- 「ぼろんこの傑作選」に選ばれています。
- 犯人役ゲストスター「ルース・ゴードン」特集記事。
- 女優「マリエット・ハートレイ」の出演作品。
- 「パトリック・ウィリアムズ」が音楽を担当した作品。
- 「愛犬ドッグ」の出演作品。
- アビゲイル・ミッチェル 「ロールス・ロイス・コーニッシュ」
エドモンドはフィリスを殺したか?
この作品がベスト!と推すファンも多い。
ゲストスターのルース・ゴードンが素敵!
コロンボ警部が講演会のスピーチでも語っていますが「時には殺人犯を尊敬し、好意を抱くこともある」とは、まさにこの話のアビゲイル・ミッチェルを指しているのではと思われる程、お互いに敬意を表しながらストーリーは進みます。どこか19話「別れのワイン」に共通する雰囲気を持っている作品だと思いました。飛行機での旅行や、窒息死などの類似点もあります。
マリエット・ハートレイも魅力的
秘書のベロニカは「聡い娘」
冒頭シーンでアビゲイルは秘書のベロニカを「聡(さと)い娘(こ)」だと評しています。聡いとは、感覚に優れ、聡明だという意味。ベロニカはエドモンドが金庫で死んだ時、すでにアビーさんの計画だと気づいていました。ベロニカはこの秘密をアビーさんの「遺産(財産)」と引き換えにするつもりだった。それを旅行中に提案しようと考えていた。(ぼろんこの妄想です)
大草原の小さな家「父さんの秘密」
宇宙大作戦(スタートレック)
計画殺人モノとしての醍醐味
シリーズ中最も人気の高い「別れのワイン」は計画殺人ではありません。その点、この作品ならではの楽しめる点も多いのです。冒頭のベロニカとの会話のシーンでは、エドモンドが金庫から大声を出しても外に聞こえないテスト。そして、ストップウォッチを覗き見する時の表情も見逃せません。
弁護士のマーチンは鋭い
エドモンドの車のキー
ベロニカが「エドモンドの車のキー」の入手後、しばらくはアビゲイルの様子を伺っているのも、上手いな〜と思います。そして自ら恐喝に打って出ました。予期せぬ出来事「エドモンドの車のキー」の処理について、アビゲイルは2回キーを捨てるチャンスがありました。最初は犯行直後、2回目は警部の犬の散歩で出会った埠頭。推理小説の巨匠でも、生身の人間の行動においては、冷血な判断ができなかったのでしょう。キーは捨ててしまった方が良かったのです。
コロンボ警部の刑事哲学を感じました。
事件解決のエピソードはここでは語りませんが、ラストシーンで「特別扱いしてもらうわけではないが、この年だし、害のない人間だし…」と、見逃して欲しい…とすがるような態度を示すアビゲイルでした。ここでコロンボ警部が「先生も私も立派なプロですから」と諭した場面は、深く心に残るものです。コロンボにしてみれば、その動機から考えても同情したい気持ちは大きいのだが、「プロとして見逃すことはできない」ということでしょう。それはまた「殺人を扱う作家の完全殺人計画」が失敗に終わったことを認めた今、責任から逃避しないことを彼女に求めたのだと思われます。
ナイチンゲールはサヨナキドリ。
犯行の準備をするシーンで「何か聞こえる?ナイチンゲール?」のくだりがありますが、ナイチンゲールはサヨナキドリで鳴き声が美しい小鳥。「墓場鳥」とも呼ばれるそうで、コロンボ警部と初対面の日「警部がピアノでThis Old Man」を弾いた後、バーク刑事がドアを開けたシーンなどで庭から聞こえてくる鳥の鳴き声が、そのナイチンゲールなのでしょうか。
アビゲイル・ミッチェル邸。
ネットで調べたら「アビゲイル・ミッチェル邸」らしき場所の地図が見つりました。おぉ、ベロニカから恐喝をほのめかされた庭らしき形状がわかります。本当だろうか…。個人宅かもしれないので、いたずら行為等は厳禁です。しかし劇中では近所らしき海岸を散歩しますので、マリブ近辺に住んでいる設定です。
バーク刑事B
32話「忘れられたスター」で射撃テストの身代わりになる俳優です。この人の他にもトッド・マーティンの演じる「バーク刑事A」が存在します!
「死者のメッセージ」は、音楽も素敵なんです。
音楽は、パトリック・ウィリアムズが担当しています。この他でも合計9作品に関わっているそうです。刑事コロンボ第7シーズンは音楽が素敵です。この「死者のメッセージは特に音楽が素敵」もその一つです。
「アビゲイル・ミッチェルのテーマ」
YouTube「アビゲイル・ミッチェルのテーマ」をパソコン演奏で再現しています。この作品が持つ「上品さ」はそのBGMの音楽性も大きく影響していると感じます。「アビゲイル・ミッチェルのテーマ」とは、私が名付けた呼び名です。音楽もお好きな方は、こちらもご覧ください。(*ご注意:YouTubeへのリンクは音が出ます!)
ダンスのインストラクター
犬の散歩で出くわす海沿いのデッキ
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コロンボ警部が犬の散歩中にアビゲイル・ミッチェルに出くわす海岸沿いのデッキは、12話「アリバイのダイヤル」で探偵ダブスとコロンボ警部が会う店と同じ(あるいは近い)場所です。ちなみにこの階段の下には「オーシャン・サイド・イースト・カフェ」があります(12話当時)。手すりの色が違いますが、5年経っているので、取り替えられたのかな。
三谷幸喜さんの大河ドラマ
三谷幸喜さんが脚本を手掛けられた2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、北条義時は妻に毒殺されたと描かれます。実際にそのように書かれた歴史資料も見つかっています。「鎌倉殿の13人」の最終回では、はは〜、アビゲイル・ミッチェルの講演会の言葉通りだな‥と頷きました。
監督:ジェームズ・フローリー
脚本:ジーン・トンプソン、ポール・タッカホー
音楽:パトリック・ウィリアムズ
アビゲイル・ミッチェル:ルース・ゴードン(声:南美江)
秘書ベロニカ・ブライス:マリエット・ハートレイ(声:桧よしえ)
エドモンド:チャールズ・フランク(声:松橋登)
マーチン弁護士:G・D・スプラッドリン(声:内藤武敏)
バーク刑事:ジェローム・グアルディノ
家政婦アニー:マリー・ジャクソン
インストラクター:マリー・シルバ・アレクサンダー
講演会の客:レオダ・リチャーズ
加筆:2024年8月29日
ミッチェルさん可愛らしいですね。
「もう一つだけ」(まだエドモンドが他殺とお考え)と、返したのもささやかなお返しという感じがします。
エドモンドの他殺の証拠はありませんが、コロンボが「動機は分かっているつもりです」が物語としては間接的な結論なんでしょうね。「別れのワイン」(まだ見返してませんが)と同じく逮捕を残念に感じた一人と分かります。
音楽も素敵で、多分、ぼろんこさんの指摘がなくてもやっぱり心に残っていたと思います。
アビゲイルさぁ!車の鍵は空港のトイレで捨てれば良かったんだよ!!
ルース・ゴードンの魅力や音楽も相まって作品の完成度は高く、ラストの彼女の台詞「警部、あなたか姪の事件を捜査してくれていたら..」には見る度にうるっとします。
が、 と同時に エドモンドにも同情してしまうのです。
限りなく黒に近いエドモンドですが、あの方法はひどすぎると思うのです。
死に至るまでの時間がコロンボ史上最長(別れのワインより?)と思われ、絶望と恐怖と想像を絶する苦しさと…
その中で あのメッセージを必死に考えたのかと思うとたまりません。
コロンボも「被害者はこの中で何を考えただろう」を念頭に置いて推理してましたよね。
カッシーニと違ってアビゲイルは 計画を練っていた。もっと人道的な方法思いついたはずなのに。
これは制作サイドが まず「死者のメッセージ」ありきで作り上げた脚本だろうから仕方ないのでしょうね。
ちなみにクリスティは
アビゲイルとは違って長身、おっとり内気な人だったらしいです。
「ミステリの女王」と言うとクリスティを思い描く人が多いでしょうから、
敢えて真逆のタイプのルースにオファーが行ったのかな?と推測しますが
撮影サイドの意図などの裏話をご存知の方いらしたら 教えてくださいね。
The Cooler Kingさん、コメントありがとうございます。
死に至るまでの時間がコロンボ史上最長>た確かにそうかもしれませんね。エドモンドがもう少し悪人っぽく描かれていたら、って思います。
三谷幸喜さんといえば「古畑任三郎」
1シーズンの第1話では殺害方法が、第2シリーズ 5話では犯人が作家でラストで見逃してほしい描写があるなど本当にこの作品を愛してらっしゃるのがわかります。
かくいう私もこの作品が好きで素晴らしいオマージュに感激しました。
ともひろさん、古畑任三郎シリーズも全部見たいな〜。
人気作品でコメントが多いのですべて読み切れておらず、
すでにご指摘があるかもしれませんが、
アビゲイルは、金庫室のダイアルを回す前に、ちょっとだけ躊躇していますよね?
私は、ふとこの犯人との比較で、松本清張の霧の旗を思い出しました。
霧の旗の柳田桐子はなんの躊躇も感じることなく突き進みましたが…
比較していたらあれこれ考えがあふれてきました。
こちらのブログでも鎌倉殿の13人が話題になっていますが、
私は、三谷作品はじめ日本の作品のオリジナリティーをしばしば感じるのは、とくに太平洋戦争や日本とアメリカの外交がらみのエピソードです。
たとえば、三谷さんの、確か黒井戸殺しだったと思いますが、主人公が、姉が作ってくれたカレーのようなものに喜んで、「よくカレー粉が手に入りましたねえ」という場面があります。
なんで手に入らないの?と一瞬思ったのですが、終戦後間もないからか、と気付いて、ちょっと胸が熱くなりました。
私は初めて見た大河ドラマが山河燃ゆでして、最近またチラ見したところ、むかし良くドラマに出ていたおじさまを発見しました。
クレジットから調べたところ、内藤武敏さんが演じてらしたのですが、この回で、弁護士役マーチンの吹き替えをなさっていたんですね。
全く雰囲気が違うので。役者さんてすごいなあと思います。
それから、仁科雅之様、お返事をありがとうございます!ちなみにジュリーの動画は、憎みきれないろくでなし✩1977.9.5Rというタイトルです。
1977年の10月に、ルフトハンザ航空のハイジャックがあったのですね。その直後の放送のものでした。ご興味があればぜひご覧になってみてください。
YUKIゆき(アイス)様
ご紹介の「憎みきれないろくでなし✩1977.9.5R」YouTubeで視聴しました。若く精悍なジュリーがカッコ良く、歌も鳥肌が立つ(言葉の誤用?)ほど感動し、あの時代が懐かしくて最高でした。
1977年の10月に、ルフトハンザ航空のハイジャックがあった直後の放送とのことですが、41話「死者のメッセージ」の米国での初オンエアが、その翌月の1977年11月21日なんです。これ、知ってて狙いました?それとも偶然ですか?(笑)
三谷さんの『黒井戸殺し』も、原作、アガサ・クリスティ『アクロイド殺し』を、上手に、まだ戦後の香りが濃厚に残る日本に舞台を置き換えて、実に味わい深く仕上げていましたよね。三谷さんはコロンボだけでなくアガサ・クリスティもお好きで、大河ドラマ『鎌倉殿』についても、最終回への物語の締め方は、アガサ・クリスティ作品も参考にしたと、自分でおっしゃっていました。「よくカレー粉が手に入りましたねえ」という台詞は、意外に大昔の他人事では無い食料不足の世界にまた突入しかねない2023年1月なので、そうならないように皆で何とかしなければいけないですね。
重厚な大河ドラマ『山河燃ゆ』ですが、内藤武敏さんのことも含め、こちらも懐かしいです。私は実名ですし迂闊なことは言えませんが、知らず知らずのうちにマスコミへの情報統制が厳しくなった中、今のNHKでは絶対認められなくなった題材だなあと、思わずため息が出ました。時代の空気を読むのに敏感なタモリさんが、来年は「新しい戦前」の時代になると、昨年末意味深なことを言っていたのが、私は少し気になっています。
世界中が明るい未来になって欲しいですね。
仁科雅之様
ジュリーのこれは、神回ですよね。
>41話「死者のメッセージ」の米国での初オンエアが、その翌月の1977年11月21日なんです。これ、知ってて狙いました?それとも偶然ですか?(笑)
全く偶然です!これはそんな前(?)だったのですね。仁科様はひょっとしてリアルアイムでご覧になったのでしょうか。
>意外に大昔の他人事では無い食料不足の世界にまた突入しかねない2023年1月なので、そうならないように皆で何とかしなければいけないですね。
この間、フランスの学者さんが、「日本には素晴らしい知恵とおいしい調理法があるのだから、草でも昆虫でも食べられるように準備してください。」というようなことを例の(?)NHKで言っていて、そこまで?と思いましたが、確かにもうすでに異常かな、と思えるところまで来ているのでしょうか?
>『山河燃ゆ』ですが、内藤武敏さんのことも含め、こちらも懐かしいです。私は実名ですし迂闊なことは言えませんが、知らず知らずのうちにマスコミへの情報統制が厳しくなった中、今のNHKでは絶対認められなくなった題材だなあと、思わずため息が出ました。
やはり、そうなのですか?!
わたしも、クロ現の国谷氏が降板したあたりから、気になっていたのですが…なぜそんなことになってしまったのでしょう。
ところで、しつこいと思い書いていませんでしたが、せっかく仁科様から天城越え~と、頂いたのでまた脱線失礼します。
実は、仁科様もご覧になられたかもしれませんが私の大好きなドラマの一つに金子成人氏脚本・田中美佐子氏主演の天城越えがあります。
個人的には、松本清張原作と先に作られた田中裕子氏主演の映画よりもこちらが好きでして、戦争前の貧しさと、敗戦を経験した人間の悲しみや後悔が温かい目線で描かれていると思います。
YUKIゆき(アイス)様
>リアルアイムでご覧になったのでしょうか。
いえいえ違いますが・・・(笑)。あまり具体的に述べると年がバレますのでこれ以上はご勘弁を(もう、だいたいバレていますか・・・笑)。
>草でも昆虫でも食べられるように準備してください。
昨年、世界の人口が80億人を突破したというニュースが話題になっていましたが、調べてみると、私が生まれたころは約30億人、本作の1977年で約40億人ですからね。地球上の有機物の総量なんて限りがあるでしょうから、著しい気候変動や戦争の悪影響もありますし、食糧不足は根拠ある心配ですよね。
>金子成人氏脚本・田中美佐子氏主演の天城越え
ありがとうございます! おっしゃること、同感です。私も、田中裕子氏主演の映画よりもこちらが好きです。と同時に、何年か前にBSPで再放送された、NHKテレビドラマ『松本清張シリーズ 天城越え』(大野靖子氏 脚本、 和田勉 演出、 大谷直子氏 主演)(1978年版)も良かったですよ。
ところで、NHKについてですが、私が思っていることを、この場所で書けることに限って書きます。
国境なき記者団 (RSF) が毎年1回発表している「世界報道自由度ランキング」で、昨年、日本はG7各国中では最下位の71位でした。この評価については疑問や賛否があってしかるべきだと思いますが、それはそれとして、近頃のNHKについては、放送の許認可権限にかかわる国や政府への忖度と同時に、受信料徴収の在り方などでのネット炎上などを恐れて、国民に対しても過剰に忖度し過ぎ、結果、報道を含めた番組制作全般が、当たり障りのない無難な方向に流れ、すっかり委縮してしまっているという感想を、私は持っています。
私がマスコミ報道でいつも注目しているのは、報道の正確さではなくて、「何を報じなかったか」という点です。
前のコメントでご紹介されていた松本清張『霧の旗』について、社会学者の作田啓一氏が、<本作において(被害者の)大塚弁護士の側に罪があるとすればそれは「無関心の罪」であり、現代人の多くがひそかに心あたりのある感覚である>と、自著「深層社会の点描」(1973年 筑摩書房)で書いておられますが、その意味で、昨今のNHKも、日本国民の「無関心の罪」に加担しているのではないでしょうか。
※余談です。過去にこちらのブログのコメント欄でどなたかも指摘されていた記憶がありますが、刑事コロンボ各話の邦題で「〇〇の〇〇」が多いのは、「ゼロの焦点」「砂の器」「霧の旗」「黒革の手帖」等々、松本清張の影響も大きいかも知れませんね。
※ 最後にもうひとつ。アビゲイル・ミッチェルさんを見ていると、何故だか瀬戸内寂聴さんを思い出すのは私だけでしょうか?
仁科雅之様
色々教えていただき、ありがとうございます!
>アビゲイル・ミッチェルさんを見ていると、何故だか瀬戸内寂聴さんを思い出すのは私だけでしょうか?
あ、言われてみると、もしかして、お茶目?な感じでしょうか?
違うのは、瀬戸内さんは、同じ目に遭っても殺す選択はしないだろう、となんとなく思いますが、いかがでしょうか?
>私がマスコミ報道でいつも注目しているのは、報道の正確さではなくて、「何を報じなかったか」という点です。
鋭いご指摘、勉強になりました。
ずっと思っていることがあります。はだしのゲン、の確か2009年のドラマを観たのですが、
(原作漫画の後半ではゲンがすごく昭和天皇やマッカーサーに怒るシーンがあるのですがそのあたりを、)二時間枠のドラマだったからとはいえ、ああ、やっぱり放送できなかったんだな、と思ったんです。
時々こちらのブログで、「コロンボの悪口を言うな!」とご立腹されてる方がいらっしゃいますが、好きな作品だからこそ批判する自由があると私は考えています。批判と罵詈雑言は違います。
人は、自分にとってどうでもよい関心のない作品は批判しません。
「ゲンがすごく昭和天皇やマッカーサーに怒るシーン」を読んだり見たりして、違う角度から意見を言う自由もあるわけで、私は、そういうシーンをただ覆い隠してまったく放送しないというのはいかがなものかと思っています。
仁科様がおっしゃる、無関心の件も、知ることができなければ、関心を持つこともできないので、知る機会を与えられないのは怖いことだと思います。
追伸もし松本清張作品のタイトルが、コロンボの邦題に影響していたらちょっとうれしいです。
YUKIゆき(アイス)様
瀬戸内寂聴さんを思い出すのは、仰せの通り、お茶目なキャラについてだけです。
瀬戸内さんは、生前、日本の死刑制度についても、宗教家らしく、「人間が人間の罪を決めることは難しい。日本が死刑制度をまだ続けていることは恥ずかしい。人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください」などと、死刑反対の立場を明確にされていましたよね。
私は右翼でも左翼でもありませんが、SNS上などで、現在の日本での、何か踏み込んだ発言をすると、すぐに「ネトウヨ」だの「パヨク」だのとレッテルを貼りたがる風潮は、危険極まりない世相だと心配しています。加えて、話題にされた「はだしのゲン」に限らずですが、政治的忖度に加えて、差別表現や、昨今ではLGBTQ+にまでも配慮しなくてはなりません。
二日ほど前、<カチカチ山、さるかに合戦はどう変わった?時代と共に移り変わる「日本昔話」のコンプライアンス事情>というタイトルの記事を読んで、閉口してしまいました。英雄扱いされている、信長や家康だって、生きていた当時はプーチンみたいなことを平気で行っていたのですから、「日本昔話」だって、今の価値観で勝手に改変してはいけませんよね(笑)。もっとも、私だって、「かぐや姫」を、言い寄る男どもを、内心「この、カスどもめが」と蔑む、自分を美人だと己惚れるツンデレで性格の悪い現代風な女性に描きたくはなりますので、改変したくなる気持ちは理解できますが・・・(笑)。
いずれにしても、「好きな作品だからこそ批判する自由がある」と仰るのは全く同感で、人間誰もがそうであるように、人間が作るどんな作品にも、コインのように、表と裏がありますよね。
「刑事コロンボ」という作品は大好きですが、私も、コメントでは、あえてポジティブだけに傾かず、ややネガティブな発言も、交互にしてきたなあと自覚しています。しかし、喩えれば、長調と短調があって初めて調性音楽が成立するというのと似た感覚で、その方が自然だと考えただけで、ここに集まるコロンボを愛する多くの皆さん同様、他意はありません。
追記
>違う角度から意見を言う自由もあるわけで、私は、そういうシーンをただ覆い隠してまったく放送しないというのはいかがなものかと思っています。
同感です。
今日のニュースを読んでいたら、オフレコだという信頼関係に基づく記者との約束があっても、迂闊に個人の思想の自由を語ってはいけない社会になってきたようで、それでは政治家や官僚や民間や、マスコミ自身も含め、皆が警戒して誰も本音を言わなくなり、社会の隠蔽体質がますます酷くなるだけで、何ら問題の解決にはならないのにと、マスコミの軽はずみな報道のやり方にもあきれました。
学校や職場でのイジメが見つかりにくく巧妙かつ陰湿になっていく過程と同じですね。
仁科雅之様
お返事が遅くなり申し訳ありません。
カチカチ山の記事、読みました!
>「ネトウヨ」だの「パヨク」だの
私は、自己責任、老害、親ガチャ、といった、誰かが何らかの方向に誘導しようとして作り出したのではないか?と感じる言葉はなるべく使わないようにしています。
そして最近聞くワードは、人々をわざと分断させるようなワードが多い気がしています。
誘導というのはたとえその考えが正しいとしてもとても卑怯なことではないでしょうか?
だから(だからもなるべく使うべきではないかもしれません…)、「ハッサン・ハラ―の反逆」などで、批判が出るのは、このやりかたはフェアでない、誘導しようとしている、と一部に人には感じられて、コロンボらしくない、と考える人がいるからなのではないでしょうか?
追伸 ところで虚飾のオープニングナイトの音楽はやっぱりうるさいですか?私はこれはこれで割と好きでした。チャラいと言われる私の世代のごく若いときの音楽ですから自然にはいってきたのかもしれません。(笑)
YUKIゆき(アイス)様
>最近聞くワードは、人々をわざと分断させるようなワードが多い
鋭いご指摘だと思いました。同感です。
私見ですが、いつの時代にも格差や分断はありましたが、戦後の焼け野原から復興し、高度経済成長に乗り上手くいっていた時代の日本では、国民の間に遠心力よりも求心力のほうが、より強く働いていたのではないでしょうか?
>虚飾のオープニングナイトの音楽はやっぱりうるさいですか?
私もあの時代の、あのような空気の中でも働いてきましたので、むしろ懐かしさを感じ、まったく気になりませんでした。
一方で、コロンボの特に旧シリーズの世界観を大切にされている方が、そぐわない音楽と思われる感性も、改めて言われてみれば、よく理解できます。
>いつの時代にも格差や分断はありましたが、戦後の焼け野原から復興し、高度経済成長に乗り上手くいっていた時代の日本では、国民の間に遠心力よりも求心力のほうが、より強く働いていたのではないでしょうか?
わたし、アビゲイルさんは戦争を経験していて、やはりそこですでにいろんな死を見てきて、それでなおさらたった一人の身内を奪われた悲しみが強かったのかなと思ったんです。
それと、「死者のメッセージ」を初めて観た当時、よく本や映画の話題で仲良くしていた方と、昔の日本の人って、現実世界にしろ小説のなかにしろ、覚悟があるというか、善行でも犯罪でも、自分が不幸になったり下手をすれば死ぬ、その覚悟があってやる、ここは潔いよね、と話しあったことがありました。(そのことがあったので、突拍子もないようですが霧の旗などとの比較が浮かんだのでした。)
仁科様のお話を聞いて、私の大叔母が、戦後のもののない時代の方が、みんな助け合ってたよ。と言っていたのを思い出しました。
追伸 コロンボを放送してた時代に、将来払えない人が出るほどの電気代の高騰が起きるなんて誰か想像したでしょうか?
私は電気代明細を見て、灯火管制かい、と叫んでしまいました。
アビゲイル・ミッチェル役の女優、ルース・ゴードン( 1896年10月30日 – 1985年8月28日)と松本清張(1909年12月21日〔2月12日説有〕- 1992年8月4日)に共通しているのは、どちらかというと遅咲きの大器晩成型で、戦時下含む20世紀前半は両者共に苦労していて、その体験が後々の仕事に最大限生かされたという点でしょうかね。
>アビゲイルさんは戦争を経験していて、やはりそこですでにいろんな死を見てきて、それでなおさらたった一人の身内を奪われた悲しみが強かったのかなと思ったんです。
YUKIゆき(アイス)さんにそんな感想を抱かせたのは、間違いなくルース・ゴードンの女優としての力量によるものが大きいでしょうね。
今回、ルース・ゴードンのことを確認していて発見したのは、あの宮沢賢治(1896年8月27日 – 1933年9月21日)と同じ年に生まれていたということでした。松本清張が、太宰治(1909年6月19日 – 1948年6月13日)と同年生まれという有名な話よりもビックリです(笑)。人生いろいろですねえ。
雨にも負けず
風にも負けず
夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲は無く
あらゆる事を自分を勘定に入れずに
良く見聞きし判り
そして忘れず
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
皆にデクノボーと呼ばれ
誉められもせず苦にもされず
そういう『コロンボ』に
私はなりたい
(著作権フリー作品からのパロディー)
追伸(パロディー中級)
わたくしといふ現象は
SNS上に仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
電気代が高騰し続けると
この因果交流電燈は
明滅するテレビとともに
いつか消えてしまうでせう
>アビゲイル・ミッチェル役の女優、ルース・ゴードン( 1896年10月30日 – 1985年8月28日)と松本清張(1909年12月21日〔2月12日説有〕- 1992年8月4日)に共通しているのは、どちらかというと遅咲きの大器晩成型で、戦時下含む20世紀前半は両者共に苦労していて、その体験が後々の仕事に最大限生かされたという点でしょうかね。
ルース・ゴードンと松本清張がほぼ同世代、そして宮沢賢治とは同い年なんですね!
たしかアビゲイルは、あまりコロンボを馬鹿にしていなかったような…見かけに騙される?人ではなかったということでしょうか?
(松本清張は学歴がなく会社でものすごい馬鹿にされたとTVでやっていました。(実はNHKファン))
この間、エドガー・アラン・ポーとショパンが同い年で、ほぼ同じ時期に亡くなっていることを知ってへー!となったり、
ピーター・フォークの同い年にはシドニー・ポワチェ、芥川龍之介がいる!と、仁科様のおかげで最近同い年探しを楽しんでいます。
楽しい詩をありがとうございます。
タイムリーな詩だと思いました!宮沢賢治の本も買いました。
同い年の件とか、様々な因縁の不思議について探すといろいろと面白いですよね。
>エドガー・アラン・ポーとショパンが同い年
あっ、勉強になりました! 意外なような何だかわかるような・・・。ロベルト・シューマンも同時期生まれで比較的短命でしたよね。それより、フェリックス・メンデルスゾーンが、また近い!!
コロンボでの共演者でも、ピーター・フォークと同い年の俳優を何人も発見していますし、著名な指揮者やソリストでも、同年生まれを何人も見つけました。
ピーター・フォークが生まれた1927年って、兎年なんですよ。だから、コロンボは今年、年男!
生きていたら今、95歳です。
<「はだしのゲン」平和教材から削除 「被爆の実態に迫りにくい」広島市教委>という報道が、本日、大きな論議を呼んでいますね。
YUKIゆき(アイス)様の、この国の今の空気の異常さをいち早く察知する確かな嗅覚、さすがです。
本作のコメント欄で、いろいろな話題のやりとりをしましたが、結果的に、「死者のメッセージ」という邦題に、ぴったり合致しているのではないでしょうか?
ぼろんこさんすみません、溶ける糸がランキング一位だと言いましたがやはりこの「死者のメッセージ」に一票お願いします。
犯人像としては「溶ける糸」より素敵だと個人的に思いました。ラストのアビゲイルのセリフ「こうなってみると、もしあなたが姪の事故の、捜査をやってくださってたら、こんなことはせずに済んだでしょうに」にはちょっと感動しました。まず雰囲気からお洒落でしたものね。
微糖スコッティさん、承知いたしました。本作に1票加えます。
あらためて、今回気付いたのは、冒頭からマーチン弁護士のムスっとした表情(笑)、アビゲイルの出発直前まで、彼女のニッコリ笑って迷惑行動、に付き合わされてウンザリとしている様子が現れていて、この様子が以前にも似たような感想=いつもの「コロンボ」のパフォーマンスをピーター・フォークが、アビゲイル役のルース・ゴードンに譲った=を書きましたが、いつものコロンボの迷惑行動と犯人の対応そっくり(笑)。
このエピソードが思った以上にアガサ・クリスティー的だと再認識したのは、冒頭の巧みなトリック、エドモンドを閉じ込めた直後アビゲイルがうっかりスイッチに触れようとして踏みとどまるサスペンス、その一方でよく指摘される、エドモンドの車のキーを巡る瑕疵です。この「瑕疵」ですが、作中犯人のミスのみならず、クリスティー作品自体の瑕疵をも想起させられました。例えば、代表作「ABC殺人」ポアロが謎を解けなかったらいつまでも殺人を続けたのか?というツッコミとか、「オリエント急行」では、犯人が現場で脅迫メモをわざわざ燃やす必要はなかった=持ち去ればポワロは被害者の正体と殺人動機にあんなに早く気付けなかった、というツッコミ等です。良くも悪くもクリスティー的なエピソード、というのが今回の感想です。