- クーパー・レッドマン「トヨタ・ハイラックス」
- ラスク教授「シボレー・マリブ」
現代に通じる殺人動機…
子供のような年齢の犯人と対峙するコロンボ警部
クーパー・レッドマン
アラン・ファッジ
コロンボ、大学に行く~
犯人が大学生ということで、私の好きな「成功者の転落劇」ではありません。コロンボ警部が大学の臨時講師として招かれ、その時にちょうど事件が起こるというのもちょっと…強引。原題は「Columbo Goes to College」で私流に訳せば「コロンボ、大学に行く~」となり、ダメの3連発。邦題「殺人講義」はそれと比べ良く出来たタイトルと言えます。
フリーモント大学
舞台となる「フリーモント大学」は「ペパーダイン大学」だそうです。だとすると…31話「5時30分の目撃者」で、コリアー先生が勤める大学病院、32話「忘れられたスター」の外科医ランズバーグ先生の病院と同じロケ地だという可能性があります。→廊下に色ラインが描いてある病院
ロバート・カルプ
テレビのアナウンサー
テレビ局「KRVA 3」
56
57
「KRVA 3」は57話の「犯罪警報」のテレビ局と同じです。架空のテレビ局ですけど、きれいなロゴまで準備していて楽しいです。
ラストの「カミさんの車」は…常套手段化
コロンボ警部が仕組んだ「カミさんの車」は言うまでもなく、25話「権力の墓穴」の再現。53話「かみさんよ、安らかに」でも、同じような手法を用いていて、コロンボシリーズを見続けている人にとっては、またコレか?という印象。
それでも合格点
犯人の二人は、落第点をもらってしまうが、新・刑事コロンボのシリーズの中では、良い仕上がりの作品だと言えます。殺害トリックは40話「殺しの序曲」を彷彿とされるような手の込んだものでした。
監督:E・W・スワックハマー
脚本:ジェフリー・ブルーム
ジャスティン・ロウ:スティーヴン・キャフリー(声:大塚明夫)
クーパー・レッドマン:ゲイリー・ハーシュバーガー(声:山寺宏一)
ラスク教授:ジェームズ・ストリウス
ジューン・クラーク:キャサリン・キャノン
ラスク夫人:ブリジット・ヘンリー
ジャスティンの父ジョーダン・ロウ:ロバート・カルプ(声:小林修)
ロウ夫人:マリー・チータム
クーパーの父レッドマン:アラン・ファッジ
ジョー・ドイル:ジム・アントニオ
ドミニク・ドイル:ウイリアム・ラッキング
検死医ジョージ:スティーヴン・ギルボーン
アナウンサー:ラリー・マコーミック
加筆:2024年9月1日
また、高評価を書きに来ました。
私のイメージですが、旧作と差別化したくて不評だった部分が噛み合ってきたと思います。
今回は、ブログ主さんの言う「成功者の転落劇ではない」という部分。
犯人が若造でおっさんたちを舐めまくっているところが、旧作と違う部分。
でもだからこそ、上手く当たる不安など考えもしない遠隔殺人、
権力の墓穴の二番煎じ的な罠にあっさり引っかかるラスト、
もうバレているのに、まだジタバタするところに、私は納得がいきます。
あれがいい大人なら、自分でトドメを刺す工夫をするでしょうし、
他人の車に殺害拳銃を投げ込むような荒っぽいマネはしないでしょうし、
父が守ってくれるのなんの、大人ではあり得ない捨て台詞。
新コロンボも、このへんまで来ると噛み合ってきたのか、それとも私が慣れたのか。
どちらにせよ、さらに先も見たくなる作品でした。
久しぶりに投稿します。 どなたかに解説をお願いしたくて投稿します。
こりに凝った殺害方法で「本当に出来るのか?」と疑問に思います。
最後の場面で車に銃とカメラが装着されています。犯人たちは犯行後当然これらを処分しただろうから誰かが(警察?)セットしたことになります。コロンボですか?
それに一番分からないのは教室内でデモンストレーションした発射装置は大きくてとても車のボンネットに収まらないでしょう。ところがスローモーションでよく見るとコンパクトにカメラの横に装着されている。教室の発射装置とはまるで違います。
一番重要な点はあんな風に見事に頭を打ち抜けるかです。相当に試射を繰り返し距離、方向を確かめねば一発で命中は無理でしょう。外れたら教授は生き残りその後の捜査で車からの発射とはすぐに判明します。
殺害方法が現実離れしていてあり得ません。カメラからの電波で他の家のテレビに電波が届いて中継されるというのも不思議です。こちら方面の専門家が見るならあり得る話なのでしょうか?
コロンボを馬鹿にしたぼんぼん学生が見事にしてやられるという展開は面白いが、リアリティーを欠く作品ということではコロンボシリーズで1、2を争うでしょう。
>殺害方法が現実離れしていてあり得ません。
おっしゃる内容については、全て同感です。
私が最も疑問に感じたのは、RC造もしくはSRC造建物内外における、電波の伝播についてのリアリティーの無さです。
電波が命である放送局が制作していたのに、何だか「紺屋の白袴」だなあと・・・。
私もこの教授殺害方法には実現性がないと思いましたが、それくらいは番組スタッフも気付いていたでしょう。実現可能な遠隔殺人方法を放映するとマネをするヤツが出て来るのであえてこの様にしたのではないでしょうか。
発射装置に関してはボンネット下に実装可能な大きさに作る事は可能だと思います。教室でのデモンストレーション時はわざと大きく作ってみんな(TV視聴者を含む)に分かりやすくしたという事でしょう。
去年の私の感想では「コロンボ」らしいエピソードかつ、より分かりやすく演出したと書いていますが、今回は、それ故にコロンボの仕掛けに新味がないと、思いましたね。犯人が悪ガキ二人というのは「コロンボ」の犯人としては小者だな、と。むしろ被害者の教授が犯人のキャラクターに相応しかったかも。ロバートカルプの出演は懐かし出演、というファンサービス的なものだったのではないでしょうか。
気がついた点をもう少しコメントします。
ラスク教授と射撃した地点が20メートル離れているらしいですが、そんなに距離あったかなと思います。
コロンボが航空券の件で、殺された教授が航空券を持っていなかったにもかかわらず、関係者それぞれに航空券のことを訊いたのは、誰が嘘を言っているかを見極めるためだったのですね。その直前、電話をかけるといってジャスティンたちと別れたあと、二人の様子を見てどうもおかしいと気がついた様子ですし、この時点で疑いを持ったのか。もっと前に気がついていたのか。
機械的な犯行方法に気がつくきっかけになったテレビ映像、コロンボ警部ってたしかについていますよね。何かにつけて運がいい。もちろんもっと後で知ったでしょうが、初めて射殺シーンが流れたニュース番組を、たまたまドミニクの家で知るなんて。
講義シーンで、ツキが必要と言っていますが、確かにと思いました。
そのテレビニュース番組、スペースシャトルが映っていますが、何のニュースなのか気になります。
それからこれは余談ですが、ゲイリー・ハーシュバーガー、誰かに似ていると思っていたのですが、ケヴィン・ベーコンの若い頃に似ているとは思いませんか?
ケヴィン・ベーコンの若い頃>私もそう思いました。
70年代ラバー様
調べていただきありがとうございます。やはり同じ役者さんだったのですね!気付けて嬉しい(笑)
しかしお若くして亡くなっていたとは…。
2年前のNHK-BSでの一挙放送からハマりました。それまでは、コロンボと言えば犯人とコロンボとのやり取りこそが醍醐味!と、そこばかり注目していたのですが、「白鳥の歌」を観た際、葬儀屋さんの演技が妙に頭に残り、古畑シリーズでいう八嶋智人さんみたいな役者さんだなぁと思っていました。その後、こちらのぼろんこさんのブログに辿り着き、その葬儀屋さんと、なんと同じくらいお気に入りだった「逆転の構図」の酔っ払いのおじさんが同じ役者さん(ヴィトー・スコッティ!)だと知った時の驚きと興奮は凄かったです(笑)
それからは、脇役さんに注目したり、音楽にもよく耳を傾けたり、セリフの言い回しに着目したり…。こちらの皆さまに学んで色々な角度から観るようになって、更にコロンボを楽しめている気がします。
素敵なブログに出会えて良かったです。
これからも楽しみにしております。
同じ役者さん(ヴィトー・スコッティ!)だと知った時の驚きと興奮に共感です!
初めてコメントさせていただきます。いつも拝見させていただいて、見識の高さに感心しております。
さて、この作品は何度も見ておりますが、そのたびにコロンボの老獪さが面白くて。コロンボの手のひらの上で転がされている若い犯人が哀れに思えてきます。
ラストの決め手ですが、コロンボの講義の中で証拠のねつ造についてメガネ君が質問したのが伏線になっているのですね。
ジャスティンの父親ジョーダン(ロバート・カルプ!おお!ロバート・カルプ!)が有名な刑事弁護士とのことですが、コロンボのことを知らなかったのが不思議です。コロンボの扱った事件に関わったことがなかったのでしょうか? 本当に有能な刑事弁護士なのかなと思ってしまいます。
妄言多謝。
これからも楽しませてもらいますね。
いつもありがとうございます。
生意気な犯人たちと対照的で「メガネ君」は好感の持てるキャラでした。何年か後に警官になって「あのときの講義を受けていました」と再登場したらおもしろいな、などと妄想しながら見ていました。
コメントありがとうございます。
みなさんとこのように、お話ができることが幸せです。
カルプは、散々コロンボにやられているのにね笑
いつも楽しく拝見しております。
本エピソード、学生たちやコロンボが手にした缶ビールが気になり。「Bodmire」(?)とロゴがありますが、これはアメリカビールとしてポピュラーなバドワイザーの文字りですかね。
クーパーは「この近くで造ったビール、どうです?」と言っていましたが、バドワイザーの本社はミズーリ州、カリフォルニアとはだいぶ距離があります。缶ビールひとつとってもなかなか面白い趣きだな、と面白いエピソードでした。
はじめまして。
ふと気になったことがあるのですが、自分ではどうにも確認出来ないのでこちらでお聞きします。
被害者である教授が行くはずだったレストランでコロンボが質問をしたウェイターさんは、『かみさんよ、安らかに』でコロンボが精神科医の先生と話をしている場面に出てくるウェイターさんと同一人物でしょうか(あのガー二のくだりの…)。
お顔が似ていると思ったのですが、髪型が全く違うので自信はありません。
すごい観察力ですね。今まで髪が全く違うので気が付きませんでした。両エピソードのクレジットで確認しましたが、どちらもRobin Bachという役者さんでした。1991年に43歳で亡くなってます。
「Robin Bach」調査いたします!
コロンボさんが証拠品の中に「航空券」の有無を電話で確認するシーンに
不自然さを感じます。
確認する必要ある??
コロンボさん的に「イイこと思いついちゃった!」の行動体現なのかもしれませんが・・・。
はるか以前にTVでこれを観たときも不自然に感じた覚えがあります。
それとも、コロンボ配下も「切れ者」ぞろいなんだゼ!という演出なんでしょうか?
「これをネタに真犯人を追い詰めるから余計な事しゃべるなよ」と、クギを打つ意味で。
あるいは「これから一芝居打つよ」の合図があったんでしょうか?
「定年前にクビになる」なんていうほどジャスティンにディスられてますが、
ここまで与太郎小芝居するのもなんだか不自然。
ロス市警の定年がどのくらいなのか知りませんが、予備役みたいな状態になっても
現場に駆り出されている様子でしたからね(「虚飾のオープニングナイト」)。
実を言えば、ジャスティンの親父がビビるところが見たかったのよン。
(クライマックスで「負け犬の遠吠え」の爽快感がマシマシ・・・、になる予定)
CGやAIがだいぶ進歩してきた現在なら、ゲーム等なら「新作」もあり得る?
某名探偵においては、原作が無いオリジナルストーリーも多数存在するようですし。
いつもこのブログの皆様のコメント楽しく読ませていただいてまして、なるほど、そういう感じ方もあるのか〜と感心する次第です!
自分もこの作品わりと好きで、その理由としてはたまには若い犯人観てみたいと思っていた事や最後の爽快感などがあげられます。
あとロバート・カルプやマッグハーンは素晴らしい演技をみせてくれますが僕はゲストスターは毎回違ってくれた方が好きなんですよね・・・古畑観てた時にも次は犯人役誰だろうという楽しみがありましたので。
今回なんかはツインピークスやジェシカおばさん観てた人ならスネークが犯人か!て嬉しかったと思うので。キャラ的にはジャスティンの方が強烈でしたが・・・
少数派の意見だと思いますがそんな感想もありかと
本作は、大学生の犯人2人はそのままでよいから、せっかく出演したロバート・カルプが黒幕で「ラスボス」だったらどんなに良かったかと想うと、残念でなりません。
↑さすがに、最も「手抜き」コメント。そのうち再度観てリテイク・コメントいたします。
その前に、せっかくロバート・カルプを出演させていたのに、なぜ犯人役にさせなかったのか、また、いつか tempus fugit 様から、裏事情がありましたら教えていただきたいです。
お声をかけていただいたので舞台裏本”Shooting Columbo”を見ましたが、残念ながらこの作品でのロバート・カルプについての情報は無きに等しいものでした。高飛車な人物という役柄にふさわしいという、純粋な人選の結果というこのなのかもしれませんね。
私もこのエピソードを見た時は、彼の登場場面で「事件にはまだ描かれていないウラがあるのでは?」と思いました。カルプ出演という情報を知っていたうえ、犯人が大学生で、描かれる事件と動機もしょぼいと感じたので、なおさらそう思ったのでしょうが、結局そうしたウラはなかったのがちょっと残念でした。トリックがよく出来ていて(突っ込めばいろいろあるのでしょうが)、全体としては楽しめる作品だとは思います。
「せっかくカルプが出演するのに」とは誰しも思うことなのか、YC-30様もお読みになっていると思われる”The Columbophile”のブログでは、ラストシーンにカルプを出して、息子の犯罪なりコロンボの実力なりを知ったことについて演じてほしかった、と筆者が書いていました。またカルプがらみではありませんが、コロンボが大学の講義で、旧シリーズで手掛けたセレブの事件について触れてくれたらおもしろかったのに、とも筆者は書いていました。
なお「魔術師の幻想」」のコメント欄でYC-30さんは「古畑任三郎」について言及していますが、私はこの「殺人講義」で犯人がコロンボのマネをするシーンを見た時、田村正和がよくモノマネの対象にされていたのを連想して笑ってしまいました。これは「魔術師~」のコメントにも書きましたが、こちらでも付記させていただきます。
tempus fugit 様
「殺人講義」の裏情報について教えてくださり、ありがとうございます。
新シリーズでもカルプの犯人役を、もう一度でもいいから見たかったです。2話ぐらいやっていただけたら、だいぶ新シリーズ全体の印象が変わったかもしれませんね。私は、てっきりマクグーハンがカルプが犯人役を演じることを妨害したのかと邪推していましたので、マクグーハン様に心の中でお詫びしたいです(笑)。
おっしゃるように、犯人の大学生の、描かれる事件と動機自体は、しょぼいですね。
ぼろんこ様もブログ本文で指摘されている通り、「殺害トリックは40話『殺しの序曲』を彷彿とされるような手の込んだもの」なのですが、それだけに、旧シリーズから時代が10年以上も進んだのに本作では、この「殺害トリッック」のリアリティーの無さが、私としては最も不満なところで、本作では、特にその点の技術的な考証にも、マニアックにヲタク的に、徹底的に拘り抜いて欲しかったです。
近年、我が国では、テレビ等で「高専ロボコン大会」の著しく技術的に高レベルな勝負を観ることが多いため、つい、あれと比較してしまうのです。「新人類」(もはや死語・・・笑)の犯人二人なんだから、いくら「いいところのぼんぼん」でも、FAXもよくわからんような(52話「完全犯罪の誤算」時点 本作と同年、初オンエア)ベテランオヤジの刑事に簡単に読まれるような「殺害トリッック」では、若いのに情けない限りです。少なくとも犯人二人の設定は、当時の「ハイテク」に煩い理系工学部の学生のほうが良かったです。
>「殺人講義」で犯人がコロンボのマネをするシーンを見た時、田村正和がよくモノマネの対象にされていたのを連想して笑ってしまいました。
同感です、原語鑑賞ならではの楽しさですね!
それで思い出したのですが、YouTubeなどで聴くことが可能な、寺岡光盛さんの、小池朝雄さんと石田太郎さんの違いを両方共はっきり演じ分けられるコロンボの吹き替えのモノマネは、滅茶苦茶上手いですよね(笑)。小池版の銀河さんの声で追加・差し替えしている現行版は、ぜひとも、寺岡光盛さんの声でやり直していただきたく、もし権限をお持ちの関係者の方がいらっしゃれば、リクエストしておきたいです(笑)。
私もカルプの犯人を新シリーズでも見てみたかったです。ジャック・キャシディは風貌の印象が強すぎてか、個人的には演じた3作の犯人がみな同じように見えてしまう点がなきにしもあらず(笑)でしたが、カルプにはそうした感じを受けず、新シリーズの期間も活躍中だったので、残念に思いました。もしかすると新シリーズでは新味を出すために、カルプが体現しているような旧シリーズ的犯人像はなるべく避けようとしたのかな、なんて想像もしてしまいます。パトリック・マクグーハンはピーター・フォークの友人なので”別枠”ということでしょうか。
私は、古き良きミステリの世界を現代(というか製作当時)に蘇らせたのが「コロンボ」だと思っているためか、あるいは単に鈍感なだけか、YC-30様ほどリアリティは重視していないので、厳密に考えるとありえないようなトリックや、撃たれても血が出ないというようなことはあまり気になりません。旧シリーズの頃は私のようなそんなアナクロ視聴者も多かったのでしょうが、新シリーズの頃には視聴者が求めるものがずいぶんと変わってきていて、そこでの立ち位置を製作陣もなかなか固められなかったのではないかなと想像します。
「殺人講義」がらみでは、”The Columbophile”のブログで新シリーズのエピソードガイドは未完(現在進行中)ですが、その筆者は現時点でこの作品を新シリーズのトップに置いていますね。ちなみに旧シリーズの1位は「殺しの序曲」としていて、いずれも私にはちょっと不思議ですが、エピソードの評価やベスト選の考えも人によって異なるところが、「コロンボ」というシリーズの強さであり幅の広さを示しているのでしょうね。
寺岡光盛さんのモノマネを教えていただきありがとうございました。YouTubeで見ましたが、見事なものですね。全編通しては厳しいでしょうが、欠落部分の短いセリフだったら十分行けそうに思いました。
”The Columbophile”(こちらで名前を出しちゃっていいのかなと迷っていましたが今後は出します)の順位付けは興味深いですよね。
『刑事コロンボ』関連では、その歴史の長さから言っても、ぼろんこ様のブログが世界最高峰かも知れませんね。英語版も出されたら、世界中から物凄い反響がありそうです(笑)。
tempus fugit 様
改めて本作についてですが、新シリーズが放映されていたABCミステリー・ムービー枠が低視聴率のため前作を最後に廃止され、リンクも前作でその責任を取らされたのか降板し、前作までシーズン9で重責を担っていたエプスタインが放映2週間前に亡くなったため、「製作総指揮・ジョン・エプスタインの思い出に捧ぐ」というラスト・ショットに特別なクレジットが入り、カルプも本作を最後に出演しなくなり、さらに、かつて最高に強力なライバル関係だった『刑事コジャック』という存在があっけなく消え去って初めての作品だと思って観ると、また全然違った感慨も湧いてきました。
ここから『刑事コロンボ』新シリーズの、真に孤独な闘いが始まったような気がします。
久々に観ました。
悪ガキにお仕置きするのはスカッとしますね。
旧シリーズから含めて、ワタシはコロンボがネチネチと犯人を追い込むのが好きなので、新旧シリーズともに楽しめてます。
そもそも利己的な理由でヒト一人殺してる人間に人間性もクソも無いわけで、バッサバッサと悪人を斬る勧善懲悪的なストーリーが好きです。
そういう意味では、本作は完璧ですね。
とは言え、当時の車のセキュリティスイッチが講義室から地下の駐車場に届くかは疑問ですね。
現代だと、電波式のキーはある程度普及しましたね。
現代のキーだと、電波はせいぜい1メートル程度しか届かないそうです。
ただし、その微弱な電波を中継する機器は実在し、それを使って自動車を盗む「リレーアタック」なる手口が存在していると聞いたことがあります。
30年前の機器の電波が強かったのか弱かったのかわかりませんが、中継機を使えばいけたかも。ただしこれもドラマ向けの「一見できそうだが実際には無理な」トリックでしょうね。
それから、この回の犯人の愛車は歴代唯一の日本車だったわけですが、BTTF3の放映を見てマーティの新車もこれだったことに最近気づきました。1990年に設定年齢22歳というと、1985年に設定年齢17歳だったマーティと完全に重なりますね。北米では農家以外にもピックアップトラックが大の人気車種だそうで、本作の犯人の若さもあって、車種の選択に不自然さはありませんね。
新シリーズの中でも大好きな作品で何度も見ていますが、私も「一見できそうだが実際には無理な」トリックと思います。現場はコンクリートに囲まれて電波が遮蔽されている状態の駐車場で、教室にも窓はないので同様の環境でいわばトンネルの中と同じです。これでは、駐車場から教室にキーレスエントリーの電波もカメラが撮影した映像の電波も到底届きません。屋外の駐車場で教室に窓がありその駐車場に面しているなど好条件がそろえば電波は届くでしょうけど。電波の知識が無い人が考えたトリックのようです。
タイトルの件ですが、原題が Columbo Goes to College なのであれば、
その意味は「コロンボ 大学に行く」ではなく、「コロンボ 大学に通う」です。
物理的にどこかの大学に行く(移動する)、ということであれば goes to the college という表現になります。 goes to college というふうに the がつかない場合は、
「大学というところに通う」という意味になります。つまり、物理的に「学校という場所に行く」ということではなく、通学とか、通勤とかで大学というところに行っている、という概念を表現します。
今回の場合は、例えば、事件が起こって、それによってコロンボが現場である大学に行く、ということであれば goes to the collegeなのですが、授業のために大学に行っていたから、goes to college というタイトルになっているわけです。
ネイティブなら当然 the が入ってないタイトルを見ただけで、「あれ、コロンボ、大学で勉強することになったのかな?」くらいの予想をもって本編を見進めていると思います。
そして、「ああ勉強するんじゃなくて講義する側なのね」と分かるという流れですね。
だからといって、このタイトルの出来が良いとは思いませんけどね。(笑)
本記事よりも、活発なコメントの方が読み応えがあるようで、お恥ずかしいです。
楽しく拝読しております!ありがとうございます。
本作品は初回放送時に金曜ロードショーで視て、
旧シリーズとの違いから新シリーズを視なくなるきっかけとなった作品でした。
改めて視て、それほど悪くはないと思い直しました。
コロンボが丹念に捜査を進めるくだり、
ロバート・カルプの味のあるキャラ等です。
ただし最後の引っ掛けは、ワンパターン気味と感じましたが。
非常に楽しめました。ロバートカルプと守衛の弟役が素晴らしい。新シリーズにはそれなりの楽しさがあります。もちろん旧作の方が好きです。時代背景もあるのかも知れませんが、アメリカ人のモラルやマナーが気になります。親が親の犯人の学生ふたりはともかく、そいつらを咎める先生も女性にだらしない。守衛はバスケ観ながら仕事し、コロンボは教壇の机に腰掛けてレクチャー。目に着くのは歳のせいかもしれませんが。
最後のストップ画像に趣きがありましたね。
話の流れでは、悪態をつきながら連行される犯人達に、やれやれ、というコロンボの表情ですが、その上に「ジョン・エプスタインに捧ぐ。」とスーパーが載るので、コロンボが親しいプロデューサーの急逝をしみじみと惜しんでいる表情、に見えてきます。
それを狙ったのか、偶然なのか・・・
ストーリーには感心しません。
いくらコロンボでも、カメラやテレビ、リモコンまで使ったトリックに行き着くだろうか、また、その手掛かりとなった、別角度の映像のテレビ放映は現実味がありません。
トリックの大掛かりな再現なしでも、「うちのカミさんの車」に銃を置かせただけで充分だと思います。
古き良き旧シリーズなら、複雑なトリックをコロンボが解明する野暮はせずに、「車に銃を置かせる」罠だけで、逮捕するでしょう。
守衛の弟ドミニクは吹き替えの声も含めて迫力がありましたね。「頭に一発。20m離れて、か」「いい腕だ。並の殺し屋なら六発はぶち込んでる」
続く殺害シーンのビデオ放送で殺害手段が機械的トリックだと特定される流れですが、ドミニクとのこのやり取りは「訓練をサボってばかりで射撃の腕はからっきしのコロンボ」を念頭に置いて見るべきシーンなのかな、と思いました。たとえ自分の腕が悪くてもコロンボならそんなことは先刻承知とも思いますが…
「才能と環境という礎がありながら、自ら無駄にして、己を冒涜している。他人を尊敬することを知らないのか」(うろ覚え)。私生活は問題ありですが、ラスク教授のこの言葉が、今回のテーマだと思います。ジャスティン(ラテン語で正義)とは程遠い、親の価値観を受け継いだ姿に情けなくなりました。
アラン・ファッジは3回目の出演なのに私には影が薄く、ロバート・カルプの存在感は圧巻でした。コロンボに「〜したまえ」と上から目線で言えるのは、この人とマクグーハンしかいませんね。面白かったです。
ロバート・カルプ、いいですよね。
コロンボを見下すような視線、本を手渡しながら”Read it ! “と命令口調。それに対して、コロンボがまいったな~という感じで、頭をポリポリ。まさに”あうん”の呼吸です。
旧シリーズのゲストスターは、みな存在感がありました。
実際、アカデミー賞の受賞者、ノミネートも含めていましたしね。演技力は確かだった。
あと、コロンボより上か同年代だったというのも大きいののではないでしょうか。新シリーズはコロンボよりずっと年下ばかりなので、品格というか威厳が感じられなくなってしまうのは致し方ないのかもしれませんね。
コロンボと犯人との年齢という観点はその通りかもしれません。コロンボがすっかり老けた老刑事風になっちゃたので犯人がみな年下で威厳、風格にかけるというのはあたっていそうです。その点で52話かな「感染犯罪の誤算」のパトリックマクガハンは良かった。ラストでも悪あがきしなかったし。
今回もロバートカルプを主犯にした方がよかったかも。バカ息子を助けるために指導教官を殺すということで息子をそそのかす。実行犯はジャス達二人で。
現代の社会生活で実際に「~たまえ」と言う人って、まず、いませんよね(笑)
昔の人は言ってたのかな?
演劇専用言葉なんですかね?
まさこさん アーティさん
威厳や風格に欠ける、本当にその通りですね。それでもコロンボと呼び捨てにする濃いキャラのイアン・ブキャナンや脇役陣など、意外な掘り出しものがあったりするので、新シリーズも気になってついつい観てしまいます。
とりがみの兄貴さん
現代の社会生活では、皆無ですよ(笑)。新約聖書の主の祈り(天にまします我らの父よ…)でしか聞いたことがなく、普段の言葉として使用されていたのは、おそらく大昔でしょうね。でも現代人にもニュアンスのわかる素敵な言葉ですね。
新シリーズは共感路線は論外で、対決路線もシナリオ不足や捻り過ぎた展開のため
キャラの立った悪役に乏しいのですが、被害者とグルの「騙されたコロンボ」や
サイコパスの「カミさんよ、安らかに」、そして本作等は旧シリーズにない犯人像。
ハイテクに強い分、他人の気持ちや命に鈍い「ビデオテープの証言」のハロルド的
キャラを基盤にボンボンの金持ち大学生という設定が加わっているゲーム感覚ぶり。
ハロルドでさえ、利用してきた妻に拒絶されると観念して大人の対応をしましたが、
「オヤジは俺を守ってくれる!」と最後までボンボン。
コロンボも処置無し!といった表情でした。
やはりペパーダイン大学でしたか。
ロスに住んでたんでそうだろうなと思って観てました。
ペパーダインはマリブにあって芸能人の運動会なんかを毎年全米に中継してました。おぼっちゃま大学です。
でもよくこのコロンボのストーリーに大学貸しましたね。
これじゃあボンクラ大学のイメージですよね。
多分、コロンボに貸すけどストーリーの内容は知らなかったんでしょうね。笑笑
調べてみると今ではペパーダインはかなり偏差値高いようです。やはりマリブにあるのは大きいでしょうね。UCLA,USCに次いでロスでは人気校のようです。
それにしてもあの二人バカすぎます。笑笑
同じロスのまあまあお金持ちの息子の話、ダスティンホフマンの卒業を思い出しますが、彼はレベルの高い東部の大学いってたかなあ。
ロバート・かルプの吹替えが小林修さんだったので、どうしてもアメリカンヒーローのビル・マックスウェルとダブってしまう(良い意味で)
なぜ死体発見直後にわざわざ車で守衛のとこまで行ったのでしょうか?
ビデオ操作の為? 薬きょうが落ちるリスクは考えなかった?または既に落ちていたら車がどいたら見つかってしまうのに.. またコロンボもインターホンで守衛に連絡する指示するのが普通では?あと車が守衛のとこへ移動しているときの映像まで第三者に録画される事も十分ありえたのでは..
ビデオを確保するのは、殺害時刻を警察に明示する→教室にいた自分たちのアリバイを完璧にする、という意図でしょうね。薬莢については、犯人は全然考えてなかった(せいぜいエンジンルーム内に留まると思ってた)、それが外に落ちていたので捜査陣が戸惑うが、飛び出していった車の存在に思い当たる、という展開は自然でいいと思います。やはり銃は回転式がいいですね。現場に薬莢が残らないし、作動が確実だから。
「第三者による録画」というのは、あれは完全に予想外の出来事のはずですが、そういえば犯人は射殺に成功した後で、スイッチを切ったんでしょうかね。そうしないと、偶然傍受したあの人がその後もどんどん録画しちゃうから。
犯人に品格がない、というのは、批判にならないと思います。旧作時代にも、完全な私利私欲で犯行した同情の余地のない犯人は何人もいた。むしろ、コロンボを罠にかけたつもりの悪党を、その罠を逆用して取っ捕まえるという終幕は、「これで有罪にできるの?」感も多い新作シリーズ中では際立っていると思います。チンピラが完全犯罪に成功したら嘘っぽくなりますが、予想外の事態(薬莢を外に落とした、疑いを向けたい人物に偶然アリバイがあった、第三者が傍受してた)の連続で結局おじゃん、という展開ならぴったりじゃありませんか。
あと、日本車(トヨタハイラックス)を愛車にしていた犯人、というのは、歴代唯一でしょうかね。手口が手口だから、フェラーリみたいなスポーツカーの起用は無理だったのかな。注意して観ると、この時代でも飲酒運転が横行してた(捜査で来たコロンボにビールを勧めるわ、ディナー中だったロウ弁護士がその直後警官だらけの現場にわざわざ自分で運転していくわ)のがわかって、その点が嫌な気になりました。
守衛に指示するためにわざわざ車で飛び出して行った、インターホンとかで遠隔指示しなかった理由ですが、それは殺人装置という決定的証拠を少しでも早く現場から運び出したい、という心理でしょうね。車も装置も置きっぱなしにしたら、現場検証にやってきた捜査員の誰かが気づいてしまう危険性がある。被害者はこっちの角度から撃たれた。うーんと、犯人はこの車の影で待ち伏せしてたのかな? すると、どういう体勢だったのかな? と何人もの警官が車のそばをウロウロして考えを巡らせて、何か痕跡がないか車を覗き込むことも大いにありうる。そんなの、犯人としては怖くて仕方がないでしょう。発砲したんだからそこから硝煙の匂いがするかも知れないし。だから、教授の射殺体発見という事態に誰もが動転する隙をついて、「俺が車で知らせに行く」という理由で、車ごと殺人装置を現場から持ち去ったのです。みんな動転してるから、「え? インターホン使えばいいだろ」なんて冷静に考えられません。ああいう時は、誰かが力強く言ったことには素直に従ってしまうものです。また、動転してうろたえていたのだという理由で、少々不合理な行動も正当化できるという訳です。
よく観ると、ロウ弁護士は助手席で、運転席にいたのはジャスティンでしたね。あの電話の段階でまだアルコールを口にしていなかったら、セーフかな。
ただ、事件当夜の学生たちが、お店でバドワイザーの缶を開けているのは確認できました。犯人コンビ以外の学生がどうやって通学しているのかいまいちわかりませんが、やっぱりみんな自家用車でしょうか。誰か1人運転役を決めて、その人だけ飲酒しない、というのでない限り危ういと思うのですが、そうやってるように皆さん見えましたか?
あのまま放っておくとビデオが上書きされて、殺人シーンが消去されてしまうからではと思います。他のビデオは止めるのを忘れて上書きされてしまったようですし。
この回も初見です。ドラマとしては面白かったですね。小型カメラ、リモコンキーなどの小道具が最初から提示されていました。皆さん指摘されているように新シリーズでは犯人の品格がまるで無く、共感も出来ないことが多いです。最低レベルのチンピラ学生。コロンボシリーズの魅力の一つは犯人に共感、(犯行理由に共感かな)てしまって途中からコロンボが憎たらしくなってきて犯人が何とか逃げるすべはないかな、などとおもってしまうこと(カッシーニさんとかアビゲイルさんとかジョニーキャッシュさんとかジャネットリーとか)ですが今回は全く逆でした。
新シリーズはあえてそういう傾向にしているのかなと思ってしまうくらいです。時代背景もあるんでしょうね。
それにしてもロバートカルプ、やっぱり良いですね。彼は有能な刑事弁護士という設定でしたが息子の弁護するかしら。しないような気がする。
犯人に同情できないから、犯人に感情移入できないからと低評価とする方々がいらっしゃるみたいですが、何も毎回犯人に同情する展開でなくてもいいじゃないのって思いますね。
悪ガキコンビをとっちめる展開に「頑張れコロンボ!」と応援しながら見られて楽しかったです。
ラストのカミさんの車の件では思わず犯人達に「ざまぁみろ!コロンボ舐めんなよ!」と心の中で言ってました。
あと、オープニングで、ピーター・フォーク/アズ/コロンボ、は定番としても、
ロバート・カルプ アズ ジョーダン・ロウ、と、「役名」まで表示されてたのは興味深かったです。
ロバート・カルプの高慢役ぶりが実に良かったでした。あとザーマス風な母親も。
なるほど、この親ありて、この息子という。
ブラフなしでも解決できるところ、学生たちに見せる意味でも(将来の法曹界を背負う?)、鮮やかな手を使ったのかな、とか勘ぐったりしてます。(偽の証拠を積み上げた分、罪も重くなるしね)
悪知恵の回り方や発想・即行動に移すという点では、本当は早期に鼻っ柱が折られて倫理観を取り戻してれば別分野では成功できる人間になれたのかもなあ…と思わせる犯人らでした。
大変なスキャンダルになってテレビも大騒ぎだったろうなあ、、、とか、OJシンプソン事件みたいに裁判が意外な展開になって…とかもあるのかなあ。。
正直ストーリーが荒すぎ。たまたま飛んでた電波(しかも地下駐車場から発射)ひろったTV聴取者が投稿するなんて、海から落としたダイヤを拾うくらいの確率でしょう。市販品の無線CCTVもTV電波と干渉しないよう設計されています。それに電波法に触れない程度の微弱電波で、大学外の一般家庭に入り込むなどまず考えられません。
旧シリーズのような繊細なストーリー展開に掛けているとおもいます。犯行動機も「成績が悪いから逆恨み」とか、チンピラ程度のもので全く感情移入できません。
時代からすると一般放送波の空きチャンネル(アナログVHFかUHF)に飛ばす式のトランスミッターでしょうから、多チャンネルなロスだと混線はあったのかも。犯人も市販のポケットテレビで受信してましたしね。(米国のコードレス電話なんかも3kmぐらい飛ぶ強力なものでした。)
動機は、テスト問題を盗んだ(カンニング)からの単位ゼロか退学の可能性、という人生を左右する話だったので仕方ないかな、と。
この作品はおそろらく初見ですが、何が驚いたって、図らずも殺害現場に居合わせてしまい、しかも自分の教授の遺体まで発見してしまった学生達が「じゃあ、ビール飲みに行ってま~す」とワイワイ飲みに行ったこと。
普通、行きますかね。
それ感じました。
こんばんは。
そのシーンですが酒場ではお通夜モードでしたし、そこまで違和感は感じませんでした。逆にあれだけショッキングなことがあったんだから、お酒でも飲んで気分を和らげるという行動は、そこまで不自然ではないような気がします。その辺は日米の死生観にかかわってくるんでしょうが。
初めて書き込みます。
NHKでの放送の後、毎回こちらに来ては、『?』となったところを確認させてもらってます。
星の数ほどあるブログの中で、こちらは最高レベルですね!
ブログ主さんの書き込みはもちろんのこと、読者さん方の書き込みも貴重な言葉の数々。
なんというか、情報も豊富ですし、それだけでなく、人の心の機微、
さりげない愛情の様なものを感じます。
コロンボ(コロンボ自身とその世界観)に心揺さぶられる感性を持つ方々への共感が
抱けることにコロナ禍において、もはや生きる楽しみのひとつにすらなっております。
NHKの放送が終わってしまうことが今から残念で怖いです。😂(苦笑)
わたしも事件の謎やトリックについていけないことが多いので、こちらのブログで復習をしています。
放送が終わってしまったら、「コロンボ・ロス」になりそうです。
dvdを買って、みそびれた放送をみたいし、英語でききたいのですが、さすがいい値段していますね。
今回は、教授が殺されたのに「ビールのみに行きましょう」はないでしょう、って思いました。必要な導入だったのだろうとは思いますが。
コロンボ子さん、あきこさん>お返事が遅くなり申し訳ございません。
皆さんから多くのコメントを頂き、とても嬉しく存じます。
そしてそのコメントは、どのようなな内容でも、ほとんど削除しておりません。この10年で1回か2回しか、削除していません。それくらい、皆さんのコメントは素晴らしく、どれも捨てがたいです。
刑事コロンボは、永遠に愛されるドラマであると、放送する側もわかっていますので、今後、何回も再放送されます。
どうぞ、長〜〜〜く愛してくださいね〜。
大学生が思い付くような殺人企画ではない。
それにしても、新シリーズの犯人たちは人間的魅力に欠けますね。殺人にいたる苦悩が見られず、同情すべき点も乏しい。自分の欲望を実現するために大胆な殺人をしでかす輩ばかりです。
・トリックはかなり凝っていましたが、いくつか疑問が。
・リモコンの電波が教室から地下のコンクリートで囲まれた駐車場まで届くのか?
・トリックの再現で人形の頭を吹っ飛ばしたのは、二人の車に仕掛けてあった銃?(学生がいっぱいいるのに危険すぎ!) であれば銃は誰の?(犯行に使われた銃は押収されているから別の銃?)
・そもそもなぜ発射可能な状態になっている?(普段使うときにリモコンを押したら発射してしまう) なぜ仕掛けを処分せず車に付けたまま?(わかるまいと見くびったか)
・コロンボは普通にボンネットを開けたけど、なぜ?(オープナーを操作しないと開かないはず)
コロンボのプジョーはオープナーでボンネットが開くのではないでしょうか。
オープナーなしで の誤りです。
コロンボのプジョーはオープナーなしでボンネットが開くのではないでしょうか。
犯人が犯行後に証拠を撤去してないのも不思議
・コロンボが使った発射装置は「殺人講義」のために警察が用意したものでしょう。「講義で犯行を再現するので車を貸してほしい」と頼んで車(キー)を借りたのでは?だからボンネットも開いていた。
正確に的を射貫くには角度・距離などを厳密に調整する必要があり、事前の準備無しではまず不可能です、講義用の銃ももちろん警察が準備したもので、犯人も「誰かが俺の車に細工したんだ」とすっとぼけていましたね。
犯人特定の決め手は発射装置ではなくあくまで実際に犯行に使われた銃です。
この回を見たのは何十年も前ですが断片的に覚えてたセリフが今夜の回ではっきりしました。それはコロンボの「サックス、君はスターだよ」とジャスティン父の「テニスより女の子にスマッシュ決めるのが得意だ」の2つです。
「女の子にスマッシュ」は上手いこと言うなあと思ったから覚えてたんでしょうが「君はスターだよ、」はコロンボの吹き替えの声がとてもやさしく、それで心に残ったのだと思います。ずーっと「○○、君はスターだよ」と「女の子にスマッシュ決める」というセリフどっかで聞いた何のセリフだったんだろと引っかかってたのですがそれが刑事コロンボの殺人講義の中のセリフであったとは!。長年のもやもやが晴れました。
第10シーズン。凝ったトリック。25話「権力の墓穴」式のコロンボの仕掛け。それだけでも「コロンボ」らしいエピソードだと思いましたし、序盤の講義の内容は確かピーターフォーク自身が警察業界誌かなんかで実際に読んで先のエピソードで使ったというお気に入りの歯形の実話トリックでコロンボファンを楽しませる。その後のコロンボの捜査活動も快調なテンポで進んでいると思いました。
そして演出上のポイントは、昔からよく話題になる「コロンボはどこで犯人の目星をつけたのかよく分からない」エピソードが少なくない点を当エピソードでは明確に配慮したことでしょう。
コロンボが講義で話した歯形のエピソードは52話「完全犯罪の誤算」での事件解決に至った話では?
その52話の元ネタが、ピーターフォークが警察業界誌で拾ったエピソードってことなんじゃないのですか?
その52話の元ネタが、ピーターフォークが警察業界誌で拾ったエピソードってことなんじゃないのですか?
この話しは私が初めて見たコロンボのエピソードで、確か小学校低学年か幼稚園の時だったと思います。(本放送ではなかったはずですが金曜ロードショーでの放送だったはずです)
改めて見て一番驚いた点は今では声優界の超大物となった山寺宏一氏と大塚明夫氏が若造役として出演していたことです。本放送時の放映局である日本テレビの主力アニメであるアンパンマンでいうと山寺氏はチーズ、カバオくん、かまめしどん、二代目ジャムおじさんなどを、大塚氏はながねぎマン、にがうりマンなどを演じられています。
また、大塚氏が演じるジャスティンは親の七光りで捜査の撹乱を目論むというキャラクターですが、偶然かどうかは定かではありませんが大塚明夫氏の父親は同じく声優の大塚周夫氏で、コロンボには第54話の華麗なる罠に出演されています。(他に有名な役としてはガンバの大冒険のノロイや忍たま乱太郎の山田先生など)
コロンボが大学に行って講義する話は、映像化された作品の中では、この「殺人講義」が初めてですが、アルフレッド・ローレンス著の小説版刑事コロンボ「13秒の罠」(原題「The Dean’s Death(学部長の死)」)(二見文庫)で、メリディス大学の講演会に講師として招かれ、教授や学生たちを相手に講演を行なっています。この講演をアリバイに利用して学部長を殺すメリディス大学の総長フランクリン・トランスと対決する事になります。この総長はシャーロキアン(シャーロック・ホームズのマニア)で、至る所でホームズの話が出て来るのが大変興味深いです。この小説は、所謂「幻のシナリオ」のノベライズではなく、初めから小説として書かれているのが、他のノベライズ版とは大きく異なる点です。文庫本のカバーの裏表紙の折り返しの部分(カバーの端の、本に挟み込む部分)の著者の紹介欄には、「ユニヴァーサルTVシリーズ「コロンボ」の制作者リチャード・レビンソンとウィリアム・リンクのもとで小説版コロンボを執筆。本書の他に「死のクリスマス」がある」と書かれており、同人小説の様に勝手に書かれた物ではなく、制作者の了解を得て公式に執筆された作品です。日本では、初版発行日は1988年4月25日。「死のクリスマス(原題「ORIGINAL “COLUMBO”」)」も同様で、初版発行日は1975年12月20日となっています。「13秒の罠」でもコロンボが面白い講演(爆笑物のハプニング付き)を行なっているので、興味を持った方は、古本を探してみては如何でしょうか。個人的には、邦題は「13秒の死角」にした方が良いと思います。これは、是非映像化して欲しかったです。(ToT)
ぼろんこさん、先日はコメントに対するご返事を頂きまして有り難うございます。「刑事コロンボ」が初めに放映されたのは約50年前に遡ります。私は子供だったので、断片的な記憶しかありません。しかし、あのテーマ曲とか亡くなった母親がいつも観ていたなぁとか、家にノベライズ本があったなぁとか、すごく懐かしい感じがするのです。作品自体の素晴らしさもさることながら、子供時代の記憶とどこかリンクしているんですよね。ファンの多くの方が(特に50才以上)そうなのではないかと思いますが、如何でしょうか。
さてこの「殺人講義」ですが、舞台が大学キャンパス、そして犯人が2人、これは「ロンドンの傘」以来ですね。ストーリー展開がなかなか面白く、90年代のアメリカのキャンパスライフが垣間見れるところも興味深いです。
今回の犯人たちは大学生、コロンボとの年齢差は40才超!彼等はまるで子供の悪戯の延長のような感覚で殺人を犯しているように見えます。最初からコロンボのことを完全に見くびっていて、2人で捜査を撹乱しようとします。逮捕の際も、コロンボに捨てゼリフを吐いて連行されていく彼等に、やれやれといったコロンボの表情に思わず苦笑してしまいました。
全く違う世代の犯人たちを相手に奮闘するコロンボを見れるのも、新シリーズならではの魅力の1つですよね。
また懐かしい顔も見れました。
犯人の1人ジャスティンの父親役にロバート・カルプが演じています。わずかな登場シーンでしたが、このエピソードの鍵となる役で、彼の軽妙な、どこかコミカルな演技が私はとても好きです。
この父親はいわゆるエリートで、息子ジャスティンがハーバードのロースクールに入って立派な弁護士になることを一方的に望んでいますが、過度な期待や親バカぶりがジャスティンを犯罪に走らせた一因になっているのは間違いないですね。
こいつらは歴代コロンボ犯人の中で一番のクズです。
以前古畑任三郎でもやったみたいな、犯人の服役生活をみてみたいとしたらまっさきにきゃつらでいいでしょう。
歯を食いしばれなんて予告は不要、いきなり右ストレートを決めて舌をかんで泡をふいてしまえばいい気味です。
私はストーリーを考えました。
きゃつらはなまじっか死刑台の露と消えるよりも終身刑になって生涯にわたりこき使われているほうがよっぽどきゃつらのためになります。
手と足に枷をつけられ刑務官には毎日どやされ蹴り飛ばされて刑務所仲間と呼べるものは誰一人としてできずきらわれて、やがて気がおかしくなって暴れ保護房に入れられてそこでも暴れ続けきちがいになって医療刑務所に移されていろいろな治療法の実験台にさせられ(それこそ脳に電極を差し込まれて死なない程度にびりびりやられたり、全身のツボに針を打たれて死なない程度にびりびりやられたり、回転する椅子に縛り付けられてぐるぐる回されたり、逆さにつるされて火であぶられ腹筋し続けないと焦げちゃうようにされたり、首に首輪をつけられロープの向こうのスーパーカブと綱引きをさせられたり、全身に灸をすえられて据えられた部分が真っ黒焦げの第3度のやけどになって跡がくっきり残るまでやられたり、鉄のブラジャーとパンティーをつけさせられてその下着を熱せられその部分が死ぬまで消えない跡になるまでやられたり、そのさまをさらしものにされてみんなから嘲笑の対象になったり)でも結局何等の治療効果も得られず、檻の中で出してくれだしてくれおんもにでたいようとなきさけびつづけ、そんな無様な末路を想像してにやにやしています。
まあ、終身刑とはいかず40年くらいで出られてすっかり老人になった二人はどこにも雇ってもらえずにホームレスとなり、吹雪の夜にIWANTTOBREAD(
パンが食いたい)
と雪に書き残して行き倒れて死に、亡骸はごみ同然に火葬されて海に散骨されるというのもいいなあ。
おぉ手厳しいですね(笑)コロンボ作品を見るにつけ、留意したい観点ともいえますね。
41話「死者のメッセージ」でコロンボ警部は、殺人犯たちに対する想いを語っています。刑事コロンボは「人殺し」を題材にしたテレビドラマですが、憎しみがテーマではないと思います。私はその点も好きですね。
ひびきさん、
僕もサックスのキャラクター好きです!勉強熱心ですが、それだけでなくて愛嬌もありますよね。サブキャラに味がある新シリーズには珍しい回だと思います。一方自分たちの頭脳を過信し、増長したジャスティンとクーパーに厚みを感じなかったのが残念です。
ところで、ノベライズ版をブックオフで見かけてパラパラ読んでみたところ、最後にはクーパーがコロンボに敬意を表するというTV版とは大きく異なる締めになっていたのが驚きでした。
みちゃん、コメントをありがとうございます。この作品に1票追加します。
とても好きな話です。
犯人達に、わざと好意的に接していたコロンボが、ラスト厳しい口調に変わって追いつめるシーンが好きです。
最後の呆れ顔がまたいいですね。
新シリーズは「この話、コロンボでやらなくても…」という話が多いと思っていたのですが、この話はコロンボの魅力を感じると思いました。
ひびきさん、素敵なコメントをありがとうございます。楽しく拝読いたしました。この作品に1票追加します。
学生に、生の殺人講義をした。
だから最後は、生徒達の面前で逮捕した。
それは机上の空論ではない、血肉の通ったやり方だったと思います。
とても良い味を出していた、サックス役の男子生徒が救いでした。
彼は社会人として、立派な成長を遂げるだろうな、と嬉しい気持ちで一挙手一投足を見ていました。
いいですね、ああいう素直さは。。ホッとします。
最後にコロンボが種明かしをするシーン・・・講堂で学生達皆が突然の拳銃音に<ビクッ!>とする時の表情を見つめるコロンボの眼差しが優しかった。
人間の素顔を見せ付けられた時のコロンボは、とても嬉しそうな顔をする。
あれはピーター・フォーク自身の心だったんじゃないだろうか?と、何度も繰り返して見てしまった。惚れ惚れします。いい顔です!演技だったら目を細めたりするところでしょうが、逆で、目を大きく開いて一同の表情を見守りながら、楽しそうに笑っていた。
若い彼らと共に居られて、コロンボは嬉しかったことでしょう。
これから大きく成長してくれ!という願いが込められていたように思えました。
犯人二人は頭脳明晰なのだから、使い方を間違えずに生きてほしい。
尊敬できる親ではなかったのでしょう。
だから親とは逆の人間になってみせる!と、本来の長所を活かせずに成長してしまった。
保身の為とは言え、パワフルな若者達だから、私には憎しみが沸いてきませんでした。あの行動力と頭脳と気の利き方を活かせば、成功するでしょうに。
憎むべき親なのに、最後は俺を助けるはず、と思い込んでいるその甘さを、コロンボは叩きたかったのだろうとも感じました。
「自分で撒いた種は、自分で刈り取れ!!」と、実地で教えた。
本来は親から教わるべきことなのに、教われなかったから、コロンボが鬼になって教えた。
大学で講義を受けられた学生達は幸せだ。
コロンボの心を受けついで、人生を歩んでほしい。
とことんまで努力し尽くした人間には、ツキが来る。
その深意に気づける人間が、必ず現れる。
そうやって優秀な芽を摘み取らず、大きく育ててあげられる、大地のような力がコロンボにはある。
私も学生になった気持ちで、彼の講義を聴きました。
ありがとう!
放送を見てからこちらのブログを見るのを楽しみしていましたが・・・・。
悪意のない荒らし程たちの悪いものはないですね。
犯行動機が主軸に据えられてないので、まったく刑事コロンボではない。
これは、以前にもコメントした。だから物足りないし、連中のコロンボに
対する見くびり方も尋常じゃないほど行き過ぎだし、品が無い。
尋常じゃないほど見くびらせておいて、最後のどんでん返しを派手に見せ
つける、そういうサプライズを狙っている。こんなのは、刑事コロンボに
相応しくない。動機が見えないので、途中、監督夫人や教授夫人への
寄り道をせざるを得ず、時間を浪費した。動機は保身であり、その邪魔に
なる教授を亡きものにしたのが真相。保身の背景には、身内に期待されて
の学歴や進路がある。であるなら、動機の背景にある身内を巻き込んで、
コロンボは追い詰めなければ面白くないし、これまでのコロンボではない。
じゃあ、どうすべきか?。具体的には、早期に容疑者を確定すべきだ。
そして表面的にはダサく内容はキリの刃先で食い込むように、あからさまに
悪ガキに対して犯人だと、ほのめかすべき。悪ガキも見くびりを控える
ようになる。そして追い込まれた悪ガキは、保身の背景にある身内に救い
を求め、身内総がかりでコロンボの排除を画策する。コロンボは、その
あたりで動機を捕捉・確信し荒療治を始められる。コロンボは、動機を
くすぐるように、悪ガキと、その身内とを引き裂くカンフル剤を調合・
投薬し、身内を落とすのを先とし、悪ガキを自白に追い込む。
つまり、動機を主軸にストーリーを展開させるべきで、そうすれば
面白味は倍増するだろう。
おっしゃるとおり動機の浅はかさと犯した罪の大きさの対比がなかったのが残念です。父親の気づきも欲しかったです。
悪ガキ2人が、なんとか罪から免れる方法を考えた。
どこまでさかのぼれば、それが可能だろうか?。
最後の捨て台詞まで言ってしまうと、もう全然ダメ。
拳銃をカミさんの車に置いてもダメですね。
もう少しさかのぼっていくと、KRVAによる射殺シーンの放送がありますが、
これは悪ガキ2人には不可抗力なので、どうしようもありません。
それ以前には、コロンボによる容疑者絞り込み段階があります。
ここで、コロンボに目星を付けらていました。そうなると時間の問題かな。
やはり、コロンボに近づいてはダメですね。
近づかなかったら、単なる学生の一人でしかないので・・・。
うーん・・・、KRVAに放送された時点で、駐車場にあった車に
目を付けられてしまうので、どう転んでも時間の問題でダメですね。
殺害シーンがKRVAで流されてから、KRVA関係者や技術関係の聞き込みを
しますが、そこから方法、チャンスの落とし込みをするまでが、スッポリ
抜けているような気がします。まあ、やったことにして省略でしょうね。
「権力の墓穴」方式での容疑固めは完璧ですが、特に方法の特定に至るには、
方法の仮説の設定と実証が必要だったはずです。
それを、とりあえず仮説だけ設定しておいて、いきなり学生の前で実証実験
してみたわけかな?。そうであれば、リスキーで乱暴ですね。
コロンボが、ジャスティンの親父と会う気になったのはナゼか?。
その時点では、犯人の目星は確信までいってなかったので、流れに身を任せた
のだろう。講義で言っているが、タイミングを計る展開待機モードです。
親父との会話は滑稽そのものですが、それが親父の本音を余さず出させる
最高の手法でした。コロンボの手のひらで転がされているようです。
裁判になったら、勝てる見込みはありません。それを見据えて、あの親父は
弁護はしないでしょう。結局、子供の教育を失敗するような親です。
過保護というイメージは容易です。それが弁護すれば、陪審員としては
それを引き算したり、客観性を疑うはずなので、かなり不利です。
有能で親しい弁護士に依頼するでしょう。
ただ、息子溺愛の母親は、それを許さない可能性はあります。
コロンボは、ジャスティンとクーパーの挙動におかしさを感じていたが、
殺害するまでの動機が分からないので、当初容疑の可能性は低いと見ていた
だろう。ラスク教授殺害の動機は、教授夫人と監督夫人のほうには、
かなり強くありそうだ。なので、リトマス試験紙としてフェニックス行き
の航空券というハッタリを3者4人へ対しぶつけてみた。
犯人の特徴としては、コロンボから投げかけられた問いに対して、
自分への容疑をかわすような模範回答をするものである。
知らないことに対しても、さも有りそうな状況をつくり出して回答する。
もし犯人ではないのなら、知らないことは知らないと率直に答える。
これが、コロンボの嘘発見機である。これによって、教授夫人と監督夫人
の容疑は薄れていった。とはいえ、ジャスティンとクーパーの殺害動機が
分からないし、第一、方法とチャンスも不明。
よって、ジャスティン&クーパー以外の可能性も捨ててはいなかっただろう。
突如として現れた殺害シーン録画の存在と、それで分かる様々なカラクリに
よって、方法とチャンスの方向からジャスティン&クーパーへの容疑を一気
に固めて、「権力の墓穴」方式の逮捕劇へと落とし込んでいった。
実際、学生の前で、カラクリをやって見せるのも面白いけれど、視聴者は
最初からカラクリを知っているので、あのような実演は不要だと思う。
まあ実演することで、ジャスティン&クーパーの追い詰められた感情を表現
するという効果はあるが、それでも不要です。2度やるのは時間の無駄。
「権力の墓穴」だって、2度はやらなかった。
最後一気のどんでん返しだが、ジャスティン&クーパーをもっと追い詰める
過程の工夫が欲しかった。
ジャスティンは、なぜ録画テープの片方を残すような小細工をしたのか?。
放っておけば録画テープは全て上書きで消えて「これはミステリーだ!」
などとコロンボも言わず、捜査上も犯人の出入りの痕跡を探すなど解決も
遅れる可能性があったのに。
「刑事コロンボではない」と言いますが私はこの話好きです。
決め手は過去に見たようなものだけど、これまでにない犯人(悪ガキ)とコロンボのやり取りは新鮮!
犯人がゲラゲラ笑っている間にコロンボがじわりじわりと追い詰めていくのが面白いです。
最後、コロンボはあろうことか「なぜやった?」と動機を訊いた。
こうなると、もう刑事コロンボではないよ。
前シリーズでは、コロンボの最も重視するのは動機であると言っている。
それが新シリーズでは、手段やチャンスのみに気を奪われ動機をないがしろ
にしている。動機をないがしろにすると、コロンボと犯人との間の魂の
交流が無くなってしまう。そうなると「これはミステリーだ!」などと
言うしかなくなり、手段の面白さのみに光をあてた無機質で奥の浅いドラマ
になり下がる。
拳銃の照準を合わせるには、小型のカメラとテレビと拳銃との間で何度も
テストを繰り返す必要があったはずですね。少なくとも人けのない場所で
半日から1日程度は必要だったでしょう。また駐車場で車を駐車しただけ
では照準は合いません。現場実弾テストが理想ですが、絶対無理です。
現場で時間をかけて調整していたら怪しまれてしまいます。
しかし、現場で時間をかけて照準を合わせる綿密な調整は必要になります。
よって、このような犯行自体が不可能です。
犯人が悪ガキなだけに、コロンボが頭を悩ませるほどの事件ではありませんね。
逮捕されても「親が守ってくれる」と悪態をつくのは哀れですな
勝手な判断ですが、この作品に3票追加します(笑)
クーパーの父親役の俳優(Alan Fudgeアラン・ファッジ)に見覚えがあり調べてみたら、
同時代の米刑事ドラマ「俺がハマーだ!」の第13話
「老人パワーで大胆捜査 今どきの若いもんは!!」 に出演されています、いやスマイス。
この回のメインゲストは、コロンボ第49話「迷子の兵隊」でパジェット将軍役をされてる
ステファン・エリオット。その声が大平透さんなのか、自分には分かりませんでした。
(大手動画サイトにも・・・)
あの二人がヤンチャをすればするほど最後の逆転への期待が高まり、ワクワクしました。
ところで、お気に入りだった昔の映画に屋根裏部屋の花たちというのがあるんですが、その監督脚本をしていたのが今回の脚本のジェフリー・ブルームという方だったようで興味深かったです。
その映画はホラーではないのですが、とても恐ろしく、当時はまだ小さかったのですごいショックを受けました。人間怖いという話です。
小説を映画化したものですが、ラストはブルームさんのオリジナルのようです。そのラストもエエッ!?って感じで肝を冷やしました。
それでも、とても悲しく美しい作品でもあったので、心に強く残っています。
あまり人にオススメはできませんが‥
ワルガキ逮捕後の高慢ちきな父親と母親の顔を見たかったな。
あれだけ自信満々に説教をたれた有能弁護士父と、
子離れできない超息子自慢の溺愛母との顔を。
そういうドラマじゃないけどね。
久しぶりに書き込みます。
この回は当時金曜ロードショーでかかった時しか見ていないのですが、ビデオに録画して2~3回は見たかな。最後にコロンボが仕掛ける罠は確かに旧作『権力の墓穴』と同じパターン,しかしそれは作り手の案が煮詰まったからではなく、これまでのコロンボの長い刑事経験から「よし!又この手で行こう」と云う自信から出たものだと思う。上手く行かなかったらそれを利用して別の罠を用意したに違いない。
この話大好き
逮捕後にコロンボに食って掛かる犯人は珍しい
この話の再放送一番楽しみ
ほんとスカッとする
霊長類最強の刑事に戦いを挑んだマヌケだな。
フレミングとの会話の中に、次のようなコロンボの発言があります。
敵はずいぶんと頭が良さそうだし、刑事ってのはそれほど秀才揃いってわけ
じゃないしねえ。それでもまあ、あたし達だってプロですからねえ。
たとえば、その今の殺人犯にしてもです、頭は良いがぁ素人ですからね。
いっぺんこっきりしか経験してないわけです。ところが、あたしらにとって
殺しっていうのは仕事でしてねえ、年に100回は経験してます。
ねえ先生、こりゃたいした修練ですよ。
彼らも「刑事コロンボ」観てたら良かったのに。
見所は、コロンボの最初の講義です。
以下、全文です。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
(実際にはない証拠を作り上げることは?)
実際にはない証拠を作り上げることはあると言われています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
あたしの場合はこうです。この自分の鼻について行きます、
もし臭いを嗅ぎつけたら、解決の為ならありとあらゆる事をやってみますね。
(若い刑事へのアドバイスは?)
まあ~あまり喋らんことですかね。
何かをした場合など、黙っている方がよろしい!。
すーぐ、ベラベラ喋っちまわないで、待つんです。待って展開を見る。
大事なのは、タイミングです。それからツキ。ツキが必要ですね。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
確かにコロンボは、けっこう証拠を作り上げていますよね。
覚えているだけでも「指輪の爪あと」「ロンドンの傘」があります。
これらは似非証拠とも言えますが、その証拠らしいワナで犯人の言動を
引き出し、それを決定的証拠にしてしまうテクニックですね。
またコロンボは、知っていることをベラベラ喋っているようですが、
事情聴取で知り得たことを即言わず、タイミングをかなりズラして、
幾つかの状況証拠と合わせ技で犯人にぶつけることがよくありますね。
2度3度と観ている内に、そのあたりのさじ加減も見えてきました。
まさにフレミングが言っていた「見くびっていた連中」を
レスリーが言っていた「敵の油断を見透かして、いきなりワナを・・・」
というわけだが、
連中の見くびりを思いっきり表現してどうすんの?、と言いたい。
新シリーズは品格が無いね。
被害者血が出ました。コロンボでは珍しいというか、初めてでは?。
ポール・ガレスコが自分の足を撃ったとき少し・・あれは犯人ですね。
汚れた超能力でも、ちょっとだけ。
いつもやっている弾道検査は?。
弾道検査、通話履歴、硝煙反応などは、一貫性が必要ですね。
KRVAは、「犯罪警報」にも出てきました。
「権力の墓穴」と同じ墓穴掘ってスっ転びましたね。
なんというか、さえない終わり方です。
スタンさん>「レオポルドとローブ」ですか、勉強になります。こんど調べてみます。
たいていの犯人は、見かけはパッとしないコロンボが実は強敵であることに気付いてますが、最後まで実力を見抜けないのも珍しいですね。
大学生の二人組の犯人は、育ちはいいが自分たちの才能を過信してあっさりと失敗するあたりが、ヒッチコックなどの映画のモデルとなった実在の殺人者「レオポルドとローブ」を意識しているような気がします。
タップおばさん>コロンボからは「犯人をこらしめてやる」って意気込みを感じました。
コロンボが最後の最後まで犯人を泳がせたケースって珍しいんじゃないでしょうか?
犯人の格が低く、対決感の乏しい回ですが、
「ざまあみたか!」という痛快さは随一でした。
Meさん、コメントありがとうございます。お返事がすっかり遅くなってしまいました。
描き方がリアルになってきたのですね。コロンボ作品は「殺人」がテーマになるので、死や血の描き方が問題になりますが、初期作品では、そのような部分をきちんと見せずに、成立させていたと思います。
やはり初期の作品は良かったと思います。
犯人の学生役の2人がなんと山寺さんと大塚さん!
一度声を聞いた時から、何か聞き馴染みのある声だと思っていましたがまさかまさか。声が若すぎて今とはだいぶ違って驚きました。
歴史のある海外ドラマは、こう言った楽しみがあるので楽しいと個人的には感じております。
刑事コロンボで最も多い「殺害方法」は「拳銃による射殺」ということがわかっています。ですから、殺害方法自体は珍しくはありません。
ただ、この話での死体の映し方は、他のものに比べてかなり過激になっています。
この「殺人講義」のDVDマガジン(デアゴスティーニ刊行)を買って観たのですが、被害者のラスク教授(ジェームズ・ストリウス)は、コロンボ警部たちに発見されたとき、死体の周りが血の海になっていましたから・・・
射殺直後の死体が映される「野望の果て」でもこんな過激ではなかったわけですから、かなり違いますね。
ある意味、「汚れた超能力」よりすごいかもしれません。