- 「ぼろんこの傑作選」に選ばれています。
- 「人気投票では2位」「忘れられたスター」も肉薄!
- 2021 NHK あなたが選ぶ!思い出のコロンボ[第2位]
- 2011 AXNミステリー 人気ランキング[第8位]
- 特集記事「マシュー・コレクション」
- デイル・キングストン「メルセデス・ベンツ・300B・アデナウアー」
- トレーシー・オコーナー「フォルクスワーゲン・ビートル・タイプ1・コンバーチブル」
ぼろんこの考える「傑作コロンボ作品:二枚のドガの絵」
犯人の誘いに乗って、最大のチャンスをモノにする。
コロンボ警部はデイルから自宅の鍵を渡された時が最大のチャンスだと見切っていました。その時のデイル宅には、全く証拠が無いとデイル自身が教えているようなものです。しかも、コロンボが捜査した直後が、絵を持ち帰るもっとも安全なタイミングであると考えたのでしょう。しかし、コロンボ警部が部屋で寝ていたのは誤算でした。それにしても…デイルはうかつでした…トレーシー殺害後、絵をもう一度「包装紙にくるんで」持ち帰るべきだったですね。
犯人が自分から行動を起こすように誘導。

ラストシーンは圧巻です。
コロンボ警部はエドナの屋敷に登場する場面から、ずっとポケットに両手を突っ込んでいますね。しかも、犯人をトン死状態に追い込む会話術(指紋の割出しのくだり)も抜群です。そして、手を広げてみせるあの顔とポーズ。ピーターフォーク以外の俳優では決まらない、まさに完璧なラストです。俯瞰(ふかん)気味の静止画もきれいでしたね。
ちょっとした疑問、意味の無い行動?
作品冒頭の殺害現場を演出する場面では、デイル・キングストンは飾られた絵画や家具を荒らしますが、これは全く意味のない行動だと思いませんか?絵画を盗難する行為と結びつきませんし、あんなことをすれば物音がするので誰かに気付かれる危険が非常に高くなります。殺害時間帯に「近辺に誰もいない」ことを確認済みであったとしても、理解に苦しみますね。ましてやエドナを真犯人に想定しているのであれば…言うまでもありませんね。
ロス・マーティンの演技力に乾杯!

デイル・キングストンという人物。
デイルは美術評論家として成功をおさめますが、少し屈折した性格に描かれています。あまり幸せな幼少期を過ごしていない設定で、言葉遣いや素行は決して上品ではありません。業界でも煙たがられていました。
犯人の心理をよく表現している
「コロンボを敵視する」「記憶力が良い」「説明が上手」
デイルはこの3点を備え持っていました。自分にやましい部分がなければ必要以上にコロンボを敵視しません。人の記憶は曖昧で時間の経緯などをなかなか覚えていないもの。自分に容疑がかからない方向の状況説明をぺらぺらとしゃべること。これらは全ては、コロンボが容疑を深める行動なのです。
コロンボ警部はそんなデイルに対し、ラストシーンで「キミ」と呼んでいます。おろかな濡れ衣工作に奔走したデイル。すべてお見通しのコロンボ。二人のパワーバランスが完全に逆転している表現です。
特殊メイクなしでも、魅力的な演技。

ロザンナ・ホフマン

ロザンナ・ホフマンには新シリーズでも会える。
新シリーズの53話「かみさんよ、安らかに」で、ロザンナ・ホフマンさんに再会できます。家を買いに来るお客さんご夫妻の奥さま役です。ぜひご確認ください。また彼女は実生活で、刑事コロンボ作品の原作家「リチャード・レヴィンソン」の奥様でありました。
場面転換にナイスプレー
殺害計画の中に「自分の口封じ」も含まれているとは気づかないトレーシー・オコーナーは、マリブ山中で殺されてしまいます。その殺害シーンは、岩を持って襲いかかるデイルに恐怖する彼女の表情から、「キャ〜」という絶叫もに聞こえる「(デイルが帰宅する)クルマのタイヤ音」で場面転換しています。見事な手法ですね〜。
画廊の女主人マチルダ

画家のサム・フランクリン

ヌードモデルのクリス

ドン・アメチー

捜査一課のワイラー課長

画廊のご婦人

トレーシーの大家さん

サリー巡査

植木屋

原題は「フレーミングにふさわしい」
原題の「Suitable for Framing 」は直訳「フレーミングにふさわしい」ですが、エキサイト翻訳では「二枚のドガの絵」と出ました。凄いですね、コロンボの作品名が辞書登録されているようです。他にもこのような例が多くありました。
ロス・マーティンとピーターフォーク
ロス・マーティンはポーランド出身の舞台俳優で1920年生まれ。ピーター・フォーク(1927年生まれ)よりも7歳年上でかつてはピーターフォークの演技の師匠であったそうです。16話「断たれた音」のローレンス・ハーヴェイが監督・主演の映画「脱走計画」にも出演したそうです。その他、警部マクロードやチャーリーズ・エンジェルにも出ているようです。
ドガについて勉強しよう

一枚のドガの絵

一枚の絵画が、二箇所に展示


リアル二枚のドガの絵

サム・フランクリンの画廊は [La Cienega Blvd.]ラ・シェネガ通りにあるそうです。ちなみにルディ・マシューズ邸は[Pineview 417]パイン・ビューにあるそうです。
監督:ハイ・アヴァーバック
脚本:ジャクソン・ギリス
音楽:ビリー・ゴールデンバーグ
デイル・キングストン:ロス・マーティン(声:西沢利明)
エドナ・マシューズ:キム・ハンター(声:関弘子)
ルディ・マシューズ:ロバート・シェイン
トレーシー・オコーナー:ロザンナ・ホフマン(声:杉山佳寿子)
フランク・シンプソン:ドン・アメチー(声:八奈見乗児)
マチルダ・フランクリン:ジョアン・ショーリー(声:麻生美代子)
サム・フランクリン:ヴィック・テイバック(声:西尾徳)
ヌードモデルのクリス:キャサリン・ダーク
ワイラー課長:バーニー・フィリップス(声:たてかべ和也)
ガードマン:レイ・ケロッグ
駐車番:デニス・ラッカー
画廊のご婦人:サンドラ・ゴールド
エバンス執事:カート・コンウェイ(声:矢田稔)
大家のマーサ:メアリー・ウィックス
庭師:レイ・バラッド
サリー巡査:不明
画廊の老婦人:レオダ・リチャーズ
画廊の紳士:ミッキー・ゴールデン
加筆:2024年11月4日
非常に無駄のない研ぎ澄まされたスクリプトです。コロンボ作品は日本語の題名が素晴らしいですね。贅肉をそぎ落としてその題名から様々な想像が喚起される(憎しみ、皮肉、称賛等)選ばれた言語と思います。
「二枚のドガの絵」で一つ疑問があります。デイルから殺人の濡衣を着させられるエドナですが、マシューズを殺害する動機がありません。法律的に遺産相続のからくりはデイルの思惑通リに進みますが、検察が殺害動機を追及した場合、まったく理由が見当たらなくなる点をデイルは計算に入れていたのでしょうか?エドナが逮捕されてもその後の尋問、物的証拠で立証は不可能な気がしますが、考えすぎでしょうか?
初めてメッセージを書きます。エドナに殺害の動機がないというあきらさんの指摘は、鋭い点を衝いていると思います。刑事コロンボを代表する傑作の一つと位置づけられている本作品ですが、この点の納得のいく説明がないと、私としては評価を下げざるを得ません。エドナが元夫に憎しみを抱いていたとは描かれていないから金銭的な動機しかありません。絵画コレクションは美術館などに寄贈するべきと考えていたというのはごまかしで、本当は金に困っていて、一刻も早くコレクションを売って換金する必要があったので、相続権を得るために殺害したという設定になるのでしょうか。
エドナ殺人動機がない…。
これは大きいポイントでしたね!
私の考えとしては、
「デイル・キングストンは頭が悪い」から笑。
ただし、私の作品への評価は高いまま…でしょうか。
これについては、後日、記事を追加いたします。
お久しぶりです。「二枚のドガの絵」の再放送を見て、思わず書き込みさせていただくこと、ご容赦ください。「他人に見られなかったか?」「モチよ(=勿論よ)」の会話を聞いて『今の若い人に分かるんかいな』と苦笑したのですが、さすが!このブログで「死語」と紹介されていて、つい笑ってしまいました。
しかしデイルは、その冷酷非情さといい、社会的地位と実態の落差の激しさといい、1ミリたりとも共感できる部分が無いという点でも、「溶ける糸」のレナード・ニモイ演じるメイフィールド先生に匹敵する卑劣漢ですね。それだけにラストの『ざまあみろ』と言いたくなるスッキリ感がとても大きい作品だと思います。
ロス・マーティンは犯人役として最高レベルです!
始めまして。2021年から再放送を見るたびに訪問させていただいていますが、書き込みは初めてです。
なぜデイル・キングストンは飾られた絵画や家具を荒したのか?ですが、「浅はかなエドナが強盗を偽装しようとした」のを偽装しようとしたのじゃないかというのが私の考えです。
なぜドガの絵にしたのかは見当がつきません。小ぶりだったからとかかな?
コメントありがとうございます。
浅はかなエドナ>おぉ、考えもしなかったアイデアです。が、デイルはそこまで頭脳明晰とは思えません。
なぜドガの絵>それは、検証が必要でしょうね〜。映像を見ますと、二枚のドガの絵が突出して価値が高いかどうか、ぱっと見では判断できません。
初めて水曜ロードショーで『ルパン三世カリオストロの城』を観た時、この顔どこかで見たことが…と思っていましたが、明くる日の中学校の授業中に『二枚のドガの絵』の犯人だ!!と轟警部「よしっ!わかった!!」加藤武で叫んでしまいました。実写版カリオストロ伯爵はロス.マーティン!笑福亭仁鶴ではなくロス・マーティン!!
ロス・マーティン=カリオストロ、加藤武の「よしっ!わかった!!」、おもしろいです!
コロンボ学については全くの素人で、諸先輩が侃々諤々の議論をされている中に割り込むのは気が引けるのですが、コロンボが「犯人が包装紙を自宅に置いておくはずがない」と言ったのを聞いているのに、エドナに罪を着せようと絵をエドナの部屋に隠すというのは納得できませんでした。
それと、そもそもエドナは離婚しているので相続権はないのでは?それとも別居しているだけで離婚はしていなかったのでしょうか?
コメントありがとうございます。
包装紙>ご指摘のとおりだと思います。
相続権>正直言って、わかりません笑。すみません。
来週土曜日に放送があるので楽しみにしております。ところで、小生おそらくNHKでの最初の放送(50年くらい前でしょうか)を見た記憶があるのですが、この時はラストでコロンボが「プロを舐めてもらっては困る」というようなことを言っていたようにうっすら覚えております。ただその後の放送では、そのセリフはなくなっています。
このあたり、どなたかお詳しい方に正確な情報を教えて頂けますとありがたく思います。当方の記憶違いでしたら申し訳ありません。
二見書房から出版されていた小説版「刑事コロンボ」の「二枚のドガの絵」は、ラストがまさにコロンボの言葉で締められていました。もうとっくに手元になく、記憶も定かではありませんが、確か「あたしゃプロなんだよ」というような感じでした。しんさんが書いているセリフに似ているので思い出しました。
私はNHKの初回放送は見ていませんが、その後に見た放送や、所有してきたディスク(現在はブルーレイ)では、いずれもデイルの悪あがきのあと、コロンボが無言のまま例の衝撃的な”証拠”を見せてスパッと終わるエンディングとなっています。国内の初回放送だけ違っていた、ということがあるのでしょうか・・・?
なお二見書房の小説版コロンボは、複数の”訳者”による”翻訳”のように見えますが、別に各エピソードの英語版原書があるわけではなく、また”訳者”本人による創作がかなり盛り込まれていたことが明らかになっています。ですのでテレビではなく二見書房版の小説に書かれている内容を”原典”と考えるのはまずいと思います。
今では入手困難となっている二見書房の小説版を私は当時ほぼ全点揃えましたが、”訳者”の違いによるエピソードごとの出来不出来がずいぶんあるなと感じました。気に入ったエピソードや”翻訳”はボロボロになるまで読みましたが、いずれも処分してしまったのが今となっては残念です。特に印象に残った「ホリスター将軍のコレクション」の小説版は、そちらを先に読んでいて、期待して”本家”のドラマを初めて見た時はガックリきたということを、このぼろんこさんのブログの「ホリスター~」のコメント欄にかつて書かせていただきました。
tempus fugitさん、返信ありがとうございます。
しんさんのご質問に、簡単にお答えできず、困ってました。
時間ができましたら、もっと研究いたします。
また嫌われるだろうなあ。でも、真実の追求のためには、コロンボに見習い、空気を読まず乱入します。嫌われてもまったく平気です。コロンボから学んだことのひとつは、そう、「嫌われる勇気」なのです。
我が国のノベライズ版のセリフは、
「忘れちゃ困るよ、キングストンさん。私もプロなんだ」
だったと、かなり明確に記憶しています。
私もこの本はとっくの昔に手放していますが、今回、自分の記憶力がどこまで正確かと、そのことだけを確かめるために、ネットの古書店に、41円の中古本を発注してみました。手元に到着しましたら、確認の上、再度ご報告いたします。
なお、tempus fugit様のコメント中、
>別に各エピソードの英語版原書があるわけではなく、
についてですが、より正確に説明しますと、
手順として、まず二見書房がノベライズの版権を取って、映像用の英語のオリジナル・シナリオを取り寄せ、それと日本語版の吹き替え台本を、〝訳者〟つまり書き手に渡し、書き手はその2つと実際の映像を参考にしながら、書き手の創作で話を盛ったりしつつ小説化していく、といった流れだったようです。このあたりの事情は、町田暁雄(編)『刑事コロンボ読本』に詳しく載っています。
仁科さん、ありがとうございます!
tempus fugitさん、仁科さん
当方の曖昧な記憶にご反応/コメント頂き大変ありがとうございます。ノベライズ版ありましたね!読んだ記憶はあるのですが、ラストのセリフがどうだったかまでは覚えていません。。ただテレビのほうは、お二人のコメントで記憶がだいぶ蘇ってきました。そうそう、「あたしゃプロなんだ。」だったと思います。「忘れちゃ困るよ、キングストンさん。あたしゃプロなんだ。」だったと思うのですが。。どうなんでしょうかね。オリジナル(原語)の放映ではなかったセリフを、吹替版で足した、というようなことがあったのかもしれません。
ぼろんこさんもご反応頂きありがとうございます。
お役にたてませんで、申し訳ないです。
仁科雅之(YC-30)様、そうでした、まず「忘れちゃ困るよ」というような言葉があってから「プロなんだ」に続くのでしたね。思い出しました。私は文言の細部は覚えていないので、仁科様の記憶力に感服します。
私は最初これを読んだ時は「カッコいいセリフで、決まってるなあ」と感心しましたが、少し経って何度か読み直すうちに、犯人に対して自分の自信や優位性をはっきりと口にするのはコロンボらしくないなあ、と思うようになりました。コロンボの自信や自負心のほどは「殺人処方箋」や「殺しの序曲」などで言葉で表されていますが、あれは犯人と対峙する独特の雰囲気の中で語られるから良いのであって、「二枚のドガの絵」の形はそぐわない、と感じたのです。
これはあくまでも私の感想ですし、もしかしたらこの最後のセリフは日本語版”翻訳者”の創作ではなく実際に元のシナリオにはあったものの、映像の最終版では削られたのかもしれませんね。なおこのエピソードの”翻訳者”である「藤崎誠」氏は、ミステリ評論家の瀬戸川猛資氏のペンネームで、氏の評論集「夜明けの睡魔」は読み応えがあります。
二見書房の小説版といえば、第一期は各作品にさし絵がついていましたが、どれももうひとつの出来だったと感じました。「二枚のドガの絵」でも、例の衝撃のラストシーンがさし絵で描かれていましたが、いまいちだったように記憶しています。例外は「ホリスター将軍のコレクション」で、なぜかこの作は他のエピソードと違うイラストレーターがさし絵を担当していましたが、コロンボも実物そっくりに描かれているなどリアルで、かつ独特の味わいのあるイラストでした。
ただ第一期で良かったと思ったのは本のカバー装画で、どれも写真とカラフルな絵がうまくマッチしていました。絵は、NHK初回放送時のオープニングに使われたタイトル画を思わせるものもあったように思います。第二期以降は、さし絵の代わりに実際のドラマからの写真が掲載されるようになったのは大歓迎だったのですが、カバーの装画は写真だけを使ったものになり、かえって面白みのない装丁になってしまったなと感じました。小説版では、巻末の「コロンボ対談」やカバー折り返しの有名人による「私のコロンボ」という短文は、どれも楽しめました。
思い出すままに昔話を書いていたら話がノベライズのことになってしまい、「二枚のドガの絵」そのものとは外れてきましたので、ここらで止めておきます。
先日発注した、昭和49年8月5日初版発行 二見書房 ノベライズ版『二枚のドガの絵』(藤崎誠 訳)の古本が、本日手元に届きました。実に懐かしいです。
本文の最期の一行は、やはりコロンボのセリフでしたが、
「忘れちゃ困るよ、キングストンさん。私もプロなんだ」
ではなくて、
「忘れちゃ困るよ、キングストンさん。私はプロなんだ」
で、「も」が「は」で、記憶と違っていました(おしかった!)。
この最後のセリフは、tempus fugit様がおっしゃったように、日本語版”翻訳者”の創作ではなく実際に元のシナリオにはあったものの、映像の最終版では削られたのかもしれませんし、しん様のご記憶の通りであれば、第30話「ビデオテープの証言」での犯人の妻の嗚咽のように、日本語吹替版だけの演出で追加され、初回放映後に修正されて消されたのかもしれませんし、真相はますます謎ですね。
仁科さん
ノベライズ本についての確認とその情報を書き込み頂きありがとうございます。私もこの本は読んだ記憶があるので、そのセリフで締めくくっていたという記憶が蘇ってきました。
1月25日の放送も見ました。で、ここからは完全に推測ですが、映像は、あの描写一発で「オチ」ていますが、文章となると最後にもう一発ダメ押ししたくなり、このセリフが足されたのでは。で、どういう経路かわかりませんが、初回(おそらく初回だけ)の放送でそのセリフが使われたのだが、さすがに映像のコロンボは何もしゃべってないので、その後は取り払われた、ではないかと想像します。謎は尽きないですね。
父がコロンボファンでリアルタイムで毎回見てました。放送当時のセリフの記憶はありませんでした。最初はあったのかもしれませんね。遺品の中にVHS(!!)テープの二枚のドガの絵(完全版)があり、吹き替え版なので確認してみましたが当該セリフはありませんでした。また今回の再放送でも原語でも確認しましたが、コロンボのセリフはありませんでした。コロンボの口も動いていないのでドラマ版ではそのセリフは無かったのでしょうね。最初の放送時には日本語翻訳でセリフを入れたけれども際にだれか指摘する人がいて、再放送やビデオ、DVDなどの版にはその日本語セリフは除外されたのでしょう。皆さんよくおぼえていらっしゃいますねえ。
tempus fugit様、仁科様、
横入り失礼いたします。
瀬戸川猛資氏の「夜明けの睡魔」の名前が出てきて嬉しくなってしまいました。
ミステリマガジン連載当時の「夜明け~」と「夢想の研究」に かなり影響を受けて、
コリン・デクスター、ピーター・ラヴゼイ、ロス・マクドナルドにはまったのを思い出しました。
後期ロスマクは 上流階級を中心にした複雑極まる人間関係の悲劇を描いた本格ミステリでもあるので 仁科様も お好きなのではないか、
常々聞いてみようかと思っておりました。
最高傑作「さむけ」(1964)は
すごいです。
終わりの方、真相に気づいた
主人公リュウと読者の うなじの毛が逆立つ…のが題名の由来。
だから夏になると 読み返したくなります。
続きです。
(記憶が曖昧なのでもしかして違うかもしれませんが)
瀬戸川氏は「夢想の研究」で レッドフォードの「大いなる勇者」(1972シドニー・ポラック監督)を絶賛されていたような…
文明を嫌って山に入った
実在の人物の半生を描いた名作です。
山男ジョンソン(レッドフォード)にサバイバル指南をする師匠に、ハイデマン先生(「溶ける糸」)ことウィル・ギア。
かなり ファンキーな役どころを好演されてました。
異文化に対する敬意が感じられる作品だと 思いました。
瀬戸川猛資氏のことについてなど、今回のThe Cooler King 様が採りあげられた話題への返信は、本当は、tempus fugit様のほうが私より詳しくて相応しいのではないかという気がしておりますが、とりあえず・・・。
ロス・マクドナルドを多く読んでいるわけではありませんが、ご紹介の『さむけ』(1964)は読んだことがあり、複雑で層の恐ろしく深いキャラクター描写や暗く緻密なプロットが素晴らしく、お察しの通り好みですし、私も素晴らしい傑作であると感じております。
瀬戸川氏とともに、法月綸太郎氏も、この作家を高く評価されていましたね。
>だから夏になると 読み返したくなります。
そのお気持ち、よく理解できます!
コリン・デクスターについては、何といっても『モース警部シリーズ』が、TVドラマも含め大好きです。
今回のコメントでは、映画『大いなる勇者』についてだけ、少し深入りしておきます。
突然ですが、トランプ政権の移民政策では、しばしば移民を「外部の者」として扱い、国の安全を守るために厳しい措置を講じることが強調されます。このような政策は、この映画に描かれる「外敵」としての扱いに似た側面がありますし、また、トランプ政権の移民政策は、移民を単なる「問題」として取り扱うことが多く、その人々が抱える歴史的な背景や個々の状況を無視してしまう場合もあります。
『大いなる勇者』の中でも、異なる文化や人々が衝突することで悲劇が生じ、登場人物たちがその中でどのように自分自身と向き合い、成長するのかが描かれています。このテーマは、現代における移民問題の解決にも深く関連し、ただ「解決策」を押し付けるのではなく、歴史的背景や文化的な違いを尊重することの重要性を示唆しているとも解釈でき、2025年の今だからこそ、より深く考えさせられる、少しでも多くの人々が、再度観るべき映画だと思っております。
『コロンボ』、『モース』、『さむけ』、『大いなる勇者』・・・、事件の背後にある社会的、道徳的なテーマを掘り下げる名作は、どれも深くて素晴らしいですね。どれも、ドガの絵とも共通する、人間だからこその哀しさを避けては通れませんけれども・・・。
仁科様。
良かった! ロスマクって、チャンドラーより認知度低いみたいで 忘れられてしまう心配してました。
瀬戸川氏の功績は 今考えてもすごいですね。
トランプ移民政策で思い出した映画があります。
「ナイブス・アウト」(2019 ライアン・ジョンソン監督)。
オールスターキャストのお屋敷(米東海岸の邸宅)ミステリです。
登場人物の一人に 母親が不法移民の若い女性看護師(アナ・デ・アルマス)。
不利な立場の彼女が窮地に立たされていく。
彼女を見下し、探偵ダニエル・クレイグ(米南部出身フランス系設定)にも「よそ者が!」と排他的なお屋敷の一族なんですが、トランプのアメリカそのものじゃないか、との解説が納得でした。
風変わり系探偵クレイグに喝采を送りたくなります。
コロンボキャスト、ジェイミー・リー・カーティス姉御も存在感見せてます。
ミステリ好きジョンソン監督、「Poker Face 」もそうでしたが、遊び心いっぱいで楽しめました。
「違う人たちとの共生はいかに?」映画はいろいろありましたが 最近だと
「第9地区」(2009 ニール・ブロムキャンプ)がユニークでした。
そして
80年代NY 派インディーズ派の雄ジョン・セイルズ
「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」(1984)
地球に落ちてきた異星人
(ジョー・モートン)が ブラザーとしてハーレムになじんでいくお話。
この 一言も喋らない、不思議な治癒能力のある穏やかなブラザーの魅力、周りの人々とのやりとりなどを独特のユーモア感覚で描いていて 温かい作品でした。若いフィッシャー・スティーヴンスが ちらりと出演してます。コロンボ犯人5年前ですね。
人種や移民問題がベースになってますが
私のへぼい文章じゃ
この名作の素晴らしさを伝えられません。
機会があったら ぜひ。
長くなってしまいましたが
仁科様、ご覧になっていたら 解説し直しお願いいたしまーす。
人との関わり方で、
反感あったり、最初はうまくいかなくても 次第に認めあって 仲良くなっていく
アストリッドとフルニエ先生の様子に感動しちゃうのですが…
The Cooler King 様
返信コメントが、「二枚のドガの絵」の内容と外れつつ、長くなりますので、「殺された人々の罪…も。」の頁をお借りし、返信いたします。
私の過去のコメント中で、現在最も重要だと感じているポイントを中心に、各回をリテイク・コメントしています。
第6話「二枚のドガの絵」は、文句なしに『刑事コロンボ』全話中屈指の傑作だと確信しています。何度観ても、無駄なシーンがほとんどなく、テンポも実に良いです。
ところで、犯人のデイルは「二枚のドガの絵」そのものを真に愛していたわけではなかったのではないでしょうか? その理由は、トレーシーを殺害する直前に「二枚のドガの絵」を屋外の直射日光に平然と晒していたことです。絵画に詳しい人物であれば、紫外線には最大限の注意を払うはずです。美術館の室内展示でも、蛍光灯の光に含まれる紫外線に細心の注意を払うのが美術の専門家というものです。
さて、シリーズ化第1作である第3話「構想の死角」から、第4話「指輪の爪あと」、第5話「ホリスター将軍のコレクション」、そして第6話「二枚のドガの絵」まで、ラッセル・L・メティが撮影を担当した、これらの4作品を連続して鑑賞すると、まるでベートーヴェンの「第九」のような四楽章構成の交響曲に思えてきます。
第1楽章は重厚な「構想の死角」、第2楽章は歯切れの良い「指輪の爪あと」、第3楽章はゆったりとしたテンポで心の奥底に沁みる「ホリスター将軍のコレクション」、そして第4楽章(終楽章)はテンポをどんどん加速し、最後に最高の盛り上がりを見せて「ブラボー!!」となる「二枚のドガの絵」です。
私はあまり俳優には関心持たないのですが(見分けられないので)、このエピソードでは、コロンボと顔見知りでハイヒールの足音の検証に協力した「サリー」という婦警が気になりました。「suitable for framing」「sally」で英語サイトを検索しても、「この女優さん誰?」というコメントしか拾えないので、やっぱり本場でも不明のようですね。大部屋女優の一発屋さんなのか、はたまた人手不足でスタッフが演じたりしたのか。
あとヌードモデルのポーズと、絵のポーズが全然違う。「動くな」と言っているのに。
ラストはさすがの圧巻。でも鑑識や上司の様子からすると、彼らも事前に知っていたようですね。コロンボから「家宅捜索して行方不明の絵が出てあたしの指紋が出てきたら、それがデイルが犯人の証拠になるから」と説明があったのでしょうか。
デイルの自宅で触っていた絵が本当に鑑定を頼まれただけの無関係な絵だったら(コロンボにとってドガの絵だったのは偶然だったはず)、ドガの絵にはデイルの指紋しかなく、心ならずもエドナ連行? 結果オーライ?
サリー婦警は私も結構探しましたが女優さんは不明です。
家宅捜索の鑑識や上司は、予めコロンボ警部の説明を受けていますね。
結果オーライ?なのかもしれませんが、結果必然にしてしまうコロンボ警部が私は大好きです笑
初めまして。
私が最初から最後まで意識して観たコロンボが、この『二枚のドガの絵』だったと思います。
最初観たときは、「さすがにコレクションをすべて離婚した元奥さんに遺産として渡すって、無茶じゃねーか(そんなことしたら、殺されるとまではいわずともものすごく恨まれるだろう)」と思いまして、その考えは今も不変ですが、ただそうでもないないと、ロス・マーティンが殺人をするなんてことはないですよね(苦笑)。特に初期のコロンボは、「殺人処方箋」といい「死者の身代金」といい、「え、それで人を殺しちゃうの?」と思うような設定も多かったような。
ロザンナ・ホフマンがレヴィンソンの奥さんだったとは知りませんでした。ありがとうございます。ロス・マーティンも、ピーター・フォークにとっては兄貴分だったわけで、けっこう初期からこういった「情実キャスト(?)」があったわけですね。
実は、この記事にコメントしようと思ったのは、モデル役の女優さんの件です。クレジットにも名がなく、IMDbなどでも確認できなかったので、「?」と思っていたのですが、2年くらい前でしたか、英語のサイトで彼女がキャサリン・ダークという人であることを知り、なるほどねえでした。貴サイトでも取り上げてくださりうれしいものを感じます。現在のIMDbには名が記されていますが、彼女に限らず初期作品ではクレジットに名がない出演者も多かったのだなと思います。
どうも駄文失礼しました。またコメントさせていただくかもしれませんので、よろしくお願いします。
横レス失礼します。
>無茶じゃねーか
>「え、それで人を殺しちゃうの?」
>「情実キャスト(?)」
ごもっとも!、同感です。
初めまして。
殺人の動機が弱い事件は、多いと思います。これは警察を甘く見ている…のかな。それでコロンボようなヨレヨレ刑事が登場するのが、面白みを増している気がします。
コロンボ氏の葉巻エピソードは今回も面白かったです。
殺害現場でコロンボさんは珍しくマッチを忘れず持っていたのに、お手伝いのエバンスさんから吸うのを止められてしまって…笑。でも最終的にはデイルの前で火をつけて吸いだします。デイルは止めません。
エバンスさんは殺された主人の意思を守って吸わないように止めたのですが、デイルは故人の意思も尊重せず絵画も大切にしない(金銭目的)男だという印象を受けました。
顧問弁護士のシンプソン氏のライターをごくごく自然に持って帰ろうとして引き留められたところもコロンボらしくて面白かったです。
それからパワフルな熟女が沢山登場しましたね。
「実際こういうおばさんいるいる!」という方ばかり。
画廊の女主人マチルダからはじまり、女主人の押し売りを割と辛口で断るサンドラ・ゴールド演じる女性客、デイルの講釈を目を輝かせて聞くお金持ちのご婦人方、メアリー・ウィックス演じる殺されたトレーシーの下宿の女主人はコロンボに目的の写真を出すまで話が脱線しまくるし、コロンボの話を遮ってまで自分の話を続けるエドナ夫人はどの場面でもよくしゃべり、とにかくパワフルでした。
最後に、今回ドガの他にもモネやセザンヌ、ローランサン風の絵など沢山飾られていましたが、私は画風からすべて創作だと思っています。
さっぽろスマイルさん、コメントありがとうございます。本記事を加筆しておりますので、よろしかったらお読みください。
ご無沙汰しております。12月11日の早朝に放映されると知り録画して観るつもりです。お恥ずかしながらこの作品最初から最後まで観たことがないんです。以前録画していたのを旦那が間違って消してしまいました。仕事の為午前4時代だと録画するしかありませんね。放送時間もう少し何とかならなかったのでしょうかね。
私の場合は録画して、後でじっくり楽しむタイプですので、夜中でも構いません。毎話たまってゆくので嬉しいです。
この作品でトレイシーを演じたロザンナ・ホフマンは、
リチャード・レヴィンソンの奥様です。
Shawさん、ありがとうございます。本記事に加筆させていただきます。
教えてほしいです。
おそらく、刑事コロンボシリーズ史上殺人が起きるのが最も早いのはこれだと思うのですが(実に55秒!)逆に最も遅いのは何でしょうか?「悪の温室」などは遅かったイメージがあるのですが・・・
他にも、コロンボの登場が最も早かった回、最も遅かった回など。登場が最も早かったのは「歌声の消えた海」だと思うのですがどうでしょうか?予告抜きで14秒でしたが。
早いのは「秒読みの殺人」かな?
本作に登場する、デッサン画のようなパステル画の「2枚のドガの絵」ですが、ドガの絵として実在するのであれば、撮影で使用されたのは当然レプリカなのでしょうけれど、そもそもこの元絵は本当にドガ作品なんでしょうか?
本物があるとすれば、ドガは生涯独身を貫き83歳で亡くなっていますが、いつごろの作品なのでしょう? また、本作「2枚のドガの絵」用にドガ風に他人が描いた贋作であるならば、ドガのどの年代の作風を意識して作成したものなのでしょうか?(晩年なのか?)
一般的に有名なドガの絵の、躍動感とともに描かれているある踊り子のある種不気味な表情は、当時のパリの踊り子の、パトロンに買われた愛人や娼婦のような社会的立場の弱さを表現していると、専門家からよく指摘されていますが、あの「2枚のドガの絵」は、躍動感も感じなければ表情から訴えてくるものも少なく、絵全体の雰囲気も暗過ぎて、特に、額縁に入れられ壁にかかっているシーンでの、向かって左側の絵の、後ろ手を組んだ後ろ向きの踊り子の絵は、踊り子としての動きは表現されておらず、ただ他人との拒絶感や孤独感だけは強く感じますが、私が勉強不足なだけかも知れませんけれど、どちらにしても、あの二枚の絵から、あまりドガの天才的作風の魅力は感じません。
本作に登場するドガの絵が、ストーリー展開上「2枚」である必要は無く、仮に、二つの悲劇的な殺人事件の影絵のようなメタファーだとしたら、わかる気はします。
YC-30様
あまり音楽の話と絡めて書くとあれなので、また移ってきました(笑)。
ドガの絵に関してですが、実は、私もネットでではありますが、散々調べてみましたが、この2枚は見つかりませんでした。
わたしはドガの絵はそんなに好きではないので詳しくはわかりませんが、
ボロンコ様も。この絵がどこに展示されているかわからないと書いてらっしゃいますし、犯人はじめエセ?文化人への揶揄なのではないかな、と考えましたが、どうなのでしょうね。
ヒッチコックの言葉は知りませんでした。
だいぶ前に、テレビで「裏窓」を観たのが、ヒッチコックを観た最初なのですが、なんかずいぶん恋人に対してひどいおじさんだなあ・と思った記憶があります。いまならセクハラとしてアウトなのではないかな?
でも主人公からすれば女性がサスペンスなのであれば、納得かもしれません!?
アイス様
>エセ?文化人への揶揄なのではないかな
それもあるかも知れませんね。
あの「2枚のドガの絵」は、私見では、絶対ドラマのために作成された贋作だと確信しております。但し、あの絵がもし今も現存していて、『開運!なんでも鑑定団』にでも出されたら、「『刑事コロンボ』の傑作で使用された絵」として、間違いなく大変な高値が付くでしょうね(笑)。
ヒッチコックについては、現在の基準で裁けば、最も即セクハラ退場させらそうな巨匠ですが、彼の映画監督としての偉大さは変わりません。
私が彼の映画で最も評価していて大好きなのは『めまい』(1958)です。そういえば、あの映画の中の、刑事の高所恐怖症のエピソードも、コロンボのキャラ設定に影響を与えたかも!と、今書いていて突然気付きました。これは私的には物凄い大発見です!!
返信コメントをくださり、ありがとうございます! 感謝感激です!!
YC-30様
こちらこそ『殺しの序曲』でもわたしのコメントを読んで返信コメントを下さりありがとうございます!
>あの「2枚のドガの絵」は、私見では、絶対ドラマのために作成された贋作だと確信しております。但し、あの絵がもし今も現存していて、『開運!なんでも鑑定団』にでも出されたら、「『刑事コロンボ』の傑作で使用された絵」として、間違いなく大変な高値が付くでしょうね(笑)。
それ私も思いました!
めまいって、(あえて検索せずお訊ねします)キム何とかいうソフトクリームみたいな髪の女優が演じた主役が神経症か何かで、高い塔から落ちてしまうけど実は生きていた、というような話でしたか?確かに面白かったです。だいぶ忘れていますが…
>あの映画の中の、刑事の高所恐怖症のエピソードも、コロンボのキャラ設定に影響を与えたかも!と、今書いていて突然気付きました。これは私的には物凄い大発見です!!
忘れていてすみません。観たくなってきたのでアマゾンプライムで観られるか確認します(笑)
めまいにしても裏窓にしても、もしコロンボがいたらどう進展していったのかわたしには興味深いです。
北北西に進路を取れ、鳥、も面白かったですが、鳥の方は今では音楽だけ覚えています。(わたしにはそういうことが良くあります。YC-30様はありませんか?
YC-30様
間違えました。鳥は音楽なしで有名でしたね(笑)
なんてタイトルだったか、今探しています。
『めまい』は、ヒッチコックとヒロイン役のキム・ノヴァクとの相性が非常に悪く、キム・ノヴァクはヒッチコックのタイプでは無く、キム・ノヴァクもヒッチコックの演出上の要求を逆らい続け、彼女は監督から散々嫌がらせを受けたりしましたが、逆にそれが幸いし、その危険な緊張関係が作品に良いほうに働いたのではないかと評価されております。これは真面目な話ですが、映画は監督一人で作るものでは無く、男性監督に従うばかりが女優の能では無い良い例、という観点でご覧になっても良いかも知れませんよ。
私としては、『北北西に進路を取れ』『サイコ』『鳥』などを大きく上回り、ヒッチコック監督作品の中で断トツに最高に好きです。
なお、ヒッチコックの映画では、音楽がバーナード・ハーマン時代が最も充実していたと考えております。『めまい』『北北西』『サイコ』などは、皆、音楽担当がハーマン時代の作品です(『鳥』は電子音による鳥の声のみで、ハーマンは一筆も書いていません。しかし、ハーマンは「ミュージカル・アドヴァイザー」として大きくクレジットされています)。
「めまい」は見たことがないので興味を持って調べてみたら、ヒロイン役はもともとヴェラ・マイルズ(「サイコ」、そして何より「毒のある花」)が予定されていたものの、彼女が妊娠したため変更になったそうですね。
YC-30様とアイス様のコメントを拝読して、ぜひ「めまい」を見てみようと思いましたが、キム・ノヴァクのキャラクターにヴェラ・マイルズ=ヴィヴェカを重ねてしまいそうな気がします・・・。
tempus fugit 様
ヴェラ・マイルズ ⇒ キム・ノヴァク 変更の件、ご指摘いただき、
ありがとうございます。
また、ご覧になられた御感想を楽しみにお待ちいたしております!
補足です。Suitable for Framing を以前の方は「額縁にピッタリ」「濡れ衣を着せる」などと解釈していましたが、「額装するのにふさわしい」という解釈はなかったかと。犯人が額縁を取り去って、コロンボに「つまらない水彩画」と言った絵はドガの傑作で「額装にふさわしい」ものだったのです。犯人にとってエドナははめるにピッタリと思ったわけですが、実は自分がコロンボの策に落ちて偽装工作した結果、墓穴を掘ってしまいましたね。
HiroBRZ 様
「額装するのにふさわしい」ほどの傑作を、「(エドナを)犯人に仕立てあげるのにふさわしい」ほどの価値がある絵だと、犯人デイルは曲解してしまったのですね。
前にもコメントしました通り、結局「2枚のドガの絵」自体には、デイルは愛着を持っていなかったというのが、私の持論ですから、その解釈に大いに納得しました。素晴らしいです。
大変勉強になりました。ありがとうございます。
Suitable for Framing の意味
二枚のドガの絵は傑作なので額装(Framing)にふさわしい。という意味と同時に「犯人をはめる(Framing)にぴったり」という二つの意味がかけられているのですね。
ドガは評価が非常に高い作家なので作品に出てきたデッサンでも高額で取引されています。
翻訳と通訳をする者の感想です。
HiroBRZさま
おお!この題名、ずっと引っかかっていたのです。
ドガの絵のことなのか?別の何かなのか?どこかにこの題名に重なる
セリフなどのほのめかしがもしかしてあっただろうか?とも考え…。
すごくストンと腑に落ちました!
ドガの絵は(素敵な)額に入れて飾りたくなるような名作!と言う意味なのですね。犯人を「はめる」も納得です。framingの持つ「でっち上げてはめる」という意味でデイル目線で「エドナをはめる」ということですね。
私はどうやらコロンボ目線でこの題名をとらえようとしていたようで、
英語の題名そのものの解釈をそれこそカチリとはめ込めませんでした!
お二人とも、過去のコメントをよく確認されましたか?
題名については、寅さん相棒コロンボファンさんが、昨年10月に既に書いておられます。
通りがかり様
いや、それをおっしゃるのであれば、同じご指摘は、2017年7月20日 4:14 PMの「天国の海」さんや、2020年5月13日 4:35 PMの「ころんぼ」さんのほうが先ですから。
いやにコメントが少ないなぁ?と思っていたら二ページ目が!
お二人とも皆さんの言及ご紹介ありがとうございました!
多くの方たちが繰り返し触れられるということは心惹かれる題名、放題の持つ雰囲気もあり、解釈も皆さん切り口が少しずつ異なり、なるほどと思いつつ読ませていただきました。
追加で2020年5月の「まさこ」さんもコメントで触れられていましたね。そして見つけてしまいましたが、別コメントでYC-30さんも・・・放映前の題名「CRIMZON FRAME」教えていただきありがとうございました(一応2020年6月14日でした。)クリムゾン、と入ると血なまぐさいですが、Suitableの方が洗練されていて含みのあるタイトルになったような気がします。
しかし、crimzonのままだったとしたら…frameは「絵の額縁(または暗喩的に絵)」と言う意味としては、ドガのパステル画だけをさしているのか?それとも他のすべての絵のことも含まれているのか、一枚の絵に限らず登場したすべての絵画(学生の描いていたものも含めて?)をあらわしているのかと考え始めてしまいました。
すみません!YC-30さんのコメントは2022年でした!
のんき 様
そうなんです、昨夜投稿しました(笑)。
人気の回はコメント数が多くて2ページに渡っていることが多いのですが、気が付きにくいですよね。
多くの場合、私が最初に思い付いたことは、もう、どなたかが指摘されていて、私のような新参者は異なった切り口で作品に迫らないと二番煎じ、三番番煎じになってしまいます。
ですが、一方で、過去のコメントなんて、まったく気にする必要はなく、ご自分の、その時点での新鮮なお気持ちを投稿されればよいと思いますよ。それが、他の通の人たちと同じだったら、ご自分の鑑賞眼の自信を深めればいいだけです。
YC-30さま
過去コメントを(過度に)気にすることは無い・・・
ちょっと安心しました。お気遣いありがとうございます!
それにしてもこちらのコメントの山、どの回も!!
私のような超・新参者にはまさにお宝の山、読み進めるごとに、「ほほう!」と相槌を打つばかりです。皆さん本当に造詣が深くいらっしゃいますし、コロンボ愛に溢れています。ぼろんこさんにも感謝ばかりです。
最近は夜寝る前にも「どれどれ」と、コメント欄やたどり着いていなかったぼろんこさんのコーナーを渡り歩きながら寝落ちしてしまう毎日です( ´艸`)
文句無しに「刑事コロンボ」全話中最高傑作だと、私も信じて疑いません。何回観ても、弛緩したり、無駄なシーンがほとんど無く、テンポが実にいいです。
最近観ていつも感じることですが、犯人:デイルは、「二枚のドガの絵」そのものを愛してはいなかったのではないでしょうか? その理由は、トレーシーを殺害する直前、「二枚のドガの絵」を屋外の直射日光に晒して平気でいたからです。絵画に詳しかったら、紫外線には最大限気を遣うはずなのに・・・。美術館の室内展示でも、蛍光灯の光に含まれる紫外線にも神経質になるのが美術の専門家というものです。
さて、シリーズ化第一作の3話「構想の死角」から、4話「指輪の爪あと」、5話「ホリスター将軍のコレクション」、6話「二枚のドガの絵」まで、撮影担当が同じラッセル・L・メティの4作品を連続して鑑賞すると、あたかも、第二楽章にスケルツォ、第三楽章に緩徐楽章を持つ、ベートーヴェン「第九」のような四楽章構成の交響曲に思えてきました。
第一楽章は重苦しい「構想の死角」、第二楽章は歯切れのよい「指輪の爪あと」、第三楽章はゆったりとしたテンポで心の奥底に沁みる「ホリスター将軍のコレクション」、そして第四楽章(終楽章)はテンポをどんどん加速し最後に最高に盛り上がり「ブラボー!!」となる「二枚のドガの絵」。
私の中ではナンバーワン作品です。
初めて小学生の時に見たのが、この「二枚のドガの絵」でした。
伏線の回収とコロンボのキャラクターが忘れられない衝撃となり、
まさにコロンボにハマって行きました。
この作品がきっかけとなり、40年以上たった今でもコロンボの再放送を欠かさず見ております。
ぼろんこさん、作品を見た後ここに来るのをいつも楽しみにしています。
二枚のドガの絵は初めて見たつもりでしたが、最後の最後で両手を掲げるところは明確に覚えていました。まったく記憶はあてにならない(現在68歳です)。
ところで、最近はビデオに撮ったのを見る時、音声は英語、日本語の字幕で見ているのですが、アリバイ作りの時刻を聞くシーンがちょっと不思議でした。
最初の展示会で聞いた時は英語も日本語も「11時5分前」だったのですが、コロンボが画家に聞いた時、日本語では11時5分前と言っていましたが英語では時刻を言いませんでした。まさしく「時間の観念がない」。また駐車した少年は「11時10分前」と言っていましたが、英語では11時5分前でした。それだと辻褄があわないから日本語版で修正したのかな。
あと、コロンボが画家に思い出してもらうために「時計を合わせあったとか」と言いましたが英語では全くそんなことは言っていませんでした。
いずれも日英で違っているというだけで、おかしいいう意味ではありません。
録画したものをゆっくりと見ていくのでまたここに来るのが楽しみです。ありがとうございました。
初めての投稿になります。
最近になってコロンボ・シリーズを観始めましたが、この二枚のドガの絵は本当に切れ味の鋭いオチで、数有るエピソードの中でも素晴らしい作品だと思います。
犯人のデイルをよく観察すると、コロンボが絵についての質問をした時はどんな絵に対しても必ず真面目に対応をしているんですよね。あの、深夜に持ち帰った水彩画以外は。絵に関しては真摯に対応する人物なのに、その時だけは反応が違ったあたり、コロンボは間違いなく違和感を覚えたでしょうね。
初めて投稿しますが、コロンボ放送見てこちらに来て諸々確認して、もう一度ドラマを見直すというルーティンになっております。
この作品は見終わった後の爽快感がいつもにも増してあり面白い!と思いました。こちらでも人気が高い作品であることがわかり納得です。
こちらに書いてないことで気になったのは、コロンボがデイルの撮影現場に行ってコーヒーを買う場面、お金入れてからコーヒー出るの早過ぎませんか(笑)