- 作品そのものも面白いが、出演者情報がすごい。
- 映画「イヴの総て」を観て。
- ノーラ・チャンドラー「リンカーン・コンチネンタル74A」 「シボレー・シビル・マリブ」 「ダッジ・コロネット」
- ジェリー・パークス「ジャガーXK-E」
- ジーン・デービス「トライアンフ・スピットファイア」
往年の大女優であるノーラ・チャンドラーが長年パートナーとして秘書を務めたジーン・デービスを車ごと爆破して殺害。
シリーズきっての大スター役
フランク・ロイド・ライトの孫娘
また、調べているうちにわかったのですが、アン・バクスターの祖父(母の父)は、有名な建築家「フランク・ロイド・ライト」だということで、びっくり仰天ですね。
メル・ファーラーは凄いのだ
過去の共演者の名前に驚くなかれ
本当は誰を殺したかったのか、分からない…
14話という初期作品なのですが、倒叙法(最初から犯人が分かっている)を原則としながらも「本当は誰を殺したかったのか、分からない…」という興味深いストリー展開となっています。おそらくこの作品を見た人の多くは、ゴシップ記事作家の「ジェリー・パークス」を殺そうとして誤って秘書を殺してしまった…と思ったでしょう。でも、もしそうであれば生き残ったパークスが「ノーラが自分を殺そうとしていた」と告発すれば、一気に容疑が固まるわけです。この二人の「くされ縁的な不利害関係」が前提として、物語は考えられていて、非常に「深い」ものを感じました。
大女優が演じ続けていたもの
その背景には「ノーラが12年前に当時の夫を殺してしまった」ことも隠れているので、話がさらに複雑になり、ちょっとボケちゃってるのかも。ただ単に「往年の大女優が誇りを守るために殺人を犯した」だけでも、充分ストーリー展開できる気がしました。12年前にすでに殺人を犯していて、その後何喰わぬ顔でスターを演じていた…大女優?というオチでしょうか。
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2020年に、久々に再見して‥
今夜パークスは書店でのサイン会があり、その後ふたりは一緒に過ごすつもりだった。ジーンは約束ようにパーティの準備ができないことを、書店のパークスに伝えに行く。その隙にノーラはジーンの車のタイヤをパンクさせる。(午後8時少し前か:もうけっこう暗い!)
パークスの証言では本屋でジーンに会った点、まだお使いを何も済ませていなかった様子。このシーンがもっと明るかったら、良かったかもね!同じ夜の出来事とは思えない。
考えられるシナリオ‥
パークスとジーンの二人とも死んでもらわないと、リスキーな証人が残ってしまいます。先にジーンを殺す。パークスはずる賢いからノーラを犯人としてしまうより、もっと本格的に恐喝してくると踏んだ。(本当にはジーンを愛していないから)そして時期をずらして、パークスを殺す。
車が全部違う‥
ジーンの殺害に使った車が濃いグリーンメタリック(に見える)、ノーラの車が褐色のメタリック、パークスを跳ねた車がブルーメタリック(に見える)。
結局、考え出したら夜も眠れなくなりそうです(笑)
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愛車プジョーの汚れ方が尋常でない
セレブな犯人たちは、こぞってこの車を「ボロ車」と見下しますが、大女優:ノーラ・チャンドラーがこの「愛車プジョー・403コンバーチブル」に同乗したのは奇跡かもしれません。しかもこの時のボディの汚れ具合は尋常ではありません。どう見ても演出上、わざと汚しています(笑)
ジェフリー刑事
ファロン所長
イーディス・ヘッドさん
映画「イヴの総て」
Tクラブ会員とは?
Tクラブとはフリーメーソンの外郭団体「シュライン」を意味するそうです。
第2~第3シーズンの不思議なピアノ曲
YouTube「不思議なピアノ曲」刑事コロンボの第2~第3シーズン「黒のエチュード」「偶像のレクイエム」「絶たれた音」「毒のある花」などで多用された「不思議な雰囲気を持ったピアノ曲」を再現しています。音楽もお好きな方は、こちらもご覧ください。(*ご注意:YouTubeへのリンクは音が出ます!)
監督:リチャード・クワイン
脚本:ジャクソン・ギリス
ノーラ・チャンドラー:アン・バクスター(声:藤波京子)
ジェリー・パークス:メル・ファーラー(声:小山田宗徳)
ジーン・デービス:ピパ・スコット(声:牧野和子)
フランク・シモンズ:ケビン・マッカーシー(声:家弓家正)
ファロン所長:フランク・コンバース(声:西山連)
イーディス・ヘッド:イーディス・ヘッド
ジェフリー刑事:ウイリアム・ブライアント(声:寺島幹夫)
聴取される女性:ダイアン・ ターレイ・トラヴィス
撮影所の警備員:マイク・ラリー
撮影所の門番:ジャック・グリフィン
見物人:レン・フェルバー
見物人:トニー・レーガン
加筆:2020年8月2日
私の過去のコメント中で、現在最も重要だと感じているポイントを中心に、各回をリテイク・コメントしています。
【・・・「偶像のレクイエム」(1973)⇒ 映画『イヴの総て』(1950)⇒ 邦画『Wの悲劇』(角川 1984)が地下水脈でしっかりと繋がっていることを、今回初めて実感できました。
夏樹静子さんの原作ではなく、邦画『Wの悲劇』の原型は明らかに『イヴの総て』です(劇中劇という意味では、さらに「ロンドンの傘」も繋がります)。
(以下、確信犯的トンデモ説です)
『イヴの総て』⇒「偶像のレクイエム」では、芸能界で成功し生き残るために、どんなあくどい手段も厭わない女優魂の恐ろしさを描いています。しかし、女の恐ろしさと対照的に、女人禁制のフリーメイソン、シュライン(Tクラブ)を暗示していると仮定します。そうすると、志半ばで無念にも死んだノーラの夫は、フリーメイソンと切っても切り離せない大作曲家として有名なモーツァルト的な意味合いがあるのではないでしょうか。
今回のタイトルは「Requiem for a Falling Star」ですが、レクイエムなら多くの大作曲家が書いています。しかし、作曲家の死により絶筆未完となったレクイエムの名曲といえば、何といってもモーツァルトの『レクイエム K.626』です。他方、「Falling Star」とは落ちていくノーラの女優人生を指すのでしょう。かつては映画の大女優だったノーラが、裏に恐ろしい真実を抱えつつ、すっかりテレビの深夜ドラマの女王へと成り下がっています。これはモーツァルトの最晩年の傑作、ジングシュピール(歌劇)『魔笛 K.620』の「夜の女王」を彷彿とさせます。最初は偉大な善の象徴でありながら、物語が進むにつれて悪の側面が明らかになり、落ちていく姿が夜の女王に似ているのです。あるいは、悪妻説が未だ根強い、モーツァルトの妻、コンスタンツェをオーバーラップさせることも可能かも知れません。・・・】
などと、以前コメントしましたが、本作の、様々な角度から縦にも横にも斜めにも重層的に張り巡らされた凝りに凝ったトリック・アート(騙し絵)的幻影を毎度見させる魅力は、とてもとてもこんなものじゃなく、ショスタコーヴィチの交響曲も完全に顔負けだと思うほどで舌を巻いてしまいます。概要を知るには、何といっても、まず、ぼろんこ様の記事本文をよく読んでいただくのが一番なのですが、「殺人処方箋」や「二枚のドガの絵」といった初期傑作にはない、底なし沼のように深く恐ろしい作品だと感じています。
イーディス・ヘッドのいた赤い扉の建物ですが、ジェシカおばさんの事件簿「映画セットは死のにおい」の衣装部と同じ建物でした。こちらは青い扉でした。
同時代の作品を横断して観ると発見がありますね。
*お化粧の話なのでご興味がない方はとばして下さい。
前から思っていたのですが、このアン・バクスターのヘアメイクはわざとなのでしょうか?
つまり、当時の50代としても、とても老けて見えると思います。(アン・バクスターには余計なお世話ですし、もちろん現代では人のルックスをあれこれ言うことは失礼なのは承知であえて書いています)
役柄上こういうスタイルにしたのかもしれませんが、この薄い色の髪の毛に濃い色の眉、それだけで老けて見えますし、目が大きいのにこんなに濃いアイメイクETCと、どうしてもそんなことが目についてしまいます。
でももしこれがわざと挑んだスタイルであるにしても、ないにしても、拍手を送りたいです。
「恋に落ちたコロンボ」のフェイ・ダナウェイ(メイク大好きの私はあのメイクは何時間もかけたに違いないとみていましたがそのようなこともこちらのブログで書かれてましたね)のように若々しく美しいスタイルはもちろん素敵ですが、あえてきれいでも若々しくもない容姿で演じきったアン・バクスターの根性はすごいです。
開始15分に気が付きました。
コロンボが初めてノーラ・チャンドラーのバンガローに行き、家の電話を借りるシーンですが、頭上から黒い風防のついたマイクが降りてしまい慌てた様子で戻しています。
これでも取り直しはしなかったようですね。既出でしたらごめんなさい。
小ネタとして。
私が好きなのは、コロンボが初めてノーラの「別荘」に車を停め、有名な映画スターと会えることに純粋に感動している様子を見せる場面です。車を降りた後、ズボンとコートの埃を払って身なりを整え、玄関先で素晴らしいパントマイムを披露してくれます。カメラに背を向けてドアベルを鳴らすと、ネクタイを正し、ファスナーを確認し、髪をなでつけるような仕草をします。そして、ほとんどカメラの方を向いて、爪をチェックするのです。この数秒がフォークのアドリブなのか台本にあったのかは分かりませんが、いずれにせよフォークは見事に演じていました。
小ネタとして。今更どうでもいい話です。
上記2022年7月31日 5:59 PMのコメントは、私が投稿したものではありません。実は他にも、私になりすました投稿が過去いくつかあります。私が本名をさらそうと決めた理由のひとつにもなっています。
このところ、わざとコメントのマウンティング合戦を加速させて、新規投稿の出方を見る実験をして確信したのですが、複数のハンドルネームを使い分けている方が一定数いらっしゃいますね。
別に違法でもなんでもなく、ハンドルネーム投稿とはそうしたものだと、あくまでも個人的に改めて学んだだけです。
仁科雅之様
ご無沙汰してます。
え、なんと!そうだったのですか!
えー!
しかしそれだけ皆が仁科様の投稿に注目し一目置いているということでしょうね。私はそう思います。
個々のタイトルにもピッタリかと。
個々ではなく、ここ(偶像のレクイエム)です。失礼しました。
にしても、ずいぶん苦心して仁科様の文体をまねようとしてますねえ、
個人の感想です。
YUKIゆき(アイス)様
>それだけ皆が仁科様の投稿に注目し一目置いているということでしょうね。
ありがとうございます。
しかし、あれについては、私の投稿ではないのです。
仁科雅之様
>しかし、あれについては、私の投稿ではないのです。
そう言われるかもしれないのにそんなことをするなんて
そんなにYC-30様になりたいのか?ちょっと衝撃だ、という意味です。
(ところで、12月にラファウ・ブレハッチがヴァイオリンの伴奏で来日するようですね。コロンボにはヴァイオリンの曲って出てきましたか?ちょっと思い出せません。)
YUKIゆき(アイス)様
>12月にラファウ・ブレハッチがヴァイオリンの伴奏で来日
12月は樫本大進 (ヴァイオリン)とのデュオ・リサイタルみたいですね。ここでもフランクのヴァイオリン・ソナタが聴けるみたいで・・・、あの曲は耳にタコができるほど聴いても決して聴き飽きることがないので、行ける人が真に羨ましいです。
ブレハッチ単独のピアノ・リサイタルも行ったことがありませんが、もし、彼のショパン:マズルカ集の実演があれば、ぜひ行って聴いてみたいものだと、ずっと願っています。
>コロンボにはヴァイオリンの曲って出てきましたか?
そういえば、本格的なものは思い当たらないですね。
そもそも、コロンボがイタリア系で、クラシック音楽ファンという設定、演じるピーター・フォークがユダヤ系とくれば、ヴァイオリンやヴァイオリニストをフィーチャーしたエピソードだって一つや二つあってもよさそうなものですよね。
仁科雅之様
もしかしたら、行ってくるかも、しれません!その時はひそやかに無理やりコロンボと関連付けて報告させていただきますね。(デュオと言うべきでしたね。いつも自分が弾くときも伴奏と言ってしまいます)
>そもそも、コロンボがイタリア系で、クラシック音楽ファンという設定、演じるピーター・フォークがユダヤ系とくれば、ヴァイオリンやヴァイオリニストをフィーチャーしたエピソードだって一つや二つあってもよさそうなものですよね。
そうなんですよね。あ、ヴォラーレは、やはりイタリア系と言うことで出てきたのでしょうか???
ところで、また関係ないこと書くなと言われるのを承知で、仁科様にご教授いただきたいことがあるのです。
最近わたしはバーンスタインとフランツの、シューマンのピアノ協奏曲に感激して、クラシックに興味を持ちだした甥っ子の分も含めて2枚DVDを探しています。でも、アマゾンでたった一枚出てくるだけで、それ以外は全く見つかりません。
これはすごい名演かと思うのですが、DVDは廃盤になってしまったのでしょうか?ご存じでしたら教えていただけるとありがたいです。
YUKIゆき(アイス)様
>バーンスタインとフランツの、シューマンのピアノ協奏曲
さすがお目が高い!
バーンスタイン指揮ウィーン・フィルの協奏曲の映像では、ブラームスのピアノ協奏曲 第1番と、第2番(この曲、9話「パイルD-3の壁」で犯人が愛聴していましたね)の独奏がクリスティアン・ツィマーマンだったので、このフランツとのシューマンはすっかり影に隠れて忘れ去られていますよね。私も所有していますが、現在新品DVDの入手は困難みたいですね。
でも、おっしゃるように名演だと私も思います。
我ながら古臭い表現ですが、フランツの「青春の記念碑」的名盤。
仁科雅之様
お返事が遅くなり申し訳ありません。
情報ありがとうございます!
甥っ子はCVDプレーヤーを持っておらず自分の時代遅れぶりを感じております。けれども、このフランツの名演とブレハチのショパンコンクールとコロンボはやはり所有しておきたいところです。クラシックは著作権が切れているので動画が消されることはないのでしょうけれども、不安?です。
このシューマンのフランツ若いですよね。髪もふさふさですがやはり音がキラキラして若々しいのでそれで一層若さを感じる私です。コロンボも「殺人処方箋」を初めて見たとき若くてびっくりしました。(私は初期の作品を後に観ているので)。
追伸「パイルD-3の壁」でのブラームスはツィマーマンなのでしょうか?
映像での見た目から、フランツの若い頃の演奏と思い込んでいましたが、調べたら、なんと40歳くらいの演奏なんですね。さすがに「青春の記念碑」とはいえませんね。失礼しました。
なお、個人的には、この協奏曲の独奏者は、初演当時に想いを馳せられるので、女性演奏家がいいなと思っています。
初演時の独奏者は、ロベルト・シューマンの妻、クララ・シューマンで、彼女は当時26歳、当時は夫よりもよほど絶大な人気があり、ひっきりなしに妊娠しながら(夫妻の子供は8人!)、ヨーロッパ中を回って演奏会を行っていて、大変なハードスケジュールであったらしいですね。
私が近年この曲で愛聴しているのは、エレーヌ・グリモー(p)エサ=ペッカ・サロネン(指揮)ドレスデン国立管弦楽団のCD。
もうひとつだけ、クララ・シューマンを語る上で、必ず出てくる話題は、ブラームスとのあやしい関係。 ロベルト・シューマンは、コロンボみたいに「うちのカミさんがね」なんて、気楽に軽口たたける心境には、中々なれなかったでしょうね。
横から失礼します。
私は若い頃、シューマンにハマっていろいろな作品・録音を聞いた時期があり、ピアノ協奏曲もずいぶん録音を集めました。
数年前に所有するCDを大量に処分しましたが、手元に残したシューマンのピアノ協奏曲は、女性演奏家であるマルタ・アルゲリッチ、バックはコルド指揮ワルシャワ国立フィルの79年ライブです。録音は十全ではありませんが、他の演奏ではなかなか味わえないような緊迫感があるように思い、手放すことができませんでした(ちなみにカップリングは同じ顔ぶれによるチャイコフスキーのP協第1番、凄演です)。
ところでシューマンのピアノ協奏曲といえば、私の世代など一部の人にとっては「ウルトラセブン」・・・となるのでしょうが、ここにはそぐわない内容なので深入りはしません。
今ではシューマンの作品を聞くことはずいぶん減りましたが、昔はそれほどでもなかったブラームスの作品はトシを取るごとに愛着を感じるようになっています。抑えたような情熱とエロチシズムが何とも魅力的に思えるのですが、これもクララによるところが大きかったのでしょうか。2人が実際のところどこまで深い関係だったのかはいまだに謎だそうですが、それはそれで想像力をかきたてるものがあり、その点でも対立するヴァーグナー(の派手な女性関係)とは対照的でおもしろいですね。
tempus fugit様
クララ・シューマンを彷彿とさせるなら、何といってもアルゲリッチの右に出るピアニストは、ちょっと思い浮かばないですよね。
ご紹介の、そのアルゲリッチが弾くシューマン&チャイコフスキーのライブCD(Accord盤)は最高に素晴らしいですね。仰る通り、他の演奏ではなかなか味わえないような緊迫感が彼女の数あり、シューマンのPコンの録音の中で、私も最上位に評価したいです。チャイコフスキーのほうも、定評あるコンドラシン/バイエルン放送交響楽団との80年のライブ録音(PHILIPS)より、さらに凄いですよね。
ウルトラセブンの最終回と、リパッティが弾くシューマンについて、私もたくさん書きたいのですが・・・(涙)。
ところで、『刑事コロンボ』シリーズ全話中、私が最も印象に残っているクラシック音楽の効果的な使われ方は、40話「殺しの序曲」のチャイコフスキーでも10話「黒のエチュード」のショパンでもなくて、9話「パイルD-3の壁」でのブラームスの2番のPコンなんです。あれは、監督を兼任したピーター・フォークの趣味だったのだと信じています(ブラームスがイタリア旅行から帰国後、イタリアで受けた印象を基に書かれていることも考慮したのでしょうか?)。
ブラームス、いいですよね。私は、吉田秀和さんの評論に影響されて以来、この暑い季節には、ルプーが弾く「3つの間奏曲 作品117」「6つの小品 作品118」「4つの小品 作品119」などのCDを楽しむことが多いです。
ブラームスについての自論ですが、ブラームスは、シューベルト、シューマン、ブルックナー、マーラーに比べて、交響曲第1番などの、ごく少数の例外を除いて、異稿や書きかけの楽譜をほとんど残していないですよね。つまりは、そうした作業途中みたいなものは後世に残らないように几帳面に処分していたわけで、証拠を残さない完全(犯罪)主義者といえるのではないでしょうかね?
そして、そのことは、クララ・シューマンとのあやしい関係についても同様かもしれないと想像しています。
× 彼女の数あり、シューマンのPコンの録音の中で、〇 彼女の数あるシューマンのPコンの録音の中で、
私は、完全(犯罪)主義者ではありませんから(笑)、作業途中のお見苦しさやキズを、いくらでも残します。
改めて、アルゲリッチが弾くシューマン&チャイコフスキーのライブCD(Accord盤)は素晴らしいですね。仰る通り、他の演奏ではなかなか味わえないような緊迫感が最高で、彼女の数あるシューマンのPコンの録音の中で、私も最上位に評価したいです。
訂正ついでに、もうひとつ感じておりますのは、私が良く知る1970年代~80年代に活躍した演奏家は、ライブとレコード録音での、乗る、乗らないの差が、今の演奏カより総じて顕著だったのではないかということです。これは、指揮者のカール・ベームなどの実演に接した際にも多々実感してきたことです。アルゲリッチについても、昔のほうが、より、そうだったような気がします。
最後に、私が紹介しました、エレーヌ・グリモーのシューマンのPコンの音盤についても補足説明させてください。
このCD、
シューマン:
・ピアノ協奏曲イ短調 op.54
エレーヌ・グリモー(p)
ドレスデン国立管弦楽団
エサ=ペッカ・サロネン(指揮)
クララ・シューマン:
・リュッケルトの詩による3つの歌曲 op.12
アンネ・ソフィー・フォン・オッター(M)
エレーヌ・グリモー(p)
ブラームス:
・チェロ・ソナタ第1番ホ短調 op.38
トルルス・モルク(vc)
エレーヌ・グリモー(p)
・2つのラプソディ op.79
エレーヌ・グリモー(p)
という曲目になっており、国内盤(ユニバーサル ミュージック)の宣伝文句を借りれば、
《『リフレクション』と題されたこのアルバムは、シューマンとその妻クララ、夫妻の年下の友人だったブラームスの作品を収録し、グリモー自身が語るところによれば、音楽史上でもよく知られたこの3者の間の「愛」をテーマに据えた、とのことです》
で、この暑く寝苦しい夏の夜に、3人の音楽家による三角関係について想像力をかきたてるには格好のCDとなっておりますので、もし未聴でしたらぜひ・・・。
クラシック・ファンのコロンボにも、聴いて欲しかったです(笑)。
(このあとに続く仁科様の2024年7月10日 6:11 PMの文章にコメントをつけようとしたら、それには「返信」表示がなく書けないことに気づきました。そこで「返信」表示が出ているこちらにつけてみます。)
さすが仁科様、Accord盤のアルゲリッチのライブをお持ちなのですね。また、ベームの実演に接したことがおありなのですか、うらやましいです!
ベームのライブといえば、1975年のウィーン・フィルとの来日の際、応募ハガキを出した父親に言われるままに私の名前でも出しました(チケットはハガキで応募、なんて今では考えられないですね)。
もちろん2人とも見事にハズレましたが、その後FMで聞いた来日公演の数々は、放送の電波を通したものとはいえ、クラシック鑑賞は駆け出しの子供だった私も本当に凄いと思いました。
今でも、この時のブラームスの交響曲第1番や、アンコールのヴァーグナー「マイスタージンガー」前奏曲などは、ベーム自身のウィーンフィルとのスタジオ録音を含めた他の演奏を寄せつけないような名演だと思っていますし、それを収めたCDは当然処分せずに持っています。
ところで演奏家を男性/女性と分けて評するのは、もしかしたら昨今の社会的風潮に逆行するのかもしれませんが、「◯大ヴァイオリン協奏曲」として挙げられる諸作品の中で、私がダントツの1位として愛好しているブラームスについては、処分せずに残したCDはほとんどが女性ヴァイオリニストによるものです。
もちろんブラインドテストのように聞いたわけではないので、アーティスト名による先入観があるのは否めないでしょうが、それでもやはりジネット・ヌヴーの古いライブは凄いと思いますし、まったく話題や評価の対象にならなかったと思われるローラ・ボベスコの88年録音は、技巧的には多分ゆるいところがあるのでしょうが、処分するには惜しい魅力を感じて今も時おり聞いています。もうひとつ、リサ・バティアシュヴィリのこの作品のCDは、カップリングがクララ・シューマンの「3つのロマンス作品22」で、仁科様が紹介しているエレーヌ・グリモーのCDと同じようなコンセプトによるものでしょうか。
グリモーといえば、彼女によるブラームスの後期ピアノ作品集、またピアノ協奏曲第1・2番の2枚組も手元に残したCDです。ただ後期のピアノ曲は、グレン・グールドの「間奏曲集」を手に取る方が多いかな。
以上、仁科様のコメントを拝読して、最初から最後まで、思いつくままにとりとめや脈絡のない内容を書き散らした形となり、申しわけありません。
tempus fugit 様
試みとして、今回は、無理にコメントをまとめようとせず、思い付きのまま、誤字・脱字もいっさい気にせず、スケッチ・メモ書き程度の返信にしてみます。そのほうが本音も出せそうなので、どうかお許しください。
ベーム&ウィーン・フィルの1975年来日ライブは父に連れられて、3月17日のブラ1他を聴きに行って度肝を抜かれ、それをきっかけにクラシック・ファンになったようなものです。
しかし、自分だけの意志で、一生懸命働いて稼いだバイト代でチケットを買って聴きに行った、カール・ベーム指揮『フィガロの結婚』1980年・ウィーン国立歌劇場日本公演は、自分にとってより重要な、かけがえのない一生の宝物となっております。フィガロ:ヘルマン・プライ、スザンナ:ルチア・ポップ、アルマヴィーヴァ伯爵:ベルント・ヴァイクル、伯爵夫人:グンドラ・ヤノヴィッツ、ケルビーノ:アグネス・バルツァ・・・、で、舞台装置・衣装がジャン・ピエール・ポネルとくればもう・・・です。
話は戻りますが、昔はよくNHK・FM放送を聴きましたね。エア・チェックもしましたし。ベームは勿論のこと、ザルツブルク音楽祭とか、ウィーン芸術週間、その他海外の音楽祭とかで聴いた有名指揮者は、レコード録音と全然違う高揚感が素晴らしく、なんでセッション録音になると借りてきた猫みたいになるのか、いつも不思議でした。小澤征爾のブラ1も、ボストンSOとのレコードより、FMをエアチェックした、1976年のザルツブルク音楽祭でのシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏のほうが、何十倍も素晴らしいと、クラシック好きの友人と、よく語り合ったものです。
女性ヴァイオリニストの件、同感です。ブラームスにしてもベートーヴェンにしても、中年や初老の独身男性特有の「侘び寂び」的心境の音楽を、女性のほうが素晴らしく演奏できるなんて不思議ですね。
私はヴィオラを弾いていたことがあるので実感するのですが、女性独特の体のしなやかさも強みになっているのではないでしょうか。
弦楽器特有の、ヴィブラートやポルタメントといった奏法も、とても女性的な表現方法だと感じます。昨今は、こうした奏法が過剰にならない、あっさり目も演奏が好まれますが、現代の女性観とも関係あるのでしょうかね。
それと、そもそも、ヴァイオリンなどの弦楽器の形自体、女体ですよね、f字孔が象徴するように。
ひと昔前は、ベルリン・フィルにしてもウィーン・フィルにしてもそうでしたが、男性奏者だけという一流オケが多かったですね。アメリカのシカゴやフィラデルフィアににしても。指揮者も男なので、協奏曲でソリストが女性なら、文字通り紅一点で、それだけで効果的だったでしょうね。
有名なヴァイオリン協奏曲についていえば、シベリウスやチャイコフスキーも、私は、ライブでは、圧倒的に女性のヴァイオリニストで聴きたいです。
ジネット・ヌヴー、ダントツに最高ですね。ブラームスのヴァイオリン協奏曲についても、その、ヌヴーや、ご紹介のリサ・バティアシュヴィリ、アンネ=ゾフィ・ムターなど、男性的な名曲なのに、女性のヴァイオリニストの名盤が多いですよね。
クララ・シューマンの作品の録音は、近年ものすごく増えましたね。明らかに世の中で再評価されていることを、とてもうれしく感じております。
続き
今回も『刑事コロンボ』の話題に、どうしても結び付けておきたいです。
14話「偶像のレクイエム」では、フリーメイソン・シュライン(日本語吹替では、Tクラブ)についての話題が印象に残っています。
フリーメイソンのメンバーだったクラシックの作曲家では、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シベリウスなどがよく知られていますが、ブラームスもフリーメイソンだったようですね。
ふと、先程思い付いた、私の「とんでも仮説」ですが、協奏曲というジャンルは、3楽章形式とか、ソリスト、指揮者、オケの、三つ巴の音楽とか・・・、フリーメイソンの暗号「3」と関係あるのではないでしょうか。
仁科雅之様
追記です。エレーヌいま聴いています!ご紹介ありがとうございます!
クララの話は「音楽家の恋文」という本で読みました。
シューマンは仰天してライン川に飛び込んだとか、精神病院に閉じ込められてクララは一度も見舞いに行かなかったとかなんとか…
そこまできつくなくてもいやーな話を聞いた後にコロンボの「カミさんが…」のセリフを聞くとほっとします。
ところで、今ウワディスワフ・シュピルマンを聴いています。
グラジナ・バツェビチと言う作曲家、私は今知ったのですが、彼女のピアノソナタを弾いています。
YUKIゆき(アイス)様
こんばんは。
>シューマンは仰天してライン川に飛び込んだとか、精神病院に閉じ込められてクララは一度も見舞いに行かなかったとかなんとか…
こういう第三者による噂話は、相当に眉唾だと、私は考えております。
夫婦の真実は当人たちじゃなきゃわからない・・・(いや、じつは本人たちさえもわかっていないかも)、それはコロンボ夫妻についても同じじゃないですかね(笑)。
真相は、映画『羅生門』みたいな深い藪の中でしょう。
グラジナ・バツェビチやウワディスワフ・シュピルマンについては、また後日に・・・。
仁科雅之様
確かにおっしゃる通り眉唾なんですけど、
そうかといって、
すごく仲が良かったエピソードとかいわゆる美談などと言うものの方が、と問え真実に近かったとしても私は眉唾に感じてしまいます。
ただ、面白く物語を作りたい連中がいるのは確かですよね。
コロンボのカミさんが出てこないのはやっぱりよかったですよね。
仁科雅之様
確かにおっしゃる通り眉唾なんですけど、
そうかといって、
すごく仲が良かったエピソードとかいわゆる美談などと言うものの方が、たとえ真実に近かったとしても私は眉唾に感じてしまいます。
ただ、面白く物語を作りたい連中がいるのは確かですよね。
コロンボのカミさんが出てこないのはやっぱりよかったですよね。
YUKIゆき(アイス)様
私は、過去の芸術家含む、有名人、著名人の美談というものは求めてはいませんし、そもそも美談があっても話半分以下にしか信じてないです。
おしどり夫婦と言われているコロンボ夫妻だって、仮面夫婦の可能性は捨てきれません。だから、コロンボの自慢話も、楽しくても、美談とは感じていません。
YUKIゆき(アイス)様、
申し訳ないです。
私は意地が悪いので、憎まれ役に徹して、YUKIゆき(アイス)様との間に、わざと不穏な空気を醸し出してみたら、七色の●●●●ネームの方たちがどう動かれるかを実験してみました。結果、さっそく予想通りでした。
ところで、グラジナ・バツェヴィチの曲はそれほど熱心に聴き込んだわけではありませんが、何枚か彼女の作品のCDは持っています。
リズムの多様性や独創的な和声感が印象的で、ポーランドの伝統音楽とモダニズムを融合させてたり、しばしばポーランドの政治的・社会的状況に触発された作品を作曲していますよね。その意味ではショスタコーヴィチとも共通した面があると思っています。
パリでナディア・ブーランジェに師事していることも興味深いです。
彼女はヴァイオリニストと作曲家の二刀流であったところも凄いです。更に、何と犯罪小説の作家でもあったらしいじゃないですか! 恐るべき多彩さですね。
「戦場のピアニスト」ウワディスワフ・シュピルマンの弾くグラジナ・バツェヴィチ、未聴ですが、あの時代の雰囲気満点でしょうね。今回も、YUKIゆき(アイス)様の趣味のセンスの良さに感服しております。
話は変わりますが、
>「パイルD-3の壁」でのブラームスはツィマーマンなのでしょうか?
だいぶ年代的に厳しいのではないでしょうか(笑)。
改めて、フランツ&バーンスタインによるシューマンのピアノ協奏曲の演奏、素晴らしいと思っています。何らかの方法でこのお宝映像、再びぜひ入手されること祈っています。
なお、今回のコメントでも、ユダヤ系の人たちの才能と歴史、戦争と平和について、さまざま考えさせられました。これは、ピーター・フォークや、別なコメントで話題のナターシャ・リオンについても繋がるのですが・・・。
イスラエルは、戦争停止して欲しいですね。
仁科雅之様
>私は意地が悪いので、憎まれ役に徹して、YUKIゆき(アイス)様との間に、わざと不穏な空気を醸し出してみたら、七色の●●●●ネームの方たちがどう動かれるかを実験してみました。結果、さっそく予想通りでした。
え、そうだったんですか?何か失礼なことを書いたかなあ?…とちょっともやもやはしていましたが、これ仁科様じゃなかった?●●●●ネームの方たちがぼろんこ様のブログで何かを書いてらっしゃるのですか?!どうもカンが悪くてすみません。汗だく。
シュピルマンのCDは持っていますが、最近彼の自作品を含めたYoutubeがアップされたんですよ。自作のマズルカや
ロベルト・シュトルツのパラフレーズも素晴らしくてお勧めです。
バチェビチの小説!読んでみたいしほかの作品も聴いてみたいです、とても知的できれいな人ですね。
>「パイルD-3の壁」でのブラームスはツィマーマンなのでしょうか?
>だいぶ年代的に厳しいのではないでしょうか(笑)。
あー、そうか、ツィマーマンさんまだそんなお年じゃないですもんね。
実は、(戦場のピアニストの)ヤヌシュ・オレイニチャクさんがピアノリサイタルで福島に来るそうなのでこちらに行ってくることにしました。私勝手にこの方を亡くならせてたんですがまだ72歳でした!苦笑。彼は1952年生まれ、ピーターフォークが1927年ですから息子世代?ですかね。
おほめにあずかり恐縮です。私はこのフランツを何気なくかけて洗面所に行ってしまったんですがあまりに驚いて走って戻ってきました。
シュピルマンさんは息子さんに勉強しながら音楽を聴くことを禁じていたそうですね。シュピルマンさんやツィマーマンはコロンボにも小言を言いそうですよね。わたしも言われそう。
追記フランツDVDはやはり買っておくことにします。ありがとうございます!
追記2長崎式典も残念ですね。
亡くなった方がお気の毒です。
いつも亡くなるには市民ですものね。
YUKIゆき(アイス)様
ヤヌシュ・オレイニチャクさんの福島でのピアノリサイタルを聴きに行かれる件、羨ましい限りです。私にとっては映画『戦場のピアニスト』の出演シーンを除いては未知のピアニストなので、尚更とても興味深いです。演奏前には、「第二次大戦からの復興と、東日本大震災からの復興を重ね合わせたクロストーク」もあるようで、彼のトークも面白そうですね。
>いつも亡くなるには市民ですものね。
同感です。8月は、原爆の日やら終戦の日やらお盆やらで、戦争について、いろいろ考えちゃいますね。
ブルーレイで鑑賞しました。何度目かになりますが、私は本作が大好きで、過小評価されているように感じており、個人的には第2シーズンで一、二を争う出来だと思っています。
製作の舞台裏を綴った本”Shooting Columbo”によると、ジャクソン・ギリスの脚本は、アン・バクスターと出演作の「イブの総て」を念頭に置いた”当て書き”であり、彼女が演じたイブの20年後という想定でノーラ・チャンドラーを設定し、その名前も、この映画でベティ・デイヴィスが演じた役であるマーゴ・チャニングから取ったということです。
本作の仮タイトル “Murder by Starlight” が最終的に “Requiem for a Falling Star” になった背景はわかりませんが、starlight から star の連想・つながりで falling star になったという可能性は大いにあるのではと思います。日本語では「星」と人気者や大物を表す「スター」は別の言葉ですが、英語では意味は違えど同じ単語の star ですし。
もちろん「コロンボ」はSFではないので「流れ星」でないのは確かですが、原題から、まばゆい輝きを放った後に燃え尽きて消える存在のはかなさ、をいった意味を取って内容に重ね合わせたくなるのは、私がウェットな日本人だからかもしれませんね。余談ですがこの原題を知った時、私はレイ・ブラッドベリの名作短編「万華鏡」と、それをオマージュしたといわれる石ノ森章太郎の「サイボーグ009」の一シーンを連想しました。
どの作品であれ、タイトルに初めて接した人は内容を知らずに受け取ることになります。”Any Old Port in a Storm”(「別れのワイン」の原題)は、今でこそ port を「(ポート)ワイン」にかけたものだと知っていますが、50年前に初めて目にした人は、「窮余の策」というイディオムを連想するとともに、港に関係するストーリーだろうか、などといろいろ想像を巡らせた人もいたのではないでしょうか。タイトルはまず「何の話だろう」と人目を引くことを狙い、実際に見て「なるほど」と思わせるよう知恵を絞って考え出されることが多いだろうと想像します。
ついでですが、宝島社のコロンボのムックには多くのエピソードの仮タイトルが拾われていますし、さらに上記 “Shooting Columbo” にある巻末の作品リストには、それを上回る数の仮タイトルが記載されています。それを眺めていると、仮タイトルの方が良いように感じるものもあります。また「野望の果て」は “Candidate for a Crime” だったのが a だけを省いて正式タイトルになったのは、冠詞が苦手な日本人の私にはその違いが体感できなかったり、「殺しの序曲」の “The Bye-Bye Sky High I.Q. Murder Case” という長い題は、もともとは “Bye Bye, Sky-High I.Q.” という短いものだったりと、いろいろ発見があっておもしろいものがあります。
今回も大変勉強になるコメントを、ありがたく拝読いたしました。
tempus fugit 様の情報のほうが、『刑事コロンボ完全捜査記録』(別冊宝島)などより、何倍も信用いたしております。
本作が味わい深い傑作群のひとつであることは信じて疑いませんので、
>個人的には第2シーズンで一、二を争う出来だと思っています。
というご意見に200%同感です。
何故か現在、短文しか送信不可能になっておりますので、今回はこの辺で…。
YC-30様
いえいえ、私自身はただ接した情報を流しているだけですので、YC-30様のように実のある内容を投稿できるようつとめたいなと願っております。
「偶像のレクイエム」は、その昔「コロンボ」の放送を見始めたばかりの時に、「これはすごい」と感じたエピソードとして強い記憶に残っていることもあり、もっとファンが増えればいいなと一方的に祈願しています(笑)。
原題解釈 Requiem for a Falling Star の意味
落ちていくスターへの葬送曲です。映画女優がテレビ女優へ、そして深夜ドラマ女優へと落ちていく(YC-30さんのご指摘通り)。そして最初の殺人を隠すため、秘書を殺し、記者も殺そうとする。道義的にもどんどん堕落していくのです。したがってキャリアと人間としての道徳面も転落していくことをfallingで表現しています。「落ちぶれた」ならFallen を使いますし、「流れ星」の意味はストーリーと合わないので今回は関係ないと思います。
Requiem for a Falling Star。
この役をこの年齢で見事に演じきったアン・バクスターに脱帽です。
イブの総て、での演技には鬼気迫るものを感じて、このひとほんとにこういう人なんじゃないか・・怖い...と感じましたがここでの演技もちょっと怖かったです。
年齢を重ねてももきれいで若い子を吹っ飛ばすような魅力を放つ役(恋に落ちたコロンボのダナウェイなど)は観ていてウキウキして、女性としてもメイクを参考にしたり楽しいのですけど、Falling Starのこういう役は演じるのはかえって難しいのではないでしょうか。
ピーンと常に張りつめているようなこのようなヒロインがいる一方、イブの総てに出ていたセレステ・ホルムは23年後に黄金のバックルになんだか若返ったような子供みたいな?役で登場しますね。
私個人としては、ひとはこんな風にのほほんと(この言い方が適切かどうか…)年を重ねたほうが本人は幸せなのではないかな?と思います。
私アイスは、さきほどのコメントで、女性としては、と書きましたが、お化粧をする男性、男性でも女性でもない方、などいらっしゃることに思い至りましたので、女性としては、の部分は削除させていただきます。
よろしくおねがいします。
いつも、コメントから多くを学ばせていただいております。
>キャリアと人間としての道徳面も転落していくことをfallingで表現しています。
「なるほど」と納得しました。
>「流れ星」の意味はストーリーと合わないので今回は関係ないと思います。
についても、実際まったくおっしゃる通りだと思いますが、
『刑事コロンボ完全捜査記録』 (別冊宝島)には、
《本国のプレス用資料によれば、制作中の仮タイトルは「MURDER BY STARLIGHT」。夜間の屋外=「星空の下」での犯行は確かに今回が初めて(「死者の方程式」は嵐だった!)で、それにノーラの「映画スター」としての存在を掛けたタイトルだったのだろうか。》という記載がありまして、いつもこの本ばかり信用するのも危険だと思い、一応裏を取ったのですが、
たとえば、”Original Columbo Title” という海外のサイトでも、
Requiem For A Falling Star – Originally titled “Murder by Starlight”.
とあり、仮タイトルからの影響は何某か残ってはいそうで、本当のところ、どうなんでしょうね。「流れ星」ではないのは確かですが・・・。
仮題は Murder by Starlight だったのですね。星空での殺人と映画スターをかけたのでしょうか。しかしタイトルとして弱いということで Requiem For A Falling Starになったのでしょう。キャリア的にも道義的にもどんどん落ちていくスターにぴったりなタイトルなのでこうなったと思います。
ぼろんこさん
いつも拝読しています。
そしてこのページでYou Tubeのチャンネルをお教え下さいまして有難うございます。
全て拝聴しました。
中でも大好きなアビゲイルの音楽も嬉しく拝聴しました。
ひとつ、リクエストさせて頂きたいと思います。
お忙しいでしょうからまたお時間のお許しになるときに宜しければお願い申し上げます。
このページの回、『偶像のレクイエム』でノーラがガソリンを撒くシーンの音楽。あれは犯人が追い詰められながら時間に追われ、犯行を実行するだろう心理がとても良く現れていてとても好きなのです。
KeyがGmでDから始まる半音で下がってまた音楽のように上がっていくそのフレーズ。
本当によく出来ていてこちらも一緒に焦りながら吸い込まれる…そんなフレーズです。
『悪の温室』でも使われていたと思いますが
よりピッタリなのはノーラのシーンのように思います。
また宜しくお願い申し上げます。
遅ればせながら私も「イヴの総て」アマゾンで観ました。
びっくりしたのはアン・バクスターの可愛いこと。コロンボに出たときは何歳だか知りませんが、時の流れは美人にとって残酷。どうしてコロンボがあんなに大女優に会えたと興奮しているのか今ひとつ分かりませんでしたが、あの映画を観たら分かりました。
パークスの家で壁に掛かったマリリン・モンローの写真を見つけてコロンボが訪ねる場面があります。あれは一緒に「イヴの総て」に出ていたマリリンに対するオマージュかもしれませんね。 アメリカ人にとってこの回は様々なことを喚起させたでしょう。
T.Kさん>
そうそうマリリン・モンローね。脇役ですが、彼女も輝いていますよね。
Amazon Prime 今まであまり観たことなかったのですが(子供が設定してくれた)マリリン・モンローで検索すると昔の映画が沢山登録されていました。
年末年始に少しずつ観ていこうと思います。「ナイアガラ」と「荒馬と女」は大昔に観たはずです。セクシーだけではなく演技もしっかりしていると驚いた記憶があります。
私もこの回はもっと再評価されてしかるべき傑作だと、昔から思っております。
ここでの秘書ジーンは、ギミックの手段として視聴者への目くらませのために登場させているだけなのであって、あのくらいの描き方でいいんじゃないでしょうか?(誤解を恐れず言えば、同じギリス脚本なら、新シリーズ61話「死者のギャンブル」で、犯人の計算外に車のエンジンをかけ爆死した庭師くらいの存在だと思えばいい)
ジーンのことを描き過ぎると、かえってストーリーの焦点がぼやけるのではないでしょうか?
ロンリーさん>この作品に1票追加します。
私の考えでは「秘書ジーン」は「爆死した庭師」より
重要な役柄だとは思いますが(笑)
今回と32話「忘れられたスター」は、似た要素があって、両方好きな回ですが、今回のほうが、残酷な殺害方法や、謎の多さ、ギミックの多様さから、より表には見えない深く不気味な闇を感じました。
トルソーのような未完成さを残しているところは、逆に私には、最初のテレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』で謎解きをするような魅力に映りました。
今回の放映は、あらためて尺がもう一寸欲しかったエピソードでした。豪華スター競演の妙、倒叙形式でやったことは視聴者に分かっても登場人物の真意が分からない、その状態でのコロンボとのタイトなやり取りを演じ切る演技。文字通り虚飾の仮面を被った芸能界の人々。その中でカギを握るジーンの描き込みが足りないのが惜しまれます。
「イヴの総て」Amazon primeで視聴しました。
秀逸な舞台劇のようで、最後まで引き込まれるように見てしまいました。ベティ・デイビスの存在感が圧倒的で、中年女優のやさぐれぶりを、時に哀しく時に可愛く演じていて素晴らしかったです。
一方、アン・バクスターはデイビスと比べると個人的にはやや印象薄めでした。Wikipediaによると、1970年代に「イヴ〜」はブロードウェイミュージカルとなり、なんとアン・バクスターがベティ・デイビスの役を演じたそうで、これほど観客が喜ぶ配役は無いですよね。わたしは「偶像〜」の彼女の方が貫禄があり表情豊かに演じていて好きです。もっと長生きして、いろんな作品に出て欲しかった。
「永遠のものなんて存在しないわ。1度燃え上がっても、すぐに火は消えていくのよ。」
スター、もしくは人生なんて儚いものという真実を、見事に表しているセリフだと思いました。
「イヴの総て」いい映画ですよね!
>「永遠のものなんて存在しないわ。1度燃え上がっても、すぐに火は消えていくのよ。」
次回15話「溶ける糸」での名犯人役だった、レナード・ニモイ(2015年2月27日 83歳没)生前最期のツイート(2015年2月23日付)の言葉を繋げておきたくなりました(笑)。
「人生は庭園のようなものだ。ときに完璧な瞬間があっても、それは束の間で、思い出に残るのみ。長寿と繁栄を。」
原文
“A life is like a garden. Perfect moments can be had, but not preserved, except in memory. LLAP”
(LLAPとは「スタートレック」で彼が演じた役、スポックの、バルカン人の挨拶「Live Long And Prosper:長寿と繁栄を」の略。ニモイは生前、自身のTwitterで多く用いていました。)
上記ニモイの言葉は、2015年3月2日付ぼろんこ様によるニモイ追悼記事で、すでに紹介されていました。同記事未読の方はぜひお読みください。
新参者はこれだから困ります。
m(__)m
次回が「溶ける糸」ということでタイムリーなご紹介だったと思います!
人生の折り返し地点を過ぎて、このような言葉が身に染みるようになってきました。若い女優よりも中年女優の心境が分かる自分が居ます。それだけでも無駄に歳を重ねてはいないかしら?(笑)
アン・バクスターがたまに山村紅葉に見えたりした(汗)
小柄に見えたり、コロンボより大きいように見えたり不思議な女優さんですね
見覚えのある電動カーが登場してたから、他でもどこで見られるか探して見ようと思いました
意識の下の映像に確か出てたから放送で同じか見てみるです
最後、ノーラがコロンボに過去の夫殺しまで、あっさり白状したのは、陰謀渦巻く伏魔殿のハリウッド映画業界で、過去の十字架を背負いながら女優として闘い生き長らえていくことに疲れ果てちゃったじゃないでしょうか。
映画「イヴの総て」から連続して鑑賞すると、アン・バクスターの女優人生の悲哀そのもののように感じられますね。彼女は、今の自分の心境をそのまま自然に反映させればいいので、この役は楽に演技できたのでは?
そのアン・バクスターも62歳の若さで亡くなるのですが、刑事コロンボの犯人役の俳優さんは、何となくですが早死する人が多いような気がします。ハリウッド・スターとは、やはり過酷な仕事なのでしょうかね。
祖父で建築家のフランク・ロイド・ライトは、91歳まで長生きしたというのに……。
自分とはまったく違う性格の役を公私共に演じなければならないので、本当の自分がよく分からなくなって精神的に不安定になり、酒や異性や薬に走る芸能人が多いっていうことですかね。しかし、今回パークス役のメル・ファーラーなんか5回も結婚して90歳まで長生きしているのですから、ある意味では羨ましい?生涯です。
これまた1回見ただけではストーリーが追えません。殺そうとしたのは秘書でその動機は「夫殺し」を彼女が知っていたからだ・・・・・ということのようです。
てっきり詐欺?横領?の事実をつかまれた作家を殺そうとしたと思ったのですが。でも後に作家も自動車事故で殺そうとするのでやはりこの事実もばらされたくなかったのか?
さて、夫殺しの動機は「浮気」で口論となり発作的にビール瓶で殴ってしまったことのようです。その遺体を庭の噴水の下に埋めてあるので土地売却に応じない。結局この人は3人を殺そうとしたんですね。いやはや何とも怖ろしい女優さんです。
話が入り組んでいるので2度3度と見直さなければいけません。1度見ただけではよく分からないのがコロンボですが、指輪を見せられた女優が慌てて家に戻るのは何をしようとしたのでしょうか?(墓を掘り起こされ遺体から指輪が外されたと思った?)
何とかクラブの話や車のパンク、ガソリン撒いてタイミング良く車が入ってくるところなど今回も???満載です。
同感です。本日、繰り返し2回見て、やっと理解しました。これ、あまり評価高くないけど、傑作じゃないですか。1回見ただけでは分からない伏線(噴水、指輪、男装 etc)が見事に回収されてます。最後の約5分間のコロンボとのやり取りは見事。また、アンバクスターという女優さん、演技うまい!可愛い!(笑)
勧められるままに”見”ました、「イヴの総て」(のwiki記事!)を。
今までこのエピソードはさほど好きではなかったのですが、非常に奥深く楽しめました。
まずアン・バクスターの人生そのもののような設定に驚きましたし、
そんな脚本を受けた彼女にも感じるものがありました。
ぼろんこ様のブログと皆様のコメントに多くの気付きを得ることができ、改めて感謝の極みです。こちらのブログを知らなければ、モノクロの映画「イヴの総て」(1950)なんて、絶対一生観ることなどなかったでしょう。約千円のBDを購入し鑑賞しましたが、これは大変な傑作映画ですね。まだご覧になっていない方に先入観を与えるといけませんので詳細は述べませんが、「偶像のレクイエム」(1973) ⇒ 映画「イヴの総て」(1950)⇒ 邦画「Wの悲劇」(角川 1984)が、地下水脈でしっかり繋がっていることを、今回初めて実感できました。
夏樹静子さんの原作ではなく、邦画「Wの悲劇」の原型は明らかに「イヴの総て」です(劇中劇という意味では、更に「ロンドンの傘」も繋がります)。
でも、「イヴの総て」のBDも、前回「ロンドンの傘」同様、日本語字幕の情報量が少なく、英語台詞の面白みはかなり希釈されていますし、吹替えも、誤訳、異訳、意訳、省略が多過ぎます。深く作品を知ろうとすれば、どうしたって、嫌でも原語に当たる必要性を再度強く感じました。
「偶像のレクイエム」は、背景を何も知らなくても名作だと確信できますが、主要な出演者の実人生を出来るだけ詳しく調べ、映画「イヴの総て」、ついでに邦画「Wの悲劇」も知ってから鑑賞すると、もう、底なし沼のように深くて面白い作品です。
再放送前日に、我が国で数多くの犠牲者を出した放火事件が起き、再放送直後に有名女優が自殺を図ると、もろに気分に影響を受けます。ですから、今回はあくまでも個人的な虚実交錯妄想としてコメントします(確信犯的トンデモ説です)。
「イヴの総て」⇒「偶像のレクイエム」では、芸能界で成功し生き残るためには、どんなあくどい手段も厭わない女優魂の恐ろしさを描いたわけですが、女の恐ろしさと対照的位置付けとして、女人禁制のフリーメイソン、シュライン(Tクラブ)を暗示していたと仮定します。
そうすると、志半ばで無念にも死んだノーラの夫は、フリーメイソンと切っても切り離せない大作曲家としてあまりにも有名な、モーツァルト的意味合いがあるのではないか?
今回のタイトルは、Requiem for a Falling Starですが、レクイエムなら、いろんな大作曲家が書いています。しかし、作曲家の死により絶筆未完となったレクイエムの名曲といえば、何といってもモーツァルトのレクイエム K.626です。他方、Falling Starとは、落ちていくノーラの女優人生のことなのでしょうが、ノーラは、かつては映画の大女優だったのに、裏に恐ろしい真実を抱えつつ、すっかりテレビの深夜ドラマの女王になり下がっています。それは、つまりはモーツァルトのやはり最晩年の傑作ジングシュピール(歌劇)『魔笛』 K.620の登場人物「夜の女王」ではないのか? 最初は偉大な善の象徴、後半に悪の裏側が徐々に明らかになって落ちていく過程が夜の女王に似ています。あるいは、悪妻説が未だ根強い、モーツァルトの妻、コンスタンツェをオーバーラップさせることも可能かも知れません。今回ドラマ内では、あえてモーツァルトの楽曲を使用していないところが奥床しく憎いところです。
モーツァルトが35歳の若さで亡くなったのは12月、昨日自殺した日本の女優も同じ歳、「イヴの総て」にチョイ役で出ていた、まだ駆け出し女優だったマリリン・モンローは36歳で死去しています。「モツレク」を久しぶりに聴いて、エルクスの「追憶の時間」のように、様々な理由で若くして他界された方々に、祈りを捧げたくなりました。
そして、何だか、「イヴの総て」⇒「偶像のレクイエム」から、「アナ雪」まで想像の翼を拡げたくもなりました。
映画「イヴの総て」BD観ました。画質最高で音声解説も興味深い内容で、とても満足しました。台詞も洗練させていて、英語学習にも適していますね。「追う者」がやがて「追われる者」になっていく因果応報というか、現実世界に呼応するような、実に考えさせられる内容でした。
「偶像のレクイエム」は、コロンボ上級者向けストーリーと言って良いかもしれませんね。
描かれていない部分を想像して補う作業が、最も高度に要求される回です。
言い換えれば「引き算の美学」の真骨頂で、シリーズでも屈指の「大人のドラマ」でした。
次回15話「溶ける糸」が、「宇宙大作戦(スタートレック)」のファンなら何倍も楽しめるという意味で、本作は「イヴの総て」がそれなんですよねえ。
何度目かの全エピソード鑑賞をBOXセットで進めていて、久しぶりの投稿になります。ぼろんこさんが「異色作」としているこのエピソードですが、私にとっては優に「名作」で、「傑作」に近い扱いです。
NHKでの初期の放送リストを見たら、この作品は「溶ける糸」の次に放送されていますね。「溶ける糸」は、私は当時すでに「スタートレック(宇宙大作戦)」の放送を観てレナード・ニモイを知っていたこともあって非常に楽しみましたが、見終わった際の印象は、この「偶像のレクイエム」の方が強かったということを覚えています。
どうしてそう思ったのかは記憶にありませんが、たぶん「一見、間違った相手を殺害した」と誤解させる”ひねり”や、最後に犯行の動機が明かされる鮮やかさにあったのでしょうし、さらに、犯人を演じたアン・バクスターに何らかの凄さを感じていたようにも思います。
当時は、「かつて銀幕で活躍した大女優で、今はテレビで生き延びている」という犯人の設定が、演じている彼女自身と重なっていることはまったく知らなかったのですが、そのプロ精神が子供だった私にも伝わっていたかもしれない、なんて書くと、ちょっと後付けが過ぎるかもしれませんが。
そう思いながら、ぼろんこさんのこの作品の記述を拝見したのですが、冒頭に彼女の写真は掲載されているものの、アン・バクスターの名前と代表作「イブの総て」への言及がないことに気づき、ちょっと残念に思いました。ぜひお願いします。アカデミー賞の授賞やノミネートを受けている女優ですし、「イブの総て」は名作との評価が高く、これまた凄い内容の映画ですし。
偶像のレクイエムに1票加えます。
はじめまして。父が揃えたコロンボコレクションをいつも見ています。
こちらに出ている若い所長さん役の俳優さんと、44話攻撃命令に出ている犬たちを見張る制服警官が同じ人かなーと思って見ていました。
撮影所の所長ファロンは俳優「フランク・コンバース」、一方の犬たちを見張る制服警官は、「エド・ベグレイ・Jr」で、別人です。雰囲気が似てますよね。
『偶像のレクイエム』(Requiem for a Falling Star)の邦訳は特に違和感は感じませんでした。コロンボにとってノーラは偶像なわけですし。
『落ちた偶像(1948)』The Fallen Idol というミステリー映画があるのでそこから連想したんではないでしょうかね?
つい先日この話を見ました。以下は完全な私の妄想ですが、秘書を殺した動機として、「恐喝に来たパークス」よりも、「長年信頼して目をかけてきた秘書ジーンが、しょうもないパークスなんかに引っかかる女だったことが可愛さあまって憎さ百倍で許せなかった」というのも加えるとさらに面白いかもなと思いました。
すみません。私もあなたは投稿できません。がついていたのですが…
投稿の名前にアルファベットを使ったのがいけなかったのでしょうか?平仮名にかえてみましたが…
単に私の不注意でした!
日本語が含まれない投稿はできません。
という表記に変えています。
◆噴水に水が出ていないことをコロンボが指摘するシーンがあるとなおよかった。
◆最後のシーンで、コロンボの登場が早過ぎ。ノーラが噴水を掘り返し始めたところでコロンボがライトをパッと点けて登場(「パイルD3の壁」の如く)がベスト。
◆「Tクラブ」というのは意味不明。原語通り「シュライン(シュライナー)」と表現して欲しかった。フリーメイソン系だから忖度して名称を変えたのか。だとしたら、気を遣い過ぎ。
◆昔の女優さんは意外に頭がデカイ。
そうなんですね〜
頷けるご意見です。
【原題解釈】
Requiem for a Falling Star
直訳すると、「流れ星への死者ミサ曲」。
Falling Starは「流れ星」のことですが、落ち目のスタア役者と引っ掛けているのですね。
ここでは、Forgotten Ladyではありません。
邦題の「偶像」は「idol」の訳語ですから、大女優をアイドルと呼ぶには違和感があるかも。
衣装デザイナーの役が、イーディス ヘッドさんで過去に8回 アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞しているみたいです。
シーンで映っていたアカデミー賞のトロフィーは、本物かもしれません。
メガネの女性ね。そうです!
久しぶりに「偶像のレクイエム」を見ました。
これまで、ジーンを殺した動機が分からないなぁと思っていました
ところ、今回の放送で
「夫を瓶で殴って殺して庭に埋めた。ジーンはそれを知っていた」
と最後に告白しますね。
ジーンとパークが結婚すれば、絶対にパークが真実を知ることに
なると思ったのでしょう。
今回は、全作品をゆっくりと観られるので、なるほどポイントが
多いですね。
そうですね。しかも、
現時点ではそれを「パークスには喋っていない」
と信じたのでしょう。
お邪魔します。
秘書の殺害は人違いなのかと思わせながら、実は違っていたのですね。
本作はパイルD-3の壁と指輪の爪あとをミックスしたような、実に凝った展開でした。
主人公と相手役は有名どころでゲストが懐かしい顔のケヴィン・マッカーシー(トワイライトゾーン他)。ハリウッドの内幕物という味わいもあって、楽しめる作品でした。
ところで、
主人公とゴシップ記者が待ち合わせをするガーデンレストランみたいな場所はどこなのでしょう?
現在は存在しないお店かもしれませんが、途中にあるサインには”CATCH YOUR OWN DINNER”となっているので、釣り上げた魚をそのまま料理してくれるお店のようですが、お洒落な感じがします。
最後に、これまでご迷惑になるような投稿はしていないと思うのですが、あなたは投稿できませんというメッセージが表示されます。
念のため今後は投稿を控えるようにいたします。
「あなたは投稿できません」というのは、私の設定ミスでした。
たいへん申し訳ありません。
現在は「日本語が含まれない投稿はできません。」
と表示されます。
管理人様
ご連絡いただいていたのをうっかり見落とししておりました、すみません。
何らかの判定があったかと気になっておりました。
また是非ネットへ参加させていただきます。
ご心配をおかけしました。
どうぞ、これまで通りご参加ください!
ノーラの秘書として長年秘密を守り、パークスには貯金していたお金を貢いで、最後にはノーラに爆死させられるジーンさん、本当に可哀想でした。
過去にノーラに殺された夫は女性問題という理由でしたけど…余談ですが、
メルファーラーはエリザベステーラーの夫だった人でしたよね。それが一番印象的かも
ジーンはノーラに対して怒りを露わにしていました。
心の底では、よく思っていなかったのだと思います。
はじめは、ゆすられたから、パーク(有名なメルファーラー)を殺すつもりで、ジーンを爆死させてしまったと思ってました。それが過去の夫殺しが本当の動機だったなんて…コロンボの複雑過ぎる筋や伏線は何回も観ないとわからなかったです。大女優は幸福なのか、かえって不幸につながってしまうのか…余韻のある作品でもっと丁寧に長い時間で放送して欲しいです
そうですね〜。
アイデアは面白いが、それが伝わっていない…感があります。
ジーンが知っていたというのは殺したときその場にいたということでは? 年齢ははっきりわかりませんが年端もいかない少女だったのでは?それから二人はずっと一緒に時を過ごしてきて最後の破局が訪れた。名作と思います。
なるほど〜
もともとは女優志願だったとかね。
「ジーンの車をパンクさせたら、ジーンが一人でパークスの車でパークスの家に戻ってくる」ということを何故ノーラは想定し、犯行に及んだのか。
そこの、ストーリー設定が曖昧で納得がいかない。
誰か謎解き解説出来ますか。
そうなんですねー、夜遅くに二人一緒に帰ってくる狙いもありそう?
僭越ながら、解説もどきを試みてみます。
ノーラは最初の方のシーンで、ジーンとパークスの会話を盗み聞きしますね。それによると、今夜パークスが本屋でサイン会をしている間に、先にジーンは誕生日パーティーの支度をして待つ手筈らしい。それなら…とノーラは考えたと思います。
用事をたっぷり言いつければ、ジーンはまず報告(相談)しに本屋に立ち寄るだろう。そのタイミングでパンクさせれば、その後の行動には代わりの車を使わざるを得ない。それにはパークスの車を使う可能性が高い。そしてジーンはそのまま1人でパークス邸に行ってパーティーの準備をして、後で本屋に迎えに行くのではないか。その方が効率的だからー。
そこで、その可能性に賭けたのだと思いますが、もしこの「想定」が間違っていれば、直前に殺害を中止すればいいとも考えたでしょう。コロンボの推理にもあるように、「(犯人は)あれだけ近くにいたんだからパークスさんの車に乗ってたのがジーンさんだっていうのは見てて分かったはずじゃないでしょうかね」なので、ノーラは運転手がジーンであることを確認してから火を点けたはずです。
以上、ご疑問への回答になっていますでしょうか? 倒叙物の小説ならその辺の犯人の心理描写もこまやかに描かれるのでしょうが、ドラマだとどうしても十全に伝わらないもどかしさもありますね。
なるほどね〜。
でも、みなさんとこのような疑問について
語り合えることが楽しいです。
補足
あるいはこの「もどかしさ」は、犯人の意図を伏せておくことでサプライズをねらった、本作ならでは(!)の構造上の「弱点」かもしれません。それよりも、切れ味のようなものを優先した、ということでしょうね。
やはり、一話目から週一で放映CMなしというのが一番ペースとしていいですね。但し何度も言いますがコロナウイルス禍による自粛・巣ごもり生活効果か、コメントの盛り上がること、一週間でもチャックしきれない(苦笑)。
さて本作も再放映の機会が少なくて割を食ってる一つかもしれません。原題と違って落ち目なのは女優個人じゃなくて当時の米テレビ局や映画製作現場だったのかもしれません。
最初から最後までコロンボにも視聴者にも真意を読ませないノーラの喜怒哀楽。名優同士のタイトな掛け合いに気が抜けませんでした。対して秘書のジーンの存在感が、伏線としては足りなかったか?。
ジーンの存在感ですね。そうそう。
パークスがジーンの死をぜんぜん悲しんでいないし(笑)
従来のコロンボ作品を期待していると明らかに違和感があります。普通の視聴者にとって12年前の秘密を解き明かすことはちょっと無理で、最後のコロンボの罠と推理を待つよりありません。夫の指輪のことは、初めてコロンボがノーラの家に行った時にコロンボが写真を見てやけに詳しく解説していて、そこが伏線になっているのは、コロンボでは細かい描写を見逃せない一例です。ただ泉が流れていないことを不自然とは思いませんでした。違和感とは別に、コロンボの車がスタントカーに間違われたり、ノーラに会う前に爪をきれいにしたり、ノーラにネクタイを締めてもらったり、面白いシーンは満載です。ボストン在住の私としては、ノーラがレストランでボストンのロブスターを絶賛していたのは、楽しい1こまでした。
コメントを再読いたしました。なるほど、頷けるポイント満載、ありがとうございます。
どうしてノーラは、秘書のジーンがパークスと婚約したことを聞いた時に、初めにあんなに驚いていたか。
それはノーラが自分の夫を殺害して、自宅の庭に埋めているのをジーンが知っていたからなのですね。セレブの暴露記事を書いているパークスと結婚してしまったら、バレるのは時間の問題で、彼女を殺すしかなかった。
序盤では、自分の負債を、会社に肩代わりさせていたことが明るみに出るのを恐れているという展開だったのが、実はもっと暗い過去をノーラは持っていたのですね。
結局ノーラは、自分の夫、自分の秘書を殺害して、パークスも殺害しようとした。コロンボの他の犯人と比べても、かなり罪深いです。それでもあまり極悪人に見えないのは、全盛期を過ぎた大女優の悲哀ゆえでしょうか。例えば、ヴィヴィアン・リーあたりが演じていたら、もっと鬼気迫る感じになっていたかも…(彼女は1967年に亡くなっているので、それは不可能なのですが)
婚約に驚いた>それもありますが、パークスはクズのような男だと知っていたから‥もあるでしょうね。
コメントありがとうございます。この作品に1票追加いたします。
「白鳥の歌」のトミーの言葉。
トミー:コロンボくん、君は実に抜群の想像力の持ち主だな、はっはっは。
これは、この「偶像のレクイエム」でこそ表現され評価されるべき言葉だ。
特に、ノーラのバンガローでTVを観たことで、ノーラが夫を装った偽装工作を
したことに勘づくということは、なんというか、普通はあり得ない。
コロンボが見る世間や人物、もっと言えば自然や世界は、普通の凡人とは違って
見えているのではなかろうか。
コロンボの頭の中では、まず容疑者の見当を付けるだろう。それを主軸に、
色々な矛盾とその解決、状況証拠、仮説、動機、チャンス、方法、容疑者の過去、
人生や価値観、クセ、対人関係、・・・・色々なものがいっぱい詰まっている。
バンガローでTVを観たことで、それらの点が、一気に線となり面となった。
その面となった仮説の証明で最後を飾った。
過去の殺人が今回の殺人動機へと繋がっているものとして「黄金のバックル」
がありました。
以前見たときは気がつきませんでしたが、あの衣装さんはアン・バクスターが出演した「イヴの総て」でアカデミー衣裳デザイン賞を受賞したイーディス・ヘッドご本人なんですね。友情出演といったところでしょうか。
アン・バクスターは「イヴの総て」で、のし上がっていく大女優の付き人役をやっていました。今回は大女優が付き人を・・・キャスティング時には意識してたんでしょうね。今度イヴの総ても観てみようと思います。
このエピソード、かなり思い出深いです。あくまで個人的にですが、似たテーマの名作「忘れられたスター」に匹敵します。
憧れの女優に逢って感激するコロンボ(おそらくこの反応は素だと思われます)の様子も楽しいですし、物語が進むにつれて少しずつ見えてくるノーラの悲哀、そして切なすぎるクライマックスは心に沁みます。コロンボが彼女に優しく接する姿を観て、彼のことがさらに好きになりました。
犯人の強気から観念した時の表情の変化がすばらしい。
あまり同情されるべき犯行動機ではでないですね。
第一の犯行が第二の犯行動機になっている。
これは、仮面の男、黄金のバックルなどでもありました。
たいがいは「第一の犯行は証明できませんが・・・」ときますが、
そこまで掘り下げていかないと、第二の犯行の本質を
掴めないのですね。
プジョーの汚れはわざとらしいですね、笑えます(笑)
ぼろんこさん、こんばんは。
おっしゃる通り「偶像のレクイエム」は倒叙法でありながら、ノーラが本当は誰を殺したかったのかが途中までわからないという、ちょっと凝ったストーリーになっていますよね。私も最初は、てっきりパークス氏を殺したかったのに、誤ってジーンを殺してしまったものと思っていました。
それにしても、「忘れられたスター」のときもそうでしたが、コロンボ警部が有名女優に会ったときの喜びようは、半端じゃないですね。
それと今回のプジョーですが、ずっと洗車していないというよりかは、いたずら書きされたの?って感じです。いくらなんでもちょっと演出のし過ぎ!?
AKIさん>なぜ、一緒にふたりとも殺さなかったか?には、ドキリとしました。それにしても、昔に犯した罪に苛まれる日々…怖いです。
タップおばさん>「私は嫌い!!」からの演技が特に秀逸ですね。劇中の女優役ということで、ひとしおです。
いつも楽しく拝見させていただいております。
久しぶりに見て思ったのですが、ノーラ・チャンドラーは夫を殺したことを、秘書のジーンに知られていたのではないでしょうか。もしかしたら、それをネタにゆすられていたのかもしれません。そして、ジーンがジェリー・パークスと結婚すると、そのことがノーラを通して知られてしまう(彼のゆすりのネタにされてしまう)ことをおそれて、ジーンを殺したのではないでしょうか。最初のシーンで彼がイタリアでの映画でのことを話してきたので、このままではジーンを通して私もゆすられるかもしれないので、ジェリー・パークスが夫殺しを(いつか)伝えられる前にジーンを殺してしまおうと考えたのではないでしょうか。それでも私の中には、なぜ、一緒にふたりとも殺さなかったという疑問は残りますが・・・。
始めまして
2台の車でデートしていて、1台パンクしたら、とりあえず車を預けておいて、もう一台に同乗して帰ってきませんかね?!
つまり、ノーラは最初から2人とも爆殺するつもりだったが、パークスは運良く生き延びたんじゃないですかね
おおた牛一さんは、信長公の家臣では?
終盤の噴水のくだり、
動揺を隠しきれなくなってからのノーラの眼力が印象的でした。
「私は嫌い!!」
からの演技が特に秀逸だと思います。
とっしーーさん、コメントありがとうございます。
「指輪の件」は…
ジェリー・パークスが持っていた指輪は、「もしかしたら…噴水の下に埋葬した亡き夫の遺体を発見されたか…」と、ノーラに不安をもたせるため、コロンボが用意した小道具です。要するに罠(わな)ですね。
こんばんわ^^
壁打ちのおじさんの1票、光栄ですm(__)m
今回のノーラ、名前が似ているからかor髪型のせいかローラに似ていますね(雰囲気だけですが)笑
確かに今回は、目的が不明瞭な気がします。謎なんですが深い・・
⑫年前に夫を殺したっていうのは、コロンボにはなかなか無い今風な事件ですよね!
家を売らない理由、水の出ない噴水・・
秘密を知られたジーンを口封じにしようとする
これらの状況証拠が事件解決に至ったかもですが、
はたしてパークはどこまで事実を知っていたのか?指輪の件は、ちょっと分からなかったのですが、どういう経緯でしょうか??
それにしても、コロンボのノーラへの熱烈なアプローチ、よっぽどファンで好きだっただけに、
今回の事件は、残念でしょうね^^;
関係ないですが、コロンボの身長は170センチくらいでしょうか?ちょうどノーラと同じくらいでしたし、パークもマネージャらしき人もけっこうデカかったですし^^
後、日本人は膝上が長い人いますけど、外国人は膝下が長いですよね(´ー`*)
美容界では、膝下&膝上の割合が「5:3」が黄金比率とか・・僕は後5センチくらい脚が伸びないと
4:3にならないってのに・・笑