40話「殺しの序曲」

The Bye-Bye Sky High IQ Murder Case / 1977

刑事コロンボの中では、第6シーズンに属する後期的作品。背景は世界でトップレベルのIQを持つ人が集まる「シグマクラブ」で起こる殺人事件。クラブのメンバーである会計事務所の経営者オリバー・ブラントが友人で共同経営者、しかもシグマクラブのメンバーでもあるバーティを殺害。動機は、オリバーの横領を知ったバーティが、世間に公表すると脅したためです。

動機は十分。バーティはかねてより友人オリバーの言動に対し、強い不快感を抱いていて、その腹いせに彼の身辺を探ったため、不正が発覚します。常日頃から周囲にバカにされている人は、たとえそれに悪意が薄かったとしても、いつか許せなくなるのもなのでしょう。

トリックは緻密だが、天才集団を感じさせない

この作品の特長は他の作品と比較し「殺害のトリックが異常に緻密」であること。それが大きな要素となりすぎて、「世界でトップレベルのIQを持つ人が集まるクラブ」の存在感は逆に薄くなっている点が惜しいです。一部の登場人物を除いて、あまり頭の良い人の集団と思わせてくれません。

また原題の「The Bye-Bye Sky High I.Q. Murder Case」は「空高いIQの殺人事件」のようなイメージですが、邦題ではむしろ音楽にスポットを当てたようですね、残念でした。

トリックに凝りすぎて、現実味がないとも感じます。傘の中で破裂した爆竹の音が果たして銃声に聞こえるだろうか?音楽のボリュームを絞り、犯行後にプレーヤーのカバーを閉めておけば、もっと怪しまれなかったはず。犯人が頭脳明晰のわりには短気で、容疑をかけられる素性を持っているなど。また、これは微妙な判断ですが、解決シーンで「赤いペンが落ちるほんの一瞬前に辞書が傾き始める気がする」点も‥。ただ、そのようなことを差し引いても、楽しめる作品であることは確かです。

天才オリバー・ブラントは可愛い

セオドア・バイケル犯人の天才オリバー・ブラント「セオドア・バイケル(ビケル)」も、まさかコロンボ警部のような「計り知れない程の頭脳の持ち主」が担当刑事として自分の前に現れるとは予測もしていなかったことでしょう。異常とも思えるほど緻密な殺害トリックを仕掛けるシーンで「満面の笑み」を浮かべ作業するオリバーの顔が印象的に描かれています。犯罪工作の王者「パトリック・マクグーハン」も顔負けです。

大草原の小さな家

セオドア・バイケルセオドア・バイケルは、大草原の小さな家の「自由よ永遠に」で、ロシアからの移民ユーリー役で出演しています。刑事コロンボより約1年くらい前の作品です。

奥さんからは「オリバーちゃん」呼ばわり

サマンサ・エッガーオリバー・ブラントは、頭が良い割には「子供のような性格」な人ですね。公園で拳銃をゴミカゴに捨てるシーンで、コロンボに気付かれる不安が消えた直後に、嬉しそうな顔に一変して傘の説明をし出す場面など、興味深いです。彼の性格は妻のビビアン(サマンサ・エッガー)との会話「オリバーちゃん呼ばわり」でも伺え知れます。

脇役ソレル・ブークが良い

ソレル・ブーク犯人オリバー・ブラント役のセオドアバイケルも良いのですが、被害者のバーティ・ヘイスティング役のソレル・ブークも深く印象に残りました。撃たれて倒れるシーンが可愛い(不謹慎ですが)です。このソレル・ブークは24話「白鳥の歌」で、音楽プロデューサーのJ.J.ストリンガー役で出演しています。

ウエイトレスのお姉さんが怖い

ジェイミー・リー・カーティスレストランのウエイトレスの女優は「ジェイミー・リー・カーティス」で、有名な俳優の「トニー・カーティス」と刑事コロンボ32話「忘れられたスター」のジャネット・リーを両親に持ちます。ちょい役でも流石に存在感のある演技です。睨みつける顔がめちゃ怖いですよね。

女優ジェイミー・リー・カーティス

彼女はこの後、女優としての才能を開花させます。まず翌年の映画「ハロウィン」シリーズ(主演:ドナルド・プレザンス)で評判を博します。数々のキャリアを経て1994年には、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画「トゥルーライズ」でゴールデングローブ賞を受賞しています。

ハワード・マクギリン

ハワード・マクギリン出世願望の強い若手会計士のジョージ・カンパネラを演じたのはハワード・マクギリン。目鼻立ちがはっきりした二枚目で、とても印象に残りました。やはりコロンボにはパンチの効いた脇役さんがいますよね。オリバーさんにとても気に入られています。

こっちは浮かばれないアルビン

ピーター・ランパートジョージ・カンパネラのライバル、アルビン・メッツラーは俳優:ピーター・ランパート。バーティの部下だっただけに、オリバーからは忌み嫌われ、この事務所での出世はおろか、業界で生きていくことさえ困難な状況に陥っています。可哀想すぎる。

天才少女キャロライン

キャロル・ジョーンズキャロラインを演じるのはキャロル・ジョーンズ。この天才少女と、2話「死者の身代金」に登場する娘マーガレットのイメージがダブるという方もいます。比べてみてください。よく見るとあまり似ていません。

支部長のダンジガーさん

ジェイスン・ダンジガーシグマクラブ支部長のジェイスン・ダンジガーさん(バジル・ホフマン)は、あの手この手で殺人事件の推理をしますが、ことごとく空振り。この人のキャラクターが…天才集団のイメージを落としているような(笑)‥いやいや、それでも良い役柄でした!

シグマクラブ会員のワグナー

ジョージ・スパーダコスプログラム委員長のバーティに注文をつけるシグマクラブ会員のワグナー役はジョージ・スパーダコス。彼は36話「魔術師の幻想」で舞台となったマジックショーのお店で働く「サッカリー」と同一人物です。さすが俳優さんですね、別人みたいです。

アイゼンバックさん

ドリー・トムソンシグマクラブの美人会員アイゼンバックさんは女優ドリー・トムソン。コンタクトレンズを飲みそうになる直前、オリバーとバーティをきょろきょろ見ていて芸が細かいです。どうでもいいシーンだけど(笑)

メルビル夫人の肖像画

メルビル夫人の肖像画シグマクラブの1階には何と「メルビル夫人の肖像画」が飾ってあります。メルビル夫人は3話「構想の死角」の小説の主人公ですね。

チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」

この作品、邦題「殺しの序曲」で、作品中に登場するクラシック音楽はロシアの作曲家チャイコフスキーによる幻想序曲「ロメオとジュリエット」。私の持っている音源はシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団によるもので、20分33秒という長い演奏時間の14分12秒に、オリバー・ブラントが再生位置を設定した「第二主題による美しいメロディ」を向かえます。おそらくオリバーは特にお気に入りだったのでしょう。当時のステレオでこの位置から自動再生するには「一度手動で記憶」させる必要があると思われ、ここでも彼の無邪気な性格が伺えます。

人間コロンボを感じられる会話で、自分を見つめ直す

シグマ協会で向かえるラストシーンの一場面で、天才オリバーの苦悩や、コロンボ警部の人間哲学に触れることができます。オリバーは神童と呼ばれ苦しんだ幼少期を語ります。私は神童と呼ばれた経験はありませんが、子供の頃から「わざと頭が悪く見られるように振る舞っていました」。その方が周囲と楽しく過ごせるからです。一方コロンボは、自分は決して秀才とは言えない素材だが、粘り強くしつこく頑張ればきっとモノになる。と答えています。今の私はこの心境です。全力を尽くさず人生を終えることなんてあり得ないですね。コロンボにとって、天職とも言える刑事。その姿に自分の生きる指針を見つけ出すことができました。

「殺しの序曲」は意外と深い作品かも

先述のオリバーとコロンボの会話。それ以外にも、「いじめっ子、いじめられっ子」「天才と凡才」「気持ちの通じない夫婦」「出世を競う二人の秘書」など、殺人事件の周囲で見られる人間関係が面白く描かれています。
なかでもオリバーとバーティの関係は特に興味深いです。バーティのことが好きなオリバーは行き過ぎた愛情表現から逆にバーティから嫌われ、それが横領を暴露される危険を増大させます。本当に頭が良ければ「相手から嫌われない工夫」をもって世を渡れるはずなのですが、最も短絡的な解決方法「殺人」を実行するのも皮肉に感じます。

ラファイエット・パーク
ラファイエット・パークは、例のオリバーが拳銃を捨てるシーンでもあり、公園内にはウエイトレスに睨まれるドーナツのカフェもあります。会計事務所の所在地もこの近辺でしょう。

監督:サム・ワナメイカー
脚本:ロバート・M・ヤング

オリバー・ブラント:セオドア・バイケル(ビケル)
ビビアン・ブラント:サマンサ・エッガー
バーティ・ヘイスティング:ソレル・ブーク
ジェイスン・ダンジガー:バジル・ホフマン
ワグナー:ジョージ・スパーダコス
アイゼンバック:ドリー・トムソン
ジョージ・カンパネラ:ハワード・マクギリン(声:納谷六朗
キャロライン:キャロル・ジョーンズ
バーク刑事:トッド・マーティン
シグマクラブ会員:マイク・ラリー

加筆:2022年8月11日 

“40話「殺しの序曲」” への154件の返信

  1. タイトルの中の「スカイ ハイ」というのはIQの高さという意味の他に、打ち砕かれて粉々になった」という意味も兼ねているのではないでしょうか?(考えすぎでしょうか?)
    昔流行した曲、ジグソーの「スカイハイ」は、失恋の歌だそうです。

  2.  ぼろんこさんが「傑作クラスの名作」と位置づける本作は、作家の大倉崇裕氏(倒叙もの「福家警部補」シリーズの作者)のお気に入りでそうで、海外のサイト”The Columbophile”の運営者もシリーズのベストワンに推しています。今回ブルーレイで再見しましたが、私はひねくれているのか、やはりそこまでの作品とは思えませんでした。とりわけ気になる点をまとめてみますと、
     ○「コロンボも実は天才だった」とも受け取れるような描き方をしているのが気になります。コロンボはラストで「自分は人一倍努力をしてきた」と述べてはいますが、そうした捜査ぶりが実際に描かれているとはあまり思えない一方で、犯人が出す”クイズ”はどれも鮮やかに解いていくだけに、”人生哲学”が何だか白々しく聞こえてしまいます。
     旧シリーズも後半になると、コロンボのキャラクターによりスポットを当てる路線が強まりますが、本作はそれへの”寄りかかり度”が高すぎるように感じます。私が好むコロンボは、「どんなに頭のいい犯人でも、犯行は1回だけのアマチュアです。だがわれわれはそれで食っている捜査のプロだ。大変な修練を積んでいるんです」(「殺人処方箋」)という信念に基づいて、腑に落ちない点を徹底的に詰め、相手にネチネチと食い下がる(例えば「野望の果て」に見られるような)捜査を経て、隠していた爪を最後に突きつける姿です。
     ○”天才クラブ”のメンバーたちが、揃って「IQは高いが、世間的にはどこか欠けたところがある」という、ステレオタイプ的な印象を与えているのが残念です。中にはそうしたメンバーがいても構いませんが、皆が皆そういう感じで安易に描かれているように見えてしまいました。犯人の最後の告白は痛切とはいえ、これもいかにもパターン化した天才の描き方のように感じられます。
     ○何度か出てくるチャイコフスキーの序曲「ロミオとジュリエット」。確かに名曲で、曲の最後の部分がそのままドラマ本編のエンディングにBGMとして使われますが、その昔テレビで最初に放送された時、この締め方に「安っぽい!」と感じてしまいました。この印象はずっと変わりません。エンディングはオリジナル曲にしてほしかったなあ。
     もっというと、”通俗名曲”ともいえそうなこのチャイコフスキーの曲は、主人公の愛好曲としてはちょっと残念な選択だったと感じます。”ピタゴラスイッチ”的な複雑・緻密な仕掛けがトリックに使われていることもあり、個人的にはバッハのクラヴィーア曲で何か似合いそうな作品がありそうな気がするのですが・・・。
     それからこの作品については、宝島社の「完全捜査」本で編者が、「おそらくはシリーズの最終作として製作された」と、根拠を示すことなく書いています。しかし製作の舞台裏を書いた本”Shooting Columbo”によると、プロデューサーのリチャード・アラン・シモンズ(ピーター・フォークがシリーズに活を入れるために連れてきた旧友)が担当を引き受けた初めの段階から、「天才クラブのメンバー(→本作)、アガサ・クリスティ的な作家(→「死者のメッセージ」)、料理人(→「美食の報酬」)、心理学者(→「攻撃命令」)」という犯人の4作がすでに構想として設定されていたそうです。
     シモンズがシリーズの新プロデューサーとして最初に手がけた「殺しの序曲」は、第6シーズンの最終作として放送されましたが、上記の舞台裏本の記述が正しければ、少なくとも「シリーズ最終回」として本作が作られたわけではまったくないことになります。
     それから犯人を演じたセオドア・ビケルは(ネットで音を聞くと「バイケル」ではなく「ビケル」という感じでした)大変な才人だそうですが、個人的には今回の犯人にはちょっとそぐわない感じがします。上記”Shooting Columbo”によると、製作陣が最初に白羽の矢を立てたのはロバート・モーレイでしたがスケジュールが合わず、続いて打診したピーター・ユスティノフには断られ、ジェームズ・メイソンやレックス・ハリソンといった大物も検討した末にビケルに落ち着いたそうです。先に書いた作曲家のバッハは、ライプツィヒ市が音楽総監督を選ぶ際、他の意中の候補たちに次々と断られた末に選ばれた、という挿話を連想してしまいました。
     気になる点を中心にいろいろ書いてしまいましたが、私としても、シリーズで上位に位置するエピソードであるとは思っております。

    1.  全くの雑感です。
       そもそも論ですが、人はIQが高いだけの天才など尊敬なんかしませんよね。
      「将棋の天才」「数学の天才」「野球の天才」とか「〇〇の天才」でないと、IQが高いだけでは、普通は「ああそう」で終わります。
       むしろ組織の中などでは、「器用貧乏」で損な役回りばかりさせられるのが「ただ頭がいいだけの人」だったなあというのが私の経験上の「ステレオタイプ的な印象」でした。

    2.  さらに「ステレオタイプ的な印象」としては、本作でシグマ協会のモデルとなったメンサの、たとえば日本の会員である脳科学者〇〇氏についても、私は「テレビやyoutubeで一般人レベルのくだらないことばかり喋ってばかりいないで、本業の研究をしっかりやってノーベル賞でも貰ってみろ」という感想しかなく、彼に限らずメンサ会員とは所詮この程度かと、失望する場合のほうが多いです。

    3. >私が好むコロンボは、「どんなに頭のいい犯人でも、犯行は1回だけのアマチュアです。だがわれわれはそれで食っている捜査のプロだ。大変な修練を積んでいるんです」(「殺人処方箋」)という信念に基づいて、腑に落ちない点を徹底的に詰め、相手にネチネチと食い下がる(例えば「野望の果て」に見られるような)捜査を経て、隠していた爪を最後に突きつける姿です。
       tempus fugit様の、そのお言葉にはまったく同感でして、
       詰まるところ、エジソンが言うように、
      「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」に尽きると思います。
       コメントを分割させ、大変申し訳ありませんでした。

      1.  この作品、”天才の犯人とコロンボの知恵比べ”としては弱いし、”頭がいいことと賢いことは同じではない”というメッセージを潜ませているのか(冒頭とエンドクレジットに使われた曲 “Boo Hoo” の明るい曲調はそうした揶揄の意図もあるのか?)、でもそれはやっぱり考え過ぎか、と思えるなど、私にとってはどうにも中途半端な印象を抱いてしまう内容です。そのへんも気になって手放しに名作・傑作というのは躊躇してしまうのだと思っています。
         また、雷鳴が時おり響いてくる夜の屋内で繰り広げられるクライマックスは独特の雰囲気があるので、ここは音楽の使い方を含めて(やはりチャイコフスキーが・・・)もう少し味のある演出になっていたらよかったのに、と思います。
         それから、私の最初のコメントでは長くなるので書きませんでしたが、天才クラブの少女キャロラインがコロンボに頭脳でなく容姿についてほめられ、初めてのことだと喜ぶ場面も、まあ時代背景の違いはあるでしょうし、少女の無邪気さを表していると思えばいいだけかもしれませんが、一方的な見方に思えて仕方がありません。かくいう私自身、この場面は最初にテレビで観た数十年前の十代後半の時はもちろん、その後も長らく気に留めていなかったので、偉そうなことはまったく言えないのですが、今だったらこうしたセリフや場面はあるうるだろうか、とも考えてしまいます。

        1.  私も本作を傑作とは思っておりませんし、頭脳勝負ならチェス一点突破型の16話「断たれた音」のほうに拘りがあります。
           音楽担当がパトリック・ウィリアムズでないのも残念です。
           天才クラブとは所詮その程度だという妙なリアリティーは実在のメンサを見ていてあるかなと思いました。
           少女キャロラインがコロンボに頭脳でなく容姿についてほめられ喜ぶのは、もう時代としか言いようがありませんが、当時でも女性の脚本家だったら違う台詞を書いたでしょうね。
           

          1. tempus fugitさま
            YC-30さま

            キャロラインのこのシーンはあっても無くてもいいシーンかもしれませんが、「(どんなに優れた頭脳を持っていたとしても)女性としての魅力を認めてもらうことは悪い気持ちはしない。」というのは、大部分の女性に当てはまる心理だと思います。
            勿論、言われる相手にもよります。コロンボだから、こういった気障なセリフを言ってもイヤラシくならないんですよね。わたしは外国人の知り合いはいないのですが、欧米の男性は日常的にさらっとこういう賛辞を言うのかもしれないですね。

            例えば日本人の中年男性に置き換えると、知り合ったばかりの思春期の女の子にこんなこと言うなんて、まず無いですよね。
            もし言ったとしても「キモっ」とか、言われてしまったりして(笑)
            習慣の違いもあるのかなと思います。

            1.  まさこ 様
               少なくとも私の勤め先、また知人の話を聞いた範囲では、「女性に対しては容姿について触れないこと」というのがセクハラ対策となっている感があり、そうした(マニュアル化された?)リスク管理をしている組織が日本では多いのではないかと思います。
               何年も前のことですが、気のおけない少人数で飲み会をした際に”若い頃とは時代が変わった”という話題になり、セクハラ面が厳しくなっていることにも話が及んだ際、ある女性の参加者から、「容姿をほめられてうれしくない女性がいないはずないじゃない。また、ほめられるとしても、誰からどんな風に言われるかもすごく大切。そして女性だって、こうしたホンネを公の場でおおっぴらに言えるわけないじゃない」と諭されました。居合わせた男性陣、「うーんやっぱりそうなのか?」「女心を理解するのは難しいな」「俺たち、全然修行が足りないな」などと酔いながら申し合わせたものでした。
               コロンボはイタリア系とあって(演じるピーター・フォークはそうではありませんが)、このへんは日本人と違って得意なのかもしれませんね。とはいえ、ある海外のサイトでは、コロンボが瞑想する若い女性に密着する「さらば提督」でのいちシーンが、「シリーズのキモい場面集」に選ばれていたので、やはり「策謀の結末」のように、「ここまで、ここを過ぎず」が大切のようですね。
               あまり書くと問題発言と取られる恐れもありそうですので、このへんにしておきます(笑)。

              1. その飲み会の女性の参加者の方の発言、「容姿をほめられてうれしくない女性がいないはずないじゃない。また、ほめられるとしても、誰からどんな風に言われるかもすごく大切。」って、すごく端的に女性の気持ちを表していると思います。
                つまり言葉を受け取る側(女性)での解釈で、その発言がセクハラになるか否か決まってしまうんですよね。その女性との人間関係が良好でなければ、まず失敗するとみていいかも…
                いや〜実際難しいですね。さすがコロンボ!

                1.  私が驚いたのは、天才少女キャロラインを演じるキャロル・ジョーンズが、じつは当時既に20歳だったということです。
                   演じるキャロル・ジョーンズに、「若いね!」と声を掛けたら、それは誉め言葉になるのでしょうか?

                  1.  14歳の天才少女キャロラインを演じたキャロル・ジョーンズの経歴をよく確認しますと、Carol Jones was born on May 1, 1955 in Redwood City・・・とありまして、本作アメリカ発オンエアは1977年5月22日ですから、収録時21歳くらい。(怖い)ウェイトレス役で、ジャネット・リーの娘、ジェイミー・リー・カーティスさんより3歳年も年上ということになります。
                     我々現代人は「言葉狩り」しながら、私も含め、皆さん、あーだこーだ机上の空論の建前論でポリコレについて語りますが、結局のところ「見た目」で判断する本質は何にも変わっていないどころか、「イケメン」だの「美しすぎる」だの見出しが日々ネット上を飛び交い、心の深い部分では、余計に差別が酷くなっているというのが、私の確信的実感です。
                     中々マスクを外せませんね(笑)。

                    1. ジェイミー・リー・カーティス(Jamie Lee Curtis, 1958年11月22日 – )

                    2. そうだったんですね…てっきり16歳前後だと思っていました。
                      「若いね!」はセクハラにはならないと思いますが、若い女性に言ってもあまり喜ばれないかもしれない。
                      例えば、私も新人だった時分、会社の上司に「若いね」と言われたことがありました。そのときは本当に若かったので、「はぁ、そうだけど?」と心の中で思ったものです。
                      今言われたら、最高級のほめ言葉ですけどね(笑)

                      >我々現代人は「言葉狩り」しながら、私も含め、皆さん、あーだこーだ机上の空論の建前論でポリコレについて語りますが、結局のところ「見た目」で判断する本質は何にも変わっていないどころか、「イケメン」だの「美しすぎる」だの見出しが日々ネット上を飛び交い、心の深い部分では、余計に差別が酷くなっているというのが、私の確信的実感です。

                      同感です。美醜に限らず差別をめぐる環境は、ポリコレで表向き取り繕っても、あまり改善されていないように思います。
                      そしてネットがそのはけ口になっているのは、明らかですよね。

    4. tempus fugit 様の、
      >宝島社の「完全捜査」本で編者が、「おそらくはシリーズの最終作として製作された」と、根拠を示すことなく書いています。
      というご指摘についてですが、
      ① 40話「殺しの序曲」(1977年5月22日アメリカ初オンエア)から第7シーズン第1作の「死者のメッセージ」(1977年11月21日アメリカ初オンエア)まで、半年の空白期間があること。
      ② その1977年に、『刑事コロンボ』『刑事マクロード』等のシリーズを順に放映していた番組枠『NBCミステリィ・ムーヴィー』がついに打ち切りになったこと(NBCは『刑事コロンボ』のみをスペシャル番組として続映する方針を決定)。
      ③ 本作40話「殺しの序曲」「The Bye-Bye Sky High IQ Murder Case」(さらば天才)という原題、冒頭の会合シーンでの第1作「構想の死角」へのさりげない言及(奥に「メルヴィル夫人」の肖像画が掛かっている!)、さらにコロンボ警部のカットだけを重ねたカーテンコール風のエンドクレジット(その趣向はそのまま第7シーズンにも続けられることになったが)等の最終回らしい趣向。
      といった事実が同書から読み取れ、少なくとも本作で打ち切りになってもいい覚悟で制作された回だとは言えるのではないでしょうか?
       これも、あくまでも二次資料からの推測に過ぎないのですが・・・。

      1. 余談
         『刑事』と『警部』の誤記を訂正するついでに、そういえば、『刑事コロンボ』と同じNBCミステリー・ムービー『警部マクロード』シリーズ最終盤の一作「ロンドンの泥棒貴族」(1977年6月11日アメリカ初オンエア)のゲストが ジャック・キャシディ(1927年3月5日 – 1976年12月12日)で、あの回こそ彼の遺作といってもよかったのに(『刑事コロンボ』36話「魔術師の幻想」アメリカ初オンエアは、それよりずっと前の1976年2月29日)、今観る手段が無く私の記憶もどんどん薄らいで来ており、どんな方法でもいいから、もう一度観たくて堪らなくなっています。

      2.  YC-30様
         私の大もとのコメントに、一応「上記の舞台裏本の記述が正しければ」と書きましたし、この本(”Shooting Columbo”)を引用した他の作品のコメントでも、「引用されている記録や証言が本当に正しいかどうかはわからない」というような”お断り”をつけたものがあります。
         こう書くと言い訳がましいですが、文芸作品でいえば黒澤明の「羅城門」から、私自身にも身近なところでいえは、仕事でトラブルが起きた時の関係者同士の「言った・言わない」に至るまで、世の中には「何が本当か」は、黒澤の原作である芥川龍之介ふうに言えば「藪の中」であることが少なからずあると考えています。というわけで、私も引用した内容が「絶対正しい(他は間違っている)」と断言するつもりはありません。
         以上を書いた上で、同舞台裏本からさらに引用しますと、
        ・1976年、ピーター・フォークは旧友ながら「コロンボ」を評価していたなかったリチャード・アラン・シモンズを、あえてプロデューサーに迎え入れることでシリーズの活性化を図ることを決める。
        ・ちょうどこの頃、フォークは前妻との離婚をめぐって240万ドルの示談で手打ち。(著者はしれっと書いているだけですが、次に書くことと関係があると言わんばかり。)
        ・フォークは弁護士を介し、他のドラマシリーズとあわせた「ミステリー劇場」枠が打ち切られる後の1977-1978年のシーズンに、単独の形として「コロンボ」の作品4本を200万ドルで製作することをNBCに提案。
        ・NBCは表向きにはこれに同意しなかったが、4本に150万ドルかける価値ならあると考え、シーズンの最終作をシモンズに任せて手腕を見ることにした。
         「殺しの序曲」も、テレビ局側は「これがポシャったらシリーズ打ち切りも」という考えがあったかもしれないにせよ、フォークやシモンズなど製作側は、これを最終回にする考えはなかった、というように読めます。そもそもアメリカのドラマシリーズは、日本のように明確な「シリーズ最終回」という考え方が希薄だと言われていますし(そこではっきりした大団円が設けられた「新スター・トレック」は異色と言われたようです)。なお同書によれば、製作陣も「コロンボ最終回」を意識していたのは、やはりというべきか、「さらば提督」だそうです(パトリック・マクグーハンが監督した他のエピソード同様、これも最終的に当初の構想からかなり異なる作品になったようですが・・・)。
         以上はあくまで同書が書いてあるというだけですし、いくつかの記述には意味が取りにくいところがあり、私が英文を間違って解釈している恐れもありますが、この本では、同じシーズンでありながら「黄金のバックル」から半年以上経って放送された「殺しの序曲」とそれ以降の数作品を(シーズンで分けずに)ひとつの章として扱っており、少なくとも著者は、コロンボ製作史のうえでまとまった流れとしてとらえていることがうかがえます。
         「完全捜査」本は非常に良くできた本だと思いますが、その中で編者が想像として書いている部分には、”Shooting Columbo”の記述に基づけば今では否定されてしまう内容が他にもあります(後日取り上げようかと思います)。もちろんこれは「後出しジャンケン」的なことですし、くどいようですが、あくまで「この舞台裏本の記述が正しいとすれば」という、私自身は検証できない条件によるものです。
         それに、YC-30さんが書かれている「趣向」は、現場の製作担当者が「もしかしたら、テレビ局側がこれ以上シリーズを続けないかもしれない。これが最後の作品になるかもしれない」と考えて行った、という可能性もあると思います。アメリカのテレビ局およびスポンサーは、視聴率が取れずカネにならないと見るや、内容的に評価が高くコアなファンがいても平気で打ち切る、と言われていますから。
         今回も長文になってしまい、失礼しました。

        1. tempus fugit 様
           おっしゃる内容は重々承知いたしております。
           「刑事コロンボ」について、”Shooting Columbo”等の英語文献にあたられているtempus fugit 様は、私よりも何倍(いや、何十倍かもしれません)の情報をお持ちになっている事実は、申すまでもありません。物事は出来るだけ多角的に多くを知っておいたほうが良いのは、何事につけ同じです。
           それを踏まえた上で、今日のニュースでさえ、何が正しいのかさっぱり分からない疑問だらけで、新型コロナウイルスとは何者でワクチンについて専門家が語る内容は事実なのか?ですとか、政治と宗教について与野党問わず裏でどう関わっているのかとか、国際関係の本音と建て前ですとか・・・、まさしく何事も調べれば調べるほど「藪の中」ばかりであり、tempus fugit 様のコメントから多くの情報を知れば知るほど、真実が逃げ水のように遠ざかっていくような錯覚に陥ることがあり、そもそも「善」とは?「悪」とは?と悩むことも増え、しかしながら、それこそが健全な精神の在り方だと確信しております。
           「刑事コロンボ」については、とりあえずtempus fugit 様からの情報を真に受け、時間の経過と共に思考を熟成させ、徐々に自分なりの考え方が深まればよいというのが、現段階での私のスタンスです。
           コメント欄を通じ、心に多くの養分を与えていただいておりますtempus fugit 様には、只々感謝しかございません。

          1.  YC-30様
             以前どこかのコメントに書いたように思いますが、私が10代から20代にかけて「コロンボ」以上にはまっていた「宇宙大作戦(スター・トレック)」では、作品についてもっと知りたいという好奇心が膨れ上がる一方、知れば知るほど、たとえば製作裏舞台の必ずしも美しくない部分(出演者間の確執など)がわかってくるなど、作品そのものと直接関係ない情報・知識が増えていって、相反する要素にどう向き合ったらいいのか、とまどったこともありました。
             そうした期間がけっこう続きましたが、ある時ふっと、どちらもありのままに楽しめばいいのだ、と自分の中で折り合いがつくようになりました。少しは世間の実相を知ったためか、単にトシをとって丸くなっただけかもしれません。もともと、興味を持ったことについてはもっと知りたいと思う一方で、いろいろな意味で”こだわり”がないと自己分析している性格であることにもよるのでしょう。
             そんなわけで、”Shooting Columbo”に書かれていることを書き散らしていますが、それも「こんな新情報があった!」とか「これまで言われていたのと違うことが書かれていた!」という発見が純粋におもしろく、広く知ってもらいたいという思いからです。他の人が書いたことを否定する意図があるわけではまったくなく、そんな印象を与えたとしたらまったく私の未熟さによるものです。
             私は作品から受けた思いを書いたり分析したりするのが苦手なので、YC-30様が書かれているようなコメントをいつも感嘆して拝読し、うらやましく思っております。今後もよろしくお願いします。

        2.  私の「おっしゃる内容は重々承知いたしております。」とは、tempus fugit 様から教えていただいた今回の新たな番組の驚くべき内幕情報ではなく、tempus fugit 様の基本姿勢についてです。
           ” Shooting Columbo: The Lives and Deaths of TV’s Rumpled Detective”ですが、Amazonでも容易に入手可能ですね。発注したいと一瞬思いましたが、高価なのと、私の英語力では読解に相当苦戦しそうなので止めました。
           クラシック音楽が趣味である私は、昔から、
          『ショスタコーヴィチの証言』『帝王から音楽マフィアまで』『フルトヴェングラーかカラヤンか』などをはじめ、作曲家や演奏家についての多くのショッキングな爆弾本を読まされてきておりまして、内容の真偽について考えさせられることが習慣になっているのも自覚しております(笑)。
           また、往年の巨匠指揮者や演奏家たちの素行の悪さの噂にも慣れっこで、ピーター・フォークのエピソードなど、彼らに比べたら可愛いものだとの感が強いです。
           オケで楽器を弾く人は、CDを聴いても無意識に自分の楽器中心に聴きます。書く人の立場によって見解が相違するのも普通ですよね(笑)。

          1.  以下「コロンボ」から離れるので稿をあらためますと、私はフルトヴェングラーに心酔していた父親の影響でクラシック音楽を聞き始めましたが、こだわりがない性格のためか天邪鬼なためか、若い時のある時点から、作品なり演奏なりを、作曲家や演奏家の人格の投影とみなすような(当時よく見られた)受容態度に疑問を持つようになりました。ある時、渡辺裕の「聴衆の誕生」を読み、そこで展開された”巨匠の脱神格化”、”精神性の没落”、”軽やかな聴衆”、といった考察に触れて膝を打ったしだいです。
             そんなわけで、YC-30様があげられている”爆弾本”をいくつか読んだ時も、「おー、これはおもしろい!」と楽しみましたが、本来なら衝撃を感じるような感性がないといけないのかもしれませんね。なお私はモダン・ジャズも大好きなのですが、一部の天才ジャズミュージシャンの破天荒あるいは破滅的な人生に比べたら、クラシックの巨匠演奏家の素行の悪さも可愛いものだといえるかもしれません。
             「他所でやってくれ」的な内容になってきましたので、これくらいにしておきます(笑)。

            1.  特に1960年代以前は、ロックの人も凄まじかったですよね。
              ローリング・ストーンズの元ギタリスト兼リーダーだったブライアン・ジョーンズですとか・・・。
               今はすべてのエンタメで、クスリもタバコも派手な異性関係も世間から概ね否定されて品行方正さを求められているのが、逆に破天荒な個性を失わせているのは確かでしょう。
               「刑事コロンボ」旧シリーズには、そんな古き時代の残り香が、程よい隠し味になっていたとは言えそうですよね。

              1. この回に関して、頭が良いとは、子孫を残すことだ、みたいなことを書いてらっしゃる方がおられて、ちょっと悲しい気持ちになりました。
                もちろん個人の感想ですので批判するというのではないですが、私自身は、頭が良い=子孫を残すというのにはちょっと賛成しかねます。もしわたしが頭が悪く、意味を曲解しているとしたらごめんなさい。
                私自身、バツイチ子なしですがそれで自分が頭が悪いと思ったことは一度もありません。(こちらのブログで、わたしが気づかなかったことを書いてらっしゃる方に感服したり、じぶんがなにかを努力してもなかなかできなかったりするときに自分は頭が悪いと思うことはあります。)
                コロンボが、犯人に、{わたしも本をたくさん読んで努力すればものになるんじゃないかって。なりましたよ。}と語るシーンは、たしかにちょっと唐突には感じました。が、わたしもそうですが、自分をそんなに頭がよくなく不器用だ、でもかならず{ものにしてみせる}、と考えている人にとっては、この言葉は確かに励みになるのではないでしょうか。
                もしかしたら、努力してもダメかもしれない、それでもやってみよう、と決意した瞬間が、じぶんは天才ではないと自覚している人間にはあるはずで、わたしもこのコロンボの、ものになった、という意味が、決してアメリカンドリームなどではない、もっと地味なもの(おそらく)であるだけに、ちょっとぐっと胸に迫るものがありました。
                チャイコフスキーのロミオとジュリエットの使用は賛否両論あるようですが、わたしはこれでこの曲が好きになりました。
                犯人の間抜けさからすると、アイネクライネナハトムジークなんかもおもしろかったような気がします。
                YC-30様
                いまシベリウスを聴いてます!涼しいです(笑)
                チわたしにとって、チャイコフスキーは冬限定ではないのですがプロコフィエフとかなんだか少し怖くて…それで夏と昼限定にしております(笑)

                1. アイス様
                  >頭が良い=子孫を残すというのにはちょっと賛成しかねます。
                   当然じゃないですか!
                   そんなこと、クラヲタの立場から反論させてもらえば、ベートーヴェンもシューベルトもブラームスもブルックナーもチャイコフスキーもラヴェルもムソルグスキーもショパンも(リリ・ブーランジェも)・・・みんな頭が良くないという論法になりますよ(笑)。
                   それに、所詮IQなんて、人間を測る無数にある物差しのひとつに過ぎませんから、やっぱり努力あるのみですよ。
                  >いまシベリウスを聴いてます!涼しいです
                   あっ、いいですね! どの曲でしょうか?

                  1. YC-30様
                    >そんなこと、クラヲタの立場から反論させてもらえば、ベートーヴェンもシューベルトもブラームスもブルックナーもチャイコフスキーもラヴェルもムソルグスキーもショパンも(リリ・ブーランジェも)・・・みんな頭が良くないという論法になりますよ(笑)。
                    コメントありがとうございます。
                    確かに音楽家には子なしが多いですねー!
                    コロンボ夫人も、実はその姿を見たものはだれもおりませんね(笑)。(少し疑うことを覚えてきました。)
                    天才、と言えば、私が尊敬するピアニストのポゴレリチが弾いているイ難曲イスラメイがすごくて、あろうことか、YC-30様のおかげで勇気づけられたので挑戦してみることにしました(笑)

                    追伸だいぶまえに『音楽家の恋文』という本で、ブラームスとシューマン夫妻について興味深いことを読みました。YC-30様はご存じでしょうが、こんな話題もそのうちコロンボと絡めて、独りよがりにでも書いてみようと考えています。
                    シベリウスは、ピアノワークス、を、Youtubeで聴いていました。

                    1. アイス様
                       コロンボのカミさん話も、話半分で聞いておいて、真に受けないほうがいいかも知れないです。その点、シャーロック・ホームズははっきり独身と分かっているので、すっきりしますよね(笑)。
                       突然ですが、今、 竹内結子が日本を舞台に代えて、シャーロック・ホームズを演じた、HuluとHBOアジアの初の国際共同製作により、Huluにて2018年4月27日から6月15日まで毎週金曜日に配信されていた配信ドラマ(全8回)のDVDを借りて観るのがマイ・ブームでして、これは彼女の晩年の貴重な名作群のひとつであると確信しておりますし、実際とても楽しんでいます。もっと続編を観たかったです。
                       ブラームスとシューマン夫妻の話も、『刑事コロンボ』の国際情勢の話題じゃないですけど、超ビミョウですよね(笑)。深入りしたいような、したくないような・・・、でも、興味津々です(笑)。
                       ポゴレリチお好きなのですか! 趣味が同じで嬉しいです! 彼のCDもほとんど全部集めています。彼の演奏スタイルも、若い頃から比べ、特に、うんと年上の愛する奥さんを亡くされてから、随分変化しましたよね。もう6~7年前だったかの来日リサイタルで、リストのピアノ・ソナタを、物凄く遅いテンポで弾いた圧倒的名演に接し感動したことが、強い印象として残っています。
                       それにしても、イスラメイは超難曲ですよね!
                       どの曲でも良いので、ぜひ彼に見習って、新しいレパートリーに、どんどんチャレンジしてください! 
                       心から応援しております!!

                    2.  竹内結子が日本を舞台に代えて、シャーロック・ホームズを演じたドラマ名は、『ミス・シャーロック/Miss Sherlock』です。

  3. 笑える美容室のシーンで、当初の放送では「それでなくちゃ警察のイメージ狂っちゃうもんね」と言ってましたが同じ声優さんで「変わっちゃうもんね」になってましたね。クレーム対応が面倒なので変えたのでしょうが、やり過ぎではないでしょうか。
    もう一つ、音声で聞いていた頃からの疑問なのですが、大雨の夜にブラント邸を訪ねるシーンで「あらまあ、前まで車をお入れになればよろしかったのに」と言う奥さんに「今夜に限ってカミさんがコートに防水スプレーをたっぷりかけちゃったんで」と答えていますが、なぜそれが雨の中を歩いてくる理由になるのかなと思っていました。もちろんここは、わざと傘を間違える(?)ために傘をさして歩いてくる必要があったわけですが・・・。

    1. 同感ですねー、スプレーが乾くのを待てなかった、、という解釈なんですかね?
      ただ、最後の犯人の『やられた!』の顔は、コロンボを楽しむ真骨頂!
      原作小説の『カリブ海殺人事件』の犯人自爆シーンと重なるスッキリシーンで大好きです(^。^)

  4.  最終回を意識した本作で、コロンボはついに犯人のオリヴァーから天才格に祭り上げられ、そのために「コロンボという天才が間違ってはいけない」という思い込みで犯行方法を正確に自白してしまうのですが、「IQが高過ぎるとは、果たして幸せなことなのか?」と深く考えさせられます。人間、あまり賢くなり過ぎないほうが得策で、知らないほうが幸せなことって、山ほどあるんじゃないでしょうか? 日頃、「賢さ」よりも「鈍感力」のほうが生き抜く上で余程重要と痛感する局面は多いです。
     本作を鑑賞し想起するのは、何度も映画やテレビドラマにもなった、ダニエル・キイスの有名な名作小説『アルジャーノンに花束を』(Flowers for Algernon)」です。IQ68の精神薄弱者の主人公チャーリイが手術によって数か月でIQ185の知能を持つ天才になりますが、しかし、天才になって自尊心が高まり、次第に他人を見下し傲慢となり、世間の馬鹿で浅はかな部分ばかり見えてしまい、周囲と確執が生まれ強い孤独感に悩まされ苛まれていきます。ところが、ある日、アルジャーノンというネズミを使った実験結果から自分の知能がこれから急速に衰えていく運命にあることを知ります。・・・そんな切ない話に、本作「殺しの序曲」を超え、ピーター・フォークの晩年まで連想してしまい、人生の儚さに身につまされます。
     昨年9月に「ピジョン警部補」さんがコメントで情報提供されていた、ガイ・ロンバードのBoo Hooという歌ですが、エンディングのフルクレジットでも効果的に使用され、物語の最初と最後が円環になるように作られているのですが、DVDやBlu-rayでは確認出来ても、NHKーBS再放送は、そのエンディングを、やはりカット。これでは制作陣の意図を正確に伝える役目を果たしているとはいえません。

  5. 今年も、あまりにも全国的に暑過ぎますので納涼ネタを一席。
    「原題はIQ殺人事件?ああ、芭蕉とか古池やってヤツ?」
    「それは俳句(はいく)」
    凍り付いていただけましたか?

  6. 調べた所フランスのパリテロ事件の追悼式で爆竹を銃声と勘違いした例がありますがユーチューブで爆竹音の動画見ましたがマシンガンの連射した音と似ていますしたね

    1. 爆竹の音を銃声、本の落ちた音を人の倒れた音と勘違いするかということですが、一発目で「銃声?」、ドシン!で「誰か倒れた?」、二発目で「とどめ?」という状況は、音が今一つでも現場を確認しに行かせるには十分だと思います。
      先日の奈良での元首相の銃撃事件は、一発目で「なにか爆発?」と振り返ったけれど、鈍い音だったのでとっさに銃弾だと思わなかったのが、ニ発目の銃撃が命中する結果を呼んだんじゃないでしょうか? 爆発音を反射的に銃声と判断できるかどうかが生死に関わるわけですが、日本人SPのことを責め過ぎてはいけないような気がします。

  7. IQが異常に高いというだけでは凡人であるという演出だったと言ったら言い過ぎでしょうか?
    オリバーが、顔が煤で汚れているのに気付いて慌てて拭く場面とか、
    拳銃を捨ててハラハラしてる場面とか、とても間抜けに撮ってますよね(笑)
    感情をコントロールできないというのも凡人ですね。
    もともと株で失敗して横領して殺人に至ったという事がダメダメなんですが。
    結局オリバーは天才と呼ばれるような業績は残せなかったわけです。
    その理由は、コロンボのセリフにある「地道な努力」をしなかったからですね。
    エンディングでのオリバーのセリフを直訳すると、
    「警部、あなたは何か他の仕事に就こうかと思った事はないの?」
    とコロンボに訊いています。
    この期に及んでオリバーはまだ解ってないんですね。IQだけではだめだという事を。
    もちろんコロンボはよくわかっていますから、こう返答します。
    「あたしが?ない……全くない!今後もあり得ないね!」
    日本語訳はダジャレオチにしてしまいましたが、英語版とは印象がかなり違いますね。
    最終回的な素晴らしいセリフだったと思いました。

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