面ライダークウガ』でも、劇中のシーンが変わるごとに、劇中の時刻と場所を画面下に表示する形式になっています。登場する地名も実在するものに限られ、劇中の描写と時間の経過は整合性を重視するために綿密に計算されていますが、Wikipediaによりますと、交通機関でのシーンでは劇中の時間を現実の時刻表に合わせるための調整が必要になるなど、苦労も多かったらしいです。
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     『5時から7時までのクレオ』は、リアルタイム進行や時間の強調によってストーリーテリングに新たな視点を提供しました。この技法は、視聴者に登場人物の感情や状況を時間的に体感させる効果を持ち、現代の映画やドラマにおけるサスペンスやドラマチックな要素を高めるために多用されています。
     ヴァルダの映画がもたらした形式的な影響は、映画史において革新的なものであり、現代の多くのクリエイターがこの手法を取り入れることで、物語のリアリティや緊張感を高めることに成功しています。
     『刑事コロンボ』では、時間の経過が曖昧な回も多いので、「初夜に消えた花嫁」の回は、そうした意味でも興味の尽きない作品です。

    1.  余談ですが、1960年代前半におけるフランス国民のアルジェリア戦争泥沼状態の憂鬱な空気を、内側から描いているのが映画『5時から7時までのクレオ』で、外側から描いているのが小説(原作)や映画版『ジャッカルの日』ともいえそうです。
       The Cooler King様が別頁のコメントでも最初に指摘されていたとおり、原作小説の『ジャッカルの日』では、いつもしわだらけのスーツにレインコートを羽織った、愛妻家だけれどカミさんに尻に敷かれていて頭が上がらない、コロンボ的性格のクロード・ルベル仏司法警察刑事部次長が、ド・ゴール大統領暗殺阻止のための犯罪捜査で大活躍します(映画版では、コロンボとは少し雰囲気が異なります)。

    2.  それにしても、今更ながら、本作のぼろんこ様の記事は、あまりにも寂し過ぎませんかねえ。
       あれほど端役の俳優さん出演の発見には力を入れらるぼろんこ様なのに・・・。

  4. 私は本作は「ふだんの本当のコロンボ」が見られる「良作」だと思います。
    コロンボは「ヨレヨレの無能で冴えない刑事」をいつも演じていますが、ロス市警では「有能な刑事」として一目置かれていることは明らかです。そうでなければ、パイルD3事件など何回も無茶な捜査が許される理由がありません。
    いつもはこんな風にバリバリやってるんだろうな、という意味で「納得の事件」です。この作品の大活躍で今までのモヤモヤがスッキリしたので、シリーズの中で意味のある良作というのが私の意見です(^o^)。
    もう一つどなたかも仰ってたが、ピーターフォークがいっぺんこんな風に大活躍してみたかったんでしょうね(^_^;)。

    1. 初めての投稿なのに自己紹介を忘れました。スミマセン(^_^;)。
      刑事コロンボは小学生の時に親といっしょ見てました。パイルD-3の壁、意識の下の映像、5時30分の目撃者などははっきりと覚えてます。大人になってからあらためて、旧シリーズはDVDで全作2回以上、新シリーズはBSの録画をコツコツ見てます。
      新シリーズに批判的な方が多いようですが、どちらも面白いのもあればつまらないのもある、というのが私のスタンスですが、あえて新シリーズの好きなところを言うと、ピーターフォークがコロンボの枠から飛び出してやりたいようにやってるところ。これは意見の異なる方が多いでしょうね(^_^;)。

      1. 還暦ホッケーボーイさん、初めての投稿ありがとうございました。私と同世代ですね。どちらも面白いのもあればつまらないのもある>同感です。これからも、コロンボライフを楽しまれてください〜。

  5. 冒頭で歌われる歌、For He’s a Jolly Good Fellow について。
    結婚式や誕生日会で歌われるお祝いの歌です。
    歌詞は以下の通り。イギリス版は二行目が違います。
    For he’s a jolly good fellow,(3回繰り返し)
    which nobody can deny!(3回繰り返し)
    アメリカ映画やドラマで良く流れますね。

  6. 異色の作品ですねー
    犯人も動機も最初は分からない。結局、犯人は知り合いでなく、マザコンのストーカーということでした。犯人が自分の公の住所に女性を監禁しているのが少し不自然かな、くらい。膨大な出席者からリストと写真で不審者をあぶりだしたり、誘拐に使った車種をたくさんのカタログと工夫で割り出したり、面白いところが多々あります。銃を握って突入する珍しいコロンボも見られます。甥っ子の嫁さんの誘拐なら普段は嫌な拳銃も携行するでしょうね。

  7.  刑事コロンボは、水戸黄門のように、安心して見ていられるから好きなのに、これは怖すぎます。まるで、クリミナルマインドですね。すぐBAUのホッチナー捜査官に連絡した方がいいです。プライベートジェットで駆けつけてくれます。解決の糸口も、拡大写真のカレッジリングと目撃証言の救急車からなんて、クリミナルマインド的な気がしました。

  8. ストーリーについては皆さまから賛否出尽した感はあるので、登場人物の皆さんについて。
    披露パーティでコロンボと語るヘイズ夫人、娘にそっと優しく投げキスする仕草がチャーミングだったこと!演じる Juliet Mills さんは子役から活躍されている方なようで、きっと当時のアメリカの視聴者は誰もが知っているお顔なのでしょう。奇しくも夫のヘイズ氏役の Donald Moffat さん共々、イギリスご出身だそうです。声を当てているのはご存じフネさん役の麻生美代子さま。こちらもチャーミングでした。
    そのヘイズ氏、落ち着いた花嫁の父役で、娘の誘拐を知らされるシーンでは目を見開いて口をつぐみ、立っていられなくなり腰を下ろしながらも、コロンボの目をにらみ続ける抑えた演技は素晴らしかったのではないでしょうか。眉毛が村山元首相みたい。
    新郎アンディと介添人マルーニー刑事は『メルローズ・プレイス』つながりの人なのですね。私は観ていないのですが、なるほど二人とも甘いマスクですね。若手3人組の筆頭グッドマン刑事が最初から最後まで重要シーンに出ていました。情報屋とのやり取りが面白かったです。”Fatty(おデブちゃん)”とか “sweet heart”とか呼びで、付き合いが長そう。さすが誘拐事件のベテラン。ついでにデブちゃんも良い味出してました。
    車の目撃者ビル・ベイリーさんも味のある演技でしたね~。歌にある名前でからかわれたというので調べてみました。”(Won’t You Come Home) Bill Bailey” と言う20世紀初頭のディキシーランドジャズのトラディショナルだそうです。白い車の正体が救急車だとわかるまでの、あくびをかみ殺した末のわかった時の嬉しそうな顔がかわいい。日本の役者さんでこんな顔と声の人がいる気がするんですけど、誰だったかな~・・・
    コロンボがカメラマン アレックスを追って出版社へ乗り込むところ、コンクラーベ並みの協議中を破られた敏腕編集長は吹き替えではちょっととげがありますが、原語版で聞くと嫌な顔一つせず、むしろ興味津々な様子でとてもいい人でした!
    そして、ついに出た噂の課長(Captain Derek=Lance LeGault)!私は仕事で相手が納得し得ない正論をかざさなければならない時は上司のせいにすればいい(笑)ということをコロンボで学び、部下にも「上司が納得しないって言っていいから」と言うようにしています。「何ですぐ報告しなかった」とか「完璧な報告書を出せよ」とか、これがいつもコロンボが言ってるやつか~とニンマリしました。低い声と渋いお顔で素敵!パトカーをサイレンがんがん鳴らしていくのをコロンボに説得されての一言、吹き替え版は「口説きがうまいな」ですが、英語では「You’re breaking my heart(多分こんな感じ)」。ハートを鷲づかみ的な?
    こうして観ると、この作品は役者さんは結構粒ぞろいで見応えがあったと思います。

  9. これはコロンボ作品の定番を逸脱したサスペンス物ですね。時刻を入れて誘拐後どれだけ時間が経ったのか? 捜査はどう進展しているか示しています。しかし、
      1.誘拐犯がちょっといかれたサイコパスでエスタブリッシュではない。
      2.殺人事件ではない。
      3.緻密に証拠を積み上げるのがコロンボなのにやったことは人海戦術。
      4.油を塗って戸を外すなど実際に出来るのか?
      5.コロンボと犯人との息詰まるやりとりがない。
    などなど。異色作を目指したのでしょうがコロンボの面白さが全く発揮されていません。
    新シリーズは流石にネタ切れでサスペンス物を入れざるを得なかったのか?
     おそらくファン投票でも下位をさまよっているでしょう。

    1. 下位をさまよっていると思いきや、何と20票も入っているでは有りませんか?
      驚きです。映画やテレビ、本は人によって評価が分かれるという見本ですね。 
        私もぼろんこさんと同じでこれはコロンボシリーズに入るべき作品ではないと思います。コロンボは「もう一つ」「後一つ」と犯人をじわじわと追い詰め証拠を見せつつ、最後に「いや~負けたよ。私がやったんだ」と陥落させるのが醍醐味ですから。

      1. >コロンボシリーズに入るべき作品ではない
         でも、現実にコロンボシリーズに入っているんだから、仕方ないではないですか。
         だいたい、どんなに人気がある長期シリーズにも番外編はあります。
         私は、気に入らない場合、「外伝」とか「アナザーストーリー」として、脳内で位置付けるようにはしていますが。
         
         

        1. 芸術作品が常にパーフェクトいうことはないですよね。モーツァルトでもベートーベンでも「え! これが?」を思うような物はあります。
            コロンボもネタ切れで仕方なく既存の作家の作品をテレビ化するなどやったのでしょう。宮崎駿が晩年に短編を作ろうとして断念してますよね。
           今までの積み重ねをぶちこわしたくないという作家としての矜持でしょう。
          周りからの期待が大きくなればなるほどコロンボをやる制作陣も苦労したんでしょうね。ピーターフォーク自身がこの作品をどう語っていたのか興味あります。ご存知ならお教え下さい。(引用で無ければ大丈夫と思います)

          1. >ピーターフォーク自身がこの作品をどう語っていたのか
             そのあたりの事情については、
             tempus fugit 様による、2022年6月19日 6:55 PMのコメントなどが、きっとご参考になりますよ。

  10. 確かに、数あるコロンボ作品の中でも、
    褒められたもので無い異色な作品だと感じられます まぁそれ自体は動かし様の無い事実であり、その事に付いて論じる気はありません ただだからと言って単なるつまらない作品だとは思いません 容疑者を縛る手立てなどは結構悪く無く感じました
    更には、犯人が医者を匂わせる流れながら
    、実はキーポイントの車から救急車の運転手だったと…
    「トラブルが有ったので帰らされた」ってセリフも意味深で良かったかなぁと
    そんな風に「へ〜っ…」と納得させる展開は見事だと感じました
    しかしですね、自分がこのメッセージでぼろんこ様に1番伝えたい事は、ぼろんこ様的に
    好みで無い作品だとしても、もう少しいつもの通り、出演役者達の情報などを手抜きしないで欲しかったって事でございます
    余りにも作品情報が無さ過ぎです
    自分はコロンボ観て、コチラのサイトで理解を深めるのが楽しみです
    今回ちょっとガッカリ致しました
    そしてそして、今回に限らず、作品情報を
    もっと詳細に掲載頂きたいです
    出演役者さんと吹き替え俳優さんを
    くまなくお願いしたいです
    それくらい、コロンボ作品とこのサイトは
    、自分にとってリンクしております
    と、勝手な感想とお願いのメッセージでした
    いつもいつも、有り難く活用させて頂き、
    感謝と共にのメッセージをお許しください

  11.  皆さんが悪口をおっしゃればおっしゃるほど弁護したくなる不思議な作品です。
     制作側は非難轟々になるのは百も承知で、確信犯の罪で炎上するのも最初から覚悟の上だと思います。
     いいぞ、いいぞ!!
     もっともっと非難されまくれ!!
     嫌われる勇気だ!! 頑張れ!!

    1.  じつは、私の疑問は、皆さんとは全く異なる。
       花嫁さん、長時間縛られ監禁されて、トイレは大丈夫だったのか?

      1. 西洋文学の伝統として、監禁された人の排せつに関しては
        具体的叙述を避けるという暗黙の了解があります。
        メジャーどころでは『巌窟王』なんかもそうですよね。
        もちろん人間なので、足腰立たなければおまるかおむつの
        どちらかに世話になるのですが、あえて書かないという。
        文学じゃなくリアルな話としては、テッド・バンディなどは
        監禁場所にはそれ用のバケツを置いてたようです。
        また、某USAメジャー航空会社に勤務するCAの知り合いは
        「訓練すればコントロール可能だし、職業柄ある程度平気」
        と自信ありげにかたっておりました…。
        半日くらいは平気だそうです。

        1.  ありがとうございます。
           とても勉強になります。
           言われてみれば、射殺されてもあまり出血を見せない通常運転回での「お約束」と一緒だと割り切るべきでした。
           しかしながら、あえて幾分リアルな描写寄りに振った野心的な今回の作風下においては、どことなく中途半端で説明不足による齟齬が残ってしまった気も個人的にはします。

  12. 基本的な感想は去年と同じですね。エド・マクベインの87分署シリーズの一篇だと思って観れば、ちゃんと観れます。しかし「コロンボ」では、こりゃアキマヘンがな。「コロンボ」として一番いただけないのは、「甥っ子」をホントに出しちゃあいけません。本当に身内がいるのかいないのか、ファーストネームは何か、もわからないのが「コロンボ」です(と根拠もなく断言しておきましょう)。

  13. 脚本が確保できなかったから作った、と言われてるマクベインもの2本ですけど、特にジグソー回で顕著なようにピーター・フォーク自体はノッて演技しているようにも見えるので、制作動機は単に「ピーター・フォークがこういう作品もやりたかったから」なのかなと思っています。
    普通の刑事ドラマの中で駆け回るコロンボ。作品自体は緊張感もあり悪くない気はするんですが、「コロンボでやる意味はないよね」と何度見ても思います。

    1. 私も、このエピソードに関しては「コロンボでやる意味はないよね」派です。
      でもa90さまのご指摘のように、ピーター・フォークの表情は生き生きとしているという感じがします。
      コロンボらしい”いつもの路線”がファンに受けると分かっていても、何年も同じことの繰り返しは飽きますよね。たまには他の事がやりたくなる….いたって普通の心理だと思います。
      新シリーズにこういった異色のものが時々出てきたのは、ピーター・フォーク自身の気分転換という側面があったのかもしれないですね。

  14. あれ?今回は人物紹介してくださらないのでしょうか…?美しいモデルさんの女優さんの名前やいつもの楽しい推察拝見したかったです涙
    お時間ある時で結構ですので強く切望です…
    いつも本当に楽しく拝見させていただいてます。
    私の中ではぼろんこさんのブログを読み終わるまでが刑事コロンボなのです^^✨

    今回は犯人が死んでしまうし、犯人がイライラするやりとりが見られ無いのが残念でしたがこれもまたアリなのかなと…

    1. あべかわもちさん、コメントありがとうございます。
      近々「人物紹介」を加筆いたします。

  15. たまたま家にいてNHK BSでこの回を今日観ました。このエピソードは初見だったのですが、最初から犯人が誰であるのかが分からない、いつものコロンボの定石でなく、おやおやと思いながらも見続けてしまいました。
    観終わってこんなプロットのエピソードもあったとは!?と軽く驚きながらこのエピソードを少しネットで検索してこのページに辿り着きました。やはり、賛否両論だったのですね。
    自分はコロンボが普段以上に人間味溢れて見えてとても印象に残る回でした。
    定石の安定感も大切なこととは思いますけどね

    1. 邦題が気に入らず、放映があっても見ずにいました。今回、NHKBSで見ました。展開がいつもと違うのでコロンボをはずれ、その意味で楽しめました。最初のパーティーシーンでカメラマンがやたらとシャッターを切りまくるので、写真が決め手になる予感はしました。最後、犯人が射殺されたのに、新婦が無事で喜び笑顔のコロンボには多少違和感を感じました。コロンボというよりもサスペンスでしたね。原題は007の様ですね。。

  16.  かつて若いころ、このエピソードを観たとき(初見ではなかったと思う)
    「あぁ、コロンボさんは《警察官》なんだ」と畏敬の念を覚えたお話。
     ハッキリ言ってしまうと好きなお話ではないんですけれども。
    「警察」という組織のチカラ的なモノの歯車をコロンボさんが良演してくれたように感じています。
    だからこそ「らしくない」んですけどネ。
     よく「死を呼ぶジグソー」と対比的評価をされますけれども。
    わたしは、あちらのエピソードがお気に入りです。
    組織力というモノの中にある個人の能力や役割が色濃く感じられるような気がしています。
    だからこそ、コロンボさんの「司令官スキル」の高さをもっとバッキバキに表現してほしかった。
    そこで満足できていれば、★3つだったかも。

  17. 太陽にほえろ!の基本パターンは87分署シリーズを参考にして作られました。昔、太陽〜好きが高じて87分署シリーズは完全制覇したものとしての意見として言わせてもらうなら、この手の作品だと脚本家が原作無視のオリジナルを展開するのが常ですが、本作と、死を呼ぶジグソーはかなり原作に忠実に製作されています。だからコロンボとしては異色作となってしまいます。まあ、コロンボの外伝として鑑賞するのがよろしいかと。

    1. 87分署シリーズを原作とした国産テレビドラマとして92年から98年まで放映された渡辺謙主演の「わが町」がありますね。

  18. こんにちは。
    ハワイでの放映が続いていて、昨夜は「No Time to Die~初夜に消えた花嫁」を観ました。
    構成上の賛否両論は置いておいてw、【Turkish bath】(直訳するとトルコ風呂ですが、日本の風俗のそれではなく、サウナとマッサージのパーラー)のシーンなど、タレコミにも足を運ぶ巡査部長の様子などから、チームワーク捜査がなされているという裏方を知ることが出来ました。
    制作当時は、サイコパスをテーマにした映画が増えて、世の中もデジタルへと移行。
    そんな社会背景を意識して、秒読みの如く時刻を明示したのでしょう。
    それにも増して、コロンボの人柄が浮き出たのではと思いました。

  19.  このところ、他に観たい映画やドラマを我慢してまで、「刑事コロンボ」シリーズを続けて鑑賞し続けてきたのですが、昨日ほど、次にどの回を観ようかと迷ったとき、本作を観たくなった日はありませんでした。
     きちんと警察が組織として機能し、メンバーの一人一人が殺人犯の犯罪を阻止しようと活躍し、コロンボも、あくまでも警察組織の一員として連携プレーで大活躍、みんなの懸命な努力の結果として犯人による殺人は無事食い止められた・・・、まるで「プロジェクトX」のようでカッコいいです。
     残念ながら、今後も「刑事コロンボ」シリーズで、本作をこそ観たくなる日は、きっと何度もやってくることでしょう。
     そして、その日は必ず、卑劣な犯人による殺人など反吐が出るほど拒絶したくなる日に違いありません。

    1. > YC-30さま、いつも拝読してます。
      そうなんです、今回に限っては絵に描いたような組織捜査!日本の刑事ドラマ的な印象さえあります。いつものコロンボの単独捜査は、日頃から「ペアで動かなくていいんかい」とか「一人でつかんだ手がかりに証拠能力はあるんかい」とか毎回突っ込まずにはいられないので、ある意味安心して見ていられたというか(笑)
      『プロジェクトX』って(^_^;)

      1. kiriko 様
         ありがとうございます。
         そうなんですよ!(笑
         これをコメント投稿した日は、元首相が暗殺された、ちょうど翌日でして、日本の警察の組織力の低さやSPの連携プレーの緩さを、非常に情けなく思っていた時でした。
         ところが、その後は、被害者・加害者双方が、カルト宗教の犠牲になった悲劇を描いた、今までそれほど好きではなかった24話「白鳥の歌」に、突如として物凄く惹かれるようになりました。
         社会情勢や、その時自分の置かれた境遇により、好きな回の順番なんて容易に変わるものだという好例だったと感じています。
         早い話、いくら15話「溶ける糸」が一番好きな人でも、自分が入院して大手術を受ける前日には、普通は観たくならないですよね(笑
         だから、人気シリーズには多様性が有ったほうがいいと思っています。

        1. YC-30様
          多様性、同感です~。『水戸○門』までいくとある種の様式美ですが!
          確かに、年齢や経験を経ると見方も変わりますね。
          私も連れを亡くしてからは年配の夫婦愛につまされるものがあり、本話はコロンボもさることながら、花嫁の両親もほんとに素敵だなあと思いながら、今回流し観も含め4回くらい観てしまいました。エド・マクベイン悪くないと思います。

  20.  本作は冒頭からコロンボの甥が登場するという、シリーズのタブーを犯して、犯人による殺人事件そのものは無し。
     同じくエド・マクベインの《87分署》の翻案64話「死を呼ぶジグソー」は4つもの殺人事件があり、新旧シリーズ全69話を通して、コロンボが、カミさん、家族、兄弟、親戚、いずれの話もしなかったのは唯一の作品。
     2作は、そうした点が対照的で、肯定派はどちらも異色作として楽しめばいいし、否定派は素粒子のように「対消滅」したと考え、この二つを欠番にして無かったことにしてしまえばいい。
     私自身は、新シリーズでは、こうした試みがあってよかったと考えています。

    1. 賛否はあって然るべきです。
      しかしながら、ぼろんこ氏同様、私も前述の二作にアレルギーを持ってしまっております。原因はシンプルです、、
      『この台本なら、コロンボでなくて良いのでは?』 です。

      1.  ある海外の熱烈コロンボ・ファンのブログに寄せられたコメントも、概ね評判が悪かったです(笑)。
         たとえば、こんなコメントがありましたよ。
        《このエピソードは悪いです。最悪の『刑事コロンボ』は「マリブビーチ殺人事件」だとは思いますが、しかし、それにしても悪いです。非常に、非常に悪い。以前、『刑事コロンボ』の新シリーズのエピソードを擁護したことがありますが、最高のものは70年代のエピソードと同じくらい良いし、90年代のエピソードで小言を言われる欠点はすべて46話「汚れた超能力」にもあったのです。
        しかし、これは擁護のしようがない、バツグンです。(中略)
        でも、ジョアンナ・ゴーイングは驚くほどの美貌で、彼女はもっと偉大なスターになるべきだったのです。信じられないような目の保養になりました。この酷いエピソードで唯一救いなのは、それだけです。》
         否定派の皆様のお気持ち、ごもっともです!
         それでも、何か特別なことが有った10年に一度ぐらいは、もう一度観たくなる日が来るかも知れませんよ(笑)。

  21. ゲストスターがメルローズプレイスのトーマス・カラプロやったので楽しみにして観たらまさかの異色作でガッカリした記憶がありました。内容的にはコロンボではないと思えば・・・

  22.  「影なき殺人者」に続けて、異色作つながりで(笑)こちらも久しぶりに観ました。
     この作品、ファンの最大公約数的な感想としては、
    ・シリーズの基本設定からの大幅な逸脱作であり、「コロンボ」ではない。
    ・エド・マクベインの原作小説の映像化としては、なかなかよくできている。
    とまとめることができ、それぞれの立ち位置や思いによって、「認められない、許せない」から「結構楽しめる」まで評価がバラつく、あるいはどうとらえたらいいのか困惑する、というところではないかと思います。
     私は「87分署」ものを若い時に何冊か読んだことがありますが(もう書店からはまったく姿を消しましたね)、今回の原作は読んだことはありません。それでも、もっと素直にドラマ化したら皆が受け入れられる作品になったのでは、と思いました。私でも思いつくような妄想は、
    ・アンディ刑事は、駆け出しの時に最初にコロンボから指導を受け、以後慕っている、くらいの設定にし、姻戚関係はなしに。
    ・誘拐事件ではあるが、アンディ刑事のつながりで殺人課員も含めて捜査班が組織され、コロンボも参加(まあ、これは今のままでもそう解釈すればいいですね)。
    ・コロンボはいつものように単独の捜査。しかし他のメンバーの捜査も描き、コロンボも含めた捜査会議で情報をすりあわせる。最終的に、彼の独自捜査の成果が突破口になる。
    ・クライマックスの強襲で犯人には威嚇射撃、もっと譲っても1,2発でのケガにとどめる。隠れている部屋をコロンボがたまたま最初に見つける形にするとなお良いか。
    ・エンディングは、
    課長「コロンボ、さすがに今回は拳銃を持ってきただろうな。」
    コロンボ「もちろんです課長。(服をまさぐって)あれ?変だな、確かに持ってきたはずなんだが・・・。」・・・チャンチャン。
     ちょっと「太陽にほえろ!」みたいですが、こんな感じならコロンボの番外編エピソードとしても無理がないのではないでしょうか。
     といっても、制作陣はまったくそのようなことは考えなかったようです。他のエピソードのコメント欄にも少し書きましたが、製作舞台裏を書いた本によると、ピーター・フォークはミステリに詳しい知り合いから「エド・マクベインは凄い」と聞かされ、読んでみたら「コロンボ」とは共通点がないと思いつつも、親友パトリック・マクグーハンの「ふだんのパターンと違うことを常に考えろ」という持論を聞かされて、これに基づく「コロンボ」を決意。マクグーハンは製作に参加しなかったものの、監督に決まったアラン・レヴィもフォークと「やるなら中途半端ではなく、コロンボの枠にとらわれない作品にする」と申し合わせて製作しました。放送の結果、視聴率は非常に良かったそうです。しかし評論家たちからは酷評され、フォークは「これが今回手に入るもっとも良いホンだった」と釈明した・・・とその本”Shooting Columbo”は書いています。
     私の好きなSFドラマ「新スター・トレック」(ネクスト・ジェネレーション)に、「若き勇者達」という回があります。このシリーズ日本版の常として超安っぽい邦題になっているのが残念ですが(「コロンボ」旧シリーズと対象的)、原題は”Lower Decks”(「下層デッキ」)というもので、毎回超人的な活躍をする主人公クラスの上級エリート士官ではなく、宇宙船の下部デッキが持ち場で”その他大勢”扱いの下級士官たちに焦点をあてた、泣ける名作エピソードでした。
    それとはちょっと意味合いや視点は違いますが、「いつもとは違うエピソード」にするからと言って、ここまで奇をてらう必要はなかっただろうに・・・と感じた異色作でした。

  23. 原作がコロンボ向けに作られていないので終始コロンボ的ではない本作ですが、ただ一点楽しめる点としては、コロンボが身内に対してはいつも以上に頑張ってくれる事が分かる事です。
    無精髭を生やし、あくびを噛み殺し、サンドイッチ食べつつ車を運転し、事件の真相に最短でたどり着く姿勢は普段のシリーズでは見れない姿なので、それについては大変感動しました。
    …とはいえ、後半のアクションシーンにコロンボがいても全く役に立たないので、最後は車で寝落ちしてしまうとかでも十分だったように思います。サイレンを止める点まで最善を尽くしたあとは、自分にできる事は何もないとコロンボは悟っていたはずですので。

  24. 本作、予想をはるかに超える数のコメントを頂いております。全て読んでおりますが、お返事をできていないコメントもありまして、時間をかけてお返事いたします。また、時間がある時に、本記事にも加筆いたします。

  25. 録画してあったのを先程観ました。

    30年日度前の作品でしょうか、古さは感じましたが素直に、面白かったです。

    以下、ネタバレです。

    おそらく当時はサイコサスペンス、特殊部隊の一斉突撃、犯人射殺で解決、という流れのドラマが多かったのでしょう。その真似をしただけ、とも思えますが、この回の確信はラストのコロンボの表情だと思います。

    「違うよ、私のラストはこんなんじゃないんだよ、刑事ドラマは、コロンボは、こうじゃないんだよ…」

    というボヤキが、うすら笑いの表情から聞こえて来るように感じました。
    今の(30年前ですが)刑事ものの風潮へのシニカルなメッセージをコロンボ流にさらりと視聴者に伝えたかったのではないでしょうか。

    あと、最初の方でレストランの厨房でコロンボが目撃者に質問するシーンのカメラワーク。専門的になんと言うのかは知りませんが、わざと手振れしているような、ちょっと不安を煽るような、ドキュメンタリーのようなカメラワーク。ここ数年はよく観ますけど、30年前にもあったんですね。

    1. ビンチェロさん>
      ありがとうございます。カメラワークなど、再見してみますね。また本作に1票加えますね!

  26. コロンボの1作だから観ましたが、二度と観ることはないでしょう…
    最初から最後まで一言も会話をかわすことのない犯人、アレックスカメラマンが犯人か?と思いきや、誰それ?の犯人…
    甥っ子の吹き替えが聞いた事のある声だな、と思ってたらZガンダムのヤザンでした、それだけが収穫でした…

  27. 『初夜に消えた花嫁』は40年来見続けている私の記憶の中に、妙に残っている作品です。確かに本来のコロンボぽくないですが、コロンボのいつもの独断専行(笑)の捜査ではなく、地道に組織捜査する一警察官として中間管理職としての真面目な一面(笑)が見られて楽しかったです。
    親族が出てくるというのも、「お、ついに出た?」という感じで楽しみました。いつも「うちの甥っ子が」と言っているけど、プレゼントの話とか聞いてると中学生くらいな感じなので、いきなり結婚、しかも同業者、いったい甥っ子何人いるんだ、とか。特に、カミさんについて冒頭のパーティーでコロンボが自分の結婚パーティーの時の思い出を語る言葉は、夫婦愛にあふれていて胸が詰まりました。月の光のようだったとか、どれだけ愛してるの・・・
    パーティーシーンは、最後にみんなで見送るときに歌ったお祝いソングなんかも、興味深かったです。コロンボでは海兵隊の訓練時の歌とか、普段の彼のハミングとか、歌がよく出てきますよね。そういうところでアメリカ文化が感じられるも楽しみの一つですね。
    最後のシーンは、拳銃を発射することも携行することも普段徹底的に避けていたコロンボなので、拳銃構えて突入はあり得ないし、最後も「『あ~、殺しちゃったの?』って言う?」と思ったくらいで、困った顔だけでなくもう一声って感じでした。殺人課で長年やってきたからこそ、殺しには嫌悪感を持っているはずなので、ある種の敗北感は残ったのではないかと。
    いずれにせよ、エド・マクベインの脚本(うまく使いこなせているかはさておき)といい、いつもと違う味わいのコロンボも悪くない、と思いました。

    1. kirikoさん>コメントありがとございます。
      こうした肯定的なご意見をいただけますと、天国のピーター・フォークさんも喜んでくださると思います。

  28. 前年の「羊たちの沈黙」の大ヒットを意識した
    「コロンボでそれっぽいものをやってみようか」
    という企画意図以上の物は感じられませんでした…
    話の流れに特に意外性もなく
    視聴者的にはシロだとわかりきってる容疑者をただ追い回し空振りし
    捜査も目撃者や関係者に写真を見せて
    時間をかけてつめていくだけ
    5分10分の再現ドキュメンタリーで済みそうな
    コロンボとしてもドラマとしても楽しめない内容でした…

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