- 「ぼろんこの傑作選」に選ばれています。
- 2021 NHK あなたが選ぶ!思い出のコロンボ[第6位]
- 犯人役ゲストスター「パトリック・マッグーハン」特集記事。
- ウィリアム・ヘインズ「フォード・サンダーバード」
作品の持った雰囲気がとても好きです。絵的な美しさ、兵学校という閉鎖された特殊なシチュエーション。他にも軍隊ものの作品はありますが、この「祝砲の挽歌」には及びません。
事件が起こる背景
陸軍幼年学校の劣等生にその罪をきせる行動と相反し擁護するような言葉も…。厳しいが故に学校で孤立してしまう立場も…。生徒たちの「自供」により殺人を暴かれてしまう下りも…。流れるようにつながっています。また、学校の平面図から「陸軍幼年学校」が「男女共学のキャンパス」に改築される計画があったことを見破るあたり、コロンボ警部の着眼は流石です。
冒頭の演出も見事
廊下をこそこそと進んで行くと、砲弾の工作をしている背中が見えてくる。予め準備した材料を丁寧に加工する手元。冷静ながらも…汗がしたたる表情。丁寧に指紋を拭き取る。火薬を流すために蛇口を振り回す。外に出た時、初めてタイトルクレジットの文字が表示され、微かなドラムロールでBGMが始まる。砲台での準備を終え、後に大きな意味を持つ「りんご酒」を見つける。6分30秒を過ぎた頃、軍隊ラッパの音と共に台詞付きのドラマがスタートします。始まりから6分30秒まで台詞は一切なし、音楽もごく小さい。この冒頭シーンを見ただけでこの作品がどれほど凄いかを直感します。
パトリック・マッグーハンの存在感
ラムフォード大佐
ラムフォード大佐は、自分の保身のために殺人を犯したとは思えません。むしろ間違った方向を向き始めたアメリカに対し「NO」と言いたかったのでは?私は戦争擁護の立場ではありません。ただ大佐の気持ちを考えただけです。
日本語吹き替え:佐野浅夫さん
ラムフォード大佐の吹き替え「佐野浅夫」さんは素敵でしたが、ミラー当番兵(靴が汚れていた生徒)を再度呼び出して説教するシーンからしばらくの間、別の声優になっていました。佐野浅夫さんとは似ていない声で、この部分がとても残念でした。初期放送版ではカットされていたのでしょうね。重要な場面だと思いますが放送時間の関係でしょうね。
スプリンガー候補生
*=実は掃除当番をさぼっている。
シロとクロを見分ける着眼点
コロンボ警部が容疑者を「ラムフォード大佐」に絞る場面は、大佐がボロ布を最初に見た時に言及を避けたのに対し、スプリンガー候補生はためらうこと無く「大砲の清掃用の布」と答えたことにあるでしょうか。ラムフォード大佐は事故の原因をスプリンガーの不始末として片付けることを前提として、この犯行計画を始めたわけであり、自分の計画どおりに進む捜査に対し、すこしだけためらいの感情が出たのでしょうか。
自ら祝砲を撃つ役目を引き受けた
一癖ありそうな秘書
とばっちりを食らうルーミス大尉
大草原の小さな家
祝砲の挽歌
原題は「By Dawn’s Early Light」で直訳は「夜明けの明りで」という感じ。「挽歌」とは中国で葬送の時に柩(ひつぎ)をひく者が歌った歌で、エンディングに歌とともに訓練する響きも通じて、納得の邦題です。これについては、ブログゲストさんが詳しく解説してくれていますので、ぜひお読みください。
クレーマー刑事が登場
モーガン候補生はクレーマー刑事の息子!
ヘインズ陸軍幼年学校
「ヘインズ陸軍幼年学校」はサウスカロライナ州チャールストンがロケ地だということです。ですので海外ロケに匹敵するほどの作品スケールが感じられるわけです。
監督:ハーヴェイ・ハート
脚本:ハワード・バーク
ライル・C・ラムフォード大佐:パトリック・マクグーハン(声:佐野浅夫)
スプリンガ―候補生:マーク・ホイーラー
ミラー候補生:ロバート・クロットワーシー
モーガン候補生:ブルーノ・カービー
秘書ブレイディ:マデレーン・シャーウッド(声:高橋和枝)
クレイマー刑事:ブルース・カービー
ルーミス大尉:バー・デベニング(声:徳丸完)
ウィリアム・ヘインズ:トム・シムコックス(声:堀勝之祐)
加筆:2020年7月26日
私の印象に残るのは最後のシーンです。
大佐は捕まる前の人生最後の命令として噛み締めたことだと思います。
そしてコロンボがその前の晩りんご酒の交渉で生徒たちに大佐が犯罪者であると話していたとしたら、生徒たちは分かっていながら最後の命令を聞いたことになります。
それを思うととても美しい最後だと思ってしまいます。
ぼろんこ様、初めてコメントさせて頂きます かなり前から拝見していたのですが… 私の一位は「別れのワイン」ですけど、ゲストで一番はやはりマクグーハンさんです ところで秘書のマドリン・シェアウッドさん、吹き替えは高橋和枝さんだったんですね 先週放送のBSで観た時、最後のテロップで発見しました 「ルーシーショー」のルーシー・カーマイケルとか、鉄人28号の金田正太郎、快獣ブースカとか、ほんで何と言っても磯野カツオ君の声優ですよね 放送時は全く気が付かなかったのは、言い方が違っていたかと 聴き返すと確かに高橋氏と分かりました 何度も観たはずだったのに、気が付かなかったなんて…
高橋和枝さん情報、ありがとうございます。
後日、本記事に加筆いたしますね!!
名作ですね~。
軍隊に限らず規律の有る組織は、見ていて清々しいですね。
私もそういう組織の端くれに居たので、整列とか分列行進とか見るとニヤニヤしますね。
米国の良家の子弟は、ああいう私立学校に送り込まれて規律と国家への忠誠を
叩きこまれるのですね。学費高そう。
その中で自由と規律のせめぎあいを体感し、自律性を養っていく・・。
米国エリートの奥深さを垣間見た気がします。
生徒はエリートだから女子学生にモテるのですね。
自分が中高生の時に、刑事に対して対等に会話が出来たかどうか。
もちろんコロンボの人柄も有るのでしょうが。
モーガン候補生がコロンボに「楽しむというのはちょっと違うんじゃないでしょうか」
スプリンガー候補生がラムフォード大佐にコロンボの印象を尋ねられ
「自分は意見を持っていません」
外出先を問われて「それは言いたくありません」
こういう受け答えが出来るように教育されるのですね。羨ましいです。
日本の2世政治家とは出来が違う。
もちろん私は軍国主義でも米国礼賛でもないですが・・。例外も居るしね。
ラムフォードは大佐(Colonel)ですね。
予備役として民間の校長を務めているのでしょうか。
米国陸軍では大佐は旅団長を務めますね。旅団は1,500~6,000名程度。
生徒数に対応した将校が校長を務めるのでしょうか。
ルーミス大尉は若いから、また現役に戻ったりするのでしょうね。
はじめまして。 いつも放映後、作品の余韻に浸りたくて、お邪魔させて頂いてます。 皆さんのコメントであらためてロジックを理解したり、見落としに気づいたり、復習になっています。
私の楽しみ方の一つは、コロンボが、犯人の目星がついた瞬間の表情を見つける事です。
今回の「祝砲の挽歌」は、一番好きな作品です。 なんといってもゲストスターのパトリックマクグーハンの圧倒的な演技力に惹かれます。 軍人として決して崩れない態度、気高い誇りの下に潜む、犯罪がばれやしないかという恐れと生徒に罪をなすりつけた卑劣さに葛藤する内面、そういった諸々の感情を見事に眼差しと表情筋で表していました。
個人的には、食堂で、「スプリンガーは犯人ではない」とコロンボがほのめかした後、 後方で立ってふざけてた少年に、「ジャクソン!!」と怒鳴ったとこが好きです。ミスリードが上手く運ばず、苛立ちが垣間見えます。
またスプリンガーが脱走からコロンボと共に戻り、晴れて容疑が晴れリリースされた後のシーンも好きです。コロンボが、「私は間違えてたかもしれない、単純にヘインズ氏が狙われたのかも」と言った後、ついに観念して、コロンボに「参った」とばかり、葉巻をすすめ、白い薔薇の話を始めるところです。コロンボも、犯人と分かりながら、優しく共感します。作品全体的にコロンボは、犯人への職業的アプローチは控えめだった気がします。
舞台の陸軍幼年学校が醸し出す独特の世界感で、一本の映画を見てるようでした。
頷きながら拝読いたしました。
まったくもって同感いたします。
帽子を深くかぶったラムフォード大佐、格好いいですね。犯人であることを指摘されたあとも、生徒への指示を言うところは、教育者の気概を感じさせました。
しかし、爆殺というのは実に凄まじい。飛散した惨状はさすがに映してませんが、それがまた大佐の残虐性よりも教育熱心な姿勢に同情させる仕組みになってます。
今回は屋外含めた校内でのシーンがほとんどでちょっとしたスケールを感じました。
マクグーハンはこの作品でエミー賞を受賞したんでしょうか、番組欄でその様な記事を観ました。
彼が演じた大佐は確かに立派な人には見えましたが、殺人の動機は私利私欲のためですし、コロンボ刑事と校内を生徒を監視しながら歩く姿が何故か滑稽に見えましたね。
殺人を認めるのもあっさりし過ぎで、軍人への執着が薄くて物足りない部分でした。
ヘインズが紐を引き爆死する寸前でカットが切り替わり、眉ひとつ動かさないラムフォード大佐の顔のアップ。轟音と悲鳴。もうこのカットが独特な雰囲気を持つこの作品を象徴してる。
同感です。それと、冒頭の工作シーンがいいですね!
何度見てもこの作品が好きです。他のどのエピソードにもない独特の雰囲気があります。もちろんパトリック・マクグーハンの演技は見事ですがこの作品の場合吹き替えの佐野浅夫さんの力によるところが大きいと感じます。
佐野浅夫さんのお声、ほんとうに素敵です!
本作品は、最後にコロンボが決め手を突き付ける場面の「切れ」はやや物足りないものの、他作品にはあまり見られない場面の「抜け感」、犯人の凛とした雰囲気(本来の意味の確信犯)と潔さ、生徒たちへのコロンボの温かい接し方など、素晴らしい作品だと感じました。
1つ腑に落ちなかったのは、こうした軍事の教育機関の運営トップが民間人(当学校で教育を受けたみたいですが)であること。私立学校とはいえ、少なくとも教官は本物の軍人ですよね?
教育目的とはいえ、一定の軍事力を民間に委ねることになるし、犯行動機にもつながりましたが、国にとっては大事な軍事的教育を担う学校が民間人の一存で別目的に変えられてしまっていいのかな、と。
アメリカのような軍事大国なら、そんな事態が無いようにしていそうなものですが、珍しくないのでしょうか。
個人的には、大佐は生徒に罪を押し付けしようとしたものの、あのまま露見しなければ比較的穏便な処分で済ませようとしたのではないのかなと思っています。
この作品は、一部をのぞいて全てこの学校の広大な敷地内で進行しますね。それが、すごく好きです。
はじめまして。子供の頃からコロンボ大好きです。
昔は多分アメリカの空気感とか豊かな感じに憧れて
好きだったのですが、年を重ねると違う見方ができますね。
私はクリスチャンです。当時の作品には自然に教会や礼拝が出てきますが
今の作品には見られませんね。
ラムフォード大佐は戦時下のまま、時が止まってしまったのかもしれないと思いました。
陸軍幼年学校という塀の中に囲われながら。
エレミヤさん、初めまして。
楽しいコロンボの世界、これからもぜひご一緒に〜。
はじめまして。コロンボを初めて見ている者で、何かわからないことがあるとこちらの記事で教えてもらっています。
後半スプリンガーのファイルを調べに行った時、「昨日の大佐とヘインズのイザコザは経営難のことだったのか?」と秘書に聞いていたと思うのですが、その事をコロンボがどこから知ったのか、その描写はそれより前にあったのでしょうか?
私が見逃してしまっていたのか、録画してなかったため確認できず質問させていただきました。
こんにちは。
ヘインズ氏の車に置いてあった体育館の青写真から捜査をスタートした後、ラムフォード大佐との食事中、空席が多いことから最近は不景気なのか?という話をしています。
不景気⇒男子校の生徒数減少⇒共学に変更して経営改善という仮説はコロンボ氏でなくとも考えられると思います。
秘書との会話は、自分の仮説をもとにしたコロンボ氏の聞き込みテクニックではないかと想像します。
全体に漂う整然とした空気と、厳格な大佐や規律に縛られながらも無邪気さを発揮できる生徒達。コロンボ氏の人生の後輩達への何とも言えない優しさが感じられて好きな作品です。
なお、個人的にはラムフォード大佐の吹き替えは仲代達矢氏の声で聴いてみたかった気がします。
お答えありがとうございます。不景気の件は食堂で話していたのですね。やはり見落としておりました。
秘書との会話からヘインズに対し好感を持ってないこと、ヘインズが生徒減少にもかかわらず学校に無関心であったことを知って、コロンボは教育熱心な大佐とヘインズのあいだに何かあると思い、あの質問をしたのでしょうね。
会話から推察するテクニックとスピードには本当に感心しました。
おかげでスッキリしました。ありがとうございました。
観直してみますと、確かにコロンボが二人のイザコザについて知った場面は直接は描かれていませんでした。
しかしコロンボがそれを知る機会はあるでしょう。たとえば秘書に聞いたとか。しかし、秘書にはファイルの調査をした後で質問をしていて、調査前には詳しい質問をしたような雰囲気は感じられません。
ではルーミス大尉。こちらは死ぬ直前の理事長と打ち合わせ等、話をしているはずです。その時理事長がルーミス大尉に「今、校長と口論してきた」 くらいは言っているはずです。これをコロンボが聞き及んだのでしょう。
口論の内容は。ルーミス大尉も知らないかも知れません。
・理事長は体育館を新しくするつもり?
・生徒数が定員を下回っている。理事長は兵学校をやめるつもり?
・しかし校長は男子のみの兵学校を続けたそうだ。
これらの捜査結果からコロンボが推理したのではないでしょうか。
ルーミス大尉はコロンボが学校に泊まった時、「何か用があるなら私は上の階にいますから」と言っています。
これはやはり情報源はルーミス大尉でしょう。
被害者である理事長に関して、当日の行動や周囲との人間関係はどうだったのか聴取しているはずですから、当然ルーミス大尉からも詳しく聴いていたのでしょうね。
「何かあるなら私は上の階に〜」というセリフがそれを示唆しているという点、そこまで気がつきませんでした。ありがとうございました。
こちらの皆さんコメントで、色々な見方を教えてもらえて本当に感謝します。
コロンボは真夜中にそのことを聞き出して、ルーミス大尉を寝不足にしてしまったかも知れません。
陸軍幼年学校、りんご酒の密造。日本ではあまり馴染みのない米国独特の文化。
全編を覆いつくす静謐な雰囲気。白を基調とした映像。素晴らしい和訳タイトル。
私の中ではベスト3の一角です。
はじめまして!
コロンボを見直しはじめて、新たな発見が沢山ありました。本当によく作られたシリーズだと思います。管理人様こんなすてきな場所を作ってくださってありがとうございます!皆さんのコメントも参考になり、日々発見です。
この28話では久し振りにバー・デベニングの姿を見て、昔々観た色々なテレビドラマを思い出しましボケ予防にも役に立ってます。蛇足では有りますが、昨日2020年10月7日に再放送されたこの28話の冒頭に映った大佐の腕時計が、偶然でしょうが7日と表示されてましたよ。なんか、面白かったです。
また寄らせて頂きますね。先ずはお礼まで。
初めて投稿致します。
祝砲の挽歌でずっと気になっていたのが、なぜ密造りんご酒を窓から吊るす必要があったかです。
そういう風習があるのでしょうか?
リアリティから考えると、大佐が砲台から見るものはりんご酒ではなく、別れを惜しんでいちゃついている男女、というものの方がいいんでしょうが。
格調を考えてりんご酒にした、というところなのでしょうか。
りんご酒は、排気口の中のような冷暗所よりは暖かいところに置いた方が発酵が進むのでは。
いよいよ、第3にして最大のシリーズ男、マッグーハン(どうつづるかいまだに迷います)の登場でありますw。シリーズ屈指の渋さですね。
この頑固一徹な老兵の姿の哀愁しかし後悔しない冷徹な殺人者という極端な二面性(「コロンボ」の犯人像ってのは基本、二面性ですがね)、コロンボも終始、硬直気味の複雑な表情で彼を見つめています。犯人を追うというより彼の運命を見届けようとしているような。いつものように義眼が光っていないように思えます。
対照的に生徒達に接する時のコロンボの柔らかい表情。可愛い子供を見ているような、楽しそうですね。
学校に泊まり込んでの捜査はともかく、とんでもない時刻に仕事の電話するワ-カホリックぶりは今なら、管理職?の資質として労使問題ですなw。
初期のNHK放映だとスプリンガーと恋人の場面がまるまるカットされていたんですよね。恋人の後を追うコロンボの姿、女子高生でなくても今ならサイコホラーのストーカーですね。困ったもんだw。
書き込みが重複してしまいました、失礼しました💦。
こんばんは。BSでコロンボを、本当に久しぶりに観始めてから、こちらのブログを見つけて以来、ちょこちょこ楽しませていただいています。今日10/7は大好きな『祝砲の挽歌』ですが、威厳のある大佐の吹きかえの声が軽い感じに変化したため、一瞬、耳が変になったのか❓とビックリしました。ブログを拝見したらやはり一時、声優さんが変わったと書かれていたので、耳のせいじゃなかったと安心できました。ありがとうございます。再放送のたびに、観たり観なかったりだったので、声が変わっているのは覚えていませんでした😅。
初めて書き込みをします。BSでコロンボを、本当に久しぶりに観始めてから、こちらのブログを見つけ、ちょこちょこ楽しませていただいています。今日10/7は大好きな『祝砲の挽歌』ですが、威厳のある大佐の吹きかえの声が軽い感じに変化したため、一瞬、耳が変になったのか❓とビックリしました。ブログを拝見したらやはり一時、声優さんが変わったと書かれていたので、耳のせいじゃなかったと安心できました。ありがとうございます。再放送のたびに、観たり観なかったりだったので、声が変わっているのは覚えていませんでした😅。
声優さんの替えは効かないから、どうしても印象が変わってしまうのは仕方ないことですけど、もう少し雰囲気が似た感じの声優さんはいなかったのかな・・とこの追加収録の場面を見るたびにいつも思います。
この作品の冒頭に芝生に膝をつき考え事をしているコロンボの姿。とても重厚できれいなシーンだと思います。この作品がもつ独特な味わいが凝縮されています。
ひとつイチャモンをつけるとすれば、父兄の参観する晴れの舞台で人を死なせている点です。これでは時代の流れとは別に入学者が激減して、共立校になるのが早まりそうです。
「白い薔薇」のシーンに見せるコロンボのあの表情まで、彼は犯人に気づいてなかったと個人的には思っています。そのほうがこの作品を楽しめるんじゃないかと。
昔、金曜ロードショーで放映していて、私をコロンボの世界に誘ってくれた作品です。
そしてそのままベストの作品です。
パトリック・マクグーハンの演技は全コロンボ作品の犯人の中でも1、2を争うものだと思います。役になりきっていますし演技をしているように見えないほどです。アイルランド系のやぶにらみの効いた顔は一度見たら忘れられません。
【原題解釈】
By Dawn’s Early Light
直訳すると、「夜明けの薄明りの中で」。
皆、聞き覚えのあるアメリカ合衆国国歌『星条旗 The Star-Spangled Banner』の冒頭の歌詞からの引用です。
Oh, say can you see,
by the dawn’s early light
What so proudly we hailed
at the twilight’s last gleaming?
何と言っても、今回の舞台は陸軍幼年学校ですから。
密造リンゴ酒の瓶が窓に吊るされたのは、土曜日(事件前日)の晩が最初で、事件当日の早朝6時25分、起床ラッパがなる直前に瓶はしまわれていた。事件当日の夜明けは6時15分で、その前には暗くて瓶を見ることはできない、また、窓に吊るされたリンゴ酒の瓶は砲台近くからしか見ることはできない。したがって、ラムフォードは、6時15分から6時25分までの10分間に砲台近くにいて、そこからリンゴ酒の瓶を目撃したのだというコロンボの推理と引っ掛けてるのですね。
コメントありがとうございます。より一層この作品が好きになりました。
只今AXNミステリーで配信されていて何十年か振りで、視聴しています。
こちらのブログでこの回に、ブルーノカービーが出ているのを初めて知りました。
ゴッドファーザーファンの私には、若き日のクレメンツァを演じていた俳優で思い入れがあり、思わず書き込みしました。
その他マーティンシーンなども出演したりして、そういう発見も楽しいですね。
ブルーノカービーは、恋人たちの予感でもいい味出してます。 キャリーフィッシャー演じるハイミスの彼氏役です。
表題はアメリカ国歌の冒頭部分ですね。
今日初めて気が付きました。なるほどです。でも日本語訳は味わい深く素晴らしいです。
クレイマー刑事のとーしろ、親玉が消えちまったの吹き替えが最高ですね。
杉田俊也さんのしゃがれ声も合っていて。
長くなってすみません。
食堂で大尉が上官大佐の指示に最後は無言で立ち去るのは、吹き替えでは「甘やかしてはならんぞ」となっている箇所が英語では「君は生徒たちにいいようにあしらわれているのだ」とまでいわれたからかと。侮辱的。。
大佐が食堂を去る時に日本語では「ジャクソンを出頭させろ」とだけ言っている部分は英語では「ジョンソン、朝一番で私に報告しろ。お前がやるべきことをやってない事実には全くうんざりだ」。
原文は嫌味を極めて直接表現で述べています。佐野さんの言葉からは微塵も感じられない部分です。かの国では人間ラムフォードを、この国では気高さを貫く大佐を、それぞれ描こうとしたのかもしれません。
こちらも、大変面白いコメントです、ありがとうごぁいます。
>人間ラムフォード
もしかしたら、脚本家は厳格一筋(に見える)の大佐にすら、保身に走る人間的弱さがあったことを表現したかったのかも。
大佐がラスト・サムライの一人に見えるのは、日本的感覚なのかもしれません。(良い悪いは別として)
私が勝手にいろいろ感じているだけなのかもとも思ったりしますが、この作品は見るたびに新発見がある、そんな気がします。私は日本語で聞いていてしっくり来ない時に、英語で見直しています。ルーミス大尉が無言できびすを返したシーンがその代表です。
この作品は桁違いに多くの出演者がいますどうやってこの絵を、画面を、作り出したのだろうか、そんな好奇心に私は駆られます。
筋書きとは違う傍流のことを、この作品は考えさせてくれます。場面一つ一つに手抜きがない、そう私には映るのです。こんなに大勢が、絵一つのために集中している、すごいことだと思うわけです。
ルーミス大尉とコロンボが望遠の向こうから宿舎の廊下を歩いてくる場面。ドンピシャのタイミングでモーガンがすれ違いますが、コロンボたちがまだ向こうの方にいる時にモーガンが手前から歩き出しています。素晴らしい間合いです。
この回は、込められたものがいろいろある、そんな気がするのです。他の回ももちろん込められているに違いないのですが、この回の細部へのこだわりは群を抜いている気がします。
そんな中、ラムフォード大佐の描き方に、和英で違いがある気がしたのです。
コロンボという作品は、日本語で楽しめたあと、英語でもう一度楽しめる、そんな作品なんだと、この回は強烈に伝えてくれている気がします。
なお、私は英語が流暢なわけでもなんでもありません。ただただ、英語ではなんと言っているんだろう、そう思って辞書めくりながら見ています。
この作品。名もないエキストラたちの統制のとれた一挙手一投足が、劇に息吹をふきこんでいる、そう感じます。画面を見るにつけ、本物を感じます。その映像を編み出すスタッフの情熱にも頭が下がります。
細かいところも手を抜いていません。コーヒーを運ぶ当番兵は、その姿の半分以上をブラインドに隠されてよく見えない位置にいる中で、大佐からの声がかかって初めてドア向こうで帽子を取っています。
コロンボを夕食に呼んだ大佐はテーブルの上で右手の指を小刻みに上下させ、コロンボの口からスプリンガーへの疑念の言葉が出るのを今や遅しと待ち構えている。その平静をたもつ表情との組み合わせが、上官としての誇りと人間心理を描写した場面だとの印象を受けました。氏ならではの名演技ではないでしょうか。パンに続き、バターも取ってくれとのコロンボの言葉に、恐らくはむっとされたであろうその感情を抑えんとする表情も見応えがあります。
そのバターに手を伸ばす前に「もしよろしかったら、スプリンガーとの会話の内容について話してくれんかね」と言ってるのが、英語では「バターを渡したら、(中略) 説明してくれるね?」と言っている。おもわず吹き出してしまいました。
食後、2人が歩く様子を望遠で収めた映像も面白い。氏が水たまりを避けるべく右手でさりげなくピーターフォークを少し左によけさせたり、右に曲がるときにもさりげなく右腕を開いて方向を示したり。監督指示ではなく氏の自然な動きなのではと。校内のあちこちに視線を移しながら歩くそのさまは、まわりを司る台詞もない演者たちの動きとどんぴしゃで、俳優である氏が本物の校長のようにさえ見えてきます。
ほかにも細部へのこだわりがあり、制作陣の「本物描写」への思いが詰まった作品ではないでしょうか。
なるほど〜と、共感しながら再読しております。
ブルーレイ全集を1話から見返し、ここまで進んできました。
映像としての完成度はこれが一番良いと思いますし、お気に入りの5指に入る作品でもあります。それだけに1つの違和感がものすごくひっかかります。
ラムフォード大佐のキャラクターとして、将来のある若い候補生に死亡事故の責任を負わせようとするいうことがどうしても納得できません。それもいきさつからやむを得ないものではなく、当初からの計画ということがうかがえます。
自身の信念に基づく行為であるだけになおさら強く感じてしまいます。
大佐は立派な人物像の裏に、卑怯者の性質を持ってると思います。
白い薔薇のシーンはもっと続きが聴きたくなるような良いシーンでした。大佐が「軍服を脱げば、わたしも普通の人間なんです。」とでも言いたかったのでしょう。現代のパワハラ上司の言い訳のようですね。しかし、殺人はいけません。理事長が亡くなっても新しい理事長が同じ提案をするでしょうから。殺したくなるほど個人的によほど嫌いだったのでしょう。吊るされたリンゴ酒」が夜では見えないとはいえ、大砲に布を詰めるのは、さすがに夜に行うのが自然です。その点が少し引っかかりました。
宿舎に囲まれた広場の真ん中にある砲ですから暗闇で作業するには明かりが必要でしょうし、暗闇に明かりをもって歩けば目立ちます。
明け方、起床前の一番眠りが深いであろう時間帯に犯行を行うのは自然だっと思います。
確かにそうですね。
はじめて書き込みいたします。
ネットで調べてみましたところ、ロケ地の学校はサウスカロライナ、チャールストンにあるThe Citadel で、ドラマに出てきた碁盤状の広場にある学生寮も実際にあるようです。 public college とあるので州立だと思います。 アメリカには、3校ある国立の陸海空軍の士官学校(military academy)とは別に、このようなsenior military colleges が6校ほどあります。
ほかにもmilitary junior colleges とか、軍の奨学金をもらって一般の大学に通うROTCなどもありますが、ヘインズ陸軍幼年学校の場合は、中学〜高校生の年齢の生徒がいるprivate college-prep military schools というカテゴリーのようです。 privateのほかpublic も含めると、こういう学校は全米に幾つもあります。 トランプ大統領も子どものとき素行不良のためNew York Military Academyというprep school に放り込まれていました。
ロケ地「ザ・シテダル」の詳しい情報をありがとうございました。
ドナルド君の現在を見ていると、ラムフォード大佐が架空の人物だったことが惜しまれます。
事務員の女性の おばさんは名前わかりますか?
マドリン・シェアウッド(Madeleine Sherwood)です。
お返事が遅くなり恐縮です。
ボロンコさんおっしゃるように、独特の雰囲気を持った美しい作品。サウスキャロライナの兵学校で撮影されたとのこと。コロンボは兵学校に寝泊まりし、一度脱走したスプリンガーを探し出すために出た以外、捜査活動は全て学校のキャンパス内というのも特殊です。コロンボのランニングシャツ姿が珍しいですね。ラムフォード大佐ほどコロンボのしつこい捜査に協力的な犯人も珍しい気がします。決定的な犯行の物的証拠はどこにもありませんが、犯人が潔く観念する決着パターンの典型です。
無駄な音楽もほとんどないですしね。
何度でも見たいコロンボです。砲台掃除をサボった告白で状況が一変する。この展開が痛快です。面白かったっす
そうですね、そのあたり私も大好きです。
ここまで憎々しい犯人はいないな
はじめて犯人より全面的にコロンボを応援してしまった
校長室で事件の核心に迫るコロンボに、突然葉巻を進める大佐が、自らの信念を語る。
『バラがあってね、白いバラだ』という大佐と『あたしもカミさんとよくそんなことを話し合うんですよ』と答えるコロンボ。
そして電話がなり大佐が受話器を取るとともに現実の時間に戻る。
この僅か2~3分のマッグーハンとフォークの演技合戦は必見である。
おぉ、なるほど!そこんとこ、見てみます。
いまそのシーンを見返しています。確かに良いシーンです。
自分の信念について語る始める大佐にコロンボは一瞬唖然とするものの、やがてラムフォードの犯行動機が保身や欲得を超えたところにあるとあると思い至ると、彼の信念を理解し、それを受け止めるんですよね。
ドラマ半ばからお互い敬意を抱き始めるわけですが、彼らの感情はほとんど台詞に現れないだけに、この校長室で交わす会話こそ私がシリーズで一番印象に残るシーンです。
はじめましてー
吹替
大佐「君は酒はやらんのかね」
コロンボ「やりますが、懐の都合もありますんで」
原語
大佐「君のファーストネイムは?」
コロンボ「名前はありますが、呼ぶのはカミさんだけなんです」
ここを変える理由がわかりませんねー
この作品は今回初めて観ました。
まずこういった陸軍関係の学校が私立である事に驚きました。
それにしても、今回コロンボのシャツ姿など普段の放映では見られないシーンが多くて、すごくリアリティを出そうとしている感じが嬉しかったです。
りんご酒の時刻から割り出した特定、これはいつも通りの通いの聞き込みでは無理ですよね、実際に寝食をともにして初めて分かる犯人。
実に見事なストーリーだと感じ入りました。
犯人吹替役の佐野浅夫さんが渋いですね。それが途中で中庸介さんに変わり
コロンボさんも何度も声優さんが変わられたので話が入って来なかったので残念です。コロンボさんが起床で叩かれて起こされところが笑えました。
佐野浅夫さん、最高ですよね。
BSスペシャル投票第6位。今こうしてみると、殺人はいけないとしてもシリーズ男マクグーハンの大佐のキャラクターの潔いこと。自分で言うのもなんですが私は、護憲派、リベラル、革新、ハト派、左翼のつもりです(オイオイ)が、今時の日本の改憲派、保守、タカ、右翼の往生際の悪いことと比べて、この大佐がカッコ良くて。「戦争が無くなれば喜んで軍服を脱ぐ」名台詞。ラストは、時代に取り残された老兵の背中が語る哀愁をコロンボが見つめる(=看取る?)構図と複雑な眼差し。※ところで「コロンボ」では基本的に政治関連の舞台は、右翼、タカ派ですな。
個人的には、一番好きな作品です。
犯人は矛盾を多くあらわしていて、それが納得いかないというご意見は、もっともだと思います。
大佐は戦争が嫌い。犠牲の少ない効率のよい戦闘を行える指揮官を育成したいが、この時代私立の幼年学校は、日本でいう「寺に預けて修行」みたいなちょっとした矯正施設っぽく扱われている(しかも金持ちの子どもが多数らしい。ムカツクよな、実戦経験者としては)。ルーミス大尉の(俺だって靴みがきから始めたぜって)表情が、なんともいえない。
Old thunderと揶揄される大佐に殺される被害者は、財産にすがらず自立し、母校の経営改善に取り組む。現実的だ。
無断外出常習のロイも、素行はともかく友人や恋人に恵まれた、いい奴みたい。
争いが終わったなら趣味に生きたいと思いつつ、教え子殺しを実行した犯人は、本当は自分が式典の祝砲を担って死んでも構わない、やや自己破滅型な心境だったのかも。
広い校内、キレイな宿舎、遊び盛りの若者たち。しかし大佐の求める理想は空回り。コミカルな場面、信念を語る場面、国歌の原題を粋な訳にした点。文句なしのマックグーハンの名演。さすがのコロンボ警部も、校長としての面子を立ててから、逮捕連行したでしょう。
それらのいろんな要素を、テレビの2時間ドラマに、破綻なくつめこんでいる。
誰がなんと言おうと(なにも言ってねぇ)、不動のマイベストです。
なるほど、素敵な感想をありがとうございました。
後ほどぼろんこブログの人気投票に加えておきます。
昨日、録画がしていた本作をようやく観ました。とても面白かったです。ごめんなさい、私から言わせると大佐はクズです。ヘインズを殺すのはよいとして(人殺しは悪いですね)それを他者の不始末のせいにしようとした。卑怯者だと思いました。殺されたヘインズの考えも別に間違ってはいないと思うのですがいかがでしょうか。マクグーハンさんビッタリでしたね。
日差しのあたる、校庭のあんなど真ん中で、大佐はよくもまあ詰め物が出来た
ものだ。秘書に抗論の模様を聞かせる偽装工作は「だまされたコロンボ」
でも出てきました。
クレーマー刑事が、コロンボの現場検証風景を見て「こつぁコトですよぉ~」
と言う。つまり、クレーマー刑事はコロンボをよく知っていて、その挙動を
見ただけで、捜査に本気を出していると分かってしまうのだろう。
コロンボが本気になれば、周囲が見えなくなって、他の人は”置いてけぼり”に
なってしまうからだ。
途中、大佐の吹き替えの声が変わり過ぎで、調子くるいますね。
コロンボとスプリンガーとの会話は、非常に興味深い。
スプリンガーの言動から、
・砲身にボロを置き忘れたのはスプリンガーではない
・しかし、何かを隠している
という2つの事を、コロンボは嗅ぎとっている。
興味深いというのは、その様子を大佐へ説明しているシーンだ。
「布の正体を一目で認めたから、それはウソでないと分かる」と言う。
コロンボのウソ発見センサーの一端が開示された格好だ。
これまでの刑事コロンボでは、それをコロンボの表情や言動からくみ取る
ことしかできなかった。それが今回、そのロジックの一端が公表された
のだ。そして、大砲の清掃は名誉ある任務で、大佐に命令されたという。
スプリンガーは札付きなのに、なぜ名誉ある任務?・・・と、
大佐の苦しい言い訳と相まって、この時、容疑はスプリンガーから大佐
へと一気に傾く。
コロンボは校内で目的場所へ行くのに、かなり方向音痴だった。
一度方向を聞いたのも拘わらず、何度も聞き返していた。
しかし「別れのワイン」では、方向さえ教えてもらえば勘は良いほう、
と言っている。イタリア語もしゃべったり、しゃべれなかったりだから、
これもアリか。
ゼリグナイトの痕跡があるというところから、殺人事件として本格的な
捜査になったかの如くだが、それは表面上だけで、ウソつきコロンボの内心
では、そうではないだろう。コロンボの方向性に間違いなかったという
確信は深まったことだろう。
大佐「男女共学には理事会に拒否されただろう」
コロンボ「理事1人1人にあたる必要はない?」
大佐「・・・・・・・・・・・・・・・」
大佐「必要と思えばやることだ」→やや捨て鉢ぎみ
この時、すでに大佐は、半ば以上観念していた。
最後、リンゴ酒の見える時刻と場所とを特定され最終的な観念をする。
しかし、まったく後悔などしなかった。「あれは必要だった、わたしは
何度でもやるだろう」大佐の公私のケジメの付け方や責任感は極めて厳しい。
観念した後でも、マユ一つ動かさず、最後の指導にあたっていた。
もし実際の戦場にあっては、こういう冷厳な決断力こそが戦闘を勝利に導き、
負け戦でも被害を最小限に抑えることができるだろう。
まったく見事な最後だ。
この作品に1票追加します。
トレモニさん「犯人かどうかを見抜く方法」興味深く拝読しました。コロンボ警部もその点、いつも考慮していたのですね。
庭にハニワさん>よく発見しましたね!確かに水色のジャケットの男性が、映っています。警官役の俳優に止められていますね。面白いです。
「逆転の構図」や「歌声の消えた海」と同様に犯人や特殊な舞台設定がストーリーに絡んでおり、中期の刑事コロンボが最も円熟していることを示していると思います。このエピソードも大砲による爆殺という犯行方法の新鮮さが秀逸で、詰めの証拠に生徒たちが密造していたリンゴ酒の瓶を使っている点も洒落ています。
そして本作のもっとも大きい見どころは、最初から最後まで一貫して気高い軍人であり続けたラムフォード大佐の生き様でしょう。コロンボがシンパシーを感じる犯人としてはアビゲイル・ミッチェルと並び印象に残っています。
タップおばさん。
よくわかりました。
なるほど、やっと謎が解けました。
ありがとうございます。
>>井上用水さん
アメリカと日本における放送時間枠の問題です。
フルタイムで放送すると当時の日本では放送時間を越えてしまうので、カットしている箇所が随所にできるわけです。
一切声がないので気づかなくて当然ですが、
一番最初のシーン、大佐が大砲の火薬を細工し、兵器庫の物とすり替える4分ほどあるシーンは、
その4分を丸々カットしていたそうです。
吹き替え収録の際は「カットを施した映像」を使いましたが、
DVD収録や現在のテレビ放送ではフルタイムでオンエアすることが当たり前になってきた影響で、そのカットしていた映像にも新たに吹き替え収録を行った。
しかし、小池朝雄さんはお亡くなりになっていたのでコロンボ役は銀河万丈さんが、
犯人役は大半が別の人に代わっているのです。
(何故石田太郎さんではなかったのかは謎ですね)
佐野浅夫さんは再収録のオファーを断ったのかな?と思います。
「二枚のドガの絵」犯人役の西沢利明さんや「死の方程式」犯人役の野沢那智さんは追加吹き替えも続投してますが、
やっぱり20年以上お年を召されただけに少し違うな、と感じましたし。
個人的にこの作品の吹き替えにおいて不服なのは、
大佐がルーミス大尉を呼び出して「生徒のリンゴ酒密造」を調べろと告げるシーンが当時カットされていたことです。
ここはカットしちゃダメでしょうよ。
初めてコメントさせていただきます。毎日BSで放送されていて楽しんでます。刑事コロンボは、1970年代の初めから観ている者です。
佐野浅夫さんの吹き替えは、本当にハマってますね。皆さんと同じくコロンボシリーズで吹き替えが変わってしまうのが残念です。一体どんな理由なのでしょうかね。
犯人かどうかを見抜く方法
犯罪に関わる重要な問いかけに対して、
・犯人ではない場合
→自然体で本質を臆さずズバリ話す。
・犯人の場合
→それがどんなに難しい内容であっても用意された模範解答のように
スラスラと解説風に冷静に説明する。
後は、空気でしょうか。コロンボが、ある程度目星をつけて疑うような
問いかけを発した時の空気感でかなりの真相が見えてくる。
その他犯人の場合は、以下の特徴がある。
・殺された人の性格や日常について、自分に不利にならないように無理に
でっち上げる。。
・殺人事件なのに、ドギマギせず冷静でいる。
・問いかけに対して、至極冷静で一貫性ある回答ができる。
・事件前後、接触する人にやたらと時計で時刻を確認しあう。
・捜査に対して、当初は必要以上に協力的である。
大佐にとっては歴史ある陸軍幼年学校を守ることが最も大事であった。
黄金のバックルにおいては、美術館を守ることが最も大事だった。
愛情の計算では、息子を守る。
恋に落ちたコロンボでは、娘を守る。
別れのワインでは、会社と会社の尊厳を守る。
死者のメッセージでは、姪の魂を守る。
そういう点で共通している。
こういった私利私欲では無いところに犯罪動機がある場合の往生際は
きれいなものです。コロンボと犯人との間での最終的な信頼関係もできます。
また、わたし的にはエピソードの評価も高くなります。
初めまして。サイトの方はちょくちょく拝見させて頂いています。今まで見逃していた『祝砲の挽歌』をようやく視聴できました。素晴らしい作品でしたが、とても気になった事があります。
現場検証シーンの後ろ(パトカーが停車している場所辺り)で、一人の男性が歩いてきて制服警官に止められているのが確認できます。その男性は警官と何やら話していましたが、手前で演じてる俳優さんたちは特に気にしてる様子もありませんでした。もしかしたら素人が勝手に撮影現場に入ろうとしたのかな、と思っています。
南部さん>私はまだノベライゼーションはほとんど読んだことがありません。老後の楽しみに…と思っています。「男の顔だ」ですね!素敵だ。映像では、そこまでのシンパシーは感じませんが、納得ですね。
富士子さん>私の周囲にもこんな男性はいませんね。特に今回のように、若者に接しているコロンボは素敵です。
にゃんこさん>BGMよりも、ラッパの音、生徒のかけ声、そんなものが背景に流れて雰囲気を作っていますね。
この作品に3票追加しちゃいましょう!
今日BSの再放送で観ました。おもしろかった。陸軍幼年学校という特殊な世界も興味深いし、ラストのリンゴ酒からのアリバイ崩し、コロンボの質問に答える生徒たちの一斉の叫び声がしびれた。
「見事な推理だ」と言う大佐のセリフ、そして「訓練終わり」でのしめくくり。これはもう最高です。
コロンボさんは、どう見ても今風に言えば、ださくて、一頃流行ったオヤジ狩りの標的にされそうな、だめおやじ的な見てくれです。
でも、真の男らしさを、彼は、内に秘めていて、男、というだけでなく、人間としての強さを持っていると思います。
身近にこうした男性がいなかったことは、とっても残念ですが、見てくれや肩書やお金の有無でしか、人を見ることしかしなかった私には、たとえ傍にいても見分けられなかったんだろうなぁ、と今更ながら、つくづくコロンボさんの偉大さに感慨を深めています。
ノベライゼーションを読みますと、捜査の過程で次第にラムフォード大佐がコロンボにシンパシーのようなものを感じてゆくのがよくわかります。最後の場面、朝日を浴びるコロンボの横顔をラムフォードは心の中で「男の顔だ」と表現します。私はこの作品を初めて見た小学生時分、コロンボの「『私です』と言ってごらん!」のところ、子供心に鳥肌が立ったのを昨日のように思い出します。
rayさんコメントありがとうございます。1票追加しました。詳しいお返事は放送後に書きますね。
ぼろんこさんはじめまして。コロンボシリーズの顔ともいうべきマクグーハン作品の中では、私はこれが一番好きです。
ところで、これは軍隊ものということで問題ないのですが、厳密に言うと「軍隊」ものではありません。吹き替えで陸軍幼年学校となっているために誤解が生じやすくなっています。本物の陸軍幼年学校は軍に所属する組織で教官は現役の軍人が中心です。しかし、ここはそうではなくて、私立の「予備校」にあたる学校にあたると考えられます。
ここでいう「予備校」というのは、将来軍の学校に入学したい生徒に対して、受験に役立つようなカリキュラムで教育する学校のことで、したがって卒業生は確実に士官学校に入れるという保証はありません。また、軍との直接的な関係もありません。日本にもかつてあったけど戦後に普通の私立高校に変わりました。
ちょうどこの作品が作られた頃はベトナム戦争でアメリカの負けが確定し、世の若者はラブアンドピースの文化に浸っていた時期に当たります。人々が戦争や軍隊に嫌気が差していた時代ですね。ましてや私立の軍隊式学校などは人気も低下し、時代錯誤もはなはだしく見えたのではないかと想像します。理事長や理事会(これがあるので私立だとわかる)が共学の短大に改変しようというのも無理からぬところでしょう。
ですから、大佐が当たり前のように軍人式尊大さを振りまくのも、見る人によっては滑稽な軍隊ごっこに見えてしまうわけで、実は彼だって軍人の誇りと現実の間で苦悩していたのだと思います。しかし彼にはほかの生き方は考えられないし、そのようにして自分の道を貫こうとするところに、殺人犯であるにもかかわらず、視聴者が大佐に共感や感銘を覚えるのだと思います。
ここでのマクグーハンは、完璧にそうした人物像を演じきっていて良いですね。
祝砲の挽歌!エンディングの歌声がぴったりハマってます。
「祝砲の挽歌」というサブタイトルを付けた当時のNHKスタッフは凄い!(これ以上書くとネタバレになります。)
「祝砲の挽歌」の人気投票が単独5位に浮上しました。次回の更新で「矢倉戦」さんの1票、加えます。
あの名作と言われる祝砲の挽歌を書店のDVDボックスで見つけた時は大喜びしました。
来月中には手に入れます。
個人的に一番の名作に挙げる作品です。
パトリック・マクグーハンの秀逸な演技。
3代目水戸黄門・佐野浅夫さんの貴重な吹き替え。
自身の理念に基づき起こした綿密な殺人計画。
厳かな陸軍幼年学校の雰囲気。
BGMを全て軍隊のものに統一。
この他、コロンボ警部の笑いどころもチラホラ。
結局、自分の理念により見過ごせなかったある事実を口にしたせいで暴かれた自らの犯罪。
そして、大佐の最後の言葉。
秀逸な脚本、名演技、大きな見どころ、たまにユーモア。
傑作だと思います。
とっしーーさん、「カルヴァドス」「祝砲の挽歌」でネット検索したら、いろいろ勉強になりました。「リンゴのブランデー」みたいなものなんですね。
DCTさんコメントありがとうございます。「By Dawn’s Early Light」ですね、そうです!原題が、アメリカ国歌の一節からとられています。そのあたりも踏まえ近々、本文に加筆いたします~。
これは特に印象に残る作品の1つです。
仰る通り、兵学校で閉鎖的なシチュエーションがそれを示していますが、そこにコロンボが彼なりに対応する形が、実にユニークです
(マイペースとも言えますが笑)
特に吹いたのは、序盤の現場を検証するシーン。
大佐がコロンボを「どこかの知らないオッチャン」と関違いして、退出させるシーンは笑えました(笑)
(´ー`*)
それに合わせて
「そうしましょう」と合わせるコロンボも、さすがですね(笑)(笑)
ぼろんこさんのご指摘通り、青写真から大佐と理事長の確執を見抜き、動機に気づく点も華麗です♪
しかし夜中に、同僚に電話するのは・・ね(苦笑
ところで、あのリンゴ種は「カルヴァドス」でしょうか??ぜひ、飲んでみたいですね!!
生徒が、女子大生と付き合えるとは・・個人的な意見でアレですが、いつの時代でも、女子大生はステキです(笑)(´ー`*)
大佐の冷静かつ機転が利いた行動、本当に凄いですし、作品全体も絵になりますね!(^^)!
いつも、楽しくサイトを拝見させて頂いております。
コロンボは中学時代から見ていました。
今は、英語と日本語の両方で楽しんでいます。特に英語は勉強の教材です。
ところで、話は変わりますが、アメリカに住んでたときに聞いたのですが、
原題は、アメリカ国家の歌詞の歌い出しを抜粋したものだそうです。
舞台となる陸軍幼年学校と国歌との組み合わせとのことです。
るてなんとさん、コメントありがとうございます。「2代目・のび助」さんだったのですね(笑)それにしても、声というのは、なかなか特徴的なものなんですね~。
マクグーハンの追加吹き替えは、中庸助さんです。
マクグーハンの吹き替えを「評決のとき」という映画で担当されています。
あまりなじみのない名前に思われるかもしれませんが、中さんは「ドラえもん」の登場人物であるのび太の父・のび助役の方です。
もともと加藤正之さんが担当されていましたが、加藤さんの体調不良により、2代目に抜擢されました。
しかし、佐野さんと声がぜんぜん違うので、ここがカットシーンだというのはすぐにわかります。
この辺のキャスティングは少々ミスかなと思います。
ササキさん書き込みありがとうございます。この主人公(というかゲスト)ラムフォード大佐ですが、よく考えますと、結構卑怯です。スプリンガー候補生に救いの手を差し伸べるように振る舞い、実は陥れる…。エンディングの歌が、心地よく響くのも印象的ですね。「卑怯者もここにはいない♪」でしたっけ?
窓に吊るされたリンゴ酒が事件解決の決め手になるという意外な展開で幕。軍人が主役を演じる話はほかにもありますが、これもいい作品でしたね。我国にも旧陸軍には幼年学校があり、軍人魂の塊のような校長がいたと思います。今の自衛隊にこういう軍人はいるのかなあ。いやいや、軍人という用語が死語になって久しいから、そういう土壌は育たないのでしょうね。
S.H.さま、心に響くコメントを頂き、ありがとうございます。本作はせっせと準備工作をしているシーンから始まります。そして対象者を登場させ、背景を徐々に明らかにし、当日をむかえる。「ズドン」と爆発音、ラムフォード大佐の冷静な表情のアップ、悲鳴…。この流れは、多数のコロンボ作品の中でも特に優れていると思いました。
殺人者を美しく描くことは、倫理上の問題もあるのかも知れませんが、見る側の「心さえしっかりしていれば」意味が正しく伝わるものだと確信いたします。
本来の意味の確信犯、保身よりも後進の為に殺人を犯す、日本人の感覚で至高の殺人者でした。別れのワインも名作ですが、ワイナリーと学校では、本作に理があります。
自分もCol. Lyle C. Lamfordの歳に近くなるにつれ、後進への思いから益々彼の信念が身に凍みています。
本作は語り尽くされた感もありますが、是非平成世代にも観て感じて頂きたい秀作であると。
混迷を極めた政治情勢では尚更です。
食堂のシークエンスも、古畑でリフレインされた名シーンですね。