35話「闘牛士の栄光」

A Matter of Honor / 1975
エクトールメキシコの元闘牛士である英雄ルイス・モントーヤが、自分の経営する牧場の長年の相棒エクトール(ロバート・カリカート)を殺害。解決編では「メキシコの英雄的闘牛士の心情が理解できなければ納得できない」オチだったですね。コロンボ作品中では「かなりきれいな殺害動機」と言えるかも知れませんが、私のようなコロンボファンには、すこし物足りなかったです。

海外ロケ作品

海外ロケ「メキシコ旅行」で展開され、29話「歌声の消えた海」の続編のような位置づけの作品。モントーヤがエクトールを殺害するシーンと、コロンボ警部が登場する交通事故シーンをうまく関連づけています。このシーンでは、メキシコという土地で、全く言葉が通じないシチュエーションをとても楽しく描いていました。

英雄ルイス・モントーヤ

リカルド・モンタルバンルイス・モントーヤ役のリカルド・モンタルバンは風格たっぷりで良かったですね。モントーヤが足に大けがをし、闘牛士を引退したいきさつを話すシーンでは、彼の顔が徐々にクローズアップされ、かつての栄光をいかに誇らしく思っているかが伝わってきます。

リカルド・モンタルバン

リカルド・モンタルバンリカルド・モンタルバンは、映画「猿の惑星」シリーズでサーカスの団長「アーマンド」を演じています。また、テレビドラマ「宇宙大作戦」・映画「スタートレックII カーンの逆襲」でカーン(写真)を演じています。どちらもぼろんこの大好物的な作品です。

裸の銃を持つ男

リカルド・モンタルバンレスリー・ニールセン主演の映画「裸の銃を持つ男」の第一作では敵役の実業家(ヴィンセント・ラドウィッグ)役で、リカルド・モンタルバンも登場します。これはコロンボ出演から約13年後にあたる1988年の作品で、ニールセンは62歳、モンタルバンは68歳。二人の名演技は必見かもしれません。

雰囲気重視でも、スッキリしないラスト

ラストシーンも、決定的な証拠を突きつける、または犯人に「自分が犯人と認めざるを得ない」言動に誘導するというタイプではなく、スッキリしたものではありません。しかも、解決後の「解説」シーンが、いかにもそれらしくて残念でした。それでも、この感覚(誇りを大切にする)は名作の呼び声高き19話「別れのワイン」に通じるかもしれません。

サンチェス警部

サンチェス警部捜査に同行した地元警察のサンチェス警部「ペドロ・アルメンディス・ジュニア」は、日本の俳優:目黒祐樹さんに似ていないですか?本作品「闘牛士の栄光」のエスコート役として大変重要な役柄でした。

牧童ミゲルが可愛い

牧童ミゲル本筋ではない話題に触れますと、牧場で働くミゲル「エミリオ・フェルナンデス」は、とても可愛いかったです。茶目っ気たっぷりで、笑顔が素敵な俳優さんでしたね。メスカル もらってご機嫌でした。日本語吹き替えはバカボンのパパの雨森雅司さん。

メキシコ人の国民性をかいま見る

農場監督のデルガド農場監督のデルガド(エンリケ・ルセロ)との会話で「仕事に頑張りすぎるヤツは間抜けだ」という主旨の会話があり、とても興味深いものでした。日本人なんか、ほぼ国民全員が「間抜け」呼ばわりされると確信します。

監督:テッド・ポスト
脚本:ブラッド・ラドニッツ

ルイス・モントーヤ:リカルド・モンタルバン(声:庄司永建)
サンチェス警部:ペドロ・アルメンダリス・ジュニア(声:新克利)
クーロ:A・マルティネス(声:立沢雅人)
エクトール:ロバート・カリカート
ミゲル:エミリオ・フェルナンデス(声:雨森雅司
デルガド:エンリケ・ルセロ
ニナ・モントーヤ:マリア・グリム

加筆:2023年6月24日

“35話「闘牛士の栄光」” への128件の返信

  1. 終盤での牧場の帳簿を見るあたりのシーン、大噴火しそうなモントーヤに対して一歩も引かないコロンボ、カッコイイっす

  2. 3連投で失礼します(^_^;)。
    「闘牛士の栄光」は「コロンボのメキシコ観光編」というB級作品イメージがあったのですが、今回見直して「犯人の些細な供述の矛盾」を見逃さず、「状況証拠を積み重ねて追い詰めていく」という意味で「正統派の秀作だな」と思い直しました。最初の引っ掛かりは「出かけるときにエクトールが残ると言い出した」と証言したのに実際には午前中からハードトップを用意させていたのはおかしい、という点ですね。
    加えて本作の魅力は「メキシコの闘牛士」という異文化を事件のカギにしたことだと思いました。以前に多くの方が指摘していますが、使用人たち、さらには最愛の娘の眼前で「恐怖で立ちすくむ醜態」をさらしてしまった英雄モントーヤとコロンボが無言で向き合うラストシーンは圧巻でした。自らのプライドを守るためだけに永年の盟友エクトールを無慈悲に殺めたモントーヤでしたが、もはや自分の老いと衰えを認めるしかすべはなく、彼に語らせるべきでセリフはありません。それは無言で見つめるコロンボも同じでした。私は素晴らしいラストだと思いました。
    私も最近はホッケーの試合で衰えと醜態をさらしているので、人ごととは思えません。あっ、モントーヤほどの栄光を持ってないから違うか(笑)
    さて、最後の闘牛場のシーンで私の頭の中に鳴り響いていたのは「木を伐る与作」さんと同じく「トレロカモミロ」です。
    ♪牛は黒牛、すごい鼻息、5人がかりで連れてきたが、オレッ♪
    こどものとき「みんなのうた」で一番好きな歌でした(^o^)。

    1. コメントありがとうございます。楽しく再読させていただきました。本作に1票追加いたします。

  3. 原題 A Matter of Honor
    名誉の問題 です。犯人の動機が自分の名誉が守られるかどうかの一点にあるためです。その名誉のために牛をけしかけて被害者を殺してしまうという本末転倒ぶりですが。

  4.  前回、皆様にご迷惑をおかけした投稿の反省を踏まえた、リテイク・コメントです。
     メキシコ情緒を味わえる本作。光がいつもと何となく違うし、鳥のさえずりなどの効果音も多めに入れて、現地ロケと相まり地方の雰囲気を上手く出していましたね。 もう少し、闘牛場で実際の闘牛のロケ・シーンを入れると、もっと良かったかも知れません。
     コロンボ登場の冒頭から、警察官なのにメキシコで追突事故を起こしておきながら、メキシコ人の相手側に対してあのような対応だったのも、言葉が通じにくい異国で、きっと物凄く動揺して慌てていたからなのでしょうね。
     伝説の英雄の闘牛士の逮捕について、異文化圏から来た捜査権限のないコロンボが、詳しくない闘牛のことを現地の人に聞いたり本などで一生懸命勉強しつつ、地元でもないのに本来の捜査の実力を発揮したところは、立派で、かつ、微笑ましいです。
     ただし、地元のサンチェス警部には、もっと活躍の場を与えてもよかったような気はします。
     犯人の殺害動機や、ストーリー全体の流れにやや説得力を欠き、決して名作とは言い難いですが、いつもと違う異国のムードを楽しみながら、あまり深く考えず気楽に見れば、とても楽しめますね。
     闘牛やメキシコや移民問題等について、また様々なご指摘に、皆様のコメントから学ぶところが大変多かったです。心より深く感謝します。

  5. 久々に拝見した際、サンチェス警部が目黒祐樹さんに良く似てるな~、って思ったら、ぼろんこさんがしっかり書かれてましたね つまり其れ程似てるって事でしょうね

  6. 短文で本来のコロンボのネタをひとつ。メキシコの方たちがみなさん個性的でいいですね。ちょっと英語が上手すぎますけど。
    小笠原さんは良い感じです。コロンボに関係することしか書きませんから。ただ、頻出する(笑)はちょっとあれかも。少しオヤジギャクぽくて

  7. 今回は、私にとりましても、今の相互理解が極めて困難な国際問題を考える上で、よいケーススタディーとなりました。
    2016年アメリカ大統領選挙でトランプ前大統領が公約として掲げた、不法移民取り締まりのためのメキシコとアメリカの壁の強化と、国境沿いの分離壁の建設構想、「トランプの壁 (トランプ・ウォール、英語: Trump wall)」問題を実感させる話題でもありました。
    昨日、交通事故の罰則規定を調べているうちに見つけた新たな余談です。
    2009年時点で、ロサンゼルス市の人口の約 51%が、メキシコからの移民を中心としたヒスパニックで構成されていたそうです。よって、警察も必然的にスペイン語を使用する機会が多くなりますが、当時ロス市警は、通訳センターを独自の機関として市警内に運営しているわけではなかったそうで、スペイン語通訳の必要性が生じた場合は各分署へ連絡し、通訳能力のある警察官もしくは、一般職員を現場へ向かわせることになります。自宅から現場へ出向した場合は、通常の約 2.5 倍の超過勤務手当等が支給されていたそうです。
    他方で、同じ2009年時点で、ロス市警で日本語ができる警察官は10 名ほど在職しており、常時スタンバイ状態であったそうです。
    おそらく2022年現在も、ロス市警のヒスパニック系市民に対する対応は、大筋で画期的に改善はされていないのではないでしょうか?
    これも、アメリカ社会の光と影ですね。
    ※「米国における地域の治安維持活動~機関連携と防犯活動を中心に~
    Clair Report No. 348 (February 23, 2010)」を参考にしました。

    1. 「刑事コロンボ」旧シリーズのころのロサンゼルス市を調べると、現在とはまるで人種構成が異なることに気付きます。
      白人 1970年 77.2% ⇒ 2010年 49.8%
      黒人 1970年 17.9% ⇒ 2010年 9.6%
      ヒスパニック(肌の色問わず)1970年 17.1% ⇒ 2010年 48.5%
      アジアン 1970年 3.6% ⇒ 2010年 11.3%
      —非ヒスパニック 1970年 61.1% ⇒ 2010年 28.7%
      米国の税関・国境取締局(CBP)が発表したメキシコ国境を越えて米国に不法に入国し身柄を拘束された人数(不法越境者数)は21年度(20年10月~21年9月)が165.9万人となり、統計を開始した1960年以来で最大となりました。また、22年度も10月と11月分が前年度を大幅に上回っているため、このままの増加ペースが続けば、さらに史上最高を更新する可能性が極めて高いです。
      不法移民については、今後もアメリカ社会を揺るがす大きな要因となることでしょう。
      世界的にも、21世紀は20世紀を大幅に上回る、移民と難民の問題が顕著になるのは確実です。そうなる要因については、ここで述べるまでも無いでしょう。

  8. ご存知の方がいらっしゃれば教えていただきたいのですが、刑事警官等の刑事事件での活躍がその名前も公表され記事になる事は普通にある事なのでしょうか?

      1. 仕事でメキシコに長年暮らしていましたが、そのような話は、一度も聞いたことがありません。
        テッド・ポスト監督の2作品は、2作品ともに現実味がありません。彼が監督した最初のコロンボ作品「ハッサン・ハラーの反逆」には、もともとロサンゼルス市警察がの管轄権を持たない事件でした。そして、この作品では、メキシコで取り残された、ただの観光旅行なのに、何故か外交特権を持つコロンボが、メキシコで殺人事件を解決しようとする、またしても信じられない話です。コロンボは、有名な元闘牛士が関係する殺人事件を解決するように、メキシコの警察から誘われました。信じられない。
        それは、彼の2つのコロンボ作品を見て、楽しくないという意味ではありませんが、明確に、最高のコロンボ作品には、エントリーしたくないです。
        楽しいのですが、平均をはるかに下回るコロンボ作品です。
        絶対に、コロンボの初心者が、最初に見る作品ではありません。
        もっと最高のコロンボ作品なら、他にいくらでもあります。

      2. >刑事警官等の刑事事件での活躍がその名前も公表され記事になる事は普通にある事なのでしょうか?
        面が割れては今後の業務に支障をきたす恐れがあり、また、身元がばれると報復で狙われる危険性が高まるため、刑事事件での刑事の活躍は、警察関係者には知れ渡っても、公には、黒子に徹して公表しないと考えるのが普通でしょう。
        名前が公表されるとしたら、勇敢に犯人と闘うなどして、殉死した時でしょうね。9.11テロの時などは、人名救助のため殉職した多くの警察官や消防士が、祖国の英雄としてマスコミに紹介されていました。

  9. 今回印象的だったのは、ロケでの群衆の視線です。その先にあるのは、言うまでもないですが、ピーター・フォーク=コロンボです。メキシコでも「コロンボ」は当時大人気だったことがしのばれます。メキシコ人もコロンボを大歓迎、メキシコでのコロンボの大活躍を楽しみにしていたのでしょう。その事実を私は噛み締めたい。

  10. 短文でコロンボネタをひとつ。サンチェス警部の奥様とモントーヤの娘さん素敵です。容姿も雰囲気も。素晴らしい女優さんを見るのもコロンボ鑑賞の楽しみです。

    1. 土曜に録画した分を私も今見ていました。コロンボのかみさんも見てみたいものです。

  11. ぼくは、一昨年、青年海外協力隊の任国外旅行で訪れたメキシコで、闘牛と闘牛廃止を訴える動物愛護団体の活動の両方を見てきました。
    真逆の立場に立つ両方の活動を見て、「闘牛士と動物愛護団体、どちらが正義の味方なのか?」と考えるようになりました。
    自分のサイトでも書きましたが、このテーマについて、みなさんにも少し考えてもらいたいです。
    現地でまず見たのは、闘牛廃止を訴える動物愛護団体の活動です。
    メキシコシティの中心地を歩いていると、異様な人だかりと遭遇しました。
    近づいてみると、ほぼ裸姿の若い男女20名ほどが、頭に牛の角を付けて立っていました。
    彼らの手には、闘牛廃止を訴えるビラがありました。
    血を吐く牛の写真も掲げていました。
    動物にも命があります!!
    闘牛をやめましょう!!
    闘牛は残酷で愚かな行為です!!
    というようなアナウンスをしていました。
    その日はメキシコシティで闘牛が開催される予定だったので、動物愛護団体が反対活動を行っていました。
    闘牛といえばスペインの伝統的な国技ですが、スペイン文化の影響が強いメキシコなど中南米でも行われています。
    実はちょうどその日、ぼくは闘牛場プラサ・メヒコで闘牛を見に行くつもりでした。
    動物愛護団体の活動を見たことで、「どうしようかな?闘牛を見に行くのをやめようかな…….」と少し悩みましたが、結局見に行くことにしました。
    動物愛護団体だけでなく闘牛も見たうえで、闘牛に対する自分の意見を決めようと思ったからです。
    そして、生まれて初めて「闘牛」を見ました。
    1.闘牛士が全員入場
    闘牛士が全員入場した。
    彼らを観客は全員が起立して、出迎える。
    観客の入りは、4割くらい。
    地元のメキシコ人もいたが、観光客らしき客も多かった。
    ここからは、4名の闘牛士の演舞をまとめて紹介する。
    2.牛が入場
    闘牛士が一旦退場した後に、突然牛が現れた。
    彼らを観客は全員が起立して、出迎える。
    ぼくは闘牛のことは何も知らなかったので、闘牛の手順は
    (1)牛をヒラヒラかわす
    (2)剣で殺す
    だと勘違いしていた。
    しかし、実際には
    (1)牛の背中に槍を刺す
    (2)牛の背中に短剣を刺す
    (3)牛をヒラヒラかわす
    (4)牛の首に剣を刺す
    (5)牛の首にトドメの短剣を刺す
    (6)牛を引きずって退場させる
    という工程でした。
    1.闘牛士が全員入場
    闘牛士が全員入場した。
    2.牛が入場
    闘牛士が一旦退場した後に、突然牛が現れた。
    3.ピカドールが牛の背中に槍を刺す
    ピカドールと呼ばれる防具を付けた馬に乗った人が、長い槍を牛の背中に刺した。
    牛の動きが素早く、ピカドールがのろのろしていると、馬が牛に突撃されて、馬がひっくり返っていた。
    4.バンデリジェロが牛の背中に短剣を刺す
    脇役的な人が数名現れて、2本の短剣を持って、牛の背中にドンドン刺していった。
    「バンデリジェロ」というらしい。
    牛の角が体に刺さりそうな、ギリギリのタイミングで角をかわしながら、短剣を刺していた。
    牛は背中から血を出しながら、人に向かって突進を繰り返していた。
    5.牛をヒラヒラかわす
    ついに、闘牛らしい赤い布をヒラヒラさせて、牛をかわす行為が始まった。
    牛が人に向かって突進するのではなく、闘牛士が牛を煽って突進させていた。
    牛の顔の前で赤い布をヒラヒラさせて、そこに突進させる。
    この時、闘牛士は足をガチッと固定して、絶対に動かさない。
    ギリギリまで体を密着させて、牛をかわしていた。
    連続でかわすと観客から「合いの手」が起こっていた。
    闘牛士が牛の突進をかわすのに失敗して、胸に角が突き刺さるハプニングもあったが、命に別状はないようだった。
    僕は闘牛を見るのが初めてだったので、珍しいことなのか当たり前なのかわからないが、防具なしの馬に乗ったまま闘牛をする闘牛士もいた。
    わざと牛のスピードに合わせて馬を遅く走らせて、牛の突進をギリギリのところでかわしながら、牛の背中に短い槍を突き刺していった。
    6.牛の首に剣を刺す
    15分ほど赤い布で牛に突進させると、牛の体力はなくなり、口から舌を出して喘いでいた。
    そして、闘牛士が観客に牛にトドメを刺す許可を求める。
    観客から許可を得ると、闘牛士が牛の突進をかわしながら、牛の首に剣を刺した。
    牛は剣を首に刺されると膝から崩れ落ちたが、死ななかった。
    7.トドメに短剣を刺す
    闘牛士とは別の人が現れて、牛の首に短剣を刺して、トドメを刺していた。
    8.馬で牛を引きずって退場させる
    息を引き取った牛は、すぐに馬で引きずって退場させた。
    一見乱暴に見えるが、牛を引きずる行為は、牛に対して敬意を表しているらしい。
    果敢に突進した牛ほど、その健闘を称えるために長く引きずるそうだ。
    ぼくは知らなかったが、闘牛で殺された牛は「食用」として利用されるそうだ。
    食肉加工施設に運ばれて解体され、牛肉として市場で売られる。
    9.素晴らしい演技をした闘牛士への賞賛
    牛へトドメを刺したあと、素晴らしい演技をした闘牛士へは、観客から称賛が与えられる。
    (1)手に白いハンカチを持って振る
    観客が「闘牛士が素晴らしい演技をした」と思った場合には、立ち上がって手に白いハンカチ持って振っていた。
    白いハンカチを振る行為が、闘牛士への称賛を表す。
    そして、大歓声に包まれる。
    (2)称賛された闘牛士には、殺した牛の耳をプレゼントされる
    観客から称賛され、審査員から許可された闘牛士には、殺した牛の耳がプレゼントされていた。
    ①素晴らしい演技を見せると片耳がもらえ、②超・素晴らしい演技を見せると両耳がもらえるそうだ。
    闘牛士にとって、殺した牛の耳が与えられることはとても名誉なことだ。
    ぼくが見ていた時には、演技二人目の闘牛士が片耳をもらっていた。
    闘牛士が近くに来ると、観客は自分が被っているカウボーイハットを、砂場へ投げ込んでいた。
    帽子を投げ込む行為は、闘牛士への称賛を示すらしい。
    闘牛士の後ろを付いて歩いていた補佐役が、投げ入れられた帽子を持ち主に返していた。
    まるで、フィギュアスケートの演技終了後のような光景だった。
    (3)闘牛士が会場を練り歩きして、観客は帽子を投げ込む
    白いハンカチを振られた闘牛士は、会場を練り歩いていた。
    この時には観客は総立ちとなり、拍手と歓声が鳴りやまなかった。
    まさにスタンディング・オベーション状態で、闘牛士を迎えていた。
    ●感想
    一.想像以上に、むごくて残酷
    まずは、想像以上にむごくて残酷だったこと。
    闘牛は牛に出来るだけ痛みを感じさせないように殺すのかと思っていたが、全く逆でした。
    牛を執拗に痛めつけて、闘争心を煽っていました。
    凶暴な牛が闘牛士に襲いかかる訳ではなく、闘牛士が戦う意志がない牛を傷つけて、戦わせるように仕向けていました。
    圧倒的に優位な立場にある闘牛士が、牛をからかって、痛めつけて、最後には殺していました。
    まるで、イジメやリンチを見ている嫌な気分になりました。
    あまりにも酷いので、動物愛護団体が批判する気持ちもよく理解できました。
    残酷すぎて、多くの日本人は見ることに耐えられないと思います。
    二.闘牛士はあえてリスクを負っている
    闘牛士は圧倒的に優位な立場にありますが、それでもリスクはゼロではなく、足を固定したり馬を遅く走らせたり、闘牛士はあえてリスクを負っていました。
    そのせいで、ぼくが見た時にも胸に突進を喰らった闘牛士がいましたし、闘牛中に事故で死ぬ闘牛士もいるそうです。
    闘牛士があえて危険なことをすることは、男らしさや勇敢さを観客に示すためと、観客を盛り上げるためだと思います。
    三.闘牛の主役は「観客」
    闘牛士が難易度が高そうな技を見せたり、連続で牛の突進をかわすと、観客から歓声が上がったり、合いの手が入りました。
    また演技の間には、観客が大声で応援メッセージや罵声を叫んでいました。
    会場はすり鉢状なので声がよく反響し、遠くに座った観客同士で野次やメッセージの応酬もしていて、会場には笑いも起きていました。
    そして、牛にトドメを刺した後に、闘牛士の演舞に対して観客が評価を行っていました。
    観客は闘牛士の演舞をただ見ているだけではなく、観客の歓声、拍手、態度が闘牛を作ってました。
    闘牛の主役は牛や闘牛士ではなく、実は観客だと感じました。
    ◆残酷な闘牛士を批判する意見
    1.残酷な闘牛士を批判する意見
    最初にメキシコの動物愛護団体による闘牛の反対運動を紹介しましたが、闘牛廃止を訴えているのはメキシコだけではありません。
    闘牛の本場スペインでも、残酷な闘牛士を批判する意見があり、カタルーニャ州では、条例で闘牛が禁止されています。
    スペインでは若者の闘牛離れが進み、カタルーニャ州の独立運動の影響もあり、闘牛が禁止になったそうです。
    動物愛護団体などが闘牛廃止を訴える理由は、以下の2点です。
    (1)残酷に殺される牛がかわいそう
    闘牛廃止を訴える一番の理由は、残酷に殺される牛がかわいそうだからです。
    闘牛では牛は集団で痛めつけられ、まるでリンチのよう。本当に酷い。
    (2)闘牛士の命も危険
    闘牛士の命も危険なことも、闘牛廃止を訴える理由です。
    毎年闘牛中に事故が発生し、牛の角で突かれて大怪我を負ったり、命を落とす人もいる。
    闘牛士も死ぬ危険性があるのだ。
    ◇.文化を壊す動物愛護団体を批判する意見
    逆に闘牛廃止は文化を壊す行為だとして、動物愛護団体を批判する意見もあります。
    闘牛ファンは「闘牛は歴史ある伝統文化、芸術である」と主張して、闘牛の継続を訴えています。
    闘牛が嫌いな人は、闘牛を見なければいいだけではないか、というのが彼らの意見です。
    そして「闘牛はダメで、牛や豚を狭い牧舎で飼育するのはいいのか」と続けます。
    彼らが特に強調するのは、「こうした家畜は、何の名誉もない死を迎えるのに対し、闘牛用の牛たちは名誉ある死を迎えている」という点です。
    実際、スペイン政府は闘牛を立派な芸術と見なし、毎年、詩人や音楽家などとともに闘牛士にも芸術賞のメダルを授与しています。
    スペイン出身の画家、ピカソやゴヤの作品を引き合いに出す意見もあります。
    闘牛を愛したというピカソは、牛頭人身の怪物ミノタウロスを描き、ゴヤも自身の作品の多くに闘牛を登場させています。
    直近の世論調査では、スペイン人の52%が闘牛が継続することを望んでいるそうです。
    ■ぼくが、「刑事コロンボ」35話「闘牛士の栄光」をご覧になった、コメント欄に投稿された皆さんに伝えたかったこと。それは「正義と悪」という考え方は、見る立場によって異なるという一語に尽きます。
    残酷な方法で牛を殺す闘牛士と、歴史ある文化を壊す動物愛護団体、どちらが正義の味方だろうか?
    「正義と悪」という考え方は、見る立場によって異なる。
    闘牛好きから見れば、闘牛士が正義で動物愛護団体が悪で、動物愛護団体から見れば、動物愛護団体が正義で闘牛士が悪だ。
    自分の意見が正しいと主張することは、不毛だと思う。
    では、少し質問を変えてみます。
    もし「闘牛を観たいか?」と聞かれたら、この記事を読んだみなさんは何と答えるでしょうか?
    残虐な行為は見たくないと答えるのか、それともスペインやメキシコの文化・芸術を見てみたいと答えるのか。
    考えてみてほしいです。
    「また闘牛を観たいか?」と聞かれたら?
    ぼくの場合は「また、闘牛を観たいか?」と聞かれれば、ぼくはもう一度観たいと答えます。
    闘牛は残酷な行為で観ていて気分が悪くなったが、闘牛の歴史や作法をもっと知りたいとも思ったからです。
    はっきり言って、牛がリンチされている様子を見て、喜んでいる観客の気持ちは理解できなかったし、嫌悪感すら覚えました。
    しかし、命をかけて演舞を行う闘牛士たちや、彼らを称賛する観客の姿、会場の一体感には感動しました。
    「牛を残虐に殺す」という点を除いて考えてみると、闘牛は素晴らしいショーでありスポーツだと感じました。
    もちろん、闘牛からは牛を残虐に殺すという点を取り除けませんが、「なぜ、闘牛士は命をかけてまで闘牛を行うのか? なぜ、観客は闘牛に魅了されているのか?」など、闘牛についてもっと知りたくなりました。
    だから、ぼくはチャンスがあればもう一度闘牛を観たいです。
    長文、失礼しました。

    1. そうして考えると、モントーヤは結果的に罪を認めたわけですが、コロンボとモントーヤとでは、心の中の「罪」に対する定義が異なり、ましてや「闘牛道の精神とは何ぞや」を知らない日本人に、モントーヤの心の内がそう易々とは理解できるわけがないというわけですな。素晴らしい考察です。
      闘牛士を題材とした芸術といえば、音楽では、ビゼー作曲のオペラ「カルメン」が最も有名ですが、ビゼーが死んだ年(1875年)にラヴェルが生まれ、しかも「カルメン」がパリオペラ座で初演(3月3日)された4日後(3月7日)に生まれているそうです。「カルメン」初演の4日後に生まれた子が、スペイン趣味の「ボレロ」や「スペイン狂詩曲」の作曲者になるとは不思議な因縁ですなあ。
      コロンボや、こちらのブログでお好きな方が多い、クラシック音楽ネタでした。

    2. 闘牛について、臨場感溢れるご説明とご感想ありがとうございます。
      私は一度も観に行ったことが無いので、想像以上に残酷なショーだと驚いています。おそらく今後積極的に観に行くことは無いと思います…
      かといって、他国の古くからある文化ですから、批判するつもりもありません。その国の方々が議論して続けていくか決めていけばよいと思います。

      加えて、あの車の追突シーンについてですが、たしかにメキシコの治安の悪さを揶揄したような感じがしました。
      旧シリーズの他のエピソードでも、すでに他のゲストの方々がご指摘のように、他国についての描き方が自国目線で、いい加減なところがありましたね。
      しかし、コロンボは約半世紀前に撮られたドラマで、まさにアメリカの黄金時代であり、よって多少の「上から目線」や偏見も仕方ないと思って観ています。当時のアメリカ人の物の見方が伺えますしね。でも嫌悪感を我慢してまで、観る必要は全く無いと思いますよ。

  12. 今回を特に強く否定された方は、おそらく、コロンボが初めて人身事故を起こした(しかも他国で)件を問題視されたのだと思います。
    ただ、個人的に気になる点としては、
    ⓵ 1970年代のアメリカ及びメキシコそれぞれでの自動車事故の対人・対物の賠償制度とは、具体的にどのようなものだったのか? 現在や当時の日本との制度上の違いは?
    ② アメリカ及びメキシコそれぞれでの、当時の自動車事故の罰則規程を具体的にどの程度ご存知なのか?
    ③ コロンボの愛車は日常業務や通勤にも使用しているが、事故を起こした時、勤務先であるロス市警に、当時報告義務は本当にあったのか?
    ④ 一般的に追突事故に対する当時の世論は、現在と、どこがどう異なるのか?あるいは同じなのか?
    他にもありますが、こうした点をひとつひとつ正確に把握していなければ、安易に批判など不可能なのではないでしょうか?
    ロス市警にしても、現在と違って、コンプライアンス上も、物凄く緩い時代だったのではないかと想像しますが、ならば、現在の尺度で、コロンボの行動を、もっと言えば番組制作陣を絶対に非難してはならないと思料します。
    これは、歴史を現代の常識で裁いてはいけないのと同種の話です。

    1. 若いころ、結構頻繁ににゴルフ場に社有車で行って、顧客との接待ゴルフでラウンド中も昼食時も表彰時にもガンガン、ビールを呑んで、そのまま社有車で帰宅しておりました。もちろん、当時はシートベルトはしておりませんでした。
      コロンボは、通勤、業務、私的目的で愛車をプジョー403を運転しておりましたが、時には飲酒運転もしたでしょうし、ガソリンの経費精算なども、自営業の人も羨むぐらいいい加減で、今思うと、それでも通用していたユルユルの時代だったのでしょう。
      それでも、当時の平均的日本のサラリーマンほどかどうかは分かりませんが、メキシコ人から「マヌケ」と呼ばれるほど仕事の虫だったので、働く時は馬車馬のように働いていたのでしょうなあ。
      現在世界人口は約77人億強、刑事コロンボ旧シリーズのころは約40億人前後、私の生まれたころは約30億人前後、これでは段々息苦しい世の中にもなりますわなあ。
      ※ 昨日のコメントで「警部挫傷」というとんでもないお寒いギャグ(単に誤変換)をカマしましたので、この場をお借りし、「頸部挫傷」に訂正します。

    2. >アメリカ及びメキシコそれぞれでの、当時の自動車事故の罰則規程
      本件については、中立的立場で、ただ単純に知的興味しか無いのですが、当時は、刑事上、民事上の責任区分は、どうなっていたのでしょうか?
      あの時代の事情を良く知る専門家の方に伺いたいものです。

  13.  この「闘牛士の栄光」に限らず、”ここがヘンだよ刑事コロンボ” 的なコメントはこれまでもありましたし、かくいう私も何度か書き込んだことがあります。でもそれは、こうだったらもっとおもしろくなったのに・・・というような、言ってみればコロンボ愛の裏返し、と思ってきました。
     しかしこのところ、コロンボ警部の人格(?)否定、作品自体の否定とも受け取れかねないようなコメントが目立つように感じられ、正直気になっています。コメント欄は皆に開かれているべきでしょうけど、ちょっと度が過ぎるというか、批判的であっても、「なるほどそういう見方もあるのか!」と思わされるような、鋭くも愛情が感じられる内容と書き方のコメントだったらありがたいのだが・・・と思っています。
     気を悪くされた方がいましたらお詫びいたします。

  14. 一言申し上げておきたいですが(笑)。コロンボの素行の悪さ(笑)はこの私がおそらく誰より繰り返しあっちこっちのエピソードに執拗に指摘してますよ。平たく言うと葉巻スパスパを始めとした現場での問題行動について。でも賛否ともコメント全然なし誰にも相手にされたことないです。

  15. 闘牛と一緒で、全部異文化から来る違和感なんですよ。
    交通事故に遭って過剰に辛そうにみせられたとしても、彼の国では、偉い人であっても、それが常識的な普通の行為かもしれませんよ。きちんと法律に則った上での損得勘定では、日本人のような遠慮は美徳ではなく、家族を守るには、絶対にそのほうが得ですからね。
    サッカーでファウルをくらった時、大袈裟に痛がってみせるのが当り前な文化です。
    結局、郷に入れば郷に従うしかないです。本場の闘牛文化の激しさや厳しさを想えば、少々の違和感には、まだ耐えられるんじゃないかなあ。
    「刑事コロンボ」という作品自体も、我々日本人から見れば、目が点になるほど、異文化から来る違和感ばっかりなんでしょう。
    今回はそういう色んなことを考えさせられる意味で、素晴らしい作品です。

  16. 2010年に闘牛をスペインのセビリアで見てきました。
    牛は基本的に赤いひらひらで興奮させた後、刺されて殺されます。牛が死ぬまでやってます。人の方が重症を負うと次の人が出てきます。死んだ牛は馬たちにひきづられて退場し、近くのお店で調理されて客にふるまわれてるみたいでした。
    日本にはない文化なので、素直に郷に従っては観戦出来ませんでした。。
    確かバロセロナ州では闘牛禁止法案が出たりしていたような気がします。

  17. 私は、10年以上前、タクシーの後部座席に乗車中、この回の被害者家族よりも、多分軽微な追突事故に遭いましたが、首、背中、腰の痛みや張りが二ヶ月ぐらいありました。仕事が忙しくて中々通院出来なかったのですが、その間は非常に辛かったです。それ以上はここで申し上げたくありません。

    1. うちのカミさんも10年以上前に自家用車を運転中に追突されて首を痛め、事故直後、整形外科を受診して「警部挫傷」との診断書を書いてもらった後、痛みがあったのに忙しいから一ケ月以上通院しなかったら、自賠責の決まりでは「通院期間一ケ月以上の通院中断は中止又は治癒」とのことで、自由診療での通院は打ち切りとの宣告を損保会社の対人担当者から受け、直後、示談書にサインしました。
      しかし、10年以上経過した今でも、雨の日などに「首がおかしい」ということが時々ありますよ。
      人の体とは、単純ではないですなあ。

  18. コロンボが人間として最低だと取れるようなコメントに対して、
    ぼろんこさんのおっしゃる「大切なものを壊している」と思い書き込みました。
    いずれにせよ不快な思いをさせてしまいました事お詫び致します。

    1. 仮に、犯人以外の現地の市井の人々を悪く描く意図があるのなら、最初から海外ロケなどしないで欲しいというのが、私の「刑事コロンボ」というシリーズに対する持論です。
      私もこちらでコロンボを相当批判してきましたので、申し訳無かったです。
      しばし休憩します。今まで、ありがとうございました。

      1. あのシーンのコロンボのの対応ですが、
        英語で聴きますと、コロンボが繰り返し言っているのは、
        Speak English?なんですよね。英語が通じない所だという事を描いてる場面なのですが、日本語だと「保険がある」ばかり強調されています。
        そこがまずかったのでしょうかね。

        1. 言っている内容はそんなに変わらないのですが、確かにコロンボが英語が通じずに困り果ててパニクっている様子は、原語のほうが遥かに説得力があります。
          日本語吹き替え版が、今回ほど罪作りだと感じたことは有りませんでした。

  19. あまり刺激はしたくないのですが一言。ぼろんこさんの人柄の良さと上品な雰囲気が何とも言えず素敵な場所であるここで感情的な言い争い(こう表現しても過言ではないと思います)はご遠慮頂きたいです。お二人ともブログをお持ちでしたらそちらでされたらどうですか。お持ちじゃないのならブログをご自分で開設して。

    1. この度は、管理人様と読者の皆様に不快の思いをさせて大変申し訳ありませんでした。反省しております。
      結果的に今回のやり取りで、私のコメント数が大幅に増え過ぎましたので、今後当面の間、新規コメントは控えます。
      誤解の無いよう、一言だけ申し添えます。
      議論とは論への評価をするもので、発言者への評価ではありません。「貴殿の発言は間違っています」と指摘しても、相手の方の人間としての評価には一切関係ありません。

  20. 目黒祐樹さん似(笑)のサンチェス警部。
    はじめはコロンボを捜査に利用しようとする意図がある感じでしたが、
    コロンボの着眼点や論理的思考に学んでいくような態度が見えてきて好感を持って見れました。
    関係ないですけど、鬼平などの昔の時代劇での目黒祐樹さんの芝居、カッコいいですよ。
    また奥さんの江夏夕子さんもいい芝居するので好きでした。

  21. 「なんとも無いのに、とっさに首が痛いフリをしている」のを笑う場面だと思います。
    そういう描写ですよ。ドラマですから。
    どういう目的でそういう小芝居をするかは明白。実際にそういう下衆な奴らはいます。
    かなり昔ですが私の兄がやられて弁護士を入れました。

    1. >実際にそういう下衆な奴らはいます。
      それは、確かに日本でも自賠責、任意の対人保険、更には保険加入者本人の怪我に対する人身傷害保険を悪用するケースが多く、整形外科や接骨院の不正の温床になっているのは、紛れもない事実です。
      しかし、そういう次元の話ではありませんので。
      警察官コロンボの事故対応があの程度で許されるのであれば、コロンボ自身、いつの間にか国境を越えて悪徳政治家並みの「上級国民」になってしまっており、もはや庶民が共感する存在では無くなっているということを意味します。
      しかし、あの事故の瞬間の映像では、かなりの衝撃を不意打ちで後ろから受けており、「頸椎挫傷」「頸椎捻挫」にならないほうが不思議なくらいです。

        1. メキシコで通用する自動車保険に入っていなかったのですよね。被害者への対人・対物の賠償はポケット・マネーでポンと出せたということでしょうか??
          そのまま勤務先のロス市警にも報告せずに、観光旅行を続けて良いのですか(笑)。

          1. 大丈夫ですか?ドラマですよ(笑)
            コロンボの車がなぜ持っていかれたか想像してください。
            奥さんのところに戻れなかった理由もわかりませんか?

            1. これ以上ニブさんとやり取りを重ねても無駄ですね。
              根底から交通事故の人身事故対応に対する認識が違いますので。
              もうこれ以上、ここでのやり取りは無駄ですから、後は他の読者の判断に委ねましょう。
              以上です。

              1. 私の交通事故の人身事故対応に対する認識はどこに書いてあるのですか?
                妄想が過ぎますよ。お達者で!

                1. 被害者に対する
                  >ゲスの極みな奴らです(笑)
                  というお言葉が発端です。
                  どうかお元気でお過ごしください。

                  1. 妄想の発端がそこなんですね。
                    ああいう芝居をする輩こそ下級国民でしょうな。

                    1. >ゲスの極みな奴らです(笑)
                      というお言葉こそ、ニブさんの妄想なのではないですか?

  22. (2014年にトッシーさんも書いていますが)
    追突のシーンですが、ちゃんと見てくださいね(笑)
    追突されたドライバーはすぐさまドアを開けて立ち上がってますよ(笑)
    すると見るからにインチキくさい男が「首を痛めたふりしてろ」みたいに吹き込んでいます。
    ゲスの極みな奴らです(笑)

    1. 大変申し訳ありませんが、交通事故の追突事故については、相手が「ゲスの極み」とか、そういう問題ではないので。
      2022年5月22日の日本であっても、追突事故をしてしまったら、加害者側がどうふるまわなければならないかという点では、相手が誰であろうと、関係ありません。

      1. 「頸椎挫傷」や「頸椎捻挫」(俗にいうむち打ち)は、痛みが生じるメカニズムも足を捻挫した時と同じように痛みが生じ、スポーツ中に足首をひねって、その時は痛まなくても、夜中に痛みが酷くなったり、数日して痛み出す場合と同じく、即座に痛みが発生することなく、少し時間が経過してから、あるいは数日経って痛み出す場合が少なくありません。
        日本では、それで相手が警察に「人身事故届」を出されると免許証から点数を引かれ、本当に痛いのか、悪用しているかは、被害者本人の自己申告による部分が多いのですが、結果的に何か月も通院されて、自賠責保険の枠を超えて治療費や、通院に伴う交通費、痛みで仕事を休まなくてはならない場合は休業損害、そして最終的には慰謝料を、任意保険から払わされ、特に弁護士を入れられると、示談まで大変な時間がかかることが多いと聞きます。
        ここらへんの話は、被害者が一見どんな雰囲気の人かは関係なく、自動車免許を持っている人なら一般常識中の一般常識ですので、ぜひ認識をお改めください。

        1. 久しぶりに、こちらのブログのリンク先の、弁護士 海老名先生のサイトを確認してみました。
          「コロンボが不注意で自動車を追突させて前車の乗員に傷害を負わせた行為について、自動車運転過失致傷罪が成立します」とあります。

        2. 追突事故の加害者が現場でどう振る舞うべきかについての常識を私が持っていないと判断したのでしょうか?その気配について何も言ってませんよ。免許も持ってます。

  23. 今回、NHKーBSの再放送で続けて鑑賞していると、旧シリーズこそ至上で最高と信じてきた私の自信がもの凄く揺らいできました(笑)。旧シリーズも後半になって、かなり粗が目立った駄作が多くなってきていましたね。昔見ていた時には、そんなふうには感じなかったものですが、こちらの感性が時代と共に変化してきているのでしょうか?
    むしろ、これまで軽視してきた新シリーズにも、今回などよりもっと出来の良い作品が何本かあって、なかでも、60話「初夜に消えた花嫁」、64話「死を呼ぶジグソー」等の異色作は、旧シリーズ後期の悪いところの反省を踏まえて、新シリーズでもそうならないように制作されたと推察すると、あくまでも舞台をロス市内に限定し、かつ、マンネリを上手く脱却した、相当な秀作に思えてくるから不思議です。

  24. 海外ロケものにはどうしてもシラけてしまう点がある。
    今回のエピでら、コロンボはメキシコに観光にきているという設定。
    当然、周囲の人は皆んなスペイン語を使う筈だが何故か中途半端に英語が通じる者がいる。極め付けはメキシコ人同士の会話なのに英語を使っている場面(モントーヤと娘の会話など)
    このようなリアリティの無さによって、何の権限もない観光旅行者のコロンボが殺人事件を捜査すること以上にシラけてしまうのである。

    1. 海外観光と言ってもLA郡・オレンジ郡在住なら日帰りもするティファナなので
      英語しゃべる人も多いのです。高校生でもバカ騒ぎしに週末行くくらいだからスペイン語なしで十分の所。犯人の娘は確かアメリカ側の大学へ行ってる設定。父親との英語会話でも違和感ありません。2000年代に入っても「クローザー」等同観光地でのエピソードも現地警察官が英語対応してます。長年オレンジ郡に住んでいた者からすると現実的でないとは思わないです。

  25. スペインと似たところがある、メキシコ情緒を味わえる本作。光がいつもと何となく違うし、鳥のさえずりなどの効果音も多めに入れて、現地ロケと相まり地方の雰囲気を上手く出していましたね。しかし私は、それを「刑事コロンボ」で観たいとは思いません。
    コロンボ登場の冒頭から、警察官という職業でありながらメキシコで過失割合100:0の追突で人身事故を起こしておいて被害者家族に対してあんなに人として非常識な態度を取るとは、コロンボはメキシコ人を見下しているとしか思えません。追突して頸椎挫傷した被害者と被害者家族の気持ちになって考えたらどんなに腹立たしいことか。
    闘牛士の犯人の捜査にも、「イタリア系労働者階級の警官が上流階級の犯人をいたぶり逮捕する」という「刑事コロンボ」本来のカタルシスを感じません。闘牛士自体、肉体的にも精神的にも過酷な仕事で、成功して巨万の富をなしても個人的には羨ましいと思えませんし、伝説の英雄の逮捕劇に、なにも異文化圏から観光目的で来て何の権限のなく交通事故の加害者のくせにお気楽なコロンボがでしゃばってヒーローにならなくてもいいとシラけました。サッカーに疎いアルゼンチン観光中のマナーが悪いアメリカ人が、片手間でマラドーナの薬物事件を捜査協力し逮捕に結びつけるような違和感が残ります。
    それと、私が脚本家なら、地元のサンチェス警部をコロンボを上回る凄腕刑事として描きます。コロンボは独自に交通事故の償いに、サンチェスと競い合いながら捜査の手伝いをしつつ、最後にコロンボより先にサンチェス警部が事件の真相を突き止め犯人を追い込み逮捕し、コロンボがサンチェス警部の大手柄を称える展開で締めます。
    ラストシーンの会話は、たとえばこんなふうに・・・。
    コロンボ:「あなたに祝辞を述べなくてはいけませんね。しかし、あなたの人並み外れ秀でた刑事としての能力に対して、この地ではそれを発揮する機会があまりにも少なそうなのは勿体ない限りです」
    サンチェス:「仰せの通りなんですよ。なんせ、メキシコ中でも特別人情厚く風光明媚ないい土地なんで・・・。だからこそ、こんな事件はまたとないチャンスなんです」
    (英国グラナダTV「シャーロック・ホームズの冒険 『第24話 ウィステリア荘』」での、ホームズと凄腕警部ベインズとの会話のパクリです)

    1. 相変わらず推敲不十分のまま投稿してしまい、「てにをは」などで誤字が多く申し訳ありません。
      昨夜、もう一度、冷静に、コロンボが前方不注意により追突事故を起こしてから事故に対応する場面のみ録画を観直してみました。私は交通事故の加害者になったことも、被害者の経験も無いですが、あの時のコロンボは、シリーズ全69話中で、最も醜い、人として恥ずべき態度だったと言わざるを得ません。これは、もう、ポリコレ以前の問題です。
      極論すれば、あのシーンがあるがために、私は誰が何とおっしゃろうと、本作を新旧全69作品中、最低最悪の作品と断定します。
      非常に残念ではありますが、私の頭の中では消去したい回になりました。
      付け加えれば、高価なブルーレイ・ディスクを買うほど愛着がある「刑事コロンボ」なので、余計に悲しいのです。

      1. 歳を重ねて、アクセルとブレーキを踏み間違えたり、逆走して大事故を起こしても、開き直って、自分は悪くないと言い張る人間にはなりたくないですから、この時のコロンボを教訓に、他山の石としたいですなあ。

    2. コロンボの対人事故対応については100%同感。交通事故では誤ってはいけないとか、そういう低次元の話ではなくて、人間として道義的に最悪。
      殺人事件については、「諏訪 御柱祭」や「岸和田だんじり祭」で事故と見せかけた殺人事件を、アメリカから来た一観光客のコロンボが事件を解明したような違和感ですねえ。
      そんな馬鹿な話、誰が信じるか、わははははは(大笑)

      1. 神田明神下の岡っ引・銭形平次がカミさんと諸国漫遊して、道中、大坂で関西弁がようわからんで失敗しながらも、現地の奉行所の役人と協力して、だんじり祭の殺人事件を解決したようなものですか?
        それはそれで夢があってオモロイ企画です。正月特番として、藤田まこと さんに演じさせたかった。

        1. なるほどねー。藤田まことさんの平次、良さそうです。
          正月特番なら、諸国漫遊よりも、お伊勢参りの帰りにしたほうが縁起がよろしいでしょう。
          あっ、それでは江戸の神田明神が嫉妬するのか?

          1. 日本にも各地で闘牛の習慣は古来よりあり、
            一説によると、
            「起源についてはどこも明確な資料は存在せず、自然発生的なものから、神事として始まったものもあるとされる。史料上は、1178年に後白河法皇が角合せを観覧したとの記録があり、12-13世紀の『鳥獣人物戯画』にも闘牛が描かれている。隠岐島の闘牛は承久の乱(1221年)で配流された後鳥羽法皇を慰めるために始められたとされている」(Wikipediaより)とあり、相撲と同じく神事とも関わり深そうですね。
            後白河法皇の時代といえば、今やっているNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」や、同じく大河ドラマ「平清盛」「義経」「新・平家物語」などの時代と重なりますね。

  26. 作中でコロンボと現地の警部が飲んでたオレンジ色のビールみたいなのはなんですか?

    1. 絶対にとの自信はありませんが、アルコール度数が比較的低く、炭酸飲料のように飲みやすい「メキシコビール」の一種だと想像します(間違っていたら申し訳ありません)。
      現在、メキシコビールの代表的銘柄である「コロナ・エキストラ」で、一度検索してみてください(二年ほど前だったか、流行感染症名を連想させるため、風評被害の影響を受けたとの報道があったのを記憶しています)。

  27. 昔から決定的な証拠部分の提示からパトカーに乗る所の流れが説明不十分と思っていましたが、こちらの解説や皆さんの感想で流れがよく分かるようになりました。
    現地警察の方の家族との交流シーンが数少ないほんわかシーンで好きです。

  28. 牧童ミゲルの人、「ワイルドバンチ」や「ガルシアの首」などの映画で敵ボス役を演じていて豪放で残酷な振る舞いが強烈に印象に残っています。この作品では酒浸りで愛すべきおじさんになっていて、それが見れただけでも良かったなと思いました。

    1. エミリオ・フェルナンデスは雰囲気の良い俳優さんですよね。その演技はペキンパー監督の西部劇とも相性がよいですね。

  29. モントーヤ役のリカルド・モンタルバンは雰囲気がヘンリー・フォンダを感じました。
    アメリカンヒーローのフォンダに対して、メキシカンヒーローという役付けでしょうか。
    ***
    それと、牛は動かないものは攻撃しないという説明が有りました。
    エクトールは薬を打たれたら、無理に動かなければ良かったのでは。
    あの薬はそういう自由もきかないのですかね。ヤボを言ってはダメですね。

    1. 「あの牛はクーロのケープを見てしまったからもう使い物にならない」
      とモントーヤは言っています。
      マリネロは、ケープではなく人間に突進する牛になってしまった、ということでしょう。
      牛は動かないものには攻撃しない、というのも絶対ではないでしょう。気が立っているなど、場合によっては動かない者も襲うのではないでしょうか。

      子供たちの闘牛ごっこを見てモントーヤの嘘がわかった、という件。
      午後5時台は風が吹いていて、闘牛にはケープを濡らすことが必須、しかしケープには水に濡れたシミはないし、闘牛場内に水を入れた器もなかった。エクトールが自殺でも考えていなかった限り、あの時間帯に水を使わずに牛を殺そうとしたはずはない、そしてエクトールは牛を殺すために闘牛場にいたはずなのに、という推理でしょう。

    2. さらに、モントーヤはエクトールに注射針を撃ち込んだ後、ケープと剣をエクトールに手渡しています。
      もちろんこれは偽装の為なのですが、同時にエクトールに対しては、「よもやわたしの目の前で、闘牛場内でへたり込んで牛の攻撃を避けるなどというぶざまな姿を晒すわけではあるまいな」という無言の圧力の効果もあるのかと。

    3. リカルド・モンタルバンは足が長くてスタイル抜群ですね。
      マタドールの衣装も普段着もキマッてました。

  30. サンチェス警部のお子様たちが闘牛ごっこをしていたのを見てモントーヤが嘘をついているのがハッキリ分かったってどうゆうこと?
    サンチェス警部の奥さん美人だ!

    1. 子供たちは闘牛用の布を水で湿らせて使用していた。
      風の強いときは、布が舞い上がらないようにそうするとのこと。
      エクトールが牛と対峙したとモントーヤが主張する時間(車で出かけた後)
      は強風だった。なのに布は湿っていなかった。
      だからモントーヤが出かける前の出来事なのでは?
      ということですか。細部が未確認なので誰か補強して下さい。

      1. あーそうですね。
        お子様たちが遊んでいたのが警部の奥さんも一緒だった時のことだと勘違いしておりました。
        ありがとうございました!

      2. ほぼ書いてある通りです。
        コロンボがアリバイのウソに気付くのがケープであることの描写ではセリフがほとんど無いので、このシーンを見ていないと分かりにくいですね。

  31. 殺されたエクトールはなぜ牧場を出て行くことにしたのでしょうか。息子の不手際の責任を取る、モントーヤが足をすくませたのをみて、もう自分たちの時代は終わったのでリタイアすることにしたが考えつきます。他の解釈ありましたら教えてください。

    1. 殺害前のエクトールとモントーヤの会話でエクトールは、
      「あんたは正しかった。今ではすべてが変わった。わしは出て行かなくてはいけない」
      と、英語では言っているようです。
      エクトールはモントールと自分が老いたことではなく、彼の「プライド」に対する考え方が間違っていることに失望して、彼から離れたくなった、ということでは。
      もう牛を目の前にしても足がすくんで動けないのに、いや今でもやろうと思えばできるんだが足が少し不自由だからどうかな、ということにするのは、闘牛士の「見栄」であって「栄光」じゃない、とエクトールは考えているのでは。

      1. 自分も、エクトールが牧場を去ろうとした理由が謎でした。
        ありがとうございます。

  32. コロンボがモントーヤに闘牛の野蛮性を口にする場面がありますが、モントーヤもボクシングの野蛮性を説いてそれに反論します。
    すでにこの時点で世界的に大人気ドラマになっていただろうに、国際的な問題になりかねないことも話題にのぼらせる。
    スタッフの気概のようなものを感じます。

    1. 同意です。
      昨今の過剰なポリコレの出現を予感させるシーンというと言い過ぎですが、食をはじめとする異文化に対する受容問題って昔から当然あったということがわかりますね。
      個人的にこの場面だけは、モントーヤの反論にスカッとしました。

  33. 68歳まで「映画大辞典シネマレビュー」をずっと見てきたので、ここの存在に全く気が付きませんでした。○○ロードショーが始まりで現在まで、毎回見るたびに人生の熟度に応じて理解が深まるのは当然のこととして、コロンボばりに今回ピーンときたのが、「殺人講義」で犯人の学生が刑事のおバカぶりを顔真似するシーンがあるのだけど、その表情がまさにこれ、とネタ元の場面を見つけたことかな。
    あと、闘牛のシーンの音楽にnhkみんなのうた「トレロカモミロ」のファンファーレ冒頭部分が出てきて、子育て時代の感情がよみがえりました。

  34. ・初の非英語圏ロケですね。今回一番驚いたことは、メキシコからロサンゼルスまでバスで帰れるという説明でした。さすがスケールが違う。
     
    ・コロンボのプジョーは、今まで気付かなかっただけかもしれませんが、運転席側のドアシルの腐食がすごいことになっています。修理するなら、あの部分を切り落として代わりの部材を溶接しないといけないレベル。
     
    ・最後の下りはすっきりしませんでしたが(えっ、モントーヤは何も語らずパトカーに乗っちゃうの?、と)、これはこれでありなのかと思いました。コロンボにジワジワ追及されて観念し、グダグダ言い訳もせず黙ってパトカーに乗ったのでしょう。
    金銭、権力や愛情がらみではなく自分の信念に基づいた計画殺人という点では「祝砲の挽歌」に通じるものを感じました。
     
    ・クレジットを見るまで気づきませんでしたが、モントーヤの吹き替えは庄司永建さん。石原プロの刑事ドラマ好きとしては注目してしまいました。小池さん=大都会 PARTIIの吉岡課長役、庄司さん=西部警察(大都会シリーズの後継ドラマ)の二宮係長役で、渡哲也さん扮する刑事の上司であり、嫌みが多くいざとなると頼りにならない役どころ、という共通点があります。

    1. 吹き替えに付け加えればサンチェス警部を担当した新克利さんは
      前年(アメリカ本放送では同年)の「必殺仕置屋稼業」で怪力の破戒僧として
      レギュラー出演していました。小池朝雄さんは時代劇では悪役の事が多いので
      このエピソードにおける急造コンビには不思議なユーモア感があります。

    2. コロンボのプジョーは運転席側のドアシルの腐食もすごいですが、話が進むにつれ、そのドアにどこかでひっかけたような大きな傷が増えていました。やりすぎていて笑ってしまいました。

  35. 昔は、秘密や過去を知られたからって殺しちゃうの?っていうサスペンスドラマなんかがけっこうあったような気がします。松本清張とか・・
    動機大事。
    薬物が出なかったり、アリバイのとこもなんとなくアバウトな感じがしたなあ

  36. 自説(笑)第五シーズンは「自供せざるを得ない状況」を設定、その第四弾?今回も殺人罪で逮捕された方がまし、というのは、自分の一番恥ずかしい秘密を公然と暴露されてしまったからには、もうシャバにはいられない、ムショに隠れたいという解釈です。
    しかし、あの格好だけでも要注意人物に見えるのに、国境線越えてまであのボロ車持ち込まなくても(笑)。走る凶器に乗った危険人物ですよ(笑)。ロケでメキシコの皆さん、注目してるのがよく分かりますね(笑)。

  37. 動機が焦点の作品。 最後の最後まで謎解きを引っ張る印象的な作品でした。 また、ストーリーとは離れたところではありますが、時空を超えた海外旅行をしている気分にさせてくれるのもコロンボを観る楽しみだと本作品で気づかされました。 メキシコでもコートを着ているコロンボが素敵です。

  38. コロンボがメキシコ旅行中に、闘牛場での事故死と思われた事件に地元の警部とともに関わる作品で、「歌声の消えた海」の解決でコロンボがメキシコで有名となった設定になっています。闘牛士として名声を勝ち得、いまやメキシコでは英雄のルイス・モントーヤが、旧知の友人で仕事上の部下でもあるエクトールを殺害するが、動機は何なのかが焦点。結局は名誉のための殺人と判明しますが、作品の冒頭5分をよく見ると、視聴者にエクトールが何を知ってしまったのかのヒントが提供されていることがわかります。コロンボが子牛の突進に、敏捷に身をかわすのがさすが。コロンボが多少はスペイン語を話せることがわかります。

  39. 久々に見てみて気づいたのですが、クーロが最後に対決する宣言をして、コランボはそれをうまく利用してクーロに協力させたのですね。
    クーロも最初はそんな気は無かったけど、父の仇を明らかにするということでコロに協力したのでしょう。
    さすがにンボらしいしたたかな解決法ですね笑
    ところで原題のmatter of honor(名誉の問題)という言葉は、matter(問題)とマタドールを掛けてるタイトルなのでしょうね。

  40. 初めまして。47歳 つば十郎です。
    モントーヤが牛に怯えて何も出来なかったのを、エクトールに見られてしまった。
    これが犯行に及んだ動機ですが、
    ①エクトールがモントーヤを強請っていたら。
    ②モントーヤが祝砲の挽歌のラムフォード大佐のように、
    コロンボに癇癪を決して起こさない紳士な人物だったら。
    もっといい作品になったのになあと思います。

    ラストでコロンボとモントーヤが約4分も無言で向き合う場面は、
    自分が犯した罪を暴かれることよりも、
    牛に怯える姿を晒すことが英雄 モントーヤにとっては、
    死ぬほど辛いことであることを示していました。
    それを黙って見つめるコロンボもモントーヤが何も言えないことを自白と認めて
    かつての栄光に敬意を表するには無言が最善と思ったのでしょう。
    全作品の中でも屈指の名場面だと思ってます。

    最後に。
    邦題は「堕ちた英雄」とか「落日の英雄」のほうが
    この作品には相応しいなと勝手に思います。

    1. フォレスターの「青銅の巨砲」やナポレオン時代の半島戦争を題材とした「リチャード・シャープ」シリーズを読むとスペイン人(系)の「男のプライド」の強烈さと異常さを感じることができます。
      エクトールは決してモントーヤの怯懦を漏らすことはないでしょうし、モントーヤも十分それを承知していたでしょう。しかし、それでもエクトールにそれを知られたことが殺人を犯すに値するプライドの問題だったのではないかと思います。私はエクトールがモントーヤを強請ったりしたら一気に安っぽくなってしまうような気がします。

      1. 動機がアンノーマル過ぎてびっくりしたのですが、スペイン(系)人男性特有の話は他でも描かれているのですね!
        それでも、恥ずかしいと思った行動が自分にではなく、他者に対して凶行に及ぶってことは決して許されないですね。
        英雄としての地位を降りても家族や仲間を大事にして欲しかった。(それだと話が成り立ちませんが)
        興味深い一話です。

  41. 先ほどまでBSで「奪われた旋律」を観ていてふとコメントしたくなり、始めての書き込みです。「奪われた旋律」とは全く関係ありませんが、この「闘牛士の栄光」でコロンボの手帳ケースがクローズアップされてファーストネームが「フランク」と確認できるとの情報がありますが事実でしょうか? ご存知の方はおられますでしょうか?
    コロンボにはいくつかの謎があり、コロンボの名前、家族構成、飼い犬の名前などうんちくとして知りたいと思います。

  42. 昔はきっちりアリバイを解いていくエピソードが好きでしたが、年を取ってからは本作のようなエピソードが好きになりましたね。
    今日BS-TSBで闘牛士の栄光とルーサン警部の犯罪を続けてやってるんですが、トレッキーとしてはカーン役のリカルド・モンタルバンとカーク船長役のウィリアム・シャトナーが続けてゲスト出演だったのがなんだか嬉しかったですw

  43. 殺害動機を最後まで隠すというギミックが実に効果的です。いつもと毛色はだいぶ違いますが、これはこれでありな快作といえるのではないでしょうか。
    新シリーズになるとひねりが強すぎて本来のシリーズの面白さを侵食してしまっていると評される作品が多いようですが、その点、旧シリーズはそのさじ加減が絶妙だと思います。
    サンチェス警部やミゲルといった人々の存在も楽しく、大好きなエピソードです。

  44. こんばんは。
    とても良いドラマでした。
    誇り高き闘牛士モントーヤが、牛を前に立ち竦む無様な姿を、エクトールただ一人に見られたため、彼を殺害した。
    しかし再び立ち竦むところを、今度は大勢の人間に見られたため、モントーヤの心に、すべて終わったという感情が湧き上がったのだと思う。
    私はその寂しさをドーンと受け止めました。
    最後にコロンボに向かって数回うなずくところは、コロンボに対する敬意と「負けたよ」という気持ちでしょうか。
    もはや、証拠が弱いとか些細なことをやり取りして、醜い姿を重ねる気はないでしょう。元英雄ですから。
    おまけですが牛のマリネロ君、攻撃の前に、左足、右足と、地面を後ろに蹴って威嚇のポーズしちゃって、なかなかの役者でした。

  45. 現在BS-TBSで再放送されており、40年ぶり(笑)に見ております。
    こちらのサイト、丁寧に解説されており、恐れ入るばかりです。
    このエピソード、確かに決定的な証拠がありません。
    以下私見ですが、コロンボの場合、
    1.最後のクライマックスでようやく発見した決定的な証拠を提示するパターン
    2.カマをかけて犯人にボロを出させるパターン
    3.“殺人を犯してまでも隠したい真実=動機”を解明するパターン
    に大別されると思います。
    「闘牛士の栄光」は最後のパターンで、動機が明らかにされることにより、(表現が適切ではないかもしれませんが)隠蔽のために行なった殺人行為に意味が無くなってしまう訳です。
    これに限らず、コロンボの場合、犯人は名士が多いため、完全に証拠が揃わなくても観念するケースが多いですよね。
    当時小学校高学年だった私、派手な展開やラストのキレ味ばかりに気を取られていましたが、50歳を過ぎた今見直すと、最初にコロンボが『おやっ?』と思うシーンや、地道に矛盾点を追っていく姿に惹かれます。

  46. いまいちだったですかのう・・・
    ところで
    現在BS-TBSでやってるコロンボ毎日見てるんじゃが
    オープニングがカッコ良いですなあ
    なーんか昔ぽくもあり
    もしかして放送した当時のものなのかな?
    放送されるとだいたい見てるけど
    このオープニングは気に入ってますです

  47. 結局、証拠はあったんですかね?。すくんじまったこと?。
    分からないね。
    英雄として公衆の面前で縮みあがったことで、全ての緊張感から
    解放され罪を認める気になったのだろう。
    既に「証拠はあるのか?」という問題でもなくなった。
    理詰めの段階を超えてしまった最後でしたね。
    理詰めが、常に自供を引き出すとは限らないケースです。
    コロンボの終わり方としては珍しいですが、ある意味、
    犯人の心理を巧みに突いたものと言えるでしょう。

  48. 個人的にはワースト作品に近いエピソードです。
    モントーヤが無言のままパトカーに乗り込むシーンも、何か好みじゃない。
    殺人の動機も「え?それ?」というか。
    重ねて言いますが、あくまで個人的にです。

  49. フレドさんコメントありがとうございます。この作品への深い愛を感じました。一字一句、感心して読ませていただきました。また他の作品についてもぜひお書きください。また、人気投票で、この作品に1票追加します。

  50. はじめまして。20の後半にも満たない若輩ですがこちらに初めてコメントさせていただきます。
    このお話は、皆さんの仰る通りメキシコの英雄たる彼自身の高潔さと気高すぎるほどの矜持が、終始通してこのシナリオの根幹になっていて、それがこの作品独自の美しさと面白さになっていると思います。
    闘牛をほとんど知らない(でも途中から本を読み初めていましたね。[別れのワイン]同様ああやってホシのことを理解しようとする姿勢はとても好感が持てます)コロンボがいつものように不躾に質問をしてくる度にモントーヤは激昂していましたね。あの誇らしげな彼の姿勢がすべて、今回の異常ともとれる動機へつながる伏線にも思えます。
    冒頭でモントーヤが「昔のように殺してみせるさ」と言った時にエクトールが「そいつは無茶だ」と言って見せたのも、再度見てみればその言葉の真意が分かります。最初見たときはもう歳だからか、怪我のことかと思っていました…
    ラストはとても印象的でした。モントーヤにとって闘牛士とは何か。英雄と讃えられる彼の心情はおそらく誰にも捉えられることは出来ないでしょう。侍のような潔さでした。日本刀なんか持たせたら切腹でもしかねません(/´△`\)
    モントーヤのこともさておいて、コロンボ警部は行く先々でトラブルに見舞われますね(笑)
    本国ならまだしも旅行への航路でも事件、着いたメキシコからさあ帰路につこうかというところでまた事件。バカンス返上で大忙しです( ̄▽ ̄;)それでも黙って待ってくれているカミさんの器量良し。
    右往左往するコロンボもユニークでしたし、そのメキシコの雰囲気も、助けとなってくれたサンチェス警部、牧場にいたTHE・メキシカンカウボーイなミゲルさんも、登場人物がとても魅力的でした。
    異色作ではありますが、コロンボ作品の例にもれず、とてもよく出来ていたと俺は思います。
    長文失礼致しました!

    1. >このお話は、皆さんの仰る通りメキシコの英雄たる彼自身の高潔さと気高すぎるほどの矜持が、終始通してこのシナリオの根幹になっていて、それがこの作品独自の美しさと面白さになっていると思います。

      そうですね。
      しかし、私がこのエピソードでいちばん理解出来ないことは、犯人モントーヤの動機と殺害方法でした。弱い本当の自分を相棒エクトールに悟られてしまったから、彼を殺害した…何と身勝手な理由でしょう。長年自分を支えてくれた相棒をそんな理由で殺す、しかも大切な牛を殺人の道具に使うなんて、闘牛士の英雄としてあり得ないと思いました。個人的な妄想ですが、年老いて若干認知症が始まっていて、牛と闘うのは勿論、通常の判断や辛抱がきかなくなっていたのかもしれないと考えると、まだ合点がいきます。

      >侍のような潔さでした。日本刀なんか持たせたら切腹でもしかねません(/´△`\)

      エクトールを殺害するより、むしろ切腹でもしていた方が英雄らしい最後だったと思います。(それだとお話になりませんね笑)日本刀といえば、モントーヤを演じている俳優さんは三船敏郎さんに似ているような気がしました。

  51. シンBBさん、コメントありがとうございます。私ももう一回、この作品を見たくなりました。ありがとうございます~。

  52. とっしーーさん、お返事が遅くなりすみません。コロンボ作品、計69話。どれ一つとして軽く見られないのかも…と、今さらのように感じます。

  53. こんばんわ^^
    2回目見てみました~本当は、新リーズ見たんですが、なんか旧の方がいいかな~って思ってまた好きな作品を、見直しています(笑)
    エクトール、名前がとってもカッコイイんですが、本人も穏やかで誠実で、カッコイイですよね!
    しかも、子供の為に体張って牛から守るなんて
    なかなか出来やしません。
    そんなエクトールを、モントーヤが自分の名誉のためだけにやるなんて・・汗
    確かに一方的過ぎますな ( ゚,_ゝ゚) 
    スッキリしないとありますが、僕はけっこうスッキリしましたよ^^
    コロンボ風ではないですが(笑)

  54. とっしーーさん>この作品、とても好きなのですが殺害されたエクトールが可哀想だなって…気もします。よく考えると殺人動機が一方的すぎるような…。

  55. 見ました~~メキシコの世界観が、けっこう好きです♪♪
    ていうか、スペインかと思ってました(笑)
    で、今回の動機ですが確かに華麗な動機ですね!
    けど、やり方が・・汗汗
    まあ、犯罪は犯罪ですが。。
    相変わらずのコロンボの着眼点、小さな所&人の気づかない場所などを良く見てますね(´ー`*)
    そしてミゲル(笑)
    ああいうタイプの陽気なオジサンは、コロンボ作品によく出てきますね^^
    メキシコに合う感じの、お茶目なオッチャンですね(笑)
    最後のシーンですが、確かに本人が動機を認めなければ・・ってのはあるかもしれません。
    けど、コロンボ作品の基本として、「状況証拠」で追い詰めるやり方で、それらは多数ある。
    ぼろんこさんの言われる通り、
    「かつての英雄のプライド」
    これが、この作品のキーになっていますね♪
    だからこそ、最後は認めざる得なかった。
    言葉こそ喋っていませんが、あの沈黙のシーンが
    「私がやりました」と認めた唯一確実な証拠=心の中での自供なのですね★★
    テニスをしているんですが、コロンボはテニス界のイケメンであるフェデラーに目元がソックリで、今回のエクトールの息子は、同じくイケメンのナダルに目元や顔つきがソックリです!
    メキシコは、スペインの占領下にあったので、
    そういう関係なんですかね~~(´ー`*)
    冒頭のコロンボの事故シーン(笑)
    最初、相手が芝居を打って首を折ったとか企んでいるシーンが笑えました^^
    コロンボが、「やっちゃったね~~」
          「首を折るわけないよ~~」
          「何を言っているかわからないよ~」
    ていうのが、事の深刻さを陽気に捉えている感じが、なんか面白かったです(笑)
    もしや日常茶飯事なのかな・・ ((((;゚;Д;゚;))))

  56. しおんさん、コメントありがとうございます。そうですね~エンディングの奇麗な作品は後味が良いですね。1票追加しておきます。

  57. 罠を仕掛けられたものの、しらを切りとおそうと思えばできたわけでしょうが、そうはせずに、潔く罪を認めるのが、彼の最後のプライドだったんだと思いました。パトカーに乗り込むまでの間に、余計なセリフのやり取りがなかったのも個人的にはよかったです。好きな作品です。

  58. ササキさん書き込みありがとうございます。「ほかに見所もあり一見の価値はある。」ですね~。コロンボ作品は、そうやって楽しむのも良いかな~と思います。この作品は音楽など…の効果もあり、ほのぼのしているのが好きです。

  59. 証拠が不十分でも犯人が自白したのだから有罪と決め付けるやり方はアンフェアー。
    猛牛の前に立ち竦んだからといって、それが殺人の証拠になるでしょうか。別れのワインと同様この点で不十分な作品です。
    とはいっても、ほかに見所もあり一見の価値はある。

  60. …実は新シリーズはあまりまじめに見てなかったり…^^;
    クライマックスでモントーヤは自分の醜態を人に晒してしまい観念する。そんなモントーヤに仕掛けたコロンボ警部が意外そうな表情をする。(「いいんですか?」という顔)モントーヤにとっては動機が全てで、証拠は必要無かったのでしょう。

  61. akutoさん、コメントありがとうございます。
    ふむふむ、なるほど。確かに「エイドリアン・カッシーニ」とは違いますよね~。コロンボ作品には、今回のような「モンスター的キャタクター」の犯人が登場することがよくあります。新シリーズになっちゃいますが、「殺意のキャンバス」のマックス・バーシーニの方が、「モンスター」としては近いでしょうか。どうなんでしょうね?
    ルイス・モントーヤに関しては、汚れなき英雄みたいに感じるので、比較できないかも知れませんね。

  62. むしろ、『動機の異常性』がこの犯人像を引き立てているのだと思います。だからこそラストにそれをもって来たのだろうし、証拠云々よりも犯人の人間性がテーマで、内容はかなりちがいますが江戸川乱歩の『化人幻戯』と同じタイプだと思います。
    『別れのワイン』のエイドリアン・カッシーニとはかなり違うのでその方向で理解しようとするとスッキリしないんじゃないかな。
    こういう犯人の心情は理解する必要は無いです。ある意味モンスターとも言える人の心の深遠は、立派な人か卑劣漢かを超えて、むしろ『ホリスター将軍のコレクション』や『死者の身代金』の犯人像に共通する『常識外の人格』なのではないでしょうか。

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