最後の刑事コロンボ
刑事コロンボの最後の作品(になるだろう※注1)です。前作が1999年であることから、「最後にもう1作」という気持ちが込められた作品であると感じられます。音楽、映像処理などに、2003年という時代背景が出ています。それにしても、事件を解決に導くコロンボの着眼点、そして犯人を徐々に追いつめて行く捜査手法は健在で、集大成的な意気込みもありますね。2003年にレイヴ・プロモーターがポケベルを使っていたかどうかは、疑問ですけど。
輝いていたピーター・フォークの演技
▼これまでの私の「刑事コロンボ論」は、こうでした。
主人公のピーター・フォークは、毎回のドラマのナビゲーター。強烈なキャラクター性を持っているとはいえ、毎度お馴染みの風貌、台詞、立ち振る舞いを貫き、いわば変わらぬ要素を保ち続けます。それにより、毎回の犯人役のキャラクターや犯人の職業、立場などが際立つのです。政治家、学者、音楽家、俳優など、華やかな世界で頂点に登りつめた人物の転落劇が鮮やかに見えてきます。
しかし最終回の「虚飾のオープニング・ナイト」では、そのカラーは抑制されました。そのことにより、コロンボ警部の捜査手法の原点「些細なひっかかりを逃さない」「自分の足で情報を集める」「入念な聞き込み」などが強調されていた気がします。
コロンボ警部の頭は、まだまだ冴えている
随分とお年を召した容貌。地べたを這いつくばって手がかりを得てゆきます。まずは自殺者のお洒落、タイヤの塗料。そして階段を上り、被害者のオフィスで、爪切りと爪を発見。日めくりのページ抜けから関係者の住所を入手、パソコンキーボードの指紋で他殺と断定。ゆっくりと動きながらも、まるで隙のないスリリングな展開を見せます。
容疑者の絞り込みも素早い

最後の秀作
タブロイド記者の不可解な行動、ヴァネッサの元夫のホテル滞在の怪など。どんどん手掛かりを入手し、殺害動機を掴んでゆきます。初期のコロンボ作品のような昔の風情はありませんが、この「虚飾のオープニング・ナイト」は、最後に相応しいよく出来た作品ではないかと、再評価したいです。(2014年6月21日)
若い警察官に「何か」を伝えている気がする…
以前にも増して取り巻きの捜査班と、コロンボ警部の捜査手腕の「差」は大きくなるばかり。コロンボ警部以外の全ての警察官は、「無能集団」と化しています。コロンボ警部引退後のロス警察殺人課の検挙率の低下が心配ですね。初動捜査の場面もかなり面白いと感じました。警部を見て何かを学んで欲しいと願ったのは私だけでしょうか。
最終回のお宅も、オシャレ

二つの邦題
原題は「Columbo Likes the Nightlife」、、これには喝!です。ここで採用した邦題「虚飾のオープニング・ナイト」は日本テレビ版、「殺意のナイトクラブ」というWOWOW版の邦題も存在します。こちらはどうかな?私は「日本テレビ版」に1票。WOWOW版‥ナイトクラブの場所には殺意を感じないので残念。
お疲れさまでした~

庭を見せてくれるご主人

監督:ジェフリー・ライナー
脚本:マイケル・アレイモ
ジャスティン・プライス:マシュー・リス
ヴァネッサ・ファロー:ジェニファー・スカイ
ショーン・ジャービス:ジョン・フィネガン
注1:俳優ピーター・フォーク氏は2011年6月23日に他界され、刑事コロンボの最後の作品となりました。
加筆:2020年8月1日
一昨年7月の三浦春馬さんをはじめ、藤木孝さん、竹内結子さん、芦田星さんなど、芸能人の不可解な”自殺”が相次いでいます。
中には本当に自殺だったのか疑わしいケースも。
先月18日にも松田聖子さんと神田正輝さんの長女・神田沙也加さんがホテルから転落死。
沙也加さんは、闇社会や警察権力を動かせる”芸能界のドン”の嫌がらせを受けていたとか。
ところが、沙也加さんは、ドンからの圧力でテレビでの露出が少なかったにも関わらず、母親譲りの歌唱力と自らの努力でミュージカル女優としての評価を高めていた。
婚約者と言われる男優の元恋人とされるアイドル歌手は、ドンのお気に入りだったとか。
恋人を沙也加さんに取られたアイドル歌手はショックで引退危機説も。
いわば”芸能界のドン”の顔に泥を塗ったわけです。
ホテルの窓は、ストッパーを外さない限り最大15㎝しか開かなかった。
沙也加さん自身がスッとッパーを外した形跡はなかった。
しかし、警察は事件性はないと遺族や事務所に説明しています。
コロンボ刑事だったら、15㎝しか開かない窓からの転落死を自殺にはしないはずだ。
ゆっくり丁寧に見ようと大事に録画してとっておいたコロンボシリーズ最終話をやっと見ることができました。またまたコロンボの再放送が始まってしまってこのブログもエンドレスの様相ですね。ブログもちょっとリニューアルされていて面白かったです。
さて、本題の最終回。「ついに21世紀に突入したコロンボ」60年代後半からよく続いたものです。今回はそんな主旨のコメントが多いですね。
最終話はコロンボシリーズの集大成としてよくできた作品だったと思います。
地道な捜査、細かい点を見逃さないこと、部下や同僚、ワーキングクラスの人々への温かいまなざし、犯人への心理的圧迫などコロンボシリーズの特徴がよく出ていました。どなたかもコメントされていましたが、初回の殺人処方箋と同じく主犯と共犯の男女カップルという設定が気に入りました。弱い女性の共犯者。最終回を意識していたのでしょうね。ラストシーンの「それじゃ私は失礼しますよ。」というのは我々視聴者へ向けたセリフだったのかも。
不満な点は最終回にしては犯人が軽量級すぎることです。
新シリーズは原語、日本語字幕で見ているのですが、水槽の魚はなあに?というコロンボの質問に犯人さんは「コイ」と言っていました。カープじゃなくて。
『殺意の斬れ味』に続いて2回目のコメントです。やっと見終わりました。
で、これ、そのひとつ前からずいぶん時間が空いていたんですね。タイトルや俳優のクレジットなどのテイストも余りに違うので「あれ?」と思っていたんですが謎が解けました。言ってみれば、第3シリーズの初め(にして終わり)みたいな感じですかね。
あと、吹き替えの声にも聞き始めてすぐ違和感あったんですが、なるほど石田太郎じゃなかったのか。
それといくつか疑問があります。
リンウッドが庭の木を見に来たという話が出てきますけど、あれはなんのため?
木に登ったら何か見えた、みたいな話かと思いましたが特に何もなくあっさり。単にいつまで生きていたかの確認の上乗せ? よくわからなかったです。
どなたか指摘されてたメガネの件、確認してニンマリしましたww あるんですね、こういうの。
最大の疑問は、水槽の下にどうやって二人で死体を隠したか、ということ。初っ端の方に工事中のシーンが出てきますけど、水槽をこしらえ、防水処理などをし、それに水を入れ鯉を入れる。シロウトじゃできない作業のはずです。
それらの作業より前に、あの水槽ひとつだけに死体を置かないといけないわけで、そのあと工事に入る業者が気がつかないわけはないと思うんですが。クラブのオープンに向けて突貫工事をやってたわけで、死体を入れてなんらかの蓋をしてみたいなことが、あの二人にできるとは思えない。
コメント欄、ざっと読みましたが、どなたかこの件を書かれていたでしょうか。
まぁ、そんな大きな疑問はありますけど、ひとつ前の(個人的には)コロンボ史上最大の駄作に比べれば、皆さん仰っているように初期のテイストも何となくあり、結果的に最終作品としてはよくできていたようには思いました。
BSPでまた放送があるとのこと。今度はあらかじめここで“予習”をしてから見てみようかな。
いつもありがとうございます!
しんぽいさん、木をみに来たと言うシーンですが、リンウッドがその家の敷地からヴァネッサをパパラッチしていたことをコロンボが認識するためだったと解釈しました。
もし筋違いでしたら、すみません。