- 「愛犬ドッグ」の出演作品。
- ハロルド・バン・ウィック「メルセデス・ベンツ・450SL」
ある意味、すごい豪邸
電子工業の社長ハロルド・ヴァンウィックが義母を殺害。手を叩いたら「ドアが開く家」なども含め、数十年前に見た当時を懐かしく思い出しました。今であれば簡単なことかもしれませんが、当時の個人宅でビデオ監視システムを使って家を警備しているなど、恐ろしいほど生活経費をかけていたものです。
オスカー・ウェルナー
今回の再放送で彼の顔を見たとたん、「そうそう、この人、この顔!」って感じで、大はしゃぎしました。それくらい深いインパクトを与える俳優さんだと思います。
ジーナ・ローランズ
映画「きみに読む物語」
マーサ・スコット
凄い解決編、本当に文字まで読めるの?
解決編で、ビデオの映像を拡大して、そこに画廊の招待状が映っていた。というのは、どうも…。当時の解像度でそこまで読み取れますかね?オープンリールのようなかなり大きな記録メディアなので、そうなのかもしれませんが…ちょっと疑問です。(これについては後日、業界の方から「識別可能だ」とのご指摘を頂きました)
開けゴマ?
それに対し、銃声でドアが開いてしまったことを発見する着眼点は素晴らしかったですね。実際にピストルを発射して実験していますが、よく考えたら家中のドアが全部開くはずで、もっと大げさな状況になっていたのでは?とも…。ドアごとに感知のON/OFFをしていたのでしょうか? いずれにせよ、これらは足の不自由な奥様への愛情の証として考えられた装置であると思われます。
画廊の美人受付嬢に興味
画廊を訪問するコロンボ
はじめっから、顔が笑ってます
日本語吹き替え版のラストは少し残念…
母親殺害の犯人が実の夫だったとわかり、妻のエリザベスが泣き叫ぶシーンでエンディングを迎えますが…少し残念。美しいコロンボ作品を好む私としては、声は不要だった…です。
ブロンソン巡査への疑惑
この俳優さんは38話「ルーサン警部の犯罪」でウォードのギャラをさらに上げることに反対するテレビ局の役員でも出演しています。
これがもし同一人物だとすると…「フランク・エメット・バクスター」という俳優です。2011年の12月に名前が判明いたしました。
監督:バーナード・L・コワルスキー
脚本:デビッド・P・ルイス、ブッカー・T・ブラッドショー
ハロルド・バン・ウィック:オスカー・ウェルナー(声:山田吾一)
妻エリザベス:ジーナ・ローランズ(声:二階堂有希子)
マーガレット・ミダス:マーサ・スコット(声:佐々木すみ江)
アーサー・ミダス:ロバート・ブラウン(声:佐々木功)
バクスター:ハーバート・ジェファーソンJr.(声:伊武雅之)
フランシーヌ:パトリシア・バリー(声:曽我町子)
受付嬢マーシー:トリシャ・ノーブル(声:沢田敏子)
バーンズ巡査:スティーブン・マルロ
トンプソン:バート・バーンズ
ブロンソン巡査:フランク・エメット・バクスター
レストランの客:マイク・ラリー
加筆:2024年8月29日
本作は邸宅の立派な建築、絵画、音楽、映画、アニメ等々、アート分野で触発されたコメントも多かったですね。私もその中のひとりでした。
それにしても、ぼろんこ様のブログのコメント欄の、コメント数や、その、あらゆる角度からの考察の多様性は、ちょっと類例を見ないです。
今回の頁でのコメント欄における初投稿者を確認しますと、akuto様で、2011年2月25日 3:56 AM、これは東日本大震災の約2週間前の投稿ということになりますから、歴史の重みに想いを馳せてしまいます。
ぼろんこ様による記事、『刑事ぼろんこが10周年です。』(2020年1月15日付)によりますと、《記録上は69話「虚飾のオープニング・ナイト」が2009年1月1日に投稿したことになっております。しかしこれはブログを始めた頃、作品を1話〜69話まで、並べて掲載するための工夫から決まった投稿日です。実際には2010年にブログをスタートしました》ということですので、akuto様も、かなりブログ初期の投稿者の一人ということなのでしょうね(初投稿された方はどなたなのでしょう?)。
「刑事コロンボ」を観て、ここでその感想を伝えるとき、人はその人それぞれの個性、感性、世代や生まれ育った背景等に基づき、様々な言葉遣いや考え方や表現を用いてコメント投稿をしますが、そのバリエーションの豊富さには圧倒されます。
そうした膨大な集積による、この、ぼろんこ様のブログのコメント欄、何かに似ているなと、ずっと考え続けてきて、今朝やっと気付きました。多くの人が集まり、時間をかけて、より立派に育っていきつつ、いつまで経っても完成しない、ガウディのサグラダ・ファミリア教会にそっくりだということに・・・。
グラント画廊でコロンボが話していた絵の話「番号がついていて、そこに色を塗っていくと絵ができる」という件。放映時からかなり後に、これだったのかな?と思われるのを海外ニュースのトピックで観ました。具体的なやり方は放映されませんでしたが、内容は、絵画は時間がかかり過ぎる趣味。そこでスピード絵画という手法が考え出された、という内容でした。創作と言えないけれど、誰でもあっという間に絵が描ける、という長所がある、のだと思いました。話題を観たのはその一回のみ、国内では見聞したことがないので、米国でも一時的な一部の流行、普及はしなかったんだろうなと思われます。
改めて観たハロルドとエリザベスの邸、立派なバリアフリーですね。それを見るとハロルドのエリザベスの愛は本物、財産目当てだけだったとは思いたくないですが、但し大人の愛とは言えなかったようです。まさに「僕のベビー」可愛いお人形、籠の中の鳥。大人の女との恋愛は外で。そういう所で彼は本当の大人にならないままで凶行に及んでしまった、と伺えます。このミダス王は全てを金に変えられると思ったまま、誤りに気付かなかった。
今回はコロンボのひっかけもなく、不自然な場面も気づかずに一件落着しました。
画像をあれこれいじるトリックは「そうなんだろうな」と思ってみていましたが、音で扉が開いて椅子の上のピエロが見えたという証言。さらにはビデオに映っていた招待状が決めて。
複雑さがないだけミステリーとしては分かり易かったのですが、ちょっと突っ込みどころが無いのも物足りないものですね。脚本家たちが頭をひねって視聴者にあれこれ推理させるのがコロンボの魅力でもあります。 しかし、あれだけの装置を備えた豪邸にはいつもながらアメリカの豊かさを思い知らされます。 B-29に空母を基幹とした大船団。よくも日本はコンナ国と戦ったものだ。 石原慎太郎の悔しさがよく分かる。
主人公(犯人)の吹き替え声優さんは、最初から中尾隆聖さんと思ってました 聴いた瞬間「にこにこぷんのポロリだぁ」なんて でも山田吾一さんだったんですね 娘にも聴いてもらったら、中尾氏じゃないと一蹴されました 山田さんの声は子供の頃に観たテレビ番組「事件記者」で覚えてますが、その声とは若干違うように思いましたね このコロンボ作品は1975年ですので、「事件記者」から時間も経ってますし、雰囲気が変わったんかなぁ
はじめまして。
感知した音によってドアの開閉をする仕掛け。ぼろんこさんが指摘されているとおり、車いすで移動する奥様への愛情の証です。あんな立派なお屋敷の大きな大きなドアの開閉は、車いすの方には重荷です。弱者としてしか周りに思われていることに怒りのような感情がある奥様を、できるだけ一人の自立した女性として生きていくためにお金と知恵を使ったのでしょう。それも旦那さんの愛情であることは間違いないと思います。
ドアが音で開くことがこの作品の骨格となっているようです。奥様の寝室のドアが、事件の核心を秘める「音」で開いてしまったことを説明するところ、コロンボの推理の深さと饒舌な説明に、音と光が絡み合ってシナリオ及び映像として圧巻です。あのシーンの音楽を、是非、YouTubeコロンボチャンネルで演奏してみてください。
最終シーンにも賛否というか意見あるようですが、その前に手を叩いて扉が開いた瞬間に、この作品が完結していたようにも思います。あそこで参りました。
こちらこそ、初めまして。
ドアが音で開くことがこの作品の骨格〜
その通りですね。
本作は子供の頃に見たのですが、ほんとうに深く
印象に残りました。
刑事コロンボの特に旧シリーズでは、音楽や絵画などの芸術的なものが色どりを添えていますね。今回は現代アートとショパンでした。
画廊のシーンで印象派の絵画などでなく、敢えて現代アートをもってきたというところ、またコロンボがその作品を理解出来ず、また傍らにある換気口を作品と勘違いしてしまうというこのシーンは、微笑ましいと同時に現代アートに対する皮肉めいたジョークとも取れると思いました。
私もあそこに置いてあったような現代アートを見たら、たぶんコロンボと同じような反応になってしまいます。
しかしYC-30さまのコメントを拝見して、どんなものでもその創作者のプレゼン方法によってアート作品になり得るという試みが現代アートであるということに気づかせて頂きました。ある意味、鑑賞者に対する挑戦に近いかもしれないですね。
フランシーヌの「芸術とは理解するものではなく、感じるものですわ。」というセリフも、個人的には妙に納得した一言でした。何かを感じ取ったら、興味が湧いて自分から勉強して理解が深まっていくものと思われるからです。
またハロルドが殺人の準備作業をしているときに流れているショパンの「バラード1番」。同時期の作曲家シューマンがショパンの曲で最も好きだと語っていたそうです。
最後まで聴いたことの無い方は、機会がありましたら是非聴いてみてください。静かな前半から激しくなっていく後半の展開が素晴らしく、ショパンが稀代の作曲家だということが堪能出来ると思います。
ショパン、シューマン両方大好きです。二人ともに、その生涯がまた泣けますよね。
ジョン・カサヴェテスの奥様が重要な役柄で出演されているという理由からか、今回は10話「黒のエチュード」と共通点が多いお話でしたね。
ところで、やはり気になるのは、ピーター・フォークの、父親はロシア系ユダヤ人、母親はポーランド=チェコ=ハンガリー系ユダヤ人(アシュケナジム)という血筋です。アメリカ人にはそうした祖先の人が多いのでしょうけれど、どう見てもコロンボの設定であり、我々が普通イメージするイタリア系の顔ではありません。むしろ、レナード・バーンスタイン(ウクライナ系ユダヤ人移民の2世)などに近い顔立ちや肌の色に近いようにも見えます。
私がまだ若いころ、有名な世界的ヴァイオリニストはほとんどユダヤ系で、たまにはユダヤ系でないヴァイオリニストを聴きたいと思い、定評ある、ヘンリク・シェリングのバッハ:無伴奏の名盤を買ってライナーノーツを読んだら、結局「ユダヤ系ポーランド人」と書いてあり驚いたことがありました(笑)。
ピーター・フォークも絵画など芸術全般に造詣が深く手先も器用だったところは、血筋もあったのでしょうかね。
確かにあらゆる分野、特に知的、芸術活動においてのユダヤ系の人々は素晴らしい業績を残す人が多いですね。ホロヴィッツの迷言「ピアニストには3種類の人間しかいない。ホモかユダヤ人かヘタクソだけだ。」というのも、暴言ながらそういう側面もあるかも…と思います。
コロンボをイタリア系アメリカ人という設定にしたのは、何故でしょうね。ピーター・フォークが若い頃、マフィアの親分とかチンピラ役をよく演じていたこと、また新シリーズでもマフィア絡みのエピソードがあること等を見ると、彼自身がイタリアに対する憧れのようなものがあったのかもしれないですね。
芸術〜ショパン、シューマン〜ユダヤ系〜ホロヴィッツまで、
楽しい話題、ありがとうございます。
ホロヴィッツ、好きだな〜。
音に反応するドアというのは、赤外線に反応するであるとか、もう少しハイテクらしくならなかったのかな?
観れば観るほどに「刑事コロンボ」はもはや本格ミステリーものとしての役割を終え、懐古趣味だけが楽しみの番組になってしまった感を強くしています。
それはそれで魅力的です。
>音に反応するドアというのは、赤外線に反応するであるとか、もう少しハイテクらしくならなかったのかな?
1970年大阪万博でも、手を叩けば音で開閉するドアなどという、そんなダサイ技術は見なかったですね。当時の子供でもバカにしていたでしょう(笑)。1975年放映当時なら、もっと中途半端ですよね。
最近興味があるのが、ドラえもんに出てくる知る人ぞ知る「どこだかドア」
Wikipediaによりますと、『地球と左右方向、男女性別などがあべこべになっている惑星の、ドラえもんに相当するキャラクターの道具。形はどこでもドアと同じだが、デザインが木目調でやや古ぼけた印象がある。どこでもドアが「直接指定した場所に行ける」のに対し、これは文字通り「開けてみるまでどこだかわからない」という性質のものの様である。』 そうで、27話「逆転の構図」を観て以来、ずっと気になっているんです(笑)。
藤子 不二雄Ⓐさんも、先日お亡くなりになりましたね。またまた寂しいです。
>藤子 不二雄Ⓐさんも、先日お亡くなりになりましたね。
うひゃー、
ぼろんこさん記事本文によりますと、
画廊店主フランシーヌ(パトリシア・バリー)の日本語吹き替えの曽我町子さんは、オバケのQ太郎の声や主題歌を担当したとのこと。
で、更に調べると彼女は、小池朝雄さんが刺青師で出演した成人映画「徳川いれずみ師 責め地獄」(1969年)で、囚人A役 由利徹さんの声も担当していました。
世の中、狭いですねえ~。
Wikipediaによりますと、曽我町子さんは、
《1983年に俳優業の傍ら、東京・原宿に趣味の古美術品収集を生かしたアンティークショップ「ステラ」を開業》
《『オバケのQ太郎』で人気が絶頂期を迎えたのを機に、「Q太郎」以外の自らの方向性を模索する目的で1970年代初頭に一時芸能活動を休業、イタリア国立美術学院への留学を経て、約3年近くにわたってイタリア・シリア・アフガニスタンなど欧州・中東を渡り歩く生活を過ごした。この時以来、地中海方面への旅行とその旅行の中で巡り合った骨董品・装飾品の収集が終生のライフワークとなり、後の「ステラ」開業に繋がったという》
「画廊店主フランシーヌ」の吹き替えにこれほど相応しい方はいらっしゃらなかったのではないでしょうか(笑)
ビデオ画像を拡大するエンジニアの片割れにささきいさおさん、
画廊の女主人に曽我町子さん
警備のバクスターに伊武雅刀(クレジットは当時の芸名「伊武雅之」)
言わずと知れた初代ルパン三世の峰不二子、二階堂有希子さん
この回はあまねく声優さんが楽しめました。
画廊の新人を演じていたトリシャ・ノーブルさんですが、スターウォーズ・エピソード3にも出演されてたのですね。
https://starwars.fandom.com/ja/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC
初代不二子ちゃんの二階堂有希子さんの吹替えが好きです(^^♪
ブラント画廊内の換気口を芸術作品と勘違いしたコロンボを、店主のフランシーヌが失笑していましたが、芸術をわかっていないのはフランシーヌのほうではないでしょうか。アートとは何ぞや?を追究していくと、コロンボの着眼点が、本当は鋭かったことに気付きます。
周知のとおり、1917年、ニューヨーク・ダダの中心的人物であったマルセル・デュシャンが、ただの便器を『泉』という作品として「ニューヨーク・アンデパンダン」展で発表しようとして大変な話題になり、多くの審査員が「こんなものはアートでもなんでもなく、ただの便器に過ぎない」と酷評し出品を許可しなかったものの、その後、デュシャンは日用品を用いた作品によって「コンセプトや観念によって作品が成り立つ」ということを実践した初めての人物で現代アートは彼から始まったと、高く評価されています。「日常にあるものでも、主題や観点を与えればそれが全く新しいオブジェになる」という「表面だけ見て作品を楽しんでいた時代」から「思考で楽しむ芸術」を生み出したデュシャンの高い芸術的意義を知っていたら、決してコロンボを笑えません。
「芸術はアーティストが生み出す作品だけで完結するのではなく、鑑賞者が創造的行為に加わることによって作品が完成する。・・・・・・マルセル・デュシャン」という意味で、古い芸術観に風穴を開ける『換気口』という「作品」が、『泉』同様、オブジェ「レディメイド」の傑作群であったとしても、現代アートの世界では何ら不思議ではないからです。
20世紀には、音楽の世界でも、ジョン・ケージが『4分33秒』という「傑作」を発表していますよね。
私も本作の画廊のエピソードでは、マルセル・デュシャンを連想しました。音楽家ジョン・ケージについては、確か「奪われた旋律」で、書いていると思います。
40年以上前のNHKテレビ初公開の時、記憶に残った二つのセリフがあります。一つは、義母さんが悪口を言っている現場にやってきた犯人、「思しきこと言わぬは、腹ふくるるわざなり、と言うではないか!」と取りあえずは、自分への批判を鷹揚に受け流す態度を見せるところです。
高校に入学して古文の授業で習ったばかりの徒然草の言葉を、刑事コロンボの登場人物が口にしたので、こんなに一般的な文句だったなんてと驚きました。「言いたいことは言っておかないとお腹の具合が悪くなるものだからね!」なんてアメリカに同じような言葉があるのでしょうか? 原語ではどうなっているのか知りたいです。
もう一つは画廊のシーン、抽象画を目にしたコロンボに説明を求められたスタッフの女性の「理解するのではなくて感じるものですわ!」というセリフ。高校の部活でオーケストラに入ったクラシック音楽オタクの私にとって、名曲の数々は感じるだけでなく楽譜を眺めながら理解すべきものだったので、芸術を頭で考えずになんとなく感じで受け止めなさいって言葉にムッとするものを感じたのを覚えています。犯人の趣味の独りよがりの一面を表すシーンだったのですね。
義母さんが悪口を言っているシーンに登場するヴァンウィック氏は、その場では鷹揚に受け流していますが、その前にシーンでいろいろ工作しているので、殺害計画は出来上がっていました。財産目当てに、体の不自由なお嬢さんを助ける数々の発明で近づき、会社の乗っ取りに成功しかけたところを足をすくわれそうになって犯行に及んだということでしょうか。
義母さんはショパンを愛する人だったとのことですが、聞いているバラード第1番がなんかメカニックで詩情に乏しい演奏のように聞こえ、異変に気付いて電源を切るのも味気ないやり方のように感じました。
コロンボが画廊で説明を求めた作品ですが、鳥の巣を横から見たようにも見えるし、ピカソのようなキュビズムの作品を三次元化したようにも見えました。言葉ではなく感じるものですとは、21世紀なら無責任と言われるかもしれません。換気口を作品と間違えたコロンボさんはご愛敬です。
ビデオの解像度の件ですが、あそこまで鮮明に細部を拡大するのは不可能です。
大きなレンズとフィルムを使い、露光やフォーカスを入念に調整できる写真ならまだしも、たかだか防犯カメラの一コマですから。
照明バッチリ、フォーカスもぴったり合っていると仮定して、映画撮影用の35mmフィルムとレンズならロゴくらいは判別できるかな? IMAX用なら文字まで読めるかもしれませんが、いずれにしても現実的ではありませんね。実際にはビデオテープに撮像管カメラが用いられているのだから、画質はずっと劣ります。当時のテレビドラマやテレビ映画、それこそコロンボシリーズの画質を見れば、技術的限界は推して知るべしです。
映画『ブレードランナー』にも何気ない写真をやたらに拡大して謎解きをする場面があって、皆ツッコんだものでしたが、あちらは未来のSFなので無理矢理納得することができました。
さておき本作の推理の要点は二つの映像の矛盾であって、少なくとも招待状のサイズくらいはわかるし、たとえ決定的な証拠にならなくても犯人を揺さぶる大きな手がかりにはなっていたと思います。
いつもこちらを参考にコロンボを観ています。犯人役のオスカー・ウェルナー、俳優の濱田岳さんに似てるなーと思ったら、もうそうとしか見えなくなってしまいました(笑)。それだけお伝えしたくて書きました、既出だったらすみません。今後も楽しませていただきます。
とても面白く観ました。
コロンボが風邪をひいていて、しつこいぐらい何度もくしゃみをしていましたが、この、風邪をひいているという設定はストーリー上なにか必然性があるのか? そこがわかりませんでした。
寝室に置かれたピエロが暗闇から浮かび上がるシーンが好きでした。
犯人の奥さんがまだ夫が悪い奴だということに気づいていず、サインを
しそうになるところはハラハラしましたが、そこへサッとコロンボと
警官が現れてほっとしました。
皆さんも述べていますが、私も今作の魅力はジーナ・ローランズと思いました。
ピーター・フォークと共演した「こわれゆく女」、
同じく夫君の撮った「グロリア」、子息の撮った「きみに読む物語」が好きです。
大昔の放映権時に見損ねていた回を漸く見ることができました。
ただ、ビデオ映像の差異が決め手になることが容易に予想できたので、やや意外性がなく残念だったかな。
個人的には、配役を見てへぇーって思いました。犯人役のオスカー・ウェルナーはトリフォー監督の映画で拝見していたので、フランス語しか話せない俳優さんだと思ってました。また、奥さん役のジーナ・ローランズも「グロリア」の女傑ぶりとは打って変わった美しさで意外でしたね。
久々に観て、決定的なツッコミ所があると気付きました。
もし、義母が撃たれる直前にハロルドの名を叫んでいたら、ビデオに証拠が残ったのではないでしょうか?
音声がわからなくても、あれだけアップで画像解析できるのなら、読唇術でも解読できるはずです。
これまでに観た幾多の刑事ドラマだと、犯人が顔見知りという同様の状況なら、被害者はほぼ100%名前を叫んでいたように思いますが、このお話ではそれだと都合が悪いので、わざと義母に叫ばせなかったのかなと感じました。
「ルーサン警部の犯罪」では覆面をしていたから、被害者は犯人と知り合いでしたが気付きませんでした。最終的には気付きましたがそれは会話をしたから。
このエピソードでも覆面をするべきだったのでしょう。
完全犯罪指南ではありませんが。
ハロルドが画廊に行く直前に妻と電話で話している場面と、画面が切り替わって電話を置く場面とで、机の上の物の配置が若干変わっていましたね。
そうですよね。後ろのカットには招待状が置いてあるように見えます。
私も昨日久々で見なおして気づきました。おそらく編集の繰り返しで起きたミスだと思います。ハロルドが半分に折って背広の内ポケットに入れたはずの招待状。それがまた次のカットの繋ぎでは机の上、もとあった場所にちゃんとそのまま写ってますね。決定的な証拠となる招待状なので気づいたときには正直驚きました。なんどもなんども繰り返して撮り直したのでしょうね。
ジーナ・ローランズがちょっと気になり調べていたら1974年「こわれゆく女」という映画でピーターフォークと夫婦役を演じてるんですね。知りませんでした!作品自体は随分と深刻で重い物語のようですがそのうち鑑賞してみたいと思います。監督は「黒のエチュード」犯人役アレックスのジョン・カサヴェテスなんですね。そして「毒のある花」や「5時30分の目撃者」などいくつかのコロンボ作品に登場してるフレッド・ドレイパーも出演してるんですね。なんかいろいろ発見があり面白い!
初めてコメントします。
美術館の換気口のくだりは、秀逸でしたねー。何度見ても笑ってしまう。
あと、エリザベスの寝室で実験するときの演出が好きですね。
真っ暗ななか、コロンボの声だけが聞こえてくるシーン。
明かりをつけて、手を叩いてピエロが照らされるまでの流れ。
なにか、舞台を観に行っているような気分になりました。
初めまして!
換気口のシーンは、私も大好きです!!
ジーナ・ローランズのキャスティングは「黒のエチュード」との類似点の多さから確信犯的。
第4シーズンは知能犯との対決路線重視への回帰なので、その点においては盛り上がる一方、
救いある余韻が残った「黒のエチュード」に比べて後味は悪い…。
弟アーサーがモジャモジャ頭で吹き替えが佐々木功なのでチラ見でマイケル・ナイトに
見えます(笑。佐々木氏はジャック・キャシディ吹き替えの田口計同様に「コロンボ」が
アメリカで制作され始めた頃の特撮ドラマ「怪奇大作戦」で犯人役を務めました。
金の無心にきた双子の弟を誤って殺してしまい、催眠装置を使って恋人に罪を
なすりつけようとする若い科学者役。
ラストシーンですが原語版では奥様の泣き叫ぶ声はないようです。吹き替え版だけの演出でしょうか。
コロンボを見てアメリカと日本は違うなと思うシーンがよくあります。コロンボが奥様の寝室でドアが開く実験をする場面でベッドの上に靴を履いたまま寝転がりましたが、日本人の感覚では他人のベッドに寝るのも失礼ですが、まして靴履いたままとは。このように文化の違いを感じるのもコロンボ鑑賞の楽しみです。
色々興味深い作品です。以前子供の時にテレビで見たときに、手を叩いたら開くドアや、階段を電動であがる車椅子等に驚いた事や、犯人のハロルドさんが何故か印象的でした。
さて、21日の放送後に更にブルーレイを見直しました。
犯行が警備の方に発見されて直ぐに警察と画廊のハロルドさんに連絡あったと思われます。しかし、ハロルドさんはビデオテープに接続したタイマーの回収等を警察より早くできたのでしょうか?警備の方がビデオ見てたのもわかっていたし、画面で非常に分かりやすいタイマーがビデオのコンセントに差し込んであったのに・・・それが発見されていたら成り立ちませんけど。あと、凶器の拳銃はどうしたのかとか侵入の靴はどう処分したのかとか気になりました。
ハロルドが顔パスなら、画廊の招待状を持って行かなければ決定的な証拠がなかったかも。奥様の電話で焦ったのかもしれません。コロンボの、どうして泥棒にみせかけた犯人は何も取らずに撃ち殺したのか、エリザベスの音で開いたドアで光が入ったとか、マルチが部屋に入っていないとか、窓の外の足跡の深さや幅等独特の考えがつながってきたのでしょう。
他は推理と少し外れますが、数週間前に義母様から業績を上げないとクビと言われて、簡単に上げられるはずはないのでは。被害者の息子アーサーさんもハロルドを不景気だからとかばっていたのに...義母の方は浮気も腹がたったのでしょうか?でも、ストーリーのなかでは奥様にとても優しくしてあげていたと思います。浮気は良くないけど、夫婦仲をどうするかを決めるのは奥様のエリザベスではないでしょうか。マーガレット夫人も「あの子があんなに打ち込んでなければ」とエリザベスがハロルドに夢中なことは知っていたのに。あの当時としては凄い設備も、車いすの奥様が家庭内で自立を助ける先進的な設備でしょうに。あまりにも義母さんがハロルドを追い込んで殺されてしまい、結果大切な娘エリザベスを深く悲しませることになって全員不幸ですね。勿論殺人は一番いけない解決法です。最後のあがきも見苦しかった。私も決してハロルドを贔屓にしているのではないのです。エリザベスは母親を夫が殺した結末が気の毒すぎます。コロンボさんのやるせない表情が印象的でした。
入口近くのデスクがある暖炉の上にレンブラントの妻 フローラを装うサスキア が飾ってありました。レンブラントの妻サスキアも大金持ちでレンブラントの事が好きで夫婦仲が良かったとのことです。ハロルドとの夫婦仲やお金の事を暗示しているのかなと思ってしまいました。ハロルドは浮気はしたけど、妻の事を大切にして彼なりの愛情があったのかもしれません。
声優陣がとても豪華でした。見直しの時にアーサー佐々木功さんの声が気になって仕方ありませんでした(笑)。伊武雅之さん(デスラー総統)は今の伊武雅刀さんですね。何度見直しても楽しめる作品ですね。更に毎回ぼろんこさんのサイトを拝読させて貰うのも楽しみです。
すみません。長く書きすぎました。一旦削除していただけませんか。改めて。
一旦非表示にしました。再投稿をお待ちしています〜
「妻である君がぼくの上で会長をやって、うまくいくと思うかい?」
当時はある程度の常識で、今では非常識な考え方。何もわかっていない者が自分より上にいてもらっては困る、という意味もあるんでしょうが。
「道楽と言うが、わたしは妻を愛している。電気製品メーカーとして試用している意味もある。こんなこともわからないのか。
業績が落ちたと言うが、アーサーも認めているように不景気が主な原因じゃないか。
それなのに社長を辞めろと言う。
もう我慢できない」
こんなところが動機なんですかね。
被害者からしてみると、犯人の妻すなわち自分の娘は犯人にいいように丸め込まれている、と感じていたのでしょうか。その証拠が犯人の複数の浮気。
夫婦は性的には愛し合えない状態だったので仕方なかったのか、やはり許しがたいことなのか。妻の母が言うことではないことなのか。
しかし被害者は、会長の権限を利用してまで犯人を罰しようとします。
ここは被害者にはあまり理がないように思えます。だから殺していい、とは絶対ならないですが。
犯人は会議の場でアーサーと組むなどして、社長の座から追われないよう立ち回るべきでした。浮気の証拠等、弱味もあり、会長の主張が通りそうな気配は濃厚ではありますが。
ミダス電子工業のミダス=触れたもの全てを金に変える王の寓話でしたでしょうか。この巣ごもり生活の中でそう考えるとなかなか寓意性のある、いやいっそ全編が大人の童話に映るような。電動装置の数々に飾られたあの屋敷はハロルドとエリザベスという王様と王妃様のお城。でも本当はハロルドがエリザベスという子鳥を自分だけの為に可愛がり閉じ込める為の籠だった。
ハロルドが見せびらかす「カッコいい」腕時計でしたが「腕」に限らず私がガキの頃はこれからは全ての時計はデジタル表記になるんではないかと思う程大流行になった頃がありました。
相棒の(笑)ドッグも同行。いつもの葉巻だけでなく風邪ひいたコロンボのくしゃみ、今ならまさに迷惑千万(笑)。
新型コロナの中、ノータッチのドア🚪
コロンボ警部のクシャミ🤧
なんと、時代にマッチし過ぎます⁉️
僕が高校時代土曜日の夜!刑事コロンぼを視るのが楽しみでした! それから何回も何回も再放送されても飽きたら無い❗素晴らしい刑事番組です!毎週水曜日夜が来るのが楽しみで、なりません❗
ほんと同感です。こうした再放送によってますますコロンボファンが増えているのだと思います!嬉しいです。
コロンボ作品は、犯人はじめセレブ(お金持ち)が登場するためさまざまな当時の「最新機器」が出てきますね。
個人的な話で恐縮ですが、現在「電動車いす」を使用して生活している小生には、こちらの作品に登場する車椅子は、再見の折、驚くほど感動しました。(操作盤から椅子の形状など、現代の物と変わらない!)コロンボ作品の先見の明?には脱帽です。
あの階段昇降機にしても涙もの(笑)です。もちろん、アメリカの住宅事情(あの豪邸ですもの;笑)もあるでしょうが、自分で昇降操作できるのはさすがですね。こういう発見があるのも、コロンボ作品の楽しみです。
あの階段、日本じゃあり得ないほど幅がゆったりとしてますよね。
うちの階段は、あの3分の1にも満たないです(笑)。
エレベーター付きの戸建ては日本でも見られるようになりましたが、あのヴァンウィック邸はどうだったのかしら?なんて想像したりします。
ありがとうございます。ほんとうに幅広ですよね。あの時代、流石に戸建てのエレベーターは現実的ではなかった?のでしょうか。あの平米ですから、昇降機で充分なのかもしれません(笑)
私も子供の頃に見た時、この家のハイテク構造に「アメリカってすごいや!」っていう感動を覚えたものです。もうコロンボを見るのが楽しみで仕方なかったのです。
ハロルドが発明した様々なシステム。
セキュリティ、介護、と現代では必要不可欠な機能。しかもAIも入ってる。先見の明がありましたね。
それを義母さんは「道楽」と片付けてしまって....
なんとも、ハロルドがいたたまれません
*死の方程式のロジャー君のスプレーも、パーティグッズとして大売れしたと思います(笑)
あの監視カメラの映像を静止画で拡大しても、あんなに鮮明ではないとは思うのですが、それも楽しめるポイントです。
招待状が決め手とは、予想できませんでした。コロンボの風邪が何かきっかけになると踏んでいましたが、見事に裏切られました。 ハロルド、確かにロッドスチュアートに似ています。いつも、見終わってこのブログを拝見するので、私が観てる間は、れいわ新撰組の山本太郎代表に見えて仕方がありませんでした。
いろんな人に見えてきちゃう、のも面白いポイントです。
こんばんは。
今日はヴァンウィックがフィギュアスケートのプルシェンコに見えました。
私はウッカリ濱田岳に見えちゃいました(爆)「華氏451」や「突然炎のごとく」の名優なのにすっかり忘れて岳ちゃんの吹き替えで聴きたいとか思ってしまいました。
今視聴では私も濱田岳を感じていました。
新規に吹き替えして欲しいです。
私も。殺人の前に、羽生結弦のバラード1番も流れてましたしね。
やすさん、同じ想いで視てました
同感です😁プルシェンコ(笑)
たしかに言われてみれば!!
最近コロンボファンになり動画を探しています。
とにかくゲスト出演の俳優が豪華ですね!
オスカー ヴェルナーはウィーンが誇る名優ですね。トリュフォー監督作品の常連俳優で大好きです。彼の話すフランス語も好きですが、オーディオブックのゲーテの作品のドイツ語が素晴らしいです。
まさかコロンボに出ていたとは、と思いましたが最新で最後のテレビドラマだそうです。
ジーナ ローランズも最高です。
「ウィーンが誇る名優」そうなんですね。
オスカー・ウェルナー情報、楽しく拝読いたしました。
1975年当時としては、超ハイテクで装備された豪邸が舞台で、久々のショートバージョン(75分)となりました。最後、絶望的になった犯人が妻に助けを求めるのに、ノーと跳ね返されるシーンは「黒のエチュード」の最後とだぶりますが、夫人役のジーナ・ローランズが「黒のエチュード」のジョン・カサヴェテスの奥様とは、何とも奇遇な気がします。エンディングでは、ぐっとこらえていて、泣き叫んではいませんでしたので、吹き替えの際に追加されたのでしょうか。
60年代トリュフォー映画で一世を風靡したオスカー・ウェルナー。唯一のテレビドラマ出演がこの「ビデオテープの証言」と知り、いつか見てみたいと思っていた矢先、今回NHKの投票で番外と知り、ついにDVDを買ってしまいました。
期待通りの名演 ! 犯人の身勝手さ、脆さが上手く表現されていました。
吹き替えも良いですが、英語版も舞台俳優としても活躍した彼の素敵な声が聞けるので、オススメです。
アルコール依存症による影響か、70年代以降出演映画が少ないのが惜しい限りです。
このエピソード、全体の雰囲気、俳優さんたちの演技好きで、何度も見てます。
コロンボの他のエピソードの中でも地味な方かもしれません。ほとんどのシーンは邸宅の中で終始しており、時間も74分で短めです。(長いエピソードだと100分近いものもある)
しかし全体にすっきりとしていて無駄がなく、動機も分かりやすい。
逮捕の決め手はビデオテープに残っていた映像です。
面白いなぁと思うのは、画廊からの招待状が映り込んでいたというところです。
殺人直後、予想だにしなかった妻からの内線電話がきた。で、つい目の前にあった招待状を無意識にポケットに入れてしまうという一連の行動が、冷静な判断が出来なくなっていた犯人の心情をよく表しています。コロンボのいうところの「殺人に関しては素人」たる所以なのでしょうね。
ラストで自分の夫が逮捕されて、さめざめと涙を流す妻を前に、コロンボはかける言葉もなく、うつむく静止画で終わります。(英語版は妻が泣き叫ぶ声は無し)
このラストシーンもさりげなくて素晴らしい。日本のテレビドラマではあまりこういう格好いい終わり方は見られないような気がします。
楽しいご感想、ありがとうございます。自分を愛してくれる夫が、自分の愛する母を殺害していた…という、あまりにショックなラストです。この作品に1票追加します。
いやー、ジーナ・ローランズ、ただただ美しいですね。「グロリア」のときのかっこよさとは180度異なるキャラで、さすがです。
この作品の時に40代半ばのはずですが、信じられませんね。
エンディングの奥さんの「嗚咽」ですが…
日本語の吹き替え版だけの演出らしいですけど、
私はこの「嗚咽」は正解だと思います。
夫に対して抱いていた疑念が…決定的になった瞬間です。
今までの「気丈」がガラガラと崩れ落ちてしまうのですから…。
堰を切ったように泣き崩れる、感情のほとばしりとでもいうんでしょうか? 私には反って「美しい」終わり方だと感じました。
みなさん、コメントありがとうございます。この作品に1票追加いたします。奥さま人気投票、将来考えてみます(笑)
コロンボとエリザベスの最初の会話。
コロンボ:ヴァンウィックの奥さん・・・
エリザベス:ああぁぁ・・・
コロンボは、既にセカンドネームを把握済みだ。
しばらく会話したのち、コロンボとハロルドの最初の会話。
ハロルド:わたし、ヴァンウィックです。
コロンボ:・・・あの、えぇっと?
ハロルド:ヴァンウィック!!
いきなり、おとぼけモード全開で始まった。
これは、さかのぼってコロンボとエリザベスの最初の会話の流れで読める。
エリザベス:なぜ?なにもママを殺さなくったって、逃げればいいのに!
なぜ殺したりしたんでしょう?。
コロンボ:まったくです。
この時、コロンボは階上へ上がって行くエリザベスを凝視しながら、
様々な考えを巡らした。その想いを想像してみる。
エリザベスの言葉には真実がこもっていた。それを疑う余地などない。
コロンボは、エリザベスの深い悲しみに対して、犯人逮捕を誓っていた。
コロンボは、それまでも親族の率直な第一声を大事にしてきた。
もし単純な泥棒なら、言われるように殺さなくても逃げればよかった。
ということは、殺しが目的である可能性が極めて高い。
とすると、利害関係のありそうな親族から疑ってかかるのが常道だ。
そこで、自分の推理をペラペラ理路整然と喋っていたハロルドに
目を付けた。コロンボの犯人センサーのロジックに適合する相手が
いきなり目の前に現れたかっこうだ。
「さらば警部補」において、犯人の見分け方をコメントした。
「黒のエチュード」と似た構図の作品ですね。
パトロンの義母、美しい妻、婿の立場でありながら浮気性な犯人、そして決め手のビデオテープ。ラストの場面の往生際の悪さまで同じです。
しいていえば、意図せずビデオに映ってしまったアレックス氏と、自分で映しておいてへまをしたハロルド氏の違いでしょうか。
私は人間臭いハロルド氏のほうが好きです。奥さんは甲乙つけがたいなあ。。。笑
この際、奥さん投票もしませんか?
最後エリザベスの悲しむ声に心が痛むが、立ち直りは思いの外早いだろう。
エリザベスは身体が不自由ではあるが、周囲の印象と違って自立心が強い。
それまでは、自立心を満たすよりも、周囲の心配を優先させるがゆえに、
静かに暮らしていただけだった。平たく言えば、気遣い屋だ。
だがコロンボとの会話で「壊れもののように言わないで!」や
ハロルドに対しても、自分が会長職へ就こうとする意欲を示すなど、
自立心の芽はふつふつと息吹を出そうとしていた。
そして、愛する夫の逮捕だ。その悲しみは混乱とショックによるもの。
よく考えると、ハロルドは母親を殺したのだ。更に裁判では、ハロルドの
浮気も明確になっていくだろう。
エリザベスはそれまでの自分を改め、時として自分を責めるかも知れない。
もし自分がシッカリしていたら、事件は起こらなかったかも?、と。
そこまで考えを巡らせることのできる感受性の強い女性なのだ。
そこからエリザベス会長、アーサー社長体制の快進撃が始まる。
もう騙されることなどない。信頼できるブレーンで脇を固め、
人材の登用や会社経営に目覚ましい能力を発揮するようになるだろう。
貴方のコメントは、奥深くて素晴らしいです。
オスカー・ウェルナー氏演じるハロルドの、冷酷でありながら無邪気さを併せ持つキャラクターが面白いです。最後の他に例を見ないほどの取り乱し方、往生際の悪さも含め非常にエキセントリックでした。
ぼくの持っている完全捜査記録では、このエピソードを解決のフェアさの点から評価していました。確かにハロルドがビデオのアリバイ工作をして画廊に行くという計画自体が、証拠の招待状の存在を視聴者側に気付かせるのに十分なヒントといえると思います。
その他の点では、やはり寝室のピエロ人形のヴィジュアル的にあざやかな手がかりが秀逸でしたね。
いつも楽しく拝見させていただいております
私もハロルドをパッと見で「あっロッドスチュワートだ」と
思いました(笑)
1975年といえばあの「セイリング」歌ってたころですかねぇ。
ラストはなんかコロンボらしくないなぁと思ったのですが
日本独自でしたか!いい情報を得られました。
殺されたお母さんも「よござんすか」って言ってた。
コロンボ以外も言うんだ。
っていうか、セレブが言っちゃあいけないのでは?。
>トレモニさん
確認ありがとうございます。
犯行のトリックをもう一度見てみよう と思って あれっ?と思った次第です。
録画してたからわかることで普通に見てたら、まず、気づかないと思います。
それにしてもコロンボは面白いです。
>BOZEさん
なるほど。
タイマーが作動してニセビデオが流れるときに、白い長方形の招待状が
あっちゃマズイですよね。
犯人役オスカー・ウェルナー、ブラッドベリ原作のSF映画「華氏451度」のモンターグ役で強烈に憶えていますね。モンターグは繊細で自らの職務に次第に疑問をおぼえ、矛盾に苦しんでゆく姿をよく演じていました。このコロンボ作品では少し太り?顔つきは丸っこくなっていますがどことなく影のある、幼児性と冷徹さを併せ持った人格を感じさせる好演だと思います。
お母さんが撃たれた後犯人が横を通るとき瞼がピクッと動いてるのと、ガードマンがモニターで犯行を見る前にお母さんが倒れてるシーンがカラーで映るのですが
テーブルの上に招待状があるのが不思議です
エンディングは…私の考えも、同じです。
それでもこの作品、全体に漂う雰囲気が好きです。
たしかに内容を見るとコロンボのストーリー性を率直に考えるとエンディングの泣き声は一気に悲し過ぎる雰囲気になりコロンボが奥さんに酷ですが申し訳ございませんといった感じです、日本声優人の着色でしょうか。
笑えるほど最高に愚かな終わり方だね。
コロンボの傑作とは程遠い。
吹き替え陣、豪華でしたね!
オスカー・ウェルナー扮する犯人が強く記憶に残っています。
義母が射殺されたビデオ映像を顔色一つ変えずコロンボに説明する犯人。よくよく考えたら物凄い神経の持ち主です。
あと吹き替えは、被害者の息子役がアニソンの大王・佐々木功さんだったり、
画廊のオーナー役には特撮の女王・曽我町子さんだったり、
この他も二階堂有希子さん、佐々木すみ江さん等、なんとも豪華なメンバーに感服しました。
やじろべえさん>コメントありがとうございます。ジーナ・ローランズさん、その役柄からも知性を感じますね。
黒のエチュードに続いて、二連投です^o^
真面目に書けば、コロンボが執念でハロルドのアリバイを崩すところが見どころでした。
それより、この作品はエリザベスを演じたジーナ・ローランズがえらく美人でまた見たい作品です。黒のエチュードのジョン・カサヴェテスの奥さんなんですね。
しっとり系の美人、やじろべえは好みのタイプかも。
「日本独自の演出」なのでした…。さらっとしたエンディングにして欲しかったです…(笑)
初めまして
いつも楽しく、興味深く拝見しております。
最後のシーンですが、妻のエリザベスは私のDVDでは泣き叫んでいない、と思い、日本語に切り替えると日本語音声にはコロンボの顏に切り替わったシーンでむせび泣く声が入っていました。日本独自の演出だったわけですね。
真田さん、コメントありがとうございます。ルテナント…の言葉のやり取り、素敵ですね。いつかノベライズ版も読んでみたいです!ありがとうございます。
こんばんは。
またまた、ノベライズ版からのネタなんですが
ラストに素敵なセリフがあったんです。今手元にないのでうろ覚えなんですが、。
「彼女はどうなるんだ?ルテナント。まだまるで子供なのに」
「大丈夫ですよ。ルテナント。これで大人になったんじゃないかな。」
コロンボに対するルテナントは警部の階級
ヴァンウィックに対するルテナントもそう呼ばれるにふさわしいことがあったと、なんだったら忘れてしまいましたが、記憶しています。
その前の彼女の態度は、「いいえ、わたしには、夫が何を言っているのかわかりません。」という感じの沈痛な中にも冷静なものだったという覚えがあります。
なので、日本語版実写の演出は独自の解釈をいれた結果、残念なものになっちゃった、というのが、私の感想です。
うろおぼえ情報ですみません。
るてなんとさん>いつも、コメントありがとうございます。このエピソードって…美しいけど身体が不自由な奥様と、それを支えるご主人。に…見えそうで、実はダメ男。そして一線を越えたら、大不幸の始まり。真の優しさ…って何だろう?って考えさせられます。
フリーディアさん>コメントありがとうございます。「吹き替えの声」同感です!!「山田吾一」さんですね!確かNHKの連想ゲームでも活躍されました。大好きでしたよ~。「ビデオテープの証言」に1票、「秒読みの殺人」に2票入れておきますね!
「黒のエチュード」と比べてみても、やはりこの作品は重いエンディングです。
後ろのテレビ画面が沈黙の中で消え、そのままスタッフロールになる・・・。
犯人の妻は、犯罪加害者親族であると同時に犯罪被害者遺族となり、幕切れがこんなに重苦しい雰囲気を醸し出した作品は他にないと思います。
あの最後のコロンボ警部の表情は、他の作品では見れないほどにやるせないものでした。
奥さんの心情を理解しているからなのでしょう・・・。
はじめまして
先日、こちらの作品を見ました。
犯人役の方の、顔と、吹き替えの声がとっても合っていて、とてもいいですね。
そして、奥様は体が不自由なのに、お母さんも、旦那さんも失うことになり、コロンボで初めて、うるうるしました。
私の一番のお気に入りは、秒読みの殺人です♪
「コロンボの画廊のボケ」は、シリーズ中で1位かもしれませんね(笑)ラストのシーンは10話「黒のエチュード」にも通じますね…奥さんが可哀想。
こんばんわ♪
コロンボの画廊のボケは、最初見た時に、腹を抱えて笑ったのを覚えています(笑)
ァ ‘`,、’`,、(‘∀`) ‘`,、’`,、
画廊の受付嬢、魅惑のエクスタシーを放っていますね(笑)
そして、銃声でドアが開くことに気付いたコロンボ・・あれは凄いですな~~(´ー`*)
夫人の記憶を頼りに、あそこまでわかっちゃうもんなんですかね(驚)
ラストの招待状のシーンも、一発で犯人の顔色が代わった所は斬新でした!
何よりも夫人の哀愁さ、泣き崩れる感じが
ある意味、最高の演技だったと思います^^
るてなんとさん、コメントありがとうございます。そうですか!吹き替え版しか見ませんので、知りませんでした。その演出は罪深いですね…とほほ。教えてくださって、ありがとうございました!
この「ビデオテープの証言」ですが、ラストでジーナ演じる犯人の妻が泣き叫ぶというのは、実は副音声(英語)にするとまったく聞こえません。
これは日本語吹き替え版でのみの演出だったのです。
なんでこんな演出をしたのか、今となっては謎です。
「溶ける糸」のコロンボ激怒シーンはまだわかるのですが・・・。
本日「ビデオテープの証言」に1票追加しました。
reikoさん、お返事が遅くなりました~。ハロルドさんは憎めないですよね、同感です。俳優のオスカー・ウェルナーはオーストリア出身で、残念ながら1984年に亡くなったそうです。本作のわずか9年後です。生前はたいへんお酒が好きだったようです。
どういうわけかわたしはこの作品を何回みてもあきません。ハロルドが憎めなくて(首を傾けて喋る所など)テープの細工の場面も面白いです。殺しの序曲や死者のメッセージも良く見ます。作家のおばさんの仕草も独特で音楽もいいし。 やっぱりコロンボは50代くらいが一番よかったです。独特の色気があった・・(笑)。作家のインタビューも楽しかった。こだわりのありすぎる俳優だったみたいですね。コロンボずーっと好きです!
光学フィルムについては詳しくないけど、ポラロイドフィルムからでも引き伸ばしたらしい写真が飾ってあるのを、以前は写真屋などで見かけた記憶があるので出来ないことはないんじゃないかな。
ドラマの中でパネルにして見せた写真はなんか別撮りっぽい感じに見えなくもないけど、コロンボ警部が説明した状況は再現出来る様に思います。時間を確認するだけだし、あの時計も数字のない針だけの時計だったのもありますが。
akutoさん、コメントありがとうございます。
>「読めますよ。」
おぉ、そうですか!しかも、決め手は「画廊の紋章」でしたか、失礼いたしました。ヴァンウィック家の設備は、相当高品質なビデオ監視システムを導入していたと思われるので、自分が想像していたより、解像度は良かったのでしょうね。
>「本編の中で実際に引き伸ばして」
については、納得です。ありがとうございました!
逆転の構図の時は、どうなんでしょうね?ポラロイドカメラで撮影された写真をもとに、あれだけ引き延ばしたら、もっとピントが甘く画像が粗いんじゃないかな~って、思いながら見てました。ドラマ演出上の表現で、はっきり見えるようにしている場合もあるのかなと。
当時アメリカや日本の一般的なテレビやビデオは、NTSC方式(総走査線数は525本、2:1インターレース)で、16ミリフィルムの解像度を最終目標に設定した基準であり、ブラウン管モニターでは、実際には中々その目標に到達するのさえも到底困難だったようです。
ミダス電子工業に、それ以上ビデオを高画質にする技術があったと考えるのは現実的ではないです。当時同社にそんな技術があったら超世界的巨大企業として大成功しているでしょう。
時代背景を未来設定にすればよかったのでしょうけれど、それではSF作品になってしまいます。
画像技術にお詳しい方にまた伺いたいですが、この認識でよろしいですよね?
>文字まで読めるの?
読めますよ。
アナログメディアは一般の想像以上の記録性能を持っているものです。業務用のオープンリールビデオテープともなればとんでもない容量があるでしょうね。設備が十分でない環境でならデジタル機器が便利ですが、設備が整った環境ならばアナログメディアが有利です。
…って、いうか本編の中で実際に引き伸ばして、案内状と重ねて見せる場面が映っているじゃあないスか~;。
決め手になったのは『文字』ではなく画廊の『紋章』(マーク)です。