Swan Song / 1974
犯人役にカントリー歌手として有名な「ジョニー・キャッシュ」を起用。さすがの存在感です。しかしその犯人であるカントリー歌手トミー・ブラウンよりも、被害者である妻のエドナ(アイダ・ルピノ)の方が悪人であるため、彼に同情するよいう声も上がっています。*ジョニー・キャッシュ:ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガーで「21位」(2008年)
爽快なラストシーン
ラストシーンでは、「自分が犯人でございます」と犯人自身に行動させるパターン、例えば[9話「パイルD-3の壁」25話「権力の墓穴」など多数]で締められ、とても楽しめる作品だと思います。また、犯行を認めた犯人へ同情する場面も、作品の人気を高めています。
音楽家魂を感じます‥
歌手トミー・ブラウンが「自分のギターは助かるようにセスナに載せなかった」ことはちょっとしたポイントです。義弟のルークに「ギターは荷物としてではなく、バスの座席に置くよう」指示しています。楽器というのは世界に同じものが二つと無いんですよね。チェロ演奏家のヨー・ヨー・マさんも楽器は一人分の交通費を支払い、隣の席に置くそうです。
命がけの殺人トリックを敢行
今回の殺害計画は、自家用セスナを墜落させるという大技です。自分の命の保証も無いという、かなりリスキーな手段です。しかも、同乗していたコーラスガールのメアリーアン(ボニー・ヴァン・ダイク)も一緒に殺してしまいます。口封じの意味もあるでしょうが、こりゃ罪が重いです。落下して足を骨折したトミーが証拠を隠し、転げ回ってでも墜落現場に到達するシーンは見せ場です。
テーマ曲は「I saw the light」
トミーは「I saw the light〜 I saw the light〜」と歌います。このブログの訪問者さんの書き込みがヒントで気づきました。トミーはラストシーンで、コロンボ警部の車のヘッドライトに照らされます。まさに「I saw the light〜私は光を見た」なのでしょうね!流石です。(加筆:2013年9月24日)
悪妻役はアイダ・ルピノ
被害者のエドナ夫人は8話
「死の方程式」でバックナー社長夫人を演じる
「アイダ・ルピノ」。犯人のトミー・ブラウンは、飛行機の整備士のジェフに「レンタカーを使っていいよ」と優しく接します、それを邪魔しようとするエドナ夫人。この夫妻の関係をかいま見る瞬間でした。
懲りない女好き‥
妻からまるで強制労働のようにライブステージを押し付けられ、しかもギャラのすべてを十字軍に寄付。逆らえば過去を暴くと脅迫されるという始末。それでもトミーは妻を殺害した後、懲りずに新しいコーラスガールのティナ(ジャニット・バルドウィン)に手を出そうとしてます。ティナはあまり乗り気でない雰囲気ですが、そこを強引に迫る様には、悪人というより動物的なパワーを感じました。
ヴィトー・スコッティ
本題とはあまり関係ない葬式のシーンでは葬儀屋グリンデル役で刑事コロンボシリーズに何度も出演した脇役の名優
「ヴィトー・スコッティ」が出演しています。事件解決とは結びつかないシーンで、NHKの初回放送ではカットされたようです。
ビル・マッキーニー
エドナ夫人の弟でトミーとは犬猿の仲であるルーク・バスケットは俳優ビル・マッキーニー。日本語吹き替えは伊武雅之(
伊武雅刀)さん。カウボーイハットが似合います。短気で乱暴な性格も、ウイリアムソン氏のキャラと通じました。
J.J.ストリンガーはソレル・ブーク
またこれは嬉しい発見だったのですが、後半に登場するレコード会社プロデューサーJ.J.ストリンガー(大きな丸形のサングラスの人)は40話
「殺しの序曲」で拳銃で撃たれて死ぬバーティ役の
「ソレル・ブーク」でした。
パングボーンは重要人物
セスナ墜落事故の捜査班の指揮をとる専門家のパングボーン氏は「ジョン・デナー」。37話
「さらば提督」のオーティス・スワンソン(提督)を演じている重要人物です。ダンディで存在感がありますね、やはり只者ではありません。
墜落現場のカメラマン
同じく墜落現場でコロンボに文句を言うカメラマンは「マイケル・エドワード・ラリー」。有名なエキストラ俳優「
マイク・ラリー」の息子さんなのでした!この息子ラリーは何と、27話
「逆転の構図」のラストシーンに立ち会う警官と同一人物。その他、もう一回出演しています。
セスナ空港のエンジニア・ジェフ
トミー・ブラウンが利用するセスナ機の空港(ベーカーズフィールド)で働くエンジニアのジェフは、俳優ダグラス・ダークソン。音楽が好きでトミーのファンということもあり、とても生き生きと描かれています。
ミシンのおばちゃん
メイホフ大佐
トミー・ブラウンの軍隊時代の上官のメイホフ大佐は俳優ジョン・ランドルフ。多くの作品に出演しているようで今後の調査の対象です。
二人にバルビタールを飲ませたことが命取りになったか?
ブログ読者さんからのご意見を検証しました。隙をついて飛行機から飛び降りれば「バルビタール:睡眠効果のある薬物」は不要だったと。積み込んだはずの魔法瓶が見つからない疑惑、死体を解剖され大量のバルビタールが検出された疑惑。コロンボはこの「バルビタールと関係のありそうな魔法瓶」を、草の根を分けてでも探すという作戦を匂わせて、犯人を捕獲しました。
どこかで見た!この魔法瓶とは…
しかも…このトミーの魔法瓶は、22話「第三の終章」でグリーンリーフが取り調べを受ける警察で使われていたものと同一でした!おそらくアラジン(Aladdin)社製のブラックダイアモンドと呼ばれる商品です。
→刑事コロンボと魔法瓶
礼拝(れいはい or らいはい)について
これもブログ読者さんからのご意見をもとに調査しました。劇中に出てくる礼拝(らいはい)という表現について、仏教においてのみ「らいはい」、それ以外は「れいはい」と発音するようです。ですので厳密には間違って使われています。(加筆:2017年12月22日)
大草原の小さな家
ゲストスターのジョニー・キャッシュは
大草原の小さな家「にせの牧師さん」の牧師役で出演しています。お金目当てに村人を騙すという‥こちらも「うさん臭い」キャラクターで、ハマり役です。
これは、すごい発見ですが!
エドナとメアリーアンの葬儀が行われた教会は、36話
「魔術師の幻想」のジェロームの店(少なくともその外観)と同じです!これはブログのゲストさんがコメントで教えてくれました。すごい発見です。
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ロケ地
セスナ機墜落の調査現場:Nichols Canyon Road(PC)
監督:ニコラス・コラサント
脚本:デビッド・レイフェル
音楽:ディック・デ・ベネディクティス
トミー・ブラウン:ジョニー・キャッシュ(声:外山高士)
妻エドナ:アイダ・ルピノ(声:麻生美代子)
メアリ・アン:ボニー・ヴァン・ダイク
ルーク・バスケット:ビル・マッキーニー(声:伊武雅之)
ローランド・パングボーン(航空局):ジョン・デナー(声:小林修)
ベネット(航空局員):リチャード・ケイン
事故現場カメラマン:マイケル・エドワード・ラリー
J.J.ストリンガー:ソレル・ブーク
葬儀屋グリンデル:ヴィトー・スコッティ
ティナ:ジャニット・バルドウィン
大佐:ジョン・ランドルフ
ジェフ整備士:ダグラス・ダークソン
フランク整備士:ジェファーソン・キビー
パイロットの警官:トム・マクファデン
ミシンのおばちゃん:ルシール・メレディス
コンサート主催者:ハリー・ハーヴェイ
コンサートの会計係:マイク・ラリー
加筆:2023年9月17日
葬儀屋ビトー・スコッティとの絡みは完全アドリブかと思えるくらい、ピーターが時折笑顔まじりになりますね
メアリーアンがエドナにやたらベッタリなのがわからない…
※ 先日投稿したコメントはリンクを含んでいたので,改めて投稿します.
ワシントンからのニュースで,懐かしい名前を目にしました.
「伝説の「アウトロー」米議会に 歌手キャッシュさんの像寄贈(9.25 東京新聞)」
“【ワシントン共同】「アウトロー(無法者)」のイメージで知られた伝説の米カントリー歌手、故ジョニー・キャッシュさんの像がワシントンの連邦議会に24日、寄贈された。議会には各州から地元政治家らの彫像が2点ずつ所蔵されているが、関係者によると、音楽家の像寄贈は初めて。(上記記事より引用)” だそうです.
しっかり罪を償って(笑),コロンボファンには素敵なことですね.
ところで同記事によると,キャッシュさんのお嬢さんはロザンヌさんと言って,やはり歌手とのこと.
もしかして,ボート…. いや汽船で歌っていた?!
墜落現場のカメラマンについてですが、この人はマイク・ラリーの息子です。IMDbでも確認できますが、「マイケル・エドワード・ラリー」氏だそうです。
2018年に亡くなられていますが、海外のコロンボファンサイトに2000年ごろのインタビューが残っていて、父マイク・ラリーの事について色々と語られています。「攻撃命令」「策謀の結末」にマイク・ラリーが登場しない理由についても詳細ではありませんが書かれていました。
いやまあ、皆さんご存じなのかもしれませんがコメント欄でも言及が無いので投稿しました。ご参考まで。
ひどすくいさん、コメントありがとうございます。お返事が遅くなりましたが、たいへん重要な情報をいただき、感謝いたします。確かに「マイケル・エドワード・ラリー」は「マイク・ラリー」の息子さんで間違いありません!さっそく投稿に加筆いたします。
なぜ眠らせたか? という点。
自家製パラシュートを取り出して装着するには手製のため時間がかかります。妻に意識があれば、邪魔してくるはずなので眠らせた。魔法瓶の中身を全部捨ててから瓶を放り投げれば薬物と魔法瓶を結び付けられず、薬物の接種経路が不明になり、コロンボの罠にはまることもなかったのでは?
とおもっていたら、パラシュートがカギだったのですね。最後の一分削除します。
はじめまして
ぼろんこさんが、名作選へ選んだ感想の中で「家用飛行機から飛び降りるというトリックが、自分では少し評価を控えたい理由となりました。」ということを書かれておりますので…
1971年にアメリカで「クーパーハイジャック事件」というハイジャック事件がおきました。クーパーと名乗る人物が飛行機に乗り「飛行機に爆弾をしかけた。爆破させたくないなら、金を用意しろ」と航空会社を脅迫し、お金を渡されると、飛行機からパラシュートで降下してそのまま逃亡した事件です。(アメリカでの唯一の未解決ハイジャック事件だと思います)
「白鳥の歌」は、アメリカで1974年放映だとwikipediaで見ましたので、当時の人にとっては、あまり違和感のない犯罪手法なのではと思います。
コロンボは、当時の最新技術をよく取り上げていますが、話題の犯罪手法も取り上げているのではないかというのが、私の推測です。
回答が遅くなり申し訳ございません。
「クーパーハイジャック事件」を少し調べてみました。すごい事件でしたね!
「家用飛行機から飛び降りるというトリック」の評価を、少しアップしようかな
と思い直しました。
ぼろんこ様
先日は私のミスを訂正していただいて、ありがとうございました。
ゴン太様の投稿を読ませていただいて、クーパー事件が好き(語弊がありますが)なわたしは、ああそうだ!と初めて気が付き、何かに似てると思ったのはこれだったんだ!と思いました。
クーパーはだれも殺してはいなくて、たぶん自分は助からなかったでしょうけれども。
ゴン太様のおかげでこの作品を次回見るときは違う角度から楽しめそうです。
ぼろんこさん YUKI(ゆき)アイスさん
ご返事ありがとうございます。
お互いに気がついたことなどを情報交換して、より楽しむことができるのがネットの良いところだと思います。
今後もよろしくおねがいします。
ゴン太様
お返事ありがとうございます!
こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。
今年、日本国内で実際に有った重大事件に惑わされ、私の中で作品への評価が低い方から高い方へと一気に変化してしまった、とても印象深い作品です。
ドラマ上の設定とはいえ、売れっ子人気歌手が、妻を通じてカルト教団の魔の手に弱みを握られ利用され、稼ぎを搾られるだけ絞り取られ尽くされたあげく、自由も奪われ、洗脳された家庭外の誰にも悩みを打ち開けられず追い詰められた末に、この問題に無関心な世の中の注目を集めるド派手な殺害方法を思い付き、一応計算の上とはいえ、関係ない他人にまで命の危険に巻き込むのを承知で、偶然に左右され過ぎ失敗の可能性が極めて高いやり方だが、自分も死ぬか最低でも逮捕される覚悟で一か八かで命懸けでやけっぱち的に捨て身で実行したら、そりゃあ世間へのインパクトは絶大で、この事件をきっかけとして、やっと国から当該カルト教団に解散命令が下されることになるやも知れません。
古くて新しい、現在でも十分通用する社会派サスペンスの傑作でもあると、初見から数十年も経過して初めて気付きました。
ふと気付いてしまったのですが、本作で間接的に描かれた(施設外壁の横断幕で確認できる)新興宗教教団「LOST SOUL’S CRUSADE」(失われた魂の十字軍)のモデルの中核は、1970年代前半、韓国から米国に拠点を移し、「ドラッグに染まったアメリカを神の手に取り戻す」などと語りながら布教活動を大々的に展開すると同時に、主に都市部を回って教祖他幹部中心に講演などを繰り返して勢力を急拡大させていて、当時米国では「One World Crusade」 (世界統一十字軍)と名乗っており、昨年から日本で再び大きな話題になっている、あの教団そのものではないでしょうか?
役者が楽器を弾くシーンでは良く有ることですが、手の動きと実際に流れる音と違うことがありますね。
ラストに近いシーンでスリーフィンガー演奏する場面にありましたが、本人が弾けるはずですから実際に弾いてほしかったです!
わんたろうさん、ありがとうございます。
リアルな演奏の音源ですと、音質が良くなかったのかな?
きれいに録るには、マイクが必要だったのかも。
ぼろんこさんの解説と、皆さんのコメントを読む度に、「私も何か発見したい!」と思うようになって放送を見ているリリコイです。(現在、ハワイで再放送中)
ありました!発見が!(と言えるほどではありませんが)
高所恐怖症のコロンボがヘロヘロになってセスナ機(小型飛行機の一般総称)から降りる際、コロンボの社会の窓(って今での言う?)が少し開いていました(笑)
具合が悪くなって、ネクタイを緩めたりするようにズボンを緩めたのかな?と。
白鳥の歌に関して、どなたかも言及されていましたが、今生の最期の声のことですね。
日本だと「辞世の句」などがありますが、これだとニュアンスが変わってくるので、ストレートに「白鳥の歌」としたのでしょうね。
リリコイさん、お返事が遅くなりました!
社会の窓、確かに!!確認いたしました。意図的な演出でしょうね、きっと。ピーター・フォークの提案だったかも(笑)
「辞世の句」的なお気づきは、そう、どなたかもお書きになりました。
ハワイにお住まいなのですね!コロンボの放送は英語版でしょうね?
書きにくい回を先に済ませてしまいたいので、順番を変えて、本作のリテイク・コメントを投稿します。
2022年7月13日現在、我が国で最も反感を買いそうな話なのが本作。
カントリー歌手のトミーは元犯罪者で、(カルト)教団の熱心な信者であるエドナに保釈金を払ってもらい仮出所させてもらった恩を理由に、彼女と強引に結婚させられた上に、教団の礼拝堂の建設資金としてコンサートの収益を全額寄付させられ、しかも、妻エドナは夫トミーが教団の未成年の少女メアリー・アンに手を出し淫行していたという弱みを把握していて、それを盾に取って、今後も宗教団体のために、ずっとトミーを「金づる」として利用し続けると宣言する。
トミーは、そんなエドナの教団中心の振る舞いから破滅したくなく逃げたい一心で、妻エドナのみならず、彼による淫行の被害者である少女メアリー・アンもろとも殺害する・・・。
これは、殺人さえ実行しなければ、トミーに心から同情してしまいますが、緻密に計画して実行した犯行が酷すぎて、犯人に「共感」するには、アルプス山脈より高い壁を、私の心の中で乗り越えなければなりません。
こんな脚本に了承して出演してしまった、カントリーの人気実力歌手であったジョニー・キャッシュにこそ、心の底から同情します。
いつかこの感想を書き換えたくなる日が訪れるのでしょうか?
>いつかこの感想を書き換えたくなる日が訪れるのでしょうか?
はい、一か月経ったら、既にもう書き換えたい気分です(お前は、恥ずかしくないのか?・・・)。2022年7月13日 10:17 AMの YC-30さんには大変失礼ですが、現在の私はトミーに大いに共感しています。メアリー・アンが16歳の時にトミーにもて遊ばれたという件も、アメリカでは18歳以下はアウトですが、イギリスでは16歳以上なら同意があればOKで、英国人などは、そこのエピソードについては、あまり気にしないという話を、海外のサイトで読みました。
妻エドナも、メアリー・アンもカルト宗教の狂信的信者だと考えると、トミーの置かれた厳しい立場がとても気の毒です。小型機を使った犯行は、一般市民を巻き添えにした大惨事になりかねず、到底許せるわけではありませんが、トミーの心情はよく理解します。
自分が、いつだって世の中の表層的な報道に振り回され易い人間だと思い知らされ、心より反省しております。
本作を、再びかなり好きになりました。「白鳥の歌」を高評価したいです。
大昔に見た時は、ジョニー・キャッシュが本物の歌手だと聞いた程度でした。
その後、彼の歌を聞いてただの一歌手ではなく大成功した超大物である事を実感したのでした。
それだけに、
あの劇中の歌はダメダメですね(笑)
チャート1位になんか絶対なりっこないですよ。
安易な安っぽい歌詞とメロディー。実際のCCM(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)を舐めてるというか。ドラマだからキャッシュも何も言わなかったんでしょうけど(笑)
最後にコロンボが「これほどの歌が歌える人に悪い人はいませんよ」と言っていますが、
これほどの「歌」(song)って、なんだかなぁと思い英語で聴いてみたら、
「こんな風に歌える人」というのが直訳でしたよ(笑)
この作品はゲストとしてジョニー・キャッシュが出演したとううことで20代の頃に見たのを覚えています。
40数年ぶりに見て、上位にランクできる作品と思いました
もちろん、この作品に限らず、当時の作品を今の視点で見れば突っ込みどころはありますが、そこを言ってみても仕方ありませんし、それを言ったらフィクションとしてのドラマが成り立ちませんからね。
一番印象に残ったのは、コロンボが魔法瓶の探索をボーイスカウトや森林警備隊に依頼の電話をする場面です。(80分頃)
ここでトミー・ブラウンがギターをつま弾きますが、その音色に思わずコロンボが電話の手を止めます。ここからは私の推測ですが、コロンボは「こんな美しい音楽を奏でる人が。。。」とやるせない思いに駆られたと思えました
その時の「間」と「表情」が私にとっては本作品のクライマックスでした
蛇足ですが、トミー・ブラウンの声を担当した外山高士さん
私の家でもやっとテレビを買い、当時夢中になって見た「怪傑黒頭巾」の主役だったので忘れられない役者さんです(後年は悪役が多かったですが)
再放送あると、何回も見ていても画面して見てしまいます。見ていてはっ!としたんですが、犯人役のジョニーキャッシュさんは、大草原の小さな家のにせの牧師さんで牧師の役で出演してました。あの役も凄い印象に残って、最近気が付きました(笑)カントリー歌手の大御所だったんですね。
このエピソード、未成年者に対しての性犯罪者という設定に幻滅してしまった人は多いのではないでしょうか?
これは完全なフィクションであり、当たり前ですがジョニー・キャッシュを役柄と同一視するのはナンセンスです。
問題があるとすれば、むしろ脚本でしょう。
この脚本の元ネタを考えたのは、あの「別れのワイン」の脚本を手掛けたスタンリー・ラルフ・ロスだそうです。
刑事コロンボも中盤にさしかかり、ドナルド・プレザンス、ジョニー・キャッシュといった大スターをゲストに迎え、視聴者に共感してもらえるような犯人像を創作する必要があったのでしょう。
「別れのワイン」は雰囲気も良く大成功でしたが、「白鳥の歌」は事もあろうに未成年に手を出す前科者というひどい人物設定…お気の毒なのはメリーアンというよりジョニー・キャッシュだと思います。当人はあまり深く考えずに演じていたかもしれませんが。
刑事コロンボで好きな回は数多くありますが、今回のどこが名作なのか、さっばりわかりません。どうも、一般的な順位付けと、自分の評価が一致しない場合が多いです。
何回も見れば見れば見るほど鑑賞眼が磨かれて、新しい発見もあり、全シリーズ中で何が真の名作であるかという自分の中での基準が変化して行きます。
それでも「白鳥の歌」は、終始一貫、平均以下の凡作としか、感じられません。新シリーズでさえ、今回より好きな回がいくつも有ります。
平均以下の凡作であると判断した理由を述べていませんでした。
「白鳥の歌」を初めてテレビで見たのは小学生の時でしたが、子供心にも、「墜落した飛行機のすぐそばにパラシュートで降下した犯人が落下するはずがない」と、当時の円谷特撮でも作らない嘘としか感じなかったことが、まず大きいです。映画007シリーズなら、絶対にそんなシーンは作らないですよね。何で墜落機の傍に犯人を落とす必要があるのかも不明でした。
犯人がいい人だというのも気持ち悪かったです。犯罪はいつだって善人面してやってくると、親から教わっていましたので、最初観た時から、コロンボの犯人への共感の言葉は無用としか思えませんでした。
エドナ美人局説というトンデモ説がコメント欄で何度も浮上していますが、であるとすれば、そんな話は刑事コロンボではやってくれるなと、ますます拒絶反応が強まるだけです。
小学生時代にご覧になったご感想、私もそうでしたので全面的に同感です。
大人は騙せても、子供は騙せないことってありますよね。
>エドナ美人局説というトンデモ説
どっちが善でどっちが悪か分からなくなっていくというシナリオなら、ウルトラセブン「ノンマルトの使者」のほうが、ずっと心を揺さぶられます。
エドナ夫人やメアリーアンが入れ込んでいた「魂の十字軍」という宗教名ですが、施設外壁に「LOST SOUL’S CRUSADE」(失われた魂の十字軍)という横断幕がかかっている場面がありまして、それが正式名称かと。事によると、既存のキリスト教の腐敗と無力さを改革しようとする、彼女たちにとっては「画期的な素晴らしい宗教」だったかもしれませんね。
でないと、施設内で布を加工している、あんなに人の好さそうな信者のおばちゃん(失礼!でも大好き!)も、登場させないのではないでしょうか?
子供の頃には疑問と思わなかったことも大人になり見聞も広がり、それなりの社会経験をすると「有り得ない場面」が見えてきてしまいます。
おそらく脚本家たちも「これはちょっと無理がある」と思いつつも話を分かり易くしたり、コロンボと犯人を絡ませるために苦心しているのでしょう。最後はスカッと見せなければいけないので「見せ場」も必要です。
「死者の身代金」でコロンボとマーガレットが仕組んでレスリーを見事に嵌めたのには「やった!!」となりました。その時のコロンボとレスリーの会話が秀逸。その後のウエイトレスとのやりとりと、とぼけた音楽も最高でした。
刑事コロンボとても面白いです。これからも楽しみに観ます。
音頭丸殿さん
T.K さん
子供に質問に対する回答に対して、「それは何で?」「それは何で?」と5回も訊かれたら、大人は大体答えに窮してしまいます。
人生経験を積むことにより物事の見方が変わるのも必然ですが、まだ感性が鋭い、子供の直感を侮る事なかれ 、というのも真実ではないでしょうか。
昔、白土三平の「サスケ」という漫画あり、ここではそれぞれの術の解説をしてくれています。分身四つ身の術とか微塵がくれ。
この一つに「池の底に宝石があり取りに行きたいのが採れない」という回が有りました。なぜか? 池にはピラニア?が放されているからです。潜れば喰われる。
ところが漫画では大きなコップのような物(直径10メートルぐらいか?)を筏に乗せて運び、筏をコップで覆って筏に火をつける。すると中の酸素が消費され陰圧になり「ずずっと」周りの水を中に吸い込み池の底が顕われる。そこで底にある宝石を採れるという算段です。
本当かな?と子供心に思い実際にコップを使って実験してみました。結論は「とてもじゃないが池の周りを吸い込むほどの陰圧は生じない。」
他にも様々にやってみて、「サスケに描かれている術はほとんどがファンタジー」と分かりました。
刑事コンボも実際には無理なことが沢山有ります。画面では一瞬で過ぎ考えている暇はないけれど、あとでじっくりビデオを見直すと「これはないだろう」と発見します。 これもコロンボを観る楽しみの一つです。
この話で犯人を絶対許せないのは、極論すると、どんな背景があろうが、何の罪も無いメアリーアンまで殺した一点に尽きる、私はそのように考えます。
照る民さん
おっしゃるとおりで、だからこの回を、犯人に共感する路線の回に含めるのが、大嫌いなんです。その点で、私が好きな、「別れのワイン」や、特に「忘れられたスター」とは大違いです。
それから、くどいようですが、あえて不自然に物理法則に逆らってでも飛行機の落下地点のすぐ近くに犯人を着地させなければならない、どんな作劇上の事情があったのか全く理解不可能です。航空事故調査官の人が、その不自然さを指摘しない理由も謎です。犯人にしても、そんなことをしたら、飛行機墜落の衝撃で飛び散った部品が直撃して死ぬリスクがあるだけではないでしょうか? それに、飛行機を墜落させる殺人方法は、一般市民が墜落の巻き添えを食らって関係ない犠牲者が出る危険があることについて、犯人は一切考えなかったのか? 水筒を落とす行為だけでも危ない行為です。
以上のような違和感は、小学5年生で初めてこの回を観て以来数十年、1ミリたりも変わりませんし、どんな反論をされても論破可能です。
照る民様
「ぼろんこリンク集」にある、海老名穀 弁護士によるサイト「弁護士が斬る刑事コロンボ」は、プロの目から見た犯人の量刑について、毎回非常に勉強になっております。ぼろんこ様のリンクからお入りいただき、一度冷静になっていただき、同情の余地もあるとの指摘があることに注目していただいて、ぜひ全文をお読みください。下に同サイトより、一部分だけ引用します。
「1.犯行態様
飛行機を墜落させることによってエドナとメアリー・アンを墜落死させるというコロンボ史上最悪級の危険な行為を犯しており、多大な公共の危険も生じさせており、著しく悪質です。
2.動機
エドナから、過去に刑務所から出所させてもらえたことを恩着せがましく語られ、また、メアリー・アンに対して犯した罪の告発を示唆され、音楽活動の収益をすべて搾取されていた状況下において、かかる状況から抜け出すために行った犯行であり、前科やメアリー・アンへの犯行が自業自得だとしても、自らの才覚によって生み出す利益をすべて搾取されることにはなお同情の余地があり、酌むべき事情があります。
3.結果
死因は、物語上明らかにされていません。エドナとメアリー・アンの2名が死亡しています。
以上のとおり、少なくとも、犯行態様は著しく悪質です。動機に酌むべき事情があるとしても、エドナとメアリー・アンの2名を殺害しており、アーカンソーの農場刑務所で服役していた前科もあるようですので、有罪と認定されれば、量刑は大変厳しいものとなるでしょう。死刑もあり得ます。」
あつかましいながら、もう一点、今回レンタカーのキーという小道具を再評価しました。トミーとコロンボの最初の出会いの時からレンタカー暮らしをぼやいていて、後でいつもの(笑)の引掛けに乗ってこない?トミーに、レンタカーのキーが明確な伏線となる展開がいつもより起伏に富んで切れ味がいい、と思いました。
誤字の指摘です。
ビル・マッキーニーの所です。
短期→短気
失礼しました。
ありがとうございます!
私が好きだった「ウルトラセブン」の4Kリマスター版再放送も終わってしまいましたが、あんなに緩い設定の話が、何故楽しめるのか、自分でも未だにわかりません。子供のころの刷り込みだけでは無いことは確かです。
「刑事コロンボ」も再見すると、こんなにも緩い話だったかなあ?と、毎回戸惑うばかりです。だから、「第三の終章」のような凝縮度の高い回には、かえって面食らいます。
「刑事コロンボ」には色々なツッコミが入りますが、それは、現在の「朝ドラ」や「大河ドラマ」をはじめ、多くの人気テレビドラマだってご都合主義やツッコミ所満載なところは、五十歩百歩ではないでしょうかねえ。
というわけなので、テレビドラマや映画は、イマジネーションの飛躍を楽しむ芸術作品だと割り切って考えるようにしております、一種の夢のようなものだと。
「刑事コロンボ」全シリーズ69話を通して立派だったなあと感心するのは、ナレーション無しを貫いたことです。グラナダ・テレビ版「シャーロックホームズの冒険」は、多くの場合、尺の短さをワトソンのナレーションで補っている」わけでして、以前、「刑事コロンボ」は、最後、被害者家族への配慮の言葉が足りないと、指摘された方がいらっしゃいましたが、ワトソンのナレーションが被さりエンディングとなることが多い「シャーロックホームズの冒険」と、ナレーション抜きで突き放したように終わる「刑事コロンボ」、どちらが好みかは人それぞれでしょうねえ。
ところで、ここにいらっしゃる方はクラシック音楽ファンも多いようですが、クラシックファンで「白鳥の歌」ときたら、あの感動的なシューベルトの遺作歌曲集を連想される方は、お一人もいらっしゃらないのでしょうか?
「ウルトラセブン」と、シューベルト「白鳥の歌」、両方感涙するほど好きです。
「好き」に理屈は無いです。音楽も同じです。
こちらへ「刑事コロンボ」の文句を言いに頻繁にコメントされに来られる方は、皆さん全員、誰にも取られたくない位、コロンボのことがお好きなんでしょうねえ(実は、私もそうです)。これは間違いなく「コロンボ愛」の裏返しですよね。
だって、好きの反対は嫌いでも憎しみでもなくて、無関心ですものね(笑)
刑事コロンボ好きですよ。あれこれ辻褄の合わないことや無理筋があってもあのスタイルと次第に犯人を追い詰め自白に追い込むところは見応えがあります。
ここまで見直してきてやはり私は「死者の身代金」と「黒のエチュード」が好きです。女優の美しさが些細な疑問をカバーして余り有ります。
加山雄三シリーズも本来有り得ないスーパーマンを描いているのですが、青大将との絡みや星由里子との恋愛未満をファンタジーとして楽しんでいます。
殺人事件がメインとなるコロンボはどうしても自分が鑑識や解剖医ならどうするかという視点で見てしまいます。それ故辛口批評になります。 殺人方法、動機、遺体の処理について一点の「おかしな所」もない殺人犯が今後現われることを楽しみにしています。
昔、当時映画少年だった私の弟は、喜劇役者ピーター・フォークが刑事役で、スターが、普段やらないような殺人犯役というキャスティングに米国の視聴者は大ウケだったんだろう、と推測していました。もしその通りなら改めてこのエピソードなんかその典型だったでしょうね。ジョニー・キャッシュという当時の人気歌手も、ワルから更正?社会復帰?してきた自分に凶悪犯役という皮肉なオファーが来て自虐的ながらも案外ノリノリだったんではないか、と想像してしまいます。
ピコ氏より、エドナ+メアリ・アン「美人局」説が出ていますが、そう思って観るとエドナも相当ワルですね。アンを性被害者にしたのはエドナである、ということになり、あれ?犯人もエドナ!ということはボビー・ブラウンさんは無罪という事になりませんか。この裏設定(笑)ならば、ブラウンさんはただの女好きで(オイオイ)同情の余地、どころかエドナとブラウンの立場、白黒反転するのでは!
身も蓋もないこと言うと「コロンボ」シリーズの欠点の一つ肝心の共犯、被害者像(ここではメアリ・アン)の描き込みの不足、を指摘できそうですが。
失礼ボビー・ブラウン✕、トミーブラウン○です。
主人公の歌手が飛行機の墜落地点までパラシュート降下していく技量があることにまず驚きです。当夜は強風が吹き荒れていたので風に流され思うような方向に降りられないのでは?
夜間降下は専門の空挺部隊でも難しいと聞いています。御巣鷹山の日航機事故ではヘリからの降下は(ロープを伝って降りるだけでも)夜が明けるまで待ちました。
さらに、わざわざパラシュートの総面積を減らして降下速度は速くなっている。木に引っかかれば宙づりになるし、風に流され崖にたたきつけられる怖れもある。余程の経験者でなけば思いつかない殺害方法です。こういうのをさらっとやってしまうのがコロンボの犯人達。
墜落地点から離れてないところにいたから「奇跡の生存者」になった。数キロ離れていたら「貴方だけが助かったのはなぜ?」とあっという間に容疑者にされたでしょう。有り得ないことを有ることのように見せる脚本は・・・・・・いつもながら流石です。視聴者を引っ張るコロンボと犯人のやりとりがうまいので、殺害方法や死因のディテールが脇にやられても気がつかない。 う~ん・・・・このままやられっぱなしで見続けそうだ。
犯人が歌うキリスト教的倫理観に満ちた歌と、未成年女性へ凌辱のあげく、妻共々殺害という非人道的な行動の矛盾がはなはだしいです。大人だから? 1970年代なら許された? 冗談じゃない。
私も、どなたかに習って、現在の国際情勢に絡めたコメントをしましょうか。
佐藤優氏によれば、無神論を掲げたソ連のKGBに勤めたプーチンは、今ではロシア正教の信仰を受け入れており、彼にとって正教は、ロシアに不可欠なアイデンティティーの一つであり、これを擁護することを義務だと捉えている。そのためには軍事力を持ち出してでも「悪」の出現を食い止めなければ、という立場にあるそうです。あーあ。
宗教に対する幻滅が増すばかりになり、到底共感は無理・無理・無理な、残念回でございました。
コロンボ、「これほどの歌が歌える人に、悪い人はいませんよ」って、誰かの台詞じゃないけれど、「アホかいな」。
スターへのヨイショもいい加減にしなはれ。
子供の時にNHKの初回放送で見ましたが、犯人は相当なワルだなと思っていたら、ラストシーンでコロンボが「これほどの歌を歌う人に悪い人はいない」と言って収めたのが、ちょっと取ってつけたようで「ん?」と感じたのを今でも覚えています(名場面であることは確かなのですが)。
弱みを握っている妻だけでなくコーラスガールまで一緒に殺してしまうし、ぎりぎりまでコロンボをきりきり舞いさせたほどの犯人です(「犯人は所詮はアマだが、こちらはそれで食っている捜査のプロ。年季が違う」と「殺人処方箋」で胸を張っていたコロンボなのですが)。また当時は、演じているのが本物のカントリー・ミュージックの大御所とは知らなかったので、失礼ながら「いかにも悪人面だな」なんて思いながら見ていたような記憶もあります。
その後何度か見た今では、これは同情の余地のない被害者だなと思ったり、犯人にどこか憎めないところがあるのを感じたり(またジョニー・キャッシュがそれをうまく演じていたり)、何より捜査の過程が丹念に描かれていたりと、好エピソードには間違いないと考えるようになっています。それでも似た路線の「別れのワイン」には及ばないなと感じざるを得ません。やはり本物の歌手とあって、制作陣も完全なワルとして描いてエンディングとするわけにはいかなかったのでしょうかね。
それは私も思いました。
そもそも、証拠隠滅がバレたのに「実は自首するつもりだった」は無理がある。
奥さん亡くなってすぐに次のコーラスガールに手を出そうとするし。
カントリー歌手はあまり馴染みが無いので、知ってるポップス歌手ならもっと感情移入出来たかも知れませんね。
私には今回の話は、少し長過ぎました。
コロンボと葬儀屋の、警察官の平均寿命がどうだからどうしろといった会話など、ユーモラスではあるものの、丸々不必要と感じました。
15分~20分程カットしたほうが、冗長さが無くなり好ましくなる回ではないでしょうか?