- ウェズリー・コーマン「ジャガー・XJ-S」
- アダム・エヴァンス「フォード・マスタング・コンバーチブル」
楽しむ意欲を持って見たくなる作品
歯科医ウェズリー・コーマン(ジェームズ・リード)が妻の愛人である俳優アダムを殺害し、自分の妻の犯行に見せるという話。犯行計画はかなり「きわどい」です。妻や愛人がすべて自分の思い通りに行動しないと成立しません。しかしこれは、新・刑事コロンボシリーズの中では私が好きな作品の一つ。刑事コロンボは旧作の45作のみだ、と断言してしまうと楽しめません。
古典的な作品との共通点
コメンテーターさんからの情報で、この作品の脚本は「旧シリーズのために書かれた」ものだということです。犯人の職業に特化した犯行。「転落回避」「報復」「金銭問題」などを一挙に解決できる殺人動機。「アダムが歯医者に通院」「転落した車のギアがニュートラル」「シャツのポケットに不倫相手夫妻の名入マッチ」「残っていた毒の濃度」「リディアの、2〜3分でもう‥発言」など面白い手がかりも満載。「緊急ボタンの解説」を競馬場のラウンジで、勝手に回線をつなぎかえ実演したことは驚きですが(笑)
ギャンブル好きが祟ってしまう
ただしストーリー全体を冷静に見直すと、犯人のウェズリーは今後この華麗なる家族と一緒にどうやって余生をすごそうと思っているのか?大疑問です。相変わらずのギャンブル好き、殺人犯人となった妻、自分に愛想を尽かした義父。馬鹿は死ななきゃ直らない…と言った感想です。犯人が「頭が良い」というコロンボ作品の理想からは外れました。
奥さまは魔女のダーリン!
ジョンソン先生はスティーヴン・ギルボーン
同じく鑑識のおじさん
なんで、バーニーズ・ビーナリーが駄目だったか?
原題「Uneasy Lies the Crown」
2021年に再度調べてみたところ「Uneasy lies the head that wears a crown」はシェイクスピア「ヘンリー四世」のセリフからの引用だと思えます。「冠をいただく頭は安んぜず」で、偉大なる者には心安まる時はないと訳せるそうです。アダムの治療シーンでウェズリーが「今すぐ処置すべきは右のクラウン(かぶせ歯の意味)」と言っていまして、殺人工作につながる原題だと思えます。(2021年4月15日)
邦題「華麗なる罠」
私は「それに対し邦題の『華麗なる罠』は最低レベルのアイデアです。」と酷評を書いていました。しかし日本語ではクラウンと歯科医の関連性が分かりづらい。ヘンリー四世のセリフも馴染みが薄いので。まったく別のアングルから考えられたのでしょう。
コーマンの豪邸とマルホランド
ウェズリーとリディア夫妻の住む海岸の豪邸は、コロンボ作品で犯人の居住地などで度々登場するマリブ地区です。それに対しアダムの事故現場「マルホランド(モルホーランド)」は、マリブの付近から東西に走る峠道で、バイクや自動車事故が良く起きる場所のようです。
監督:アラン・J・レヴィ
脚本:スティーブン・ボチコ
ウェズリー・コーマン:ジェームズ・リード(声:菅生隆之)
ホレス:ポール・バーク(声:大塚周夫)
リディア・コーマン:ジョー・アンダーソン(声:佐々木優子)
アダム・エヴァンス:マーシャル・R・ティーグ
ディック・サージェント:ディック・サージェント
ナンシー・ウォーカー:ナンシー・ウォーカー
ロン・セイ:ロン・セイ
鑑識:モーガン・ジョーンズ
検死医のジョージ・ジョンソン:スティーヴン・ギルボーン
加筆:2024年8月29日
本作「華麗なる罠」に関する2022年6月23日 の私のコメントで、一部誤記があり、前から気になっておりましたので、追加情報も含め、訂正・整理して、再投稿します。
1.「華麗なる罠」は、旧シリーズ第4シーズン用に書かれ、ピーター・フォークが難色を示したため没となったボチコが書いたシナリオ(1974年5月9日:初稿)がベースになっていて、日本では1979年に『謀殺のカルテ』として、そのボチコの脚本から小説化されたものが出版されている(後に『カリブ海殺人事件』に改題)。
2.今回の制作はボチコの預かり知らぬ形で行われ、「75分物」用だったシナリオを96分作品に引き伸ばしたのは、ストーリー監修のウッドフィールドであったらしい。全体的に間延びした印象を与えるのは、そのせいかもしれない。
3.ボチコ版の前には、もう1冊、もっとシンプルな内容で、登場人物の名前もまったく違う初稿シナリオが残っていて、その表紙には、かの『サイコ』の脚本家、ジョゼフ・ステファノの名前が記されている。
4.W・リンクは、質の高いシナリオを入手する困難さに気付いたフォークがこのシナリオを復活させたのだろう、と述べている。このボチコのオルジナル・シナリオは、『刑事コロンボ』と同じNBCミステリー・ムービー枠で放映された『署長マクミラン(原題:McMillan & Wife)』(第6シーズン 全40話)中の、最終回の直前の39話”Affair of the Heart”にも転用されている(当時同番組のプロデューサーは。「華麗なる罠」の制作総指揮ジョン・エプスタインであった)。※なお、”Affair of the Heart”は日本では未放映。米初オンエアは、1977年3月20日。
今回、『McMillan & Wife : Complete Collection』という、中古の輸入DVD[12枚組 英語・日本語字幕・吹替一切無し]を安価で入手、あわせて、『刑事コロンボ カリブ海殺人事件』 (野村光由訳 二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション 昭和63年6月25日初版)の古本をAmazonから¥525で購入しました。同じシナリオが出発点の3作品を比較して興味深かった点を、後日投稿したいと思っております(『署長マクミラン』のDVDは、私の英語リスニング能力では、相当厳しいのですが・・苦笑)。
※書きたいことが山ほどありますため、何回にも分けて投稿します。
(その1)
① ノベライズ『刑事コロンボ カリブ海殺人事件』 (野村光由訳 二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション 1988年6月25日初版、【『謀殺のカルテ』1979の改題版】)
② TVドラマ『刑事コロンボ』54話「華麗なる罠」(1990年4月28日 米初放映)
③ TVドラマ『署長マクミラン』39話”Affair of the Heart”(1977 年 3 月 20 日 米初放映)
ボチコの同じ脚本を源流とする上記三作品を比較鑑賞して、スケールが大きく、かつ人物描写も奥深く、圧倒的に面白かったのは、日本語訳の原文忠実度合は不明ですが、小説版の①です。
これを読むと、他版ではあいまいな、ジャマイカ・カリブ海での「過去の第1の殺人事件」が、いかに重要な伏線であったかを思い知らされます。描写も極めて美しく、映画『太陽がいっぱい』(1960)をも想起するような海と太陽と、どす黒い死が織りなす香りを、強烈にイメージさせられずにはいられません。
また、②③では存在感が薄いか描かれなかった、シャーウィン家の長男、デイビットの凄まじい人物描写は、作品の底なし沼のような深さに寄与しています。
①は、そのまま映画化が充分可能だと思います。
この、あまりにも高度に秀逸なノベライズと比較すると、特に②に対しては、誠に申し訳ないけれど、つい、薄っぺらで「気の抜けたビールのよう」だと形容したくなってしまいます。電話機のトリックや子供だましのような「化学実験」を使ったシーンが、いかに無駄で、冗長な逆効果にしかなっていないかも、痛感させられます。
コロンボの描写も天下一品(ジャマイカに事件捜査のため出張します)、部下で、まだ若きクレーマー刑事も活躍していますし、その他、(個人の感想ですが)全ての登場人物の描き方が最高で、コロンボ・ファンでこのノベライズ未読の方には、何としても一読していただきたいです。
なお、この本の著者にボチコの記載はなく、あくまでも、W・リンク/R・レビンソンとなっています。
(続く)
(その2)
③”Affair of the Heart”について
『署長マクミラン』の「署長」とは、原語では”Police Commissioner”で、これを説明すると長くなり、こちらの『刑事コロンボ』25話「権力の墓穴」の頁での他の方のコメントなども参考にしていただきたいのですが(私も学ばせていただきました)、意味としては「警察本部長」くらいのほうが、適切なのかもしれません。
日本語のWikipediaでは、『署長マクミラン(原題:McMillan & Wife)』の物語を、
「弁護士のスチュワート・マクミラン(ロック・ハドソン)は、異例の抜擢によりサンフランシスコ市警察の署長に就任。彼の妻サリー(スーザン・セント・ジェームズ)は、犯罪心理学者の娘で推理好き。二人を世話するのは、毒舌家の家政婦ミルドレッド(ナンシー・ウォーカー)だ。マクミランは、刑事のエンライト巡査部長(ジョン・シャック)を右腕とし、自ら犯罪事件に乗り出しては解決に導くという、コメディ・タッチのミステリー・シリーズである・・・」と上手く要約しています。
つまりは、『刑事コロンボ』のカミさんは、シリーズ中一回も画面に登場しないのに対し、『署長マクミラン』はシーズン5までは、カミさんが毎回登場して夫婦で活躍する話なのです。このあたり、同じNBCミステリー・ムービー枠の番組として、人気を競うライバル番組同士、お互いを意識しながら差別化、住み分けしていたことがうかがえます(コロンボの22話「第三の終章」では、新刊の小説をロック・ハドソン主演で映画化しようとする重要な話が出てきますが、きっと当時両番組のファンだった視聴者をニヤリとさせたことでしょう)。
ところが、この『McMillan & Wife』シリーズ、なんと、最終のシーズン6から、サリー役のスーザン・セント・ジェームズと、ミルドレッド役のナンシー・ウォーカーが突如降板。二人は、飛行機事故で死亡したことにされ、タイトルも “McMillan” と変更されたのです。
ここで、マクミラン1人を中心にした話となり、最後の最後になって『刑事コロンボ』の脚本が転用しやすい設定と環境になったと思われます(さらに、”Affair of the Heart”は、マクミランの名バディだった、エンライト巡査部長が登場しない唯一のエピソードで、この点もシリーズ中、異色です)。
そして、この回を監督したのは、名作『刑事コロンボ』20話「野望の果て」で犯人を演じた、あの、ジャッキー・クーパーなのです!
(続く)
(その3)
『署長マクミラン』は、基本、『刑事コロンボ』のような倒叙ミステリーではないので、歯科医ウェズリー・コーマンが殺人準備の細工をしているシーンは映像には出てきません。
電話に細工したり、小学生の「化学実験セット」を使って犯人に罠を仕掛けたり、洗剤の「ブルーイング効果」や、こういったエピソードは②のみで追加されており、③には無いです。このシンプルさは好きです。しかし、「過去の第1の殺人事件」が描かれないために、説得力を欠いてしまいました。
犯人がマクミランの歯も治療するところや、犯人とマクミランは最初から顔見知りで、マクミランは犯人のポーカー仲間として描かれているところも、コロンボの話とは大きく異なります。
犯人はマクミランの愛車、フォード・グラナダに爆弾を仕掛けて爆発させ、さらには、最後、殺人の罪を暴かれた後、往生際悪く、歯科医院に隠していた銃を手に取り、歯科の受付嬢(看護師?)を人質にして、マクミランを歯科医院から追い出し、無謀な追跡劇を繰り広げます。
にもかかわらず、この③『署長マクミラン』版は、②「華麗なる罠」の、本欄別な方のコメントにあるような、「罪悪感も演技で夫を舐め切った尻も頭も軽い浮気妻には同情出来なくして、ダメ犯人を少し応援したくなるという展開」にはまったく見えません。俳優と演出の違いにより、浮気妻は、全体的に生真面目な感じです。妻の浮気相手も、①②のような映画俳優ではなく、地元テレビニュースのキャスターという設定です。
自販機が故障してコーヒーが出ず、思いっ切りぶっ叩いたら今度は出過ぎるギャグは、②にもあり、③で設定を変えて再現しているところは面白いです。
歯科医院の部屋に受診したことがある俳優や有名人の写真がいっぱい貼ってあるところは、②③共通です。
『署長マクミラン』シーズン6では、マクミランに毎回違う恋人が登場して、彼はいい歳してプレイボーイぶりを発揮し、今回もそういうシーンがあるのですが、私には、そんな末期マクミランがカッコいいとは思えず、ここはノイズとしか感じませんでした。70年代後半特有の空気感は好きなのですが・・・。
③『署長マクミラン』”Affair of the Heart”は全体的に詰めが甘く、中途半端な感が否めず、期待外れで残念でしたが、多くの発見があり興味深く、観て大収獲で、本当によかったです!
(続く)
(その4)
②について、よく指摘される「ブレンダーと毒」の問題があります。
「ブレンダーと毒」の推理には大きな穴があって、コロンボは、「もしブレンダーに毒が入っていたのなら、被害者は2杯目は飲めなかったはずで、したがって毒は後から入れられた=夫人は犯人ではない」と鬼の首を取ったように話すけれど、被害者が1杯目を飲み干したときに、夫人がブレンダーを取りにいき、そこで毒を入れてから2杯目を注げば、その状況(夫人が犯人説)は成立する、というものです。この穴は、③でも同様だと思うのですが、飲み物がワインで、ワイン・ボトルでのノベライズ①は、日本語翻訳者が気を利かせたからかもしれませんが、コロンボの台詞が、
「あのワイン・ボトルが発見されたとき、なかのワインは半分くらいしか残っていなかった。ところが、解剖の結果、被害者は毒をあおった瞬間、即死に近い状況で死んだことがわかりました。もし、ワインに混入させた毒で死んだとしたら、被害者は最初の1杯もろくに飲み終わらないうちに死んだはずです。とても、ボトル半分は飲めない」(文庫本原文から意味は同じ程度に、少し変えてあります)といった表現になっていて、この「最初の1杯もろくに飲み終わらないうちに死んだはず」という言葉を入れることによって、この「穴」は解消していると思いました。ジギタリスの毒で本当にそうなるかは別問題ですが・・・。
※(その3)の訂正(時系列を訂正します)
〇 自販機が故障してコーヒーが出ず、思いっ切りぶっ叩いたら今度は出過ぎる②のギャグは③にもあり、②は③の設定を変えて再現しているところが面白いです。
(その5)
引き続き、②「華麗なる罠」について
ポーカー仲間の豪華キャストのうち、ナンシー・ウォーカーについては、皆さんのコメントを拝読しても、総じて日本では馴染みのない女優さんのようですが(私も同じでした)、『署長マクミラン』のシリーズに慣れ親しんだ視聴者であれば、「シーズン5まで毒舌家の家政婦ミルドレッド役で出演していたナンシー・ウォーカーね!」となり、しかも、「あの、『ロック・ハドソン・ショー』の」と劇中では語られているが、コロンボのほうが、局がNBCからABCに変わったため、『署長マクミラン』の名が使えないため、仕方なく架空の番組名になっただけであり、紛れもなく、「あの、『署長マクミラン』の」なのです。
今まで述べてきたように、『刑事コロンボ』54話「華麗なる罠」には、『署長マクミラン』シリーズや、同シリーズ中の”Affair of the Heart”を知っている人にしかわからない「暗号」が、かなりあります(くしゃみと風邪薬のカプセルから事件解決のヒントを得るエピソードなどもそう)。
それにしても、「華麗なる罠」は、「名作になり損ねた佳作」だと思います。
私の感想を10点満点で採点すれば、
① ノベライズ『刑事コロンボ カリブ海殺人事件』 9.7点
②『刑事コロンボ』「華麗なる罠」 5点
③『署長マクミラン』”Affair of the Heart” 6点
くらいです。
『カリブ海殺人事件』での、あんなに緊張感がありつつも生き生きとした人物描写や、優れたプロットや、奥行きと広大なスケール感などの魅力を知ってしまうと、「華麗なる罠」には、「なんでこうなった」と愚痴りたくもなります。
象徴的なのは、物語にの最後に大どんでん返し部分で、「華麗なる罠」が、小学生の「化学実験セット」を用いたコロンボによる(しょぼい)逆トリックなのに対し、『カリブ海殺人事件』では、「過去の、カリブ海での第1の殺人事件」そのものなのです。この差は大きいです。
いくら犯人の歯科医が化学が苦手でも、これほど緻密な殺人計画を実行できた者が、化学的に安定な陶磁器材のエナメルと有機化合物のジギタリスが反応して青くなるという安っぽい嘘にひっかかるとは、ちょっとリアリティに欠けるので考えにくいです。
犯人による電話の細工話にしても、過去の殺人事件の顛末をきちんと克明に描いていれば、妻リディアが警察や救急隊に電話するのをためらい、夫ウェズリーに真っ先に電話したのは自然な流れだと受け入れられるはずです。
本来、コロンボの「小学生用化学実験セット」も、犯人の「電話機への小細工」も、一切不要な話ですし、実際、ストーリーに極めて説得力がある『カリブ海殺人事件』は、そうなっているのです。
本作の時限爆弾的犯行は傑作15話「溶ける糸」を髣髴とさせるのですが、別にジャマイカの海まで行ってロケしなくても、やり方によって、それに勝るとも劣らない『刑事コロンボ』シリーズ中の大傑作になっていたことでしょうに、つくづく勿体ない限りです。
(続く)
(その6)
かなり主観的余談
結果的にシリーズとしては、『刑事コロンボ』の人気が『署長マクミラン』を大きく上回ったのですが、イタリア系の労働者階級の警官がキツイダミ声(特に原語)で上流階級の犯人をいたぶるコロンボよりも、「勝ち組」のマクミランやその奥さんの、コージー・ミステリ系大活躍のほうを好んだ、保守的な(特に上流階級中心の)視聴者も、相当な割合でいたと想像します。
『刑事コロンボ』のほうをより好む深層心理には、少し屈折したところがあると私自身も自覚していて、そこには、日本人ならではの、アメリカへのコンプレックスも加味されていたるかもしれないです。
モーツァルトの傑作歌劇「フィガロの結婚」は、封建貴族に仕える家臣で理髪師のフィガロの結婚式をめぐる事件を通じて、貴族を痛烈に批判しており、それが当時の貴族層には相当嫌われていたといわれていますが、『刑事コロンボ』も、少し共通するところがあるのではないでしょうか?
なお、体育会的志向が強い人には、冴えたアクションに魅せられる、『警部マクロード』が好まれそうです。
『刑事コロンボ』『署長マクミラン』『警部マクロード』の3人気シリーズは、NBCの目論見どおり、当初は上手い住み分けが出来ていたのではないでしょうか。
※(その4)の訂正
〇 象徴的なのは、物語最後の大どんでん返し部分で、
(その7)
余談2
③ TVドラマ『署長マクミラン』39話”Affair of the Heart”についての補足など
マクミランは歯科医の犯人と一緒のグループの、富裕層のポーカー仲間・・・、こういう設定はコロンボでは絶対にあり得ません。
NBCなんていうアメリカ三大ネットワークのひとつに就職している人々は、少なくとも昔は勝ち組中の勝ち組だったでしょうから、放送局の内部では、『刑事コロンボ』より『署長マクミラン』のほうが好きな人も多かったかもしれません。
ターゲット層が異なる、『刑事コロンボ』『署長マクミラン』『警部マクロード』の三本柱でバランスを取ろうとした局の姿勢は、ごく自然だと思います。『刑事コロンボ』だけだったら、一部の視聴者に、「偏向だ」と誤解を与える可能性を危惧する必要もありそうです。
若い頃の私だったら、『署長マクミラン』に触手が伸びることは絶対になかったでしょう。
しかし、今の私は、『署長マクミラン』『警部マクロード』を、再評価したい気持ちに大きく傾いています。
これから、おぼつかない私の英語リスニング能力で、まず、『署長マクミラン』シリーズのDVDを、最初から、ゆっくり、じっくり鑑賞しようと思っています。
『刑事コロンボ』シリーズと共通の、端役の俳優さんやロケ地を発見することだって、きっと楽しいことでしょう。
※(その6)の訂正
〇アメリカへのコンプレックスが加味されているかもしれないです。
(その8)
町田 暁雄 (編)『刑事コロンボ読本』 (映画秘宝セレクション 洋泉社
2018年12月26日初版) という本を読み、ノベライズ本『刑事コロンボ カリブ海殺人事件』に、私が、なぜ、これほどまでに魅せられたかの謎の大半が解けました。
まだご存知ない方のために、こちらに、その解答を書き込むことは、今回はあえてしません(どうしても知りたいかたは、私がこれ以上述べなくても、自ら積極的に動くでしょう)。
映画『アマデウス』の中に、サリエリが作曲した凡庸な行進曲を、モーツァルトが即興で編曲して歌劇『フィガロの結婚』中の、「もう飛ぶまいぞこの蝶々」のメロディを生み出す、とても印象的なシーンがありますが、まさしく、あれに似ていると思いました。
はじめまして。
コロンボ好きでこちらを拝見するようになりましたが、自分の楽しみ方は、一般的ではないのかな?と気になってきました。
例えば、ドラマの評価に、犯人含む登場人物のモラルや共感を求める方々が多い事に驚きました。
自分は、アメリカの上流階級の人々と日本の庶民の価値観が違っても、それは当然であり、むしろそうした違いを味わう事も楽しみの一つだと思っていたので。。
特に、犯人には、共感できなくて普通じゃないですか?旧シリーズの犯人への共感が多いけど、殆どがサイコパスですよ。どんな理由だろうと、普通は殺人しませんから。逮捕時に潔くとも、リアルに考えると裁判では逆転できそうなケースが殆どだし。
そもそも自分は、コロンボ自身もサイコパスかも?と半分疑いつつ楽しんでいます。
ファーストネームや家も秘密、「かみさん」の存在さえ確かではない設定なので。
どなたか、同じ考えるの方、いらっしゃいませんかね〜?
>どなたか、同じ考えの方、いらっしゃいませんかね〜?
基本的に同感です。
>そもそも自分は、コロンボ自身もサイコパスかも?と半分疑いつつ楽しんでいます。
そういう貴方も、れっきとしたサイコパスですよね。無論、私だって。
キリスト教でいうところの、これが「原罪」ってやつですかね。
人間誰しも、正常人とサイコパスの両方の側面を内包していて、社会や私生活や、仕事、家庭、趣味とか、その時々で性格を使い分けるため、明確な線引きなんて絶対に不可能ですよね。
仁科さま、こんにちは。ご無沙汰してます。
同感です。
人間は誰しも他人には見せていない面があると思います。コインの表と裏のように表裏一体であり、いつどういうことがきっかけで、裏の面が出てくるかは分かりません。大部分の人は理性でコントロールして、警察のお世話になることなく一生を過ごせるのでしょうけれど…
またサイコパスも初めからサイコパスとして生まれてくる訳では無く(生まれつきの病的な原因もあるにせよ)、様々な要因と偶然が絡み合って出来上がってくるのかなと思います。
現実の殺人事件は恐ろしいことなのに、それをドラマにして観て楽しむなんて考えてみると可笑しいですね。
刑事コロンボの犯人たちの中には愛すべきキャラクターに美化され過ぎているきらいもありますが、これはエンタメですから割り切って観るべきなのでしょうね。
まさこさま、こんにちは。ご無沙汰しています。
変化球コメントの真意を理解してくださり、ありがとうございます。
誤解を招かないように、どうしても追記しておきたいことがあります。
普段から、安易な言葉狩りの風潮には批判的な私ですが、反社会性パーソナリティ障害についてのきちんとした理解を踏まえずに、安易に他者に「サイコパス」という言葉を使うケースは、ごく近い将来、「配慮すべき表現」「差別用語」に分類される可能性が高いと思っています。
通りすがりの匿名の方に、唐突で通り魔的に、
「コロンボ自身もサイコパスかも?と半分疑いつつ楽しんでいます」といわれるのは、
「コロンボ自身もキチ○イかも?と半分疑いつつ楽しんでいます」と同様、コロンボ・ファンに対して、結構侮辱的に聞こえそうです。
ご存知のように、現在Blu-rayやNHK等で鑑賞可能な『刑事コロンボ』日本語吹替では、初放映当時は問題なかった差別用語を、銀河万丈さんの声などで巧妙に差し替えているのは事実です(最近、ある事情を知っている方に直接お聞きし、確証を得ました)。
同様に、藤子・F・不二雄 原作の『ドラえもん』でも、「狂う」やそれに類似した言葉は版を重ねる度に改訂されていて、その際は「おかしくなった」などの表記に変更されているそうです。
そういう共通認識が形成された社会の中では、安易に発せられる「サイコパス」という言葉にも、公共の場的なところでは、同じ扱いが求められるのではないでしょうか。
>現実の殺人事件は恐ろしいことなのに、それをドラマにして観て楽しむなんて考えてみると可笑しいですね。
シャーデンフロイデ(schadenfreude)という言葉がありますよね。「他人の不幸を喜ぶ」、詰まるところ、「人の不幸は蜜の味」ってことなんでしょう。
純粋にドラマとして楽しめばいいのでしょうけれど、自分の中に、そうしたもうひとりのシャーデンフロイデ的な人格がいるのを、私はどうしても否定することはできません(あまり考えないようにしていますが・・・笑)。
そうですね。ここ30年くらい?随分言葉に対する考え方が変わりましたよね。
個人的には「今日では差別的で不適切とされる語句や表現がありますが〜」とか但し書きがあれば良いのではないかと思いますが。
恥ずかしながら、シャーデンフロイデという言葉は今まで知りませんでしたが、
「人の不幸は蜜の味」と聞いて、すぐに理解しました。
そうですね!そういう側面はあると思います。プチストレス解消みたいな。
あと、オカルト映画やお化け屋敷のような、怖い気持ち悪いものを観るためにわざわざお金を払って見に行くのも、何か共通するものがありませんか?
キャーキャー叫んで、ストレス発散してるのかしら?(個人的にはオカルトやお化け屋敷は絶対無理なので理解出来ないですが)
もう一つの側面としては、よく、素人が探偵ごっこするんじゃない!とかドラマのセリフで聞きますが、私たち視聴者も小説やドラマの警察や探偵と一緒に捜査に参加している気分で、探偵ごっこをしてるのかもしれないですね。
>あと、オカルト映画やお化け屋敷のような、怖い気持ち悪いものを観るためにわざわざお金を払って見に行くのも、何か共通するものがありませんか?
>私たち視聴者も小説やドラマの警察や探偵と一緒に捜査に参加している気分で、探偵ごっこをしてるのかもしれないですね。
おっしゃるとおりだと思います。
ヒッチコック監督の映画『サイコ』と、『刑事コロンボ』32話「忘れられたスター」を、続けて観たくなりました。
この2作品だけでも、人間誰もが持つ複雑怪奇な相貌の多面体にも似た心のありようを、ジャネット・リーは極めて高度に美しく演じていましたよね。
深いです。
>ヒッチコック監督の映画『サイコ』と、『刑事コロンボ』32話「忘れられたスター」を、続けて観たくなりました。
この2作品だけでも、人間誰もが持つ複雑怪奇な相貌の多面体にも似た心のありようを、ジャネット・リーは極めて高度に美しく演じていましたよね。
深いです。
私も 数年前に32話「忘れられたスター」を鑑賞後、映画「サイコ」が観たくなって、「サイコ」1〜4まで続けて鑑賞しました。1が傑作なのは言うまでも無いですが、個人的には2も結構好きです。1、2共にジャネット・リーの妹役でコロンボ18話の「毒のある花」ヴェラ・マイルズも出てますしね。
複雑怪奇な相貌の多面体にも似た心のありようといえば、アンソニー・パーキンスのノーマンもそうですよね。コロンボにも犯人役として出演してほしかった俳優さんです。
ジャネットとはサイコの撮影後も友人としてとても仲が良かったようですよ。
あと差別用語の話に戻りますが、仁科さんにぜひ見ていただきたいドラマがあります。もうご覧になってるかしら?
俳優・阿部サダヲが主演を務める、TBS系金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(毎週金曜 後10:00)1986年から2024年へタイムトリップしたパワハラ教師が巻き起こす不適切な言動に、周囲の人々が翻弄されるというストーリーなのですが、いま地上波では聞けない数々の問題発言や、当時のファッションなど私たち昭和の時代を知る世代向けの演出ばかりです。やり過ぎ感もありますが、令和の風潮に一石を投じる内容だと思いました。
『サイコ2』懐かしいです。続編映画として、よく考えられ高水準に仕上がっていたと記憶しています。細部は憶えていませんが、たしか登場人物がみんなどこか狂っていて(代替の言葉が思い浮かびません)、ノーマンが相対的にむしろまともに見えたほどでした。アンソニー・パーキンスは、おっしゃるように、コロンボに出演しなかったのは残念ですね。犯人役でなくてもよかったのですが・・・。
>ジャネットとはサイコの撮影後も友人としてとても仲が良かったようですよ。
よい作品で共演すると、同窓会的交流も深まったりしそうですよね。
ヴェラ・マイルズについては、『サイコ』(1960)、『刑事コロンボ』18話「毒のある花」(1973)、『サイコ2』(1983)を、およそ10年ごとに変化した3部作として、続けて鑑賞するのも面白そうです。
TBS系金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』ですか!残念ながら完全に見逃していました。これ、宮藤官九郎の脚本なんですね! これから絶対に観ます!
1986年から現代にタイムスリップするのですね!
1986年のTBS系金曜ドラマといえば、何といっても『男女7人夏物語』です! 毎週、一生懸命に観ていました。バブル前夜というのか、そろそろバブルが始まっていたのかは微妙な時期でした。コロンボは旧シリーズ後、新作を、ずっとお休みしていたころですね。
その後の、ドラマ『男女7人秋物語』、映画『私をスキーに連れてって』・・・・ドラマ『東京ラブストーリー』等、一連のバブリーな作品群は、私の若い頃の原風景に重なります。
あのころの若者たちは、傷つけたり、気つけられたり、とにかく貪欲な恋狂いに憧れていました・・・。
映画『氷の微笑』(1992)を観に行ったのも強く印象に残っています・・・こぞの雪今いずこ・・・。
追加情報です。
コロンボ繋がりとして、『サイコ2』には、「忘れられたスター」のジャネット・リー、「毒のある花」のヴェラ・マイルズ、それから「魔術師の幻想」のロバート・ロジアも出演しています。
『サイコ2』の成功の理由のひとつとしてヴェラ・マイルズの存在が大きいと思います。ノーマンとライラの顔合わせが再び実現したのですから。
『不適切にもほどがある!』お時間があったら是非(笑)あまりにもお下劣なセリフの数々に仁科さんが呆気に取られてしまう懸念がありますが、昭和に青春時代を送った方なら楽しめる内容になっていると思います。
『男女7人夏物語』『男女7人秋物語』懐かしい!あと『ふぞろいの林檎たち』や『金曜日の妻たちへ』シリーズもよく観てました。
映画『私をスキーに連れてって』…スキーが爆発的に流行りましたよね〜運動神経無いのに、無理してスキーに行ったものです。
『東京ラブストーリー』…これを見ないと職場の昼休みの話題についていけませんでした。
映画『氷の微笑』(1992)…シャロン・ストーンが怖いくらい美しかった。
話は尽きないですが、お時間取らせて申し訳ないのでこの辺で失礼します。
ありがとうございましたm(_ _)m
こちらこそ、ご多忙のところ、貴重な情報の数々を教えてくださり、ありがとうございます。
『サイコ2』は世間から過小評価されていますよね。とはいえ、私も最後に観たのは20年くらい前で、記憶が曖昧な部分が多いため、この機会にもう一度観てみます。楽しみです(間違っていなければご指摘無用ですが、ジャネット・リーが出演しているのは、『サイコ』からの転用シーンだけですよね?)
クドカン脚本のTVドラマは2005年の『タイガー&ドラゴン』で嵌って以来、注目するようになりました。どう考えても、『不適切にもほどがある!』は無茶苦茶面白そうなので、絶対観ます。また、どこかの機会に『サイコ2』共々感想書きます。
今回、まさこさまと、往年のトレンディー・ドラマの原風景を共有できているのがよ~くわかり、じつに嬉しいです。
コロンボ:おはよう、指紋取った?卵いる?・・・寝不足なんだ・・・タバコある?・・・うちのカミさんがね、夜、日本の古いドラマ・・・何ていったけな、そう『男女7人夏物語』観ようって言いだしてさ・・・、あれ面白いねえ、観始めたらやめられなくなってね、気がついたら夜中の3時だ・・・参ったよ。1986年の日本の職場って、あんなに堂々と恋人や友人に私用電話できるものかねえ。まあ、あたしもカミさんや親戚に犯人宅から電話拝借することがないとは言えないが・・・署ではあれほどじゃあないねえ・・・カミさん今夜『不適切にもほどがある!』も観ろってさ?・・・仕事にならないよ・・・何?・・・鑑識あきれて帰っちゃたの?
改めて、ありがとうございましたm(_ _)m
※ 訂正 コロンボのセリフ「タバコある?」ではなく、当然、「マッチある?」ですよね。
訂正ついでに、話が脱線し過ぎて申し訳なかったこともあり、罪滅ぼしとして、本作54話「華麗なる罠」について、もう一度、新たにコメントしたくなりました。
長い『刑事コロンボ』シリーズの中で、「植物の毒」が重要だったエピソードは、上段コメントで話題のヴェラ・マイルズが犯人役だった18話「毒のある花」と、本作「華麗なる罠」の2作品だったように記憶しています。「毒のある花」では、ツタウルシの持つウルシオールが捜査の鍵を握る化学物質として大きな役割を果しましたが、このツタウルシという植物、調べると、花については、雌花、雄花ともに非常に地味で、私のような植物の素人には魅力が少なく、18話の邦題「毒のある花」に、およそ相応しくはなさそうです。
対して、「華麗なる罠」で重要となるジギタリスという有毒物質は、その名のとおり、ジギタリス【オオバコ科 / キツネノテブクロ属(ジギタリス属)】という草から採れるのですが、この植物、イングリッシュガーデンの定番として有名らしく、写真で見ると、白、ピンク、オレンジ、黄、紫、など多数の品種があり、ベル型の妖艶かつ可憐な花が非常に美しいです。葉、根、花など全草が有毒とのことで、これこそ、まさしく「毒のある花」です。
ジギタリスの花言葉が、「不誠実」「熱愛」というのもまた面白いです。
「不誠実」はギリシャ神話由来、「熱愛」はジギタリスの毒に、めまいや頭痛の症状があることが、恋の病に悩む人を連想させるところから来ているそうです。
本作、紆余曲折だった脚本完成の経緯もあり、今ひとつな出来な感もありますが、美しくも「毒のある花」ジギタリスに想いを馳せつつ鑑賞するのも、また一興かもしれないと思っています。
まさこ様へ追伸
『不適切にもほどがある!』2話まで観ました。 いや、想像以上面白さです。
今の過剰な規制社会の風刺が上手くて、さすがクドカンですねえ。
最近読んだ、直近の芥川賞受賞の小説、『東京都同情塔』(九段理江著/新潮社)と対にして味わい、一段と考えさせられました。
『不適切にもほどがある!』は1986年という過去の東京、『東京都同情塔』は近未来(2026~2030年ごろの)並行世界の東京を効果的に用い、現在の不可思議な世相を絶妙に逆照射していると感じています。
仁科さま
『不適切にもほどがある!』
そう言って頂き、とても嬉しいです。
時代設定が昭和であれば、今では問題視されるような内容でも表現出来るって、上手く考えましたよね〜
また、現代で一般的に正しいとされる論理、例えば頑張ってと言っちゃいけないとか、失敗しても叱らないとか、まるで腫れ物に触るような態度ばかりでいいんだろうかとか、あらためて考えさせられる事が多かったです。これからの展開が楽しみです。
クドカンのドラマ、初めて観たのですが面白いですね!アマゾンプライムで、『タイガー&ドラゴン』見つけたので、これから少しずつ視聴したいと思います。小説『東京都同情塔』も機会をみつけて、ぜひ読んでみたいと思います。
あと『サイコ2』、ジャネット・リーは『サイコ』の映像がチラッと出るだけです。ご指摘のとおり出演はしてません。訂正いたします。
『サイコ2』(1983)を、昨夜、何十年ぶりかで観ました。
まさ子様、ありがとうございました。
とても悲しいお話でしたが、ほとんど忘れている部分が多かったので、ヒッチコックの作風を監督他制作サイドが丹念に研究した跡がよくうかがえ、こんなに面白かったのかと改めて驚きました。
しかし、ポリコレ全盛の今日では、そのままの設定ではリメイク映画は不可能そうです。自主規制が行き過ぎ、言葉狩りばかりで本音を語れない今の創作現場ってどうなのよ?と、ここでもまた疑問に思ってしまいました。
若いヒロインを演じた、私が好きなタイプのメグ・ティリーは、調べると、1960年2月14日のバレンタインデーが誕生日なので、64歳になったばかり・・・マジすか!、本編に匹敵するほどではないけれど、自分のことを棚に上げて、だいぶショックでした(笑)。
仁科さま
『サイコ2』(1983)いいですよね~
前作『サイコ』がノーマンの異常性を強調しているのに対し、『サイコ2』は、釈放された後、彼が社会復帰に向けて努力する姿なとが描かれていて、共感を誘う展開になっていますよね。
>しかし、ポリコレ全盛の今日では、そのままの設定ではリメイク映画は不可能そうです。自主規制が行き過ぎ、言葉狩りばかりで本音を語れない今の創作現場ってどうなのよ?と、ここでもまた疑問に思ってしまいました。
同感です。
過去の作品を知る年代の私たちにとっては、近年の当たらず触らずの表現方法は何か物足りなく感じてしまいますね。
>若いヒロインを演じた、私が好きなタイプのメグ・ティリーは、
そうなんですか!
伝えられるところによると、テレビを観ることを制限する家庭に育った彼女は前作『サイコ』を観ていなかったため、アンソニー・パーキンスが高く評価されていることを知らず、何故彼がそれほど注目されるのか分からないといった発言をして、それがパーキンスの怒りをかってしまい、その後彼は彼女と口をきかなくなってしまったそうです。そして撮影が半分近く終わっているにも関わらず、パーキンスは彼女をキャストから外すことを要求したとか。
前作を観ないで、よくこの役を引き受けたなと怒り心頭だったのでしょうね。
でも、メグは昔のことをよく知らない若い娘役だったので、知らないことがかえって功を奏したというか、自然な演技で良かったんじゃないかな、と個人的には感じます。
まさこ様
メグ・ティリーについて『サイコ2』撮影当時のエピソードを興味深く拝読しました。
スポーツや音楽の世界で、よく怖いもの知らずの若者が大活躍したりしますが、タイミング的に、先日お亡くなりになった指揮者の小澤征爾さんの若い頃の逸話を連想しました。彼は日本的な忖度をいっさいしない性格だったので、当時の日本を代表する指揮者やN響などから「礼儀も知らないクソ生意気な若造だ」などと散々悪口をいわれ虐められていていたことが、昔よく話題になっていたようです(忖度しない性格という点はコロンボも共通していますね・・・笑)。
また、ドラマ『不適切にもほどがある!』の話ですが、先日2月23日の回で、不覚にも私は、切なくて泣いてしまいました。クドカンは『あまちゃん』の脚本でも東日本大震災の話題から逃げず真っ向勝負して素晴らしかったですが、今回も流石だと思いました。ますます目が離せないドラマですね。毎回ミュージカル仕立ての後半も楽しくて最高です。
>先日お亡くなりになった指揮者の小澤征爾さんの若い頃の逸話を連想しました。彼は日本的な忖度をいっさいしない性格だったので、当時の日本を代表する指揮者やN響などから「礼儀も知らないクソ生意気な若造だ」などと散々悪口をいわれ虐められていていたことが、昔よく話題になっていたようです(忖度しない性格という点はコロンボも共通していますね・・・笑)。
出る杭は打たれる的な、残念なエピソードですね。悪口を言っていた日本の音楽家たちは生意気だけれども才能のある小澤氏に対して、どこか嫉妬にも似た気持ちを持っていたのではないでしょうか?東洋人がクラシック音楽の本場ヨーロッパで勝負するのは、並大抵のことでは無かった時代(今でもそうかもしれませんが)、日本での冷遇があったから、海外で踏ん張れたという側面もあったのでしょうね。
>また、ドラマ『不適切にもほどがある!』の話ですが、先日2月23日の回で、不覚にも私は、切なくて泣いてしまいました。クドカンは『あまちゃん』の脚本でも東日本大震災の話題から逃げず真っ向勝負して素晴らしかったですが、今回も流石だと思いました。ますます目が離せないドラマですね。毎回ミュージカル仕立ての後半も楽しくて最高です。
そうなんですよ、まさかの展開で悲しすぎます…そして純子の夫が錦戸亮(若い頃)→古田新太(今)の変遷が違和感あり過ぎでそれも失笑を誘いました。
「タイガー&ドラゴン」も、ちょっと拝見しましたが、きっと落語について造形が深い方なんですね。日本人ならではの着眼点、問題意識が散りばめられていて素晴らしいです。ほんとクドカン最高!やはりドラマは脚本大事ですね。
そして、昭和の時代に生まれた「刑事コロンボ」、令和の今、コロンボのようなキャラはボツになってしまいそうです。
追伸
コロンボのキャラかボツになるというのは、葉巻をどこでも吸う等あくまでも素行に関してです。
ただこれを無くしてしまうと、もはやコロンボではなくなってしまう可能性はありますが…
『不適切にもほどがある!』的に考えれば、松田聖子の大ヒット曲『赤いスイートピー』(1982)も、今の若い世代からは「不適切」の烙印を押されそうですよね(笑)。
古色のプジョーに乗って海に連れて行ってよ
煙草の匂いのコートにそっと寄りそうから・・・
あたしゃ、いいと思いますけどねえ(笑)。
急に思い出したのですが、
そういえば、ロバート・ダウニー・Jrが演じた『シャーロック・ホームズ』(2009)は、これでもかというほどの、今まで見たことがないくらいパイプスモーカーでした。
聖子ちゃんの赤いスイートピー、懐かしい〜でも煙草の匂いのシャ〜ツに…寄り添いたくないかな(笑)
そう、ホームズはパイプを欠かせませんし、ワトソンに止めるように言われながらコカインなどの薬物も使用してます。今の常識からは考えられない設定です。
そう考えると、人間半世紀以上生きていると世間の価値観が変わってくるのも当然かもしれませんね。
たった数十年で、これほどまでに人々の常識やものの考え方が変質していく事実には吃驚するばかりです。
タバコから言葉狩りの話題に戻ります。
『刑事コロンボ』の日本語吹替版の放送で、日本の名作映画放映時のように、冒頭で、
「このドラマには
一部配慮すべき表現・用語が含まれていますが
作品のオリジナリティーを尊重し
そのままで放送します」
などいう言い訳が出て来ないのは、本欄の上段でもコメントしましたが、今日では「不適切にもほどがある」吹替原典版のセリフを、より穏当な言葉に差し替えているからに他ならないのですが、これば、20年ほど前、アメリカのポスター会社が、ザ・ビートルズのアルバム『Abbey Road』のジャケットを勝手に修正して、Paul McCartneyが手に持っているタバコを消したのと、やっていることは同種の罪だと思うんですね。
消された小池さんたちのセリフを、どうやっても私たち視聴者は確認することは不可能です(Blu-rayも同じ)。ヘタをすると、その部分のテープは廃棄されている可能性もなくはないらしいです。こうなると、もはや貴重な文化財への冒涜ですよね。だったら、いっそのこと、不都合な葉巻もCGで消したらどうでしょう(笑)。そして、だれがこんなに重要な方針の是非を決定したのでしょう。私たちコロンボ・ファンには、日本語吹替のオリジナルがどうなっていたのかについて知る権利があります。
ムーミンパパやスナフキンやホームズが愛用したパイプタバコ同様、コロンボの葉巻も、そして今日では不適切な用語も、決して無かったことにはできませんよね。
視聴者が考える以上に、過去の番組とか吹き替えなどが廃棄されたり、紛失していることがあるのかもしれないですね。Blu-rayの解説本によると1話「殺人処方箋」の吹き替えの旧版の音源も行方不明になってるそうですし。
時の経過とともに吹き替えをやり直すことはよくありますが、額田やえ子さん脚本、小池朝雄さんコロンボは独特の味わいがあり評価が高いですから、あまり手を加えて欲しく無かったです。
知らぬ間にスルッと変えられてしまうと、誰にも分からないですから。
あとNHKと言えば、NHKBSの改編でチャンネルが1つに統合されましたよね。賛否あると思いますが、個人的には(水)(土)にあった海外ドラマの枠が4Kへ移行したり、プレミアムシネマの枠が減ってしまったのがすごく残念です。
それで以前4Kでやっていた「大草原の小さな家」がなぜ普通のBSで放送してくれないのかな…と思って調べてみたら、2018年のBBCjapanのサイトにこんな記述が出てました。
『米国図書館協会の児童サービス部会(ALSC)は25日、児童書でテレビドラマ化もされた「大草原の小さな家」シリーズの作者、ローラ・インガルス・ワイルダーの名前を児童文学賞の名称から外すと発表した。ALSCは「作品の中に反先住民、反黒人の感情が含まれている」ことを理由に挙げた。』
「大草原の小さな家」にも、コンプライアンスの影響は及んでいたか…と驚きました。
>視聴者が考える以上に、過去の番組とか吹き替えなどが廃棄されたり、紛失していることがあるのかもしれない
まったく同感です。
『刑事コロンボ』でいえば、1話「殺人処方箋」の他に、45話「策謀の結末」の<小池朝雄版>も、相当長い間紛失したままで「幻化」していました。
それと、額田やえ子さん脚本、小池朝雄さんコロンボを改ざんするのは、愚策ですよね。現在では不都合なセリフ部分のみの差し替えでは、言葉の移ろいもあって、これからも中途半端になっていくばかりです。看護婦を看護師に差し替えるとか、これからも微修正を加えていくつもりなのでしょうかね。
NHKBSの改編のご感想についても同感です。
『大草原の小さな家』を普通のBSでやらなくなったのには、そんな理由があったのですね。知りませんでした。
ディズニーの自主規制も、主に、人種差別的なもの、性的なもの、タバコの3つに分けられるようですが、新作は無論のこと、過去作についても、こうしたシーンはカットされたり、CG加工で消されまくっているらしいですね。
過去を知る権利がどんどん失われていくこと自体が、深刻な問題ですよね。
>『大草原の小さな家』を普通のBSでやらなくなったのには、そんな理由があったのですね。知りませんでした。
→ごめんなさい、ワイルダーの名前を児童文学賞の名称から外されたことが、BSで放送しない直接の理由なのかは分かりません。
ただ原作だけでなく、あのドラマも人種差別をテーマを扱ったエピソードがたくさんあるので影響は免れないかなぁと。私が観た限りでは、そういった問題に対してすごく配慮して心温まるストーリーになっていたと思うんですけどね。
丁寧な補足説明、ありがとうございます。
いずれにせよ、『大草原の小さな家』が厳しい状況にさらされている事実に変わりないですよね。
2020年ごろ、映画『風と共に去りぬ』の人種差別が改めて問題視され、アメリカの一部の動画配信サービスで配信停止になったことがありましたが、後に、この問題についての解説動画を本編開始前に付けた上で、配信を再開しました。こうした対応は素晴らしいと思います。
私は、『刑事コロンボ』の、33話「ハッサン・サラーの反逆」や35話「闘牛士の栄光」の差別表現には今でも批判的なのですが、だからといって、今後の放映や配信で、欠番にして無かったことにしてしまうような対応があれば、許しません。
このような作品を通して、皆で異なった感想を、こちらのコメント欄で語りあったことこそが、得難い貴重な経験であったと確信しています。
『不適切にもほどがある!』は相変わらず面白いのですが、第7話「回収しなきゃダメですか?」を観て、個人的に気になったこと。
「伏線回収」という言葉は、いったい、いつごろから日常的に使われるようになったのでしょう。
少なくとも30年くらい前には、『刑事コロンボ』1話「殺人処方箋」で譬えれば、
< フレミングの「人は固定観念によって物を見る。連想の基本さ」という台詞による伏線が、ラストで回収される>・・・
こうした言い方は一般的ではなかった気がします。
仁科さま
そうですね、「伏線」という手法は昔から使われていて国語辞典にも載っていますが、それを「回収する」という表現を耳にするようになったのは、最近だと思います。
『不適切にもほどがある!』第7話では、視聴率やSNSなどの視聴者の反応を気にするあまり、伏線回収ばかり気を配る脚本家(エモケン)をユーモラスに描いていましたね。
エモケンを通して、クドカン(宮藤官九郎)は、小手先の策に走る今どきの連続ドラマ制作の風潮に、本当に大事なのはそこじゃないでしょ…と疑問を投げかけたのでしょうね。
このドラマはドタバタコメディに終わらず、今の風潮を鋭く批判するメッセージが毎回込められていて面白いです。どういう形で終わるのか、ますます目が離せません(笑)
まさこ様
>小手先の策に走る今どきの連続ドラマ制作の風潮に、本当に大事なのはそこじゃないでしょ…と疑問を投げかけたのでしょうね。
>このドラマはドタバタコメディに終わらず、今の風潮を鋭く批判するメッセージが毎回込められていて面白いです。どういう形で終わるのか、ますます目が離せません(笑)
同感です。『ふてほど』と呼ばれたり、もはや社会現象といっていいくらい話題のドラマになりましたね。こんなに語り合って、楽しくて、かつ有意義な日本のドラマは稀ですね。実際、このドラマに刺激され、私もコロンボの1話~69話の間に横たわる、アメリカ社会の価値観の変化・変遷について再認識させられたりもしていますし、教えてくださったことに、改めて心から感謝しております。
こちらこそ、仁科さんのどんな話題にも対応されている豊富な知識には驚かされ、様々な分野に渡るご意見には学ぶことが多く、楽しみに拝見させて頂いてます。また時々お話相手になっていただけたら幸いです。
また本当に今更ですが、「華麗なる罠」には全く関係の無い話題ばかりに終始してしまったこと申し訳なく、ぼろんこさんを始め、皆さんにお詫びいたします。
ドラマ『不適切にもほどがある!』は「寛容が大切」と最後に訴えていましたね。
最近、瀬戸内寂聴訳の『源氏物語』(講談社文庫 全10巻)を一生懸命読んでいる途中なのですが、ちょっと笑ってしまったのは、10巻の各文庫本巻末すべてに、「本書には、今日においては不適切とされる表現が一部にありますが、作品が執筆された時代に鑑み、原典に則った訳文といたしました。」と断り書きがあること。
「おいおい、千年以上前の古典文学の最高傑作のひとつに『不適切』って上から目線で言うなんて、現代人はそんなに偉いのかね」と、思わずツッコミ入れたくなりました。
シェイクスピアだって夏目漱石だって、今の価値観で読めば不適切表現だらけであっても、あえて修正せず、本を出版し続けたり電子書籍化したりしているわけで、『刑事コロンボ』シリーズだって、日本語吹替収録当時の不適切な用語を差し替える必要など、まったく必要ないよなと、ますます確信した次第です。
仁科さん、こんにちは。
ドラマ「不適切にもほどがある」最後まで面白かったですね。
見終わって感じたことは、何事も行き過ぎは良くないということです。昭和の時代は、おおらかだったというと聞こえはいいですが、今よりもずっと男性優位の世の中で、それに甘んじることなく頑張ろうとしていた女性には厳しい時代だったと思います。
昨今は、と言うとコンプラに翻弄されて当たり障りの無い表現の羅列を見る一方、SMSでの何でもありの表現の自由?と、そのギャップに驚かされます。
表現の世界、エンタメなど、これからどのような変化が見られるのでしょうね?
コロンボのような、アクの強いキャラクターはもう出てこないのかな?と思うと、ちょっと寂しいですね。
まさこ様、こんばんは。
>昭和の時代は、おおらかだったというと聞こえはいいですが、今よりもずっと男性優位の世の中で、それに甘んじることなく頑張ろうとしていた女性には厳しい時代だったと思います。
おっしゃるとおりですよね。「思い出補正」により、昭和をより美しく錯覚しているだけであり、あの時代に戻るかと問われれば、馬車馬のように働かされたり、人間関係はハラスメントだらけで、衛生環境だって良くなかった昭和には、私も絶対に戻りたくないです。
>昨今は、と言うとコンプラに翻弄されて当たり障りの無い表現の羅列を見る一方、SMSでの何でもありの表現の自由?と、そのギャップに驚かされます。
SNSについては、匿名投稿の功罪に言及せざるを得ませんね。匿名投稿には自由な表現を促進し、多様な意見を共有するという功績がある一方で、悪意ある行動や責任の回避といった問題を生じる可能性も大いにありますよね。
>コロンボのような、アクの強いキャラクターはもう出てこないのかな?と思うと、ちょっと寂しいですね。
スーパーで売っているような形が整ったまっすぐなキュウリだけでなく、本当は天然の曲がったキュウリののほうが魅力的ですよね。ニンジンは私の子供時代のほうが苦くて不味かったけれど、栄養価は今よりも総じて高かったし・・・そんなことを、そこはかとなく連想しました。
罪悪感も演技で夫を舐め切った尻も頭も軽い浮気妻には同情出来なくして、
ダメ犯人を少し応援したくなるという展開
先月の芥川賞受賞作品、『東京都同情塔』(九段理江著)に強く影響され、私も主人公に倣い、半信半疑ながら、少し「AIーbuilt」と会話してみたくなりました。
私:『刑事コロンボ』に登場する犯罪者は、加害者である前に被害者ですか?
AIーbuilt:『刑事コロンボ』に登場する犯罪者は、物語の中でしばしば自らの行動や選択によって他人に害を与える加害者として描かれます。彼らは自らの利益や欲望のために犯罪を犯すことがあり、その行動が被害者に影響を及ぼすことがあります。
ただし、一部の犯罪者が物語の中で過去のトラウマや困難な状況に苦しんでおり、その背景を描かれることもあります。そのような場合、彼らは犯罪を犯す前に被害者として描かれることもあります。例えば、過去の虐待や、不正義(配偶者であれば不貞行為などを含め)に対する反応として犯罪を犯す場合などがあります。
『刑事コロンボ』の物語では、犯罪者と被害者の立場がしばしば入れ替わり、複雑な人間関係や背景が物語の展開に影響を与えることがあります。それによって、犯罪者と被害者の間には明確な境界が存在せず、登場人物の深い人間性が描かれます。
続き
私:へえ、たかが生成AIのくせに、わかったようなこと言うじゃん。
AIーbuilt:ありがとうございます。私はミステリーやサスペンスについても数多く学習していますので、できる限り正確な情報を提供するよう努めています。他にも質問やお困りのことがあれば、遠慮なくお知らせください。お手伝いできることがありましたら、喜んでサポートいたします。■
私:ホントかねえ。なんだか信用できないなあ。(会話 終)
※「AIーbuilt」とは、『東京都同情塔』に登場する、架空の生成AIです。
本日、AXNミステリーで見て、気づきました。
後半に歯医者で「パンツもシャツもハンカチも青くなった」とコロンボが言っていますが、前半にプールハウスでグラスやブレンダーを触る時に使ったハンカチに、確かに青いシミがありました。
はじめまして。コロンボの音楽がとても好きで、以前から記事を拝見しておりました。
この「華麗なる罠」のラスト(漂白剤?の色落ちないの?)音楽が特に好きなのですが、何か情報はありますでしょうか。
このエピソードの音楽担当は James Di Pasqualeです。 YouTubeに Columbo TV Series Music-End Titles として最後の方に紹介されています。各エピソードの挿入音楽だけを聴くのもいいですね。BGMでしたら同じ方が Columbo TV Series-Background Music もあげています。
70年代ラバーさま、ありがとうございます。やっと手がかりが見つかり、とても嬉しいです。
ANXのミステリーチャンネルで先生の作品、拝見ました。
劇中、ポーカー仲間のところに聴き込みに行ったところ、仲間の一人がジャックニコルソンの真似ていました。バットマンのジョーカー役をねぇ。アタシ、気になって作品の前後関係を調べてみたんです。
すると、先生の華麗なる罠が90年の作品で、バットマンが89年だったんですね。アタシャ、驚きました。先生の作品は、もっと、ずーっと昔だと思ってたんです。ほら、出てくる車も、女性のアタマも、レトロな雰囲気でございましょ?
アタシ関心しましてねぇ、さらに踏み込んで、カミさんとよく観たダイハードもチェックしてみました。そしたらなんと、こちらは88年の作品だ!たまげましたよ。
『華麗なる罠』のロスが、ダイハードのロスの2年後に撮られたものだなんて。とてもダイハードのロスより新しいロスには見えませんん。
そこでアタシ気がついたんです。特殊効果をふんだんに使ったハリウッド映画は、テレビドラマよりも若く見られるんだ、ってね。
元ロサンゼルス・ドジャースのロン・セイが本人役で登場したことにも言及しないと。
近日、言及します!
大好きな『奥様は魔女』のダーリンが!!しかもダーリン役の俳優さん役で!この話は DICK SARGENT が登場しているというだけで何杯もおかわりできるくらい好きです。(むしろそこだけなのか?笑)個人的には初代ダーリンの DICK YORK さんの方が癖がなくて好みですが、2代目の方がダーリンのキャラクターとしては合ってたように思います。
義父役の声優は大塚周夫さん。私にとっての大塚さんと言えば何と言ってもあの”ネズミ男”のちょっとつぶれて鼻にかかった嫌らしい話し方という印象が強いのですが、こんな知的で渋い役もやられるのですね。ご子息大塚明夫さんは、よくアテレコ現場に遊びにいらしていたそうで、今ではお父さんより渋い立派なイケボ声優さんです。
うん。これは良かったな。
新作「も」良かった、のではなく、旧作と合わせてもトップ10に入るほど良かった。
トリックや動機も無理がなかった、歯医者なら考え付きそうだし。
旧作のシナリオという情報もありましたけど、いかにもコロンボ的だった。
一点、キズにもならないキズですが、
最後は、義父の実演を犯人が止めて犯行を認める、というストーリー。
だったら犠牲者は、俳優ではなく犯人の実弟とかにすれば、
これ以上の遺体損壊を避けたい、という理由ができるのではないか、と思います。
以前の書き込みにもあるように、ポーカーのシーンの特別ゲストが米国テレビドラマ世代に懐かしいところが一番印象的なのは今回の視聴でも変わらず。登場人物は既に他の方々もご指摘のようにブルジョアのクズばかり(苦笑)で感情移入できない。やはりあまり好きにはなれませんね。
歯科医が犯人、という設定でその技術、特性を利用したトリックというのは、昔から、ミステリー小説には結構ありましたね。前のコメントで「合わない差し歯」というタイトルを提案しましたが今回は「偽りの冠」なんていかがでしょうか。
失礼「偽りの冠」は既に提案されていますね。撤回します。
どんな邦題がいいかな…と考えながら観ました。
「偽りの冠」とか「堕ちた王冠」とかどうでしょう⁉︎
コロンボ作品やポワロ作品を観ているとよく感じるのですが、昔放送されていた古畑任三郎は、明らかにコロンボ作品等からヒントを得ているなって思うことがありますね。この作品に出てくるマッチ、確か、古畑任三郎ではイチローさんがゲスト犯人の回で同じようなのがありました。私は初期の作品の方が圧倒的に好きですが、新シリーズではこの作品は好きな方です。
三谷さんはコロンボとクリスティとビリー・ワイルダーに多大な影響受けてらっしゃいますもんね。
クリスティは「人がどんな風に騙されるか」ということに精通していて、叙述トリックを仕掛ける天才でした。
名探偵モンクにもクリスティトリックはいくつか見受けられるし、コン・ゲーム映画の基礎も 辿れば
クリスティか?と思うことも(笑)。
コロンボ作品で昔のミステリを思い起こさせるのは
「二つの顔」です。
クリスチアナ・ブランドの「血兄弟」が仲の悪い双子の話で。
「招かれざる客たちのビュッフェ」という短編集の一編ですが
イヂワルさ全開の作品集なので、スパイシー好みの方にはオススメします。
ポール・バークの映画出演歴に「華麗なる賭け」があります。原題は「THE THOMAS CROWN AFFAIR」。CROWNつながりもありこの邦題が発想されたのかもしれません。
ウェズリー・コーマン:ジェームズ・リード(声:弥永和子)
→声:菅生隆之
訂正しました。申し訳ありませんでした。
ぼろんこさん、いつもありがとうございます。
皆さんのコメントもとても勉強になります。
細かいことを気にしなければ、おもしろい作品でしたね。
どうでもいいことですが、私が気になったのは…
・マルガリータが上手に作れる以外に取り柄のないリディア。アダムはどこに惹かれたの?
・心臓が弱いのに自宅プールで一人で泳ぐリディア。泳いでいるうちにもし心臓発作が起きたら誰に助けてもらうの?
・ウェズリーとリディアの豪邸。あの2人では維持できないのに、使用人の姿が見えないのはなぜ?
・カンヌに行く前日の映画スターのアダム。歯医者のリスケに簡単に応じるくらいスケジュールががら空きなの?
・カンヌの前に歯の治療をしておこうとしているアダム。痛そうな左の歯ではなく、痛くなさそうな右の歯のほうが深刻だから治療するという説明に、なぜあっさり納得?
・あの時代のアメリカのお金持ちって、自分たちの名前入りのマッチを作ってお客に配っていたの?
・患者に有名人が多いウェズリー。ギャンブル依存症だけど、歯医者としての腕は良かったの?
新シリーズになって9作目。見る側として石田太郎さんの吹替にようやく慣れてきました。石田さんも肩の力が抜けてのびのびと吹き替えているように聞こえました。
ジョー・アンダーソンについて、どこかで観た気がした訳ですが、
この方はジリアン・アンダーソン(X-ファイル:ダナ・スカリー)でしょうか?
似ている方なのかな。
ページを拝見してましたら、
【ウェズリー・コーマン:ジェームズ・リード(声:弥永和子)】
の記述に、一瞬ビックリしたついでに投稿させて頂きました。
修正しました、申し訳ありませんでした。
ぼろんこさんやコメンテーターさんの感想、つっこみや他作品とのトリビアなど、皆さん刑事コロンボの大ファンの心温まるブログで、いつも作品を見終わった後、開いて楽しませて頂いています。さて、コロンボが最後に仕組んでいる青くなる変化は最初に見た子供の頃は「リトマスだ!」と思っていたのですが、今日見てみて、BTB(ブロームチモールブルー)溶液かなとやっと気づきました。
陶器のクラウンや勿論ジギタリスは全く関係なくクラウンの裏に乗せたのは洗濯石鹸で、やや茶色がかったスポイト液がBTB溶液でしょう。法医学のジョンソン先生が「なにが陶とジギタリスだ」と種明かしを少ししてくれています。
最初観てから40年位経ってます。が「華麗なる罠」がストンと腑に落ちました。
3話「構想の死角」のコメント欄に、最近おそらく実名で投稿されていらっしゃる方のように、スティーブン・ポチコの脚本作品が特にお好きなコロンボ・ファンがいらっしゃり、私も同じくポチコ作品は好きなのですが、本作を、その名誉ある、ポチコの脚本とクレジットしてしまって良かったのでしょうか?
本作は、旧シリーズ第4シーズン用に書かれ、ピーター・フォークが難色を示したため没となったポチコが書いたシナリオ(1974/5/9:初稿)がベースになっていて、日本では1979年に『謀殺のカルテ』として、そのポチコの脚本から小説化されたものが出版されていますが(後に『カリブ海殺人事件』に改題)、ポチコ版の前には、もう1冊、もっとシンプルな内容で、登場人物の名前もまったく違う初稿シナリオが残っているそうで、その表紙には、かの『サイコの脚本家』、ジョゼフ・ステファノの名前が記されており、完成までの複雑な経緯が想像されるといいます。
ウィリアム・リンクによれば、今回の制作はポチコの預かり知らぬ形で行われ、90分枠用だったシナリオを120分枠用に引き伸ばしたのは、ストーリー監修のウッドフィールドであったそうです。全体的に間延びした印象があるのはそのせいのようです。リンクはまた、質の高いシナリオを入手することに気付いたフォークがこれを復活させたのだろう、とも述べているとのこと。このポチコのオルジナル・シナリオは『署長マクミラン』にも転用されているそうですね。
いずれにしても、このように脚本家が与り知らぬところで、一度、放送では没シナリオになったシナルオが間延び方向に改変させられて、もし勝手に使用されていたとなると、日本の昔のTBS月曜20時の時代劇『水戸黄門』『大岡越前』『江戸を斬る』だったら、原作者・脚本家として数多くの回にクレジットされていた、共同ペンネーム「葉村 彰子」名を使用したでしょうね(笑)。
その本作、少し距離を置きながら「コロンボ愛」を心に抱いて鑑賞すれば、大物ゲストが多数友情出演?したりして、何かと楽しめるシーンが多いですね。
※(シナリオの経緯についての参考文献 『刑事コロンボ完全捜査記録』別冊宝島 2006/8/10発行)
海外のサイトなどで接した情報によると、旧シリーズの初期に、ピーター・フォークの母親のMadelineが息子およびリンクとレビンソンと食事をした際、今後どんなストーリーが用意されているのかを尋ねたそうです。その際にこの作品が紹介されると、「歯医者が犯人というストーリーは視聴者には受けないだろう」と母親が言い、息子フォークもそう思うようになった、ということでした。
真偽のほどはわかりませんが、当時フォークがこの脚本を高くは買っていなかったことは確かなようで、最初に映像化された「署長マクミラン」の”Affair of the Heart”(1977年)と、「華麗なる罠」の両方を見たという海外サイトの筆者は、前者の方が「コロンボ」のリメイクよりずっと出来がよいが、それでも優れた作品とは言い難い、という感想を書いていました。ボチコ原案だから傑作、とは必ずしも保証されるとは限らない、といえるのかもしれません。また”Shooting Columbo”という本によると、再度の書き直しを求めたのはピーター・フォークで、これは当然「マクミラン」と違いを出そうとしてのことでしょうが、結果は逆に一層弱いストーリーになってしまったようです。
また、小説「カリブ海殺人事件」は、私も文庫本で読みました。内容は忘れましたが、かなりおもしろく読め、映像化されなかったのがもったいない、と思ったのを覚えています。ただ、二見書房のノベライズは、どれも日本人の”訳者”による創作が相当入っていることを知っていたので、これもどこまで本来の脚本に沿ったものなのかは疑問ですね。まだ文庫本は家のどこかにあるはずなので、探して読み、映像版と比べてみたいとも思います。
「署長マクミラン」の”Affair of the Heart”(1977年)は、監督をジャッキー・クーパー(「野望の果て」の犯人役)が担当しているそうですね。何とかして、映像版を観たいものです。
しかし、新シリーズ全体を通じて、それほどまでに脚本に恵まれなかったのは何故なんだろうと、考え込んでしまいます。
さまざまな事情、とても勉強になります、ありがとうございます。
いつも記事やコメント楽しく拝見させて頂いております。
今回は犯人よりも妻や父親、弟が死体遺棄や証拠隠滅に手を貸す(妻に至っては不貞を働いていた)のに何事もなく退場していたのが引っかかりました。
またアダムは職業柄でも女性との噂が耐えないので結婚してもギャンブルに耐えられない奥さんが結婚生活に耐えられるのか?と疑問に思いました。
今回の受付の女性が少しの出番でしたがとても可愛いのとピノキオが最後勝ったのかが気になるお話でした。
(犯行については犯人の腕が良すぎて真面目に歯科医として働くべきだったのではないかなと思いました。ギャンブルは怖いですね。)
本当にピノキオの結果が、気になりましたよね~
この作品は
私も好きで五回位見ました。
コロンボの鼻歌も久々でした😃🎵